砂漠化が進んだ為に、町の南は砂の平原の中に黒々とした影を落とし、聳え立っている。
 その砂漠を通って吹きこむ風が、石の壁を焼き、歩く回廊での体感温度は、肺まで焼き尽くすかのように暑い。
 この時代、暖かい場所など、どこにもないと思っていたが、調度このあたりに外殻の形成した大地が、ぽっかりと穴が開けているという。その穴から差し込む太陽の光が、砂漠を荒涼化させ、だが、どこでも望むことのできない日の光を齎してもいた。
 熱い石の連なる廊下を教えられた通りの道順で歩きながら、ハロルドは、やけに美しい神殿の整えられている庭に咲く、小さな花を見て妙に感心をした。
 噂通り、町中と神殿の中では雲泥の差がある。まさか、ここで花の類を拝めるとは。

 アンタイルスという国にまず来て驚いたのが・・・。
 あまりの廃れぶりだった。
 何度もカルロの口から聞いてはいたが、それは想像以上で、ミクトランに対する地上の人々の恨みを象徴するかのように、町は悪意に晒されていた。
 謂われなき差別が、何年にも渡って降り注がれていたと察せられる町中には、それを証明するように、およそやっかいなもの・・・天上から落ちてきたゴミがあちらこちらに点在していて、ダイクロフトから何も考えずに、ぽいぽい投げ捨てられてきたそれらの汚物を、わざわざ外の人間がかき集めてきて、ここに持ち込んだという痕跡が、あからさまな形で残されていた。
 そして、それらの汚物が人が当たり前のように送れる筈の、健康な生活を脅かしてきたのが明らかだ。
 
 ここはまるで死者の国だ。
 それは覇気がなく、生きる事に絶望している人々の、空ろな視線が物語る、もう一方の現実だ。
 なにも戦争で犠牲になるのは、死んだ人、戦っている人ばかりではない。
 なにに参加していなくとも、理不尽な待遇に晒された人々の精神は、多かれ少なかれ、膿のような悪いものを溜め込み、善悪に対する判断を鈍らせていく。
 罪悪感など、そうなればなんの意味もない。
 ただ、捌け口を外へ、自分の関係のない遠くへと求める気持ちが芽生えてしまうと、その犠牲に最適な相手を、人々はいつのまにか見つけ出す。標的にされた方の気持ちなど、お構いなしに。


 神殿に向かう道で、まるで立ちふさがるかのように不要になった飛行艇の、大きな残骸が打ち捨てられていたのを思い出し、ここに来る為に、試運転と称して乗ってきた小型飛行機の事が、ちらりと心配になった。
 まさか捨てられたりはしないだろうけど、とハロルドは思った。

 

 

 

 

 

33.

 

 

 

 

 


 


「まったく貴女という人は・・・!!」
 そう言うシャルティエは心なしか涙目だ。
 それが騙された憤慨によるものなのか、ハロルドの荒っぽいイクシフォスラーの操縦の仕方によるものかは分からないが、恐らく両方だと思われる。
 シャルティエと並ぶと頭ひとつは優に大きいカルロは、その隣で、死ぬかと思ったのはこれで3回目だ・・・などと嘆いている。
 そもそも、カルロは乗り物が苦手だったらしく、飛行途中ですでに目を回していた。
 男ってだらしないわねぇ、とハロルドは言った。

「そういう問題ですか!」
 いつのまにそんな根性が座ったものか、シャルティエはハロルド相手に説教をする。
「大体・・酷いですよ!運転の仕方を僕達に教えるとか言っておいて・・・!」
 これでは帰った後、カーレルに合わせる顔がない。
 ・・・それ以前に、口聞いてくれなかったらどうしよう。
「完全に騙まし討ちですよ!これ!!」
 僕達のせいじゃないですからね!恨まないでくださいね!とシャルティエは心の中でカーレルに懇願した。

 シャルティエとカルロがアンタイルスに行き、ハロルドはソーディアン製作の為に、カーレルは軍師がそうそう離れる訳にはいかないから、という理由でラディスロウに残る、という事で、話は決まった筈だった。
 今、ラディスロウは、山火事から避難した村人を連れ、安全でそう離れていない場所への本部移動を検討中で、その決定が下される前に、帰ってこなければならなかった為、時間がなかった。
 故に、試運転もまだだというイクシフォスラーという新機種での飛行も、やむなしと受け入れたというのに。

 操縦の仕方を教えるわね、と乗り込んできたハロルドの笑顔に薄ら寒い思いをしたものの、そこまではシャルティエもカルロもなんの疑いも持っていなかった。
 操縦席に座り、これはこれで〜と様々な計器を指差し、一通りの説明を終えたハロルドが、操縦桿を握り、じゃあ実際に飛ばしてみるから掴まって、と言ったのを聞き、え?と虚をつかれ、我に返った時には、もう遅かった。
 気がつけば、イクシフォスラーは全速力で、格納庫の扉を撃破し、ついでに、そのままの勢いで空へと飛び立ってしまったのだ。
 完全に、ハロルドに騙された。
 今頃、カーレルがどれほど怒っているだろうと思うと、シャルティエは本気で泣きたくなってくる。

「来ちゃったものは仕方ないじゃない。心配性ね〜あんたも。」
「貴女にだけは言われたくありません!」
 のほほんとした口調のハロルドに、シャルティエの憤慨は続く。
「でも、本当にすぐだったでしょ?用事を終えて速攻帰れば、そんなにお小言喰らわないって。だいじょ〜ぶよぅ。」
 お小言はハロルドひとりで喰らってください!とシャルティエが訴えたが、その横でカルロは、ハロルドの言い分も一理あるとシャルティエを裏切った。
「飛行艇には乗った事はあったが・・・。確かにあんたの造ったものは桁違いだな。こんなに速いものは初めてだ。」
 すでに飛行艇と呼ぶのは抵抗があるほどに。これはまるで弾丸かロケットのようだった。

 偶然に近くに停まっているとはいえ、ラディスロウからアンタイルスまで歩くとしたら、やはり1日がかりになっただろう。
 それが、ハロルドの発明した飛行艇では、一刻しかかからなかった。

 戦争が始まった当初は、天上相手に戦うなんて正気の沙汰ではないと思ったものだが、地上軍がここまでもったのは当然の結果だったのか、とカルロは感服した。

 

 

 

 

 神殿は町の中心よりも大きく外れた、東側に設けられていた。
 それはアンタイルスという町に後からできた建造物であると共に、町の所有物ではないと主張しているかのような位置だ。
  
 神殿の入り口で話をつけると、すぐにカルロのなじみだという司祭がやってきた。
 法衣の裾を傍めかし、走ってくる様子を見てその人だと知れたが、ブラウンの豊かな髪に立派な口ひげを蓄えた、カルロよりも数歳年上であろうその顔は真剣で、遠くからやってきた知人に、もう二度と会えないと思っていたという事を物語っていた。
「カルロ殿・・・!」
 感極まって今にも泣きそうな表情を浮かべ、司祭は言った。
「よくぞ、来てくださいました・・・!」
「ボルグ司祭。再びお目にかかれて光栄です。」

 ボルグの態度は言うまでもなく、ラヴィ・ロマリスクが壊滅し、それに伴ってリ・ヴォンの根本が崩れ去った後の混乱を暗示している。
 もう二度と、過去のように、なにも心配する事なく平穏な気持ちで、祈りを捧げる日々は彼らには来ない。
 リ・ヴォンを信じる者には、信仰は茨の道と化したのだ。
 彼らには教えと、それに殉ずる信仰心を顧みて、己に問いたださない日はないだろう。
 どうして、ラヴィ・ロマリスクに、リ・ヴォンの神の加護がなかったのか、と。

「少しお痩せになって・・・。」
 少しどころか、司祭の顔はやつれている。
 だが、カルロにそう言われ、ボルグは、少し風邪を引いただけですよ、と笑った。
「カルロ殿こそ、健在であらせられて。・・・2年前の陰月の儀式、以来ですか。」
「ええ。あの時は、退役した身だったというのに、お世話になりました。」
「とんでもない事です。」

 後で聞いた話だが、陰月の儀式というのは、リ・ヴォンの特別な行事のひとつだ。
 世界で大きな厄災があった時、弔いの意味も込めて、国全体で喪に服す。
 ラヴィ・ロマリスクの城門を閉ざし、人々は一切の外部との接触を絶ち、司教たちは神殿内で昼と言わず夜と言わず、過酷なほどの祈りを捧げる。
 それはその時に出ていた月の凶行が関係し、教皇侍従の占い師が、儀式の初めと終わりを決める。何日、時には何ヶ月もの間、続けられる事もある、という。

 以前の陰月の儀式は2年前。
 ラヴィ・ロマリスクがベルクラントの脅威に晒された、その後だった。
 帰らぬ司教や騎士たちを思い、国は自らを戒め、神に祈りを捧げた。
 カルロはその時、退役したばかりで、怪我により体力も気力も落ちており、見かねた同僚が陰月の儀式の間だけ、アンタイルスの神殿に行って、体を休めると良いと薦めてくれたのだ。


「こちらに来て、心穏やかに日々を過ごせたおかげで、心の拠り所を失っていた私にも、生きる希望が持てました・・・。」
「なんの、カルロ殿はまだまだです。お若いし、気骨もおありになる。いつまでも落ち込んでくすぶっていては勿体ないというものです。」
「これも、リ・ヴォンのご加護の賜物です。」
「ええ、本当に。」
 ふたりは笑い、カルロは、それが誰だと詳しい説明を一切せずに、ハロルドとシャルティエを知人だと紹介した。
「それで、本日はどのような御用向きで?」
「それが・・・。」
 翳るカルロの顔を見て、ボルグ司祭は、あまり良い話ではないと察したようだった。
 こちらへどうぞ、と言い、未だに立ち話している一同を、落ち着ける神殿内部へと誘った。

 

 

 

 通されたのは神殿の内部にある、朝の祈りの為の小部屋だった。
 四方を漆喰の白い壁が覆い、その1番先に、小さな大理石の女神像が安置されている。その女神像に向かうカタチで、そっけない木製のベンチと机がいくつも整列されていて、部屋の中ほどに4人、銘々が向かいあうようにして腰を下ろしていた。
 小さく切り取った窓は東側を向き、そこからは今にも朽ち果てそうな民家の屋根と、それとは対照的に立派で美しい神殿の塔が見えた。

「お話はわかりました・・・。」
 ハロルドは、自分達が口出しをするよりも、旧知の仲というカルロに全て任せておいた方が話が早いという判断から、黙っていたのだが・・・ボルグは、今の騎士団の状況を聞き、ラヴィ・ロマリスクでは決して口に出してはいけない噂についてまで話が進むと、事の次第を察したようだった。
 神殿内から出る事はなく、あまり外部との接触がない筈だが、懺悔を聞く立場からなのか、ボルグは人との会話に妙に慣れていて、こちらの言わんとする事を先読みする性質を持っていた。
「私も・・・可笑しいとは思ってはいたのです。」
 ボルグが真剣な面持ちで、言った。
 その表情は沈み、口調もどこか重々しい。
「と、いうと?」
 カルロが聞き返すと、ボルグはひとつ首を振り、
「以前は・・・この神殿にも騎士団が駐在していたものですが・・・。」
 と悲壮な表情で言った。
「あれは、ラヴィ・ロマリスクがベルクラントの炎で焼き尽くされたという恐ろしい知らせが来てから・・・10日もたった頃でしょうか。騎士団に引き上げの命令が下ったのです。」
「・・引き上げの命令?」
「はい。ご存知の通り、この国は貧しいとはいえ、信仰に厚い国でもあります。人々は貧困と戦いながらも、この大きな神殿を建てた。それを讃える意味も込め、教皇睨下はこちらに護衛の為の騎士団を置かれる事をお決めになりました。その騎士団が、全てこの神殿から消えた・・・。」
 確かに、神殿の内部に騎士の姿がない事をカルロも可笑しいとは思っていた。
 以前は神殿の入り口に騎士が控え、取次ぎなどの任も請け負っていた筈だ。
「ラヴィ・ロマリスク亡き後・・・リ・ヴォン教の中心を担っているのは、今や、このアンタイルスです。言わば、ここは拠点の筈。そこに騎士が戻ってこないのはいささか妙です。そのうえ、流れてきた騎士団の消息が・・・。」
「天上軍に加担している、というもの。」
「はい。」
「・・・・・。」
「腑に落ちません。」
 はっきりとボルグは言った。
「それは俺も同感だ。」
 先ほど挨拶の時に交わした時よりも、普段の彼の口調に戻って、カルロは言った。
「そもそも・・・騎士団が、天上にいる。この動きは可笑しいんだ。地上に不信を抱いていての行動だとしても、天上にはもっと不信を抱く筈だ。・・・ミクトランに弱みでも握られているとしか、俺には思えなかった・・・。」
「それで、カルロ殿は聖皇女様を天上軍が人質にとっている、とお考えだったのですね?」
 その聖皇女様、というのは、この場合はフェザーガルドを指すのだろう。
「ああ、初めは、な。」
 カルロが言った。
「だが、どうも・・・天上でフェザーガルド様は亡くなられたらしい・・・。」

「ちょっと、ごめんなさい。」
 話の流れとしては、腰を折りたくないのだが、どうしても確認したくなって、ハロルドは口を挟んだ。
「お聞きしたい事があるの・・・ボルグ司祭?」
「なんでしょう?」
 ボルグは、見る者に警戒心を抱かせない穏やかな笑みを浮かべて、ハロルドに向き直った。
「その引き上げの命令なんだけど・・・。」
「はい。」
「どこから来たものなのかしら?」
「・・どこから、と言いますと?」
 カルロとシャルティエがハロルドの顔に注目する。
「つまりは、天上からの使者が来たとか。」
「ああ・・・いえ。」
 ハロルドの問いの意味が分かり、ボルグは首を振る。
「騎士が直接、アンタイルスまで伝えに来たのです。ビショップの命令だと言って。」
「ビショップ・・・。」
「・・・・・。」
 やはり、総長の意図するものだったらしいが、その時には騎士団が天上に行った後なのか、前のなのか・・・それだけでは分からない。
「ボルグ司祭は。」
 ハロルドは言った。
「・・・ビショップにお会いになった事は?」
「ございますよ。」
 にこり、と笑ってボルグが答えた。
「以前、遠征からの帰りに。騎士団が休息を取る為に、こちらに立ち寄られた事がありました。その時に。」
「それは、いつの事?ええと、そのベルクラントの事があって、カルロがこっちに避難したきたっていう前?後?」
「前でございますよ。実はその時にも、騎士でいらしたカルロ殿とはお会いしているのです。」
「じゃあ。」
 次の質問をハロルドは口にする。
「ボルグ司祭から見て、ビショップの印象って・・・どうだった?」
「印象・・・ですか?」
 そこで初めて、ボルグは笑みをひっこめた。
 それは考えている表情に変わる。
「別に・・・これといって、なにも。・・・わたくし共とは挨拶を交わされた程度で、すぐにご用意した部屋に引き上げてしまわれて。」
「あいつは、いつもそうだったんだ。誰とも口を利かない主義でね。」
 気にするな、とカルロが言った。
「・・・めったやたらに人付き合いすると、威厳が損なわれるとでも思ってたんだろうよ。」
「・・・・・。」
 カルロの悪態の横で、ハロルドは考えていた。
 「とくになにも」という事は、司祭も「大した印象にない」という事だ。
 あれほどの美貌を持っていれば、一言交わしただけでも、かなりの人間の記憶に刻まれるだろうに。


 サロメは。


 ・・・・・サロメは、本当にミゲルなのか。違うのか。
 真相はどちらなのだろう。

 

「わかったわ。話を続けて?」
 とりあえず、聞きたいことは聞いたと思い、ハロルドは言った。
「では、話を戻しましょう。」
 促したハロルドに1度笑みを向けてから、先に話の続きを再開したのは、ボルグ司祭だった。
「カルロ殿は、つまり・・・聖皇母様のあの噂が本当だったとしたら、このアンタイルスまで一緒にお連れになったのでは、と疑っておられるのですね?」
「ああ。それらしいことはなにかなかったか?これは妙だという事、なんでも良いのだが。」
 少しだけ考える時間の間を取ってから。ボルグは答えた。
「・・・・いえ、何も思いあたりません。」
「その中に、やたら聖皇母と親しい娘がいた、とかは?」
「いいえ。」
 カルロの言葉に、ボルグは首を振った。
「そもそも、その点が違います。確かに聖皇母様にはお連れになった司祭たちがいた事はいたのですが・・・全員が男性の司祭でしたし。」
「・・・男。」
「ええ。」
 では、聖皇母は娘などいなかったのだろうか。
 それではこちらの思い描いていた筋書きとは大きく違う。
 眉を顰め、落胆の色を隠しもせずに肩を落とすカルロを、ハロルドが笑った。
「そう結論を急ぎなさんな。落胆するにはまだ早いわ?」
「・・・なんの事だ?」
「噂の事嘘だったのかって思ってるでしょ。で、また振り出しに戻ったって、がっかりしてる。」
 言い当てられ、カルロは目を瞬かせた。
「・・確かにそう思ったが・・・。」
「いい?まず。」
 ハロルドはカルロに対し、指を順番に1本づつ、示していく。
「聖皇母と共にラヴィ・ロマリスクから来た者達の中には、女の司教がいなかった。これは面倒だから肯定しておきましょう。それだと次に考えられるのは・・・。聖皇母には他の子供なんか初めからいなかった、これがひとつ。」
「ああ。」
「次に・・・子どもはいたけれど、それは男の子だった。」
 うん、とシャルティエが頷く。
「そして、子どもはいて、それが女の子でも男の子でも・・・アンタイルスには一緒に来なかった。それも三通りがある。ひとつは、こどもは聖皇母から離れてラヴィ・ロマリスクに残った。もうひとつは、聖皇母と一緒にラヴィ・ロマリスクを出たけれど、アンタイルスまでは来なかった。そして・・・産まれてから密かにラヴィ・ロマリスクを出され、アンタイルスなり、他の国なりにいる。後の2パターンだと、どこにいるかは不明になるわね。」
 はい、とボルグ司祭が頷いた。
「そして、これは・・・ここの生活の仕方に寄ってはすぐに否定されるんだけど。・・・私は戒律の事はよく分からないの、ごめんなさいね。聖皇母が密かに産んだこどもは女の子で、アンタイルスまで一緒に来たけれど、身分を男と偽っていた場合、ね。」
「・・・・・はぁ・・・。」
 少しだけ目を見開き、びっくりという表情でカルロはハロルドを見る。
「よくもまぁ・・・そう同時に違う可能性を思いつくものだ。本当に、頭の回転が早いな、あんた。」
 流石は地上軍きっての天才、という言葉がでかかったが、カルロは寸でのところでそれを飲み込む。
 ボルグ司祭がそうだとは言わないが、リ・ヴォンの司教たちは天上軍にも地上軍にも、決して良い感情を持つ者ばかりではない。
 しかし、カルロの褒め言葉などなくても、ボルグ司祭も感服したようで、心なしか紅潮した頬でハロルドを見つめている。
 女性が上位のリ・ヴォンにおいて、人並み以上の才覚のある女性は、その片鱗を見せただけでも、大いに尊敬されるものだ。

「褒めて貰うのは、まだ早いわよ。結局は、ここで当て推量をしててもなんの確証もない話なんだから・・・。」
 そうだった、とカルロは表情を引き締めた。
 なにもここへは情報収集の為に来たのではない。一番の目的は別にある。
 だが、今現在、任を賜っているならいざ知らず、元騎士団という立場では、それが容易でない事を承知の上で、カルロはボルグ司祭に向き直った。
 大事な頼みごとをしなければならない。
「ボルグ司祭・・実はお頼みしたい事があるのだが。」
「どうなさいました?改まって。」
 今までリラックスした雰囲気で話していたカルロが、いきなり姿勢を正し、騎士の口調で言い出すので、ボルグ司祭は驚いたようだった。
「なにか、重要なことですかな?私にできることでしたら、なんなりと。」
「ありがたく存じる。」
 カルロは礼を言ってから、本題を口にした。
「実は・・・聖皇母様にお目通り願いたい。」
「・・・・・。」
「もちろん、それが容易い事ではない事も承知しております。私はすでに一介のリ・ヴォン信者にすぎない。その様な者が、いきなり聖皇母様ともあろうお方に面会など・・・許されるものではない事も重々分かっております。ですが、事が騎士団に纏わるものなればこそ、直接お会いして、ぜひともお話をお伺いせねば、と思うのです。」
「いえ、その事については・・・カルロ殿は信用に足る人物ゆえ、問題はありません。」
 ただ、とボルグ司祭は、どう伝えたものかというように、迷いながら口を開いた。
「聖皇母様にお会いになる事は・・・かないません。」
「何故です!?」
 身分は問題ではないのに、会わせられないというのはどういう事だ、とカルロは詰め寄る。
「カルロ殿のせいではありません。リ・ヴォンの戒律や、警護の問題でもない。何人たりとも・・・死者に会う事はかなわない・・・。」
「・・・・・!」
 一同は息を飲み、ボルグ司祭の穏やかな顔を凝視した。
「聖皇母様は・・・お亡くなりになりました。」
 心から残念そうに、ボルグは言った。

「聖皇母が・・・お亡くなりに・・・?」
「それは、いつの事ですか?」
 唖然とするカルロを見て、それほど衝撃を受けてないシャルティエが、ハロルドよりも早く言った。
 どうもカルロが発言しない時は、自分の出番だと思っているようだ。密かに負けてなるものか、と対抗意識を持っているのかもしれない。
「・・・もう1年になろうか、と思います。・・ラヴィ・ロマリスクが落ちて・・・失意の中で病の床に臥され、そのまま。」
「・・・・・。」
 失意、とボルグは言った。
 捨てたものでも、やはり、誰の心にも故郷は美しいものだ。
 それが自分が去った後、跡形もなく消え去ったと聞けば、その心中は察してあまりある。ましてや、聖皇母のふたりの子どもが、未だに国に残っていたとなれば。
「・・・聖皇母は、ラルフィルドとフェザーガルドの事は?」
「なんとか、おふたりの消息を得ようとしておられました。ラヴィ・ロマリスクのある方向からの巡拝者があれば、御自ら噂を知らないか、と訊ねておいででした。・・・普段、あれほどの高位にあられる方が、人前にお出ましになられる事などないのですが・・・。」
「なりふり構わず、だったのね・・・。」
「はい。・・・結局、おふたりの事は・・・。残念です。」
 溜息と共に吐き出されたボルグ司祭の言葉に、カルロが伏せていた顔をあげる。
「待ってくれ。ラルフィルドは生きている筈だぞ?」
「なんと!本当ですか?」
 今度は驚きの声をあげ、ボルグがカルロを見る番だった。
「ああ・・・。逃げ延びたラヴィ・ロマリスクの住民を守っていたのを確認されている・・・。」
 そこで、はた、とカルロは言葉を切った。
 いきなり、落ちてきた事実が、微妙な力関係で存在している事に気がついたのだ。
 
「・・・奇妙ね。」
「はい。僕も、そう思います。」
 ハロルドとシャルティエは、誰に聞こえて悪い訳でもないのに、小声になる。
「・・・奇妙?」
 それを聞き、ボルグ司祭は首を傾げる。
 彼だけはそれに気がついてない。
「ええ、奇妙だわ。」
 ハロルドは言った。
「・・・生母に自分の安否を知らせない子供が、どこにいるっていうの?」
「ああ、変だ。」
 カルロは動かない左手をさすりながら、眉間に皺を寄せた。
「・・・ラルフィルドは、誰よりも家族思いで、思慮深く、思いやりのあるヤツだった。自分の身を心配しているだろう母の事を、忘れる事ような男ではない。」
「なのに。」
「・・・・・誰にもなにも告げず。」

 それは嘆き悲しむ母にさえも、言わず。

 知られるのを拒むかのように。
 もしくはその時間まで持てないほど、急いでいたかのように。

 どこへ消えたというのか。


「・・・では、ラルフィルド殿は一体どちらに?」
 ボルグの声が心配そうなのも無理はない。


 一体、どこへ、なんの目的があって。


 そこまで身を隠す必要があるのだろうか。

 

 

 

 
 聖皇母の墓に参らせて欲しいとハロルドが言うと、ボルグは案内の者を呼びましょう、と言った。

「聖皇母様の墓所は、男子禁制の聖域にあるのです。」
 だからカルロ殿たちには遠慮して頂きたい、と言いながら、
「私達でも、特別な時にしか立ち入りは許されません。」
 とにこりと笑った。
 聖なる人が眠る場所には、男は似合わない、とボルグは言った。
 聖人が男性の場合はどうなるのだろう、とハロルドは思ったが、聞かないでおく。
 なにかにつけ、男ばかりが優遇される世の中だが、女性上位という体制も、便利なことばかりではない、という事だ。

 やがて、静かに音もなく木製の扉が開き、向こうにゆったりとした外套のような服を着た、小柄な人物が現れた。
 そっけないほどなんの装飾もない服には、フードがついていて、それを目深く被っている。
 その顔には白い面を被り、体つきからそうと知れた女は、無言のままボルグに対して頭を垂れた。

「まだ一介の司祭の位すら持っていない者の習わしです。」
 ボルグがハロルドとシャルティエに説明した。
「今は、神殿の下女として働いています。そして十月ほどたった後、司祭として認められ、仮面を外すことが許されます。」
 十月は、子供が母の腹にいる時期を指し、リ・ヴォンに仕える時期を用いて、現世に生まれ出、という事を表しているらしい。
 すでに知っているカルロは、別段驚く事もなく、ハロルドにひとつ頷くと、いって来い、と気軽な感じで促した。
 自分の代わりに花を手向けてくれないか、と言われて頷くと、では花のある場所へと先に案内させましょう、とボルグは言った。
 シャルティエはひとり、手持ち無沙汰な面持ちで、つまらなそうに椅子に腰掛けて窓の外を見ていた。
 ご案内します、と小さな声が、仮面の女から聞こえて、ハロルドは誘われるように部屋を出た。

 
 


 墓所のある聖域には、中庭を取り囲む回廊を挟んで向かい側にあるという。
 部屋を出るときにボルグ司祭に言われ、すばやく頭の中で神殿内の地図を描き、ハロルドは迷いのない足取りで、石の廊下に足音を響かせていた。
 案内を申し付けられた下女は、先ほどから一言も発しない。
 ハロルドが面白そうに熱気の篭る壁に触りながら歩いていても、気がついてさえいないようだった。まっすぐに前を向き、一定の歩調で歩みを進めている。
 からりと乾いた空気には、砂の焼ける匂いが混じっていた。
 それを感じながら中庭に咲く花に、ハロルドは目を細める。
 最初に案内された場所にも、美しい花が咲いていたが、砂漠では砂が動いて植物が根付かない為、神殿の壁で取り囲んだ、人口的な花壇だった。
 日の光という恩恵をその身に受け、それだけでめずらしくもあったが・・・。こうして中庭で、木々に咲いている花というのは、また別の趣がある。
 そういえば・・・温暖な地方にあったラヴィ・ロマリスクにも花が咲いていた、と聞いたことがある。
 もしかしたら、そこから持ってきた植木なのかもしれない、とハロルドはそんな事を思っていた。


 あれ?とハロルドは思った。
 下女はそのまま左に折れる筈の回廊を離れ、日のあたらない通路へと右に曲がる。
 なにか用事だろうか。それとも近道でも?
 訝しく思ったが、別段気にもとめず、ハロルドもついていく。
 迷路のように狭い通路を、くねくねとすり抜け、下女は何段かの階段が下へと続く扉の前で立ち止まった。
 それはさながら、秘密の小部屋、洞窟へと続く入り口のようだった。
 木製の扉の真ん中には、ラヴィ・ロマリスクを現わす山百合を象った真鍮の飾りがついている。
 
「ここ?」
 聖人の墓が地下にあることはさして珍しい事ではない。
 ハロルドが聞くと、下女は無言のまま頷いた。
 それでハロルドは数段の階段を降り、扉に手をかける。
 そっと押してみると、鍵がかかっているのかびくとも動かなかった。
「ねえ、ここ、鍵が・・・・。」
 最後まで言い終わらないうちに、ハロルドは反射的にその場から飛びのいた。

 そのままの勢いで第二段の攻撃が、息をつく間もなく繰り出され、長い外套の袖の中から飛び出してきた、銀色に光る刀身から、身をよじって逃れた。
 下女の振る剣が、ハロルドが飛びのいた後ろの階段の手すりにぶつかり、鋭い音を立てる。

 下女の後ろに素早く回り、ハロルドは袖の下に隠している小刀を下女に向かって放つ。
 それを届く前に叩き落し、下女はハロルドに向かってまっすぐに身を躍らせた。
 小刀についている鎖を引き、右手でそれを持つと、向かってくる剣先をそれで受ける。寸でのところで間に合いはしたが、その攻撃の速さに、舌打ちをして、ハロルドは一歩、後ろへと飛びのいた。
 相手も小柄だが、接近戦に持ち込まれたら、ハロルドの方が力負けするのは目に見えている。
 向こうも、ハロルドがそう簡単に討てる相手ではない、と悟ったようだ。
 
 お互いを睨み合い、じりじりと間合いを計っているふたりのその上を、鳥が黒い影を落とし、飛び去っていく。

 次に動いたのは、ハロルドの方だった。
 剣を握る右の手首を狙い、投げた短刀をかいくぐるようにして、下女がハロルドに向かってくる。
 正確な弧を描く銀の剣先を避け、引き寄せた短刀が手元に戻るまでの時間を稼ぐ為に壁へと退く。
 あまり壁を背にしていては逃げ場がなくなる為、すぐに右へと逸れたが、その動きを読んでいたかのように、下女の剣がハロルドの顔のすぐ横をかすめた。

 ・・やるわね。
 とハロルドは心の中で舌を捲いた。

 相手には、殺気はあっても、殺意は感じられない。

 攻撃を仕掛けてはきても、殺す気まではないようだ。

 だとしたら。


 下女の剣が、ハロルドの下腹部あたりを狙って突き出された。
 それを交わし、小刀で仮面目掛けて斬りつけたが、飛びのいて避けられた。


 向こうは、余計な事を探るなという忠告のつもりなのだろうが・・・本気になりそうだった。
 仮面の穴から覗く瞳の、こちらを睨みつけてくる視線の激しさに、血が高揚してくるのが分かる。
 ぞくぞくとした快感を伴う感覚が、背筋を走る。


 こんな事は久々だ、と思った。
 こんな、楽しい事、は。

 

 その時、ある意味では邪魔な、そして間違いなく救いの主が、声を荒らげて現れた。

「ハロルド!!」

 どこで聞きつけてきたものか、シャルティエが慌てふためいた様子で、こちらへ駈けて来る。
 それに気を取られ、下女の注意がハロルドからそれた、その隙に。


「デルタレイ!」

 素早く詠唱を終え、ハロルドが晶術を放つ。
 それは、下女に届く前に避けられたものの、その動きを止めるには十分な効果があった。


「・・・何故?」
 
 愕然とハロルドを見据えたまま、仮面の下の男とも女とも取れるくぐもった声が、そう言った。

 そして、ハロルドは、この人物の正体が分かった。

 もっとも、それは先ほどから睨み合っていた、仮面の下のその瞳を見た時から気がついていた事だ。



 「何」ではなく「何故」



 ――「何故」おまえがその技を使える?



 それは、晶術を知っている者の発言に他ならない。



「ハロルド!!」
 シャルティエが剣を抜き、ハロルドの前で、下女に向かいあった。
 下女は、いきなりの現れた守護者に、逃げることもなく・・・剣を握る右手をだらり、と下へ下げた。
 降参、という意味ではない。
 もう戦意はない、という意味だった。

 それを了承した、と相手に伝える為に、ハロルドは自分を庇うようにして立っているシャルティエにも、剣を納めるように言う。
 シャルティエは不満そうだったが・・・相手が剣を納めるのを見て、もう大丈夫だと判断したらしく、自分の剣を鞘に納める。

 ハロルド、と下女が仮面の下で小さくつぶやくのが聞こえた。

「うん。私は、ハロルド・ベルセリオス。」
 にっこり笑って、ハロルドは下女に名乗った。
「ベルセリオス・・・。」
「そう。カーレル・ベルセリオスの妹よ。あんた、兄さんには会った事あったわよね?」
「・・・・・。」
 相手は、答えも頷きもしなかったが、ハロルドはそれで満足だった。


 やがて、不自由な左手を抱えている事で、遅れをとったカルロが現われ、3人が対峙している様子に、ぎょっとしたようだった。
 神殿の中での、任侠沙汰など、ご法度だ。
 

「ハロルド?」
 その言葉に、意外そうに目を見開き、シャルティエが言った。
「・・まさか、この女と知り合いですか?」

 カルロの姿を見て、下女は観念したようだった。
 仮面を取ろうと、頭の後ろに手を伸ばす。

「ううん、知り合いじゃないわ。」
 ハロルドは答えた。
「・・でも、これから知り合いになるから同じかも。」

 そして音もなく静かに、仮面の下から現れた面に、カルロが息を飲む音が、大きく響いた。

「この人は・・・ダリア・ファトマ・ヴォルベティオよ。」

 探していたのよ、とハロルドは言い、カルロと同じ左右違う目を持つその娘に、笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 女同士の戦いっていうのを書いてみたかったのです。
 戦の中で相手に対する信頼とか友情を芽生えさせるのが、男の特権ってことないですよね。
 アンタイルスですが、いくらなんでも外殻ができてるのに、灼熱の砂漠はある筈もないのですが。でも、サハラとかああいうものではなく・・・荒涼とした感じで、日が差していたら、万年雪国の時代ではさぞや暑かろう、と思っての表現になりました。
 説明入れようと思ったけど、作中のハロルドたちが「本当の砂漠」を知っている訳ではないので、比較対照がないが故、どう書くか分からなかった・・・。
 まあ・・ただ単に夏の照りつける・・・ああいう感じです。
 太陽を知らない人には、凶暴的な暑さに違いない・・・。
 さて、やっとダリアが現れました。急展開〜って訳にはいかないけど、少しだけ物語が進む予感。(予感?)

('06 12.02)