ああ、鳥が鳴いている、と思った。

 髪を乱し、その両頬にはすでに枯れ果てて涙もない。
荒れ果てた大地に立つ足は、すり傷と泥にまみれた素足で、痛みも冷たさも感じぬのか、一向に構うそぶりすら見せない。
女は天に手を伸ばす。
また1度、大きく、悲鳴のような声をあげた。
よもや天上の民に手を差し伸べたわけでもあるまい。
女が望んでいるのは、そんなものではないだろう。
言葉にならないそれが、聞き取ることはできなかったが嘆願だと、理解できた。
どういう訳か、しばらく並んで、その者を見下ろしていた。
そのままどれ位の時間、そこにいただろう。
もはや聞く者さえいないその声は、絶望の色に深く染まり、あまりにも悲壮感あふれるその姿に、ふ、と情けをかけてやろうという気になったのが、気配で分かった。
女に近づく。
絶望以外を映さないその瞳に、囁きかける。
その声は、どこか遠くから聞こえてくるかのようで、それでいて、カラスのものの様に、妙に皺枯れてした。


 ・・・・を欲しくないか?


 意味が分からないのか、女からは答えは返ってない。
だがそれで満足だった。
そう、それで良い。
口元に笑いを浮かべて、女に近づいていく。
ふわり、と空から。

 

 

 

 

 ・・・・・・・それはいつもの夢だった。

 

 

 

 

 

 

10

 

 

 

 

 

 

 ベルクラント開発チームを受け入れる為にダイクロフトに上った小隊と、開発チームの間でごたごたが起こった、という報告を、カーレルは作戦を立てる前に必ず行なう瞑想中に受けた。
カーレルの心情も知らず、不躾に押し入ってきたかのようなその凶報は、結局、両者は物別れに終わり、迎えに行ったはずの小隊はなにも手にしないまま戻ってくる事となった、と伝えた。


 
その報告に、そら御覧なさい、とイクティノスが、苦々しく言った。
「やはり、彼らに対する、地上の恨みは・・・想像以上なのでしょう。」

 自分の意見が正しかったというのが証明されたとはいえ、得意気な態度は微塵も覗かせないのがイクティノスの美点だ。
たとえ、意にそぐわない作戦でも失敗に終わることは、めでたくもなんともないと思っている。


 リトラーは目をつぶって黙していたが、心情が穏やかざるのは最もな事で、誰もが声をかけるのを躊躇っていた。
そのリトラーを囲み、会議場では、カーレル、ディムロス、イクティノス、クレメンテ候という面々が顔を揃えている。


 
 「・・そもそもなにが原因で、こんな揉め事になったのだ?」
まったくつまらない結果だ、とディムロスが腕を組んだままで言った。

 そもそも両者が合意の上で行なわれた作戦が、物別れになるなどありえない。
向こうが拘束されているという事もあり、密なやりとりは出来なかったとは言え、お互いに、良い大人なのだ。事の重大さ、深刻さは分かっているだろう。
喧嘩したから行きたくない、とわがままを言っている場合ではない。

 「・・・迎えに行った我が軍の兵たちが、余計な事を言ったのが原因だそうです。」
溜息をつきながら、カーレルが言う。
「余計な事?」
「なにしろ、ベルクラントを開発した科学者たちですから・・・嫌味のひとつでも言いたくなったのでしょう。」
「・・・それで?」
「そのまま、小競り合いに発展。開発チームはダイクロフトに残ってしまった・・・。」
そんなことで、へそを曲げるなぞ、科学者という人種は、どいつもこいつも子供ばかりだ、とディムロスは頭を抱えたくなった。
「そんな事を言っている場合でもありますまいに。」
冷ややかな口調で、イクティノスが言い捨てた。
「どうもあちらには、危機感というものが欠如しているようですね。」
「まあ、それはそうなのですが・・・。」
カーレルがフォローに入る。
「元々、こちらの兵士に・・・体格も立派な、威圧感溢れる精鋭ばかりを揃えたのも失敗でした。小競り合いの時に、なんらかの脅しの言葉を言ったらしい。その場の勢いというのもあったのでしょうが・・・。なにかされるのではないか、とすっかり萎縮させてしまったようで。」
カーレルらしくない、はっきりしない口調の原因は、彼が初めに、妹から忠告を受けていたからだ。


 「あちらさんは温室育ちなんですからね。丁重にお迎えにあがらなきゃダメよ?兄貴。」


 ハロルドの言葉が今となっては耳に痛い。
ダイクロフトへ上るのだから、万が一の戦闘に備えて、手誰で揃えるべきだ、というディムロスの主張にもっともなものを感じたのだが・・・ディムロスよりも、ハロルドの言葉を採用するべきだった。
この後、顔をあわせたなら、何を言われるか分かったものではない。


 「私のミスです・・・。」
溜息まじりにカーレルが言うと、軍師殿のせいではないでしょう、とイクティノスが言った。
「確かに・・開発チームに思うところがあるでしょうが・・・こちらも軍人です。感情的になって任務を果たせないなど、情けないことこのうえない。喧嘩両成敗の例えでもないですが、開発チームばかりを責める事はできません。」
「・・・その通りだな。」
目をつぶり黙していたリトラーが言った。
同時に、全員が発言を控え、その声の主に注目する。
「ミス、というなら、今回の作戦の重要性を、全兵士に説いて聞かせる事ができなかった、私の責任だ。」
リトラーはなにも、今回のベルクラント開発チームの能力のことばかりを言っているのではなかった。
確かに彼らの尽力なくしては、ハロルドと言えど、ソーディアン完成に時間がかかってしまうとはいえ、そんなことが一番重要だと、リトラーは考えていない。
彼が心底、心配しているのは、人の心に根を張る確執だった。

 人はさまざまなどす黒い感情を抱えて、日々を過ごしている。
その中には妬みも、そねみも、恨みも、嫌悪も、全てがある。
それは、日常に付き添っているくらいなら、個人の問題レベルだ。
だが、なにかのきっかけで大勢が一丸となって、恨みを爆発させた時・・・。
それはすでに、意志を持った化け物だ。
そう、戦争というのと似ている。
戦争は所詮、それだけで一人歩きするモンスターと同じ。
それと酷似するものが内部で起こり、天上への恨みと重なって吐け口を求め、どこかに一挙に押し寄せることにでもなったら。
もう、収拾がつかない。
そして、地上軍に未来はない。
それは軍だけでなく、なにもかもを押しつぶしてしまうだろう。
その、事の重大さを、兵士に時間をかけてでも納得させておくべきだった。
なにも、開発チームを迎えに行く事になった今、急ごしらえにではなく。
この長い戦争をしている、その間に。
・・・もっと早くに。

 「・・・仕方がないじゃろうて。失敗した事はそれはそれとして、次に打つ手を考える事のが先決じゃ。」
誰もが自分の責任だと言いかねないような雰囲気になってしまったのに気がつき、いち早く、場の空気の流れを変えようと、クレメンテ老が口を開いた。
リトラーの心労も、カーレルの心情も分かっているつもりだ。
ここは、そう。
次で巻き返して、一気に彼らの肩の重荷を下ろしてやろう。

 

 

 

 


 

 
 「・・・ソーディアンへの意志の投射をスムーズに行なうには・・・大体、これくらいまでのレベルの出力が必要と思われます。」
左手を腰に、設計図と方程式が書かれた紙を右手にしたテレサが、言った。

 そもそも、この工程が一番の難関だ。
誰も体験した事のない未知の領域だけに、正確に、必ず、絶対的にそうだという答えがでない。
もっとも断言できないそれを、クリアできた時の達成感は、なにものにも勝るが。

 本当に、ハロルド博士の頭脳は、素晴らしいわ。
と、テレサは、そのハロルドの薔薇色の巻き毛を見ながら思った。

 あの小さな頭蓋骨の中身は、まるで上質なコンピュータだ。
もっとも、コンピュータで作られた人工知能では、ここまでのアイディアは生まれてこない。
これまで、何度も機械の作り出す、精密で精巧で、完璧な世界を、博士の頭脳が軽く凌駕するのを見てきた。
その度に、体が震えた。
それは・・・感動だろうか。それとも、大いなる存在への畏怖だろうか。
どちらにしても、博士の助手としていられる事ほど喜ばしいことはない、と思う。
新しい発見をする度に震える心の動きを、博士の傍にいるというだけで、何度でも、当たり前のように味わう事ができる。


 そのテレサの報告を受けて、ハロルドは眉を寄せた。
椅子ごとくるり、と体を回転させ、難しげな表情で、テレサを睨みつける。
普段は子供のように、好き勝手に行動を繰り返している彼女も、化学式を前にすれば、科学者の顔になる。
飽くなき探究心を持ち、満足の得られる結果が出るまでは、妥協を許さない。


 「大体、って言うのはやめて。正確なデータが欲しいの。」
「・・・やってみます・・・。」
「・・あんたって・・・・本当に真面目よね?」
テレサのその答えに、溜息をつき、ハロルドは言った。
椅子の背もたれに体を預けると、小柄な体躯は前に沈む。
まるで子供が大人の椅子に座っているかのように、サイズがあってない。
「自信がなくっても、はい、って言ってりゃ良いのに。出世できないタイプだと言われない?」
ハロルド博士と同じく私も出世など望んでいない、と言おうかと思ったが、結局テレサはそれを言わなかった。
好き勝手をしながら、ハロルドは出世を果たしている身だ。
他とは違う段階を踏んだ、方法で。
ハロルドほどのアイディンティティを持たない者が、それを言ったところで、意味はないと思われた。
それで違う方面からこの問題にアプローチをする事にする。
「そんな事おっしゃいますが、博士は返事だけが良くっても、結果の出せない者には用はないのでしょう?」
にっこり笑い、テレサは、少し下にずれたメガネのフレームを指であげる。
分かりすぎるが、結果の伴わない理論をハロルドが好まないのは、百も承知だ。
「よく分かってるじゃない。」
そのテレサよりも更に、にっこりと笑ってハロルドが答える。
「梃子摺るようならテアドアを使って良いわ。期待してる。」
「・・・・ご期待に添えるよう、がんばります。」
「ヨロシク☆」
ピンと指でなにかを弾くような仕草を、何もない空間にしながら、ハロルドは言った。
そして、膝の上においていたものを、テレサに差し出す。
「食べる?」
「なんですか?」
「試作品。」
「いただきます。」
テレサはハロルドの差し出したアルミニウムの薄っぺらい皿を覗き込む。実験の時などは、モンスターの臓物などが入れられるその容器の中に、ダークブラウンの小さなカタマリが沢山入っていた。ハートやリボンといった独特の可愛らしいカタチが並ぶ中から、バラを選らび、口の中に放り込む。その瞬間にふわりと甘い香りがした。
舌の上でとろけるカカオの濃厚なコクと、十分な甘さ。
美味しい。
満足そうなテレサの顔を見て、ハロルドも満足そうな表情を浮かべる。
「大成功ですね、博士。コレ、このままでもいけますよ。」
「そう?」
ハロルドは笑った。


 
 少なくなった物資を補う為の開発も、ハロルドの仕事のうちだった。
カカオと同じような原料を含んだ木の皮を、わざと焦げるように煮詰め、バウームの乳を臭みを取って混ぜ、特別な植物から採取した成分で作った砂糖を入れた。
これでチョコレートと、ほぼ同じ味になるはずだと確信はしていたが、甘いものが好きなテレサのお墨付きならば間違いなしだろう。

 「じゃ、後で医療室に届けるとしますか♪」

 
 この貧窮した天上軍において、チョコレートは高級品だ。
それがハロルドが作ったものであったにせよ、一般兵士の口に入ることはない。
食べることができるのは、ごく一部の者だけだ。
少将以上の階級の将校たちと・・・栄養をつけなければならず、塞ぎこんでいるのを少しでも緩和させなければならない・・・負傷、もしくは病に伏した兵士。
つまりは入院患者だ。
そして。


 「いただきます。」

 いきなり後ろから現れたテアドアが、ハロルドの持つ皿からチョコレートを摘みあげる。
それを合図にしたように、ぞろぞろとハロルドの部下達が近づいてきては、一欠けらを当たり前のようにさらって行く。
これは開発した者の特権だった。
どんな食料の類も、上層部に試作品が届く頃には、ハロルドたちが散々試食しつくした後だ。
ハロルド曰く、開発してやったんだから、これくらいちょろまかしてもバチは当たらないわよ!という訳だ。

 「ねえ、ちょっと?」
気がついた事があり、テレサは部屋にいる全員に質問する。
「あなたたちって・・・いつも私が食べた後から、食べるような気がするんだけど?」
「そうかな?」
もうひとつチョコレートを摘みあげながらテアドアが言った。
「気のせいだと思うんだけど。」
そのしれっとした表情に、嘘だ、とテレサは思った。
毎回毎回、自分が毒見役をさせられていたとは、気がつかなかった。
「いや、それはさ。」
テアドアとは違う同僚が、なんのフォローにもならない事を言った。
「テレサの勇気があるのを、皆が認めているって事だよ。」
「勇気。」
片眉をあげ、反応したのはテレサよりもハロルドの方が早かった。
「なんの勇気よ?」
「ええと・・・;;」
「あ、俺、実験の続きがあるんで・・・。」
「私もそろそろサンプルの仕上げをしないと・・・。」
「うわ!逃げるな!」
「コラ、待ちなさい!なんの勇気よ!失礼しちゃうわね〜!」
「確かに素晴らしい勇気だ。私でも、試作品一号を口にするなんて、とてもとても。」
「うわ!」
「あら、兄貴。」


 いつの間にやら、音もなく入ってきた軍師の姿に、ハロルドの部下たちは、ぎょっとする。


 カーレルがそこにいることで、いつもの調子なのはハロルドだけで、研究員たちは全員カーレルに対して一礼はしたものの、別段悪い事をした訳でもないのに、こそこそとそれぞれの作業に戻っていく。
「お邪魔だったかな?」
その姿に苦笑しつつ、カーレルが聞くと、ん?と首を一瞬傾げた後、ハロルドが言った。
「ああ、この子たちの事?気にしないで。いつも研究所に篭って人との付き合いがないから、全員内気なのよ。そこらの観葉植物と同じで、無害だから安心して?」
「・・・この場合、害を為す立場は私のような気がするのだが。」
「ん?なにか凶報でも持ってきたの?」
「・・・そういう意味じゃない・・・。」
分かっているのかいないのか、ハロルドとの会話は時々疲れる。
もしかしたら、自分はバカなのではないか?という気になるからだ。
ハロルドは、カーレルの答えに意義を唱える。
「あら?兄貴がわざわざ出向いて来た時に、凶報以外を待ちこんできたことなんて、あったっけ?」
「・・・・・。」
それには、返す言葉もない。
ハロルドにはできることなら、面倒な事に巻き込まず思う存分に好きな研究をさせてやりたい、と思っている。それはもちろん、兄として、だ。
軍師の立場になれば、そうはいかない。その反対で、切実にそれでは困ると思っている。
兄としての甘さ、軍師としての厳しさをもってしても、ハロルドは手に余るほどの存在力を持っている。いや、存在意義、だろうか。どちらにしても同じだが。


 カーレルは言った。
「ソーディアン・マスターの選出のことで、少し話がある。」
「ん。」
ハロルドが軽く頷き、先を促すと、カーレルの目の端に、先ほどチョコレートを摘んでいた研究員のひとりが、こちらを見たのが映った。
どうやらこの話に興味があるらしい、とカーレルは思った。
「上層部からの選出を、優先に考えて貰いたい。」
「・・・・・。」
「もちろん、適性の有無を見極めるのはお前の仕事だし、それに対して意義を唱えるつもりは毛頭ない。適性がない者にソーディアンを扱うのが不可能だという事も承知している。だが、何千人といる一般兵全てに適性テストをしているほど時間に余裕がない事は、お前も知っているだろう。」
「・・・階級が上の者から調べていって、適性があると思われたら、そこで採用しろって事ね。」
「・・・そうだ。」
「・・・・・要は、一般兵では都合が悪い、と上が判断を下したって事ね?」
「・・・ありていに言えば、そうだ。一般兵士でも悪いことはないが・・・色々とな。」
「上層部には上層部の思惑ってやつがある、と。」


 ソーディアンに、この戦争の命運がかかっているのは、子供でも知っている事実だ。
それを名もない一般兵に扱われては、自分たちの面子がたたない、というのが上層部の判断なのだろう。
戦争をしていようと、人類が滅びかかっていようと、社会には社会としての運営方法がある。トップにいるという面子、プライド、力関係の誇示。それぞれがそれぞれの、くだらない役割を担う歯車だ。だが、それをあざ笑うような悪趣味はハロルドにはない。他人が何に拘ろうと興味はないし、やりたいヤツがやれば良いことだ。それにいちいちつっかかっていても、時間も無駄だ。割り切れるものは割り切ってしまった方が、時間のロスは少なくてすむ。それに・・・その運営方法をハロルド自身、利用させて貰っていないでもない。階級が高いと、それだけ、ぶんどれる経費も多くなる。


 「OK。承知したわ。」
「・・・すまん。」
カーレルの方は、ハロルドが折れたことに対して、良心でも痛むのか、悲痛な顔をしている。
相変わらず面白い人だな〜とそれを見て、ハロルドは思った。
人に、自分の意見を通して貰うと、すまない気持ちになるのか?
それにそもそも・・・カーレルの言い方も、かなりハロルドに配慮していた。
確かに適性テストを行なって、推薦文を書くのはハロルドの仕事だが、誰をメンバーにするかの決定を下すのは、結局のところリトラー総司令官だ。
採用するかしないかまでは、ハロルドの管轄ではない。
ハロルドは言った。
「別に兄貴に頼まれたから、でもないわよ?ソーディアンには、前線に出て貰わないとならならないもの。それにはどのみち、勇猛果敢な将校、っていうのが適切でしょう。」
勇猛果敢な将校、というだけで、カーレルは誰を示唆したものか分かったらしく、顔をあげてハロルドを見た。
だが、カーレルが何かを言うよりも早く、ハロルドがその先を続ける。
「まあ、それぞれの晶術の種によって違いがあるから、戦闘に適した者ばかりで選出もできないけど。バランスの問題は大きいわ。お互いの弱点を補いあうようなチーム編成で推すつもりよ?なかには、あまり戦闘に適しているとはいいがたいヤツもいるけど・・・腕は悪くないから、そこらへんは兄貴がなんとかしてやって。」
「・・・?誰の話だ?」
「シャルティエ。」

 「え?誰ですって?」
ハロルドたちの会話を聞いていたテアドアが、思わず会話に割って入る。
テアドアたちは、初めて聞く名前だった。

 「ピエール・ド・シャルティエ。」
ハロルドは、テアドアに笑いかけ、自分で復唱してみせた。
「私が天上にいた時に・・・。奪還計画に加わって、ダイクロフトまで来たわ。その時、晶術を使っている。もっとも本人は自分がやったことだとは気がついてないけどね。属性は「地」。間違いないわ。シャルティエって今の階級は・・・。」
「大尉だ。」
カーレルが答える。
「悪くはないわね?」
「ああ。」
「では、こいつは決定、と。」
くるりとデスクの方に体を回転させ、どこから出したのか、ハロルドがデスクの上のシャルティエの名前の書かれた書類の上に、やたらと大きな「よくできました」という花丸のハンコウを押した。
どうやら、予めハロルド自身でも、シャルティエについて調べていたらしい。
そこまでしているのに、そのシャルティエの階級を聞かないと分からないというのは、どういう事だろう?とカーレルですら呆れる。
「ああ、兄貴。」
ハロルドがどうでも良い、と言わんばかりの口調で言った。
「そこのチョコ、食べて良いわよ?」
カーレルが見ると、それは確かにチョコレートのようだった。
甘い香りがここまで漂ってくる。
だが・・カーレルは眩暈を覚えた。
なにもモンスターの臓物を入れられるのと同じ皿に乗っていたからではない。カーレルはその事実は知らない。戸惑った理由は、そのチョコのカタチだった。・・・カーレルの目が正しければ、それは立体的なくまのぬいぐるみのはずだ。
それを口にするのには、いささか違う方面での勇気が必要と思われた。
カーレルは言った。
「・・・遠慮する。」

 

 

 

 

 出来上がったチョコレートを手に、ハロルドは医療室に向かっていた。

 他のものにさせたら良い、というテレサの言葉に従わなかったのは、それとは別にアトワイトに用があったからだ。
医療室は、ハロルドの研究室とは距離がある。
歩いて向かっているその間に、科学式をひとつ、解いてしまった。

 「こんにちはv」

 ドアを開け、顔を覗かせると、中にいた医療班が、ぎょっとしたようにハロルドを見た。
先ほど、自分の研究室でカーレルがやられたのと、まるっきり同じ反応だった。
そのまま、慌てたように仕事に戻る様を見て、こんなにしょっちゅう訊ねてくるのに、未だに自分に慣れないとはどういう事だ?とひとりくらい捕まえて聞いてみようかと思った。面倒なので、やめたが。それにハロルドの目的はそんな事ではない。

 「ああ、ハロルド。」

 誰かがわざわざ呼んだらしく、奥からアトワイトが顔を覗かせる。
唯一、彼女だけはいつでも、ハロルドを歓迎ムードだ。
そのアトワイトに向かい、紙袋にいれてもってきたモノを差し出す。
「これ。」
「なぁに?」
いつもの事だから、それが入院患者の為のお菓子だと知らない訳もない。今日の中身は何であるか、を聞いているのだ。
「チョコレートよ。」
「・・・チョコ・・・。」
アトワイトの瞳が一瞬、羨ましそうに細められる。
彼女はチョコレートが大好物なのだ。
小声の早口で、ハロルドは言った。
「後で部屋に取りに来てよ。アトワイトの分は、別に取っておいてあるから。」
「本当?嬉しい、ありがとう!」
「しー!」
後でディムロスあたりも、自分の分として配布されたものをそのまま渡すだろうが、アトワイトにはチョコレートがいくらあっても幸せだろう。にこにこと嬉しそうに、患者の分のチョコレートの紙袋を受け取りながらアトワイトは言った。
「ハロルド、いつもありがとう。負傷して塞ぎこんでいる兵士の姿って・・こっちまで滅入っちゃうくらいなんだけど、このお菓子がくると皆、少しだけ明るくなるの。本当に、助かっているわ。」
「任務ですから。」
「あら、それじゃお礼はいらなかった?」
「それはそれ。頂けるものは全て頂きます。」
ふふふ、と笑うアトワイトに、ハロルドはここに来た用件を思い出した。
「今、ちょっとだけ良い?アトワイト。」
「今は落ち着いているから・・大丈夫だけど。何?」
紙袋を横にあったストレッチャーの上に置き、顔だけ振り向いてアトワイトが言った。
改まった態度のハロルドに不思議顔だ。

 ハロルドは言った。
「ソーディアンの事なんだけど。」
「ソーディアン?」
その名前は、もちろん、アトワイトも知っている。
だが、今ここで、そんな話を自分がされる理由が分からない、とその顔は言っていた。
「ソーディアンには、色々な事態を肯定して、お互いの能力が重ならないように設計しているんだけど。・・・前にこの話、したっけ?」
「ええ。」
なにか楽しい事を思いつくと、誰彼かまわず説明しまくるクセのあるハロルドから、アトワイトはずいぶん前にその話を聞かされていた。
「・・つい先日、クレメンテの爺さんが、直々に私のところまで来て・・・。」
「クレメンテさんが?」

 兵職につくにしては高齢とはいえ、クレメンテは未だに現役だ。
バルバトスとの戦闘での負傷が元で、退役する事になりはしたが、事実上は上層部の相談役、のような位置で軍に協力し続けている。
もっともクレメントを慕う様々な兵から、辞めないでくれ、と涙ながらに訴えられ、辞めるに辞められなかった、という背景もあるのだが。
そのクレメンテとアトワイトは親しい間柄だ。
かつて、アトワイトが新兵として医療班に配属になった時、怪我をして担ぎ込まれたクレメンテを担当して以来、仕事上でも私生活でも、おおらかな暖かさをもって接してくれている。
アトワイトは、そんなクレメンテを父のように慕い、尊敬している。


 「クレメンテさんは、なんて?」
少しだけ不安を覚えて、アトワイトは早口でハロルドに問いただす。
それに別に気を悪くした風もなく、ハロルドは答えた。
「・・・・自分を、ソーディアン・チームに推薦してくれないか、って。」
アトワイトは天を仰いで、
「なんてこと、もう!」
と大げさに溜息をついた。
「それで?ハロルド、まさか承諾しちゃったんじゃないでしょうね?」
「承諾もなにも。決定するのは私じゃなくって、司令でしょうに。ただ・・・爺さんの頑固なのは、アトワイトも知っての通りよ。私のとこに来る前に、司令に直訴しているに違いないわ。・・・適性テストはするけど。」
「どうして?断ってくれれば良いじゃない!」
「適性があるかどうかを確かめてくれって言ってるだけなのに、私の一存で断る事もできないわよ。第一、こちらも仕事なんですからね。」
「いっつも仕事してるかしてないか分からないのに、こういう時ばっかり。」
「・・・ぶつわよ?」
とりあえず、そこで一旦、アトワイトを落ち着かせる為に、ハロルドは言葉を切る。
う〜ん、と唸り、アトワイトは頬に手をやった。
考えているその姿を確認し、ハロルドは口を開いた。
「・・・それで、ソーディアンの晶術について、なんだけど。」
「晶術?ああ、あの魔法みたいなやつね。」
「それよ。火や土、といったメジャーな属性以外に・・・癒しの属性を加えようと思うの。」
「・・・・・。」
アトワイトは、ぱちぱちと瞬きし、その意味を考えた。
「・・・癒し?」
「正確には、個人の治癒力を高める効果のあるもの。それを発動させる事で、受けたものはその場で、一気に傷の治りを早める事ができるの。」
「そんな事・・・可能なの?」
その話に、目をキラキラと輝かしだしたアトワイトに、この人は根っからの看護人だわ、と思った。そんなものが本当に可能なら、どんなに患者が助かるだろう、と思っている事が想像できる。
「できるわよ?実際、その種の晶術は私も体系化済みだもの。後で見せたげっよっか?」
「お願い!」
アトワイトは意気込んで言い、そして、ふ、と言葉を切った。
「・・・その話、ってつまり・・。」
ハロルドの意図に気がつき、アトワイトの頬が興奮の為に赤くなっていく。
「私にも、適性テストを受けてみないかっていう事よね?」
「その気があれば。」

 そうは言うものの、ハロルドの中では、アトワイトが必ず、適性試験を受けるというだろう、と確信している。
 実は、癒しの属性を加えようと思いついた時、すでにハロルドは頭の中で、アトワイトが使用するもの、と工程として設計していた部分があるのだ。
クレメンテが自分を訪ねてきたのは、その後だが・・・実際、クレメンテが志願するであろう事も、予想がついていた。
癒し系等のものと、肉弾戦よりも、晶術に頼るタイプのもの。
それをハロルドは、このふたりの為に設計した。
もっとも、こちらの思惑が外れて、違う人間がマスターに選ばれても、遜色はないようにしてはいるが。

 アトワイトの口が開いた。
ハロルドが確信している通り「受ける」と言いかけたように見えたが、それは全部を聞くことができなかった。



 「うわあああああ・・・!!」

 まるで断末魔のような叫び声が医療室に響き渡り、一瞬で、アトワイトの顔に緊張が走る。
なんだろう?とハロルドが首を伸ばして奥を見るのと同じく、身を翻したアトワイトがそちらへ向かう。
つられるようにしてハロルドも奥へと入っていった。
奥に並べられている20個ほどのベッドの中で、ひとつの周りに数人が集まっていた為、それが声の主のものだと分かった。
男がわけの分からない叫び声をあげて、ベッドの上でのたうち回っていた。
それを、医療班が数人がかりで押さえつけている。

 「落ち着いてください!」
「落ち着いて!」
「誰か鎮静剤を・・・!早く!!」
男は、ひとりずつが手足を押さえつけているにも関わらず、それを跳ね除けながら闇雲に暴れていた。
邪魔にならないように、そっとハロルドは男を観察する。
どうやら、この錯乱は今に始まった事ではないようだ。
入院の理由もそれではなく、暴れて乱れた着衣の下から、包帯の巻かれた腹が見えた。
戦闘に出て、生き死にを体験すると、恐怖に晒されたストレスから、こういった錯乱を起こす者が後を絶たない。傷とはなにも肉体にのみ受けるものではない。想像を絶する過酷な状況を、己の中で上手に麻痺してしまえない者は、こうやって精神を病んでしまう事も多い。

 以前ハロルドは、リトラーと医療班長に並んで相談された事があった。
そういう患者の為に、なにか良い薬を作ってくれないか、と。
鎮静剤の類は簡単であったが、恐怖が植えつけられた心を癒せるのは、科学の力だけでは難しい。外からいじるのであれば、記憶そのものの改竄するのが一番効果的だが、そこまですべきかどうかは、自分では判断できない。その時はそう答えた。
そういう類の薬が必要か?と訊ねた自分に、その時、リトラーと医療班長は並んで唸り、そのままその話は保留になった。議論の余地はある、とリトラーは言ったが、その後、どうなったのか、本当に会議で取り上げられたのか、は分からない。


 そんな事を思い出しながら、ハロルドはその場をそっと離れようとした。
自分がそこにいても、邪魔なだけだと思われたからだ。
男は、鎮静剤を打たれたが、まだ効き目が現れてないのか、未だにうわ言のように意味不明な事を叫んでいた。


 「あいつが来る!!・・黒衣の・・・あいつが・・!死神が・・・!」


 ハロルドの足が止まった。


 「殺される!!俺たち、皆、殺される!!あいつに、あいつが・・・!」

 静かにハロルドは、今までいた位置に戻った。
心臓は早鐘のように打っていたが、頭は逆に冷えていた。
錯乱し、叫んでいる男を、もう1度見る。
どこかで見たような気がする。

 「殺される・・!地上は地上は、あいつが来る!」

 ふ、とハロルドはその顔を飛行艇の中で見たのだ、と思い出した。
天上から帰還するときの、あの飛行艇の中で、肩を抱いたまま震えていた、兵士のひとりではないのか?

 「あなたは・・!知ってたのですか・・あいつが・・!」

 その時、目の前に立ちふさがった者がいた。
その体で、男の姿はハロルドの視界から消える。
見ると、目の前に立っていたのは、真剣な顔をしたアトワイトだった。
「ハロルド・・・悪いんだけど。」
硬い声で言い、アトワイトはハロルドを外へと促す。
「あ、うん。」
邪魔だから、という理由かと思い、ハロルドはもう1度足を出口へと向けかけた。


 「・・カーレル中将!!」


 再び、びくり、とハロルドの足が止まる。
思わず振り返ると、アトワイトが、しまった!という顔をした。
それでハロルドは、この男のうわ言はいつものことで、しかも毎回のように、兄の名が出てくるのだと気がついた。
アトワイトはそれはハロルドに聞かせたくなかったのだ。

 「あなたは・・!あなたの、あなたが、あなたのせいで・・・あいつ、あなたが・・・。」

 男は鎮静剤が効いてきたのか、どんどんと繰り返されるうわ言も小さくなっていく。
最後には、ぱたり、とやんで、その場は、そのまま何事もなかったかのように静かになった。

 

 

 「・・・・・いつもの事なの・・・。」

 医療室の外までハロルドを連れてきた後、アトワイトが言った。
「何度か、カーレル中将たちと一緒で出撃したこともあるみたい。何を言っているのか、内容はいつもさっぱり分からないのよ。カーレル中将の名前だけでなく、ディムロスの名前を叫ぶ事もあるし。記憶が混合しているみたいね。」
だから対して気にしない方が良いわ、とアトワイトはハロルドを気づかう。
「うん。・・・怪我をして運ばれてきたの?」
「・・ええ、そう。最も、負傷した訳ではないの。自分で、自分のお腹を刺したの。こちらに運ばれてきた時にも、ああやって錯乱してたわ。」
「自分で・・?」
「ええ。でも、ああやって時々発作的に錯乱症状を起こすものの、普段は大人しいいたって真面目な人みたいね。見舞いにくる友人の兵士も、いないではないし。」
「そう・・・・。」
「恐怖の記憶を、思い出すのね・・・。」
「・・・アトワイトは、記憶が改竄される薬があったら・・・ああいう患者を助けられるって、思う?」
先ほど思い出していたからか、ハロルドはそんな質問をしてみたくなった。
「どうかしらね・・・。心の傷、というのは個人差があるわ。一概に記憶を消したからって、それが良いとは限らない。なによりも必ず、戦闘には相手がいるわ。自分を殺そうとした人の顔って・・・薬を使ったからといって、すっかりと忘れられるものなのかしら。それに・・・殺されそうになった事よりも・・・。」
アトワイトはふつり、と言葉を切った。
「うん・・・そうね。」
殺されそうになった事と同じように、自分が殺した相手の顔も、忘れられないものではないだろうか。
生きているという事が。
そのもの、罪の意識に繋がっていないとは、誰に言えるだろう。

 

 

 医務局からの帰り道、ハロルドは考えていた。
頭の中は先程よりも冴え渡り、手先は氷のように冷え切っていた。

 アトワイトは、なにを言っているのか分からない、と言っていたが、あれはハロルドに対する心配りだ。
男は言ったのだ。

 「あなたのせいで、あいつに殺される。」と。

 それに天上にいたときに感じた違和感の事もある。
その手の勘は、嫌なものほど、あたるものだ。


 ・・・・間違いない。


 冷え冷えとした廊下を進みながら、ハロルドは確信した。


 やはり、サロメと、カーレルは、知り合いなのだ。

 

 

 

 

 

 

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今回、すべてにおいて今後の伏線が張られています。 ・・・なので長くなっちゃった。 あ、ソーディアンの話は別ですが。
いよいよこれから話は確信に迫っていくのですが・・・。
真ん中にでんと位置する、素材の名前は「禁断の果実」といいます。 今回の話にこれほどふさわしいタイトルもない思い、やたらと大きいのですが、思い切って採用しました。
まさしく、ハロルドは禁断の果実を手にしてしまいました。 その吉凶の行方、はいずれ。

(04’5.15)