いかにも興奮している、レストとかいう衛生兵の質問に、アトワイトが困惑している様が感じられた。
ふたりは完全に、図書室が無人だと思い込んでいるようだ。
声を潜めているつもりなのだろうが、女の声はよく通るものだ。
棚の向こうのハロルドにまで、筒抜けになっている。
さて、どうしたものか、とハロルドは思う。
ここで自分が顔を見せれば、他でもないカーレルの話だ。
だいぶきまずい思いをして、レストのおしゃべりも止まるに違いない。
けれど、ハロルドは一瞬、考え、そのまま様子を見ることにする。
困ってるアトワイトには悪いけれど、レストの話すその内容にも興味をそそられる。
小賢しいといわば、言え。
「それに、私、聞いたの・・・。」
ハロルドに聞かれているなどと思いもしないレストは、苦しい胸のうちを告白するかのように、アトワイトに聞かせる声を、潜める。
「なにを?」
返すアトワイトの声は平静だ。
「例の・・自分でおなかを刺して運び込まれた人。」
「・・・・・。」
「うわごとで、何度も謝ってた。」
「・・・ええ。」
同じ医療班にいるのだ。それはアトワイトも知っている事実なのだろう。
「その時、言ってたの。カーレル軍師は・・・。」
「妹の身を守る代わりに、どこかの国の王女を犠牲にしたらしいって。」
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13 |
呼びにきた兵の様子から、ただならぬことだとは予想していたが、事態は思ったよりも深刻なものだった。
報告を受け、カーレルと、ディムロスは揃って眉を顰める。
「それで?」
静かな声で、兵に報告の先を促したのは、イクティノスだった。
彼は、ハロルドの試験の結果、資質がある事が認められ、ソーディアン・チーム参加がほぼ決定していた。それに伴い、階級も今現在の大佐から、少将へと引き上げられ、まもなく辞令が降りる事になっている。
そして、決定になったが故、中枢での会議には、必ず呼ばれる身になってもいた。
もっとも、イクティノス本人には、出世欲というものがほとんどなく、ソーディアンマスターの試験も、命令により仕方なく受けたという感があったため、この思いもかけなかったチーム参加と出世が、本人にとっては良いものか悪いものかは解からない。
「はい・・・。我らも決死の抵抗を試みたのですが・・・。天上軍の兵士が、数の割には手誰ばかりで・・・。私ひとりが、逃げおおせるのが精一杯でした・・・。まったくもって、お恥ずかしい限りです。本来ならこのようなところで、発言させて頂ける身でもないのですが、一刻も早く、この事態をお知らせしなければならないと思い直しました・・・。処分はいかようにも受ける所存です・・・。」
「別に、あなたのせいではありません。」
ぴしゃり、とした口調で、カーレルが言った。
すみません・・とその若い兵は、うなだれる。
気にするなと言いながらも、カーレルの口調は厳しい。
それは敗走を責めていた訳ではない。自責の念に駆られているからか、私情がからんで一向に要領を得ない報告に、業を煮やしたのだ。
敗走兵となったその心情はわかるが、今は、状況を把握する方が先だ。
「それで、ハードビー中佐はどうした?」
同じような心境を抱え、ディムロスが報告している兵に言った。
「天上側に、捕らえられたのか?」
「・・分かりません・・・。」
「では、すでに命を落としている可能性もなくはないのだな?」
「・・すみません・・・。」
「ディムロス、彼も必死でここまで辿りついたのだろう。そこまで確認する余裕など、なくて当然だ。」
ディムロスの口調には、いらだちが滲み出ている。
荒らげたりはしないが、それを兵士も感じたのだろう。うなだれていた体を、ますます小さく縮こませ、謝罪の言葉を口にしている姿を、カーレルは不憫に思った。
まだ、若い兵だ。
もしかしたら、初戦だったかもしれない。
だとしたら、さぞかし嫌だろう、とカーレルは思った。
初陣で、敗走兵になるなど。
その若い兵が、鋒鋩の体で地上軍駐屯地に駆け込んできたのは、ちょうど、カーレルとディムロスが、図書室でハロルドと対峙していた頃だった。
彼は、ハードビー率いる軍の兵で、今日は山をひとつ越えた先の施設に、新しく開発される武器の、機材を取りに向かっていた。
直接、敵地に乗り込むわけではないが、相手は空から攻撃でき、ベルクラントという巨大な兵器も持っている天上軍だ。
けっして油断をして隙をつかれたという事はない。
だが、山の中腹にさしかかったあたりで、いきなり現れた天上軍に、ハードビーの軍はあっさりと撤退させられたのだ。
どう見ても、相手の人数は少数だった。こちらの方が、倍はあっただろうか。
だが、力量が違いすぎた。
気がつけば、その若い兵はひとりだけで取り残され、仲間の安否も分からぬまま、必死で、逃げてきたという事だった。
「しかし・・・分かりませんね。」
そうは口で言っていても、別段困惑している感じもなく、イクティノスが言った。
彼は普段から、こんな感じだ。
無感情ではないが、あまりそれを表には出さない。
「敵側の意図が読めない。攻撃してくるなら、何故、ハードビー軍だけで留めてしまうのです?嫌な言い方ですが、ハードビー軍を偶然見つけたのだとしても、その近くに地上軍の基地があるのでは、と普通は疑うでしょう。ベルクラントでその一帯を無差別に攻撃してきていてもおかしくはない。」
それは、カーレルも思っていた。
実際に、正確な基地の位置が分からないにしても、ベルクラントの破壊力と攻撃範囲を考えれば、適当な標準を定めて撃っただけでも、基地そのものが一撃に巻き込まれ、跡形もなく消え去る、という事もありえる。
それは天上側は承知のはずだ。
ベルクラントの機動力であるレンズは、神の眼ひとつで足りていたし、地上軍と違って、資源の無駄使いを心配する必要もない。
ならば、当然、撃ってきてしかるべき、なのだ。
だが、未だにベルクラントが、発射されたという報告は受けてない。
「・・・つまりは、敵側の思惑は違うところに、ある。」
そう考えるべきだ。
カーレルが言うと、ディムロスが首をかしげながら、それに対して意を唱えた。
「では、なにを考えて、ハードビー軍を襲ったというのだ?まさか、ハロルドたちが捕らえられた時と同じように、ただ、捕虜が欲しかったとは思えない。」
「それはそうですが。」
カーレルも、それには同意見だ。
そもそも、前の時とは状況が違いすぎる。
今でこそ、はっきり言うが、前回敵側の狙いは、初めからハロルドひとりだったと考えて良いだろう。
バルバトスが一緒に捕らえられ、その後、寝返ったのは、向こうにしてみれば嬉しい誤算だったのだ。
だが、今回はあたりまえだが、ハロルドはハードビー軍にはいなかった。
だとしたら・・何が目的で、彼らを狙ったのか。
もちろん、天上軍は、偶然地上軍が行きかっているのを目撃し、チャンスとばかりに襲い掛かった、という可能性もないではない。だが、どことなく不自然さを感じる。
それに、そうだったとしたら、敵側が少人数だった、というのも解せない。
自軍が、人数で不利であった時に、奇襲など仕掛けるものだろうか?
そうしなればならない理由があったのならともかく。
「敵側の軍だが。」
ディムロスが言った。
とりあえず、なんらしかの手がかりが欲しいと思っての質問だった。
「相手の指揮官の顔は分かるか?知っている顔か、という意味だが。」
「分かりません・・・。」
名将と呼ばれ、誉れ高いディムロスに睨まれ、泣きそうな顔で、兵士は首を振った。
なんといっても新兵だ。
たとえ、天上の名のある将校だったとしても、彼が知らない可能性もある。
「では、特徴は?腕章などの、目立つ特色はなかったか?」
「なにも。」
兵は首を振るばかり。今にも泣き出しそうだ。
それを見て、カーレルは、もうそれくらいで、とディムロスを窘めようと思った。
あまり責めては、緊張するばかりで、思い出せるものも思い出せないだろう、と。
「ただ・・。」
兵は言った。
今思い出した、というよりも、いつ言おうかとタイミングを見計らっていたと言う感じの、はっきりした口調だった。
「天上側の兵は、全員、黒衣を纏っていました。」
アトワイトという女性は、常に微笑みと気遣いを忘れない。
医者である彼女の、その如才ない態度は、いつでも見るものを安心させる。
物腰も柔らかく、話す言葉も理知的で、いつも、どこか凛とした雰囲気を漂わせてもいる。
誰もが、アトワイトを言う。
まるで女神のように、優しい人だ、と。
だが、その実、こうと信じたら梃子でも動かず、激しく厳しい感情を持ち合わせてもいた。
昔からつきあいのあるハロルドなどは、それを目の当たりにした事が何度もある。
「ねえ、なにか知らない?アトワイト・・・。」
レストの声は不安そうだった。
何を希望として軍に参加したかは人による。
ハロルドのそれは、いわずと知れた、研究だった。
武器を開発することを臨んではいたわけではなかったが、それでも、思う存分に研究に勤しめるのは魅力だった。
それに、ハロルドにも天上に対して、思うところがないわけでもない。
遺恨というほどでもなかったが、いつまでも、人の命を盾にとり、我が物顔で振舞っている様に辟易していたし、それにはもちろん、先に軍隊入りしたカーレルの影響もないではない。
長きに渡り、ハロルドにとって、兄という存在は外の世界とハロルドの内部の世界をつなげる、ゲートの役割を果たしている。
その兄の、不条理さに喘ぐ地上に注がれる、情熱ある理想論を何度も聞かされるにつれ、自分がそれを手助けしてやろうという気になったというのもある。
レストのそれが何にあたるのか、ハロルドは知らない。
だが、それでも軍に対して、頭から信頼できるものが、あったのだろう。
今それが、崩れそうになっているのだ。
彼女の顔色は、不安と、失望とで青白かった。
「そんな事も言ってたわね。」
レストの顔色に気にもとめない口調でアトワイトが言った。
その声は、世間話をしている時のようで、なにも変わったところがない。
ある意味、衝撃的な内容だったといえるレストの言葉に、アトワイトは少しも動じていなかった。
さらにアトワイトは、言った。
「ねえ、レスト。だからって、どうしたっていうの?」
「ア、アトワイト?」
そんな風に言われると思わなかっただろうレストには、その意図が読めず、困惑している様が感じられる。それに対しても別段、慰めるでも、説明するでもなく、アトワイトは話の先を進めた。
「レストはどうして、地上軍に参加したの?」
意図するものが未だに理解はできていないようだったが、それでもレストは答えた。
「それは・・・天上軍に対して、なんらしかの抵抗をすべきだと思ったからよ。このまま、いいなりになって死ぬのが納得できなかったから。」
「私もよ。」
アトワイトは、にこりと少しだけ寂しそうに笑って言った。
「いつまでも天上に力づくで支配されるのも、罪もない人が脅しの為に、あっという間に死んでいくのを見るのも、我慢できなかった。だけど、抵抗する為といっても、始めてしまえば、それは戦争なのよ。人間同士、殺しあっていることには変わりないわ。相変わらず、地上には犠牲者が大勢いて、それは減る訳ではない。ううん、戦争を始めてからは、余計に増えているわ。でも、だからといって引き返すことはできない・・・。私たちは常に、そのジレンマと対峙させられているの。レスト、あなたは、犠牲者を最小限にとどめる方法ってなんだと思う?」
「最小限ですむ方法?なんだろう・・・。私たちみたいな医療班が、もっと人を救えること?」
アトワイトは静かに首を横に振った。
「私たちの仕事は、犠牲者を増やさない為には必要ではあるけれど、それは怪我している人に限られている。どうしたって、死んでしまった者を生き返らせることはできないわ。」
「じゃあ、なに?アトワイトはなんだと思うの?」
レストの質問に、アトワイトは簡単な言葉で答えた。
「このくだらない戦争を、さっさと終わらせること。」
アトワイトはレストに考える時間を与えるかのように、黙った。
少しの間があって、レストは答える。頭の回転は遅いわけではないらしい。
「・・そうね。そのとおりだわ。」
レストの答えに、アトワイトはやはり、少し寂しそうに微笑んだ。
別にわかってくれて嬉しかった訳ではないのだろう。
「人の命の重さに、違いはないわ。」
アトワイトは言った。
「王族でも貴族でも、それは同じ。将校でも一兵でもね。天上も地上も、この際、ないわ。でも時には、優先順位をつけなければならない時もある。」
「・・・・・・。」
「もしも、私とハロルド博士なら、間違いなく、今、優先されるのはハロルド博士の命よ。」
「・・アトワイト。」
そう言うだろうと思っていても、やはり直接言われるとショックが大きいのだろう。
レストはアトワイトの名前を呼んだまま、言葉を失ってしまった。
「ハロルド博士の思惑は・・違うところにあるでしょうけど、それはまあ、いいわ。」
アトワイトは、いざとなった時でもなにを言い出すかわからない小柄な友人の顔を思い出して、笑った。
「私は単なる医者に過ぎない。けれど、ハロルド博士は違うわ。この戦争の行く末を大きな意味で担っている。私が救えるのは、目の前にいる人・・それも一部だけだけど、彼女は違う。地上軍だけでなく、この地上に住む全ての人を救えるのよ。この戦争を終わらせる事によって。」
アトワイトは、思う。
軍の将ならいくらでも変えはきく。
彼の負う責任は大きいが、ディムロスでさえも、死んでしまったからといって、地上が滅びるわけではないのだ。
「けれど、ハロルド博士の研究には、今、この戦争の勝敗の行方がかかっているわ。彼女の頭脳が失われる事があるとしたら、地上に勝ち目はない。」
そういう意味では、前回のハロルドが捕虜になった事件は・・・とても危険な状態だったといわざるおえない。
もしかしたら、ハロルドは殺されていたかもしれないのだ。
そう考えれば、結果的にはよかったものの、あの時の自分たちも暢気に構えていたものだ、と思う。
「もしも、あの噂が本当だったとしても。」
アトワイトは改めて、レストに向き直った。
「カーレル中将は・・・確かにハロルド博士の兄ではあるけれど。だからって私情で、彼女の身を優先させたわけではないと思うわ。分かるでしょ?」
「・・うん・・・。」
カーレルが、何よりもハロルドの身を守ろうとしたならば、兄であるよりも先に、軍師としての判断だったのだろう。
ある意味、それは辛い選択であるとも言える。
逆に・・・ハロルドの研究が仕上がってしまった後ならば・・・今度は優先されるべきが、他者となる事だってあり得るのだ。
「それに、カーレル中将のことだもの。その姫君を救えなかった理由があったのか、結果的にそうなってしまったのかはわからないけど、なにもせずに見殺しにするような選択をした訳ではないと、私は思うわ。」
「うん・・・。」
レストは、一旦、言葉を切り、考えている風だった。
「そうね・・・。」
やがて、納得したというよりも、納得しようとした、と言った感じでレストは答えた。
「そうよね、カーレル中将が、そんな事。あるわけないわ・・よね。」
アトワイトはにっこりとレストに笑いかけた。
「ええ、そうよ。きっと。」
じゃあ、私は仕事に戻る、と言い、妙に晴れ晴れとした顔でレストは図書館を出て行った。
彼女には彼女の事情がある。
本当にカーレルを、しいては軍の上層部を疑っていたとかではなく、とにかく、胸のうちに渦巻く不安を、誰かに拭い去って欲しかったのだろう。
今、地上軍には、なにかが起きている。それを知ってしまったから。
だが、本来、戦争などというものは、なにもかもを白日の下に晒しても胸を張っていられるものなど、ひとつもない。時には個人の思惑が入り込み、思わぬ事態に進んでしまったりもする。それで、余計な犠牲者を増やす事もある。それを不安の種にしていては、キリがない。
だからと言って・・・何も考えずに、軍を信じきってしまうのも危険すぎる。
人間というのは、己で選択した道ですら、複雑な不安を抱えて前に進んでいくしかないのだ。
完全にレストの姿が図書館から消えた後、なぜか残っているアトワイトに向かって、ひょっこりと顔を覗かせ、ハロルドは言った。
「お疲れ〜。」
「あら、ハロルド。」
友人の顔を見るなり、にっこりとアトワイトは笑う。
別に驚いている風にも見えない。
だから、そうなのだ、とハロルドは思った。
「やっぱり、気がついてたの?」
自分がいる事を。
だからこそ、アトワイトは一緒にレストと出て行かなかったのだろう。
自分と話をする為に、わざと残っていたのだ。
「ええ、それ。」
アトワイトは言い、そこから見えるテーブルの上を指差す。
そこには、ハロルドが片付けていた本が、散らかされたままで置かれていた。
「そんな風に、交互の本の山を作るのは、あなたの読書している時のクセだもの。いるのがすぐに分かったわ。姿を見せないところを見ると、隠れて話を聞いているんだなって事も。」
「当たり〜。」
さすが、とハロルドは口にせずに思う。
こういう風に、アトワイトには自分の行動が読まれてしまうことがある。
「聞いちゃったのね・・・。」
少しきまずそうに、アトワイトが言った。
カーレルをかばってくれたというのに、アトワイトの表情は冴えない。
理由はすぐに思い当たった。アトワイトは、噂になっている部分をハロルドの耳に入れたくなかったのだ。
「大丈夫。」
ハロルドは言った。
「不穏な空気があるのは、知ってるもの。それに・・・別口から私もその件を調べていたところなの。」
「そうなの?」
少しだけ、驚いたようにアトワイトは目を大きくする。
それから、流石に勘が良いのね、とは今の立場上言いにくいらしく、何かを誤魔化すように首を傾げて、にこり、と笑った。
「それで、お願いがあるんだけど。」
調度良く話が流れていくのを、ハロルドは口笛を吹きたいような気分で歓迎した。
「その黒衣の・・・兵隊さん?兄さんが助けるようにって言ってきたっていう。会わせてくれない?」
「・・・彼に?」
アトワイトは、もう1度目を大きくした。
「う〜ん・・・。どうかしらね・・・。」
アトワイトの立場を、ハロルドは十分、理解している。
だが、自分の身の上を心配して、迷ったりは、アトワイトはしない。
状況を考えているのだろう。
「そう。・・・難しいかしら。絶対安静とか、面会謝絶とか、なの?」
そうだったら、話をできる状態ではない。
会う以前の問題になってしまう。
「面会謝絶は、捕虜だもの、当然よ。」
ハロルドの質問に、一瞬、アトワイトは笑った。
「でも・・絶対安静ではないわ。私達が助けたし、今は状態も落ち着いているし。口もきけるはずよ。ただ・・・誰が何を話しかけても、一切答えないけれど。」
「・・それは軍事に関わる事でって事?」
「いいえ。一切、なにも。暑いも寒いも、痛いも苦いも、なにも。」
「う〜ん・・・。」
今度はハロルドが唸る番だ。
彼らが、もしも“彼ら”であるのなら、死を厭わず、決して降伏しないという規則からも、敵に身を落とせば、一切の口を開かないくらいの信念を持っていても不思議ではない。
これは相当、手強そうだ、とハロルドは思った。
「その兵って・・・そもそもどうして負傷したの?どこで、うちとやりあったのかって事よ?」
「負傷したんじゃないわ。」
アトワイトは言った。
「地上軍と衝突したのが、どこでだったかまでは知らされてないわ。医療班に、負傷場所なんて必要ない情報だもの。・・・彼らは負傷したんじゃなくって、毒を飲んだのよ。」
「毒?」
「そう。捕らえられて、輸送されている飛行艇の中で。元々、口の中に忍ばせてあったみたいで、それを飲んだ・・・。敵の手に落ちるのが、死よりも耐え難い恥辱だったのね。信念は見事かもだけど・・・あまり好きではないわ、こういうの。」
「なんだか男の美学的な匂いがするものね。女の私たちには、理解しがたいところもあるわね。でも、彼らって?複数なの?」
「ええ・・。捕らえられたのは。・・助かったのは、ひとりだけよ。」
「・・・・そう・・・。」
アトワイトではないが、ハロルドもそういうのが好きではない。
捕虜に身をやつそうが、敗走兵になろうが、誰になんと言われようとも、がむしゃらに生き延びていく姿の方が、よっぽど覚悟を感じさせる。そう思うのは、やはりハロルドが女だからだろうか。
「でも、そうね。何も話さないかもだけど、それでも良いなら、会わせられるわよ?」
「え?」
ハロルドはちょっと驚いた。
「そんなこと、勝手にして良いの?アトワイト。」
「他でもないあなたが、そんな事を?」
ハロルドが口にするには、あまりにも不似合いな台詞に、アトワイトは笑った。
「一応私にも、立場というのがありますから、公に会わせられはしないけれど、少しくらいならばれないと思うわ。ただ、その前に聞いて良い?」
「どうぞ。」
「どうして、あの人に会う必要があるの?」
笑顔を一瞬で、少しだけ厳しいものに変え、アトワイトはハロルドを見る。
その目に宿るものが、さきほどのディムロスと同じ種のものだ、と感じた。
なにがなんでも先に進むというハロルドの姿勢が、果たして良い結果を招くのかどうか、見極めようとしているのだ。
ハロルドは、だから、もう1度、同じ事をアトワイトにも答えた。
「前に、聞いたことあるわよね?どこに境界線をおいて、好きかどうかを見極めるのかって。」
「・・・・・ええ。」
夜中の会話を思い出し、アトワイトは目を細める。
あの時、めずらしくハロルドの弱音を聞いた、と思った。
あれに関係あったのか、と溜息が知らぬ間に落ちる。
ハロルドにとって、良い事であって欲しかったのに。
「その時、聞かれた質問に、私は分からないって答えた。でも、そうね。もしかしたら、同じなのかもしれないわ。知りたい事を調べているとき、私は喜びを感じる。今、目的としているそれは、イコールとして、あいつに近づいていくという事だわ。アトワイトは、あの時、そんな境界線など分からないと言ったけれど・・・私は、私なりに、見極めようとしているのだと思う。自分の中にある、その感情が好意なのか、似て非なるものなのか。」
「・・そう。」
「それに、もしも、兄さんに関わっている部分があるのだとしたら、やっぱり避けては通れないわ。こういう噂があって、それが都合が悪いからといって耳を塞いで通り過ぎるのを待てるような性格では、私はないの。事実を知っていれば、次の攻撃に対して、撃ち返す術を用意する時間も手に入れられる。ふいをつかれて負けるなんて、嫌だもの。」
言葉としては正しい表現ではなかったが、思いがけずに大きな傷を負わされる事をいっているのなら、勝ち負けでも良いのかもしれない。
くると予測できるダメージ対して、いかに心を備えておくか。
色々な事をいっぺんに抱えて、ハロルドのやりきれなさも、わかるとアトワイトは思った。
「協力してくれる?アトワイト。」
「ええ、良いわよ。」
だから、ハロルドの頼みごとに、アトワイトはあっさりと承諾する。
「ホント?良かった。」
ハロルドがぱちんと手を打って、無邪気に喜ぶ様を見て、アトワイトもつられるように、にこり、と笑った。
「でも、さっきも言ったとおり、会っても本人からは何も聞き出せないかもしれないわ。それは覚悟しておいてね?」
アトワイトの念押しにハロルドは、本当に聞いているのかを疑いたくなるような、鼻歌交じりの声で答える。
「わかってますって〜。それでも良いのよvディムロスに邪魔された分、取り返せるかもしれないし。」
「え?」
アトワイトは、不思議そうにハロルドの顔を見る。
「ディムロスが邪魔って?なぜ?」
「う〜ん・・・。それがね・・・。」
アトワイトとディムロスが恋人関係にあることを考え、一瞬、ハロルドは言うべきか迷った。
だが、ディムロスはディムロス、アトワイトはアトワイトだ。どのような思惑があったとしても、その理由に自分が納得しなければ、恋人だからといって、むやみに向こうの味方をするようなアトワイトではない。
「私が今、調べていることを・・・私には知らせたくないって、思ってるみたいなの。それで・・資料を隠されちゃって・・・。」
「資料を?」
ハロルドの思った通り、アトワイトはディムロスの肩をもったりしなかった。
まるで子供ね、と呆れた後、大の男がこそこそとなにやっているのかしら、とまで言う。
「それが・・リトラー司令の指示でもあったらしくって。今、上層部は、一丸となって、私からその事実を隠そうとしているみたい。」
「リトラー司令まで・・・。」
アトワイトは世も末だわ、と言いながら天を仰いだ。
「今、そんな末端の事に気を使っている場合じゃないでしょうに。そんな暇があるなら、もっと身のある作戦でも立てて欲しいわ。作戦っていえば・・カーレル中将も反対してるの?」
「兄貴は違うみたい。」
「あら、そうなの?」
アトワイトは相槌を打ってから、それって変じゃない?と、ハロルドを見る。
「その件をハロルドが調べる事は、カーレル中将は良いって言ってるわけ?なのになんで、回りが邪魔するようなおせっかいをするのかしら。」
「うん、それが・・・。」
説明しながら、ハロルドはなんだか、自分の口調が、先生に相談でもする生徒のようになっている事に気がついた。もしくは姉を慕う妹か。
これだからアトワイトに、誰もが心を許してしまうのだわ、とハロルドは思った。
「ディムロスもリトラー司令も、私がその事を知れば・・・兄さんと私の間に亀裂が入ってしまうと思って、それを心配しているみたいなの。」
「亀裂?」
「それも・・取り返しがつかないほどの。」
「・・・・・・。」
アトワイトは黙って、ハロルドの顔を見る。
ハロルドになにかを言いたい訳ではないのは、一目瞭然だった。
それはもう、明らかに、呆れ返って何も言えない、という表情だったからだ。
アトワイトはきっぱりと言った。
「あなたたち兄妹が、取り返しがつかないほど揉めるわけないじゃないの。本当にもう、男って馬鹿じゃないのかしら。」
消毒薬の匂いには、ハロルドは慣れている。実験の時に、必要になる場合が多々あるからだ。
だからその、なんとも言えない甘いようなトゲトゲしいような匂いを嗅ぐと、なんとなく身が引き締まる。
それは、いつでも命の現場でやりとりしているアトワイトは尚更なのだろう。
医務室に入った途端、元々良い背筋をさらに伸ばし、颯爽と歩き出すその姿に、ホレボレするほどかっこいいじゃないの、とハロルドは思った。
捕虜となった男は、ベッドの並んだ医務室の、さらに奥にある、鉄の扉の向こうにいる、という。
「そこはね、捕虜の・・敵側のための、医務室なのよ。いくら病人でも、地上軍と天上軍、同じ部屋にいれておけないわ。扱いは・・やはり良いものとは言えないから、気分が悪くなるかもだけど、我慢してね?」
隔離するのは当然としても、敵だからといって、鉄格子に入れられている怪我人の姿には、納得できないものがあるらしく、気分が悪そうな顔をしたのは、むしろ、アトワイトの方だった。
鉄の扉を向こうは、薄暗く、じめっとした空気が蔓延している空間だった。
扉を開けてすぐの階段を降り、ボイラー室のさらに奥へとアトワイトの後について歩きながら、なるほど、これは病人をおいておくようなところではない、とハロルドは思った。
この澱んだ空気に紛れて、なにかの菌が漂っているかのようで、深呼吸などは絶対にしたくない、という気分にさせられる。
角を曲がると、廊下の右側に一列に配置された鉄格子が並んでいた。
幸いというべきか、手前の3つの部屋には、誰も入れられていない。先に進んで、4つ目。3面を冷たい壁に囲まれ、ベッドしかないその部屋に、目的の人物はいた。ベッドに横たわり、頭からシーツをかぶっている。
待遇はそんななのに、わざとらしく清潔であることをアピールするかのように、ベッドのシーツは真っ白だった。それに、枕元には水が入ったペットボトル。鉄格子の扉の手前に、消毒薬を浸した白いホーローのハンドウォッシュが置かれている。
「じゃあ、私は、あっちで人がこないか見張ってるわ。」
アトワイトが言った。
もしも誰かきたら、どこに隠れるのよ?と聞くと、先にある角を曲がると倉庫だ、と教えてくれた。いざとなったら、そこに身を潜ませて貰うしかないわね、と他人事のように言った後、
「その代わり、後で全部、説明してもらうわよ?」
と念を押して、去っていく。
ハロルドは、鉄格子に手をかける。
ハロルドの手では握れきれないほど太いそれは、ひんやりと冷たかった。
「起きてる?」
ハロルドが中の人物に話しかける。
反応はなかった。
ベッドの中にいるにはいるが、あまりにも動かない為、もしや人形と入れ替わっているのではないか、とさえ思わされる。
「ねえ、ちょっと、あんたに聞きたい事があるのよ。」
今度も一切の反応はない。
誰がこようと、対応しないと決めているようだ。
「耳はあるんでしょ?それとも黒鶫騎士団はレディに対する礼儀も弁えてないっての?」
しばらくそのまま間があった。
やがて、のそのそと男がベッドの上に身を起こす。
シーツをかぶったまま、こちらを睨む姿は、子供の学芸会でやるお化けのようだ。
「・・・・・・ああ、あんたか。」
男はハロルドの姿を確認し、それが誰だか理解するだけの時間を費やした後、ようやく口を開いた。
「始めまして。」
ハロルドは言った。
一応、握手の為の手を差し入れたりしたが、相手は冷めた目でそれを見ただけで、当然、握り返したりはしなかった。
「・・・あんたに会うのは、これで2度目だ。」
「あら、失礼。」
ハロルドは差し入れていた手を引っ込める。
「どこでお会いしたかしら?私が捕らえられた時?それとも、天上から戻る時かしら?」
「捕らえに行った時だ。」
「ああ、そう・・・。」
だが、ハロルドはこの男に、見覚えがない。
あの時はきっと、バルバトスを担当していたのだろう。
「聞きたいことってのはなんだ?」
男が言った。
さっさと会話を終わらせて、向こうに行って貰おうというのがありありな態度だ。
それを見て、舐められたのかと少しだけ腹をたてた後、冷たくハロルドは宣言した。
「私をあしらえるなんて、思わないでね。」
はったりではなく、事実だ。
適当な嘘で誤魔化そうとしても、見破れないような頭脳はしてない。
「そんな無駄なことはしない。」
短く男は答えた。
「あんたに、そんなのが通じるわけもない。あんたが誰だか、俺だって知っている。」
「そう。」
その答えに満足し、ハロルドは少しだけ、にこりと笑った。
自分が正当に評価されてた事へと笑みではなく、それを相手が理解しているなら、無駄な話をしなくてもすむからだ。
「じゃあ、答えて。」
「カーレル・ベルセリオスが、フェザーガルドを殺したの?」
「いや、違う。」
首を振りながら、きっぱりと男は答えた。
そして、ハロルドの顔を見る。
そこになんの複雑な表情も現れてない事を見て取ると、続きを口にする。
ハロルドに答える、というよりも、自ら、その事実を確認しているようだった。
「皆、死んだ。フェザーガルドだけじゃない。」
「・・・皆?」
「それに、カーレルがやったんじゃない。・・・やつのせいでもないさ。まったく責任がなかったとは言わないが。」
そして、ハロルドを見据えるようにして、男は黙った。
「私にも責任の一部があると聞いたけど?」
ハロルドが言うと、男は逆にたずねてきた。
「誰にだ?」
「・・それは・・・。」
「くだらん。」
面倒臭そうに言い捨て、男はひとつ、手を振った。否定のジェスチャーかもしれない。
「事実を知りもしない人間に、責任もなにもないだろう。それとも、あんた・・・。俺たちの事も、フェザーガルドの事も知っているようだが、ラヴィ・ロマリスクがどうなったのかまで、知ってるのか?」
「いいえ。」
「じゃあ、そういう事だ。」
そして、男はぷつりと言葉を切る。
その簡素な答えを最後に、会話を終わらせるつもりかもしれない、とハロルドは思った。
「・・・兄の事を、恨んでる?」
「だから、誰が言ったんだ、それは。」
本当に面倒臭いという態度で男は答えた。
「俺たちは誰も憎まないし、誰も恨まない。そういう感情を持つことは全て、戒律で禁止されている。」
「戒律?」
「復讐は、罪悪だ。」
「・・・・・。」
なにかおかしい。
ハロルドは疑問に思った。
ならば、なぜ、黒鶫騎士団は、天上軍に組しているのだろうか。
“僕は天上軍を裏切らない”
あの時、確かにそう言った。
地上軍に恨みがあって、寝返らないという意味ではないのだとしたら、天上軍に忠誠を誓う理由は、なんだ?
「・・ラヴィ・ロマリスクは・・・。」
ハロルドは言った。
「どうなってしまったの?」
「それは言えん。」
男は即答した。
「どうして?」
「血約の誓いをたてている。」
「・・・血約の誓いって、なに?」
「忠誠の証だ。」
男は言った。
「リ・ヴォンには、忠誠を誓うに値するたったひとりの人間が現れた時、生涯に渡り決して裏切らないと、契約する習わしがある。血を流す場面がきても、我が血を分け与え、決して見捨てることも、逆らうこともしない。俺は血約の誓いをたてた相手と約束している。」
「なにを?」
「今のラヴィ・ロマリスクの事を、けっして口に出さないと。」
宗教というのは、どうしてこうやっかいなのだ、とハロルドは舌打ちをした。
相手が己に課したものを、覆させることは難しい。それが信仰のような精神を支配するものであるなら、尚更だ。
この男の口を割らせることは、できない。
ハロルドは、瞬時にそう判断した。
ここまできたというのに、またも振り出しに戻るのか。
男は黙って、ハロルドの姿をじっと見ていた。
思惑が外れてしまった苛立ちも手伝って、値踏みをされているような視線に、ハロルドは機嫌を悪くする。
「なによ?私になんか文句でも?」
実は、折角捕らえたのに、逃げられたから怒っている、などという見当違いな事を言い出さないだろうな、と一瞬、ハロルドは構えた。
「・・・いや。失礼した。」
自分が相手の気分を害した事に気がつき、男は素直に詫びの言葉を口にする。
「・・あいつが・・・・。」
「え?なに?」
「いや、なんでもない。」
ハロルドは膨れる。
言いかけられて、言葉を切られるのは大っ嫌いだ。
そういうと、男は、初めて少しだけ笑って、先まで言いなおした。
「あいつが言ってたんだ。」
「・・・?」
「あんたの事を、結構、好い女だ、と。」
そして男は、うっすらと口元に笑みを浮かべる。
「あいつが、そんなことをいうとは意外だった。少しは人間らしいところもあるのか、とな。」
「あいつって・・・。」
ハロルドは言った。
「ミゲル?」
「ミゲル、は!ミゲルね!」
男は声をあげて、笑った。
それが、嘲りのように聞こえるのは何故だろう。
「そう、ミゲルが、だ。」
男はそう言い、それから顔をあげて、ハロルドを見た。
口元に再び笑みを浮かべ、意外な事を口にする、
「・・今のラヴィ・ロマリスクに関しては、口に出せないが。」
「なによ?昔話でもする気?」
「・・・ラヴィ・ロマリスクは、アントレラ火山の麓にある。」
「・・・・・。」
「スペランツァの南東に位置する森と、火山の岩肌に挟まれてはいるが、近くに恵みの大河も流れ、豊かで、美しい国だ。」
「・・そうなの。」
ハロルドは、理想郷と呼ばれたラビィ・ロマリスクに、やたらと現実離れした印象しか持っていない。正確な位置を聞いても、本当にあったのか、という感想しか思い浮かばず、実感が湧かなかった。
「知りたければ、行くが良い。」
男は言った。
そして、ハロルドの返事もまたず、再び、ベッドの中に潜り込んだ。
もう、これで全てだ、という意味のその行動に、ハロルドは、まだ聞きたかったことの半分も聞いていないことに気がついた。
だが、手がかりは掴んだ。
ハロルドは、冷たい鉄格子の向こうに、小さく、
「ありがと・・。」
と礼を言った。
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