17
控えの間の最奥に、一組の机と椅子がある。
この椅子は布張りで、背もたれには金糸で細かい刺繍が施されている。この部屋の中で、鮮やかな色彩を放っているその椅子だけだ。
その椅子の座すのはしかし、かならず黒い衣服の者、と決められている。
ただでさえ、そっけない室内は、そこに座る者あらば、再び色のあるものは隠れてしまい、元の黒い色ばかりになってしまう。
奥まで一直線へと向うと、ミゲルはどっかりとその椅子に、体を投げ出すように座った。
凭れかかった姿勢で、更に腕を組んだまま、目を閉じている。
軽く溜息までついているその姿に、ラルフィルドは机の向こうから声をかけた。
「なにか問題でもあったのですか・・・?」
先ほどまで、ひとり残されていた総長の身になにか起こったのか、とラルフィルドは不安顔になる。
この指揮官は普段から機嫌の良い表情というのを見せない。
それでも長くつきあいがあると、良いか悪いか位は雰囲気で読めるものだ。
今は特別、機嫌が悪そうでもないが、けっして良いともいえない。
あえて言うならば疲れてみえる。なにか考えたくないほど、面倒臭いことでもあったのだろうか。
「いや・・・。」
否定の言葉を口にしかけて、ミゲルは目を開けた。
ラルフィルドの顔を見ると、彼も関係者なのを思い出し、説明する必要がある、と思い直す。
「大司教たちの要望を聞かされていた。」
「なにがです?」
「婚礼の儀を、さっさとすませろ、とな。」
ミゲルは苦笑し、義兄になる男の顔を見る。
「・・・それは・・・。」
「めでたい事だな。」
もっさりとラルフィルドの横に黙って立っていたヴァレリーが口を開く。
総長のご機嫌伺いをするつもりは毛頭ない彼にとって、その場はいてもいなくても良かったのだが、とりあえず、ラルフィルドに付き添っていた、という感じだ。
「それで、そのぶっちょう面もないだろう。少しくらい嬉しそうな顔をしたらどうだ?」
「嬉しい?」
わずかにも表情を変えることなく、ミゲルは言う
「そうしろ、というならそうするが。」
「まるで他人事だな。」
「昔から決められていた事だ。今さら、何も思うところはないというだけだ。」
「おいおい。」
花嫁の兄がいる事になどおかまいなしの態度に、ヴァレリーでさえ呆れる。
「いきなり教皇の名代になれ、それにはそれ相当のふさわしい立ち場の者になれ。回りを囲まれてやいのやいのと騒がれてみろ、こちらが望んだ事でもないのに、うるさくってかなわん。いっその事、全員の口を塞いでしまえば静かになるものを・・・。」
「・・・ご冗談を・・。」
口を塞ぐ、の意味が分かり、ラルフィルドが青くなる。
「口が過ぎます。誤解を招くような言葉は慎んだ方が宜しいかと。」
ミゲルの口元が弓の形に釣り上がる。めずらしく、くすり、と声が漏れた。
「心得よう。」
「だが、確かに急な話ではあるな。」
「気になるか?」
ヴァレリーが不精にしている顎髭を摩りながら言うと、ミゲルは面白そうに部下を見あげた。
「ああ。」
「おおかた、グランバル司教あたりの差し金だろうがな。」
「同感だな。」
「ええ。」
ミゲルとヴァレリーの会話にラルフィルドも頷く。
「そもそも、お前を・・・。」
「ヴァレリー。」
ラルフィルドに窘められて、ヴァレリーは言葉を正す。
「・・・・ビショップを担ぎ出して他国の支持を仰ぐのが目的なら・・・一刻も早く現教皇には退いて貰いたいって本音があるはずだ。だが、まあ、教皇は引退なさるにはまだお若い。だったらせめて、今のうちからビショップの立場をしっかりしたものにしておきたいんだろう。長い間、次の統治者として確立されていたなら、その地位にいなくても、他国に対して影響力も出てくる。」
「そうだな。」
「それに、他者の反対の声があるならいざ知らず・・・フェザーガルドはお前にぞっこんだし、それに対しては回りも望むところなんだろう?それで拍車がかかってるってのもあるだろうしな。」
「迷惑な話だな。」
それを聞き、ヴァレリーの眉が少しだけ釣りあがった。
「・・・なにが迷惑なんだ?」
「・・・周囲に、勝手な期待を押し付けられるのが、だ。」
ラルフィルドの手前、自分で言っておきながら、真意を尋ねるヴァレリーをうっとうしそうにミゲルは交わす。
そのラルフィルドは何も気にした様子はなく、別の事に心を捕らわれているようだった。
「司教は昔のようなラヴィ・ロマリスクの再建をお望みだそうだが・・・。」
「らしいな。」
「しかし・・・それにしても、少し計画に穴があるのでは?ビショップを担ぎ出し他国の支持を集められたとしても・・・この戦争だ。果たして、そう上手くいくか?」
「お前は、地上は負けると思うか?」
ミゲルに言われ、ラルフィルドは詰まる。
情勢はどうみても、地上が不利だ。
「・・・・・わかりません。」
複雑な表情を浮かべたラルフィルドの顔を見て、ミゲルが人の悪い笑みを浮かべる。
信仰の為だけに生きているラヴィ・ロマリスクとはいえ、志は地上軍に近い。
天上の横暴は目に余るものがあるし、なによりも崇める女神の人類平等の精神に悖る。
だから感情的には、地上に肩入れしたくなるのも道理だ。
「天地の勝敗に関しては、司教の方が気にしてるだろう。」
「と、言いますと?」
「お前の言うとおり、この計画には穴がある。地上が勝てば良いが・・・。天上が勝った場合、地上にいる我々には明日の保障はない。あのたぬき親父が、その時は地上と運命を共にする、などと言うとも思えん。」
「つまりはなんらしかの・・・。」
「手を講じている、と考えるべきだろうな。」
「・・・面倒臭いな。」
ヴァレリーは言い、うっとうしそうに髪をかきあげた。
「こういう目論みは、胸糞悪い。」
ラルフィルドがそんな友人の態度に、くすりと笑う。
「単純なヤツは皆、同じ事をいう。」
「うるせぇよ。」
「しかしここで気を揉んでいても仕方がない。」
ラルフィルドとヴァレリーのやりとりを聞き流し、ミゲルが言う。
「そうですね・・・。もう少し、状況が読めませんと・・・。」
「司教が何を企んでいるのか知らないが。」
思案顔のラルフィルドに、分からない事をあれこれ論じていても始まらないとヴァレリーが言う。
「そのうち、向こうからしっぽを出すんじゃないか?あの司教が黙ったままでいられるとは思えん。」
グランバル司教には、思っていることを胸のうちにしまっておけない、という困った癖がある。その為に、影で画策しようにも、こうやって綻びが出てしまう訳ではあるのだが。
「企んでいる、というのはまた穏やかじゃないな。」
苦笑してラルフィルドが言った。
「どちらにしても司教はラヴィ・ロマリスクの良いようになさろうというのだろう?」
「そりゃ・・そうだろうが・・・。」
「お前が胸糞悪いと思っているのは、そういう画策が気に入らないってだけの事か?それとも、ビショップを心配してのことか?」
「どっちもだ。総長が何者かに操られることあらば、黒鶫騎士団も操られるという事だ。」
昔からヴァレリーがミゲルを嫌っているのは知っている。
だが、その胸のうちには友人を心配する気持ちがあるのではないか、というラルフィルドのからかいだったが、ヴァレリーはその手にのるものか、と言い返す。
「ビショップが司教ごときの言いなりになるものか。」
自分でふっておきながら、返ってきた返答にむっとしてラルフィルドも言い返す。
「さあな、それはわからん。」
「失言だぞ、ヴァレリー!訂正しろ・・・。」
「うるさい。いいかげんにしろ。」
本人を前にして好き勝手を言い始めるのに、うんざりしてミゲルは言った。
「司教がなにを考えているかなど、知ったことか。向こうが利用しようとしまいと、それがこちらに有利であれば、せいぜい協力するだけだ。余計なおしゃべりをいつまでもしてないで、散れ!」
「へいへい。」
「・・・失礼しました。」
ヴァレリーの第三団隊は、街中の治安を守る為の見回りの任務を、副総長を務めるラルフィルドが率いる第一団隊は神殿内の護衛の任務を、それぞれ今週の当番として与えられている。
ふたりは挨拶にミゲルに対して頭を垂れると、言われた通り、それぞれの仕事へと戻っていった。
数日のうちに真っ赤に色づき始めた葉の下、神殿内でもっとも美しいと言われている中庭で、ラルフィルドは本を読んでいた。
確かな剣の腕を持ちながら、こういう静かな趣味がラルフィルドにはある。
読書は昔から好きだった。忙しい身である筈なのに、総長であるミゲルの読破する本の数には及びもしないが、読書は数をこなせば良いと思う方ではないし、好きなものだけをゆっくりと堪能するのも悪くない。こうして秋の空の下、わずかな楽しみに興じていれば、心を安らげる良い効果も得られる。
「ラルフィルド様!」
静かな時間の終わりを告げるかのように、鋭い声に呼ばれ、本から顔をあげたラルフィルドは相手を確認する。
中庭を挟んだ向こうから、イーラという若くはない女官が眉を吊り上げ、口元をきつく結んだままやってくるのが見えた。
「・・・どうした?」
見るからに怒っているその様子に、ラルフィルドは知らぬうちに逃げ腰になる。
イーラは自分と妹、フェザーガルドの乳母だ。
巷で文武両党で眉目秀麗、と謳われる流石のラルフィルドも、彼女には頭が上がらない。
怖いもののひとつやふたつ、騎士でも持っている。
「ビショップがどちらかご存知ありません?」
「・・・ビショップ?」
怒りの原因がどうやら自分ではないと分かり、一瞬ほっとしたものの、ラルフィルドは新たな不安を抱える。
「・・・ビショップは公務で、謁見の間の教皇の護衛についておられるが・・・。」
「それはいつからです?」
きっ、とラルフィルドを見据え、イーラが言った。
「いつから?」
「何時間前からですか?という意味です!」
「・・・昼の休憩時間の後からだから・・・半時前だと思うが。」
騎士の休憩時間は交代制だ。今は、ラルフィルドの休憩時間だった。
「では、その前はどちらに?」
「詰め所にいらしたが・・・。」
「やっぱり!!」
イーラの怒りの原因がそこにあるらしい。
「どうした?ビショップの休憩時間になにか問題でも?」
そんなことは皆目検討もつかない、と首を傾げ、ラルフィルドは聞く。
「問題もなにも・・・。」
イーラはおおげさに溜息をつく、という演出をし、ラルフィルドに事の重大さを分かって貰おうとする。
「姫様とビショップの婚礼の儀が近く行なわれることは、もちろん、ラルフィルド様もご存知ですわね?」
「・・・ああ・・。むろんだ。」
幼い頃から自ら預かってきた聖皇女のことを、イーラは「姫」と呼ぶ。
「それに対して、どれほど姫様がお喜びになった事か。」
「・・・・・・。」
やはり、そのことか、と今度はラルフィルドが溜息をつく。
「本日、式の為に誂えた衣装をビショップにも見ていただきたいと、姫様が直々にお願いにあがってましたの。」
「そうか。」
「なのに、待てど暮らせどお姿を現わさず・・・。姫様を何時間待たせるおつもりなんでしょう!」
いらいらとした口調に、ラルフィルドは眉を寄せる。
絶対的に自分は正しい、といわんばかりのイーラはそんなラルフィルドの表情にも気がつかない。
「イーラ。」
「なんでございますか?」
「間違っているのは、おまえだ。」
「・・・は?」
「フェザーガルドを甘やかすな。そのようなことで、ビショップの手を煩わせるな、と伝えろ。」
「ラ・・ラルフィルド様?」
イーラの方は自分が叱咤されるとは思ってもいなかったようで、明らかに狼狽している。
ラルフィルドは複雑な心境のまま、イーラを見る。
このイーラには、フェザーガルドのことを大事にするあまり、昔からそれ以外の事が目に入らなくなる傾向があった。
フェザーガルドを第一、と考えるイーラの意見は、すべてフェザーガルドの都合が中心のものばかりだ。そしてそれを当然のことだと思っている。聖皇女というものがなににも増して重要なのは、確かにリ・ヴォンの決まりごとではある。その事実も後押しして、不満を隠そうともせず、自分の正当性を他に押し付けようとしている。ラルフィルドにはそう見える。
それがフェザーガルドの事を思ってのことだから、兄のラルフィルドにも強く否定はできない。
だが、こればかりは仕方がない事だ。人の気持ちは・・・こちらの思惑通りにはならない。
それをこの乳母に分かれ、というのは酷だろうか。
「ビショップがお忙しい身なのは、お前もフェザーガルドも承知しているだろう。些細な事で、公務に支障をきたそうとするんじゃない。」
強い口調で言われ、イーラはうろたえたまま、言い訳めいた事を口にした。
「支障などと・・・休憩時間を利用して来ていただければ良い事だ、と私は・・・。」
「勝手を言うな。ビショップなら一日中、暇なく働くのが当然だとでも言うのか?」
「でも・・これは公務とは違います。ビショップにとっても婚礼は大事な・・・。」
「違わない。」
有無を言わせぬほど強く遮られ、イーラは息を飲む。
「フェザーガルドとの婚礼も、ビショップにとっては公務のうちのひとつに過ぎない。・・・知らない訳ではあるまい?」
フェザーガルドと違い、ミゲルが、フェザーガルドを親に決められた許婚・・・所詮、自分で選んだ花嫁ではない、と昔から割り切っていたのは百も承知だ。嫌ってはいないだろうが、好いてもいない。それは今に始まったことでもない。
可哀想だが・・・結婚したとしても、フェザーガルドの片恋なのだ。
「ええ・・・。」
イーラは悔しそうに唇を噛む。
「ええ、ええ!分かっておりますとも!ラルフィルド様のおっしゃるとおり、ビショップはこの婚礼に別段、思い入れがある訳ではございませんもの。ビショップが欲しいのは高い位、それだけなのでしょう。あの方にとって、姫様自身など教皇の玉座としての価値しかないのですわ。」
「そういう意味じゃない。」
イーラは教皇の名代にさせられた時のミゲルの不機嫌を知らない。だからこういう事を言うのだ、とラルフィルドは苦笑する。
ミゲルにとって、婚礼すら公務、ただそれだけなのだ。いずれ教皇の座に就くことさえも。与えられた役割だから、そう割り切っているだけのこと。
あの総長がなにかに対して欲を見せることなど、考えられない。
「昔から・・そうでしたもの・・・あの方は。ラルフィルド様もお忘れではないでしょう?」
心からフェザーガルドの事を思うと胸が痛むのか、イーラの声は鎮痛さが増している。
それに絆された自分を、甘いと思いつつ、ラルフィルドは口調を幾分、柔らかいものにする。
「確かに。昔はな。」
もう長い間、思い出しもしなかった事を、と今更な気分でラルフィルドは苦笑する。
そう、確かあの頃は・・・。
まだ、ミゲルはただの生意気な子供だった。聖皇女の伴侶として選ばれ、他の子供と違う扱いをされた、ただそれだけの事が、幼い自尊心をくすぐった事もあったのだ。あの冷徹な総長にも。
だが、それは・・・。
「もう、昔の事だ。」
ラルフィルドは言う。
そして・・・声を落とした。
「あれ以来、ビショップは変わってしまった・・・。」
幼い子供時代を終え、今の感情に乏しい人間へ。
それを成長というなら、なんと皮肉なことか。
今のミゲルは、昔のミゲルとはまるで別人のようだ。
「ええ、それはお気の毒なことだとは思いますけど・・・。」
イーラにとっては、そんな事は些細なことなのだろう。感情が込められていない口調でそれが分かる。彼女の大事は、フェザーガルドの事だけなのだ。
「あんなにお慕いなさっておいでなのに、報われないなんて・・・。可哀想な・・・姫様。」
「だが、母ほどではない。」
ラルフィルドが言うと、イーラははっとして顔をあげた。
もはや、ラルフィルドは笑っていなかった。
だが逆に、無表情の中、諦めたなにかが潜んでいる。
「母は・・・。父の・・現教皇との結婚など望んでいなかったからな・・・。」
前聖皇女、ラルフィルドとフェザーガルドの母は、昔、悲恋に泣いた。
それは誰もが、口にせずとも知っていることだ。リ・ヴォン信者ではあっても、高い位にいなかった為に、その好きな相手とは添い遂げられず、決められた許婚との結婚を承諾しなければならなかったのは、もちろん、聖皇女という立場だったからだ。
花よ蝶よ、と育てられても、政治的な思惑には抵抗できる術はない。
母はふたりを産み、聖皇女の座をフェザーガルドに譲った後、ひとりこの地を離れ、今は、他国にあるリ・ヴォン教の神殿で、大司教という仕事についている。
今は、こちらから会いに行かなければ、けっして会うことはできない。
母はきっと、死ぬまでラヴィ・ロマリスクには戻る気はないのだ。
「それに比べたら、フェザーガルドは幸運だろう・・・。片恋でも、思い人と添い遂げられるのだからな。」
「ラルフィルド様・・・。」
取り乱して申し訳ありません、といらぬ事を思い出させた事への侘びのつもりか、イーラは頭を下げた。
それに対して、軽く微笑むと、
「しまった。休憩時間は終わりだ。」
仕事を思い出し、ラルフィルドは、先ほどまで読んでいた本に、赤く色づいた葉を栞代わりに差し入れて、閉じた。
そして、今だ不満顔のイーラに仕事へ戻る事を告げた、その時。
「ああ、こんなところにおいでとは!」
ラルフィルド率いる第一団隊の騎士が、足早にやってくるのが見える。
「どうした?何事だ?」
その騎士は、午前中、総長と公務を共にしていた者だ。
なにかあったのか、と聞くラルフィルドに、その騎士は違います、と手を振った。
「団長に用ではありません。イーラ様にです。」
「わたくし、ですか?」
きょとん、と目じりに皺の浮いた瞳を丸くし、その若い騎士をイーラは見上げる。
「はい・・・。実はビショップからことづけを預かっておりまして。ずっとお探ししていたのです。総長は、リム国へ行く準備の為のご用事があるとかで、今日一日、大司教様がすぐに呼び出せるところで待機しているように申しつけられてしまった、と。それで、詰め所から離れる事ができなくなってしまったので、申し訳ないが、聖皇女様とのお約束は明日にして欲しい、との事です。」
「・・・まあ・・・。」
「それから・・・伸びてしまって残念だが、明日は楽しみにしている、とフェザーガルド様にもお伝えしてくれるように、との事です。」
「まあ、まあ。」
「では、私はこれで。ちゃんとお伝えしましたからね。」
騎士はそれで荷を降ろせた、と足早に去っていく。
厳禁なもので、イーラの顔はさっきの不満顔を一変させ、嬉しそうに笑みを浮かべている。
「そうだったのですか。それならそうと早く言ってくだされば・・・。てっきり黙って齟齬にされたものだとばかり・・・。いけませんわね、早合点は。姫様にも早速お伝えしませんと。では、ラルフィルド様、私はこれで。」
そうして、いそいそと去っていく姿を見ながら、ラルフィルドは苦笑を漏らす。
そして、あの総長が、お世辞のひとつも言うなどと考えられず、思いがけずに妹に気遣いを見せてくれた事に対して、自分自身も、嬉しく思った。
それはイーラとて同じ事。
なにに対しても冷静で、時にはそれが冷酷とさえ思えるビショップだが、実は案外と率いている騎士達には慕われている。
飴とムチ、ではないが・・・。気遣いと非情さの危うい均衡を持ちあわせていることこそ、あの総長が人を惹きつける理由なのではないか、と。
そんな事を、思った。
ラヴィ・ロマリスクは信仰の国だった。
そういう意味では俗世間とはかけ離れた国でもあった。
街に住むのは全てがリ・ヴォン信者であり、国を統治するのは司教たち。
天上と地上の戦争の真っ只中にあっても、その姿勢を保ち、永遠に神に捧げた国であることは変わらぬ。
それは信仰と同時に息づく、人々の生きた祈りでもあった。
誰もが、その危うい日常に平和を願い、目を晒すことで、不安を回避しようとしていたのだ。
それを知る事が、くる事も知らずに。
それは、その日の朝の会議で齎された。
まさにそれは、国家の一大事、最大の凶報であった。
全員が揃い、1番初めに口にするのは神への感謝の言葉から決まっているにも関わらず、教皇は入るなり、白いひげを蓄えた口元を震わし、座りもせずに言った。
その顔は青ざめ、いつもの威厳は微塵もなかった。
「ミクトランから、このラヴィ・ロマリスクへ、使いの者をダイクロフトへ寄越すようにという通達があった・・・・。」
天上王ミクトランを知らぬ者は、もはやこの世にひとりもいない。
自らを万物の王と名乗り、自分以外の全ての生きとし生ける者の命を軽んじる独裁者。
天高く聳える機械城に住み、地上から生まれた身でありながら、地上に住む人々を見下ろして暮らしている。
かの者の取り付かれた狂気により、今や、地上は恐怖で支配されていた。
そのミクトランから、機嫌伺いに来い、という命令があったという。
忠義の意志を、こちらに示せ、と。
「なんという無礼な・・・。」
大司教のひとりが、他国に対する礼儀を弁えてもおらんと、怒りをあらわにしたが、所詮それまでの事だった。
事の重大さは、子供ですら分かることだ。
断るならば、ラヴィ・ロマリスクは天上の兵器、ベルクラントの脅威に晒されることになる。
受けなければならない事は明白だ。
「ですが、教皇。このまま素直に言いなりになって、良いのでしょうか。」
あのミクトランの事だ。何かを企んでいるのは、間違いない。
比較的若い司教のひとりが、おずおずと発言する。
自分が他の司教をさしおいて発言する事に、抵抗を感じつつも黙って入られないという感じだった。
そのすぐ隣の大司教が、大きく同意する。
「うむ・・・。それに他国への配慮も、な。」
ラヴィ・ロマリスクは、その性質上、中立国という立場を取っている。
かつては兵を差し向けたりもしたが、すべてはリ・ヴォンを信仰する者の為だった。
リ・ヴォン教そのものは、昔ほどの勢力を失いつつあるものの、今でも多くの信者が他国にはいる。それ故、おいそれと国同士のいざこざにくちばしを挟むことは後々、遺恨を残す事にも成りかねず、幅広い地域での活動を望むならば、それは懸命とはいえないからだ。
今、地上はまったく国同士の争いはしていなかった。天上が全ての敵と化したからだ。頭の上に巨大な敵を抱えているというのに、国としての利益を他国と争っている場合ではない。
だが、ラヴィ・ロマリスクが、天上との交流を持つ事になれば、たちまち、リ・ヴォン教そのものが、地上の全ての国の敵と見做される危険性がある。
教皇は深く頭を垂れ、目の回りは落ち窪んで黒ずみ、憔悴しきった表情は今だ冴えない。
会議の場は、いまだ、誰ひとりとして言葉を発せず、皆がどうしたものかと顔を見合わせ、うろたえていた。
「いかが・・なさいます。」
恐る恐るという体で、司教のひとりが口を開く。
その場を見渡しても、誰ひとりとして答える者はいない。
誰もが、躊躇っていたのだ。
「ミクトランめ!なにが忠誠の証だ!」
詰め所の壁を忌々しそうに殴り、ラルフィルドが吐き捨てた。
今や、ミクトランからの命令は、国中で知れることとなり、皆、不安を抱え、怯えている。
騎士の詰め所内にも重々しい空気が流れ、時にはラルフィルドのようにミクトランへの怒りを口にする者もあるものの、それも長くは続かず、深い沈黙の中に戻ってしまう。
「まあ、落ち着け。」
自分が宥める役目になるのはめずらしいと思いつつ、ヴァレリーが友人に声をかける。
「ここで我々が心配していても始まらん。まずはビショップが持ち帰ってくる会議の決定を聞いてからだ。」
彼らの総長は、その件について朝から会議の席に呼び出されていた。
「そんな悠長なことを・・・!」
こういう時ばかり、妙な冷静さで対処してくる友人の態度が癇にさわり、ラルフィルドはヴァレリーを睨む。
「もしも司教たちがミクトランの命に従うのもやむなし、という決定を下してみろ!ラヴィ・ロマリスクは天上軍の属国に成り下がるのだぞ?この国が!悔しくないのか!?お前は!」
「だから、落ち着けって。お前らしくもない。」
勘弁してくれよ、というポーズにヴァレリーは諸手を挙げる。
「だからと言って、断れば・・・。ベルクラントの餌食になるのか?アレの威力は・・・痛いほど分かっているだろう、我々でも。」
「それはそうだが・・・!」
「確かに属国になるのは嫌だがな。だが・・・アレを食らうのはもうまっぴらだ。」
かつて、べルクランとの脅威を目の当たりしたという過去がラヴィ・ロマリスクにはあった。
地上軍への脅しの為に発射された破壊力は、山ひとつを挟んだ向こう側の領土内へと落とされたのだ。
街は直撃を免れはしたものの、多数の犠牲者が出た。
その辺りに住んでいた住民、そしてその付近で、ベルクラントに壊滅され国を失った難民の救助にあたっていた騎士団の第五隊が、全滅させられている。
なんとか生き残り、街まで戻ってきた者は・・・ほんのわずかだった。
「あの時の痛手は大きかった。沢山の犠牲者を出し、街はベルクラントの脅威に怯え、それこそ、街そのものが死んだようだった。」
息するのすらも、凶事を引き寄せそうで怖い・・・。町娘が泣きながら、一晩中神殿で祈りを捧げていた姿が思い出される。
あの娘の傷はその後、きちんと癒えたのだろうか。
「我々は神の守護の下、永遠を約束されていると思い込んでいたが・・・それは、わずかな人間の気まぐれだけで、引き裂かれてしまうくらいのものなのだ、とあの時ほど思い知ったことはなかった。・・・俺でもな。」
「・・・・・。」
「あの時の傷は、やっとのことで癒えたところだ。あの嘆きを繰り返す事は、絶対に避けねばならない。」
「・・・俺も、無論同じ気持ちだ。」
ラルフィルドの言葉にも痛みが篭っている。
あの時のラルフィルドの心労は計り知れなかった、とその顔を見ながら、ヴァレリーは思った。
傷は、自分よりもむしろ、ラルフィルドの方が深かっただろう。
当時、自分自身にはなにも被害がでなかったヴァレリーに比べ、憔悴していくラルフィルドを間近で見ていて、そのあまりの痛々しさに、何も出来ない我が身の無力さに歯噛みをする思いだった。
あの時のあの苦痛は・・・。
思い出したくもない。
フェザーガルド・・・・・・そして。
「ミゲル。」
「ビショップ!」
木製のドアが左右に開き、そこから美貌の総長が顔を覗かせると、騎士たちはいっせいに立ち上がる。
敬礼をする為でもあるが、今は違う。
今か今かと、これからの行く末を案じていた騎士たちは、総長の持ってきた結果を、身を乗り出すようにして、知りたがっている。
それを知っているのであろう。
総長であるミゲルは、回りの兵の敬礼を制するように片手を挙げた。
それどころではないので、略せ、というサインだった。
そのままつかつかと奥へとやってくる足音はいつもよりも、少し乱暴なものだった。
そしてミゲルは無言のまま、総長の椅子へと身を投げ出す。
どさり、というその音そのものが、穏やかでない心境を表しているかのようだ。
「ビショップ!会議の結果は・・・!?」
勢いこんで机の反対側から身を乗り出すラルフィルドを一瞥した後、ミゲルは一言、そこらへんの床に投げ捨てるかのように、短く言葉を放った。
「・・・我らが行く事になった。」
「・・・まさか・・・。」
「天上にか!?」
驚き、ヴァレリーも身を乗り出す。
ミゲルは無言のまま、答えない。その代わりにふたりの顔を見据えてくる。
それで、それが、その通りだという意味だと分かった。
「このラヴィ・ロマリスクが、天上軍に下る・・・と?」
静かな口調ながらも、そこに怒りを感じ取って、ミゲルはラルフィルドの顔を見る。
唇を噛み、屈辱に身を震わせている姿に、早合点するな、と窘めた後、
「・・・・ラヴィ・ロマリスクは天上軍に下るつもりはない。」
と告げた。
「え?」
「なんだそれ。話が違わないか?」
今、天上への使者として、騎士団が行くと言ったではないか?
ふたりは怪訝そうに顔を見合わせる。
「・・・天上に行かない、という事ですか?」
「いや、天上には行く。」
「と言うと?」
「我らが行くのは・・・あくまで敵国の動向を探るためだ。ラヴィ・ロマリスクとしての使者はたてない。ご機嫌伺いなど、まっぴら、ということだ。」
「使者は送らない・・・。」
「しばらくの間は知らぬふりをするそうだ。」
「つまりは、それでこの件を有耶無耶にしよう、と?」
「ありていに言えば、そうだ。」
だが、とヴァレリーが難しい顔で、顎髭を撫でる。
「・・・そのままで済むとは思えんが・・・。」
「まあ時間の問題だろうな。」
ミゲルは口元に一瞬、皮肉気な笑みを浮かべた。
「苦肉の策、というやつだ。果たしてミクトランの思惑はどこにあるのか、まずはそれを確かめないことには一戦交えるにしても、同盟を結ぶにしても動けない。しばらくはのらりくらりと交わしておくから、その間に天上へ内密に行き、あちらの狙いがなんなのか、それを探って来いとの事だ。」
「つまりは、間諜の真似事をしろ、と。」
「そういう事だ。」
「だったら・・・使者をたてたフリをしてもぐりこむ方が早いのでは?」
天上の言いなりにはならない、という結論に満足したのか、ラルフィルドはいつもの冷静な副官の顔を瞬時のうちに取り戻していた。
わざわざ来い、と招待頂いているのだ、正面から堂々と入場したら良い、という訳だ。
だが、それはダメだ、とミゲルが首を振った。
「それだと、他国への申し開きができん。」
「ああ・・・。」
「司教たちが重要視しているのは、我らに疑惑の目が向けられるのを避ける事なんだ。中立国であるラヴィ・ロマリスクが、少しでもあちらの言いなりになったと知れれば・・・たちまち、他国の信頼を失う。それでは、リ・ヴォンの為にならん。」
「しかし、それだとどうなるんだ?」
ミゲルの説明には納得したものの、相変わらずの思案顔のまま、ヴァレリーは言う。
「会議での意向は分かったが・・・。問題はその方法だ。あちらさんは、なんといっても空にいるんだぜ?潜り込むったって、どうやってやるんだ。不審なものがダイクロフトに近づけば、打ち落とされるのが関の山だし・・・。なによりも、大人数が潜り込むのに、不自然でない状況をつくりだせるとは思えない。」
「だからそこで・・・出てくる。」
「なにが?」
「なんの事です?」
ミゲルは口の端をあげて笑う。
その顔は意地の悪そうなその笑みを浮かべ、歌うような口調は楽しんでいるとしか思えない。
「会えるぞ、ヴァレリー。」
「だから、なにが?」
「有名な地上軍の双子、にだ。」
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