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地上軍の迅速な働きの為に、とりあえずは事なきを得た。
・・・結論から言えば、そういうところか。
山から起こった火の手は、この地独特の山から常に吹き降ろしている強風のに煽られてその足は異常に早くし、ハロルド特製の威力の強い消火剤をもってしても、消しきることはできなかった。
村人たちは、命あっての物種だから、と諦めた顔で笑い、一旦、この地を離れる事を承諾した。
数週間、もしくは数ヶ月後の状態如何で、連れ戻す事を条件に、全員が村を置いてラディスロウへと避難する事になった。
その村人達の決断の早さにより、大した怪我人もなく、済んだことは不幸中の幸いとするべきか。
今、ハロルドは、アトワイトと共に、村を覆った煙に捲かれ、目の痛み、喉の痛みを訴える人々の治療を手伝っている。
「だけど・・・移動したばかりだったというのに、とんだ事になったわね。」
治療もひと段落すんだ後、アトワイトが立ったままで、ハロルドが持ってきたクッキーを摘みながら言った。
もちろん、それはいつもの病人の為におやつに用意したもので、先ほど村人を優先に配り終わり、その残ったものだった。
ラディスロウ程の大きな戦艦が、移動するのには、燃費も嵩む。
ただでさえ少ない予算を切り盛りする会計係も、今頃頭を抱えていることだろう。
「今度は・・・どこらへんに落ち着くのかしらね・・・。」
「それは今、兄さん達が、会議してる。」
その向かいで、固いベンチに腰掛け、立っているアトワイトを見上げながら、ハロルドはほとんど味のない薄い紅茶を啜る。
駐屯地を決めるべく、上層部は全員が朝から会議室へと詰めていた。
今、ラディスロウは海辺の近くに、不時着していた。
泳げる事などできないが、周囲は元々温暖な地方だった為に、凍てついていない海を臨めるのが久しぶりとあって、多くの兵がラディスロウから外へと飛び出し、波を眺めに行っている。
アトワイトに行かないのか、と訊ねると、全ての治療が終わった訳ではないから、と笑って言った。
「あなたこそ、行かないの?」
「あんまり海は好きじゃないから。」
好きではないというのは適切ではないが、ハロルドは、あえてそう説明した。
豊かな海は、色々な生命で溢れているものだ。
かつてハロルドにとって、海は、好奇心の宝庫だった。いつかは海中に潜れる機械を作り出し、色々な生物をこの目で見てみたいと思っていたものだ。そこは、水の中とは思えないほど色彩が豊かだという。
だが今や、長い間太陽を閉ざされ、海水の温度が下がった事により、絶滅したとされる生き物も多い。
図鑑でその姿を見た時から、特に興味を持っていた、海に住む知的哺乳類であるイルカがその中に数えられた時、ハロルドは海に対する興味を失ってしまった。
今や、ハロルドの目には波は墓標そのものに見える。
「どこになるかは知らないけど・・・。」
アトワイトの声にはいつもの覇気がない。
少し疲れでも出てきたのだろうか。無理もない、とハロルドは思った。昨日からずっと彼女は働き通しだ。
「・・・近くであって欲しいわね。」
「どのみち、そうなるだろうけど。」
燃料の問題と、いずれは村人を送り届けなければならない、というふたつの条件を考えれば、そう遠くはない筈だ。
そう言うと、そうよね、とアトワイトは笑った。
実を言うと、彼女はあまり乗り物に強い方ではない。
医者としてのプライドから、めったに人にその手の弱みを見せないが・・・。以前、ラディスロウが昼夜を飛ばして、長距離を移動した時は、重度の船酔いを起こしていた。
その時、ハロルドの部屋にこっそりと、薬を処方してくれとディムロスがやってきたのを覚えている。
「・・・私は医者じゃないのにねぇ・・・。」
医者用の薬を科学者が作るなんて、本末転倒だ。
「え?」
ハロルドの含み笑いに、アトワイトが首を傾げる。
それに、いいのいいのこっちの事、と言った後、
「あ、そうだ。」
とハロルドは思い出した。
「ねぇ、シャルティエって今、どこにいるか知ってる?」
「シャルティエ?」
アトワイトは、ルビーのような赤い瞳を少しだけ見開いた。
「さっきまで、具合の悪くなった村人を医務室まで輸送していたけど・・・。それも終わって、今は休んでいる筈よ?なに?彼に用事?」
「うん。ちょっと話したい事があるって言ってたから・・・。」
火事の騒ぎで、結局は、話は中断されたままだ。
ハロルドと騎士団に同行したシャルティエは、ディムロスとは別行動していた洞窟で、騎士間の会話を耳にしている。
それが、重要な事かそうではないかは分からないが、彼らの言葉を注意して聞いていたのは、シャルティエだけだ。
証言を得られるとすれば、彼しかいない。
事実、シャルティエは、ハロルドに、何かを言いかけていた。
じゃあ、ちょっくら部屋まで行こうかな、と腰を浮かしかけたところで、ダメよ、とアトワイトがハロルドを睨んだ。
「彼は十分に働いた後なのだもの。今は休息が必要よ。もう少し待ってあげて。」
当たり前だが、兵士も人間の為、疲れ果てるほど働けば、体を休めなければならない。
そのうえ、アトワイトは、あなたもよ、とハロルドに言った。
「・・・貴方は特に。いつもの頭脳労働に加えて、肉体も酷使しているのですからね。すぐに部屋に戻って、休みなさい。」
「アトワイトだって、働き詰めじゃないの。」
唇を尖らせてハロルドが言うと、私は後1時間で勤務が終わるから良いの、と言い返された。
「その後は、しっかり休ませて頂きます。さ、貴方は、戻った戻った。」
せっつかれて、ハロルドはなによ〜と腰を上げる。
にっこり笑ってアトワイトは、クッキー美味しかったわ、ごちそうさま、と言った。
そこまで言われたら、駄々を捏ねているのも恥ずかしく、とりあえずは部屋に戻るかとハロルドも諦めた。
それに、確かに、疲れていない訳でもない。
夜通し働いたのは、ハロルドも同じだ。
「すまないが。」
調度その時、医務室の白いカーテンの向こうから、呼びかける男の声がした。
「あっちで休んでいる爺さんが、痰が絡んで苦しそうなんだ。ちょっと診てやってくれない、か・・・。」
アトワイトが開けたカーテンの向こうで、お、と男は目を丸くする。
それから、いても可笑しくないのだと気がついたらしく、よぅ・・・とハロルドに片手をあげ、バツが悪そうに挨拶をした。
「あ、そっか。」
ハロルドも、ぱちんと手を打つ。
「村って、あんたの住んでた村なのね。」
曖昧に笑みを浮かべてそこにいたのは、カルロだった。
「おや?」
カルロの顔を見るなり、カーレルは目を丸くする。
「偶然・・・というべきなのか、な?」
「ああ、まあな・・・。」
ここでもバツが悪そうに、カルロは頭を掻いた。
遺跡で一夜を過ごした仲なのだから、もう少し打ち解けてくれても良さそうなものだが、カルロが気にしているのはたぶん、自分の出身の方だろう。
騎士団にかつて在籍していた身で、地上軍の世話になるのが悔しくもあり、同時に、ハロルド達を知った今、そんなのは単なる意地だ、と思う部分もあるのだろう。
カーレルの部屋だった。
軍人の個人部屋は、一般人の立ち入り禁止区域にあるが、特別に許可が出たり、軍人が同行している場合は別だ。
医務室でカルロと出会うなり、ハロルドはカーレルの部屋まで連れ帰った。
会議が終わって一休みしようと、戻ってきていたカーレルは妹の奇襲にあい、またしても睡眠時間を削る羽目になったのだが、疲れた顔の兄の姿を、ハロルドは一向に気にしていない。
鬼のような妹だ・・・とカルロが小声でつぶやいたのをその横で聞き、もうひとりの闖入者が、無言のまま小さく頷いてた。
ハロルドが、カルロをカーレルの部屋で引き合わせている時、控えめに訪ねてきた人物がもうひとりいた。
彼はハロルドとは違い、カーレルが忙しいかどうかを確かめた後、部屋へと通されたのだが。
カルロが元黒鶫騎士団だと紹介された時、シャルティエは、複雑な表情を見せた。
それは、過去、地上軍がラヴィ・ロマリスクに対して起こした事件の顛末を知っている者としては、しごく当たり前の反応だ。
カルロの方は逆に、それでシャルティエを、蟠りを解く相手と定めたようだった。
例え自分に咎がなくとも、同胞だというだけで、罪悪感を感じているらしいシャルティエの態度を見て、気が弱そうだが、良いやつじゃないか、とカルロは小さく、ハロルドに耳打ちをした。
「おいおい、つまりは・・・初めから全部知ってたってことかよ?」
嘆くように言うカルロに、そうよ、と悪びれもせずに答えるハロルドのその横で、カーレルが苦笑した。
カルロの方は、告げられた事実と、まるで自室であるかのように足を組んで、目の前でふんぞり返っている小柄な女性の姿に、思わず頭を抱える。
この双子の事は、噂では聞いていたが、これは予想以上に手強く、ふてぶてしい。
遺跡では、ダリアの行方不明を知っている事も、ヴァレリーと接触していた事も、おくびにも出さなかったではないか。
あの時のふたりの態度を思い出し、カルロは心底、呆れる。
遺跡で会った時、まだカルロは信用に足る人物かどうか分からなかった。
だが今はもう少し、教えて欲しい事もできた。
そして、計らずも、しばらくはお互いに近くにいる状況になった以上、敵も味方もあったものではない。
それ故、ハロルドは、先日ではあえて語らなかったこちらの事情を、カルロに話す事に決めたのだ。
「それで?」
少しのショックから立ち直った後、思わずぶっきらぼうな口調になって、カルロはハロルドに聞く。これくらい許されるというものだろう。
「聞きたい事ってのは、なんだ?」
「うん、まあ、色々とあるんだけどね。」
色々と、と言ったのは、後から増えていく可能性がある、という布石だ。
「とりあえず、ミゲルの事、かな。」
ハロルドの答えに、そうだろうな、とカルロは言った。
あの時、話したのはほとんどがヤツの事だったから、と。
そして、ハロルドたちの先回りをして言った。
「入れ替わっているってのなら、ないぜ。」
やっぱりカルロもその点は考えたのだろう。
きっぱりという言葉は、確信に満ちていた。
「俺は確かに、帰ってきた後のヤツには会ってないがね。」
「なのに、どうして断言できるの?」
「総長であるミゲルの傍には、常に副総長のラルフィルドが控えていた。ダリアは元はと言えば、そのラルフィルドの部下だったんだからな・・・。当然、ミゲルの顔を何度も見ている。ベルクラントが落ちる前のミゲルの顔を、だ。」
当然、それはとっくに考慮に入れていたが、あえて、ハロルドは、それに頷く。
唇を尖らせた不満そうなその表情を見て、カルロは笑った。
「そりゃまあ、下々の者とはお付き合いしない主義のお人だったから?遠目にだったかもしれないがな。・・それでも、ダリアでなくても、ラルフィルドとヴァレリーがいる。あのふたりなら、もしもミゲルと同じ顔の人間がどこかに都合良くいて、なんらしかの理由で、入れ替わったのだとしても・・・気がつくさ。なにしろ、幼馴染だったんだからな。」
「失礼。カルロ殿も幼馴染、とお聞きしましたが。」
ハロルドの肩越しに、カーレルが言った。
部屋の中の4人とも座っていたが、あまりにも背の違う双子故、ハロルドの頭を軽く越す位置に、カーレルの顔がくる。
「それは間違いではないが・・・。俺は、あいつらよりも数歳上だからなぁ・・・。」
一緒に遊ぶ年でもなかった、とカルロは言った。
「特に、ヴァレリーのやつだな。あいつがミゲルを間違えるとは思えない。」
「と、いうと?」
「とにかく、仲が悪かったからな。」
カルロの証言に、思い当たるところがあるハロルドは、カーレルに、目配せをした。
「とっくみあいの喧嘩でもしたの?」
「いや、そういうのじゃなかったが。徹底してヴァレリーはミゲルを避けていた。そりゃあもう、絵を描いたように、あからさまでな。司祭たちも困って、なんとかふたりの仲を取り持とうとしてたんだが・・・最後は、嫌いなものを無理に好きにならせるのは無理だって、諦めたらしいな。」
「・・そんなに嫌ってたの。」
「毛虫かネズミ並にな。」
目を細めてカルロは言った。
笑って良いものかどうか、カーレルは迷ったが、ハロルドはへぇ、と妙に感心したように目を丸くしていた。反応がどうにもずれている。
「やっぱり原因は、ミゲルの性格?」
「ああ。ヴァレリーは、子どもの頃から妙に聡くてな。人の腹の中が読めるようなところがあった。ミゲルのやつが、小さい頃から野心家で、自己顕示欲の強いヤツだと見抜いていたようだ。そこがまっすぐなあいつとは合わなかったんだろうな。まあ、ミゲルの血筋を考えると、野心家なのは納得できないこともないが、子どもには、そこまでの事情を察するのは無理ってもんだ。」
「あの、総長の血筋ですか。」
言ってから、あの、というのが、現ミゲルを指す言葉とするなら、この表現は間違いだったな、とカーレルは思う。
今のカルロが言うミゲルとは、記憶を失う前のミゲルの事だろうからだ。
「そう。あいつの親父ってのは、元々は、前教皇の侍従だったんだ。色々と目をかけられて大司教に推挙されるまでになったが、実のところ・・・様々な軋轢があってな。・・・なにしろ、前教皇ってのは、なんつうか。聖職者にしては、あまり褒められたお人じゃなかったらしいからな。ラヴィ・ロマリスクが以前ほどの政治力をなくしたのは、なにも、天上がベルクラントで地上を脅したからばかりじゃないのさ。傍近くにいて、裏で色々と前教皇の手助けをしてきた見返りに権力を得たものの、結局は長い春を謳歌する事はできなかった。前教皇をよく思わない他の大司教たちの手で、栄光の座から引き摺り下ろされたんだ。まあ、そういうこともあってな。権力に対する執着心の強いその父親に育てられたんだ・・・。想像できるだろ?」
「うん・・・まぁね。」
同情に値するかどうかは別にして、そういう親の影響を受けていれば、幼い頃から権力に固執していても可笑しくはない。ましてや、子どもにとっての、親の支配力は侮れない。
「・・・あの黒い総長が、ですか。」
話の全体が見えないながらも、懸命についていこうとしているシャルティエは、一緒になってカルロの話を聞いていた。
「なんだか・・僕にはそういう、政治的な野心家って匂いのする男には感じられなかったけどな。」
「そう、それは私たちも同意見。」
あんた、結構人を見る目あるじゃない、とハロルドに言われ、バカにしないでください、とシャルティエは口を尖らせた。
そして、話はカルロに戻る。
「そういう訳で、だ。ヴァレリーがあれだけ嫌悪していた男が入れ替わったりしたなら、気がつかない訳がない。」
「うん、そう見るのが打倒よね・・・。」
「まだ、納得できないか?」
ハロルドの曖昧な返事に、カルロは苦笑を浮かべて聞き返す。
それならば、納得できるまでとことん付き合おう、というつもりらしい。
「じゃあ、質問1。」
ハロルドが言った。
「これは確認だから、何度も同じ事聞いても、気分悪くしないでね。・・・ミゲルは晶術の類を使えなかった。のみならず、剣の腕前も大したことなかった。」
「ヘタとまでは言わないが・・・さほど抜きん出ていた訳ではなかったな。」
え、とシャルティエは目を丸くする。
彼の知っているミゲルは、天上から逃げる時、死の覚悟をさせられた程の相手だ。
「質問2。」
ハロルドが言った。
「彼は・・・それほどの美貌じゃなかった。」
「それほどっつうのが、どれを指すのか俺にはわからん。」
少し困ったような顔になって、だが、とカルロが答えた。
「人によって美醜の基準は違うってのを、頭に入れて聞いてくれ。ミゲルのやつは、確かに美形ではあったんだ。だが・・・俺はそれほどではなかった、と思う。もちろん、俺もヤツの事を嫌っていたから、そういう事情から目が曇っていたっていう事もありえる。だが、ダリアが言うような・・・絶世の?美貌ってやつじゃなかった。さすがに、それは・・・違うと思うぜ。」
「・・・それだけ聞くと、絶対に、別人って感じなのに。」
う〜ん、とハロルドは悩む。
いっその事、写真でもあれば、手っ取り早いのに。
「でも、あんたも入れ替わりは無理だって思うのよね?」
「ああ。本当はミゲルのやつはとっくに死んでて、あんたも含めた全員が、今は実在しないミゲルの幻を見てるってんなら話は別だ。いくらなんでも、な。」
「それはないわね。」
そんな荒唐無稽な。
ハロルドは次に打つ手を失って、そこで黙った。
カーレルもそれ以上は、反論の余地がみつからないらしく、さきほどから黙って腕を組んだままだ。
こうなると、カルロの言った、記憶を失ったミゲルは、そのせいで人が変わった、というのが正しいように思えてくる。
記憶を失って。
なにもかもを失くして。
そして、開眼するものが・・・彼には、あった。
「・・・・それとは逆に。」
ハロルドの頭にはその時、違う説が飛来した。
「ミゲルが・・・。」
「なんだ?」
なにかを思いついた事を察したカルロは、それがなんだ、と興味を引かれたようにハロルドを見る。
カーレルは腕を組んで黙ったままではあったが、やはり妹に注目していた。
ハロルドは、カルロの方を向いていた首を巡らし、カーレルを視界に入れて、口を開く。
「本当は、記憶を失っていなかったら、どう?」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
カーレルは、眉をぴくりと少しだけ吊り上げる。
「・・・どうって言われても、なぁ・・。」
ぴんと来るものがないらしく、カルロは頭を掻きながら、ハロルドを見る。
「ヤツが記憶を失ってなかったら・・・それで、なにがどうなるんだ?」
「・・・彼は、嘘をついているという事ですね。」
カーレルが静かに言葉を発する。
「そして、それをする理由は・・・人には話せない事があるからに他ならない。」
記憶がない、というのは実際、証明する事はできない。
本人の頭の中にあるものが、本当に有が無かなど、他人では判断できないからだ。
逆に、本当は覚えていたとしても。
忘れた、知らない、と惚けとおせれば、それは証明になる。
「確かに、これは悪くない考えだわ。」
自画自賛してハロルドは言った。
「仮になにか理由が・・・画策の類と今はしておきましょうか。それがあったとして。偽物だったならば、ミゲルに成りすます必要がある訳だし、本物のミゲルだとしても・・・なにか・・昔の彼に対して、追求されたらマズイなにかを抱えている事になる。」
「それに・・・それならば、本人だったとしても、顔の変化にも一応の理由付けができる。」
カーレルが、ハロルドの言葉の後を請け負って、答えた。
「顔?」
怪訝そうに、カルロはふたりを見比べる。
「そう・・さっきから話題になっている、あの美貌。」
「記憶を失っていなかったら・・・顔が変わるって言うんですか?それって反対じゃ?」
訳がわからない、という表情で、シャルティエがカルロを援護した。
「ううん、変わったのよ。彼を見る人間の目の方が、ね。」
ハロルドは言った。
「・・・顔つき・・表情というのは、同じ人間を別人に見せるものだもの。」
「え?表情?」
きょとん、とした顔でシャルティエは聞き返す。
それこそ、今の彼の顔は、年よりも幼く見える。
そう、と頷いて、ハロルドは未だに怪訝そうなカルロを見返した。
「実際・・・人間の顔って、結構曖昧に捕らえられている部分が多いの。たとえば、ここにいるシャルティエが誰々に似ているって私が言うとするわね?でも、その通りだ、と同意する人って・・・案外少ないのよ。人間の顔に対する認識は、人によってずれがあるの。シャルティエの顔で、目が印象的だと覚えている人もいれば、鼻ばかり印象が残っている人もいるわ。それによって、感じ方は違う。」
「・・・それで?」
「人の顔で、最も大きな印象を与えるのが、表情、という事です。」
カーレルが言った。
「・・・今まで聞いていた話をまとめると・・・カルロ殿が知っているミゲルは、なんだか腑抜けた印象を受けます。」
そうだ、とカルロは言った。
「だとしたら・・・あまり精悍な顔立ちだったとは思えない。危険な事ばかりを部下に押し付け、自分は安全な場所にいる人間には、危機感というものが欠如している。」
「まあ、盗賊の討伐とかには出てたみたいだけどね。それでも、ミゲルは温室育ちで、自分の命を賭けて日々を生きていた訳ではない。」
「・・・ああ。」
「明日をも知れぬ命の我々とは違うって事ですか・・・。」
シャルティエがなんだか悲しそうにつぶやいた。少しばかり貧乏くじを引いた気分になったのかもしれない。
ひがみっぽい帰来はあるが、繊細である事も、シャルティエの特徴だ。
「けれど、もし。」
ハロルドが言った。
「・・それまでの、命の危機に晒された事など状況から、かつてないほどの衝撃を受けるような経験をした、としたら?それによって、彼の持っていた価値観が1度に変わり・・・もう、それまで見えていたものが、全て違う意味を持ってしか見えないようになってしまったとしたら?」
「きっと、表情には凄みが増し・・・精悍さも加わるでしょうね。」
時には、鬼気迫るものとして、見る者を圧倒するだろう。
それまで、ふやけていた表情が、その様に一変したならば。
受ける人間の印象はかなり違う筈だ。
「もしてや・・・一応美形だったという事だし。」
美しい造形の顔というのは、凄みが増せば、一段と美しく見えるものだ。
真剣な表情というのがそれだが、ましてや男となれば、表情が引き締まり、凛々しくも雄雄しくも感じられるだろう。
それで、絶世の美貌、と称されるようになることも・・・あるやも知れない。
彼はなにか、とてつもない体験をして。
顔つきが変わり、表情に凄みが増し、精悍さを増し・・・それによって・・・見るものはそれを美貌と認識する様になった。
「なるほど。」
カルロは言った。
「つまりは、それが、ヤツにとっては、ベルクラントに吹っ飛ばされた経験ってやつだな・・・・・。いや、違うか。」
「ええ。」
カーレルがそれに頷く。
「ベルクラントで彼が、死に掛かったというのは事実ですから。その経験によってそれまでの物の考え方が変わったのだとしても、それは・・・別に隠す必要はない。彼が、記憶を失ったと嘘をついているならば、理由は他にある筈です。」
「そうか、だから。」
カルロは納得したように頷いた。
「記憶を失ったとしなければならない程の、周囲に漏らせない事情があるんじゃないかっていうんだな?万が一にも、そんな事は知らないと、しらばくれる為に。」
ベルクラントに巻き込まれたというのは、大変な目にあったと、誰もがそれで納得する類の・・・痛烈な経験だ。それによってある程度の辻褄の合わない事実など、まかり通ってしまう。
彼が別人の様になったのは、それが原因だとしても誰も疑わないだろう。
なのに、記憶がない、という部分が余分なのだ。
記憶を失ったと主張する事で得られるなにかがなければ、それをする意味がない。
だから、そこになにかがある。
簡単な原則だ。
では、それはなんなのか。
もちろん、カルロの最初の主張のように、本当にミゲルが記憶を失って、顔つきが変わっただけかもしれない。
だが、どうもそれだと・・落ち着かない感じがするのだ。
言うなれば、できすぎ、な感覚。
ひとりの人間に対して、変わったという多数の証言がある時に、都合良くそれを裏付けるようにして、こんなにひどいことがありました、と誰の同情も得られるような悲劇が、バーゲンセールで押し寄せてくる。
・・・演出を疑いたくもなる。
ミゲルの美貌の差の話は、こじつけ感はあるが、一応それで筋が通った。
剣術も磨けば、冴える事もありえる。
後は。
「余計っていえば、晶術も余計よね・・・。」
ハロルドが言った。
「余計、ですか?」
「うん。記憶を失って、顔つきが代わり、心を入れ替えて別人のようになり、そのうえ、晶術を使えるようになった。どう?なんか、都合が良すぎる気がしない?」
「・・・・確かに。」
他に誰も返事をしないから、という理由からではないが、シャルティエがひとりだけ言葉に出して同意する。
けれど、すぐに彼は眉を下げて、ハロルドを見た。
「でも・・・それが、どうだっていうんです?」
都合が良すぎる、というのは単なるハロルドの感想であって、確証ではない。
疑えばキリがないが、それぞれを考慮していても、決定的な証拠が見つからないなら、単なる想像の産物だ。
それを理解しているカーレルは、先ほどから黙したまま、一言も発さない。
カルロも、打つ手なし、と考えるのを諦めたようだ。
ハロルドは考えるのは得意だが・・・。
なんの要素もない今の時点では、考えているだけでは、正解に辿り着ける訳もなかった。
空間ごと固まってしまったかのように沈黙する一同の態度を見て、シャルティエは大きく溜息をついた。
入ってきた色々な情報を処理するのに、頭も疲れたが、体も重く感じる。
そういえば、山火事のせいで、昨日から一睡もしてない。
「あ、そうだ。」
そこでハロルドは、今気がつきました、というようにシャルティエを見た。
「そういえば、あんた、なんでここにいるわけ?」
「・・・・・。」
青筋、というのを見た事がなかったが、まさにこれのことか、とのんびりとカーレルはシャルティエを観察する。
ハロルドの一言に、シャルティエの表情はみるみるうちに変化し、今や、涙目にすらなっている。
彼の中で、情けないやら悔しいやらの色々な感情が、一気に湧きあがってきたものと見えた。
「・・・・か・・会議の後に。」
けなげにも、それでも答えるシャルティエの声が、心なしか上擦っている。
必死に冷静さを保とうとしているのだろう。
「・・・・言いかけた話の続きをしたくって。」
「ああ!」
ぱちん、とハロルドは胸の前で手を打った。
そういえば、山火事の援護に借り出された為、聞けなかった話があったのだ。
「その事だったのね!良かった、私も聞きにいこうと思ってたの。」
それは本当の事で、機嫌を取ろうと思ったものではなかったが、疑わしそうにシャルティエはハロルドを見る。
だが、それなりの効果もあったようだ。
シャルティエが、ふう、と大きく溜息をつき、そうです、と言った声にはもう怒りが込められていなかった。
「なんだ?なにかあるのか?」
「シャルティエは、重要な話を知ってるの。」
「重要な話?」
カーレルはそこで、初めて怪訝そうにシャルティエを見た。
そんなものを本当にシャルティエが持っているか?と言わんばかりの態度だ。
傍で見ていたカルロはその時、この兄妹、本当にこいつの存在を重要視してなかったんだな・・・とシャルティエに同情している真っ最中だった。
「シャルティエは、洞窟でサロメたちの話を聞いたんだって。」
兄に頷き、ハロルドは言った。
「そんな報告は受けてないが?」
「いちいち、上層部に報告しなければならない程の事じゃないのよ。」
先ほど重要だと言ったのはどこの誰だ、とカーレルは呆れる。
「・・・つまりは、個人レベルの話、という事だな?」
それでもわざわざ知らせにまで来てくれたのだ。
なんでもない類の事、でも、最早あるまい。
そう思い、カーレルは姿勢を正してシャルティエを見た。
「個人レベルというよりも、僕の推測なんですけど。」
シャルティエは、カーレルに頷く。
「・・・騎士団の行方に関係していると思うんです・・・。」
サロメが、とハロルドが言ったのを聞いて、自分には無関係の話かと思っていたカルロは、いきなりのシャルティエの言葉に大きく反応した。
「あいつらがどこに行ったか、知ってるのか?」
「いえ、そうじゃなくって。」
身を乗り出してきたカルロに、そこまで期待されてはまずいと、シャルティエは慌てる。
「でも、どうも・・・天上には戻るつもりがないんじゃないかなって。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
間があった。
「・・・え?」
「・・・なんで、そう思うわけ?」
あれってこういう話だったの?と思いながら、ハロルドは予想外の沈黙に戸惑っているようなシャルティエをまじまじと見る。
いつになく眉を顰めた表情のシャルティエは、それは・・・と、言葉を選んでいる。
迂闊だった、とハロルドは舌打ちした。
シャルティエが話があると言ってきた時に、会議のすぐ後だった事を考慮して、重要な・・・ハロルドの予想よりも重大な話であると、気がつくべきだったのだ。
「ほら、ハロルドにも言ったじゃないですか。」
気を取り直したようにして、シャルティエは喋りだす。
「洞窟で、地上軍の飛行艇から身を隠すようにして、火を消した時。」
「うん。それで、騎士の誰かが、サロメに、なんで火を消すのかって聞いたって。」
「話の腰を折って悪いが。」
カルロが言った。
「サロメってのはミゲルの事だよな?」
「・・・黒鶫騎士団の、現総長の事よ。」
カルロの知っているミゲルの事とか限らないが。
「・・・ヴァレリーはミゲルって呼んでたけど。」
「それで?シャルティエ。」
カーレルが冷淡なほどに、そっけない口調で言った。
シャルティエに対してではなく、横で展開されている無駄な話の流れを断ち切ろうとしたのだ。
カーレルも、話の先を聞きたがっていた。
「その時に、総長が言ってたんです。」
シャルティエは、はい、と頷くと、カーレルに答えた。
「『これ以上、あの女に膝を屈している意味などなくなった。』」
「・・・・?」
「・・・女?」
「はい。その後にちらほら聞こえた話から、どうも・・・ダイクロフトにいるらしいんですよ。その女が。ほら、会議の時、ベルクラント開発チームだったあの学者が言ってたじゃないですか。騎士団は、ミクトランじゃないものに仕えてたって。」
「ああ・・・。」
そうだった、とカーレルはあの時の話を思い出す。
確かにトリスタという科学者は、騎士団は好きでダイクロフトにいる訳ではなさそうだった、と言っていた。目的の為に仕方なく、天上に手を貸しているだけに見えた、もっとも印象だけで、確かではないが、と。
だがそれは、逆を言えば、わずかな触れ合いでも察せられる程、はっきりしていた態度だったという事だ。
「それを聞いて・・・僕もその事を思い出したんです。騎士団が仕えていたのって、つまりは、その女だったんじゃないんですか?」
サロメが、膝を屈すると言ったのならば・・・騎士団は、その女性の配下にあった、という事だ。
騎士団が仕えていた相手は他にいた。
天上軍でも、ミクトランでもなかった。
服従していたその相手は、女性だった。
「けれど・・・。」
「もう、その必要はなくなった・・・。」
カーレルと、ハロルドが同時に、シャルティエの言葉を反芻する。
「はい。だから、騎士団はもう天上には戻らないんじゃないかなって。それなら、飛行艇から身を隠した意味も分かると思って。」
「・・・・・女。」
その時、ハロルドは「女性」というキーワードを以前にも聞いた事を思い出した。
「女と言えば・・・。」
「俺もひとつ、思い出した事があるんだ。」
ハロルドよりも早く、カルロが口を開いた。
「あんたたちと遺跡で別れた後、すぐにな。」
カルロの口調は、いやにはっきりしていて、それをハロルドたちに聞かせる為にここを訪れたのだと、告げていた。
「なに?」
3人はカルロに注目する。
「ラヴィ・ロマリスクが焼け落ちた時・・・。」
それを言う一瞬だけ、カルロはハロルドたちを避けるように、床に視線を落とした。
「ダリアたちと一緒にいなくなった、女性の司教がいた、と話したろう?」
「ええ。」
「確か、アンタイルスの教団服を着ていたって、そこまで聞いたわ。」
兄妹が言うと、カルロが頷いた。
「それで、俺も思い出したんだ。」
「なにを?」
「アンタイルスはミクトランの故郷で・・・それが原因で不当な扱いを各国にされていただろう?それを、かつてラヴィ・ロマリスクが庇護していた。」
カルロは言った。
「うん、それは知っている。」
「故に、今でもアンタイルスは、リ・ヴォン教を信仰している。」
「まあ、そうでしょうね・・・。」
「・・・・・。」
それは分かるが、なんだというのだろう、と思いつつも、ハロルドは頷く。ここは急がず、カルロに背景から説明して貰った方が良い。
カーレルも黙したまま聞いている。
詳しい事を知らないらしく、シャルティエだけが、へえ、とか、そうなんですか、とカルロの言葉に相槌を打っていた。
「それで、だ。アンタイルスには、結構、大きなリ・ヴォンの神殿があるんだ。教皇がいるラヴィ・ロマリスクほどの規模はないが・・・他国にしては、類を見ないほどの大きさだった筈だ。そこには、ラヴィ・ロマリスクから派遣された司教たちが大勢いた。皮肉にも、そのおかげで、ラヴィ・ロマリスクが壊滅した今、リ・ヴォン教の中心になっているそうだ。」
「それで?」
「そのアンタイルスには。」
カルロが言った。
「前聖皇女がいる筈だ。」
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