新しい町に着いて、ジューダスと出かける約束の時間近く、鏡を見て、ハロルドはぎょっとなる。
宿であてがわれた部屋は西向きで、だから、少しばかり日が入りにくくて、薄暗かった。
そのせいだろう。
部屋の奥の方にある、備え付けのドレッサーで化粧をした顔は、いつもよりも何割増しかで、キツイ顔をしていた。
厚化粧、ともいえるかも知れない。
アイシャドウも濃く、アイライナーもくっきりしすぎていたし、なによりも眉をしっかりと書きすぎだ。
大きな目がやたらと強調され、小さい鼻と、ぽってりとした唇に塗った紅い色が、さらにそれに追い討ちをかける。
まるで、猫だ。
しかも、可愛らしい子猫ではなく、じゃじゃうまで危険な感じの山猫。
今更、取り繕ってみたところで、おしとやかだと思う訳もないが、初めての恋人だ。
せめて少しでも可愛く見て欲しい、というのが乙女心というものだろう。
時計を見ると、15分前だった。
時間に正確なジューダスは、必ず、約束の時間きっかりに迎えにくる。
少しくらい部屋の中で待ってもらう事になってしまうかもしれない、と思いながら、慌ててハロルドは化粧を落とす為に洗面台のあるバスルームに飛び込んだ。。
淡いピンクのヘアバンドをして、クレンジングオイルをしみこませたコットンを片手に鏡を覗くと、大きなリボンのついた買ったばかりのヘアバンドは、リボンの先っぽが、丸い頭の形についてこれず、ピンと上向きにVの字をつくっていた。
太目のヘアバンドでも押さえきれない部分の髪の毛は、いつもよりも派手に跳ねまくっている。
バシャバシャと水で洗い流し、顔を拭きながら鏡越しに時計を見ると、10分前になっていた。
薄く化粧をするとはいえ、残り10分では間に合うかどうか微妙だ。
待ってて、と言われればジューダスは嫌な顔をせず、待ってくれるだろう。
最も、何をやっても嬉しそうな顔などめったにしない男だから、仏頂面はするだろうが。
だが、別にそれが、拒否の表情という訳でもなく。
いつものようにいつものごとく、首を少しだけ縦に動かす了解の合図をしてから、そこらの椅子に腰掛けるだろう。
だが。
化粧をしている姿を見られるのは、なんだか気恥ずかしい。
今まで一度も、すっぴんの顔を見せた事がないというのもあるが、男の人、それも恋人にそういう姿を見られたくないと思うのは何故だろう。
化粧で完成した顔は見て欲しいが、それまでの工程を見せるのは嫌だ。
そんな事を思いながら、薄づきで透明感のでるお気に入りのファンデーションのフタを開けた時、コンコン、とノックの音がした。
ハロルドはぎょっとなる。
まだ、約束の時間まで9分ある。
なんで今日に限って、こんなに早く・・・と思いながらも、小走りにバスルームからでると、ドア越しに声をかけた。
「誰〜?」
返答は、即、あった。
「・・・僕だが?」
語尾が不機嫌そうにあがっている。
自分以外誰がいるんだ、といわんばかりだ。
「あ、うん。えっと・・・。」
「なんだ?都合が悪いのか?」
ドア越しのジューダスの言葉は、突き放したようにそっけなかった。
自分だと知っていて、すぐにハロルドがドアが開けなかったことに、ますます機嫌を悪くしたようだ。
ああ、もう。
ハロルドは一瞬、天を仰ぎ、覚悟を決めて、ドアを開いた。
「・・・まだ、支度している途中だったのか・・・。」
ハロルドの顔を見るなり、ジューダスは言った。
そして、あからさまに部屋の中の、違う方向に視線を逸らした。
もう、ジューダスの機嫌は治っていた。
というよりも、ハロルドに対して、悪い事をしたと思っているようだ。
別にジューダスがせかした訳でもないのに、とちょっとハロルドは、嬉しくなる。
「うん、悪いけど、ちょっと待ってて?」
にこり、とすまなさそうに小首を傾げて、ハロルドが言うと、
「ああ。」
と答えて、ジューダスは近くの椅子に腰を下ろした。
それを確かめ、さて、どう言って化粧しているところを見ないでくれるように頼もうか、と思っているハロルドに、ジューダスの、いつもの大人っぽい声が話しかけてくる。
見た目で想像するよりも低い声。
ハロルドの大好きな声だ。
「おまえ・・・。」
「ん?」
見ると、ジューダスは、不躾なほどじろじろと、こちらを見ていた。
すっぴんの顔がめずらしいからかと思って、一瞬、おおいに照れたが、そうではなく。
ジューダスはハロルドの顔だけでなく全身を見ている。まるでなにかを確かめているようだ。
なに?私、なにか変かな?とどぎまぎしているハロルドに、ジューダスが言う。
「なんだか・・・うさぎみたいだな。」
前までは、新しい街に入ったら、3人で出掛けてから、ジューダスと出掛ける、というのが日課だった。
今はそれが反対になっている。
真っ先に、ジューダスと出掛け、それから3人で約束して出掛ける。
もっとも、それは以前からリアラのパターンだったし、ハロルドまで恋人との順番を逆転させたところで、気にするナナリーでもない。
そのナナリーも、最近はロニと出掛けているようだ。
あぶれたもん同士だし、だの、やってらんねーよ、だの言いながらも、ハロルドがジューダスと、リアラがカイルと出掛ける前に、誘いにやってくる。
まったく素直じゃないよね〜とあのカイルに言われていては世話はない。
「あ、可愛い、これ。」
ハロルドがグロスリップを手に取ると、どれどれ、とふたりが覗き込んできた。
今、3人がいるのは、コスメのお店だった。
可愛らしくデザインされたケースたちが陳列され、透明感のある店は遠目からも魅力的に映った。
新しいマニキュアが欲しい、というリアラの言葉に、連れ立って入ってみたが・・・。
嵌ってしまったのはむしろ、リアラよりも普段から化粧し慣れているハロルドの方だった。
めずらしいほどの色揃えの良さと、化粧品独特の、変に甘い匂い。
それが気に入らない時は最悪だが、ここのは、良い感じだ。
後は、肌に合うかどうかだが、それも良さそうだ。天然素材に拘っているを謳い文句にしている商品はどれも、パッケージの裏を読んでハロルドがチェックしたところ、自分に合わないものは入ってない。
ハロルドが、まるでザクロのジェリーのような真っ赤なグロスを手に取ると、隙のないほど、完璧に化粧をした販売員が目ざとく近くに寄ってきた。
「こちらは、見た目通りの発色をするんですよ〜?」
語尾をあげ、親しみ安さを滲ませた口調で話しかけてくる。
だが、嫌な感じはしなかった。
それに、その説明も気に入った。
「見た目通り?こういう綺麗な赤がつくの?」
「ええ。とっても可愛いですよv」
「ふうん。」
ハロルドはよくグロスを見る。
赤い色だが、半透明で、ぷるんとしている。
チューブの中には気泡が入り込み、本当にジュリーのようだ。
「なんか、美味しそうよね♪」
ハロルドが言うと、販売員は自慢気ににっこり笑い、横でやりとりを聞いていたふたりも笑って同意する。
「ホント、なんか甘そうな感じね。」
「匂いも良いよね。あたしも薄いの買おうかな?」
薄いの、とは色が薄いの、という意味らしい。
ナナリーが言うので、ハロルドはそれも気になり始める。
「良いの、ありそう?」
「うん、ピンクのとかも可愛いよ?こっちも買う?」
「うん、どっちにしようかな〜。」
気に入ったら、どっちかにしようと思っていたハロルドは何気なく言ったのだが。
「え!?赤いの買わないの!?」
「もったいないじゃん!」
いきなりの反応に、ハロルドは目を丸くする。
ふたりは、赤いグロスも買うものだと思い込んでいたようだ。
その理由というのも。
「絶対に、ハロルドに似合うもの!」
「うん、あたしもそう思う。次の町で見つかるとは限らないんだから、買っておけば?」
「う〜ん。」
ハロルドは考える。
そう言われると、弱い。
それに、この鮮やかな赤い色には大層心惹かれるものがある。
けど・・・。
「今は、薄い色の化粧しかしないからな〜。」
ぼそり、と言うと、ふたりは、ん?とハロルドの顔を覗き込んできた。
そして、思い出したかのように、リアラはハロルドの今日の服装を見る。
ツイードのジャケットに、胸元に、同じツイードの花のコサージュ。
イミテーションだが、パールのネックレスをして、ロールアップしたジーンズに、細いヒールのパンプスを履いている。ジャケットの色は白だった。
それを見て、リアラは言う。
「そう言えば、ハロルド。このところ、白い服ばっかり着てるのね?なにか理由でもあるの?」
北よりにあるこの町は、少しだけ寒い。
いつもならお洒落で可愛いオープンカフェで、お茶をするのが決まりだった。
オープンカフェに拘る理由としては、ナナリーが外が好きだから、というのがある。
室内にいるよりも、外で空気を吸っているのが気持ち良い、と彼女は言う。
それにハロルドも、外を行きかう人を見ているのが嫌いではなかった。
様々な表情で、様々な足取りで歩く人々は、誰の上にものんびりと、確実に、生活があるのだと感じさせてくれる。
だが、ここには、外でお茶を飲む習慣がないようだ。
ひとつもオープンカフェの店が見つからなかったのが意外だったが、まあ、寒い場所でわざわざ、風邪を引く心配をしながら、外を眺めなくても良い。
そう言いながら、可愛らしい店内の、ショーケースに並んだケーキが美味しそうだった店に、3人は入る。
店内の窓際の席に案内されると、窓の外を見ながらリアラが、なんか負け惜しみ言ってるみたいね、わたしたち、と笑った。
ケーキは予想通りに、とても美味しかった。
見た目はすごく甘そうなのに、食べてみると、どこかさっぱりとしている。
ナナリーはフルーツのロールケーキを、リアラはチョコレートのムースを頼み、ハロルドはキャラメルとバナナのケーキを選んだ。
ロールケーキもチョコレートのケーキ見た目も可愛らしく、ハロルドの頼んだものは、それに比べれば、いささか地味だったが、つややかな卵色のムースが美味しそうだったし、それにそのケーキの上に乗っていた小さな受け皿が面白そうで、気になったからだ。
それは、ただの飾りにも見えるほどの、小さいチョコレートでできた受け皿だった。
四角いケーキの上に、ちょこんと乗っている。
なんだろう?と首を傾げたハロルドだったが、試しに中に入っていた茶色い液体を舐めてみると、それがキャラメルソースだった。
逆にキャラメルかと思っていた卵色のムース部分は、実は、カスタードのムースという変わり種で、下にはペースト状のバナナ、一番下にはチョコのフレークがひかれていて、食感も良い。一口食べた後、受け皿の中のキャラメルをかけながらお食べください、という注意書き通りにしてみると、苦味のあるプリンのような味に変化した。どうやって食べてもとても美味しい。
明日、ジューダスとまた来よう、とハロルドは思った。
「・・・って言う訳なの。」
「へぇ♪」
美味しいケーキは女の子を饒舌にさせる。
ハロルドの話に、頬杖をつきながら、リアラが意味ありげにハロルドを見る。
リアラは紙ナプキンを広げて、膝の上においていた。
それほど短くはないが、今、着ているレトロなイメージのワンピースの裾が気になるようだ。
色は、リアラにはめずらしく黒で、ウエストの部分からアップリケのように、太い白いラインが、裾までのびているデザインだ。
「あのジューダスがね〜。」
本気で感心した、というようにナナリーも言う。
そのナナリーは、めずらしくマイクロミニの、ピンクのスカートを履いていた。
黒のタートルネックに、黒いロングブーツをあわせ、可愛らしくも大人っぽい感じだ。
これと同じ服着て、ロニともデートしたのかなぁ?とハロルドは思う。
ふたりの相槌に照れながら、ハロルドは言う。
決して、照れ隠しの為でもなく。
「まあ、あいつはね〜。今となっては、私に何を言っても良いと思ってるから。」
それを聞いて、ん?とふたりは顔を見合わせた。
「今までの話と逆の事を言ってない?それって。」
「恋人関係になってから、潤滑になったんじゃないの?」
「変わっているので、アノヒト。」
そう、変わっている、とハロルドは思う。
変わっているというか人よりも感覚がずれている。
普通、恋人に気を使わなくなる、というのは、もちろん、お互いをよく知り、安心したサインではあるが、時折、相手にはマイナスに作用する感情でもあるものだ。
だが、ジューダスの、気を使わない、というのは、何を言うのも相手を気にしなくなる事、らしい。
「え?つまりはどういう事?」
混乱したように、リアラが言う。
「だから、そこが変わっているんだけど。あいつの場合、相手を気にしていると逆に、他人への褒め言葉や感謝の意を現わさないの。つまりは、普段、自分が心の中では思っているけど、面と向かっては口にしにくいもの?それを・・・他人に見せるのがすごく嫌らしいんだけど。」
「恥ずかしがってるっていう感じかい?」
「うん、それもあると思う。でも、極端に他人と接してなかったせいで、自分でも現わし方が分からないというのもあると思うの。あの捻くれ方には。で、その心配を、私に対してはしなくても良いって、思ってるって言うか・・・。」
「ああ、つまり!!」
ポン、と手を打ってナナリーが言った。
「ジューダスの場合、他人を褒めたりする事が苦手だから、人前ではそれを決して見せないけど、恋人のハロルドには、そういう事を気にせず、思ったことを口にするようになった、そういう事?」
「そうそう。」
なんだかややこしいが、そういう事だ。
そう思ってハロルドは、ナナリー理解力に感謝する。
「本当に、捻くれてるわね〜。」
呆れたようにリアラが言い、そしてにっこりとハロルドに向かって微笑んだ。
「でも、良かったね。うさぎみたいなんて・・・あのジューダスの口から聞けたんだもの。それは良いことよね。」
「うん・・・。」
そう言いながら、ハロルドは少し考える。
うさぎみたいな格好だ、と言われた時、嬉しかった。
山猫のような女だと、自分では思っていたから。
猫は猫でも、子猫のようなら救いようもあるが、山猫では、いっそ野蛮なイメージだ。
野性的なものはかっこよくて好きだが、それとこれとは別だ。
恋人にはそういう風には見て欲しくない。
だが、うさぎなら、どこから見ても可愛い小動物だ。
ジューダスの中に、自分をどこか可愛らしいと思う部分があって、だからあの時、そういう風に見えたのだとしたら、それはとても、嬉しい。
「まあ、だからっていう訳でもないけどね・・・。」
そこまで言って、ハロルドは嘘だ、と自分で思う。
意識してないといくら言っても、確実に、ジューダスの一言は、ハロルドの中のなにかに作用した。
服を買おうと店に行っても、なにか小物を探していても、いつも、うさぎをイメージするものを選んでしまう。白とか、ふわふわなものとか、目のような鮮やかな赤とか。
ハロルドの中で、うさぎブームが始まったかのようだった。
「でも、あいつの事だから。」
ハロルドの言いたい事を、ふたりは分かってくれたようだった。
ジューダスは、別に褒め言葉になると思ってなかったかもしれない。
どんなにハロルドが喜ぶか、想像もせず、うさぎと言ったのも、からかったつもりかもしれない。
あの時、うさぎの耳のように、リボンの先が持ち上がったヘアバンドをしていたから。
「大丈夫よ。」
リアラは言う。
慈愛に満ちた、とでも言うべきか、不安なハロルドを勇気付けるかのように、優しい微笑みを聖女は浮かべていた。
「絶対に大丈夫。その時のハロルドの格好が可愛いかったから、うさぎみたいって言ったのよ。ジューダスは。」
「うん、あたしもそう思う。」
ナナリーも言う。
「本当に、そう思う・・・?」
「うん!」
「絶対!」
ふたりの答えは同じで、大きく頷いて見せてくれた。
ハロルドには、その姿が、恋の女神のように頼もしく見えた。
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