19
「ラヴィ・ロマリスク皇国は、そのものが城砦都市だと聞き及んでいますが・・・そうなのですか?」
坦々とした口調ながら、興味を持っての質問である事は明らかだ。
パンを千切っていた手を止め、他国の指揮官は地上軍の名を馳せる軍師の顔を見返す。
「ラヴィ・ロマリスクに興味があるのか?」
「ええ。無理にとは言いませんが、ぜひお聞かせ頂ければ、と。」
「そうだ。」
にこり、と笑ってみせる穏やかな顔から視線を逸らし、指揮官はそっけなく答える。
その態度にも満足気な笑みを浮かべ、カーレルは質問を重ねた。
「都市、というからには、さぞかし栄えているのでしょうね・・・。首都の名はなんと?」
「首都はない。」
「・・・と、言いますと?」
「ラヴィ・ロマリスクは、ひとつの街分の規模しかない。その中に首都もあったものではないだろう。ラヴィ・ロマリスクはそのものが王都であり、中心だ。それが国ではなく、都市と呼ばれる所以だ。」
「そんなに・・・?」
「小さいのか、と言われるのなら、答えはYesだ。だが、規模の小ささに反比例するほどの莫大な富を持ち、栄えているのかと言われれば、ここより他に豊かな国を、生まれてこの方見た事はない、と答えよう。」
「ほう・・・。」
ラヴィ・ロマリスクは、リ・ヴォンを信仰しない者たちにとっては、歴史上に度々登場する、おとぎ話の中の遠い存在に近い。
いまでも、息づいているとはいえ、それは古から生きている伝説のようなもので、あまり実感を伴わない。
人々の口に上るのも、噂に聞く、という程度のものばかりだ。
そんな国から来た使者からの情報を、カーレルは興味深く思った。
「では、城砦というのは・・・。」
「昔の名残だ。ラヴィ・ロマリスクは遺跡そのものを活用している。螺旋状に作られた城の中に、そっくりと街が入っている。」
街は内部に低く、螺旋を描いて道が連なる。
1番下、螺旋の底の中心に、リ・ヴォン教の大本山である大神殿が鎮座し、そこに教皇以下、主要の神官たちが暮らしている。
街並みは螺旋を描く道なりになるよう計算されて、円形になるように整理されている。その周囲を取り囲む城壁は、高く厚く、外部からの侵入を容易には、許さない。
それを聞くと、少しだけ目を丸くし、カーレルは感心したように、息をついた。
想像すると、それは高く聳えるバビロンの塔のような外見が思い描かれる。
その中にまるまるひとつの国が入っているとなると、相当な重圧感ではないのだろうか。
そういうと、まさしくそうだ、と相手の指揮官は答えた。
「それでは、遠くから見ただけでは、内部の様子を伺う事はできないという訳ですね。」
「そうだ。実際に攻め込もうとしても、視界がない分、大砲などの攻撃では城壁にしか目標を定められない。ましてや、城壁は頑丈で陥とされることはない。侵入そのものが難しい。」
「それでは・・・完全に陥落させることは不可能ですね。」
「そうだ。」
もっとも、過去に一度も攻め込まれたことなどないが、と付け加えて、相手方の指揮官は黙る。
両隣に座っている彼の部下達も無言だ。
地上軍の粗末な食事に、まずくはないですか?と声をかけてみたが、流石に彼らもそこまでの無礼ではないようで、そんな事はない、と笑みを浮かべた。
こんなに大勢で押しかけたのに、食事の手配までして貰って感謝する、と。
会議でラヴィ・ロマリスクの申し出を受ける事が決定した後、指揮官に外で待たされていた騎士団は、やっと駐屯地内部に招かれた。
それは決して短い時間ではなかった為、すぐに騎士達には、休息場所と簡単ながら食事を用意させたのだが。
ついでに、と一緒の会食を申し出てみれば、意外にも、向こうの指揮官はあっさりと承諾した。
もう少し警戒してくるかと思ったが、そんなこともない。
こうして質問をしてみれば、普通に答えが返って来る。
・・・考えの読めない人物だ。
と、黒鶫騎士団総長のその美貌を見つめながら、カーレルは、来客用にとリトラーが手配してくれたワインに手を伸ばす。
それはなんだか、軽くて、薄い味がした。
食堂には、薄明かりが灯り、ところどころに黒い制服が見えている。
知らない顔の彼らを、地上軍の兵士たちは怪訝そうに見ているが、別段、それで揉め事が起こるような事もない。
黒鶫騎士団は勇猛果敢と謳われるが、その猛々しい形容に反して、静かで統制のとれた軍だ。
ここが他軍の陣地であることを弁えているようで、騒ぎもせず、目立つ行動はなにひとつしない。故に、地上軍の兵士たちも、彼らの存在に気がついていても、どこかの民間機関が避難してきた、くらいの印象しか持っていないのだろう。
「しかし、それですと。」
ワインのグラスを飲み干し、カーレルは目の前の指揮官に目を向ける。
「なんだ?」
相変わらず伏目がちでこちらを見ないが、そのそっけない態度とは裏腹に、こちらの言葉を聞き漏らさない。
白い頬の上には、長いまつげの影が落ちている。
「・・・国の玄関口も制限されるのでは?四方を高い壁で囲まれていては、どこからでも入れるという訳にはいかない。侵入者を防ぐのには最適ですが、住民たちの出入りにもそれは適応される。」
「その通りだ。」
そっけなく短く答えると、ちらり、と左に座る副官に視線を向ける。
その仕草に、どうもこの指揮官は説明するのが面倒になってきたらしい、とカーレルは察した。
それを裏付けるように、今度は、今まで黙ったままだった副官がおもむろに口を開く。
ここらへんの意志の疎通は、かなりスムーズのようだ。たぶん、いつもの事なのだろう。
「ラヴィ・ロマリスクには3箇所の関門所が設けられていて、それ以外からは出入りはできないのです。・・・しかも門限があって、夜になれば扉が閉まる。」
「扉、というと?」
「鉄製でできた頑丈な2枚扉です。重さもある為、車輪を使って開閉しています。」
「騎士団がですか?」
「無論です。」
カーレルに負けない穏やかな顔で、にっこり、と副官を務める青年は笑う。
「国を守り、民間の保護を行なうのが私たちの務めですから。」
率直なのか、単なるお人よしなのか判断に迷うその顔に、カーレルもにこり、と笑い返す。
「では、関門所、というのは?通行手形のようなものが、入国するのに必要なのですか?」
「ええ。・・なんといってもラヴィ・ロマリスクは信仰の国ですからね。熱心な信者は、身一つでも参拝を望まれます。そのような方たちを守るのも私たちの役目です。」
つまりは武器を持つ者、許可の持たぬ者の入国は拒否される、という事だ。
そもそも、参拝にやってくるほど信仰心が強い者たちは、それをカタチにして神に示そうとするものだ。布施を持ってくる信者は後を絶たない。中には、それを狙うふとどき者もいるのだろう。
そのような輩からも、街を守らなければならない、という訳だ。
「なかなか、理に叶っていますね・・・。」
カーレルが感心してつぶやくと、当然です、と副官は笑った。
どうも、この人好きのする笑顔を信用してしまいそうになる。とカーレルは冷静に自分を分析する。
それに対して、さきほどから、もうひとりの・・・第三団隊の団長という男は無言だ。
カーレルが指揮官と話をしていた時も、時折なにかを言いたそうにしてはいたものの、1度も口を開かなかった。内心では自国のことを、外部に簡単に話すことを警戒していたのだろうと思われたが、結局は上官のすることを黙認した、というところか。
・・・だが、どうにも彼は、上官に素直に従うタイプにも見えない。
それにこの3人の関係も単なる、上官と部下、という風でもない。
「お三方は歳が近いように見受けられますが・・・公務を差し引いた友人同士でも、いらっしゃるのですか?」
カーレルがそう言うと、3人は同時に顔をあげた。
ふたりは驚いた顔をしているが、ひとり、指揮官だけは無表情のままだ。
3人は、軽く頷く。
「お前さんは、変に勘も良いんだな。」
口悪く、第三団長が始めて食事中に口を開く。
ヴァレリー、と窘める声が、副官から漏れる。
それに対して、別に隠すこともねぇだろう、と答える声は長いつきあいが伺える親しげなもので、先ほどの警戒心剥き出しの様子と打って変わって、打ち解けた感じがする。
「まあ、所謂、幼馴染ってやつだ。」
「やはり、そうですか。」
カーレルがそう言うと、そんなに仲良さそうに見えるか?そうでもないんだがなぁ・・と第三団長は笑った。
「まあ、ラヴィ・ロマリスクじゃ、学校は教団内で運営しているし、さっきも説明したように国そのものの規模が小さい。同じ年頃の子供は例外なく、幼馴染になっちまうって訳だが。」
「それは・・・仲間意識が高まりそうですね。」
「とはいえ、内側、外側の違いはあるがね。」
「内側と外側?それは?」
「神殿の内側、外側、という意味ですよ。」
にこり、と笑って副官が第三団長の言葉を補佐する。
「神殿では、多くの神官が寝食を共にし、教団を運営している。そして、直接教団には関わらず、街の中で商売をして生計を立てる者も、当然住んでいる。そのふたつを分ける言葉なんです。神殿内に住む者、神殿の外に住む者。」
「なるほど・・・。」
そうは納得しながらも、一種の差別を招きそうだ、ともカーレルは思った。
「単に区別するだけの言葉ですよ。他意はありません。内側と外側が敵対する、などということもない。」
変な勘ぐりをしないでくれ、といわんばかりに、副官が先回りして言葉を加える。
どうやら、その手の揉め事はあるにはあるらしい。ただし、あってないような、本当にわずかな問題なのだろう。
「俺は外側組でな。」
第三団長が言った。
「参拝者相手の宿屋の息子だ。もちろん両親とも、リ・ヴォン信者だが。」
「おや。跡を継がなくても良いのですか?」
少しだけ冗談を交えて言えば、彼はにやりと笑った。
そうやって笑うと、獲物を狙う鷹のように眼光鋭い精悍な顔も、意外に人懐こいものになる。
「兄妹が3人もいるから平気だ。しかし、黒鶫騎士団に入団するなら、たとえ俺がひとり息子だったとしても両親は諸手をあげて喜んだだろうよ。なにしろ、騎士の職を賜るのは、リ・ヴォン信者にとっては、大変な名誉だからな。」
「騎士団の数々の武勇伝は、私でも聞き及んでおります。」
「・・・それは昔の話ですから。」
控えめに笑い、副官が(たぶん照れている)訂正する。
「ラルフィルド殿も、やはり外側の方で?」
この物腰の柔らかさは、まるで貴族のものを思わせる。
口ではそう言いながら、カーレルは彼は神殿内で育ったのだろう、と感じた。
「いや、こいつは内側だ。」
ヴァレリーが答え、それから一瞬、目を細めると、
「・・・神殿内の・・・司祭の息子殿、だ。」
と言った。
流れが深入りされたくない方向に向かったらしい。
「そうなのですか。」
それには気がつかないふりで、カーレルは話をあわせ、
「では、総長殿は?」
先ほどから沈黙に入っている総長に水先を向ける。
「内側だ。」
そっけなく、黒衣の総長が答えた。
「ああ、やはりですか・・。」
カーレルはひとり納得する。
彼の物腰は、貴族どころか、王族のようだ。少しも苦労を知らぬ優雅な暮らしをしてきた者のそれと思われた。
「ああ、そうだ。内側の、狭い世界の中でつまらん人生を送ってきた。」
「おいおい・・・。」
第三団長が呆れたような声を出す。
副官は無言だ。
こちらは、同じ内側育ちでも、思うところは違うようだ。
面白いな、とカーレルは思った。
吐き捨てるというほどのやるせなさを伴った言葉でもない。どちらかというと諦める、という感じに近い。
だが、それよりも、いきなり何故この聡明な総長が、自分の身の上など、感情を交えて説明し出したのか。
思わず、探るような視線になってしまっていたのだろう。
カーレルと目が合うと、総長は少しだけ微笑んだ。
「・・・その上、そのうち、外へもおいそれとは出かけられない立場になる。」
「・・・・・っ!」
「・・・おいっ!」
突然の総長の言葉に、ふたりは腰を浮かせた。
意味するものは、こちらには知らせるつもりのない、内部に関わることだと、カーレルはそれによって知る。
「それは?」
冷静な声で、カーレルは聞いた。もちろん、反射的に聞き返したのではなかった。
相手が聞け、と無言のうちに訴えているのが、カーレルにはちゃんと分かっていた。
「私はいずれ、教皇の座に就く。」
なんでもない事のように、さらりと口にする総長の横で、副官は顔色を失い、第三団長は大きく舌打ちをした。
「・・・その若さでですか?もう決められている、と?」
すこしだけ腑に落ちないものを感じ、カーレルは彼自身の興味から聞き返す。
「そうだ。・・・教皇の娘との婚礼の儀を済ませれば、後は自動的に、その座が約束されているんだ。」
「・・・ご息女、ですか?ひとり娘であらせられるので?」
それにしても教皇は、血筋での世襲制なのだろうか。
「教皇はリ・ヴォンの統括であるから、できれば同じ家系に受け継がせず、他の血筋から選出したいという考えがあっての事だ。だから、息女の伴侶が教皇となると定められている。ここにいるラルフィルドなど・・・。」
総長は右手に座る副官を差した。
示された方の表情は、見るからに不安を隠せない。
「教皇の子息でありながら、その座に就く事はない。・・・個人的には思うところがない訳ではないが、昔からの決まりごとというのは・・・覆すのは難しいものだ。」
「では、嫌々ながら、あえて受け入れる、と?」
にこり、と笑ってカーレルは言う。
それに対して、総長の反応は人事のように冷ややかなものだ。
「そうだ。」
「・・・・・。」
カーレルは、左目を一瞬細めて、相手の総長の顔を見た。
無表情で、別段、なにかの策略がないかのようにふるまっている。まるで、世間話をしているだけ、というように。
「・・・・・いつの世も、伝統というのはそういうものです。守られるという事だけで、意義もあるでしょう。そう嘆きめさるな。」
擬似麗句の類を、心を痛めず口にしながら、カーレルは、これは相当捻くれた相手だ、と思った。
とりあえず、こちらの信用は皆無、と見たほうが良さそうだった。
「お前、なんか楽しんでないか?」
荒らげてはいないが、ヴァレリーの声には怒りが篭っている。
その後ろに立っているラルフィルドは、何も言わない。
彼らに誂えられた部屋は、簡素な寝台と、テーブルがあるだけの小さな3人部屋だった。
だが、ランプの光は今まで見たこともないほど強い。それが部屋の中を赤々と照らしている。説明を聞いたところによると、固形燃料が他とは違うのだそうだ。長く持ち、そして火の威力も強くする。地上軍自慢の独特の開発品らしかった。
そのランプの灯の中で、ヴァレリーは、座るミゲルを、テーブルの向かいから手をついて見下ろしている。
ミゲルの方はまったく動じず、いつものように悠然と腕を組んで、ヴァレリーの顔を見返している。
眉を吊り上げ、ヴァレリーは言った。
「試していると言っても良い。相手が相手だけに、こちらの情報を小出しにして、回答にたどり着けるか。なんかゲームでもしているように見えるんだよな、お前。」
小さく、ラルフィルドが嘆息した。
彼にも、先ほどのミゲルの発言の印象が、同様にうつるのだろう。
ヴァレリーは続ける。
「スリルを楽しもうって腹なら、俺たちはごめんだぜ?ラヴィ・ロマリスクの内情まであいつに知らせる必要はない。」
「あれしきのこと、内情と呼べるか?」
口元に笑みを浮かべ、ミゲルはヴァレリーを見上げる。
「そもそも、あんな話を始めたのはお前だろう?」
ミゲルに反論され、むっとして、ヴァレリーはテーブルについた手を離した。
「あのままいけば、内部事情を探られる羽目になるのは目に見えていた。」
「それはそうだが・・・。」
「僕はてっきり、お前が分かって言ってたのかと、思っていた。」
あっさりと文句を聞き流され、ヴァレリーは憮然とする。
「それは冗談のつもりかよ?」
「そうだが・・・分かりづらかったか?」
冗談というよりも、余計な世間話を始めてしまったヴァレリーに対する嫌味だろう。
そもそも、向こうに隙を与えてしまったのは、ヴァレリーのミスだ。
「相手が相手だけに、全て隠したままでこちらの思惑通りに事を進めるのは不可能だ。どのみち詮索されるなら、初めから上薬を嗅がせてやるのが1番なのさ。あれだけでは回答に辿り着ける訳もない。そこらへんはちゃんと考えてある。」
「そうかよ。」
憎々しげに吐き捨てても、目の前の総長は動じない。
「だったら、ガキの時の思い出話でもしときゃ良かったじゃねぇか!」
ヴァレリーが腹を立てているのは、なにも総長の独断の言動に対してではない。
あの流れの先までは読めずに安易に発言した、自分の失態にらしかった。
「それはそれでボロがでる。」
ミゲルは言った。
「記憶にないものは、話そうにも話せないからな。」
その言葉に、はっと、ヴァレリーもラルフィルドも息を呑む。
そして、一瞬、気まずそうに顔を見合わせた。
「ヴァレリー。我々が本当に隠さなければならない事、最優先にしなければならない事はお前も分かっているだろう?」
何かフォローをしようと、ラルフィルドが口を開くよりも早く、憤るヴァレリーを嗜めるような声を出したのは、意外にも総長だった。
「我々は、リ・ヴォンが長きに渡り守り、礎としてきたものの存在を隠さなければならない。・・その為なら、我らの立場が知れるのなど、些細な問題だろう?」
「わざわざ言う必要もないだろう?」
「だが・・・あの男は、なにかしらを感じているはずだ。あちらの詮索を交わす為には、余計な事を探る事と、こちらとの友好関係が崩れることが繋がっていると理解してもらわないとならない。折角の好機を自らの好奇心で逃すほど、あの男は愚かではない。黙らせるには、教皇の息子と、次期教皇とが目の前にいるのだ、という事を知らしめる方が良かったんだ。」
「なるほど・・・。」
権力をちらつかせ、相手を牽制する方法には抵抗はあるが、だからといって、向こうがこちらの都合に気を使ってくれるわけもない。
ラルフィルドは納得した。
こちらが心底地上軍を信用したのではないように、あちらも自分達を信用した訳ではない筈だ。
こちらの腹を探る為の、あの手この手の追求は、今回の件とは違う箇所にも及ぶ可能性がある。予め触れられたくない部分には構うな、と忠告しておくなら、先手を打っておく方が効果を得られるだろう。
ヴァレリーは無言のままだ。
たぶん、内心は面白くないのだろうが、彼の出した結論はラルフィルドが出したそれと、同じなのだろう。
だが、ミゲルはそれで、ふたりが了解したと、察したようだ。
それ以上はこの件に関しては発言をせず、先ほどカーレルに借りたという、地上軍のまとめた天上軍の資料に目を通し始めた。
黒鶫騎士団が、地上軍駐屯地に滞在して、3日目の事だ。
夕方から辺りはひどく吹雪き、立っていても目を開けていられないほどの状態だった。
その中を、十数人の軍団が這うようにして、駐屯地を目指していた。
天上から見えないように工夫している為、基地からの灯りは見えない。
だが、視界が悪い中、方角を確信しているかのような軍勢は、気持ちがひどく急いているのが見て取れる、ひとりの小柄な人物が率いていた。
彼らは全員、黒い服を着ていた。
来訪者は、夜中にやってきた。
突然、扉をノックのせわしない音に目を覚まし、真っ先に扉の横についたのはラルフィルドだった。
警戒しながら、彼は答える。
部屋に視線を走らせると、薄暗い中に、寝台に起き上がった人物のふたつの影が確認できる。
どちらも、剣を手に取ったようだ。
「何事です?」
「夜分に突然、すまない・・・。」
扉の向こうから聞こえてきたのは、カーレルの声だった。
わざわざ軍師が来るような、どんな用件があるというのか。
訝しく思いながら部屋の中を見ると、小柄な彼の上官の影が、頷いた。
扉を、ラルフィルドは開ける。
「お休みのところ申し訳ない。」
少しだけ息のあがったカーレルの姿を見ると、走ってきたらしい。
とりあえず、代表をして、ラルフィルドが聞く。
「火急の用ですか?」
「ええ。」
ヴァレリーがランプを灯すと、部屋が明るくなる。
カーレルは、部屋の奥で、剣をすでに手に持っている指揮官を確認し、用件のみをすばやく言った。
「黒鶫騎士団の総長に面会者なのです。」
「え?」
「なんのことだ?」
こんな夜中に、どこの誰がだ、とラルフィルドとヴァレリーは顔を見合す。
「ここにいるはずだから会わせろ、と、自分は黒鶫騎士団第二団長だ、と名乗っている、と護衛の兵士から報告を受けました。」
「・・第二団隊?」
ふたたび、ラルフィルドとヴァレリーは顔を見合わせたが、ミゲルは質問を返す。
「その人物はどこに?」
「いきなり駐屯地に入れる訳にもいきませんから、出入り口で。先刻、騎士団に待ってて頂いていた、同じ場所です。」
「分かった。こちらから赴く。」
カーレルが頷き、同行を申し出た。
親切、というよりも、何事が起きているのかを確認する義務が、彼にはあるからだ。
それを承知し、ミゲルは椅子にかけてあったマントを手に取り、身を翻す。
同じようにマントを羽織り、ラルフィルドとヴァレリーも、ふたりの後に続く。
夜中でも、番の兵士を残しているため、静まり返っている訳ではない。
その基地内を足早に移動しながら、ラルフィルドとヴァレリーは嫌な予感を覚える。
第二団隊は、ラヴィ・ロマリスクを警護している筈だった。
その任務を放り出し、ここに来たということは、早急に、総長の判断が必要な事態に陥った、という事だ。
「ダリア!」
ふたりを追い越して先を急いでいたラルフィルドは、駐屯地の出入り口に屯っている数十人の軍勢を確かめた。
正面で、こちらを見据えているのは、小柄な人物の影で、それが見知った第二団長に間違いない、と知る。
呼ばれた人物は顔をあげ、向こうもこちらを確認したようだった。
「ビショップ・・・。」
近くに行く間も待たず、第二団長はすでに恭しく、総長に対して頭を垂れていた。
「申し訳ありません・・・。」
「何事だ?」
冷たくミゲルが返すと、第二団長は、下げたままの頭を、さらに下げる。
見れば、その後ろに控えていた数十人の騎士たちも、全員が頭を下げている。
「どうした?何事だ?」
その異様な雰囲気に、ラルフィルドがさらに問いただす。
「おい・・・。」
ヴァレリーの声が後ろから聞こえ、彼は自国団を騎士たちをよく見ろ、と促した。
それに気がついて見れば、騎士の何人かは負傷しているようだった。
「これは・・・。」
「報告いたします!」
下げていた頭を上げ、びしっと背筋を伸ばし、第二団長が敬礼をした。
その目は、潤んでいるように見えた。
「二日前、大神殿が、天上軍の襲撃を受けました!」
「・・・・っ!」
「なんだと!?」
驚愕のあまり思わず、全員が息を飲む。
「神殿?」
すぐに事の奇妙さに気がついたのは、ミゲルだった。
「それで、ラヴィ・ロマリスクは?どうした?」
「ラヴィ・ロマリスクは無事です。天上軍は、少数で神殿にのみ攻め入ってきました。街中にはなにも被害は出ていません。」
「関門はどうした?なぜ、天上軍を入れた!?」
憤りを露にするラルフィルドに、一瞬、第二団長が言葉をつまらせる。
「関門は閉まっていました。天上側は、空から来襲した模様です。」
「空から・・・!?」
絶句するラルフィルドの横で、ミゲルが言う。
「・・・なるほど、その手があったか。」
「感心してる場合か!!」
冷静さが必要なのはわかるが、時には目の当たりにすると腹が立つ。ヴァレリーは構わず、上官を怒鳴りつける。
それに対して、自分が怒鳴られたかのように、第二団長は体を震わす。
責任の重さを、感じているのだろう。
「申し訳ありません。この責めはいかようにも・・・」
「侘びなら、後からいくらでも聞いてやる。報告を終えろ!神殿に攻め入ってきた天上軍は、なにをした?」
静かながらも鋭い声で、ミゲルに先を促され、第二団長は、ラルフィルドの顔を見る。
その報告だけは、総長よりも、ラルフィルドに聞かせたかったのだろう。
「天上軍は、神殿内を荒らした後、聖皇女様を連れ去りました!」
「フェザーガルドを!?」
思わず身を乗り出し、ラルフィルドが叫ぶ。
驚愕と、焦りとか一緒になった声だった。
第二団隊団長の任を預かるのは、女性で、名をダリアという。
わずかに褐色がかった肌に、緑と茶色の左右色の違う瞳を持っており、金色の髪は男のようにさっぱりと短く、しなやかな手足は鹿を思わせる。
その左右色の違う、大きな瞳を瞬かせた後、ダリアは少しだけ眉を寄せた。
「痛むか?」
無骨な指ながら、手当ては意外に上手なヴァレリーが、ダリアの切り傷に薬を宛がうと、
「いいえ。」
と気丈な彼女らしい答えが返ってくる。
駐屯地の医務室だった。
他の負傷した騎士達は、医療班に治療を受けている。
比較的軽い症状のものは、銘々が、同胞の騎士達に診て貰っていた。
「申し訳ありません・・・。」
真摯な瞳で、彼女は総長のミゲルと、フェザーガルドの兄であるラルフィルドに、詫びの言葉を口にする。
留守を預かっておきながらの失態を、心の底から恥じているようだった。
「仕方ねェだろ、そんな不意のつかれ方をしたんじゃあなぁ・・・。」
ヴァレリーが慰めの言葉を口にし、医療箱をぱたんと閉じる。
包帯を巻いて貰った腕の袖を戻しながら、ダリアはしかし、と言う。
「・・・屈辱です。あの様な・・・。天上如きに・・・。」
「相手を見くびってかかるな。こちらが油断していたとはいえ、向こうも戦を体験している身だ。今回の奇襲戦で、よく分かっただろう。」
あくまでも冷ややかに、総長が言う。
許婚が攫われたというのに、少しの動揺も見せない。
「あまり気にするな。被害が神殿内だけに留まり、街が無事だったのは、お前たちが食い止めたからだぞ?」
こちらもすでに冷静さを取り戻したラルフィルドが、いつも通りの思いやりを用いてダリアを労う。
「ですが・・・接近戦を避け、弓に頼った事が裏目に出てしまいました・・・。もう少し、違う方法で応戦していたらと思うと・・・。」
ダリア率いる第二団隊は、弓隊だ。
弓での攻撃は、遠い敵には有効だが、接近戦には向かない。
「それも仕方ない。それを補う為に、剣術に長けた他の隊も残しておいたというのに。まさか神殿・・国のど真ん中を狙われるとは、予想外だ。そういえば、他の隊の負傷者はどうだ?」
「はい。何人かは負傷したようですが、死人が出たという報告は受けていません。天上側は、初めから神殿内に押し入り、聖皇女様を攫うのだけが目的だったようです。」
故に、教皇以下、他の司祭にもたいした怪我人が出たりはしなかったようだ。
しかも、何かを探していた様なそぶりはあったものの、フェザーガルドが見つかるとすぐに諦め、引き上げていったと言う。
騎士団もすぐに後を追ったが、天上は襲撃してきた時の飛行艇を使い、手の届かないところへと迅速に逃げ去った。
「しかし・・・連中の狙いは一体なんなのでしょうね?」
カーレルがつぶやき、全員がいっせいに、その顔を見る。
「申し訳ないが・・・女性ひとりを攫ったところで、なんになると言うのです?教皇のご息女ではありますが、それならば、いっそ教皇を攫うのでも良かった筈。どうにも・・・解せません。」
「ダリア。天上側は、何も残していかなかったのか?」
「何も、と言いますと?」
総長の質問を口では繰り返しながらも、ダリアはすでに考えている。
腕がたつだけでなく、頭の回転の速いところも、この女性の美点だった。
「まさか天上側が、直接、聖皇女に用があって連れ去ったとは思えない。ならば、こちらへの要求が必ずあるはずだ。それくらいしか・・・フェザーガルドの利用価値は思いつかん。」
言い草はあんまりだが、外部から見たら、所詮は箱入りの娘ひとり。そんなに重要だとも思えない。
「・・人質、って訳か・・・。」
ヴァレリーが呻き、それに対してミゲルは頷く。ヴァレリーは悔し紛れに、地面を乱暴に蹴った。横に立っているラルフィルドは今も顔色をなくしたままで、どこか呆然とした印象だ。
その3人の様を、静かにカーレルは観察する。
ラヴィ・ロマリスクを降伏させるのが目的なら、人質を取るなど回りくどいことをせず、教皇の命を奪うなり、ベルクラントで脅しをかけるなりすれば良いことだ。
それをしないのは、降伏以外の目的が天上にはあるからだ。
カーレルの疑問は、的外れでもなんでもない。
『しかし・・・それはなんだ?』
考えに没頭していたカーレルは、視線を感じたような気がして、顔をあげた。
そこには総長がいて、意味ありげにこちらを見つめている。
その視線は、訴える意味があるのか、探りを入れられているのか判断に迷うほど、感情が見えない。
疑問に思い問い正そうとすると、その前に、ふいと向うは視線を逸らした。
「本当に解せない・・・。」
背中を向けた黒い衣に向けて、カーレルはひとりごちる。
「ミクトランが、それほどまでして手中に収めたいなにが、ラヴィ・ロマリスクにはあるのだろうか・・・。」
早飛脚は、馬かハトが主流であったが、雪道には適さない為、この地方は雪原で暮らす鹿の一種、トプルカでやってくることが多い。
そのトプルカでの知らせが駐屯地の滞在中の黒鶫騎士団宛てに齎されたのは、ある日の早朝の事だった。
昨夜遅くの、来訪者の話は、すでに地上軍基地内の上層部に知れ渡っていた。
故に、早飛脚のことも、すぐに知れることとなる。
最も、たとえ、知れ渡ってなかったとしても、彼らは自らやってきただろう、とカーレルは思う。
こちらの都合を考えると、信用をできるとは言いがたいが、彼らは彼らの信念を持って行動を決めている。
その誇り高い彼らが、頼って懐に入らせて貰った相手先から、女ひとりを奪い去るようなマネを、良しとするとは思えない。
話がある、というので、リトラー以下、上層部が会議室に彼らを招いた。
騎士団には、作戦の決議がなされたその日に、全員で面会している。
会議室へと彼らが通されるのは、2回目だ。
「こちらの現状は、すでに聞き及びと思われます。・・・昨夜未明、天上軍からわが国に、正式な要求がありました。」
もちろん、そのことだろうと納得したうえで、リトラーは頷いて話の先を促す。
書面を読み上げているのは、昨夜到着したダリアという第二団長だった。
リトラーたちとは、これで初対面になる。
その他、総長を含む3人は、真剣な面持ちでその横に立っている。
「リ・ヴォン教皇の息女、フェザーガルドの身柄と引き換えに、天上王ミクトランの名において、以下のことをラヴィ・ロマリスク皇国に要求する。」
ダリアの声はよく響いた。
「ひとつに、天上への完全降伏。崇める神を捨て、以降、ミクトランを唯一の存在と認め、忠誠を誓うこと。」
文面が読み上げられると、会議室がどよめく。
「なんと!」
「自らを神と崇めよ、という事か・・・。ミクトランめ、ぬけぬけと・・。」
姫を攫われた同盟国に対し、天上王の傍若無人ぶりに、彼らは同情をしたつもりだった。
その火の粉が、自分たちにも及ぶとは、まさか予想もしていなかった。
だから、次に告げられた言葉に、彼らは言葉を失うことになる。
「問題はここからです。」
黒い衣の総長が、低く、ダリアよりもよく響く声で発言した。
その声には、他者の意識を覚醒させるなにかが含んでいるかのようで、会議室にいる全員に緊張感を齎した。
一同が表情を引き締めたのを見て、ミゲルは隣のダリアに頷く。
「天上側の要求は、こう続いています。」
「忠義を証明するものとして、地上軍研究科学者、中佐ハロルド・ベルセリオスの身柄を確保。速やかに天上に連行せよ。」
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