自室で仮眠をとった後、シャルティエは食堂へと向かっていた。
午後は、新米兵たちの指南役をおおせつかっている。その前に腹ごしらえをしなければならない。
・・・とはいえ。
「あまり食欲ないなぁ・・・。」
ひとりごち肩で、はふ、と溜息をこぼした。
今日こそ上層部に自分をアピールできる絶好の機会だとは分かっているのに、どうにも心が弾まない。
はりきりすぎて空回りするのでは・・と危惧するあまり、緊張しているというのもあるが・・・。
最大の理由は、心がそこに向いてないからだ。
出世なんかよりも、気になる事がある。
しかも・・・不謹慎かもしれないが、楽しい事だ。
なにかの謎を前にすると、どうして人はこうも、心を奪われるのだろう。
「な〜んて。ハロルドの影響受けちゃったかなぁ・・・。」
そんなバカな、と笑いながらシャルティエは廊下を歩いていく。
ハロルドの影響など受けてしまったら世も末だ。
自分は上層部に睨まれたくなどない。
・・・とはいえ。
ハロルドの誰に阻まれようと怯まず、自我を貫く姿にはある種の尊敬の念を覚えるのも確かで。
その強さが羨ましい、とは思う。少しだけだが。
「まあ、ああなりたいとは思いませんが。」
その時、てくてくと歩いていたシャルティエの目の前を、急ぎ足で横切る影があった。
「あれ?」
それは、見覚えのある姿だ。
だが、ここは軍人以外は立ち入り禁止の区域の筈だ。
なにをやっているのだろう、と訝しがる前に、迷ってしまったのだろうか、とシャルティエは心配した。
なにしろ、ラディスロウの内部は広く、しかも道は入り組んでいる。昨日今日来た者が、しっかりと道順を覚えていなくてもなんの不思議もない。
シャルティエは後を追いかけて、足を向ける。
もちろん、迷っているならば助けてやるつもりで。
人目を避けて選んだ階段の下の影の中、3人で顔をつき合わせていると立ち話という感じだ。
一見は緊張感がないように見えるが、その実、話している内容は深刻なものだった。
「その聖皇母と恋仲だったという司教のお名前は、なんというのです?」
カーレルが言うと、カルロは何事かを口の中で唸ったが、
「・・・イスカリオテ、だ。」
と答えた。
「イスカリオテ。」
「なるほど・・・イシュタル、ですか。」
むしろ、ミゲルの父親のアインシュナイダよりも、よっぽど綺麗に変換できる。
ふむ、と納得しているハロルドに、カーレルも頷く。
双子が、得意の無言の意思の疎通を交わしている隣で、しかし、とカルロは言った。
「あんた・・・ヤツの本当の父親はイスカリオテじゃないか、ってのか?」
「その可能性がある、と思っただけです。」
「どうして。」
カルロからしてみれば、カーレルの思いつきはいきなりすぎる。
どうして内部事情すらカルロの口から聞いた人間が、それだけの情報しかないのに、そんな事に気がつくというのか。
「たしかに、そう見えるかもしれませんが。」
しかし、とカーレルは言った。
「私と妹は、この件に関してはすでにかなりの知識を得ている。残念なことにすでにラヴィ・ロマリスクはなく、確かめる方法が他になかった・・・。色々な憶測をもっともらしく理由付けるとするならば、他人の・・しかも噂の類ではなく、昔を知る人物からの話をより多く集める必要がありました。その結果・・・私たちはあなた方の知らない事、誰がなにをどう思っているのか、という事を知っている訳です。」
「たとえば、なにをだよ?」
自分たちの国の事を、自分たちよりも知っていると言われ、カルロは面白くなさそうな口調で言った。
「たとえば、ヴァレリーの事とかね。」
しかし、答えたのはハロルドの方だ。
「ヴァレリーは私に、天上でなにがあったのかの調査を依頼した張本人だけど、ヴァレリーはヴァレリーでなにかを掴んでいる風でもあったわ。なのに、その手の内を見せてはこない・・・。まったくどいつもこいつも信用できないやつばっか。」
「それよりも、我々の知る情報の最たるものは。」
ぶーと膨れるハロルドを気にもとめず、カーレルは言った。
「・・・地上軍兵士たちによる、ラヴィ・ロマリスク滅亡時の証言でしょう。」
「・・・・・それが?」
感情を一旦押し殺したように目をすがめ、カルロが言った。
「辻褄があわないことがあるのですよ。些細な事ではあるのですが。」
「辻褄があわないこと?」
「ええ。それは・・・後で話すとしましょう。まあ、要するにそういう事です。我々は我々の形勢した情報網により、知りえたものを継ぎ合わせ・・・あまりにも、不自然で作為的に感じるものの中から推察したという事です。」
「不自然なものねぇ・・・。」
揶揄、というよりも自分も考えている口調だ。
顎を手で撫でながらカルロはしばらく黙ったが、やがて観念したように、わかったと言って諸手を挙げた。
「まあ、それは良しとしよう。で、あんたは?なににひっかかって、ミゲルがイスカリオテ司教の息子だ、なんて思いついたんだ?」
「ですから、それまでの情報をパズルのようにしてはめ込んだ結果ですよ。」
カーレルは言った。
「あんなに議論したというのに、もはや忘れている訳ではないでしょう。」
「だから、なんの事だよ?」
鈍いカルロに少しだけ、困ったように微笑み、カーレルは言う。
「あなたが庇ったろくでなしのミゲルが、ダリアの尊敬するミゲルと、入れ替わっている可能性について、です。」
「・・・・・!」
もうその話は彼の中で解決してしまっていたのか、少しだけ目を見開き、カルロはカーレルを見た。それとも本当に忘れていたのかもしれない。
「顔のことは・・・まあ、少々強引ですが、息子ふたりが偶然似ていた、というのもありえるかもしれない。アインシュナイダとイスカリオテ。ふたりは共謀する。理由としては地位と名誉・・ぐらいが打倒ですか。アインシュナイダは出世欲の強い人間だったみたいですから。」
「女性が継承するという体制は逆に、権威を狙う者にとっては、かなり好都合よね。息子がいれさえいれば良い。普通の国なら、娘が王妃に輿いれしたところで、国政を任される事はないけど・・・ラヴィ・ロマリスクでは、息子が聖皇女に婿入りすれば、必然的に、教皇の座も手に入るんだもの。」
「そう・・・だから、アインシュナイダは、それが狙いだった。イスカリオテの方は・・・やはり権力かもしれないし、国に対して遺恨があったのかもしれない。とにかく、ふたりは共謀した・・・。」
「それは変じゃないか?」
カルロは言った。
「あんたの言った通り、イスカリオテ司教が、ラヴィ・ロマリスクに対して遺恨を持ち、その意趣返しとして神殿に自分の息子を、アインシュナイダの息子と偽って、送り込んだとしよう。」
そういう事だよな?とカルロは一度、ふたりの言わんとする事を反芻して、
「しかし、どうしてアインシュナイダがそれに手を貸す必要がある?自分の息子はすでにフェザーガルドの許婚に選ばれていて、黙ってても教皇になれるんだぜ?ヤツの望みは叶えられるというのに、わざわざ、イスカリオテの息子と入れ替える必要なんてないじゃないか。」
と、カーレルに反論した。
しかし。
「なに言ってるのよ。必要あるじゃない。」
心底、呆れたという口調で、間髪入れずにハロルドは言い返す。
「アインシュナイダの"ミゲル"は2年前、ベルクラントに吹き飛ばされて死んだんでしょうが。」
あ、というようにカルロは息を飲んだ。
アインシュナイダの息子のミゲルは、確かに時期教皇の座を約束されていた。だが、それは・・生きていれば、の話だ。
頼みの綱の息子が死んでしまっては、野望を達成させることなどできないではないか。
「だからこそ、アインシュナイダは。」
「イスカリオテの報復に手を貸した。」
ありえる話だ。
「もちろん、アインシュナイダは何も知らないままで、息子が入れ替わっていたのに気がつかなかったって可能性もあるわよ?けど、どの場合でも結論は同じだと思う。息子が別人になっていて、何を目的としていたとしても、結果的に自分に利益がある事は変わりないもの。」
「まあ、もっとも、それも・・・イスカリオテに息子がいた、という条件を満たしていなければ、仮説としても成立しない訳ですが。・・我々は事実を確認した訳ではない。」
「そうね。いても不思議ではないが、いなくっても可笑しくない。そういう状況よね。なんの確証も持っていない私たちでは、正解かどうかも分からないままに、ここであれやこれやと言いあっているのが精一杯。」
気軽な感じにハロルドはカーレルに同意する。まるで人事だ。
「・・・でもあんたなら何か掴んでいるんじゃない?」
その場からはあまり見通せない角の影に向かって、ハロルドは言った。
「ね、ダリア?」
いつからそこに立っていたのか分からない。
会話の事など忘れ、カルロが背を預けていた壁から身を起こした時、死角になるように奥まっていたところにいたカルロたちが・・・ちょうどそこまでくれば見える、という角にダリアが立っていた。
暗い場所を選んでいたハロルドたちからは、ラディスロウの廊下を照らす光によって逆光で、ダリアの表情までは見えない。
だが、その中においても、左右色の違う大きな瞳が、そのものが光っているかのように、ハロルドたちを見据えているのが分かった。
「ダリア、どこに・・・。」
言いかけ、駆け寄ろうとしたカルロはそのまま、動きを止める。
ダリアはひとりではなかった。
兄の動きに一歩引き、左手で引き寄せたのは・・・人の腕だった。
ダリアの右手は、そちらの方に一直線に伸びていて、その手の先に握られていたのは・・・。
「・・・博士〜・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
大の男が人質になってるんじゃねぇよ、このボケ!とカルロは舌打ちし、困ったものだ、とあからさまにカーレルは呆れた。
鋭い剣先を押し付けられ、シャルティエは困り顔だ。
その顔が焦っているように見えないのだけは、褒めてあげよう、とハロルドは思った。
この状況においても、シャルティエはダリアが自分を殺すとは思っていない。ただ、ダリアには、そうしなければならない理由があるのだろうな、くらいに構えている。だからこそ、暢気に人質になどなっているのだ。
「これは、なにごっこですか?」
眉を下げ、小首を傾げる様を見せられても、男が相手では可愛くない。
「・・なにをしているんだ、ダリア。」
低く唸るように言ったのはカルロで、その声には怒りが含まれている。
誇り高き元騎士は、相手が妹でも、そういう卑劣な行為を好まない。いや、妹だからこそ、か。
・・・乙女が大の男を人質に取る姿が、果たして卑劣というのならば、だが。
「なにが望みですか?」
冷静な声で対応したのはカーレルだった。
カルロは怒りを露にしているし、ハロルドはまるで楽しんでいるそぶりで、相手にならない。
必然的に交渉役は彼しかいかなかった。
「この船を。」
ダリアから見ても適任だったのだろう。決意を固めた熱っぽくも、逆に冷たくもある瞳でカーレルを見据え、ダリアの元々ハスキーな声で要求を口にした。
「・・・今すぐ、引き返して貰いたい。」
「無理。」
ハロルドが即答すると、博士〜と情けないシャルティエの声がかぶさった。
「あんただって大体の状況は分かってるんでしょ?今、この船は新しい駐屯地へ向けて移動中で・・・なによりもその移動にはお金がかかるの!はい、そうですかっていきなり方向転換できるような予算はないの!」
予算と僕の命とどっちを取るんですか〜とシャルティエに言われ、
「ごめん。リトラーならまだしも、あんたの命くらいじゃ1日分の燃料も惜しむだろう非情な軍だもの〜。私では力にはなれないわ。」
他をあたって、とハロルドがまるっきり他人事に言い、
「人命には代えられないが、まあ・・ないものはないからな。」
とさらに追い討ちをかけるようにカーレルも言った。
「ちょっとちょっと、ふたりとも・・・!」
「それよりダリア。」
泣きそうなシャルティエを無視し、ハロルドは未だにこちらを見据えているダリアに視線を向ける。
「あんたが、アンタイルスにいた理由をそろそろ白状してくれない?」
「・・・・・。」
ダリアは答えなかったが、それはハロルドには予想の範疇だった。
「・・・なんだ、その、理由ってのは?」
今度はカルロが、ハロルドに聞く。
「ダリアは、こう思っているのよ。」
人差し指をたてて、良い?とカルロに見せ、
「ミゲルがイスカリオテの息子だったとしたなら、もうひとつの可能性もある。」
ハロルドは言った。
「ミゲルこそが、聖皇母の産んだ、幻の聖皇女かもしれない。」
「・・・・・!」
「それは・・。」
ダリアは息を飲み、カルロは一瞬、言葉を失った。
え!?なんの話なんですか?とシャルティエがそれに喰いついたが、今は場合も場合なので、無視される。
人質に取られている身だというのに、彼の反応はマイペースだ。ある意味、ハロルド並かもしれなかった。
「その話も散々したはずよ?」
何も不自然な話などしていないとばかりの態度で、ハロルドは言った。
「天上でダリアが見たっていう女も、ラルフィルドが助けたっていう女も、依然として幻の聖皇女候補だけど・・・。イスカリオテの子供だっていうなら、ミゲルにもその可能性がでてくるわ。聖皇母が本当に隠れて子供を産んだのなら、相手はイスカリオテじゃないか、と話したじゃないの。」
「い・・・いや、ちょっと待ってくれ。」
「どこか問題でも?」
「大ありだ!」
平然とした態度のハロルドに、カルロは怒鳴る。
「ミゲルはフェザーガルドの許婚なんだぞ!?それが本当だったら、ふたり異父兄妹って事じゃないか!」
「そうなるわねぇ〜。」
ハロルドは言った。
「ありえない!」
その平然とした態度が気に障るのか、カルロは真っ赤な顔で、怒鳴る。
「ラヴァベルナ様は、フェザーガルドの伴侶を決める時に同席しているんだぞ!?密かに産んだ子だって、ご自分の子だ!血の繋がった兄妹同士の婚姻を認めるなんてそんな事があるか!」
「それは、子供の時の話だろう?」
激高するカルロと反対の落ち着いた声でカーレルが静かに言った。
「ミゲルは子供の頃からフェザーガルドの伴侶に選ばれていた、と貴方が自分で言ったじゃないか。彼らが入れ替わったとするなら、2年前だ。その頃にはすでに、聖皇母ラヴァベルナはアンタイルスにいたのでは?」
「・・・それはそうだが・・・。」
「・・・・・。」
カルロが言葉に詰まる様子を、ダリアは黙ったままで見ていた。
彼女はこの成り行きを、静かに見守る気のようだ。
シャルティエは黙ったままだったが、視線だけがハロルドとカルロの顔を行き来している。
「・・・だ・・だが。近親者同士の結婚なんざ、思いつくだけで罪だ。ラヴィ・ロマリスクはそんな・・・。」
「なにも、ラヴィ・ロマリスクでなくても、世間一般から見ても原罪だし〜。」
場を読まない暢気な声でハロルドが言い、カルロに睨まれる。
ハロルドはそれになにかを思うほど気弱な性格ではなかったが、それでも、少しだけ動揺の激しいカルロの態度を気の毒だと思ったのか、じゃあ、助け船を出しましょう、と口にした。
「なにも、近親相姦もやむなしとした、なんて言ってないじゃない。」
そのものズバリ言われ、カルロは一瞬怯んで、睨みつけていた顔を崩す。
一瞬、ダリアも身を固くすると、固唾を飲んでその先を見守る。
「それは・・・。」
「結婚なんて、公衆面前で式挙げただけでもなりたつでしょ?」
事も無げにハロルドは言い、ね?と兄に同意を求める。
ハロルドの言わんとする事が伝わらなかったのか、カルロは訝しげだ。
そっと様子を伺うと、シャルティエはぽかんと口を開け、ダリアは、眉を顰めていた。
「要するに・・・カタチだけの婚姻でも十分だ、という事です。」
カーレルは言った。
「入れ替わりが本当に行なわれていて、ミゲルとフェザーガルドが兄妹だったとしたとしても、目的はミゲルが教皇の座を得る事の筈です。その為の手段としての結婚であって、本当の婚姻関係を結ぶ必要などありません。」
「つまりは・・・。」
「ええ。戸籍だけの婚姻というべきですかね。・・昔実際に、そういう国がなかったでもない・・・。」
「知ってる。」
カルロは言った。
「俺はこれでも、歴史学者の端くれだ。ラヴィ・ロマリスクのように王女にしか王権が継承されなかった為、兄妹で婚姻が結ばれるのが当たり前だったってんだろ?実際の夫婦関係など一切なかった・・・。」
「ええ。それと同じ事です。」
「・・・・・。」
カルロは黙り、ラディスロウの薄暗い天井を仰ぎ見る。
ダリアも沈黙したままだ。
「・・しかし、聖皇女が世襲する以上、フェザーガルドが女子を産まないとなると、この先国の行く末が・・・。」
唸るようにしてカルロが言った。
「そんなん、種馬になる男を見つければ解決する程度の問題じゃないの?」
誰の子でも、フェザーガルドが産んだ子が次の継承者なのだ。
ハロルドとしては分かりやすくシンプルに言ったつもりだったのに、男3人は、言葉もなくハロルドを見る。
その顔には、なんとも複雑な表情が浮かんでいた。
「しかし・・・それは、フェザーガルドが納得しない。」
「納得しようもしないも、兄妹なのはどうしようもないんじゃない?」
諦めるしか。
そっけなくハロルド言うと、そうなんだが・・とカルロは言葉を濁す。
「聖皇女の世界ってのは、神殿の内部でだけ構成されたような小さなものだと言っただろう?だからこそ、フェザーガルドにとっては・・・ミゲルへの愛情は深かった。執着していたと言っても良い。それなのに・・・。」
実は兄妹だから、お前には違う男を見繕ってやった、とフェザーガルドが言われた時の事を想像すると。それではあまりに哀れだ、とカルロは言った。
それは誰からも初めて聞く、フェザーガルドに対しての同情的な言葉だった。
その事に気がつき、ハロルドはカルロを見る。
聖皇女は・・・皇女としての役割を求められたのであって、個人を求められていた訳ではなかった。
しかし、こうなって初めて、フェザーガルド本人を慮る人間がでてくるとは。
「そんなにも、フェザーガルドはミゲルに固執してた訳?」
ハロルドは言った。
「ああ・・ミゲル以外の何も望んでなかったと言っても過言じゃない。」
「さっき私が言った理由くらいでは、ミゲルを諦めるとは考えにくい?」
「ああ・・・。」
絶望的な気分を現わしたような唸り声で、カルロは言った。
「フェザーガルドにとっては、ミゲルと結婚できる事が最大の幸福だったんだ。そのミゲルが、自分を決して愛さないと知ったりしたら、絶望して、死を選びかね・・・。」
そこで、はっ、とカルロは言葉を飲んだ。
そして、ダリア、と名前を呼んで妹を見る。
ダリアは無言で、その視線から逃れるようにして目を閉じる。そのまつげが揺れていた。
「まさか・・・それが理由で・・・?」
ダリアは、ふるふると首を振った。
それは違うという意味よりも、わからない、という意味だと思われた。
それくらい、ダリア自身も自らの疑問に迷い込んでいるように見えた。
「"愛しい兄と暮らせたものを"。」
は、とカルロとダリアはカーレルを見た。
「ダリアが、天上で謎の女が言ったと証言した言葉です。」
そうですよね、と確認すると、少しの間をおいて、ダリアは頷く。
「・・・これも、その事を示唆していた言葉だった、とみれば納得がいく。」
そもそも、そこにも違和感があったのだ。
普通、兄を指すなら、愛しいではなく、優しいという表現の方が相応しく思う。
「そのうえ、ミクトランはラヴィ・ロマリスクを称してグロテスクな国、と言ったという・・・。」
「けど、それなら。」
ハロルドが畳み掛けるようにして、カーレルに言った。
「ミクトランはどこまで知ってる訳?」
考えてみればそれも妙な話だ。
ラヴィ・ロマリスクが教徒を味方にした、特別な国であったとしても・・・そんな内部事情までミクトランが興味を持つほどの事なのか?
「陰でミクトランが画策してたってのはどうですか?」
人質に取られながらも、会話の流れで内容を掴んだシャルティエが、双子に提案をしてみたのだが。
「そうだとしても、何故ミクトランがそこまでラヴィ・ロマリスクに拘るか、という疑問が残るわ。」
「それに、そうなるとミゲルの目的がさらに分からないものになる。」
そもそも、入れ替わっていたのが事実とするならば、現黒鶫総長を務める男は、何を望んでそんな真似をしているのだろう。
「ただ単に権力を欲しているだけにしては、手が混みすぎていると思うのは・・私の考えすぎか・・・?」
「権力というより、教皇の座と考えたら良いんじゃない?」
自問しているカーレルに、ハロルドが言った。
「教皇になって得られるものが、ミゲルが欲しいもの。」
もしくは、手に入れなければならないものね、と言い、少しだけ口元に笑みを浮かべたハロルドを、カーレルは見返した。
こういう表情をするのは、ハロルドが、なにかを見つけている時だ。
それにひっかかるものを感じたのだが、それはふたりになった時に聞こう、と思った。
それよりも、今は確かに、ダリアの方が重要だった。
カーレルが見ると、ダリアはシャルティエを人質にして現れた時よりも、幾分と落ち着いているようだった。
やはり、ラディスロウが飛び立ってしまったことで、アンタイルスに戻る術を失い、その事に対して焦っていたものの・・・別段悪意があって、誰かを傷つける気などなかったからだろう。
「そもそも、どうして、ダリアはミゲルがイスカリオテの息子かもって思った訳?」
「イスカリオテ司教の、というよりも・・・。」
ハロルドの質問に、ダリアはついに口を開いた。
しかし、その間もシャルティエの手を離すことはなく、相変わらず剣先は彼に向けたままだ。その格好のまま固まってしまったかのようだ。もしかしたら、人質の事は忘れているのかもしれない。
「聖皇母様の・・・ラヴァベルナ様の、ご子息ではないか、と思ったのです。些細な事ですが。」
え、とカルロもダリアを見る。
「その些細な事って?」
身を乗り出したカルロに気がついて、ハロルドは早口に言った。
もう少しでなにかを掴めるかもしれないのに、兄妹喧嘩を始められてはたまらない。
だが、ダリアは兄など眼中になかったようだった。
ダリアはまっすぐにハロルドを見て、答えと示してくれることを願いながら、口を開きかけた。
「あの女が・・・。」
ラディスロウの飛行中は本来、気が抜けない。
それは、その戦艦そのものが、司令官を乗せた作戦本部であり、軍の本拠地であるからに他ならない。
もしも飛行中にその動きを天上に察知され、打ち落とされるような事があったとしたら、地上軍そのものが受けるダメージはもはや壊滅的で、この戦争の結果はおのずと決まってしまう。
とはいえ、いきなり軍を辞めて故郷に帰った兵士の穴を埋める為に、急遽課せられた夜間の見回りのおかげで、その時、操縦士はあくびを押し殺して操縦席にいた。
緊張感を伴うとはいえ、軍どころか、人類最高の頭脳が設計した計器の数々は完璧で、一度標準を定めると勝手に進む上、レーダーなどにひっかからないよう妨害電波で、艦体を覆っている。
故に、極端な話、操縦士が眠ってしまっても勝手にラディスロウは目的地に着くのだ。
だから気が緩んでいた。
操縦士は何度目かのあくびを押し殺して、目の端に滲んだ涙を拭き、そして気を取り直して、外殻に覆われた薄暗い空に目を凝らした。
その時だった。
突如視界に、それまでは見えてなかった一機の飛行艇の姿が飛び込んできたのは。
飛行艇はラディスロウをめざし、猛スピードで一直線に飛んでくる。
このままいけば、間違いなく接触する。
「・・・た・・・大変だ!!敵襲!!」
慌てふためいて操縦士は叫んだ。
そのあまりの衝撃に、立っていられる者はいなかった。
「うわぁ!」
「ちょ・・・なに!」
「これは・・・!」
地震としか形容できないほどの、急激な揺れに襲われ、思わず5人は体制を崩した。
まるでダイクロフトが、傍に落ちたかのような衝撃だった。
壁や床につかまり、どこかへ飛ばされてしまいそうな自分の体を支える。
カルロは転げ、カーレルもハロルドもとっさに階段の手すりにしがみついたが、ダリアはずっと握っていた剣を落とし、斜めになった床を滑り落ちそうになったところを、さっきまで人質にとっていたシャルティエに助けられた。
あたりには警告音が鳴り響き、急を告げるアナウンスが、艦内に響き渡る。
『左舷より敵襲あり!左後方部、被弾!敵襲あり!・・・』
「ちょっと、冗談じゃないわよ!?」
いち早く反応したのはハロルドだった。
体を起こし走り出そうとすると、その動きを読んでいたかのように、ハロルドの手をカーレルが掴む。
敵の攻撃を受けている最中に、闇雲に移動するのは危険だ。
「少し、待て!」
「待ってらんないわよ!左後方っていえば・・!」
救護室がある場所だ。
アトワイト・・・!
カーレルは、アトワイトの無事を確かめようとするハロルドの手を掴んだまま、近くの通話装置に取り付いた。
「カーレル中将だ、被害は!?」
いつもは冷静なカーレルが、怒鳴るように機械の向こうに問いただすと、同じく怒鳴るようにして返事がすぐさま返ってくる。
『敵は一機で、ロケットを発射しました!左後方に被弾しましたが、飛行をするのに問題はありません。敵数人が、被弾の際に開いた穴から侵入した模様です!』
「・・・侵入?」
なんだそれは、とカーレルは思った。
ラディスロウを・・こちらの本拠地を落とすなら、何度もロケットを打ち込んでくるのが一番効果的だ。兵士とまみえたいなら、ラディスロウが地上に落ちてからで良い筈だ。これでは・・・。
なにかを生け捕りにしたいようではないか。
生け捕り。
天上はこのところ、なにかを攫ってばかりいる・・・。
「兄貴!民間人の避難を。」
報告を聞いて、攻撃の程度を知ったハロルドは、一瞬で軍人の顔に戻る。
彼女の造ったラディスロウは内部の壁さえも、特別制の金属で造られている。その程度のロケットの威力では、命中でもしない限り、根こそぎ吹っ飛んだりはしない。被害はあるだろうが、全員が一気に死亡、という災難は免れているはずだ。
アトワイトの事は気にはなるものの、それで納得し、ハロルドは目の前の事を優先させる。
ラディスロウには今、民間人が大勢避難しているのだ。被害は避けたい。
ハロルドの声を聞くまでもなく、カーレルはすでに民間人の誘導を他の兵に言いつけてあったようだ。
半パニックの民間人を大声で誘導する兵士たちにその場を任せ、ふたりはすぐ様持ち場に戻ろうと、走り出した。
カーレルは作戦本部へ。ハロルドは、研究の無事を確かめる為にラボに。
天上兵が入り込んでいる今、移動も危険な事は百も承知だが・・・だからこそ、時間がない。
今、ソーディアンのデータを、天上の手に渡す訳にはいかない。
カーレルと別れ、我先にと逃げようとする民間人の流れに逆らい、人並みを掻き分けて、ようやくその群れから抜け出した時だった。
あたりはごった返し、誰もが必死の形相で、右往左往と忙しなく行き来をしている中に、ひとり、通路を静かに歩んでいる男を見つけた。
まるでこの騒ぎが自分には関係ないとばかりに、落ち着いた表情のまま、まっすぐにこちらへと向かってくる。
それは、ハロルドの見た事もない男だった。
纏う雰囲気は一般人のものではなく、かと言って、地上軍の者でもなさそうだ。
統一している天上軍の制服を着ているでもなく、しかし。
全身は黒い。
肩には、黒い鶫が飛行する、赤字のエンブレム。
穏やかそうで、整った顔が、はた、と目の前に立つハロルドを見る。
男は何度か瞬きをし、
「失礼ですが、貴女は・・・。」
男が言った。
見かけどおりに穏やかで、優しい声だ。
「ハロルド・ベルセリオス博士では?」
そして、にっこりと嬉しそうに笑った。
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