あの背中があるから、生きている・・・。
例えば、後になってこの旅を懐かしく思い出す日がきたとして。
それはきっと、黒い色だ、とハロルドは思う。
比喩の、目の前が暗くなる、などの黒ではなく。
視覚できちんと捕らえている「黒」だ。
宿屋をひとり出て、街をぶらついていたハロルドが、ひとりで歩いていく黒いマントを見かけたのは、橋の上からだった。
声をかけようかと思ったその時、ひらめいた。
向こうはこちらに気がついていないのだ。追跡をしよう。
そう思いたち、転げるように階段を駆け下り、気配を消して後をついていく。
人の後ろに隠れつつ、街灯の柱に隠れつつ。
猫のように、ひっそりと。
ちょっとしたいたずら心が起こした行動で、大した意味はなかった。
果たして、あいつはどこで自分につけられているのに気がつくか。
ひとりで行動している時、あの男がどういう風に振舞っているのか。
暇つぶしに調度良い、と思った。
街の外に出ればいくらでも好きなだけ戦えるというのに、何が違うのかどこが気に入ったのか、この街にある競技場に、カイルたちは通いつめて、すでに1週間がたっている。
7日というのは自分にとっては、とてつもなく長い時間だ。
図書館の本は一晩で読破したし、考える時間は、他人よりもかからない。
何かを定義しようにも、そんなものは次の瞬間には答えが見えてしまう。
だから・・・外部からの刺激がないと、ハロルドの内部は膠着してしまう。
なのに、7日。
全てのものを見きってしまったというのに、カイルたちは、未だにこの街を離れる気配がない。
数日前に抗議した時も、きょとんと子犬のようなつぶらな目で見返し、カイルは言った。
「いや、だって・・・競技場なら戦って賞金もらえるし、それに腕を磨くにはもってこいの訓練場だよ?」
「だ〜か〜ら〜訓練なら、実践が一番、効果があるっしょ?」
「でも、お金貰えないじゃん!」
「お金欲しいなら、違う街でバイトでもしなさいよ!私は退屈なの〜!」
「退屈ならハロルドも出れば?」
「バッカいいなさいよ!競技場のモンスターなんぞ、この天才である私の前には赤子も同然!結局、詰まらない事には変わりがないじゃないの!」
「え〜?そう・・・?」
「・・・今、あんた、すご〜〜〜〜〜〜〜く失礼なこと、私に言わなかった?」
「え?い・・いや、うん、そうだね!ハロルドなら一撃必殺だね!」
「当然でしょ!私は戦闘中に怪我負ったことなんてないんですからね!あんたと違ってね!」
そう、実際にハロルドは戦闘で、傷ついたことなど一度もない。
そんなんで、ひとりで競技場で戦うにも馬鹿らしい。
だから、ハロルドは、心底、退屈してたのだ。
相手は目の前になんの障害もないかのように、進んでいく。
その動きは流れるようで、一度も立ち止まったり、何かを避けたりしない。
ふうん、とハロルドは思った。
まるで、水の中を泳ぐ魚のようだ。
黒いマントの背中を見ながら、ハロルドは進む。
余所見をしながら故、こちらはそうはいかない。
何度か何かに足をひっかけ、その度に、つまずきそうになった。
でも、決して、黒いマントから目を離さない。
話題を煙に巻くのが上手い男だ。
案外、人を巻くのも上手いかもしれない。
どこに行くのか、さっぱり分からない今、見失ったら、探すのが一苦労だ。
そう思い、目を逸らさず、その背中に神経を集中していると、ひらひらと歩みにあわせて動くマントに新しく繕った痕がある。
この街にくる直前の戦闘で受けた痕だ。
その時、相手は、いきなり立ち止まった。
なにがあるのか、ハロルドが興味を引かれて見ていると、相手は一瞬だけ、目の前の店のショーウィンドウに目を走らせ、そのまま、もう何もないかのように、再び歩き出す。
行ってしまった後、その店に近寄り、何を見ていたか、自分もショーウィンドウを覗き込む。
「あ〜・・・綺麗v」
そこには、色とりどりに光り輝く石が並んでいた。
それは女性の肌を飾る為に、様々なデザインに形作られ、光り輝いている。
わざと暗くしている店内は、それだけで商品を目立たせ、美しい石たちを幻想的に見せていた。
宝石屋だ。
う〜ん?
とハロルドは思った。
あいつに宝石?なにに興味を惹かれて覗いて見たのか、想像もつかないわ。
一瞬、考えた後、今はそれどころではないのを、思い出す。
首をまわし、去っていった方向に目を走らせると、黒いマントが、今まさに角を曲がろうとしているところだった。
慌てて、その背を追いかける。
肩を聳やかすでもないのに、姿勢が良いな、と目的の背中を観察しながら、思う。
姿勢が良いのは、見るものに高圧的なイメージを与える場合もあるが、威張り散らした印象は皆無だ。
むしろ、優雅だ。
歩いていると言うよりも、踊っているかのようだ。
全体の比率に比べて、明らかに長い足が、先を進むと、ぐん、と一瞬、自分との距離が開く。
必死で追いかけても、決して追いつけない。
こちらは小走りなのに、向こうは余裕で一歩を踏み出している。
つかず離れず、視線の先で、揺れるマント。
それが、黒い蝶を思い起こさせる。
その背中は、すでに、見慣れている風景だった。
あまりにも視界の中にあって当たり前な光景だったから。
なんとなくそれが、自分と彼との位置なのではないか、とハロルドは思った。
いつもこちらに背中を向けている。
それが、彼の正しい位置なのではないか、と。
ふいにそんな考えが浮かび、その時、ハロルドはなんだか、嫌な気分になった。
胸が苦しいような、急に咳き込むような、そんな感じだ。
変なの、風邪でも引いたかしら、と思い、自分の喉を摩りながら、目を上げた瞬間。
黒いマントは視界からいなくなっていた。
「嘘!?」
ほんの一瞬だ。
ハロルドが目を離したのなど。
それなのに、相手が消えるなど、ありえない。
そう思い、首をめぐらすが、あいにくと黒い色は目の中に入ってこない。
そうだ、大通りに戻ってしまって、人の間に隠れてるのかもしれない。
そう思いつき、ハロルドが一歩踏み出そうとした、その時。
「なんのつもりだ。」
よく知る、外見のイメージよりも低い声がすぐ後ろでした。
「・・・あれ。」
ジューダスは、腕を軽く組んで、こちらを睨んでいた。
青を多く含んだ紫色の瞳は不機嫌そうだったが、あいにくとハロルドは、そんなものはちっとも怖くない。
こいつの無表情には慣れている。
むしろ、思いっきり笑顔になられたら、そっちの方がよっぽど怖い。
「あんた、いきなり、どしたの?」
「・・・それは僕のセリフだ。なにしている、こんな所で。」
「う〜んと・・・。」
ハロルドは言う。
「あんたが歩いているのが見えたから。」
「・・・で?」
「ついてきた。」
「・・・なんの為にだ?」
「う〜んとぉ。」
一瞬、空を盗み見るように仰ぎ、あ、そうだ、というようにぱちんと手を合わせ、ハロルドは言う。
「お腹空いたv一緒にお昼食べましょうよv」
「・・・とってつけたように言うな。」
ジューダスは呆れたように溜息をついて、そして、再び、ハロルドに背を向けた。
だが、別に、自分を捲こうとか突き放そうとか言うつもりではなかったらしい。
結局は、並んで歩き、適当なところを見繕って、ジューダスが、おざなりにその店を指した。
ここで良い、という意味か、ここが良い、という意味かは、意思表示されなかったので分からない。
まったくこういう態度も考え物よね〜とハロルドは思う。
意思の疎通を図ろうという感じをまるっきり受けない。
それとも、黙っていても言わんとしている事が私に伝わるだろう、とでも思っているのかしら。
調度、お昼時という事もあり、賑わう街の食堂で向かい合わせに座り、あれこれと食べたいもの全てをハロルドが注文している時、ジューダスは頬杖をついて窓の外を見ていた。
その姿が様になっている。
まるで一枚の絵のようだ。
こういう感情のこもっていない仕草が、この男には似合う。
「ね〜?」
「なんだ?」
いかにも面倒臭そうに、顔をあげて、ハロルドを見る。
「ビールとか飲む?」
「・・・いらん。」
答える言葉もそっけない。
必要以上は口にすべきではないとでも思っているようだ。
あきらかに眉をさげ、ハロルドは、目の前でネズミを取り逃がした猫のような情けない声を出した。
「え〜?いらないの?」
そのひと言に、ジューダスはますます嫌そうな顔をする。
「・・・飲みたいんだな?」
「うん。」
「なら勝手にひとりで飲めばよいだろう。」
「だって、ひとりじゃつまらないんだもん。」
「一緒に飲めば、面白いのか?」
「うん。」
「そんな訳ないだろう。一緒にいても、味覚まで伝わるわけではない。」
切り捨てるような口調にジューダスは言う。
気分の問題が、この男には通じないようだ。
あいかわらず、情緒というものに縁を持たないつもりらしい。
だが、その言葉の内容にハロルドは、意味ありげに笑った。
「・・・じゃあ、なんだったら伝わるの?」
「・・・・・。」
ジューダスは黙ったまま、窓の外を見る。
思っていても口にしたくない事を聞かれたとき、大概、こういう態度にでる。
興味がありません、というポーズ。
目の前で扉を閉めるような、会話の遮断。
「おまたせしました〜。」と可愛らしい営業用の声を出し、ウェイトレスが注文したものを、テーブルに並べていく。
「・・・・・おい?」
その数の多さに、ジューダスはぎょ、としたようだった。
「なに〜?」
「これを全部、食う気か?」
「そうよ〜?悪い?あ、でも私ひとりじゃないけどね〜。あんたも少しは食べるっしょ?」
もともと、ジューダスは食が細い。
それを分かっているから、少しは、なのだろうが、それを承知しているにしては、量が半端ではない。
テーブルの上に並べられたもの、それは・・・。
ハンバーグ(ハロルドの好物)、オムライス(同じくハロルドの好物)、ポテトフライ(同じくハロルドの)、ホワイトグラタン(同じく・・・)、コーンポタージュスープ(やはり同じく・・・)。
「・・・・・・・・。」
「なによ〜?なんで黙ってんの?あ、好きなものからつついて良いわよv後〜、デザートにケーキも食べよう!あんた好きでしょ?甘いもの。」
「・・・食えるのか?」
そう言った後、ジューダスは黙る。
痩せの大食いという言葉があるが、ハロルドはまさにそれだ。
普通の女よりも2倍は大きな胃袋を持っているに違いない・・・と仲間内で噂されるほど、食べる時は一気に食べる。
だが、研究に没頭してたとかで、食べない時は、一日中、なにも口にしなくても平気だ。
「いただきま〜すv」
嬉しそうに、ナイフとフォークをチンとあわせ、ハロルドはハンバーグに取り掛かる。
ハロルドは、お子様メニューが好きだ。
その横に結局、注文したビールのコップが置いてある。
コップの上の方を飾る泡は滑らかで、クリームのようだった。
食事との組み合わせがアンバランスで、少しだけ笑いを誘う。
そういえば、以前ハロルドは、チキンライスに旗がついているのが気に入って、お子様ランチを7つ、と注文したこともあった。
その時も一緒にビールを飲んでいた。
それは想像すると、変な姿だ。
実際に見てても、変だったが。
「・・・何笑ってんの?」
口元が笑いのカタチをいつの間にか作っていたらしい。
不思議そうにハロルドが聞く。
自分が笑われているとは思ってもいない。
もっとも、可笑しいのはハロルドではないのだから、それは正しくもあるが。
「別に?」
笑いを含んだ声でジューダスが答えると、ハロルドはますます不思議そうな顔をした。
そして、ちょい、とくちばしのように、唇を尖らせると、
「変なやつ〜〜〜!ひとりで笑ってて、ぶっきみ〜〜〜!もっとも、その仮面だけで変だけど!」
といかにも悔し紛れという感じで言う。
「ほっとけ。」
「ほっときますよ〜だ。」
ハロルドは、い〜〜〜!と歯をむいた後、大口を開けて切り分けたハンバーグを口に入れる。
そして、その後は、もうジューダスの事などどうでも良いようで、嬉しそうな顔でもぐもぐと頬を動かしては、次の好物を口に運んでいく。
「あ、ねえ?」
食事も半ばになった頃、ハロルドが、その存在そのものを思い出したというように、ジューダスを見た。
「なんだ?」
オムライスの、ハロルドが取り損なって形を崩した部分をスプーンで掬って口に入れ、ジューダスは聞き返す。
「あんた、さっき、何見てたの?」
「・・・どこでの話だ。」
会話が唐突なのはいつもの事だ。
慣れているジューダスは、適当な箇所から説明を求める。
「さっき。宝石屋の前で。」
「・・・・・・?」
ぱちぱち、とハロルドは瞬きをしつつ、ジューダスに見入る。
なんだか、本気で知りたそうだ。
ジューダスは考えた。
宝石屋の前を通ったのは覚えている。
なにか、見ただろうか・・・・。
「・・・ああ、あれか。」
思い出し、ジューダスは笑った。
「お前、だ。」
「え?」
その答えに、ハロルドは一瞬、聞き返した。
ジューダスの方は、これで話が伝わるだろう、というように、再び、オムライスの崩れた部分にスプーンを入れていた。
ああ、とハロルドは思う。
暗いショーウィンドウは、鏡のように風景をはっきり映す。
その時、ジューダスは、ハロルドが追いかけてきているのに気がついたのだろう。
「・・・なんだ。」
フタを空けてみれば、答えは酷く簡単だった。
明らかにがっかりしたように、ハロルドはつぶやいた。
食事の手さえ止めて、本当に残念そうだ。
「悪かったな、ご期待に副えなくって。」
余裕の嫌味を言い放ち、ジューダスがその話はそれで終わりだろうと、予想したその瞬間、
「ねえ!」
ぱあ、と明るく表情を変え、ハロルドが言った。
「あの時、店のアクセサリー、見た?」
「・・・ちらっと見たが・・・それがなんだ?」
「可愛いブローチがあったっしょ?」
「・・・・・かもしれないが。」
「青い石でできてるの!すっごい可愛かったの〜!」
「・・・・・で。」
「あれが欲しい!」
目を輝かせ、ハロルドは言う。
「・・・買って来い。」
「買ってv」
「断る。」
確かに、そうくるとは思っていた。
だが、なんの脈もなくそう言い捨てられると、むかつくのも事実だ。
そう思い、ハロルドも引き下がらない。
「買ってよ〜。」
「嫌だ。」
「ケチ。」
「・・・・・。」
「ね〜買ってよ〜買って〜〜〜?良いじゃない減るもんじゃあるまいし。」
「・・・減るだろう、金が。」
また適当な比喩を持って来たな、と思いながらも律儀にジューダスは言い返す。
「買ってったら、ね〜!」
「お前な。」
今にも、椅子の上で地団駄を踏み出しそうなハロルドに、ジューダスは呆れる。
よくおもちゃ屋の前で、地面に寝転がってねだっている子供の姿を見かけるが、まさか、あれと同じ事をここでするのではあるまいな?と本気で心配になってきた。
「・・・どうして、自分で買わないんだ?」
ジューダスは言った。
金なら、各自、そこそこ持っている。金銭的な問題でもないだろう。
「・・・・・。」
きょとん、とハロルドはジューダスを見る。
そのまま、2、3度瞬きをし・・・そして。
鼻の頭の辺りから、いきなり真っ赤になった。
「・・・・・おい?」
はじめ、それを見たジューダスは、ハロルドが泣き出すのかと思った。
だが、そうではなかった。
顔を真っ赤にしたハロルドはいきなり、むっつり黙り込み、大きな目を更に大きく見開き、しかも、段々とそれは釣りあがっていく。
明らかに、怒っていた。
「・・・・・どうした?」
その変化に、思わず、ジューダスは聞き返す。
こんなに劇的に怒らせるような事を言った覚えはない。
「・・・・・。」
ハロルドは黙ったまま、ジューダスの目の前にあったオムライスの皿を自分の方に引き寄せ、黙々と食べ始める。
「・・・・なんなんだ?」
その姿は、もう何もあんたにはあげません、と宣言していた。
少しずつ摘んでいたため、お腹はすでに膨れていたが、そんなことよりも、ハロルドの分かりやすい拗ね方の方が気にかかる。
ハロルドが口の中で、なにかを言った。
それは声に出てなかったが、ジューダスには、その口の動きが「信じらんない」と言ったように見えた。
「・・・ごちそうさま。」
全て平らげ、皿に放り投げるように置いたスプーンが、カランと音をたてた。
ぷん、と怒って顔を背けるハロルドに、ジューダスは溜息をつく。
「・・・・・そんなに欲しいのか?」
「なにが?」
ハロルドの口調は、投げやりな一本調子だ。
だが、返事をしただけマシというものだ。
こいつは、とことん機嫌を悪くすると、口もきかない。
「その、ブローチだ。」
「いらない。」
そっけなく、ハロルドは答える。
さっきまでは欲しがって駄々を捏ねてただろう!とはジューダスは言わなかった。
会話を繋げる為に、一応聞いてはみたものの、ジューダス自身、本当の理由は違うだろう、と思っていたし、そんな事くらいで、いきなりこいつは怒ったりしない。
もっと、別の事で怒っているのだ。
・・・その答えも、一応、想像はついていたが。
「出るぞ。」
伝票を掴み、ジューダスはハロルドを促す。
本当に怒っているらしいハロルドは、支払いをジューダスがするのも当然と思っているようだ。
そのまま、無言で席を立ち、ジューダスの前をさっさと歩き出す。
払わされるのはいつもの事だが、普段なら、伝票を押し付けながら「ごちそうさまv」とこちらの文句を相殺するセリフを言うのに、それすらも今はない。
支払いを済ませ、店を出ると、案の定、ハロルドはこちらを見向きもせずに歩き出そうとする。
行かせる前に、その腕を掴み、ジューダスは、反対方向にひっぱった。
「こっちだ。」
「な・・なによ!」
いきなりの事で、痛んだのか、ハロルドが顔を顰めながらジューダスに抗議する。
だが、そんな声には耳も貸さず、ジューダスは早めの歩調で、ハロルドを引きずっていく。
「離してよ!痛いってば!」
それでも、ジューダスは歩みを止めない。
いきなり、これはないわ、と勝手に怒っていた自分を棚にあげ、ハロルドの怒りは再び、再燃する。
「なによ!どこ行こうってのよ!!聞いてるでしょ!答えなさいよ!!」
「競技場だ。」
「・・・え。」
思いもかけない言葉を返され、思わず怒りよりも、答えのその先に興味を持ってしまった。
いつの間には、たやすく腕をひかせてしまっている。
「競技場?どうして?」
今日、カイルたちの応援する約束でもしただろうか?とハロルドが思っていると・・・。
「いくらなんでも、宝石を買うほど、金に余裕はない。ないなら、稼ぐ、それだけだ。」
と、ジューダスが言った。
その肩をなびくマントが、目に入ってくる。
そのマントに、新しく縫った痕。
ふいにそれが、生々しく、ハロルドの目に映る。
・・・・・それは、数日前、この街に入る寸前の戦闘で受けた傷だ。
どくん、とひとつ胸が鳴った。
この街に来る直前のモンスターとの戦闘で、その傷はできた。
傷、そのものは大したことはなかった。
なによりも、私がすぐにキュアをかけたのだし。
だけど・・・。
その時の事を思い出し、ハロルドは、苦さと、甘さの両方が胸の奥からせりあがってくるのを感じる。
詠唱中だった私を庇って負った傷だ。
それはいつもの事だった。
とっくに、それを特別なことだと思わなくなるほどに。
いつだって、その背が、自分を庇うように立っていた。
戦闘になれば、ハロルドがまず見るのは、モンスターとの間合いよりも、黒いマントがなびく様だった。
いつから私は、いつからコイツは、当たり前のように、自分の前に立つようになっていたのだろう。
戦闘になれば必ず始めに、抜いた双剣の刃をあわせ、チリン、と鳴らす。
まるで、これからの戦いを宣言するかのように。
その音を、敵と自分の間で聞くと安心した。
決して、自分は傷がつかない。そう無条件で信じ込む効果がその音にはあった。
それはいつからだったのだろう。
数日前の、カイルとの会話を思い出す。
そう、確かに私は、戦闘中に怪我を負ったことなどない。
私が負うはずだった傷は、全て、この男が受け持っている。
だから、ひとりでなど、競技場では戦わない。
ひとりで、なら。
「・・・私も出る。」
「なんだ?」
そうハロルドが言い出すと思っていたのか、問いかけるジューダスの声は、別に不思議そうでもない。
「私も出る、競技場。」
はっきりと言うと、それに対して、ジューダスは口の端をあげて笑った。
「別につきあわなくっても良いぞ?僕は僕の勝手で出るだけだ。お前の為という訳じゃない。」
「そうじゃないわよ。あんたが・・・賞金貰ったって、そのままとんずらするかもじゃない?それを見張る為によ!」
「とんずらもなにも・・・逃げる場所などないぞ?」
「場所じゃなくって!私から逃げるかもしれないじゃないの!」
それに対して、ますますジューダスは面白そうにハロルドを見返す。
「僕が、お前から逃げるのか?」
「そうよ。あんたなんて信用できな・・・。」
「逃げない。」
いきなり、立ち止まり、ジューダスは言った。
その声にはもう、笑いは含まれていない。
真摯で、説得力のある響きが、その代わりに現れている。
「僕は、お前からなど、逃げない。」
ハロルドは、それを見る。
薄い紫の瞳が、長いまつげに縁取られながらも、揺れもせずに自分を見ているのを。
その目に、なにもかもを見透かされている、と感じる。
そう、たぶん、さっきの怒っていた理由すら、本当は分かっているだろう。
自分で買うのでは意味がない。
本当に欲しかったからこそ、この男に贈って欲しかったのだ。
アクセサリーを恋人に贈る、そんな真似事を、一度で良いからしてみたかった。
ハロルドは、なんとなく悔しくて、背伸びをして、顔をジューダスに近づける。
危険を感じた訳でもないだろうが、ジューダスはそれを避けるように、一歩、下がった。
それに、気を良くする。
ふふふ、と笑い、ハロルドは、勝ち誇ったように言う。
「毎回毎回。」
「・・・なんだって?」
「戦闘で庇ったり、我がままを結局聞いたり。」
ジューダスは顔を顰める。
責任転嫁をされたような気分になったのだろう。
ハロルドはそれを見ると、いつもこの男がやるように、余裕の表情を作り、口の端をあげて笑う。
「白状しなさいよ。」
「・・・何をだ?」
「あんた、私に惚れてるでしょ?」
自分のなにもかもを許せるほどに。
その言葉を聞いたジューダスは、一瞬、目を細めると、今度は、さらりと真顔で冗談を言うハロルドを真似ているかのように、普通の声の、普通の口調で、
「それはこっちのセリフだ。」
と言い返した。
fin
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