つまりは、そういう事だ。
ハロルドは思った。
認めなくてはならない。
別に、それは妄想なのかもしれないし、本当に本当なのかもしれない。
だが。
実際に、今、この時代に「天生の民」の生き残り、もしくはその末裔であると、自ら信じて生きている者たちがいる、という事だ。
なんて呼ぼう、とハロルドは思った。
なんでも良いことだが、気になる。
2000年前に姿を消した「天生の民」との区別(差別化)を計る為に、「天生人」とでもしようか。
「天上人」という呼び名もあるし、調度良い。
空のような青い画面に向き合い、ハロルドはとりあえず、挨拶代わりに最初の質問をしてみる。
「あなたの名前は?」
『私には名前はありません。』
これだけだとなんだか、にべもない印象だ。
「あなたたちは天生の民?」
『天生の民は、われらにあらず。彼らはわれらの礎なり。』
いやな予感がした。
もう1度確かめるためにも、同じ質問をわざと繰り返す。
「あなたたちは天生の民じゃないの?」
『私たちは天生の民ではありません。』
「・・・・・・。」
「・・・博士・・・。」
気がついてテレサが、ハロルドを窘めようとするかのように、肩に手をおいた。
すでにハロルドが、機嫌を損ねつつあるのを、長年の勘で見抜いている。
ハロルドは、続きの文字を打ち込む。
指先が乱暴な音をたてるのは、気のせいではない。
テレサとテアドアは顔を見合わせた。
どうしたものか。
とばっちりが来る前に逃げようか。
「天生の民を知ってる?」
『天生の民は、私たちの礎になった民族』
ハロルドは眉をつりあげた。
「き〜〜〜!!めんどくさい!!」
思ったとおりだ。
このプログラムには、言い回しがきかない。
質問に対して自ら判断し、要点をまとめてすべてを説明するなどができず、聞かれたことにのみ、簡潔に答える。
その時々で、こちらが適切な言葉を選び直さなければならず、ひとつの質問に関連するすべての答えを一度に得ることはできない。
だが、言葉は無限大で、疑問などいくらでも沸いて出てくる。
言葉をいちいち選んでいては、時間がかかる。
質問することを絞り込まないとならない。
「相手の質問で、求めている情報のあたりぐらいつけられないの!?聞かれる前に答えなさいよ!不親切!」
「博士・・・。相手はプログラムですから・・・。」
テアドアが大人になってください・・などと失礼な助言をよこす。
一通り、きーきー言った後、気が済んだのか、ハロルドは
「じゃ、次。」
と言って、質問を書き込む。
「天生の民って、2000年前に滅んだという民族よね?」
『・・・・・・・。理解不能。』
「・・・・・・・。」
「も・・もしや・・・。」
テアドアとテレサが顔を見合わせる。
「そんな質問をするなど、理解不能という意味でしょうか?」
「私たちバカにされた!?」
「そんなわけないでしょうが!」
今度はハロルドが、ふたりに冷静になりなさいよ。と助言した。
「質問の意味が図れないのよ。」
たぶん、その能力がないのだ。
どうやら、時間という観念はないらしい。
さて、ではどうやって「天生の民」というのが、自分たちの言う「天生の民」と同一だと確かめれば良いのか。
それとも、それが本当の「天生の民」かどうかなど、この際、棚上げにしてしまおうか。
そのおとぎ話が、本物であろうと、どこかの民族の妄想であろうと、今、調べている件と関係があるとは思えない。
「ん・・・ちょっと待ってよ?」
思い出した事があり、ひとりごとがこぼれた。
試してみることにする。
そもそも一番初めの会話と二番目の会話には違和感があった。
「私はハロルド。あなたの名前は?」
『私には名前はありません。』
「私が誰だか知ってる?」
『あなたはハロルドです。』
思ったとおりだ。
このプログラムには自動学習能力が加わっている。
こちらの打ち込む言葉を取り込み、段々と使う言葉を増やしている。
それとは別に、決まった質問には、決まった言葉で返すのだ。
どうも芝居がかっている、と思ったのは、そのせいだ。
では、これを設計した人間は、予め、伝えるべき言葉だけは、別に決めていた、という事か。
決められた台詞を言えば、決められた台詞が次にくるように。
それでなにか有利に働くだろうか。
たとえば・・合言葉。
もしくは、身分証のようなもの?
これを持つ者には、誰もが同じ質問をするのだろうか。
そして、それに・・・レンズが答える?
なにかを掴みかけたような気がしたが、そこまでだった。
そもそも、あれこれ考えてみたところで、それに対する明確が答えを得られないなら、どんなに真実に近くとも妄想だ。
ハロルドは、思考を切り替え、次のアプローチを試みる。
「あなたたちと天生の民との関係は?」
『天生の民は、私たちの礎。』
「・・それはもう聞いたってば・・・。」
分かっていても、この融通のきかなさにはうんざりする。
だが、礎ということは・・・・。
ハロルドは質問をする。
「あなたたちは、天生の民の子孫?」
返ってきた答えは簡潔的だった。
『いいえ。』
そして、次にタイプアップするようにして現れてくる文字に、ハロルドは見入った。
『子孫はフェザーガルド、ただひとり。』
「フェザーガルド?」
「人の名前っぽいですね。ひとりと勘定してるし。」
テレサとテアドアが身を乗り出すようにして、画面に見入る。
ふたりの顔が自分の肩越しにあるのが、ハロルドはうっとうしい。
「フェザーガルドって何?」
『フェザーガルドは、天生の民の唯一の子孫。』
「う〜ん。」
ハロルドは唸った。
なんだか、揚げ足をとられているみたいだ。
それは、テアドアも感じたらしく、
「おちょくられているみたいな感じですね・・・。」
と言った。
だが、とりあえず、進展はあった。
今までの禅問答のようなのらりくらりと、本質の見えないやりとりに、「フェザーガルド」という新しい要素が加わったのだから。
「あなたを作ったのはフェザーガルド?」
『フェザーガルドは私を作らない。』
天生の民ではない民族が、このレンズをつくり、だが、その民族は天生の民ではなく、天生の民の子孫はフェザーガルド、だという。
だが、このレンズの主たちと天生の民が無関係とは考えられないとなると、フェザーガルドという人物は、この民族に対して、かなり重要な役割をしているはずだ。
ハロルドは聞いた。
「フェザーガルドは、あなたがたの王?」
『フェザーガルドは王にあらず。天生の民の血を残すものなり。』
おや、とハロルドは思った。
「フェザーガルドは、男性?女性?」
『フェザーガルドは女性。』
「・・・女、か。」
では女王か。
いや、王ではない、という以上、たぶん、そういう指導者的な位置にいないのだろう。
では、民族の長、という立場は別の者が任されているのか。
ハロルドはいったん、考える。
天生の民の血を残す者、という役割があるという事は、民族はそれを守りつづけてきた、ということだ。そして、それを重要視してきたのなら・・・。当然、掟として、他者にそれを守らせるよう指導、もしくは監視する役割の人間がいなければ、続かない。
それが、すなわち。
「王は誰?」
『王とはなんですか?』
逆に聞かれてしまった。
では、「一族の王」というシステムそのものを用いていないということか。
「“王”とは一族を束ねる者の事。分かった?」
『一族とはなんですか?』
「それはなんでも良いわ。う〜んと。同じ土地に住んで、同じ規則の中に生きている人たちって言えば良いかな。分かった?」
『わかりました。』
「では、あたらめて質問。あなたがたの王は誰?」
プログラムは一旦、タイプアップを停止した。
まるで、考えているようだ。
ハロルドは、この現象も面白いと思う。
レンズが答えを探す、なんて。
そして、まもなくして、画面に名前がたたき出された。
『ミゲル。』
「ミゲル?それはどういう人物?」
『ミゲルは“ビショップ”。』
「・・・・・・!!」
「“ビショップ”?」
テアドアが言った。
「僧侶の意味ですけど・・・。なにかの役職ですかね?」
「ファミリーネームになってもいますよ?ミゲル・ビショップという名前なのでは・・・。」
「違う!!」
テレサが言い終わる前に、ハロルドが声をあげた。
「え?」
「違うって博士。」
「リ・ヴォン教だわ!!」
そうか、だから、なのか!
そうひとり納得するハロルドの横で、テアドアとテレサは、きょとんとしている。
通じていない、と気がつき、ハロルドは言いなおす。
「リ・ヴォン教会・・・ラヴィ・ロマリスク皇国よ!」
テアドアは一瞬、身を乗り出した。
「それはなんですか?」
テレサは知らないらしかった。
地上は統一国家ではない。
元々は、ぞれぞれの地方、それぞれの国、町、村があり、それぞれの法をつくり、それを守って生活していた。それがなし崩しになったのは彗星がこの星に衝突し、特権階級を持つ裕福な人々が天上人を名乗り始め、抑圧に立ち上がった地上人との間に戦争が始まった為だが、地上軍も実は、同盟国家による自由軍だ。
ラヴィ・ロマリスク皇国は、それより遥か以前、設立された国家だ。
再生と幸福を司る独自の女神を崇めたリ・ヴォン教の最高機関であり、王族ではなく、教皇を首長とし、国家そのものがリ・ヴォン教会に属する。他の信仰に対しても礼儀をつくし、寛容で、後にレンズ信仰が各地に起こった際には、独自のレンズ解釈を用いて、それを内部に取り入れている。
だが、ラヴィ・ロマリスク皇国、および、リ・ヴォン教を世に知らしめたのは、その信仰理念でも活動でもない。
かつて、ラヴィ・ロマリスクは外交手腕を発揮し、各国と同盟を結び、同時にリ・ヴォン教の布教に務めていた。
その為には手段を選ばず、リ・ヴォン教を信じる全ての人々の為にを唱え、同盟国に戦火の火があがった際は窮地を救う為、惜しむことなく自国軍を差し向けている。各国で傭兵部隊のような役割を果たすラヴィ・ロマリスク軍は、黒鶫騎士団、と呼ばれていた。
彼らの戦いぶりは勇猛果敢にして無敵を誇り、主に忠誠を誓いそれを破ることはなく、原則として、決して敵に降伏せず、死ぬまで戦い、命乞いをしない、などの規律が設けられていた。
さらに、強奪、略奪などの行為は元より、任された任務以外のむやみな争いを禁止し、破ったものは厳罰に処された。
そして、ラヴィ・ロマリスク皇国のその助力は同盟国のみならず、敬虔な信仰者にもおよぶ。
暴君王の圧制に苦しむある国の信仰者の助けを求める声に応え、リ・ヴォン教会は黒鶫騎士団を派遣。自由軍に助力し、民主主義国家を成立させるに至った。
その逸話は武勇伝として各地に広がり、騎士団はその戦いぶり、潔さから、信頼のおける規律の取れた軍として各国の賞賛を浴びた。それに伴い、ラヴィ・ロマリスク皇国も信頼を勝ち取り、同時にリ・ヴォン教も各地で広く布教される事となる。
その黒鶫騎士団の総長の尊称が・・・。
「“ビショップ”・・・。」
そして・・・。
真紅の地に飛行する鶫をモチーフにした軍旗を掲げる、騎士団の制服は・・・。
・・・黒衣。
「繋がったわ!」
ハロルドはぱちん、手を叩いて歓喜の声をあげた。
「な・・なんですって?」
いきなり叫ぶハロルドに面食らって、テアドアが聞いてきたが、
「いいのいいの、こっちの事。」
ハロルドがそう言うと、腑に落ちないものを感じつつも、別に自分には関係ないと割り切ったのか、テアドアはそれ以上聞いてこなかった。
「あれ?でも王の立場が、騎士団の総長って変じゃありません?」
テレサが疑問を口にする。
「王の立場って、この場合、教皇、ですよね?ラヴィ・ロマリスク皇国の首長なんですから・・・。」
「それに天生の民とリ・ヴォン教の関係もよくわかりませんね。礎ったってなんのことか。」
テアドアが言った。
「それに教会がこれほどのレンズ技術を持っていたっていうのも、どうも・・・。」
「うん、それはね。こう考えれば辻褄もあうと思うの。」
ハロルドは答える。
「リ・ヴォン教はそもそも、天生の民を祀る宗教だった。」
「ええ?」
「博士・・・そんな・・・。」
「これは、天生の民の血を受け継ぐという女性とリ・ヴォン教が無関係でない、という事実と、リ・ヴォン教が自ら、天生の民を礎だと言っているという事実をつきあわせての推論だけど。」
ハロルドは前置きをしてから、説明をはじめる。
こうなるとハロルドの独壇場だ。
それが分かっているふたりは、余計な口を挟む事はせず、黙って頷く。 「まあ、天からきただの、海に沈んだだの、信じがたい伝記ばかりだけど・・・。それが本当はどこから来て、どこに行ったにしろ、後に天生の民と呼ばれる、高度な文明を持った民族がいたのは、事実なんじゃないかしら。リ・ヴォン教は、その民族の血を絶やさぬよう、長きに渡り、保護してきた・・・。そもそもリ・ヴォン教の崇める女神も、天生の民がもともと崇めていた神なのかも。」
ここまではいい?とハロルドはふたりに確認した。
反論がないのに満足したような顔を見せた後、先を続ける。
「そして、同時にリ・ヴォン教は天生の民の持つ、高度な文明をも保持してきた・・・。それは、計り知れない恩恵でもあったでしょうね。その高度な文明や知識はリ・ヴォン教の内部で密かに受け継がれ、十数年前に起こった彗星の衝突により、レンズが現れ・・・いち早くその莫大なエネルギーにも気が付き、研究していた・・・。レンズ信仰を内部に受け入れたのもその為でしょう。他者に対して、信仰の迫害の恐れを抱きもせず、新しき物への柔軟な発想を持っていたからこそ、レンズの神格化に納得できた。そういう意味では、どの科学者たちよりも先んじてたって訳ね。」
「なるほど・・・。」
「そうなると妙にしっくりきますね。」
ふたりは、その話にどこか辻褄のあわない部分がないか、検証しながら聞いていたが、別に反論の余地はない、と納得した。
それならば、確かに、天生の民の技術が、リ・ヴォン教に残り、それが今でも利用されていてもおかしくない。・・・それだけの知識がある人物も必要ではあるが。
ハロルドは続ける。
「初めにリ・ヴォン教を興した者は、事実はどうあれ、自分たちが天生の民の子孫であると信じていたんじゃないかしら。そして、民族のあり方が宗教としての変化を遂げるにあたり、正当な血を受け、それを残す者としての特別なひとり、という存在を作り出した。それが、今のフェザーガルド。そして・・・子孫の血を残す特別な存在というのを世襲するのは女性と定められていた。」
「え?どうしてですか?」
いきなりのハロルドの断言の理由が、テレサには分からなかった。
「それこそが、最初に言ってたテレサの疑問の答えよ。」
ハロルドは言った。
「理由は、リ・ヴォン教の崇める女神と、特別なひとりを同一化し、象徴する為・・・という見方もできる・・・まあ、大きくは外れてないとは思うけど、はっきりとはいえないわね。それよりも血を残す、という事は、子供を産む、と言うことよ?古から、子供といえば一緒に母親をイメージするものでしょ?父親ではなく。どうしてかしら・・・ミトコンドリアの影響かしらね・・・。」
ハロルドはそう言って、ミトコンドリアは女にしか受け継がれないのよ〜?知ってる?とテアドアに、勝ち誇って言った。
別にミトコンドリアには執着がないらしく、はあ、とかなんとか、テアドアはどうでも良いような答えだ。
それからハロルドは言った。
「そして・・・歴代のラヴィ・ロマリスク皇国の首長は、全員、男性。」
「あ、という事は・・・。」
テレサが、ハロルドのいわんとする事に気がつく。
「そう・・・つまりは、正当な天生の民の血を残す為の・・・。」
「伴侶。」
「そう。」
特別な存在、という女性がいて、それは子供を必ず産まなければならない、立場にある。
だが、子供を産むには結婚(しなくても良いが)しなければならず、それには・・・当然、対になる男性が必要だ。
そして、その男性が伴侶として特別な女性に選ばれた時、リ・ヴォン教皇、ラヴィ・ロマリスク皇国の首長となるのではないだろうか。
「そうか!だから・・・。」
テレサが喜んで、手を打った。
「やりましたね、博士!」
なにかの答えに到達すると、いつでも喜びが待ち受けているものだ。
ところが・・そんなテレサに対し、ハロルドががっかりするような事を言う。
「ただ・・ちょおっと、辻褄が合わない部分もあるのよね〜・・・。」
「確かに変ですね。」
テアドアが冷静に、それに対して同意する。
「どこがです〜?」
とテレサは逆に、不満顔だ。
「考えても見ろ。たとえ、その特別な女性の伴侶が、首長になるって決まってたとしても・・・王が“ビショップ”っていうのは、どうなるんだ?“ビショップ”は黒鶫騎士団の総長の事だろ?」
「あ、そうか。」
テレサは言って、う〜んと首を捻った。
「首長と騎士団の総長が一緒、っていうのは・・ダメなんですか?」
「ダメじゃないけど・・・。首長の座に就いたなら騎士団の総長は引退するって方が、しっくりくるわね・・・。国の首長である以上、教皇には国に留まって貰わなきゃならないだろうし、総長は生き死にの戦場に出る訳だし・・・。」
「でも、天地戦争が起こって、黒鶫騎士団が戦場に出る事もないですよね?」
「それはそうなんだけど・・・。」
確かにリ・ヴォン教そのものは、天地戦争が勃発して以来、衰退の一途を辿っている。
だからといって、決してなくなった訳ではない。今でもラヴィ・ロマリスク皇国は、この地上のどこかに存在しているはずだ。
そして、たとえ、騎士団の総長と首長が一緒だとしても・・教皇の座も継いでいるはずだ。それならば、レンズの答えは、総長よりも高位の「ミゲルは教皇だ」となった方が自然だ。
そして・・・レンズの謎もある。
そもそも、出だし・・・このレンズにアクセスした時、こう言った。
『ようこそ、天に生まれし者よ。』。
だが、“我ら”にあたるのは、天生の民ではない、と言う。
ならば『天に生まれし者』は他にいるとなる。それに値するのが「天生の血を受け継ぐ」フェザーガルドなる女性。
では、このレンズの本来の持ち主は、フェザーガルド、という事になるのではないだろうか。
そして質問に対して答えを得られるプログラムの性質を考えると天生の民の古からの成り立ちなどが、用意された質問で聞けば、用意された答えとして返ってくるのではないか。
おそらく、このレンズの役割は「経典」。
そして、「天生の民」の正式な後継者(子孫)であるという証。
なのに、このレンズはそのフェザーガルドなる女性の手元にはなかった・・・。
ハロルドは一緒に箱に入れられていた髪留めの事を思い出す。
石の質もよく、凝った細工が施されていた。
それがフェザーガルドのものだというのは、簡単に想像できる。
そして、レンズを持っていたサロメには、常に黒衣の一群が付き従っていた・・・・・。
ハロルドは、ふ、と思う。
もしかしたら・・教皇は・・・。
「すでに、この世にいない・・・・?」
だとしたら、教皇が不在の今、フェザーガルドに選ばれたものが、次の王、となる。
フェザーガルドの伴侶が、騎士団の総長だとすれば、“ビショップ”が王である、という答えでも、間違いはなくなるが・・・。
首長の座に未だにつかず“ビショップ”のままでいるのは何故だ?・・・正式にフェザーガルドの伴侶と認められてないからか・・・?
どうしてだ?
それとも、首長が没した後、何ヶ月かは、その座を空位にしないとならない掟でもあるのか?
「あれ、待ってよ?」
そもそも、フェザーガルドは何歳なのだ?
実はすでにおばさんで、教皇との間に生まれた子供が、男と女のふたりいて・・・。女の方がまだ子供を産めない年だったら、とりあえず、“ビショップ”である息子を首長の代わりにしておけ、というのもありえないだろうか?
ハロルドはレンズに向き直る。
しばらく忘れ去られていたそれは、「質問は?」という言葉を画面に打ち出したまま、おとなしく待っていた。
ハロルドはキーを打った。
「フェザーガルドは何歳?」
『・・・不明・・・・。』
「ミゲルの髪の色は?」
『・・・不明・・・・。』
「ダメだわ、これは。」
ハロルドは大きく天井を向いて、嘆く。
「個人情報は一切インプットされてない・・・・。」
「まあ、そうでしょうね。」
なにを当たり前な事を、と言わんばかりにテアドアが言った。
「あまり関係のない事でしょうから。」
「なにが、そうでしょう、なのよ〜〜〜!私だったら、絶対に個人の身体的特徴も入れるわよ!面白くないじゃない!」
「面白い面白くないの問題ですか?それって。」
とりあえず、一通りの情報を得られて、テアドアは満足したらしい。
ハロルドとテレサに挨拶もなしに、分析機の方に戻っていく。
それでテレサも我に返ったらしく、
「では、私もそろそろ・・。」
と言いながら、ハロルドの傍を離れていく。
後には、腑に落ちないあれやこれやを抱えて、うんうん唸っているハロルドが残された。
「ちす!」
入り口で、融通は利かないがなかなか大した度胸の例の書記官に挨拶し、ハロルドは図書館へと入っていく。
今日はアトワイトのソーディアン・マスターとしての資質を計るテストがあったのだが、急病人が出たとかで、先ほど、キャンセルされたばかりだ。
いつもなら、わざわざ空けておいた時間を潰されて、腹のひとつも立てるところだが、急病人に後にしろ、とも言えず、その時間を利用して、もう少しラヴィ・ロマリスクの事を調べておこうと思いついた。
ラヴィ・ロマリスク皇国は、確か、ここよりも南に位置していたと思ったが、確かな緯度までは今まで興味なかったので、記憶してない。
地理と・・・歴史と、宗教に関する書物にも目を通しておいた方が良いだろう。
まるで巨大な壁のような本棚の間を縫って歩く。
見上げる棚は高さの割にはそんなには幅がない。せいぜい、本が背中合わせに2冊という狭さでこの高さではバランスが悪い。
やってみたい・・とハロルドは真剣に考える。
ひとつを思いっきり押したらきっと、派手なドミノ倒しができるに違いない。
「あれ。」
歴史の分野の本棚の間を覗き込んで、ハロルドは声をあげた。
またもやめずらしい人物に出くわした。
「また、お前か。」
その声に振り向いて、ハロルドの姿を確認し、ディムロスは溜息をついた。
そして、ハロルドに対して、
「ヒマなのか?」
などと言う。
「ヒマじゃないわよ〜。前回の仕返しね?それ。」
「別にそういう訳じゃない。今日はアトワイトの試験じゃなかったのか?」
「そういう訳でしょ〜絶対!執念深いヤツ。アトワイトは急病人の世話でキャンセルよん。」
「・・・そうか。」
そう言うとディムロスはハロルドから顔を背け、本棚に持っていた本をかたしていく。
「読み終わったの?それ。」
「ああ。」
ディムロスが片付けているのは、先日、ここから借り出していた「火」に纏わる文献だ。
忙しい筈の中将殿が、こんなに早くに読書を終えるなど意外だ、とハロルドは口笛をひとつ吹いた。
本気で勉強家だ。きっと、睡眠時間を削ってまで読んだのだろう。
「お前は、今日はなんだ?」
本棚に本を戻す手を止めずに、ディムロスは言う。
一拍、ハロルドは間を置いた。
芝居がかった態度で、ディムロスに接する。
「ラヴィ・ロマリスク皇国を調べに。」
「・・・・・そうか・・・。」
ディムロスは一言、答えた。
「あら、意外。」
ハロルドは言った。
「それはどこだ?くらい、しらばっくれて言うかと思ったのに。」
ディムロスは、最後の本を戻し終え、ハロルドに向き合った。
その仕草がゆっくりしたものになり、ディムロスの態度も、芝居がかって見える。
「・・・私が、知っているのがおかしいか?結構、有名な国だぞ?」
「うん、まあね。」
ハロルドは言う。
「そうとも言えるわね。」
「・・・・・。」
そのまま立ち去るかと思ったが、ディムロスは足を動かさなかった。
それで、逃げ出すつもりがないのだとハロルドは知った。
「ディムロス。」
「なんだ?」
「あんたが持ち出した、NO.36の記録書、見せてくんない?」
「・・・・・。」
「あの時、出くわした私が、何を探しているのかを知って、とっさにそれを隠したでしょ?考えてみれば、ああもタイミングよく隠されてるなんて、ちょっと変。私がどこから手をつけるか、兄さんは知らないんだし。念の為っていうには、手回しが良すぎる。それこそ、軍師の兄さんにそんな暇ないわ。・・・でもあの時、偶然そこにいたあんたなら、簡単だわ。」
自分が上に上った間に、問題の記録書を抜き出して、違う棚に一旦隠し、ハロルドが代わりに上に上った隙を見て、持っていた「火」に関する文献の間に、隠す。それならば、スムーズにハロルドの目から記録書を隠す事ができる。
ディムロスは答えない。
もっとも否定もしない。
「それに、そんな手を使うなんて、兄さんらしくないわ。私をどうしても阻止したかったら、真っ向から何か言ってくる筈だもの。」
カーレルの事は、ハロルドが一番良く知っている。
あの兄は、穏やかそうに見えて、向かってくるものに背は見せない。
ましてや、それが長いつきあいの妹相手であったなら尚更、調べていると分かっていて、陰で書類を隠すなどするとは思えない。
だから・・・カーレルとは別の誰かの仕業だ。そして、あのタイミングでハロルドの手から記録書を取り上げられるのは、ひとりだけ。
他の人間は、ハロルドがなにかを調べているという事実さえ知らない。
「・・・隠した、という事は、それには何が書かれているのか、あんたは知っているって事よね。」
「・・・・・。」
「そんなに私に知られたくない事ってなにかしら?興味あるわ。」
人の悪い笑みを演出し、ハロルドは言った。
そのまま、少しだけ間があった。
ハロルドはディムロスがおとなしく、記録書を渡してくれる確立がどれくらいあるか、考える。
昔から筋の通らない事を嫌い、同胞を大事にする心の大きいこの男が、実はハロルドからしてみれば、一番読めないタイプだ。
なにかの信念を持った時、その嫌いな筋すら、平気で曲げてしまう。
自分の中に確固たる正義の姿を見出しているというのは・・・ある意味、一筋縄ではいかない。
「・・・・この世で一番、暴力的な欲求は、知識欲、だと言うが・・・。」
やがて、ディムロスは言った。
「お前を見ていると、その言葉を実感する。」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくわ。で、記録書は渡してくれるの?くれないの?」
「その前に聞きたい。」
ディムロスは言った。
「どうして、知らないではおられないんだ?」
「・・・知りたいから。」
ハロルドは答える。
そっけないが、それ以上、適切な言葉はない。
「・・・知ってどうなる?知ることで誰か傷を負うなら・・・あえてそれをする必要などないと、私なら思う。だからこそ、言おう。留まってくれないか?ハロルド。」
ディムロスは本気だった。
視線の強さがそれを物語っていた。
それはそれほどの、なにか、とてつもないものが後ろに隠れている、という事か。
それとも・・・些細な事だとしても、兄と妹の間に亀裂が入る恐れがある、と思っているのだろうか。
ディムロスが軍事的な機密を隠そうとしている、などとは思わない。
彼は、自分たち兄妹の心配をしているのだ。
だが、とハロルドは思う。
本当にそんな事があるとは思えないが・・・もしも、兄との間に亀裂が生じるような事であったとしても、それでも知りたい。
それに、隠しても、いずれは知れる。
今、ディムロスがやっているのは、それまでの時間かせぎをしているにすぎない。
だったら、今でも未来でも同じではないか。
そんなハロルドに対し、どう思ったのかディムロスが言った。
「・・・天上にいた時・・・。」
「ん?」
「・・・知り合った男がいたそうだな。」
「・・・・・。」
少しびっくりして、ハロルドはディムロスを見た。
そんな事を、ディムロスまで知っているとは思わなかった。
サロメの事は誰にも話していない・・・カーレル以外は。
だから、ディムロスは、カーレルから、その話を聞いたという事だ。
「その男の事を知りたいのか?だから、調べているのか?その男は、お前とはどういう・・・。」
「恋人。」
ハロルドは言った。
ディムロスは、それを聞いた途端、言葉を失って、固まってしまった。
「・・・って言ったら、どうする?」
「・・・お前・・・。」
からかわれたと気づき、ディムロスの顔が段々、赤くなる。
めずらしいものを見た、とハロルドは嬉しくなる。
今日は記念日になりそうだ。
「じゃあ、正直に話す。」
めずらしいものが見れた事で、満足しようと思い、ハロルドは真剣にディムロスに向き合った。
なによりも、忙しい最中だというのに、自分たちを心配してくれている事を思えば、からかって楽しんでいるだけでは、申し訳が立たない。
友人に対する愛情くらい、ハロルドも持ち合わせている。
「兄さんにも、聞かれたの。あいつに対して、どう思ってるんだ、って。」
ディムロスは頷いた。
話に口を挟むことはせず、ハロルドに先を促す。
「ね、聞いて良い?ディムロス。」
「なんだ?」
「どうしてアトワイトを好き、って思う?」
以前、アトワイトにもした質問だ。
「・・それは・・・。」
ディムロスもアトワイトと同じく、即答はなかった。
それはそんなに難しいことなのか。
「正直、分からないの。私は・・ホラ。恋愛をしたことないから。だから、それが、恋愛感情なのか、似て非なるものかの区別が、私にはつかない。」
「・・・そうか。」
「でも、気になる。すっごく気になるの。夜、寝ぼけて、たまにまだ天上に捕らわれていた時と勘違いする事がある・・・。そういう時、いっつも、自分の部屋の中に向かって、名前を呼んじゃうの。」
「・・・・・。」
「単なる錯覚か、それともそう思うことで、私が勝手に安心したいのか、分からないけど、それの正体がつかめない間は、どこかふわふわしてて、気持ちが悪いのよ。目に見えるわけでもないのに、正確に北を差す羅針盤みたいに、きっと、必ず、あいつに辿り着くことになる。そういう確信があるものの、それはどこから来ているのか分からない。あいつが誰で、どこから来て、なんで天上にいるのか。疑問ならいくらでもあるわ。そのどれかひとつでも、はっきりとできない限り、私は私の中のなにかの規則を、破ったまま生きていっているような罪悪感に駆られる。しなくてはいけない事、というはきっとそういう事なんだわ。私は、あいつの事を知る必要があるの。」
「ハロルド・・・。」
「だから、単なる興味本位で言ってるんじゃない・・・。もっとも・・・。」
科学者としてのものではないとも、今でも言いきれない。
ふつり、とそれでハロルドは黙った。
考えれば、心の中にいつでも、渦を巻くものがある。
それは、それすらも、罪悪感に近い。
サロメは天上にいる。ここにはいない。
不在の人間の事をあれこれ探るのは、決して褒められた事ではない、と分かっていても、何かに突き動かされ、焦っている自分も感じる。
どちらが良いか、など。
・・・・・答えが出る事はない。
「だから、答えが出ないなら、暴力であろうとも知識欲にまかせて、先を進もうと思うの。」
「・・・・ハロルド。」
納得した、とは言いがたかった。
だが、それはそれでハロルドらしい、とディムロスは思った。
なんに対しても臆せず前を進めるのは、傷を負ったことのない者の愚かさか、でなければ、覚悟を決めた賢者のどちらかに他ならない。
ハロルドが傷を負ったことがないなどと思うほど、ディムロスはハロルドを知らない訳ではない。
このある意味、潔いほどの意志の強さは、見習うべきものだ、とディムロスは思う。
きっと、子供のままで大人になった、本物の人間の強さを具現化すると、こういう姿になるのだ。
それでも意を決める事ができず、ディムロスは逡巡する。
「・・・ハロルド。私は・・・・。」
「私からも頼む。」
ディムロスが答えを最後まで口にする前に、割って入った声があった。
確かめなくても分かっているその声の主を、それでも探し、ふたりは図書館の棚の向こうに立つ姿を見る。
「・・・兄貴・・・。」
「カーレル・・・。」
ふたりに同時に見つめられたカーレルは少しだけ、困ったような顔をした。
そして、わずかに笑むと、静かな足音をたてながら、近づいてくる。
立ち止まるとカーレルは、初めに妹のハロルドを見下ろし、それから、誰よりも理解を示してくれる親友の顔を見た。
「こいつが、言い出したら梃子でも動かないのは、君も知っての通りだろう。」
「カーレル・・・。」
「私から説明しようか、とも思ったのだが。」
もう1度、カーレルはハロルドを見ると、うっすらと笑って言った。
「こいつは聞きにこなかったからな。」
それを聞き、ハロルドはぷ〜っと膨れる。
聞きに行ったら、誤魔化すに決まってるじゃない、と思ったが、やってもいないで主張したところで、仕方のないことだ。
「私の方も、本人が聞きに来ないのに、わざわざ出向いてやるような義理もない。それに・・・人の口から出たものは、多少なりともその人間の考えが混じる。真実を見極めようとするなら、なんの感情もない記録だけを見るのが一番だ。」
「それはそうね。」
よく分かっているじゃない、と思ってハロルドは同意した。
それでも、この兄が、真実を語る際に、己の感情を交えて言葉を選ぶとは思えないが、そういう事にしておこう、と思った。
どんな時でも沈着冷静な男というのは、ある意味、面白みにかける。
こんなところで、そんな分類をする必要はない。
ディムロスはカーレルを見、そしてハロルドを見て、困ったような顔をした。
今や、2対1になった、己の立場を嘆いてのものではない。
「・・・困った。」
「なにが?」
「どうした?」
あまり似てないが、気だけはぴったりの双子に両方から責められ、ディムロスは苦笑する。
「・・・私の手元には、もうないんだ。」
「ない?」
「・・・ではどこに・・・。」
「リトラー司令のところだ。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・そもそも・・・リトラー司令から、頼まれていたのだ。ハロルドの目につかないように、あれを撤収しておいてくれないか、と。」
今度こそ、ハロルドは呆れた。
ディムロスにも、ずいぶんと先走った行為をしたものだと思ったが・・・まさかリトラーまでも、そんな事を気にしているとは。
忙しいはずの司令官が、暇なのだろうか。
「だから・・ふたりに頼まれても、どうする事もできない。すまん・・・。」
ディムロスに謝られ、カーレルはそうか、と言った。
そして、ハロルドを振り返る。
「どうする?リトラー司令になら・・・私から掛け合っても良いが。」
「もう・・・いいわよ。」
なんだか、妙な気分でハロルドは言った。
そこまで、カーレルの為になにかをしたいと、皆が思っているなら、させてやろうと思った。
だからと言って、この件から手を引きはしないが、なんとなく、それはそれで悪くない気分だった。
邪魔をされて、腹が立たないなど、めったにない状況だ。
そう思い、にっこりと笑うと、ディムロスは気味が悪そうにハロルドを見る。
なにか企んでいると思ったらしい。違うのに。
文句を言ってやろうかと思ったが、やめた。
それよりも、気分を入れかえるような事を言うことにする。
「ところで、兄貴、なにしてんの?こんなところで。暇なの?」
そもそも、いきなりカーレルが登場したのは、どうしてだ。
まさかとは思うが・・つけられていたのでは?と疑ってしまう。
「図書館は暇をつぶす場所ではないだろう。」
真面目くさった表情で、カーレルは答える。
「アトワイトの試験を見学させてもらおうと思っていたのだが、キャンセルになったようだからね。それで図書館で、調べものをしていたら・・・お前たちの声が聞こえてきたんだ。」
「立ち聞きしてたの〜?」
「違う。聞こえてきたんだ。」
そのふたつに、どんな違いがあるのだ、と思ってハロルドは片眉をあげ、カーレルを睨んだが、カーレルは澄まし顔だ。
まあ、いいかとハロルドは思った。
偶然の立ち聞きというのも、あるだろう。それくらいなら、自分もしょっちゅうだ。
「じゃあさ、暇なら、たまには一緒にお昼食べる?」
カーレルは、暇ではないんだが・・と前置きしてから、答えた。
「まあ、それくらいの時間はあるだろう。私もどのみち、昼食はとるからね。」
「じゃ・・・。」
行こう、と言いかけたハロルドの言葉は、他にさえぎられた。
昼食を一緒にとる約束も、それで反故になった。
バタバタと廊下を慌しく走り回る足音が響き渡り、どこかの兵が大声で、ディムロス中将とカーレル中将をお見かけしなかったか!と回りに聞きまくっている声がする。
その雰囲気に、緊急事態と察し、ディムロスとカーレルはお互いに目配せをすると、ハロルドをそこに残し、なんの挨拶もしないまま、図書館の外へと揃って飛び出していってしまった。
後には、なにか言い残したものがあるかのような雰囲気の、いきなり静かになった図書館。
「・・・さて、と。」
ハロルドは、ディムロスと会った為にそのまま、なしくずしになっていた歴史書探しを再開する。
とりあえず、ハロルドまで、会議室に行く段階ではない。
必要とあらば、向こうから呼びにくるだろう。
昼食をとる約束がなくなったため、急いでやるべき事も他にない。
そのまま、ラヴィ・ロマリスク皇国に関する文献を調べていて、しっかりハロルドは、時間を忘れていた。
我に返って、時計を見ると、すでに2時を回っている。
昼食の時間はとっくに過ぎていた。
ハロルドはう〜ん、とのびをひとつした。
あまりお腹は空いてないが、今日はこの辺にしておこう。
使っていたテーブルの上で、幾重にも重なっている本を、すばやくあった棚ごとに分類し、片付けようと立ち上がる。
本の山をひとつ戻し、次の山を手に抱え、棚に向かっていた時だった。
目の端に、こそこそと図書館の奥へと向かう、女ふたりが見えた。
ひとりは短い髪で金髪。
もうひとりは、長いパープルグレイの印象的な髪。
アトワイトだ。
アトワイトはもうひとりに腕をひかれ、ふたりは人目を避けるようにして、奥へ奥へと移動していく。
やがて、ここまでくれば誰もいないと思ったのか、アトワイトを引いていた手を離し、もうひとりが、言った。
「絶対に変よ。」
「・・レスト。なにがよ?」
「あの病人よ!」
もうひとりが言った。
声は興奮のため、うわずっている。
「なにが?」
それに対して、アトワイトの声は冷静だ。
それとも、そういう風に演出しているのだろうか。
「だってあの人、捕虜、でしょう?」
「・・・そうかもね。」
「なのに、あんな・・・軍師命令で、治療にあたるように医務局に言ってくるなんて・・・絶対に、なにか変よ。今まで、そんな事、なかったもの。」
「・・・そうかしら?」
「そうよ!」
レストと呼ばれた女性は声を張り上げる。
アトワイトが何かを知っていて、しらばくれている、と思い込んでいるような声だ。
「ねえ、なにか聞いてないの?あれ、誰なの?あの・・・。」
「黒い服って、どこの軍の制服?」
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