36.
レンズには、劣化したものと、そうでないものがある。
劣化したものはすでに手の施しようもなく、捨てるか、ましなものは僅かな消耗品としての使い道しかないが、そうでないクリアなレンズは、その透明度や大きさにより、様々なエネルギーを放出させる。
もっともエネルギーとして使用するには、特別にレンズ様に設えた機器が必要になる分、手間がかかるのは確かだが、それでも落ちているものを資源にできるという点は、何よりも有益だ。
太陽を奪われた地上にはもはや、自ら十分な物資を蓄えるだけの力も方法もないが、それでもレンズが地上にあるという事だけは天上よりも地上に利があった。
天上はレンズによりモンスターをつくりあげ、少ない兵力を補っているが、そのレンズもわざわざ地上に降りてきて補給しなければならない。
そしてその時が一番、地上軍に狙われやすい。
攻撃の要になるモンスターを創り上げる為に、兵士の命が危険に晒される。
この戦争で、矛盾を抱えているのは、なにも、地上軍だけではない。
「まったく本当に役に立たないやつばっか!」
まさに聞こえよがし以外のなにもでもなかった。それでも言われた部下たちは、涙目になるものの、反論はできない。
そもそも、なにかに夢中になっているハロルド博士に、逆らってはいけないという鉄則が、このラボにはある。
にも関わらず・・・隣の控え室で数人との会話に集中していたハロルドを呼び戻したのは、実験に使うレンズが用意できず、にっちもさっちもいかない状況のだったからに他ならない。
それなのに、控え室から戻ってきたハロルドは、そこにあったレンズをひとつ取ると、他の研究員たちがあれほどまでにてこずっていた研磨を、ものの5分ほどで、完璧な状態にまで仕上げてしまった。
朝からその作業にかかっていた研究員たちの面目は丸つぶれで、そのうえ、落ち込んで下げた頭の上には、ハロルドの手加減のカケラもない嫌味が落ちてくる。
泣きたくなったところで、誰に責められよう。
そのハロルドと言えば、なにも闇雲に部下に当り散らしていた訳ではなく、彼女は彼女なりの理由を持って、そのうえで心底腹を立てていた。
ダリアとの邂逅を得て、ようやく欲しかった情報の片鱗に触れることができたというのに、たかがレンズの研磨ごときで呼び戻され、ハロルドが席を外した隙に、話を聞かせて貰っていたふたりは、帰ってしまった。(ちなみにシャルティエも帰ってしまったのだが、それは別段惜しがられていない)
これから、まだまだ聞きたいことがあったというのに。
兄がまだ残ってくれているのは、幸いだが・・・。
それでも忙しいカーレルの事だ。あまり待たせていては、その間に呼び出されないとも限らない。
イライラと爪を噛みながら、まだできないの!?と声を荒らげて言うと、は、はい!となんだか腑抜けた1オクターブも2オクターブも高い声が、YESともNOともわからない答えを返してくる。
実験で使う予定のレンズは、ソーディアンの数と同じく6つ。
ハロルドが研磨を仕上げたレンズは、晶術の実験を行なう前の人口知性の投射段階に入っていた。
確かにハロルドがやった方が能率的ではあったが、あまり自分だけで作業をしてしまうと、データを取る時にハロルドと部下達の間で認識の差異が出る為、そこはまかせたというのに・・・。
「それにしても時間がかかる・・・。」
ぼやくハロルドに、すみません、と謝る研究員は心なしかびくびくと動作が小さい。
だが。
実は、研究員ばかりを責められない、とカーレルは思う。
確かにこのラボのメンバーはいずれ劣らぬ優秀な科学者ばかりだが・・・。
それでも、自分達は凡人の域を出ない、とラボの誰もが自覚しているだろう。
そもそも、皆、ハロルドの力量についていくのがやっとなのだ。
知性が違う。スピードが違う。なにかを思いついた時と同時に計算式をはじき出すハロルドとは、訳が違う。
帰る時に、カルロたちが開け放したままにした控え室の扉から、ハロルドの姿を覗きながら、そんな事をカーレルはぼんやりと考えていた。
幼い時から、回りには、ハロルドの向こうを張れるのは双子の兄のカーレルだけだ、と言われてきた。
だが実際、カーレルは妹に対抗できていると思ったことなど一度もない。
生まれついての天才であった彼の妹は、彼のとてもついていけないスピードで、ものごとの全ての本質を掌握してきた。
時にはそれが周囲との摩擦を生み、自分はそれを納める役を要領よくこなしてきたにすぎない。
それで、天才と対等の地位を得たのだから・・・周囲の目というのがいかにいい加減であったか嫌というほど知り、幼い時からすでにカーレルは、学習してしまったのだ。
世界と、自分達との差というものを。
大人の無力さを知って世間を冷めた目で見ていたのは、ハロルドではなくむしろ、カーレルの方だった。
そんな事を思っていると、ハロルドの小柄な体がぴょこんと一度跳ね、なにかを目掛けて走りだし、あっという間にカーレルの視界から消えた。
まるでうさぎの動作のようだと苦笑し、男女の違いこそあれ、この体格差もどうなのだろう、と自分と妹を比較してみる。
もともと、あまり似ていない双子だと周囲には言われる。
髪の色も同じ系統ではあるが、ハロルドは明るいピンク、自分はダークな紫だし、顔つきも鏡で見て、自分ですら思うくらいなのだから、回りには全然違って見えるだろう。
そのクセ、そう思っていると時々、やはり兄妹だ、と似ているという人物が思い出したように現れる。
不思議なものだ。
カルロもそんな事を言っていたな・・・。
偶然に会ったあの夜の事を思い出し、カーレルはまたもや感慨深い気持ちになった。
ある意味では、つくづく縁がある、そんな言葉で表現される関係かもしれない。
彼ら兄妹と、黒鶫騎士団の間は。
「・・・そういえば、カルロとダリアは似ているな。」
左右違う印象的な瞳は元より、どことなく顔つきも似ていた。
カルロの精悍さは、ダリアも持ち合わせている。
男女の違いからか、それは凛としたものに変わり、意志の強さを尚のこと感じさせる。
たおやかながらも、決して折れない、という印象。
あのふたりの方がよほど、双子で通りそうだ。
「幼い時は、父親が違うんだろうなどと、からかわれたものだがな・・・。」
双子で同時に生まれたというのにありえない。
本気にした事など一度もないが、昔、友人達に、あまり似ていない自分達の事を冗談にされたそんな事を思い出していた、その時だった。
ひっかかるものが、あった。
「・・・・・?」
カーレル自身、ひらめきに近いもので、それははっきりとした思考にならなかったが。
なにか大事なことが、喉元の小骨の如く疼いているような。
たったらたったった〜♪と鼻歌が聞こえてくる。
「・・・・・。」
さっきまで不機嫌そのものだったのはどこの誰だ。
おかげですっかりひっかかっていたものを取り逃がし、呆れた顔でカーレルは、スキップしながら視界に戻ってきたハロルドを見る。
ハロルドはすっかりご満悦で、なにかを手の中で撫でながら、カーレルと目が合うとにっこりと笑った。
そしてそのまま、獲物を咥えた猫の如く、ダッシュでこっちに向かってくる。
「見て見てv」
褒められるのを待つ飼い猫かお前は、と思ったが、カーレルはそうは言わず、代わりにハロルドが差し出した手の中のものを覗き込む。
それはべつに珍しくもない、傷のついたレンズに見えた。
「これが・・・なんだ?」
言ってから、いや、とカーレルは目を凝らし、レンズに見入った。
よく見れば、半透明な奥にほのかに紫色の光が屈折している。
それはまるで炎のように煌き、いつでもエネルギーを外へと放出しようと、その時を待ち焦がれているようにも見えた。
「上手い事を言うわね〜。」
上機嫌でハロルドは言う。
「これ、さっき研磨に失敗したクズレンズの中にあったのよ。綺麗でしょ?」
「ああ・・綺麗だが・・・。」
それだけの事でハロルドは、こんなに嬉しそうなのだろうか?
ふふん、と笑うと、胸を反らし、得意気にハロルドは言った。
「レアなケースよ、これ。透明度はあまり高くないけど・・・ほら、むしろ紫水晶みたいでしょ。なのに、エネルギー結晶体としての密度は高いわ。研磨に失敗した事で、凝縮されたエネルギーのカタマリが表面にでてきたのね。」
「・・・殻をかぶっていたようなものか。」
「そうそう!いいわね、それ。これからこういうケースのレンズの事は殻レンズと呼びましょう。・・ひよこレンズのが良いかな?災い転じて福となすとはまさにこの事ね!」
鼻歌交じりに言うと、レンズの表面にちゅっと音をたてて、ハロルドはキスをする。
「詠唱効果を高める為に、杖を作ろうと思ってたところだから調度良いわ。これを使う事にしようっと。」
「杖・・・か。」
「そう。晶術には・・・呼び出すための工程がいくつか必要なんだけど・・・呪文を唱えるのもそのひとつね。言葉を唱えることにより自分の内部の気を高め、晶術の召喚に集中する・・・。まあ、講釈つけなくっても良いか。要するに呪文は、呪文よ。魔法使いのあれ。」
「ぴったりだな・・・。」
再三、言われる事だが晶術など、知らない人間には魔法にしか見えない。
ハロルドは、ふふん、と笑うと(たぶん、兄貴の発想の貧弱さが少しばかりおかしかったに違いない)レンズを手に、部屋の隅にいる部下のひとりに、なにやら持ってこいと指図した。
ところが、命じられた白衣の男は、見当たりませんなどと言う。一瞬にして機嫌を損ねたハロルドが、ぶつぶつ言いながらそちらへと向かって歩き出した時だった。
つまづいて、すてん、と転んだ。
「ちょっと〜〜!誰よこんなところに、私物積み上げてんのは!!」
転んだのがよほど悔しかったのか、どこかを痛くしたのかは知らないが、ハロルドがツノが生えてないのがむしろ、おかしい位の形相で怒鳴ると、すみません、とこそこそと現れたのはトリスタだった。
「地上に降りて来てから、荷物の置き場所が決まっていなかったもんですから・・・。」
天上から逃げてきた科学者は、申し訳なさそうにぼそぼそと言ったが、それは単なる言い訳でもなかった。
ラディスロウは宿泊施設を設けた移送戦艦だが、内部に自室を持てるものは、ラディスロウ常駐が決定されている兵士・・主に幹部・・だけだ。
地上軍は各地に駐屯地を持っているが、第二から第七まであるその基地にいる兵士たちは、ラディスロウが逗留地と定めた時以外は、天上が攻めてきた場合に応酬するのが主な任務で、こちらから攻め入る責務は、第一駐屯地に所属する兵士達が担っている。第一駐屯地とはつまり、それがラディスロウである。
だが、ラディスロウでは、他の駐屯地と違い地上に小屋を作れば良いという訳にはいかない。
常に手狭な状態である為、幹部ではない、ラディスロウ内で生活する者たちは、何人もが一緒の大部屋で、雑魚寝をして暮らしているのが普通だ。
プライベートもないが、戦争中に優雅に暮らしたいなどと思う場違い人間が兵士をしている訳もないから、不平の類が漏らされたことはない。
トリスタはやはり、実験室の近くに設けられたハロルドラボの科学者たちと同じ大部屋を宛がわれているが、そもそも、ラボの連中は大部屋には戻らない。大概は24時間をラボの中で過ごす。食事も睡眠もこの中で済ませ、それ以外の時はコンピューターと向き合っているか、なんらしかの実験をしているのが普通だ。
天上にいる時のトリスタの生活も、まるで同じだった。
故に彼はハロルドのラボに入るなり、当然のようにそこへと居座った。逃亡の際にかき集めたわずかな荷物は、そこらへんにほったらかしたままで。
足を摩りながら唇を尖らせているハロルドの、睨みをきかせた視線、という災難から逃れるように、トリスタは蹴散らかされた持ち物を布のかばんに急いで詰め込む。
ガチャガチャと固い音を立てるのは、フロッピーやメモリの類ばかりだ。天上から逃げる時、絶対に手放したくなかったのだろう。ハロルドと同じく、生活用品よりも、そちらの方が大事だったらしい。
それを目の端で捕らえながら、気を取り直して杖の作製に取り掛かろうと立ち上がったハロルドは、ふ、とトリスタの研究テーマの事を思い出した。
・・・それほどまでに大事な研究結果ならば・・・持ってきているのではないだろうか。
「ちょっと、トリスタ。」
「は、はい!!な・・・なんですかっ!?」
怒られると思ったのか、トリスタの声は上擦っている。
「聞きたい事があるんだけど。」
ハロルドが言っても、トリスタは懐疑的な態度を崩さない。
まるで、髪の毛を全部抜かれると言われたかのように、頭を抱え、怯えた様子で後じさる。
人にそういう態度に出られるのは慣れているので、まるで気にせず、ハロルドは言った。
「あんた・・・彼の実験のデータも天上から持ってきている?」
「彼?」
「ビショップ。」
「・・・・・。」
とたんに、トリスタは頭を抱えていた腕を下ろした。
別に疑わしそうでもなくなり、ぱちぱちと瞬きをすると、ええ、と落ち着いて返事をした。
「・・・持ってきてますよ?」
「当然、全実験のデータよね?」
「ええ。」
「見せて。」
離れたところからその話を聞いていたカーレルは、思わず立ち上がった。
そして、部屋の外へと半身を乗り出す。
妙な事になったというべきか。
非人道的な行いは許されるべきではないが、出てしまった結果に関しては人は寛容にならざるおえないという性質を持っている。
自分がやるのは嫌だが、人がやってしまったものは仕方がない、という判断。そして・・・なによりも、その結果への興味。
ハロルドとトリスタの会話の応酬を聞いただけで、すでにハロルドの部下たちは、銘々が取り掛かっていた作業の手を止め、そちらに注目をしていた。
その顔は、誰もが疼く好奇心に勝てないことを物語っている。今にも飛びつこうという姿勢で、待っている犬のように、じっとハロルドたちに見入っていた。
「はい。」
それの心境には、自分も心当たりがあるのだろう。
トリスタは、素直にハロルドに答えると、自分の研究成果が納められているメモリを、惜しげもなくハロルドにと差し出す。
それを受け取るハロルドは、頬を紅潮させ、早口で、天上でよく使われているというカタチのコンピュータを持ってくるように指示した。
ハロルドは、間もなくやってきた白いコンピュータを起動させると、メモリをそこへと差し込む。
ほどなく現れた画面には、一見では数字と記号の羅列としか見えないものが記録されていた。
「・・・これって、レンズの波形のパターンよね?主にどういう実験をやったの?」
ハロルドの隣で、自分が書き込んだ数字を覗き込みながら、トリスタが言った。
「これは、人体に及ぼす影響が、どれほど晶術にも影響するかの実験ですね。気温の変化、空気圧、視界の遮蔽など・・・薬の投与も行いました。」
「どういう種の薬?」
「・・・主には・・・ええと・・・アスピリン系のものも使用しました。」
言いにくそうに言葉を濁すトリスタに、ハロルドがそっけなく言った。
「つまりは、麻薬を使用したってことね。」
カーレルが近寄り、ハロルドの頭越しに画面を覗き込むと、少しだけトリスタは身じろぎをした。
先だっての会議で、カーレルに責められた事を覚えているのだろう。実験に麻薬を使ったという事は、人体実験だと指摘されたても仕方がない行為だ。
そのうえ、ハロルドは尚も言った。
「・・・これってさ。このデータ取った時に採取した血液に混入されているの、アルカロイドよね?」
「・・・はい。」
「・・・・・。」
ふうん、と言ったままは無言で、計算式をスクロールしていくハロルドの姿に、逆にトリスタは、良心の呵責を覚えるのだろう。ビショップはどうやらあまり毒が効かない体質らしく、ともごもごと言った。
「・・・それでも毒なら、致死量に達すれば死ぬでしょうが。」
「そんな量は使ってません!ただ、少しだけ精神に負担がかかる程度で・・・。」
「それは、苦しみを覚える、という事じゃないのか?」
冷ややかな口調でカーレルが割り込むと、急に汗が噴出したらしいトリスタは、ええ、まあ、と誤魔化そうとでもいうようにもごもごと言いながら額を拭う。
思わずカーレルは眉を顰める。
やってしまったものは、すでに過去だ。反省しているらしいトリスタに今更、追い討ちをかけるように道徳を説く事は簡単だが、被害者の立場の彼が甘受していたという事を、一方的に責める権利は外部者の人間の自分達には、ないに等しい。
そうは頭で理解していながらも、嫌悪感は拭えない、とカーレルは思った。
「・・・まあ、いいわ。」
仕方ない、とハロルドはまるで独り言のように言った。
人類としての道徳と、飽くなき探究心の狭間に立っているものは、同時に、矛盾するふたつの大きな問題を、心の中に抱え込む宿命にも悩まされる。
それは、今やハロルドの回りに密集している(まさに密集しているというべきだ)科学者たちも同じ気持ちなのだろう。
それぞれが溜息をつき、トリスタから一瞬目をそらしたものの、彼が今まで培ってきた成果に、興味を覚えないではいられない。結局はハロルドと同じく、仕方がないと割り切って、目の前にある数字に身を乗り出して見入っていた。それが科学者の業だ。
「・・・・ねえ、なんの意味があるの?これ。」
このまま永遠に続くのではないかと思わせる、長い記号の羅列に目を走らせていたハロルドが、指を止めて、トリスタに言った。
「どれですか?」
「こ・れ。」
画面の上を赤く塗った爪の先で、とんとん、とハロルドが叩く。
「・・・塩基配列よね、これ。まさかヒトゲノムを決定しようっていうんじゃないでしょうね?」
ひとりでやるには、時間がかかりすぎる、とハロルドが言うと、いえそれは、とトリスタが言った。
「・・・ミクトランの指示だったんです。」
「・・・DNAの解析が?」
「なにを目的としているのかは分かりません。ただ、ミクトランがビショップのDNA配列に興味があったのは事実のようですが。」
「ふぅん・・・。」
まさか、ミクトランが塩基配列に着目しているとは思いも寄らなかった。
もちろん、人によって晶術の種類に格差がでる事を考えれば、この研究もつきつめていけば、確かにそこへとは辿り着く。だが、今現在、全てのヒトの全ゲノムDNAの塩基配列が決定されていないというのに、データとして取ったところで、どこから晶術との関係を探り出すつもりだったのか。
・・・それとも、これは晶術の研究とは関係がないのだろうか。
「・・・・・・っ!」
ガタン、と音をたてて椅子から立ち上がったハロルドに、回りの科学者ばかりか、カーレルも驚いて身を引いた。
「・・・どうした?」
そのまま無言で壁の一点を見つめ、考えているらしいハロルドに、話しかけても答えないだろうと予想しながらも、カーレルは一応、声をかける。
ハロルドは答えたには答えたが、それはカーレルの質問にはまるっきり関係のない言葉だった。
「・・・ちょっと出てくる。」
今さっきまで出てたのにまたですか〜?と誰かが言ったが、ハロルドは聞いちゃいなかった。
トリスタのデータを指差し、このまま誰もいじらないでね、とそっけなく言いつける。
「・・・それなら、私もそろそろお暇しよう。」
ついで、というようにカーレルが言うと、ハロルドはちらりとカーレルを見て、それから何も言わずに部屋の出口へと向かう。
その背を追いながら、どうせ誰も自分の事など気にしないだろうと思いながらも、カーレルは一応、研究者たちに、では、と片手をあげて挨拶をした。
意外にも、数人が同じように手をあげて挨拶を返し、他の科学者たちのなかには見るからに不満そうに、ハロルドの背中を睨んでいる者がいる。
いつでも、ラボの連中は私がいなくても大丈夫、とハロルドのお墨付きだった。
だが、科学者たちには逆に、いないと不満を持たれるほどに、ハロルドが信頼されているという事までは、カーレルも知らなかった。
薄暗い廊下を並んで歩いていると、兵士たちが振り返って、ハロルドたちを見た。
このふたりは、司令官リトラーと同じ位に軍内部では有名だが、片や作戦本部、片や自分のラボ、とほとんどが上層部で篭っている為、下級の兵士が、ふたりを見かける事などまずない。それがふたり揃っているとなれば尚更だ。
そのふたりは肩を並べて、住民地区へと向かっていた。
そこは、下級兵士たちの使うものと同じ大部屋で、それよりも更に数階下に用意されている。
「・・・・兄貴、目的があってカルロを訪ねるの?それとも私のつきあい?」
「私の目的は、カルロじゃなくってダリアの方だ。・・・お前はカルロになんの用事だ?」
「確かめたい事があって。」
「私もだ。」
ふうん、とハロルドが言ったところを見ると、自分の確かめたい事と、カーレルが確かめたい事は別の用件だ、と察しているのだろう。
それはカーレルも同じで、ハロルドが思いついた事など皆目検討もつかない。
「何を、いつ思いついたの?」
ハロルドが言った。
「さっきお前がラボの連中を怒鳴りつけていた時に、な。」
カーレルが答える。
その間ももちろん、足を止めない。
時間を惜しんでいる訳ではなく、沢山の人間がいる中では、ひとつのところに留まるよりも、移動していた方が会話が流れ、余計な人間に聞かれなくて済む。
「ダリアの話の中で、ミクトランたちと言葉を交わした部分が出てきただろう。」
「うん。」
「あの会話が本当に正しいのかどうか。」
「正しいって?」
「話し方というのは人によってニュアンスが違うものだからな。それは聞いた者の方にも反映されるだろう。だが、ダリアはラルフィルドの会話もきちんと覚えていただろう?」
再生と再興の違いすら、ダリアはハロルドたちに正確に伝えてくれている。
「そのダリアが話したミクトランたちの言葉の中に、違和感を覚えるものがいくつかあった。・・・お前、気がついたか?」
「たぶんね。」
「それが、本当にそういう言い回しで間違いはないのか。それをまず確かめようと思ってな。」
まず、というのはハロルドに考えている事を話す前に、という意味だ。
住民地区(と言っても単なる大部屋が連なっているだけだ)でカルロの姿を探したが、彼はなかなか見つからなかった。
住民達の中には、ハロルドたちが軍人だと気がつくと、もの珍しそうにしながらも遠巻きに眺めていて、近寄るとそそくさと逃げてしまう。子供に話を聞こうとすれば、逆に軍の話を聞かせてくれ、と強請ってくるので、なかなか辿り着けない。
「大人と子供では、軍人に対する考え方が極端に違うものだな・・・。我々に近寄ってくるのは子供だけか・・・。」
「まあね。自分達を助けてくれる正義の味方っていう無邪気さだけで、見てくれるのも今のうちよ。自立心を持つ頃には、自分達の為とはいえ、戦争をやらかしている忌まわしきモノっていう見解を持つ人間もでてくるわ。・・・しかし、ここまではっきりと、できれば係わり合いを持ちたくないっていう態度されるとはね〜。」
そういう態度にでられる事に慣れているハロルドと言えど、呆れた、らしい。
誰の為に戦っている訳でもないし、見返りを要求する気などまったくないが、まるで加害者を見るような視線を向けられれば、憂鬱な気分にもなるものだ。
そう思うのは、戦争に対する認識が自分の中でもまだまだ甘いからなのだろうか。・・・・戦争とはいえ、殺しあいだ。それを決して忘れてはいないつもりだったが。
「お、いた!」
口笛をひとつ吹き、ハロルドが言ったのをきっかけに、カーレルは憂鬱な気分を一掃した。
今はそんな事を感じている場合でもない。
カルロはまだハロルドたちに気がつかず、少し慌てた様子で回りをきょろきょろと見回していた。
「カルロ!」
ハロルドが手を振ると、一瞬、顔を歪め、あんたたちか、とこちらを認識した後、
「あんたたち、ダリアを見なかったか?」
焦ったような早口で、カルロは言った。
「ダリア?」
「いないのですか?」
双子は首を傾げて、カルロに問う。
「ああ・・・。一緒にここまで来て・・・顔見知りの村人に、妹だって紹介してまわった時まではいたんだ。配給された食事を取りにいっている間に、姿が見えなくなって・・・。」
「そこらにいるわよ。それより聞きたい事があるんだけど。」
カルロは、そっけないハロルドの言葉に、あからさまに眉を顰める。
「なんだ?まだこのうえ質問があるってのか?」
冷たいカルロの口調には、イラつきが滲んでいる。
「うん。・・・ちょっと場所変えない?」
「ここじゃダメな事なのか?俺はダリアを探しているんだが?」
「私は別に、良いけど?・・・でも、ラヴィ・ロマリスクの聖典に関する話よ?あんたの方は、それでもここで構わない?」
「・・・・・!」
カルロの不機嫌そうな表情は、一瞬で崩れた。
「・・・あんた・・・それは誰に聞いた?」
ハロルドはするり、とポケットからひとつのレンズを取り出す。
それはここに来る途中に、寄ってと言われ、カーレルがつきあったハロルドの部屋から持ってきたものだ。
「それは!」
「これから聞いたわ。」
聞いた訳ではないが、同然だ。
それは言わずにハロルドは、摘んだレンズをカルロによく見える様にして掲げる。
美しく丸い欠片は、一国の歴史が全て刻まれているとは思えないほど、透明に透き通っている。
「・・・どうして、それをあんたが持っている?」
声を低くしてカルロが聞くと、ハロルドはなんでもない事のように答える。
「サロメが持ってたわ。」
「・・・・あいつが?」
「まあ、持ってて当然でしょう。奪われたこれを取り戻す為に、騎士団は地上軍を追ってきたんでしょう?」
「・・・・・。」
ダリアの話からそれを聞いていたカルロは、ああ、そうだろうな、と頷いた。
そして、ハロルドに聖なるレンズを見せられた事で、動転したのか、逆にハロルドの話に興味を持ったのか、自ら人気のない方へ行こう、とハロルドたちを誘った。
「で、聞きたい事ってのはなんなんだ?」
カルロは、物事に対する判断力がある。
ハロルドにレンズを見せられ、移動するほんのわずかな間に、すでにハロルドがラヴィ・ロマリスクの秘密を知っているという事を、全て察していた。
三人は、めったに使われない非常階段の陰に、人目を憚るようにして、やってきた。
「聖典の事だってさっき言ったけど?」
ハロルドが唇を尖らせると、カルロはあからさまな溜息をつく。
「それは聞いたさ。だが、それに関する事ってのは、なんなんだよ?第一・・・本来、聖典ってのは禁忌なんだ。俺は一介の騎士だったんだから、深い事までは知らないぜ?」
「・・・禁忌。」
「ああ。」
困ったな、というようにカルロは頭を掻いた。
自分は身分も高くない人間だったのだから、聖典に関することなど知りようもない、と説明したところで、ハロルドが納得すると思えないのだ。彼も、そろそろハロルドという人間を理解し始めている。
「・・・聞きたいのは、この中に納められている、天生の民の技術が、誰になら見ることができるかって事なんだけど。」
「それは簡単だ。聖皇女と、教皇。そのふたりだけだな。」
だから俺に聞かれてもなにも知らん、ともう一度カルロは言った。
「ラルフィルドだったら?」
「・・・さぁ。もしかしたら、見れる立場なのかも知れんが。」
「・・・このレンズを開いた時に。」
ハロルドが話している途中で、カルロはぎょっとしたように目を剥く。
「開いたってのはなんだ!?あんた、聖典を開いたのか!?」
「いや、そこまではまだやってないけど。」
「やってないってのは、できるって事じゃないのか!?第一、そこまでってなんなんだ?そのレンズと会話したっていうのか?」
「うん。現在の所有者とか、そういうのは聞いたわよ?」
その答えに愕然として、カルロはハロルドを見返す。
「・・・嘘だろう・・・。」
「なによ、大変な事してくれたとかって責められたって、もうやっちゃったんだから知らないわよ?第一、私はリ・ヴォンの信者じゃないんですからね!」
戒律を守る筋合いもない、とひどい事をハロルドは言ったが、そうじゃない、とカルロは言った。
「そのレンズって本当に会話できるのか?」
「うん?質問すれば、答えるわよ?」
「・・・レンズが会話するっていうのは、俺たちは単なる言い伝えだと思ってたんだ・・・。」
ハロルドがレンズを調べてしまった、という事とは違うところで、カルロは驚いていたらしい。
「そもそも・・・聖なるレンズは、聖典を開く鍵だって伝えられている。聖皇女か教皇にしか会話をせず、それによって所有者を認識する、と。しかも、その技術も失われて久しいって聞いていたってのに。」
「それ相応の機械を使えば、今でも会話できます。失われたって言うのは、技術じゃなく機械の方だったんでしょう。」
なんでもない様に言われ、カルロが落胆するの見て、あっさり開いて悪かったか?とハロルドは見当違いの感想を持った。もうちょっと梃子摺ってあげれば良かった。
「・・・ただ、その事なんだけど。」
「なんだ?」
「・・・教皇と聖皇女を認識するって事は・・・世代が変わるとデータの上書きみたいなものが必要って事よね?」
そうでなければ、レンズがフェザーガルドの名前を答える訳がない。
「・・・だから、俺は知らないって。」
カルロは半分泣きそうになりながら、答える。
これほどまでに動揺している彼も珍しい。
「確かに天生の民の技術は、確かにラヴィ・ロマリスクに伝えられ聖典と呼ばれているが、内容はおろか、鍵であるレンズに関しても、詳しい事など俺たちは知らされないんだ。答えようがないじゃないか。」
「そっか。」
まあ、確かに世襲制のメカニズムなど、それに関わる一部の人間が知っておけば良い事なのかもしれない。
だが、ハロルドの説が正しいとすれば、レンズはその『技術が失われた』とされる期間より後に、一度開かれていることになる。
その機械は、すでにラヴィ・ロマリスクにはなかった。
そしてレンズは、フェザーガルドともうひとり、違う人間の名前も記録している。
眉を顰め、ハロルドは言った。
「なんで、禁忌っていうの?」
「え?」
「なんの事だ?」
それには、カルロだけではなく、カーレルも首を傾げて聞き返した。
「さっき、聖典の事は禁忌だって言ってなかった?」
「・・・?ああ言ったが。・・・それに触れる事、話題にする事が禁忌だっていうんだろう。」
「・・・・・そう?」
そういうとハロルドは、なにかを考え込む時の癖を出し、指で人差し指をなぞる。
その姿に、ハロルドが納得していない事が見てとれて、カーレルはしばらくこの会話が続くだろうと予想した。
ところが、そう思った矢先、ハロルドがいきなり言った。
「・・そういえば、兄貴。カルロに聞きたい事があるんじゃなかった?」
「・・・あんたまで、なんだ?」
その言葉に、疑わしそうにカルロがカーレルを見る。
いきなり話を振られ、今度はカーレルが面食らう番だったが、一瞬で己の目的を思い出す。
「たいした事ではないのですが。」
ハロルドの話とは違って気軽に聞いてくれ、とカーレルが断って、カルロの構えた態度をほぐそうとする。
「先ほどの会話の中で、ラヴィ・ロマリスクでの名前に関する話が出たでしょう。父親の名前を最後に名乗るのがしきたりだとか。」
「ああ。」
「例えば・・・私生児だった場合などどうなるのです?総長殿の、最後の名前は女性のものの様に感じられるのですが。」
しかし、ミゲルの父親は前教皇の側近だったと聞いた。
「なんだ、その事か。」
カルロは本当になんでもない話だった、と思ったのか、緊張の表情を解き、カーレルに答える。
「私生児だったら、そりゃ母親の名前さ。でも、父親がいるのに女名前なのも、ラヴィ・ロマリスクでは珍しくもない。聖なる血筋だけが、聖皇女の・・・母親の名前を名乗ると言っただろう?」
「ええ。」
「それに倣って・・ていうんでもないんだろうが、父親の名前を女風にして名乗ってるってだけの話さ。まあ、流行、みたいなもんだな。」
「そうなんですか?」
「ああ。ミゲルのヤツの父親は、アインシュナイダと言うんだ。だから、アレンジしてイシュタル・・・。」
「長っ・・・。」
アレンジしなかった時の名前を考えてみたのだろう。ハロルドが舌を噛みそうだ、と言った。
「まあ、そういう事だ。短く略すって意味もあると思うがね。」
ベルセリオスってのも舌を噛みそうだと思うぜ?と笑いながらカルロが言った。
「・・・それでは、カルロ殿。」
「ん?」
「・・・・前聖皇女の、ラヴァベルナ殿の・・・不義の相手と目された方のお名前は?」
「・・・・・。」
カルロは一瞬、カーレルを訝しげに見て、それからゆっくりと驚愕の表情を浮かべた。
それは、カーレルが疑っていた事が、的中していた事を物語っている。
「・・・まさか・・・。」
愕然と言葉を漏らしたカルロは慌てた様に、カーレルの顔を見る。
カーレルはそれに頷くと、
「・・・たぶん、ダリア殿もその事に気がついてたのでしょう。」
だからこそ、ハロルドが総長の名前に興味を示した時、はぐらかした。
「・・・ダリアはどこだ!?」
壁に寄りかかっていた体を起こし、カルロが声を荒らげる。
「あいつ・・・!まさか!」
「まあ、落ちついて。」
それに対し、ハロルドは暢気にしている。
「そこらへんにいるでしょう〜。」
「そんなん分からないだろうが!!」
カルロはハロルドに怒鳴る。
「あいつが、あんたらの言うような事を知っているんだとしたら、逃げていた理由も説明つくじゃないか!」
「逃げていたとは、限らないでしょう。」
血気盛んなカルロに、すぐ激高するところがディムロスそっくりだ、などど友人の顔を思い浮かべ、カーレルも暢気に言い返す。
「総長の命令で、ラルフィルド殿を探していたのは事実でしょうし。」
「でも、まあ・・・自分で動いていた部分もあるでしょうね〜。じゃないと、アンタイルスの神殿で、私に襲い掛かったりしないわ。」
「だから、少しは状況を把握してくれ!」
未だに動かず、会話を交わしている双子に、イラついた様にしてカルロが怒鳴った。
「ダリアのやつ!ここから逃げ出して、またどこかへ向かったかもしれないんだぞ!?」
「どうやって?」
その時、廊下の向こうからはしゃぐ子供の声が聞こえてきた。
「ママ!見て!この船、お空を飛んでるよ!!」
「ラディスロウは先刻、新たな駐屯地へと移動を開始しました。」
カーレルは言った。
「全く、我が妹ながら恐ろしい。こんな巨大戦艦が、よほどの乗り物酔いをする体質の人間でなければ、気づくこともないほどの振動しか内部に与えずに飛ぶなど。まあ、乗り物に慣れてない方なら、飛んでいる事に気がつかないかもしれませんね。」
つまりは、ダリアにはラディスロウから出る術はすでにない、という事だ。
だから、落ち着いてって言ったじゃないの、とハロルドが、あ然としているカルロに言った。
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