雪が降っていた。
どうやら、天地戦争の時代−厳密に言えば、戦後だ−らしいと、とジューダスは思った。 ついさっきまでは、カルバレイスでナナリーの傍にいたというのに、今度はいきなり千年も時を越えた。時間と場所の移動は本人の意思とは関係なく、起こっているらしいという事は、あれから何度も繰り返しているうちに、気がついていた。
あれから。
フォルトゥナ戦を終え、自分の存在が"無"に返った後のことだ。
フォルトゥナが消え、自分も消え去る時、ジューダスは完全に消え去るのだと思っていた。けれど、結果は意外にも、いや、皮肉にも物に触れられる肉体はなくなったのに、精神だけは消えなかったのだ。
今の自分の状況を例えるなら、精霊のようなものだろうか。
それとも、人が精神と呼んでいたものは本当はなく、記憶を繋げて意識をしたものがあっただけだったのだろうか。だとしたら今の自分の状況は、器を失くした記憶の部分だけが、残っているだけという所なのだろう。
ならば、時間も、空間による距離も関係なく移動できるのも納得できる。
それを意思で制御できないのも、きっと、自分は便利上、自分と意識しているだけで、どんな生き物にも、物体にも、状況にも分類されない・・つまり存在してない、という状態なのだろう。
思考をする意識があるのに"存在"していないというのは矛盾しているが、そもそも存在とは"己がある"という認識があってこそ、成り立つ。確かに自分が在る、と感じることができない今となっては"存在してない"という方が、この状況にふさわしい。
そもそも、在る、というのは何だろう?
すでにはっきりしているのは、自分は生きていない、という事だ。
"生きる"というのは肉体を伴って、進行していくという事だ。
今の自分は間違いなく"生きていず"、"存在"もしていず。
過去に存在していたジューダス−あるいはリオン・マグナス−という男の、残った記憶が、断続的に交差することによって"思考している"と勘違いしてるだけのものかもしれない。
「時間というのは、過去から未来へ流れていくものだという、本来の考え方とは違った説もあるのよ?」
「そうなのか?」
「うん。」
その時、薔薇色の髪と同じような色に頬を染め、誇らしげに彼女は言った。
「過去、現在、未来というのは、同時に存在していて、つまり、今現在を進行しているのと同時に、過去も未来も進行中である、という考え方ね。」
「そうなると・・・どうなるんだ?」
訝しげに問うた自分に対して、彼女はますます誇らしげな表情を浮かべた。
「今、現在という、私たちが確かだと思っている土台は、幻に過ぎないって事ね。過去と現在と未来が、一本に繋がっているのではなく、それぞれ独立しているとすれば、お互いに影響を及ぼしあうことによって、常に変化を繰り返している。本来の時間の・・本流ともいうべき流れはなく、ささいな出来事が、過去、もしくは未来に起きても、私たちが、今と認識している現在のありようは変わる。人間は常に現在しか認識できない訳だから、それを確かめようもないけど・・・。」
「人がいる場所、は現在しかありえないからな。」
「親殺しのパラドックスというのもあるけど・・・あれも、その説から言うと、どこに位置するかしら・・・。たとえ、そこまで大掛かりな事が行なわれなくっても、一瞬のボタンの掛け違いで、影響しあうエネルギーの度合いはどれくらいの量なのか・・・興味あるわ。」
ぶつぶつとひとり、自分の考えに没頭しだした彼女は、いきなり、その表情を困ったものへと変化させた。
「・・・・どうした?」
思わず尋ねると、彼女は、眉をさげて、自分を見た。
「その説が”あり”なら・・・兄貴の死なない歴史も、今もどこかで存在してるのかしらって・・・思って。」
ずきん・・・と、その時、ジューダスの胸は痛んだ。
彼女がとても、兄を愛していることを知っていたし、それ故に、その死に対して、ある種の責任を感じていた。たとえそれが、直接的でなく、しかも己のセンチメンタルに属する感情だったとしても、やはり心は痛んだ。
そっと目をふせたハロルドの表情が目に入り、そうか、と一言だけ答えて、ジューダスは視線をそらした。いたたまれなかったし、ハロルドのそんな表情を見ていたくなかった。
真っ白な雪原の上を、小さく黒い穴が点々と続いていた。
その足跡を見下ろしながら、本当にハロルドの足は小さいな、とジューダスは思った。
足だけではない。
彼女は手のひらも小さい。
その指を向けられると、まるで、作り物のようだ、とよく思ったものだ。
白くて、か細くて、小鳥を連想させる、あの小さい手。
「また、同じ花でごめんね?兄貴。」
その小さい手で、持ってきた花を墓前に手向けながらハロルドは言った。
「ここらへん、寒いからさ。花もそんなに咲かないのよぅ。」
兄に話しかけるハロルドの口調は、まるで子供のようだった。
「でも、もうちょい待っててね?外殻を落として・・・・あ、地上になるたけダメージを与えないで、外殻を落とす方法を思いついたんだ!それを実行に移して・・・空から日が差すようになれば、もっと色々な花も咲くはずよ!そしたら・・・毎日違う花を持ってきたげるからさ。」
実際、この地方は、ハイデルベルグの例を見るとおりの寒冷地帯で、外殻がなくても、雪が降り続く場所には違いがない。地図を見れば、それに気がつなかいハロルドでもないだろうに、それでも。
外殻が落ちれば、花が咲くと。
兄にそれを見せてやりたいと。
やりたかったと・・・。
事実に気がつかないほど、もしくは、気がつかないフリをしているほど、ハロルド自身がその思いに縋っているのだろうか。
そう、思いたいのだろうか。
ジューダスは、ハロルドの髪に手を伸ばした。
けれど、伸ばしたつもりになっただけで、実際は、自分の手の感触など、どこにもなかった。
「私の事、恨んだことある?」
そう言われた時、ジューダスは答えられなかった。
カイルが英雄たちに話を聞きに行くと言い出し、フィリアのところへ行った時だ。
今や、神団でも高位の位置にいる彼女が話し出したのだ。
かつての経験を。
自分の事を。
フィリアにとっては18年前でも、その記憶は自分にとっては最近のものだ。
それでも懐かしかった。
・・・・・辛かった。
それで、思わず、フィリアに対して言葉を発した時、ハロルドの視線を強く感じた。
思えば、その時、さっさと立ち去ってしまえば良かったのだ。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけどぉ?」
はっとして振り返ると、ハロルドがその大きな目を、フィリアに向けていた。
「そもそも、どうしてヒューゴって正確にダイクロフトの沈んだ位置や、ベルクラントの使い方を知ってたの?現代のどの本でもそんなこと調べられないわよね?書いてないもの。
それに、そのリオンってやつだけど。なんで、そいつだけが、目をつけられての?ソーディアン・マスターなら他にもいるじゃない?」
自分がリオンである事を、ハロルドは誰に聞かないでも気づいていた。
そのうえで、知らないふりをしている。
大した役者ぶりだと、ジューダスは舌打ちをしたい気分だった。
「あ・・・あの、リオンさん、は・・・。」
ちらり、とフィリアはジューダスを見た。
思えば、フィリアはこのとき、ジューダスがリオンであるという事に、薄々感づいていたのだろう。
「ヒューゴとは親子なんです。それで、幼い頃から手足となって、働く事を強要されていて、目をつけられた訳ではなく、初めから仕組まれていたんです。」
「ふむふむ。」
ハロルドは腕を組みながら、頷いた。
「そんなこと、はっきりと記述されてなかったわね。それらしい事はあったけど。でも、親子なのになんで?まるで、憎んでるかのように扱われてるじゃない?」
「それは、ヒューゴはミクトランに長い間、操られていたからなのです。」
「・・・・・ミクトラン?」
ハロルドの表情が一変して、険しいものになった。
細い眉がつりあがる。
「どこからミクトランが出てきたの?」
「それは・・・。」
はっとして、ジューダスはフィリアに制止の声をかけそうになった。
けれど、次の瞬間に自分の立場を思い出し、言葉を飲み込んでしまった。
その一瞬のためらいが、フィリアの言葉をハロルドに聞かせてしまう事になったのだ。
「ソーディアン・ベルセリオスの中に潜んでいたんです。」
カーレルはミクトランと差し違え。
その時、カーレルの持っていたベルセリオスには、ハロルドの人格が投影されていた。
その未来を知った時。
ハロルドはその運命の皮肉さを、どう受け取っただろう?
ジューダスには、もう知る由もない。
ただ、あの時の質問が残されただけだ。
「私の事、恨んでない?」
どうしてあの時、答えてやれなかったのだろう。
無表情で見返す、ハロルドの顔を見れなかった。
ただ、痛くて見れなかったのだ。
一瞬だけ、視界が開けたような感じがして、シャルティエと目が合った。
シャルティエが大騒ぎをしたのは、今朝の事だ。
ハロルドは眠っていた。
めずらしく研究が一段落ついたのか、今日は夜にはベッドに入った。
その姿を見下ろして、ジューダスは考える。
走るハロルドを見たとき、胸の中に飛来したのは、ずっと黙殺してきた感情だった。
気がつかないように目をそむけて。望まないように鍵をかけてきた、もの。
こうなってから初めて、逃げることも叶わなくなって、直視した、もの。
「どうしようもない。」
口に出して言ってみても、どこにも響くことも、自分の耳にすら届く事のない、声。
どこにもいない。
自分はどこにも存在してない。
今更、どうしようもない。
どうして、あの時。
ハロルドが寝返りをうった。
体にかけた毛布を抱くようにして、ジューダスのとは違う、はっきりと部屋に響く声で
「ダイクロフトに行っちゃダメだよ、兄貴・・・・。」
そう一言、言った。
どうして、あの時。
「そうだな。」と一言、言ってやらなかったのだろう。
カーレルの存在する歴史もあるはずだと。
たとえ、気休めにしかならなかったとしても、ないよりもマシだと気がついていながら。
いつだって、後悔はとり戻せなくなるまで気がつかない。
もう、しないつもりだった。
全て諦めていたつもりだった。
そう悟っていると、自分でも信じていた。
言ってやれば良かった。
こうやって、何もしてやれなくなる前に。
言ってやれば良かった。
頷いてやれば良かった。
もう2度と、会えなくなる前に。
「そうしてやれば、良かった。」
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