そもそも、歴史上でその名前が登場したのは、おおよそ2000年に書かれたと思われる書物『ラ・グラディアラ史』(著者不明)がスペランツァ地方の洞窟遺跡の中から発見され、考古学博士ラディカル・アントードン博士により、直訳されたことによる。記述によれば、遥か沖に大きな島の中に大きな文明を築き、、当時全てのものは、その島を訪れる事によってのみ拓けると謳われるほどの財と栄華を誇っていた、という。
その島を支配していたのが「天生の民」であるが、その正式な呼び名は現代には残っておらず『我ら、天に生まれし後、地に降りる。いつの日にか時のめぐりくる時、帰らん。』という彼らの文明の名残とされる遺跡に刻まれた文字を読み解くにあたり、アントードン博士により、命名された。
『ラ・グランディアラ史』によれば「天生の民」は独特な文化を持っており、およそ2000年前にはすでに電気の原理や、実用化されていたかまでは不明だが、コンピュータの仕組みも理解していたと思われる節があり、彼らは我々の想像するよりも遥かに高度な文明を築いていた。島の内部に巨大な都市を築き、その中にいながらして世界を支配し、全てを手中の納めていたとされていたが、ある日起こった、大津波により、一夜にして海の中に没した、とある。
内容の信憑性に対して、現在でも様々な研究が進められ、その後『ラ・グラディアラ史』以外にも、彼らのことらしき記述を、古い歴史書の中に発見する事もあったが、一夜にして海に没したなど、にわかに信じがたい部分もあり、今でも学者たちの論争は絶えない。
新たな証拠の発見を期待されるところである。
「・・・・・・ま、大体、どれもこんなもんよね。」
パタンと軽い音をさせてハロルドは本を閉じる。
そして、う〜ん、と伸びをした。
ラディスロウの中、居住区の地下に図書館が設けられている。
ラディスロウは元々、作戦の中枢を司る本部に過ぎなかった。構えられた場所が元からの地形により雪が降りやすく、それに目をつけたハロルドが、天上からの目くらましの為に天候を操作できる機械を作った。
それにより、ラディスロウの周りだけは、いつでも雪が降り続ける様な天候に、コンピュータでプログラミングされている。
そして本部施設そのものに新たな装置を取り付ける案が採用され、飛行艦船へ改造したものが、今のラディスロウの姿だ。
故に、元々あった居住地区はそのまま内部に残っている。
公共施設として用意されている図書館も、もちろん。
ハロルドはそこで「天生の民」を調べなおしていたところだった。
「ふう・・・。」
溜息をつき、ハロルドは肩に手を置いて、首をゆっくりと回す。
折角ここまで出向いて、見落としている事実はないか、と調べなおしていたのだが、すでに知れた事実ばかり。
そもそも、ハロルドからしてみれば「天生の民」など、信じきっているヤツの方が胡散臭い。
記述もどれもこれも曖昧で、だったらしい、とか、信じがたい、などとよくも平気で本に書けたものだ。
『ラ・グラディアラ史』そのものを読む事ができれば、あるいはなにか気がつくかもしれないが、いくらなんでも軍の備え付けの図書館に、貴重な歴史書がある訳もなく、完全にお手上げ状態だった。
ハロルドはポケットの中から、その半円の物体を取り出す。
テアドアなどからは「検体に素手で触るな」とガミガミ言われるが、ハロルドはあまりその手の事は気にしない性質だった。
第一、モノはレンズだ。
埃だの指紋だのは拭けば良いのだ。拭けば。
サロメが何者であるか。
それを解く為の鍵は、これしかなかった。
ハロルドはそっとそれを光に透かす。
地下の図書館に本物の光などある訳もないので、当然、蛍光灯の光だ。
どんな光を当てても、内部は屈折しない。
まるで水が中に湛えられてるかのように、光を吸い込み、一筋のものなら、向こう側へと通す。
「綺麗・・・。」
それは、ただの感想だ。
他になんの意味も含まれていない。
このレンズを使って、何度かハロルドは晶術を使ってみたりもした。
だが、結果は芳しくない。
別に、新たな事実がある訳でもなかった。
ハロルド自身、間違いなく、操り手の資質の差でほぼ間違いないだろうとは思っていたものの、レンズそのものの性質で、晶術の属性に影響がでるという仮説も疑っていないではなかったのだが、それもなかった。
ハロルドがこのレンズを使用しても、普段、彼女が使える晶術と別の属性のものが使えるなどという事はない。
ハロルドは本の積み上げられているテーブルの上に、足を投げ出し、考える。
他に、手はないか。
もっと、直接的なてがかりになるようなものが。
そもそも、レンズに刻まれている文字が同じだというだけのことで、「天生の民」の方向からのアプローチが正しいのかも定かではない。
今は、ただ、雲を掴むような気分でそれを進めているにすぎない。
だが、それも2000年前の、実在していたのかどうかもはっきりしない民族の話だ。
このレンズすら、サロメが持っていたからといって、彼の正体を探る為のてがかりだとは、はっきりとはいえず(どこかで偶然拾っただけ、という可能性もなくはない)ましてや、刻まれていた文字、そのものだけでは、何かの証拠にするならない。
ふう〜とひとつ溜息をつき、ハロルドは、テーブルの横の検索用端末機のキーボードを引き寄せた。
違う方向から、考えてみよう。
今、こちらの手元にある情報で確実なものは、
1.サロメがすでに晶術を体系化している。
2.サロメがレンズと髪留めを所有していた。
3.サロメとカーレルは知り合いである。
このみっつだけだ。
ハロルドはいっそ、この質問をカーレルに直接、ぶつけてみようと思わないでもなかった。
それをしなかったのは・・もしも、カーレルがなんらかの理由で素直にそれに答えなかった場合、それは自分には知らせたくないのだという事が、決定されてしまうからだ。
・・・心当たりがないでもない。
そもそも、天上に捕らわれていた時の説明をした時点で、サロメの話もしたにも関わらず、カーレルはなにも言わなかった。
あの兄が、それが自分の知っている人物だと気がつかない訳はない。
だとしたら、わざと黙っていた、という事になる。
それは・・・状況からいって、かなり良くない方向だった。
もしも知られたくない、とカーレルが思っていたのだとしたら、ハロルドが回答に辿り着くまで、果たしてどれほどの妨害をされるか分かったものではない。
あの兄は、そうと決めたことには、妹が相手でも容赦がない。
それ故、のこのこと直接聞くような、マネはできなかった。
できればカーレルには、こちらの手の内を知らせないでおきたい。
端末に向かい、ハロルドは「天生の民」と「レンズ」を同時条件として打ち込んだ。
ヒット数はゼロ。
これは予想の範疇だった。
そもそも「天生の民」が生きていたとされる2000年前よりも、レンズの大本の彗星の衝突の方が、ずっと後なのだ。時間的なことを考慮しても、「レンズ」と「天生の民」に関連性を見出すのは難しい。
次にハロルドは「カーレル・ベルセリオス」を検索にかける。
「あちゃ・・・。」
今度は、あまりにも数が多すぎる。
ラディスロウ内の図書館には、軍の記録も保管されている為、カーレルが関わった作戦、すべてがひっかかってしまったのだ。
ましてや軍師ともなれば、自分が出撃しなくても作戦を立てたというだけで、記録書に名前が載せられているだろう。
「晶術」と「カーレル・ベルセリオス」で再検索をした結果は、37件、という調度良い件数をたたき出したものの、その全てがハロルド、ないしはハロルドの研究所が出した、実験結果をまとめたレポートだった。自分が書いたものを自分で読んで、なにが楽しい。
当然「サロメ」に関する書物などではない。
「大体、あいつが名前くらい教えてくれてたら、こんなに苦労しなかったのよ。けち!」
たとえば、本名が分かれば、もう少し違うやり方で調べようもあったと思う。
それが・・・その場で取ってつけたようなあだ名では、もうどうしようもない。
念のため「サロメ」で検索してみたが、やはりほとんどは戯曲や歴史書がひっかかった。
ハロルドは一旦、考えた。
「天生の民」と「カーレル・ベルセリオス」を同時検索にかける。
「・・・・あれ。」
結果はヒットだった。
ひとつだけ、条件を満たしているものがあった。
そして意外と盲点だったな、と思った。
「サロメ」と「レンズ」、「レンズ」と「天生の民」に関連性が認められ、「カーレル」と「サロメ」の関連もあるらしいが、「サロメ」と「天生の民」の関連性が見つからない以上、それを飛び越して「カーレル」と「天生の民」が条件としてありうるとは思ってもいなかった。
ハロルドはそれを覗き込んだ。
本の類ではなく、軍の記録書だ。
「VD―2の棚のNo.36か。よし。」
記録書の保管場所を確認して、立ち上がる。
機密文書などが置かれている、鍵のかかった書庫に目的のそれはある。
一旦、入り口で閲覧希望の書類を出さなければならない。
機密書類の類は、階級によって閲覧できる範囲が決まっている。
Vの管理は、ハロルドの中佐でぎりぎり閲覧許可が下りていた。
それ以上のW、Xともなれば、カーレルやディムロスのような、少将以上でないと手が出せない。
面倒くさいが、閲覧希望を提出しなければ、ハロルドといえど、書庫の鍵は貸してもらえない。
ささっと書きなぐって、それを入り口まで持っていくと、管理の役を担っている書記官兵が、ハロルドを一瞥して、言った。
「軍の身分証の提出をお願いします。」
「身分証?」
「ええ。」
「ちょっと〜、それ私に言ってるの?」
「・・・他にどなたがいるとでも?」
「う〜。」
ハロルドは相手を睨んだ。
「持ってきてない。」
「では、受け付けられません。」
「ちょっと、アンタ、私の事知らないの!?」
「存じてますよ。ハロルド博士でしょ?」
なんだ、こいつ!とハロルドはムッとなる。
自分が誰だか知っているというなら逆に、それ以上の身分証明はないではないか。
「なのに、身分証出せっての!?」
「規則ですから。」
「私が誰か分かってて、規則もなにもないでしょうが!!」
「罰せられるのは私ですから。」
「う〜〜!!」
この石頭!とハロルドが怒鳴っても、相手はしれっとしている。
天上王よりもうちの博士の方がよっぽど恐ろしい、と兵の間に噂されている自分を相手に、この態度を崩さないのはあっぱれかもしれないが、そんな事を感心している場合でもない。
「あのね〜!」
「・・・一旦、身分証を取りに戻られてください。」
「私はせっかちなの!一刻も早く見たいの!」
「・・・子供のような我が儘を言わないでください。」
「この〜・・・。」
「騒がしいと思えば・・・やはりお前か。」
わからずや!と続けようとした言葉を、ハロルドは飲み込む。
「あれ、ディムロス?」
本の棚と棚の間から姿を現わしたディムロスは、呆れたようにこちらを見ていた。
「めずらしいわね〜あんたが図書館にいるなんて!ヒマなの?」
ハロルドの質問に、ディムロスは苦笑する。
「・・・どうして、図書館にいるとヒマだという事になるんだ?」
「ん?なにか読む本でもないかと、探しに来たのかと思ってさ。」
ヒマがあるなら他にやる事はいつでもある、と言い、ディムロスは手に抱えていた何冊かの本を示して見せた。
「・・・調べものだ。」
「なになに?」
それを覗き込んで、おや、とハロルドは思った。
ディムロスが手にしていたのは、三種類の本に分かれていた。
「レンズ解明学」の本と、「科学書」、そして「歴史書」だ。
「・・・『火』について、私なりに学んでおこうと思ってな・・・。」
ディムロスの言葉に、ハロルドは口笛を吹く。
「ソーディアンの為の、予備知識って訳ね?」
つい昨日、ディムロスのソーディアンの適性テストが行なわれたばかりだ。
リトラーの決定はまだだが、ディムロスのテストの結果、『火』属性のソーディアン・マスターとして適任である、とハロルドは推薦文を書いている。
もっとも結果は予想通りだったし、テスト前に、ディムロス自身にも、予めそう言ってあった。
『火』は『地』などの自然から発生するものよりも人類と共に歩んだ歴史が深い。
そちらの方からも『火』に対して、学んでおこうという事らしい。
「ディムロス、勤勉家〜努力家〜情熱家〜さすが〜!」
本気で感心してハロルドは言ったというのに、
「・・・お前に言われると、どうもバカにされているような気になる。」
「あら。」
ちょこっとだけ失礼な事をディムロスは返してくる。
ぷ〜っと膨れるハロルドに対し、それより、とディムロスは言った。
「おまえはなにを騒いでいたんだ?」
「あ、それそれ。」
思い出し、ぱちん、とハロルドは胸の前で手を打った。
「聞いてよ〜このわからずやがさ〜!閲覧希望の書類書いても、身分証がないと見せてくんないっていうの!」
「身分証がないなら、取ってこい。なくしたのか?」
「なに、そのやたらと決め付けて聞こえるセリフは。」
「思った事をいったまでだ。」
う〜っとハロルドは言う。
「持ってるわよ!・・・ただ、探すのに時間がかかるだけよ!」
「・・・なくしたんだな。」
「なくしてません!どこにしまったか忘れただけです!」
「それをなくした、というんだ。」
まったく、とディムロスは言った。
後で身分証は再発行して貰え、と言い、私が一緒に入るから良いか?と管理役の兵にディムロスが掛け合うと、兵は渋々ながら(ここで、中将が一緒ならいくらでも!などと調子の良い事を言わないのも、感心すべき点だった)あくまでもディムロスに貸し出す、という事で承知した。
もちろん、ディムロスの閲覧希望の書類を催促する事も忘れない。
「・・確かに彼は、もう少し融通が利いた方が良いな・・・。」
そんな事をディムロスが言うのがおかしくて、ハロルドは笑う。
「見込みあるんじゃな〜い?後になって出世したりして♪」
鍵を開け、入り込んだ書庫は、埃とカビの混じった匂いがした。
ハロルドは、この匂いが嫌いではない。
なにやら、懐かしい感じがする。祖母の膝の上のような。
だが、そう思うのは、単につくりあげた妄想かもしれない。
カーレルは、祖母の顔になど覚えがない、という。ハロルドは・・・おぼろげながらその姿を見たような気がする。祖母はふたりが幼い時に、どちら方とも他界している。
「で、お前が探しているものは、どこにあるんだ?」
「え〜っとね、Vだから・・・このエリアね。棚の番号はD・・・。」
書庫にはやたらと、書類があった。
限られたスペースに詰めるだけ詰めたらしく、ぎゅうぎゅうで、少しのゆとりもない。
そのうえ、本棚は小さいハロルドからしたら、横幅も広いが、それよりも異常に高かった。2階分は余裕である高い天井まで届くほど大きく、一番上の棚のものにはハシゴを使わないと、誰も手が届かない。
「・・あちゃ〜・・・。」
D―2は、上から2番目のスペースだった。
そこですら、天井に近い。
がっかりしたハロルドの声を聞き、横に来たディムロスが本棚を見上げて、言った。
「・・あそこにあるのか?」
「・・・たぶん。」
「どれ。」
ディムロスはカーレルよりも背が高い。
それでももちろん、手は届かないが、持ってきたハシゴを立てかけ、ハロルドの代わりに取ってくれようとしている。
ハシゴに足をかけたディムロスに、心の中で感謝しつつ、せめてものお礼にと、ハロルドは言った。
「ハシゴ、抑えておくわね。」
「・・・大丈夫か?」
自分がこれから乗るハシゴの事を言っているのだ。
「・・・そういう事言うと、アンタが上にいる間に、わざとなにかするわよ?」
「なにかとは何だ?」
「途中で折りたたんじゃうとか蹴りを入れるとか小型爆弾で破壊しちゃうとか。」
「・・・やめてもいいんだぞ?」
「うそ嘘〜ん。ディムロス様、お・ね・が・い♪」
「・・・・・。」
一瞬、ハロルドの顔を気味悪そうに眺めた後、ディムロスはハシゴを上っていく。
「・・・どれだ?」
2の棚の位置まで到達すると、ディムロスが言った。
「No.36の書類。」
「・・・・・・・。」
ディムロスは棚に向き合った後、怪訝そうにハロルドを見下ろしてくる。
「確かなのか?」
「どういう事?」
ハシゴの下からディムロスを見上げ、ハロルドが聞き返すと、ディムロスは怪訝そうな表情のまま答える。
「ないぞ。」
「え?」
「見てみろ。」
一旦、ハシゴを降りてきて、ディムロスはハロルドに確認するように言う。
促されるまでもなく、ハロルドが代わりにハシゴを上っていった。
2と表記されているその棚の端から端までを探す。
もしや書類と書類の間に挟まっているのではとも思い、丁寧にそれも調べた。
だが、なかった。
それ以外の書類はきちんと、ナンバリングされた1から順番に、並んでいる。
探しているものだけがなかった。
No.36の書類は、まるでハロルドから逃れるように、消えていた。
「ハロルド博士、どちらに行かれてたのですか?」
研究室のドアを開けた途端、テレサの声に出迎えられた。
あの後、もう1度、ディムロスと念入りに探したが、結局No.36のファイルはどこからも出てこなかった。
首を傾げながらもディムロスは、誰かが借りているのかもしれんぞ、と言いながら『火』にまつわる本を一式借り出し、自室に戻っていった。
だが、機密文書の類は、本と違って貸し出しは禁止だ。
だからこそディムロスも首を傾げていた訳だが・・・閲覧のみしか許されていないその文書を、もしも外に持ち出すとするならば、リトラーの許可を得るか、鍵を貰える少佐以上の位のものが、こっそりと持ち出す以外にはない。
嫌な感じがするな〜、とハロルドは思った。
それは手の内をあかせない、と思った時の予感と良く似ている。
そこに作為的な何かがあるとすれば・・・カーレル以外にはありえない。
行動の先を読まれて、手を回された感があるのを否めない。
「ちょっと調べもの。なにかあったの?」
ハロルドは図書館の一件には触れず、テレサが自分を探していた理由を訊ねる。
理由もなにも、ここの主はハロルドであるから、部下に不在の理由を訊ねられても不思議ではないのだが、テレサたちに、ハロルドがいなくて困るような事などある訳もない。
全員、自分で判断ができるほどのエキスパートばかりなのだ。
だから、部下の誰かが、自分を探していたというならば、意見を聞きたいと思っている、という事だ。
「ソーディアンの遊びの部分なんですが・・・。」
「うん?」
ソーディアンの設計は、ほぼ完成しているとはいえ、未だに議論の余地を残している部分がある。
それは、後から新しいアイディアが出てきたときに、スムーズに計画を変更できるように、あえて”隙”をつくっている為だ。
ハロルドの部下たちは、それを「遊びの部分」と呼ぶ。
完璧を目指せば、簡単に作り上げられるくせに、思い付きを加える部分をあえて残しているから、と。
「なに?言ってみて。」
テレサに話の先を促しながら、ハロルドは自分の机の椅子に飛び乗るようにして座る。
お気に入りの革張りの椅子が、体にフィットするようにして全身を受け止める。
深く沈みこむと小さなハロルドなど、足がつかなくなってしまう大きな椅子だ。
「今の設計ですと、マスターの成長に合わせて使用できる晶術も上級化していくようですが・・・。これで間違いないんですか?」
テレサは言う。
「というと?」
「いえ、初めからマスターの成長を無視して、上級のものを呼び出すことも可能なのでは、と思ったものですから・・・。」
「ああ、それ。」
ハロルドは設計図を手にとって、テレサを手招きする。
自分の机の上に乗せ、それを指で指し示しながら、ふたりは会話をする事になる。
「ダメなの、それ。私も考えたんだけど・・。」
「ダメ、ですか?」
「そう、方法がない。」
ソーディアンはレンズでの晶術の上達の仕方と同じく、マスターの成長と共に、上級晶術を操れるようになっている。テレサは、その初期段階を短縮し、マスターの成長なくしても、上級晶術を使えるようにならないかと考えているのだ。
それは、ハロルドも以前、考えた。
初めから上級晶術を使えるのと、初期段階を踏んでいくのとでは、かかる時間が雲泥の差だ。
そして、それはコアクリスタルの高密度を考えれば、できない話でもなかった。
「けど、ソーディアンには人格があるから・・・・。」
「あ。」
そう、ソーディアンにはマスターの人格がそのまま投影される。
マスター対ソーディアンだけであれば、コアクリスタルにその初期段階を飛ばして、上級晶術を記憶させ、呼び出すだけにする事も可能だが・・・。ソーディアンそのものに意志を持たせる以上、やはりマスターの成長は必要になる。
今回はレンズを使用し、ただ精神力を増幅させるだけに留まらない。レンズに人格を与え、マスターと呼応する事により、レンズエネルギーを最大限に発揮することを最大の目的としている。
そのため、ソーディアンの人格が成長しないままでの上級晶術の使用は、マスターとのバランスに崩れが生じる。
故に、ソーディアンそのものよりも生身のマスターの方に重点を置かないと、危険すぎるのだ。
「それじゃダメなら、詠唱時間の短縮化を図る為に、コアクリスタルに上級晶術の召喚呪文を予め書き込んでおくっていう方法も考えたんだけどね。」
上級晶術は威力は大きいが、詠唱呪文が必要となるため、時間がかかるという難点も持つ。成長の初期段階の短縮が不可能ならば、マスターの成長後、そちらの方を進化させる事はできないか、とハロルドは考えたのだ。
「それだとレンズに傷がつく分、どうしてもリスクが大きい・・・・・・・。」
「そうですね。コアクリスタルは人工的に創りあげないとならないほどの高密度レンズですから、やってみて失敗しました、じゃすみませんものね・・・・・。・・博士?」
「ちょっと待って・・・。」
ハロルドは、手をあげて、テレサを制した。
その時、ハロルドは頭に浮かんだある考えに、支配されていた。
レンズに傷をつけるという事は、リスクも大きい。
もしかして・・私は間違っていたのではないか?
ハロルドの中で、様々な視点からの思考が計算を初め、バラバラな方向で検討を始める。
そして、あるひとつの答えを得ようと、さらに集結していく。
あのレンズを使ってサロメが晶術を使う、と私は思い込んでいなかったか?
やがて一点のその答えが、頭を過ぎった。
神経を集中し、目を凝らして、ハロルドはその思い付きから、自分の中に過ぎった全ての答えを見出そうとする。
レンズの使い道はそれだけではない。
精神力の増幅、それ以外の使用法。
莫大なエネルギー源故、使おうと思えば、なんにでも使える。
ただの燃料しても可能だが・・・。そんな事に、高密度なレンズは必要ない。
もっと別のもの。晶術とは違ったカタチの。
・・・例えば、ソーディアンの精神をそっくりそのまま移すなどという、そんなある意味、常識はずれなことすらレンズではできる。
「・・・まさか。」
レンズに書き込まれていた、あの文字。
あれが。
詠唱呪文の短縮化と同じような、役割を持っていたとしたら。
「テアドア!」
「・・・はい?」
手の離せない分析をしている途中で呼ばれ、テアドアは不機嫌そうにハロルドの方に向き直った。
もともと、分析と計算さえしていれば満足という男だから、それを邪魔されて、相手がハロルドとはいえ面白くないのだろう。
彼は、足元の分離機をまたぎ、ハロルドの傍に近寄る。
「なんですか?」
「前にレンズを使って、意思投影装置をつくる際に、その前段階の装置でレンズに対して、思いつくかぎりの様々な実験したんだけど・・・あんた確かそれ、担当したわよね?」
「ああ・・・。」
思い出すのに少し時間がかかったようで、テアドアはぱちぱちと2、3度瞬きをした。
「・・・しました。」
「その時に、レンズになにかを記憶させて後から呼び出す・・・フロッピみたいな役割ができるか、試して貰わなかったっけ?」
「やりました。」
「OK。」
やはりそうか、とハロルドは指を鳴らして喜んだ。
「その時の装置って、今、どこにある?」
「これです。」
テアドアは速攻で、ハロルドの足元にある小型の装置を指差した。
「ハロルド博士、なんでも良いんですけど・・・。ご自分で作ったものにもっと関心を持ってください。作ってしまうと後はどうでも良いんですから・・・博士はいつも。」
「・・・・心がけとく・・・。」
「よろしくお願いします。」
テアドアはそう言うと、今やっている分析に戻っていく。
「それで・・・それがどうかしたんですか?」
話を途中で止められ、その後すっかり忘れ去られてしまったテレサが、口を開いた。
ハロルドが、話の途中でなにかを思いついて、いきなり事を始めるのはいつものことなので、それを気にしていてはこちらの身が持たない。
すでにテレサの関心は、ハロルドが思いついたものと、テアドアが示した以前実験でつかった装置に注がれていた。
テアドアのセリフではないが、ハロルドが1度作って作動させたものを思い出すのは、めずらしい。
何かの装置を作っても、次に使う時には、また機械から作り始める人なのだ。ハロルド博士は。
「うん、ちょっと待って・・・。」
ハロルドはポケットから、サロメのレンズを取り出した。
「これ、かけてみようと思って。」
「最近じゃ、私たちの頭の中は、常にソーディアンの事に支配されていたから・・・すっかり見落としてたって訳ね。」
ハロルドは言い、レンズを装置にかけ、動かないと装置をいじっていく。
呪文には、なにかを封じるという役割があるものもある。
レンズになにかを封じ込めたのでは、と先ほど、ハロルドは思いついたのだ。
そこを発想すれば、後は早かった。
ハロルドは、レンズに記録されているものを確かめられるように、まずは装置を用意した。
そして、それでは対応しないとなると、装置の方を改造していく。
普通なら気が遠くなるような作業だが、頭の中で一瞬にして図面を書けるハロルドにかかれば、その程度の改造など、子供の積み木遊びのようにたやすい。
「封じ込めるって・・・モンスターかなにか、ですか?」
「それは、いきなり突拍子もないわね。」
テレサの言葉にさらりとハロルドは返す。
「そんな生命のあるものまでは、いくらなんでも入れられないわよ。私の言っているのは、データの類よ。それをレンズに記憶させ、呼び出すの。」
「あの文字は封印って事ですか?」
「ううん、たぶん違うんじゃないかな。呪文には確かになにかを封じ込める力もあるけど、それがデータであるなら、作動させられる機械さえあれば、誰でも読み取ることができてしまう・・・。むしろ、そっちの方を封じようとしたんじゃないかしら。」
「そちらの方?」
「そ。つまり渡すべき人以外は、データを呼び出せないように、暗号の役目をする言葉を刻み込んだ・・・。誰にでも読める文字じゃないでしょ?あれって。」
「そうでした。」
確かに、ハロルドたちは、それが「天生の民」の失われた言葉であると見抜いたが、それはハロルドのチームが、特別だっただけのことである。
あのレンズが万が一、渡すべき目的の人物以外の人の手に渡ってしまったところで、文字が刻まれていると気づく事も、その文字を読むことも普通はできない。
「う〜ん。」
改造を繰り返していたハロルドの手が止まった。
「どうしましたか?」
ぽりぽりと頭をかくと、バツが悪そうな声でハロルドが言った。
「勘が鈍いっていうか・・・なんていうか。」
「え?」
「天上が使っているのに、これと良く似たやつがあったのよね・・・。初めに思い出せば、手間が省けたのに。」
装置はウィーンと音をたてて、動き出す。
「あ、動きましたね!」
テレサが嬉しそうに声をあげると、
「そのようですね。」
といつの間に来たやら、その後ろでテアドアが言った。
分析に夢中だったはずだが、こちらの方に興味が引かれて、分析の方はもう良いらしい。
自分の世界に没頭している子供みたいな性格をしているのは、なにもハロルドだけではない。研究者というのは多かれ少なかれ、自分の興味ある事以外は、どうでも良いと思っているものだ。
ハロルドは、装置に接続させたコンピュータ画面上に現れてきた、レンズの中身に記されているものを、すばやく読み取る。
常人の、3倍の早さだ。
そして一通り読み終わると、がっくりと大げさにうなだれて、唸って見せた。
「・・・また、面倒くさいものを・・・。」
「なんです?」
興味を引かれて、テレサがコンピュータを覗き込む。
そこには細かい数字と、ある規則を持って並んだ文字が書き込まれている。
「・・プログラム、ですか?これって。」
「そう。」
「パスワードを打ち込むと、中身が開くフロッピみたいなものだとばかり・・・。」
「私もそうかと期待してたんだけど・・・。違うわね。そんなに単純ではなかった。」
レンズにプログラムが打ち込まれているあたりで、すでに単純ならざる話だと思うが。
そう思うが、ふたりはなにも言わなかった。
つっこみを入れるとハロルドは、ときどき勝手に暴走する事がある。
「それで、なんのプログラムですか?」
「人工頭脳。」
「え!?」
軽く答えたハロルドに、ふたりは一瞬、言葉を失った。
「・・・のようなもの。別に本当に人格とかあるんじゃなくって・・・。質問に答えられるくらいの機能が与えられてるわね・・・。」
「インストールが必要ですか?」
「ううん。レンズそのものが、直接対応するみたい・・・。面白いわね。」
「本当にレンズに直接、プログラムを組み込まれてるんですか?それとも、ソーディアンのように、もしや?」
「ううん。レンズそのものに仮想人格を投射した訳ではなく・・・プログラムをそのまま投射したみたい。」
そこまでを他にやられていたら、ハロルドとしてもつまらない。
どこかコンピュータでプログラミングだけを組み、それをレンズにそのままコピーしているらしいが、テアドアが拘るのは、それすらも今までにないケースのものだったからだ。
コンピュータや、特別な機械を動かす為の機動源の確保と、作動キーのどちらも兼ねたものならば、レンズ工学上、今までもないではなかった。
だが、レンズそのものにプログラムを組み込んだものは初めてだ。
「うん。でもレンズのエネルギーや、なんでも投射できる性質を考えたら、不可能な話じゃないわ。それにきちんと対応する機能さえあれば、この手の仕掛けは難しくもないんじゃないかしら。逆に難しいのは、このレンズに対応するコンピュータが、限定されてくるって事だと思う・・・。さすがにレンズを作動させるには、それ相応の知識がないとできない。さらに、そこへデータを読み込めるもの、となったら・・・。ディスクならいくらでもあるけど、代わりにレンズ使うなんて・・・あまりない発想ね。」
だからこそ、人の盲点をついてもいる。
つまりはそこまで厳重にして守らないとならない、ものが入っているという事か。
ハロルドは一旦、考える。
この世界で、ここまでのレンズ工学知識を持つものは・・・ハロルドの部下たちか。後は・・・天上に捕らえられているベルクラント開発チームなら、あるいは。
「まあ、やってみるから見てて。」
そう言い、ハロルドは、今しがたプログラムが出ていた分析画面を一旦オフにして切り替え、レンズに記録された仮想人格へ、アクセスを心みる。
ブラック一色だった画面に、やがて点滅するように言葉が現れてくる。
『質問は?』
と一文字ずつ、ゆっくりとタイプアップするようにして、“それ”は言った。
「あなたは誰?」
ハロルドが打ち込むと、“それ”は返す。
『あなたは誰ですか?』
ブラウザの画面に、質問の答えが浮かび上がる。
質問に質問で返すなど、やるではないか。
「私はハロルド。あなたは?」
『ハロルド。予定にありません。』
「・・予定にない?」
「アクセスしてくるはずの人間に、予定がないっていう意味かな?」
横で見ていたテレサとテアドアが言うのを聞きながら、少し考えてハロルドは訊ねる。
「天生の民とはなに?」
『質問には答えられません。』
「天生の民を知っているの?」
『質問には答えられません。』
どうやらプログラムの警戒システムに触れたらしい。
そう考え、もう1度、初めからやり直す事にする。
このプログラムには質問を返す機能がある。
たぶん、その為にプログラムされたものだろう。
おそらくは、後で、なんらしかの情報を、伝達する必要が生じた時の為に。
という事は、質問をする権利がある人間だと認識させなければ、聞きたい事には答えないという事か。
ハロルドはレンズそのものに、書き込まれていた文を思い出した。
それには「天生の民」の文字で、
『我ら生まれ出で、去りし時までの、うたかた。』と記されていた。
そして遺跡に刻まれていたのは、
『我ら、天に生まれし後、地に降りる。いつの日にか時のめぐりくる時、帰らん。』
天生の民。
その名のごとく、天に生まれ、海に消えたとされる一族。
ハロルドは打った。
「我は地である。」
一瞬にして、画面は、今までの黒いものから、明るいブルーのものへと切り換わる。
それは空をイメージしているように、ハロルドには思えた。
“それ”は答えた。
『ようこそ、天に生まれし者よ。』
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