30.

 

 

「しかし、やっかいな事になりますね。」
 冷静な、まるで、本当はなんとも思ってないかのような口調で、イクティノスが言った。
 先ほどのハロルドの発言など、露ほども気にしていない。
 本当に、たとえ、滅ぼしてしまった国の民が相手でも、敵なら一切の温情をみせずさっさと排除すべし、とでも思っているかのようだ。
 だが、きっと・・・。
 やる、と決めた、勝つと決めた戦争には、迷いを持ち込まないのだ、この男の場合。
 そう分析し、カーレルは、またもや、ハロルドを賞賛してやりたくなった。
 これ程の男を、ソーディアンマスターとして選出しない手はない。
 普段は、目立つディムロスと比較され、控えめな分だけ、表立って褒め称えられる事がないが・・・。
 イクティノス・マイナードは、優秀な人材だ。むしろ、優秀すぎると言って良い。感情を露にする他のメンバーには、若いが故という欠点もあるが・・・イクティノスはその若さに反比例するように、感情の起伏を押さえつけ、第三者の立場で状況の分析をする目に長けている。クレメンテに1番近い、人材だと思う。
 
 そのクレメンテは難しい顔で、頬杖をつき、一点を見つめたまま動かない。
 リトラーも同じく、目を伏せ、腕を組んだまま、一言も発さなかった。
 その中でイクティノスは、溜息混じりに、困ったな、ともう1度つぶやいた。

「・・・ソーディアンの最たる優は、晶術です。使用する事により、相手方への奇襲の効果もこちらは狙っていた・・・。だが、天上がすでに、晶術を目の当たりにしているとなると、その点は優位には動かない。」
 そのとおり、とハロルドは頷いた。
「相手側の持つ、晶術の種は?」
「・・・確認できているのは、ふたつよ。闇系と・・・特に光系が得意であるようね。」
「そのふたつの性質を備えるソーディアンといえば・・・。」
「ベルセリオスだ。」
 今度は、カーレルが溜息をつきたい気分だった。
 計ったわけはないが、まさに彼とそっくりそのまま対になっているかのようではないか。
 もっとも、この場合は能力の優越を競うものだから、対抗、という表現の方が相応しい。
「・・・まさか、とは思うけど・・・。それ以外の晶術もブッキングしてたりしないでしょうね?」
 不満そうに口を尖られた後、ハロルドは、それまで話を聞いていながらも、いないかのようにふるまっていた連中の方を振り向いた。

「ところで、トリスタ!」
「は・・・はい!?」
 突然、名前を呼ばれ、ベルクラント開発チームの研究者は、飛び上がった。
 しかも、呼び捨てられて、普通に反応しているが、いつから彼はハロルドの部下になったのか。だが本人は、別段、不満も疑問も感じないらしく、なんでしょうか?などと腰の低い態度で、ハロルドに聞き返してもいる。
「・・・先ほどから、話題に出てる人物の事なんだけど。」
 すっと一段と冷めた科学者の瞳に戻り、ハロルドが言った。
「貴方には、誰のことだか、分かっているわよね?」
 ぱちぱち、とトリスタは、銀の眼鏡の奥で、小さく茶色い目を瞬いた。
「ええ。」
 その瞳も、科学者のそれだ。
「分かります。」
「・・・あなたが、彼の、実験をしてたの?」
「実験、と言いましても・・・人道に悖るような事までは、してませんが。ですが、ええ。彼に関するデータは、我々が採取しましたよ。」
 人道に悖る、という件で、ハロルドは疑い深く相手を見据えたが、
「まあ・・・。それは、良いわ。」
 今は、感情的に追求する気はないようだった。
 それで、とハロルドが続けようとした時、ちょっと待て、とカーレルが割り込む。

 確かに、レンズ研究の第一人者といえば、言わずと知れたベルクラント及びダイクロフトを浮かべる神の眼を使用可能にまでした技術力を持つ、ベルクラント開発チームだろう。
 故に、晶術の研究も彼らが受け持つのはしごく当たり前の流れだ。
 だが、その前に確かめなければならない事がある。
 彼らの為にも、なによりも、これからの地上軍の為にも。
 
「君たちは、ヒューマノイド・ドグマまでするのか?」
 カーレルの口調は、思わず、旧知の間のディムロスまでもが、顔を見返すほど、冷めたものだった。
 内容そのものの衝撃よりも、そちらの方に、驚きを隠せなくなったほどの。
 およそ温度の感じられないその口調に、トリスタは鼻白んだようだった。
 善悪よりも自分達の好奇心を時には優先する、科学者らしい態度と見えなくもない、カーレルはそれを観察する。
「ヒューマノイド・ドグマとは、また、穏やかではありませんね。」
「どうなんだ?」
「してませんよ!人道に悖ることまではしません。」
「本当か?」
 もしも、人体実験にまで躊躇うことなく手を染めるような連中ならば、たとえ、一時協力を仰ぐにしても、この先の対応を考えないとならない。
 それは、科学者であるハロルドの仕事を邪魔する結果になったとしても、軍師として、指導者であるリトラーの傍で、意見を言える立場の者としての、務めだ。
 道徳を欠く者を、軍部に放置しておく事などできない。
 ただでさえ、地上軍には、天上軍憎しの感情のまま、ありもしない妄想にかられ、ひとつの国を滅ぼした経緯があるのだ。
 リトラーは、それを最も悔いていた。報告を受けた後、地上軍に籍をおく者達の、そのあまりにも深い憎しみを読み間違えたことが、あの惨劇を招いたのだ、と沈痛な面持ちで嘆いているのを、かける言葉もなく、カーレルも同じ気持ちで聞いていた。今でも、あの失態を忘れた日などない。それはリトラーも同じだろう。
 あのような人の複雑な感情を、読み間違えるような失態は二度とあってはならない。
 後に火種になりそうならば、今のうちに刈っておくべきだ。ただでさえ、地上に住む者の、ベルクラント開発チームへの恨みは深い。

 カーレルに冷ややかな視線で問いただされた事に、彼自身の人間としての尊厳も、科学者としてのプライドも、傷つけられたようだった。
 顔を真っ赤にして挑むようにカーレルを見つめ返すトリスタのその表情は、科学者の顔を脱ぎ捨てて、初めて人間らしく見えた。
「誓って、してません。」
 トリスタははっきりとした口調で言った。
「・・・もっとも、なかには、かなり強引な実験・・・・人体に対するものではありませんよ?晶術の実験もありはしましたが。それも、予め協力をお願いして、承諾して頂いたもの以外は手もつけてませんし。」
「本当だな?」
「くどいです。絶対に、してません。・・・我々だとて、自分達が開発した物に対しての責任を感じています。これ以上・・・道徳に反することなどできない。」
「・・・・・もう、良いじゃないか、カーレル。」
 諌めるようにして、間に割って入ったのは、ディムロスだった。
「こうまで言っているのだ。彼を信じよう。」
「・・・・・。」
 それで、その追求劇は、終わりとなった。

 


「で、その事に関して、あんたに聞きたいことがあるのよ。」
 本当は自分が詰め寄りたい気分だったのだろうが、それを隠し、それまでカーレルに任せて静観していたハロルドが、自分の出番とばかりに、トリスタに質問を開始する。
「あんたから見て、彼の晶術は、どう思った?」
「彼の才能は、素晴らしいものです。」
 即答するトリスタに、実のところ、またか・・とカーレルもハロルドも思った。
 速攻で返事が返ってくるという事は答えに迷いがないという事だ。
 トリスタが、サロメに対して、心から賞賛の意を唱えているのは、間違いない。
 ・・・ここにも信者がひとり、か?
 思わず、カーレルは苦笑する。

「確かめたいのだが。」
 つい口を挟んで、ハロルドに睨まれたが、カーレルは続ける。
「我々の言っている人物と、君の話している人物が同じ人間だという事を今一度確かめたい。」
 たぶん、ないとは思うが・・・晶術を使う人間が、実は、ふたりいないとも限らない。
 ハロルドもトリスタも、カーレルの言わんとする事が分かったらしく、頷いた。
「我々が先ほどから話題にあげている人物は、黒鶫騎士団総長、ミゲル・カサドラ・イシュタルの事だが・・・間違いないか?」
 ほえ?サロメって全部はそういう名前だったの?とハロルドが、緊張感のない声で言った。
 トリスタの方は一旦、首を傾げた後、
「名前は分かりません。」
 と言った。
「彼は・・・我々に名乗ったことはないんですよ。」
「へえ?」
 それに対して今度はハロルドが首を傾げる番だった。
「なんであんたは聞かないのよ。名前ないと不便じゃない?」
「いえ・・・。」
 思わずハロルドに視線を向け、トリスタは慌てたようにカーレルに視線を戻す。
 いつのまにやら部下扱いされている、という印象は間違っていたようだった。トリスタはどうやら、内心ではハロルドが怖いらしい。天上から逃げてきてからの、ほんのわずかな間に、なにをされたやら。
「我々の関係性の問題もありますが・・・。元々、そういう事ってあるでしょう?名前を呼ぶ必要にかられないという事が。」
「・・・ああ・・・。」
 つまりは、名前を正確に把握しなくても、例えば"あの人"というだけで、周囲にも通じるような場合の事を言っているのだ。
 だが、それではますます物扱いだな、とカーレルは再び、鎮火した疑惑の目をトリスタに向ける。
 ハロルドは別段、それは気にしておらず、むしろ、自分の望み通りの答えが得られなさそうだという事に、不満を持っているらしかった。
「じゃあ、あんたたちは、なんて彼の事を呼んでたの?まさか、おい、とかで済ましてた訳?」
「それはないでしょう、犬じゃないんですから。」
 いきなり割って入ったのは、テアドアで、彼はその一言を告げると口を閉じた。どうやら思いつくと口に出さずにはいられない性分らしい。
 ああ、あんたいたの、と言わんばかりにハロルドは、眉を吊り上げ、当然会議が始まる前からいるテアドアを見る。
 会話に割り込まれて怒っている風でもある。
 それは、とトリスタが答える。
「我々は普段、彼の事を、"ビショップ"と呼んでいました。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・?なにか?」
 なにを期待した訳でもないが、それでは捻りもなにもない。
 思わず言葉に詰まったカーレルたちに、トリスタは不思議顔だ。
 うう〜ん、と唸った後ハロルドは、それじゃ我々は、じゃなくって我々も、じゃないの、とぶつぶつ言った。
「それってさ、サロ・・・彼の尊称だったって知ってる?」
 はい、とトリスタは頷いた。
「彼の部下という兵たちがそう呼んでいるのを聞いて、我々も真似したのですから。」
 なるほど、確かに騎士たちは、サロメの事を名前で呼び捨てたりはしないだろう。・・ヴァレリーでもいない限りは。
 面白くなさそうなハロルドの態度に、トリスタは眉を顰め、言い訳がましく付け加える。
「我々だけではなく・・・たぶん、ミクトランも彼の名前までは知らないと思いますよ?」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
 今度は先程よりも、長い間があった。
 カーレルやハロルドはもとより、ただ聞いているだけという体だったディムロスたちまで、トリスタの顔を凝視している。
 それは、もちろん、ミクトランの名前が出たからだ。
 天上王の名は時折、それを口にしただけでも、禁忌に触れる。

「君は・・・。」
 トリスタの知り合いを語るような言葉に、なんと言ったら良いものか、と慎重に言葉を選びながら、カーレルは口を開く。
「ミクトランの事は・・・・。」
「あんた、ミクトランと親しい間柄なの?」
 言葉をオブラートに包む、という事を知らないハロルドが、さっさと言いたい事を言う。まさに直球ど真ん中だ。
「まさか!」
 とんでもない、というようにトリスタは首を激しく振った。
「天上王は、誰とも親しくなんてしないでしょう。我々に対しても、見下すような態度で、命令だけをしてきた、という話です。アレの・・・失礼、ミクトランの言葉ですから・・・アレの実験は進んでいるか、と何度か横柄な態度で聞かれた事があるんです。」
 アレ、ねぇ・・・。と今度こそハロルドは、不機嫌な態度を隠しも出ずに、眉を顰めた。
「それで?あんたは"アレ"の実験はこれこれです〜って直接報告してたっての?」
「それも、まさかですよ。我々のラボには通信機器がついていて、ミクトランが一方的に言ってくるんです、いつも。結果は、報告書に纏めさせられて・・・それを担当の兵士が取りにくるんです。」
 だから、ミクトランの顔を直接見た事など1度もない、とトリスタは言った。
 だが、アレ、とミクトランがサロメの事を称したからといって、名前を知らないという根拠にはならない。ミクトランの事だ、たとえ、誰であろうと、自分以外の人間は全てアレ扱いだろう。ましてや、自分の臣下に下った者の名前など、気にする由もない。名将リトラーですらも、天上王はアレと呼んでいるに違いない。

「いえ、でも・・・。ミクトランと彼らとの間には、利害関係はなかった用ですし・・・。臣下に下ったという間柄と言って良いものかどうか。」
 まあ、そう考えると、ビショップが実験につきあう道理もない訳ではあるのですが、とトリスタが言った。
「なに・・・?」
「・・・・・・。」
 ミクトランに心酔しているようには確かに見えなかったが、それでも騎士団は天上軍に下ったものだとばかり、それまでは思っていた。 そんな、彼らが把握していたのとは違う事実を告げられ、カーレルは困惑する。
 ハロルドは、眉を顰め、じっとトリスタを見た。
 双子は、お互いに、普段と反対の反応だ。
「・・・どうしてそう思うの?」
 ハロルドに聞かれ、トリスタは自分で思った事の具現化を正確に図ろうとするように、首を傾げてゆっくりと言葉を選んだ。
「なんていうのか・・・。臣下というのは、ミクトランを主と仰ぐって事でしょう?彼らは、ミクトランに仕えているようには思えなかった。・・・言うなれば、お互いがお互いを利用して一時的に手を組んでいただけ、という感じですか。」
「・・・手を組んでいるだけ、ねぇ・・・。」
 そんな甘っちょろい関係が、果たしてミクトランと、騎士団の間で成立するものなのか?
 ハロルドが、鼻で笑うのを余所に、
「・・・利用しているだけとなると・・・。」
 カーレルは、真面目に聞き返す。
「黒鶫騎士団は天上軍に下った訳ではないのか?」
「そう思いますが。」
「彼らは、ミクトランに仕えていた訳ではないという事か?」
 そう詰め寄ったのは、ディムロスだった。
 彼も彼で、自分の中で納得していた真実とは違うものを突きつけられ、戸惑うのだろう。
 ディムロスは、彼らが地上軍を恨んで、天上を選んだと、思っていたからだ。
「・・・では、彼らはなんの為に、天上軍に味方していると?」
 カーレルが言った。
 それが責め立てているような口調になった為、ようやくトリスタは、自分が話している事は、重要なことなのだと自覚した。
「そこまでは、私には分かりかねます。そもそも、ビショップと・・・彼の黒い軍とはほとんど接触しなかったのですよ。会話もほとんど交わさなかった。」
「それで、どうして、そう思う?」
「ですから・・・具体的に、こうだという証拠はないんです。ただ、彼らの態度を見て、思っていたのです。これは他の兵の様に、ミクトランに心酔している訳ではないな、と。それどころかどうも・・・ミクトランに恨みでも抱いているかのような振る舞いでした。好きでダイクロフトにいる訳ではないが、目的の為に仕方なく、といった感じで。」
「・・・・・。」
 確かに、トリスタの観察は正しい。
 黒鶫騎士団は、地上も恨んでいただろうが、それと同じく天上軍も、ミクトランも憎んでいたはずだ。
 そもそもの、根源はミクトランにある。

「知ってる範囲で答えて欲しいんだけど。」
 ハロルドが言った。
「天上に、彼らに関わる人物が捕らわれている、というような話は聞かなかった?」
「捕らわれている?人質って事ですか?」
 トリスタは考え、
「・・・聞いたことはないですね。我々が知らないだけかもしれませんが。」
 と答えた。
「そう。それじゃ・・・。」
 ハロルドは諦めない。
「彼らの間で・・・フェザーガルドとか、聖皇女って名前がでなかった?ほとんど会話しなかったというのは、聞いたけど、思い出してみて。」

 
 ハロルドは、未だにフェザーガルドが天上に捕らえられているという可能性を疑っているのだ。
 ヴァレリーは否定したが、聖皇女を人質に取られているのであれば、今のトリスタの話にも辻褄が合うし、騎士団が天上軍に与した理由もはっきりする。


 だが、トリスタはそれにも首を振った。
 最も、本当にフェザーガルドが捕らわれているとしたら、それは上層部の扱う類のものであろうし、今や天上軍に対して意を唱えたベルクラントチームの人間が知ることなどありえない。
 だが、噂程度の段階で、彼らの耳に入らないとも、同じようにありえなかった。


 う〜ん、と唸って、ハロルドは沈黙した。
 とりあえず、これで黒鶫騎士団が、ミクトランに従っていた訳ではないと(従っていたとしても彼らの望んだものではないと)いう事だけは間違いない。
 しかし、それだとしたら、黒鶫騎士団が天上に与した理由は、今まで通り、まったくの白紙のままだ。
 しかも、たとえ地上への恨みから、天上へと鞍替えしたのだとしても、ミクトランを憎んでいたという話が本当なら、サロメが、人体実験まがいの事をされてまで、ヤツに従う道理がない。
 憎いミクトランに騎士団を従わせ、サロメが実験に協力する理由・・・。

 しかも、なんらしかの目的があって、騎士団が天上軍に手を貸しているだけ、だとして。

 そんな・・・ある意味、自分達が利用されてような関係を、あのプライドの高いミクトランが許すだろうか。
 ましてや、猜疑心の強いミクトランが、自分に心酔していない者を近くに仕えさせるなど、ありえない。
 そんな状況下では、いつ寝首をかかれるか分からないではないか。


 人質が違うとしたら・・・・。


 他にどんな理由がある?

 


「騎士団には、天上軍に勝って欲しい理由でもあるっていうの?」
 ほとんど投げやりに、ハロルドは言った。
 それは、なにを期待したものでもなかったが、答える声はちゃんとあった。
「もしくは・・・地上に負けて貰わなければならない、理由か。」
 カーレルの声は、それだけでなんだか、呪詛の言葉のようだった。

 

 

 

 

 

 

 


「ハロルド、ちょっと良いですか?」

 本来は、ソーディアン・チームの顔合わせという意味合いだったにも関わらず、ディムロスの発言のせいで、変な空気になってしまった会議を終え、ハロルドは、頭の後ろで手を組みながら、ほとほとと歩き出したところだった。
 もちろん、重い機材の類は、男のテアドアとトリスタたちに持たせてある。
 
 呼ばれ、振り向くとそこには、シャルティエが、いつになく真剣な表情で立っていた。
 見様によっては女のような柔和な顔立ちは硬く、青い目はその視線を落ち着かなく泳がせている。
「私は良いけど、あんたは大丈夫なの〜?」
 返事をしながら、ハロルドは、シャルティエの反応を見る。
 彼はリトラーから直々に、イクティノスとふたりで、若い兵士への剣術指南の役目を仰せつかったところだった。
「ええ。少しだけ、時間をください。」
 他の兵士に、自分の実力を知らしめる好機だというのに、今のシャルティエには、そんな事などどうでも良いようだった。
 彼の興味は別のところにある。
「・・・ここではまずいこと?」
「ええ、できれば。」
「じゃあ、ラディスロウの上にでも上る?あそこなら誰も来ないし。」
「人に聞かれなければ、どこでも結構です!」
 真剣に聞いたのだが、シャルティエはハロルドがふざけていると思ったらしい。怒らせてしまった。ラディスロウの上から景色を見る機会など、なかなかないというのに。窓越しから見るものとは大きく違った感想を持つのだが。


 テアドアたちを先にラボに帰らせ、ハロルドはとりあえず、近くの空き室へとシャルティエを誘った。
 そこは、内緒でハロルドが、実験機材の置き場にしているところだ。
「見つかったら怒られますよ?」
 それを見て、シャルティエは一応、忠告する。
「見つかる前にかたせば良いのよ〜。」
 対してハロルドは、やはり規律違反を気にもしていない。軍の管理下にあるものは、物でも部屋でも人でも勝手に使ってはいけないという決まりがあるのに。
 しばらく人が入っていない事で、椅子の上に積もった埃を、ふーっと拭いて、ハロルドはそこに座った。
 向かいに座るように促すと、思いっきり顔を顰めて、シャルティエは、僕は良いです、と言った。男のくせに神経質なヤツだ、とハロルドは可笑しくなって、シャルティエの顔を見る。この手の男はからかうと面白い。
「で?」
 とりあえず、それは保留にして、ハロルドはこちらから口を開いた。
 シャルティエは、別段言いにくそうにしている訳でもなかったが、なにしろハロルドは気が短い。
 頭の中で段取りを考えているならば、とにかく口を開いて貰った方が、ありがたい。話される内容が断面だったとしても、後で、ハロルドが構成し直せば、どんな話でも大抵は伝わる。
「先ほどの、話に関係のある事なんですが・・・。」
「先ほどっていうのは、黒鶫騎士団の事ね?」
「ええ。」
 シャルティエははっきりと頷いて、ハロルドを見返した。
「なにか、彼らについての情報でも?」
「と、言うより・・・。」
 シャルティエは言った。
「あの、総長という男の事です。」
「うん。」

 ハロルドやカーレルほどの思い入れはないにしろ、シャルティエがサロメを気にしているのには気がついている。
 だからこそ、ハードビー中佐を受け取りに行った時も、同行したのだ。

「話でもした?」
「いえ、まさか・・・敵ですからね。仲良くとはいきません。」
 誰も仲良く、とまでは指摘していないのだが・・・とつっこもうかと思ったが、ハロルドは、まぁいいかと思いとどまった。
 どうも、本気でからかいたくなってくる。
「でも、話がちょこっと聞こえて。」
「話?」
「ええ。洞窟の中で、ほら。天上の偵察機がやってきて、火を消したじゃないですか。あの時、僕は偶然、ヤツの傍にいて。」
 ええと、とハロルドはあの時の立ち位置を思い出す。
 サロメはあの時、モニュメントを挟んでハロルドの真向かいにいたはずで、少しだけ距離をおいて、ハードビー中佐の小隊と・・・確かにシャルティエはその時、彼らの傍で、怪我をしていた兵士の介護をしていた。
「なるほど。」
 十分に流れてきた会話が聞こえる距離だ。
「それで?なんて言ってたの?」
「はっきりとは聞こえなかったんですけどね。」
 と、シャルティエは前置きをしてから続けた。
「誰か・・・向こうの兵が、質問かなんかしたらしいんです。たぶん、どうして火を消す必要があるのかという類の事を。それに対して、憤っている感じで。」
「・・憤っている?」
「ええ。」
 なんか吐き捨てる感じだった、とシャルティエはその時の印象を語る。
「"もう終わりだ"って。」
「終わり?」
 なにが「もう終わり」なのだろう。
 シャルティエが知る訳もないが、思わず、そう反芻しそうになった。
「そうなんです。そう聞こえたんです。"もう終わりにする事にした。これ以上するべき事はない。あの、お・・・"。」

「山火事だ!」

 その時、部屋の外から怒鳴り声がした。


「え?なんですって?」
「山火事?」
 きょとん、と顔を見合わせた後、ふたりは部屋の扉を開ける。
 
 外では兵士たちがバラバラと、足音も荒く走り回っている。
 彼らが走りながら出している指示の断面を聞くと、どうやら、近くで山火事が発生したらしい。
 しかも。


「村の住人が・・・!」
「はやく!」
「避難を!」

 

 

「ハロルド!」

 いきなり大声で名前を呼ばれて、振り向くと、目を三角に吊り上げたディムロスがいた。
 その横を、わき目も振らず、アトワイトが走り抜いて行く。
 その先は医療室がある方向で、アトワイトが、自分の持ち場へと急いでいるのだと知れる。

「近くで山火事があった。」
「うん。」
「麓近くの村が煙に捲かれていて、住民を救出に向かうところだ。」
「うん。」
「火事が収まるまでの間、ラディスロウ内に避難させて、しばらく我々はこの地を離れる事になった。きっと怪我人も出ている。お前も手伝え。」
 山火事は発生すると、長い。
 場合によっては、何週間もくすぶり続けることもありうる。
 だからその間、ラディスロウを、村人の避難所に提供する、という事だ。
「ぼ・・僕も手伝います!中将!!」
 話を聞き、身を乗り出すようにして、シャルティエが名乗りをあげた。
「無論だ。」
 それをどう思ったかは知らないが、好ましい態度ではあったのだろう。
 ディムロスはシャルティエに、にこりと笑いかけると、早くしろ、とハロルドを急きたてた。

 

 

 

 

 

 

 

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第30話なのに、休憩みたいな話で申し訳ない・・・。 今回ははっきり言って面白くもなんともない話。
それなりに重要ではあるのですが、あいかわらず、あれやこれやと事実が小出しに出てきてます。 なんだか堂々めぐりっぽい;; 実はトリスタは当初、違うことの証言をする筈だったのですが・・・そっちもやっぱり堂々めぐりなだけで、それなら、後になって、もっと重要な役割も与えられるかも、という事で、今回は、さわり程度。 次は加わる人がいたり、移動したりしますよ〜。

(’06 10.19)