26
科学者というものは、案外、同じ種類の生き物として分類されるべきかもしれない、とカーレルは思った。
幼い頃から、異端視されてきた妹だが、ここの連中と紛れるとその印象も薄れる。紛れている、というべきか。
部屋の中で、誰も彼もが着用している白衣のせいばかりではなく、どうにも・・・ハロルドと同じような(カーレルにとっては慣れている)反応を示す姿ばかりが目につく気がするのだ。
「ご協力感謝します、中将。」
「口先だけで言っているだろう、君は。」
試に言ってみたところ、案の定、テアドアは、眉ひとつ動かさず、
「これでも人並みの礼儀は弁えていますので。」
と返してきた。
つっこむべきところはそこではない、と思ったが、いかんせん、それを口にするほどの気力がカーレルにはない。
溜息をつき、室内を見回せば・・・。
「痛いような実験ではございませんよ?ご安心ください。」
と満面の笑みを浮かべて寄ってきたのは、ハロルドが「テレサ」と呼んでいた女性だった。
以前、この部屋をソーディアンマスター選出の件で訪れた時は、全員が自分の周囲から離れたところに非難(としか言いようがない)していたというのに、この打って変わったような熱烈歓迎ぶりはいかなものか、とカーレルは溜息をつく。なんという分かりやすい態度だろうか。そもそも、その子どもをあやすような口調も気味が悪い。
幼い頃から、ハロルドのせいで疑り深くなったカーレルにしてみれば、優しい口調ほど、その実験を怪しめと条件反射的に脳内指令がでるようになっている。
故に、テレサの笑顔は、逆効果だった。
「マジほんとほんと。テレサのいう通りよ。」
兄の頭の中を覗いたかのようなタイミングで、ハロルドが軽く言い放った。
その目は兄に向けられてもいず、手元のなにをデザインしたのか理解不能な、分析機器に注がれている。
ハロルドは、その見ようによってはグロテスクなカタチの機械から伸びた、2本のコードをひっぱり、先にある鉄の棒をカチンと交差させる。
とたんに、青い火花がばちん、と鳴った。
「・・・・・。」
なにがあろうとも、絶対に痛いに決まっている、とカーレルは思った。
「こちらへ、中将。」
「あそこ座って、兄貴。」
「・・・・・。」
両側からテアドアとハロルドのふたりに言われ、カーレルは溜息と共に観念する。
この左右を挟まれている状況というのは、連行される捕虜のようで、なんとも居心地が悪い。
示された椅子へと座ると、まるで合図にしたかのように、同時に3人もの科学者たちが群がってきて、カーレルの両の手首と頭に、コードに繋がれた輪っかを装着させる。
別に拘束されてはいないが、それによって身動きが取れなくなり、改めて湧き上がってきた不安と共に、カーレルはハロルドに対して恨みがましい視線を向けた。
「ん?なに?」
ハロルドは、まるきりカーレルの心情になど感心がないようだ。
小首を傾げてこちらを一旦見たものの、すぐに実験装置へと向き直ってしまう。
そうすると今度は、後ろから前に回ってテレサが現れ、腰くらいの高さの装置をカーレルの前へと設置した。
「・・・・・?」
興味を覚えて、カーレルはそれをまじまじと見る。
まるで、崩れ落ちかけた古代の遺跡の円柱を連想されるその装置の上に、大きめのレンズが捧げもののように安置されている。
覗き込むとレンズの中に、光の屈折か、わずか揺らめく青白い炎が見えた気がした。
最近では、高エネルギー体として注目され、レンズの本質はそればかりだと思われがちだが、もともと彗星が激突した後の数年間、レンズは正体不明ながらもその煌きから、宝石と同じ扱いを受けていた。
このゆらめきを見ていると、何人もの女性の首を、腕を、髪を飾られたのも、納得できる、とカーレルは感慨深く思い、一瞬だけ自分が実験の対象になっているという事実を忘れた。
「じゃ、そのレンズに手を添えて。」
そういうハロルドの口調は、くだけた妹のそれではなく、すでに科学者のものだった。
「これか?」
「そう。一旦、レンズに手を添えたら・・・心を静かにして、レンズの波動を感じ取ってね。」
「波動・・・?」
そんなもの分かるのか?とカーレルが訝しげに見るとハロルドは、うん、とひとつ頷いた。
「レンズのエネルギーは・・・波状を描いて放出されているの。それを感じ取り、内部と呼応させることで、晶術を呼び出すことができるのよ。波状の形態は計測できてるけど・・・見る必要がある?」
別にグラフで晶術を使う訳ではないけど、と付け加え、カーレルに確認を取るハロルドに、カーレルは良い、と断りの言葉を述べた。
どうせ、求められているのも、そんな事ではない。
「じゃあ、良い?」
ハロルドが言い、ああ、と短く答えた後、カーレルはレンズに手を添えて、目を軽く閉じた。
神経を集中させようとするなら、視界を遮断するのが1番効果的だった。
目を閉じていたので、動きは確認できなかったが、どこかの装置のスイッチが入れられる音がした。
その音からわずかの後、手の中のレンズが熱を帯びてきたのが感じられる。
軽く深呼吸し、リラックスしようと、椅子に凭れかかると、なにかが、ぐんとひっぱられ、飴のようにぐにゃりと曲がる感覚が、首の後ろの方でした。
それと同時に、カーレルは落ち着きを取り戻し、その曲がった何かを捕まえようと、自分自身の内部に集中する。
やがてそれを、包むようにして抱えこみ、完全に手の中に取り込んだ、というイメージを捕まえると、まるで意志を持っているかのように、それが外へと逃げたがっているのを感じた。
カーレルは神経で、そのものの、しっぽをそろそろと離す。
すこしずつ開けた扉の、その隙間から、制御しきれなかったエネルギーが迸るのを感じた時・・・。
ブワッ、とも、ドンッ、ともつかない激しい音と共に、爆風が、カーレルの周囲に飛び散った。
ガシャン、となにかが倒れる音と、破裂する音。
ばさばさと飛び散る書類をかき集める科学者の間に、床に転がっている白衣も見える。
「ちょ・・・ちょっと、ちょっと兄貴!!」
非難に満ちたハロルドの叫び声に、カーレルは我に返る。
「レンズの波動を捕まえろって言っただけでしょ!!誰が、今、晶術を発動させろって言ったのよ!?」
「・・すまない・・。」
カーレルはバツが悪そうに、首をすくめた。
「そうしたつもりだったんだが・・・。」
ハロルドの眉は完全に怒りの方向に釣りあがっている。
「バカ言わないでよ!ここをどこだと思ってるの!!ラディスロウのどてっ腹に穴を開ける気!?」
「それは困る。」
自分でやっておきながら、災難を呼んだのはお前だと言わんばかりに、一瞬で軍師の顔に戻ったカーレルに、ハロルドは呆れる。
「ハロルド博士!」
忙しなく響き渡っていたコールに、対応していた科学者のひとりが、泣きそうな顔でハロルドを振り返った。
「上層部からです・・・。なにごとか、と問い合わせで・・・。」
「カーレル・ベルセリオス中将の仕業ですって伝えて!」
「はい〜・・・。」
情けない声を出し、答える若い科学者の後ろには、非難がましく自分を見つめる無数の目があり、カーレルは立つ瀬がない。
いつもはハロルドの行動に釘をさしている立場だというのに、今や、咎人は自分の方だ。
「良い、兄貴?」
はあ、という溜息を共に、ハロルドが腰に手を当ててカーレルの前に立ちはだかる。
「今、ラディスロウは飛行中なの!内部から高エネルギーの高まりがあれば、それだけで操縦桿を制御できなる可能性があるの!なんてことしてくれんのよ!」
「・・ああ・・・。」
そんな危険性のある実験を、こんな時にする方が悪いと思ったが、流石にそれは言えなかった。
「まったく・・・まだ、威力が弱かったから惨事は免れたものの・・・。」
未だにぶつぶつ言いながらもハロルドは、横を向き、今のデータ取れた?とテアドアに聞いた。
テアドアは、はい、と短く返事をしたが、その顔にちらりと、嬉しそうな表情が浮かんだのを、カーレルは見た。
それと同時に、ハロルドの表情も綻ぶ。カーレルを振り返った時、ハロルドの顔には、もう笑みが浮かんでいた。
「それで、どう?初めて晶術を使った感想は?」
「・・・・・。」
そう言われ、改めて事の次第を確認するように、しばし、思いにふける。
そもそも、カーレルには、あれが晶術だったという自覚がない。しかも自分がやった、というよりも蠢く何かに操られたような感覚だった。
そう素直に感想を述べると、満足そうにハロルドは笑い、今のも記録しておいてね、とテアドアに言った。
その姿を見ながら、ふとカーレルは疑問を抱いた。
「お前の時は、どうだった?」
この世には、晶術を使用できると報告された人間は、3人しかいない。
ひとりは、黒鶫騎士団の美貌の総長。
もうひとりは、ソーディアン・チームへの参加が最初に認められた、ピエール・ド・シャルティエ。
そして、残るひとりが、このハロルドだ。
「ん〜?」
のんびりとした口調で、その時の事を思い出そうとするように、ハロルドは唇に指をあてる。
「あの時は・・・そうね〜。忙しくって感想持っている暇なんてなかったわよ。」
あの時、とは捕らわれていたハロルドを取り戻すべく、地上軍がダイクロフトへ攻め込んだ時の事だ。
たしかにあの切迫した状態で、ゆっくり考え事をしている暇などなかっただろう。
ああ、そういえば・・・。
とカーレルは思った。
ハロルドがもしも天上に連行されなどしなかったら。
ラヴィ・ロマリスク消滅後の彼らの行方は、未だに分からないままだったのかもしれない。
だから良かったとは思わないが、それでも、あの総長が、妹に対し特別な待遇をしてくれた事には感謝しなければならない。まさか、自分の妹だからという訳ではないだろうが。
そこまで思い、カーレルはテアドア相手になにかの指示をしている、ハロルドの華奢な背中を眺める。
ハロルドは、彼を高く評価している。
それは、腕の立つ事よりも・・・揺ぎなく自分自身という大きな塊を自覚している者の持つ、独特のしなやかさによるものだろう。
その柔軟さをハロルドは好む。
誰にも、どこにも属さないことは、寂しくもあるが、気高い精神を持つという事だ。
きっと・・・。
彼の部下である騎士たちもそうだったのだろう。
孤高であって、決して誰にも靡かないその姿勢を、生まれながらの潔さと感じ、羨ましく思っていたのだろう。
それなのに・・・。
なにが、あの3人の騎士の間で起こったのか。
それは、信頼を寄せる総長を裏切ってまでの理由があったのだろうか。
そして。
裏切ったのは、どっちだ?
出奔した第一、第二団長か?
それとも。
・・・総長の方か?
我知らず、考えに没頭していたカーレルの耳を、それほんと?とか、どうして私に、とかつぶやいているハロルドの声が通り抜けていた。
「ちょっと良い?兄貴。」
「あ、ああ・・。」
不機嫌そうに話しかけられたカーレルは、実験の続きの話だろう、と我に返って顔をあげた。
見上げた先にあったのは、まさに腑に落ちない、といった感情を露にしたハロルドの顔で、カーレルは、実験結果が思わしいものではなかったのか、と思った。
「今、ちょっとテアドアに聞いたんだけどぉ。」
舌足らずの口調を殊更強調している時は、ハロルドが不満を持っているという証拠だ。
「・・・ベルクラント開発チームから、新しい接触があったって本当?」
「何を言っている?」
カーレルは瞬きをする。
何故今頃そんな話をしているのだ、と思い、
「その件は報告書にしてお前の部屋へ・・・。」
そこまで言いかけ、気がついた。
改めて、カーレルは妹にその旨を伝える。
「あった。」
「いつ?」
「・・・2日前の事だ。ベルクラント開発チームのひとりが、ダイクロフトを抜け出して地上への降下に成功したらしい。それで我々に助けを求めてきた。救援隊はすでに向かわせてある。」
「それで?」
不機嫌そうなハロルドにカーレルは苦笑する。
「今、向かっているだろう、我々も。」
ダイクロフトを抜け出した研究員は、脱出前に天上から、ハロルド博士の助力を求む、と名指しで彼女に応援を要請してきていた。だが・・運悪く、その時ハロルドは、ハードビー中佐隊を迎えに基地を離れていた為、とりあえず、先遣としての救出部隊を組み、早々に、降下地点へと向かわせたのだ。
逃げ出した研究員は、降下地点からほど近い場所で、隠れて地上軍を待っている、という。
計らずしてそれが、ラディスロウの駐屯地候補のひとつと近かった為、ハロルドたちの帰艦を待ち、そこへと向かう事になったのだが・・・。
この件に関しては、ハロルドなくして話を進められない。
そう思ったからこそ、不在の間に報告書をまとめ、ハロルドの部屋へと予め届けさせておいたのだが。
今日のハロルドの行動をカーレルは思い返す。
ハロルドは、帰艦後すぐにリトラー司令への報告を済ませ、その足でカーレルの部屋へと押し入り、今、こうしてラボへと移動したのだ。自分の部屋には戻っていない。
報告書の事も知らない、という事だ。
「そっか〜。」
一応、納得はしたようだが、それでもカーレルをちらりと見るハロルドの視線は恨みがましい。
「でも、最初に言っておいて欲しかったわね、こういう事は。」
「ああ・・・まあ、そうなんだが。」
その歯切れの悪い返事と共に、カーレルの視線が横へと逸れる。
そこには、ハロルドの部下たちが、カーレルが晶術によって吹き飛ばした細々としたものを、掻き集めているだけだ。
ん?とハロルドは、首を傾げた。
「なに?公に言えない事でもあるの?」
なにやら、内密に耳打ちしたがっている雰囲気を感じ取り、ハロルドは直球でカーレルへと質問をぶつけた。
内密にと思う自分の方が心配しすぎなのか、と思いながら、大勢の前でその話を問い詰めようとするハロルドの態度に苦笑する。
「まあ・・・良いか、彼らなら。」
ハロルドの部下に、表の計画の陰で、自分達の興味の対象へのアプローチを図っていると知れたところでなんの問題もないだろう。
「研究員が、降下した場所なんだが。」
「うん。」
「ヴァンジェロの西南だ。」
最近、意識する事の多い地域の名前に、ハロルドは、ぱちぱちと瞬きをする。
「それって・・・。」
ここにきて小声になったハロルドに、カーレルも流石に笑った。
「・・・天生の民の遺跡群のすぐ近くだ。」
「・・・・偶然ね。」
「偶然とはすべからく、必然だと言うな。」
「・・・そんなロマンチストの見解はどうでも良いんだけど。」
おいおいとカーレルは思った。
ロマンチストの見解とはなんだ。元はといえばハロルドの口癖のようなものではないか。
相変わらず、思い付きばかりを口にする妹だ。
「・・行くのだろう?当然。」
その時のカーレルは、軍師の顔ではなく、ハロルドの共犯者の顔だった。
「・・もちろん!」
ハロルドは答える。
元々、研究員が降りたからと言って、わざわざラディスロウがそこへ移動しなくとも、救助隊が連れ帰れば良いだけの話だ。
だが、遺跡に近い場所に、ラディスロウが駐屯するとなれば、ハロルドが少しくらい遺跡群へ足を踏み入れたとしても研究の一環だと白をきれば、問題視される事もない。
「さんきゅう、兄貴v」
ハロルドは小声で兄に礼を言う。
めったに言わない素直な言葉に、カーレルは却って、居心地の悪い気分を味わった。
「まあ、この件に関しては・・・。」
カーレルも小声で言う。
「私も、興味がなくもない・・・。」
「めずらしい事言うわね、兄貴。」
ハロルドは笑った。
「それはカーレル・ベルセリオス個人として?軍師として、って事じゃないわよね?」
「もちろんだ。」
「へ〜。」
「なんだ?私が軍に関する事以外に、興味を持つのが、そんなに可笑しいか?」
ラヴィ・ロマリスクに関する事は、厳密には軍に関係のない事ではない。
だが・・・カーレルが関心を示しているのは、かつて地上軍が犯した愚かな罪にではなく、わずかな間に触れ合った黒鶫騎士団、そしてその総長に対してだろう、とハロルドは分かっていた。
だったら。
自分と同じだ。
「本当にあなたが、ハロルド・・・博士、ですか?」
救助隊に連れられ、駐屯地へとその艦体を降ろしたラディスロウへと迎えられたベルクラント開発チームのひとりは、子どものような細い体躯の女性を見て、信じられないというように何度も確認をしてきた。
科学者というものは、多かれ少なかれ自分の研究以外に興味を持たない。
なにも偏見ではなく、そういう輩が多い故に、女性でも華のない者も多いのだ。
少なくとも、ベルクラント開発チームの女性研究員たちはそうだった。
だからこそ、目の前の女性の華やかさに、今までと違ったものを感じるのも無理のない事だと、彼は自分に言い聞かせる。
しかも・・・彼女が持つのは、人類最高の知能、という称号なのだ。
「そう、よろしくねv」
にっこり笑いながら差し出された小鳥のような手を、研究員はおずおずと握り返す。
それは白くほっそりとしていて、指先には薄いピンクが塗られ、小花が描かれている。
黒い羽根で飾られた袖から覗く腕が動くと、まるで指先のその花が香るかのように、ふわりと甘い香りがたちのぼる。
「大丈夫よ〜そうビクビクしなくってもvなにもあんたまで、採って喰ったりはしないわ♪」
「え?」
少しの間、見惚れていた研究員は、その赤く艶やかな唇から紡ぎだされた言葉に、一瞬、耳を疑う。
そのあまりのギャップの激しさに、冗談の類だろうかと、慌てて周囲を見渡せば、彼と目を合わせないように、全員が視線を泳がせている。
彼はその後、自分の行く末を案じて、嘆くことになるのである。
2000年と一言で言うのは簡単だが、もちろん、それには数多の歳月を有する。
長きに渡る雨が、風が、太古の建造物に与える影響力は計り知れない。
だが、幸いとも言うべきか。
天生の民が残した遺跡には、目を覆うほどの崩れはなかった。
逆に、隙間なく綺麗に組まれた石壁はあまりにも頑丈で、これが気の遠くなるほどの前に造られたものには思えなかった。
山の中腹から見下ろすラディスロウのシルエットは、夕刻の闇の中にあっても尚、黒々と大地に横たわっている。
ちょっと用事、とテレサに言い残し、今後、自分の研究に参加して貰うことになる、降下した研究員を自分の部下達に引き合わせた後、ハロルドはひとり、ラディスロウを抜け出した。
これから暗くなる故、調査はできないが、それでもひとめ、遺跡群を見ておきたかった。
なにしろ、伝説では電気も、コンピューターの仕組みも理解していたとされる民族の残したものだ。
本当だとしたら、一般人には分からずとも、それらの痕跡が残されていないとも限らない。
その手のことは歴史学者の仕事だが、天生の民は半ば、御伽噺のような伝説が目立つためか、あまり・・・過去の遺物としては重要視されていないのも事実で、彼らの使ったかつての文字が解明されて以来、熱心に紐解こうという学者も少なくなっている。
一部のもの好きな学者が、意見を求めたことはあるかもしれないが、ハロルドの記憶にある限り、科学に精通した研究者が、これらの遺跡に着目したことは1度もない筈だ。
最初の門と呼ばれる石段を、ハロルドは見上げる。
それは確かに門だった。
階段状に左右に広がる壁は、翼を広げる鷲のように見え、梁のように突き出した部分には、やはり石でこしらえられた何かの文様が施されている。
それを持ってきたえんぴつとクロッキー帳を取り出して、すばやくスケッチしていると、
「・・少しくらいの我慢ができないのか、お前は。」
とよく知る声が、後ろからした。
「兄貴。」
カーレルはまだ、ハロルドのところまでは辿りついておらず、長く続くかつては石段だったと思われる崩れた階段の後を登ってきている途中だった。
めったにない状態で兄を見下ろすハロルドを、軽くカーレルは睨む。
「こんなことだろうと思ったんだ。」
「ご明察。ちぇ。私もまだまだね〜。」
自分の行動を読まれていても、実をいうと、兄になら仕方がないとハロルドも、心の中では思っている。
カーレルはハロルドに並ぶと、同じように足を止めて、門を見上げる。
門の上空には、独特の羽音をたて、蝙蝠が飛んでいた。
どこかに根城でもあるのだろう。これからがあの生き物の活動時間だ。
「しかし・・・。」
カーレルは言った。
「立派なものだな。」
「うん。」
この遺跡の印象は、きちん、としている、という感じだ。
どこにも、文句もなく隙もない。
まだ内部には入っていないが、過去の調査結果によると、神殿を取り囲むようにして建てられているかつての公共施設も、さらにその回りをぐるりと回っている石壁も、左右完全対象のシンメトリーで、全てが美しく配置されているらしい。
その息吹は、ここからでも十分に伺える。
見上げる門もまた、右側が崩れているとはいえ、かつては完全なる左右対象だったに違いない。
「中心にある神殿らしきものは、いざとなったらまだ使えるらしいぞ。」
感心したようにカーレルは言った。
「知ってる。その内部には円形のホールがあって、地下へと続く階段もまだ残されているらしいわね。かつては、難民などの避難場所としても機能していたのではないか、と推測されているわ。」
「そうだな。」
お互いに、すでに持っている知識を披露したところで、ふたりは門をくぐる。
傍まで行き、触って確かめたが、積み上げられた石は、簡単に崩れそうにはない。
そうこうしているうちに、辺りはどんどんと暗くなり、ハロルドは持ってきたレンズ式懐中電灯の灯りを灯し、足元を照らした。
途中、気がついて、懐中電灯を持つ係りはカーレルが請け負う。
暗闇の中、浮かぶ廃墟は、少しだけ不気味だった。
臆することなく先を進む兄の後ろに隠れ、ハロルドは周囲を見回しながら歩いた。
「とりあえず。」
カーレルは言った。
「神殿の姿だけ確認したら、戻るぞ。中に入るのは、明日以降だ。どうせ今日はなにもできない。」
「は〜い・・・。」
目的もなく来ても、何かの収穫をいきなり得られるとも思えない。
つまらないと感じながらも、一理あると納得し、ハロルドは返事をする。
なにしろ、今日はラディスロウで、あの研究員も待っている。やることなら、他にもある。
神殿を目指して進み、大きな柱の陰から出た時だった。
先に薪による炎の灯りが見えた。
一旦、足を止めたものの、カーレルはその炎を目指す。
もちろん、ハロルドも一緒だ。
それどころか好奇心にかられ、いつしか、ハロルドはカーレルの先を歩いていた。
近くまで寄っていくと、人の気配に気がついたのか、薪をくべていた男が、顔をあげる。
「・・・あんたたちか。」
「こんにちは、なにをしてるの?」
挨拶をしても、相手は答えない。
そして、まじまじとハロルドとカーレルの顔を見返してくる。
「焚き火、あたっても良い?」
めげずに声をかけるハロルドに、男は頷きもせず、視線だけで床を示した。
分かりづらい了承を得て、ハロルドたちはそこに座る。
男は無言で、薪を炎の中へと放り込む。
よく見れば、ここで一夜を明かすつもりなのか、寝袋と、水と食べ物が少量ながら、揃えてあった。
「ここには、よく来るの?」
「ああ・・・。」
ハロルドの視線が、自分の荷物に注がれた事を知り、男は渋々答える。
「先ほどは、ありがとうございました。おかげで助かりました。」
カーレルが言うと、男は皮肉気な笑みを浮かべてた。
「・・・もう少し、お前たちの軍には迅速さが必要なようだな?」
「耳に痛いですね・・・。うちの救助部隊は、あまり役に立たなかったようで。」
ベルクラント開発チームの研究者からのSOSを受け、直ちに救出部隊が向かったものの、指定されたその場所には、誰もいなかった。
なぜならば、近くに住む村人たちが、落ちてきた機体から生きている人間を見つけると、早々に連れ帰り、手当てをしていたからだ。
行き違いになってしまった救出部隊は、少しだけ立ち往生をしたものの、無事に研究員を見つけ出している。
男の嫌味が的外れなのは百も承知で、カーレルは話をあわせる。
研究員は、この男の家に匿われていたのだが、迎えにきたのが地上軍だと知るなり、態度を硬化させたという。
何故だが知らないが、ハロルドとカーレルが礼を述べに行った時も、地上軍に対して、敵意を隠そうともしなかった。
「でも、なんでここに?遺跡に興味でも?」
不思議そうにハロルドは尋ねる。
「・・それはこちらの台詞だ。」
夜になろうという時に、わざわざ観光に来たのでもないだろう、と男が暗に言うが、
「私たちは、あなたのように泊り込んだりしません。」
そちらの方が余程、怪しいとハロルドは言い返す。
それにより、怒ったのか、図星をつかれて答えに困ったのか、むっつりと男は黙ってしまう。
この男がなにを考え、どうして地上軍に敵意を抱くのかなど、別段興味ない事だと割り切り、ハロルドは炎の灯りに照らされている遺跡の柱を眺める。
美しく掘り込まれたレリーフは、ツタだろうか。ひゅるりと天へと向け、その細い茎をくねらせている。
カーレルも黙ったままだった。
目の前の男の事に興味ないというのもハロルドと同じ理由で、戦争がひとたび起これば、そこに遺恨が生まれるのは当然であったし、言いがかりでなくても、あっても、その根底にある理由は人それぞれだ。
男の方は、地上軍を快く思ってないにしろ、危害を加えようとまではしない。
その証拠に、礼に出向いた時も、今も、追い返そうとまではしなかった。
朗らかではないが、緊迫した場面でもないその状況に、安心しながらハロルドは相変わらず遺跡を眺めていた。
なによりも、炎があるだけ、視界が利くのがありがたい。
四方に視線を走らせ、腰を下ろしている石畳にも、レリーフが施されているのに、気がついた時だった。
「・・・鶫だわ!」
踊り出しそうな勢いで、ハロルドが斜め後ろのタイルに飛びつく。
男ふたりは、その声に顔をあげた。
「兄貴、ちょっと見てよ、これ鶫でしょ?」
「・・・どれだ?」
腰を浮かして移動し、カーレルもハロルドの視線の先にあるものを覗き込む。
それは飛行する鳥を象っていた。
「確かに。」
「黒鶫騎士団の軍旗、兄貴は見た?」
ハロルドは、天上に連行されてる時と、ヴァレリーを迎えに来た時の2回ほど騎士団とはまみえたが、そのどちらも軍旗を掲げてはいなかった。それは彼らが、天上軍に下った今では、無理もない事だ。
もしも騎士団が、軍旗を掲げていたとしたら、ハロルドがラディスロウ製作の為に、第五駐屯地に駐在していたその時、交渉の為に初めて地上軍に接触を図ってきた、その1度しかない筈だ。
だから、軍旗を見た可能性があるのは・・・。
「見た。」
カーレルは答えた。
「どう?」
黒鶫騎士団の軍旗は、真紅の地に、飛行する鶫をモチーフにしている。
それを確認し、カーレルは頷く。
「これと同じシンボルだった。」
よしっ!とハロルドは小さくガッツポーズをつくる。
「やっぱり、ラヴィ・ロマリスクは、天生の民を祖先としてたのね・・・。」
それはすでに分かっている事柄であったが、更に証拠があっても、悪い事はひとつもない。
満足げに微笑む妹に、カーレルの口元も綻んだとき・・・。
「おまえたち、黒鶫騎士団と面識でもあるのか?」
声の主は、残るひとりに決まっている。
ふたりは揃って、男を振り返った。
男は面をあげ、体も完全にこちらへ向き直っていた。
その顔には、今までの敵意はなく、ただ驚いたように目を見開いている。
「あったら、なにか言いたいことでも?」
ハロルドの声があまりにそっけなく、喧嘩を売っているようにしか聞こえない事に、頭を抱えたい気分になりながら、カーレルは妹の腕を引く。
おまえは黙っていろ、という仕草だ。
う〜と不満そうな唸り声をあげているハロルドを無視し、カーレルは男と話す。
「・・・以前、ラヴィ・ロマリスクが地上軍に対して、交渉を持ちかけてきたことがあった。・・その時の使者が騎士団の総長だったんだ。」
それを聞き、男は顔を顰める。
「そういうあんたは?黒鶫騎士団と、面識が?」
黙っていろと言われていながらも、でしゃばって、ハロルドが男に質問をぶつけると、答えないかと思った男は、意外にも素直に、頷いた。
「昔、な。俺も騎士のひとりだった。」
「へぇ?」
「・・・ほう。」
それは奇遇だな、と言いながら、カーレルは再び、偶然とは全てが必然である、という言葉を、頭の中で繰り返していた。
親しみを持つ、というほどではないが、こちらへの男の警戒心は、すっかり払拭されたようだった。
なにかひとつの共通点、というのは時には、絶妙なタイミングで、絶対的な効果を齎すこともある。
「以前はどこに所属ですか?私は・・・総長と、第一から第三団長の方々にお会いしたのですが。」
カーレルは言う。
相手に会話のとっかかりを与えたつもりだった。
それによりもっと詳しく話を聞こうという魂胆だったが、みるみるうちに、男の顔色は変わっていく。
それは、戸惑いとも、歓喜とも、憤怒ともとれる表情だった。
「・・・あの?」
「それじゃ、あんた・・・。」
男は、カーレルに縋るような視線を向けた。
「・・・ダリアに会ったことがあるんだな?」
「・・・・・・!」
「・・・・ダリア・・・。」
「第二団長を務めていた女だ。髪が短くて、小柄の。」
息を飲むふたりの様子にも気がつかない様子で、熱心にダリアの特徴を話す男の顔を見て、ハロルドは、、気がついた。
男の目は、左が緑、右が茶色のオッドアイだ。
「ええ、会いました。」
カーレルは言った。
「ですが、その前に・・・。あなたはあの女性とは?」
「ああ、そうだな。」
そこで気がついた、というように男は乗り出していた体を元に戻した。
そして、僅かに、笑みを浮かべる。
そうなると人懐こさがにじみ出てきて、少しだけ、ヴァレリーに似ているな、とハロルドは思った。
「俺は、ダリアの兄だ。」
Back/Next
|