逃げ惑う民間人の群れをなんとか抜け、カーレルは階段の下へと辿り着いた。
 この上から先は、一般人は入れない。報告を受けたところによると、幸いと言うべきか、天上兵が侵入してきたのは上の階だということだ。地上兵に対しては危険度が増すが、それでもラディスロウが保護している民間人への被害は最小限に抑えられそうだ。
 そんな事を思い、会議室への最短ルートを頭の中で描きながら、手すりに手をかけた時だった。
 ふ、とカーレルの視界の隅を一瞬だけかすめた、影があった。
 カーレルが今しがた通ってきた道を逆行していくその姿は、確かに全身が黒い色に覆われていた。

 

 

 

38

 

 

 

 


「失礼ですが、ハロルド博士では?」

 にっこり笑ったその顔にまるっきり見覚えはなかった。
 しかしハロルドは、その笑顔に警戒心をかきたてられ、男から離れるようにして一歩さがる。

 優しそうなその顔は、他人に危害を加えるようには見えない。
 仕草すらも穏やかで、なにかを焦っていたり、企んでいたりしているようにも思えなかった。
 しかし、ハロルドは直感でまずい、と思った。
 男の眼には、予想していたような狂気の類は一切見えず、むしろ子供のような無邪気さの中の、情熱すら滲ませているのに、それが酷く場違いな気がした。
 もっと憎悪や、もしくは焦点の合わない視線を向けてくれた方がよっぽど危険を感じなかっただろう。
 
「そうだけど。」
 隙を見つけて逃げた方が良いと即座に判断し、油断を誘う計算で、ハロルドは男に答えた。
「私になにか用?」
「ええ。」
 男は嬉しそうに、にっこりを笑う。
 笑顔とは別に目が笑っていない、という人間はよくいるが、それすらもない。心からハロルドに笑いかけている。
「流石、噂どおりに察しが早くていらっしゃる。大変、助かります。」
 そして、まるで騎士が姫にするように胸の前で手を交差すると頭を下げ、
「恐れ入りますが・・・私と一緒に来ていただけませんか。」
 とハロルドに手を差し伸べて、言った。
「・・・・・。」
 これは想像通りと言って良いのかどうか、ハロルドは迷う。
 話には聞いていたので、こういう男だろうと予想はしていたが、こんな状況下においても、その姿勢を崩さないほどの洒落た・・もしくは、肝の据わった男だったのだろうか。
「それはおいておいて。」
 相手の態度が予想外だった、という事に対しての負け惜しみのように、ハロルドは無理矢理話をはぐらかした。
「あんたのそれ、誰かさんの影響?」
「それ、とは?」
「この非常時に、優雅な仕草!ある意味、嫌味っぽいわよ?なんか、あんたたちの総長を思い出すわ。」
「おや。」
 少しだけ相手の男は目を見開き、
「ビショップをご存知でしたか・・・。」
 と眉を下げて、困ったような顔で、言った。
「まあね。」
「あの方はどうしておいでですか?」
「そんなもの、あんたが直接聞きなさいよ!」
 向こうは探してるみたいよ、とハロルドは言ったが、男は、残念ながらそれは難しいですね、とまともに答えてきた。
 なんだか、奇妙な感覚だった。
 はぐらかされたり無視されてあたり前の場面で、まともな会話が成立するなんて。
 しかし、気味悪がる前に、こうして時間を稼いで、この場から逃れるチャンスを得なければならない。

「あんたに聞きたい事が、あるの。」
 ハロルドは言った。
「良い?ラルフィルド・ラヴィ・ラヴァベルナ。」
 名前を呼ぶことで、一瞬の虚をつこうというハロルドの目論みは外れた。
 男は、後ろでひとつにくくった金髪の髪を揺らし、平然とした顔で、それなら調度良いですね、とひとつ頷くと、
「私も、貴女に用があるのです。ここで立ち話もなんですし、それでは移動いたしましょう。そこで、ゆっくりとお話をお聞きしますよ。」
 と言った。
「・・・・・。」
 これはダメだ、とハロルドは諦めた。
 穏やかな笑みにも、言葉にも嘘はないが・・・この男は、心がここにない。
 ただ目の前にあるだけの光景しか見ておらず、逆になんの計算も、背景の理解も、していない。
 まるで砂漠の砂を掬い上げているようだ。
 会話からなにかを掴む事はできない。

「嫌だって言ったら?」
 相手に悟られない程度に体勢を変え、ハロルドは言った。
「私はここが良いんだもの。私への用件なら、逆に、ここで聞くわ?」
 するとラルフィルドは、う〜ん、というように小首を傾げた。
 青い瞳は、別段、なにかを思案している風でもない。
「そうなると・・・少し話がこじれます。」
「どう、こじれるのよ?」
「貴女を、無理矢理にでも連れて行かざる終えなくなる。」
 その言葉と同時に、ハロルドは、ラルフィルドに対して袖に隠していたナイフを投げた。

 

 

 

 

 村人と一緒になって、シャルティエに誘導され、カルロとダリアは避難してきた。
 どこにいても安全という保障などもちろんないが、そこは地上兵が多く駐在する地区の為、万が一にも天上兵が攻め入ってきても、迎え撃ってくれるだろう、という事だった。
 しかしながら、片や退役、片や退役寸前の身とはいえ、兄妹は騎士という立場の戦闘になれた人間には違いなく、さらさら守られる気などない、と食ってかかれば、あろうことかシャルティエに、今は我々に保護を求めてきているという身の上である事をお忘れなく、と一蹴されてしまう始末。
 あの天才兄妹の毒気には敵わないが、こいつもなかなか食わせものだ、と立場の弱さからぐうの音もでないカルロは、目を白黒とさせた。

「ところで、ダリア。」
 カルロは立ったまま、隣に佇む妹に言った。
「さっき言いかけたことを話せ。」
 シャルティエは一般人の避難が一通り終わったと判断すると、援軍にまわる為、先ほどこの場を離れた。
 あたりには不安そうに膝をかかえた子供が壁に寄りかかり、どこか呆然としながらもあたりをきょろきょろと見回す母親がいるだけで、たとえ聞かれてもふたりの話の内容まで、理解できるような人間はひとりもいなかった。
「どこまで話したっけ?」
 とダリアは言った。
 その手は未だ、短剣を握ったままだ。
 いつでも攻撃できるように、という事なのだろうが・・・先ほど人質に取っていたシャルティエに逆に保護され、そのままバツ悪く納め損なったという感じがしないでもない。
「ミゲルが・・・聖皇母様の子供じゃないかっていうところまで、だ。」
 そういうと、ダリアは、ああ、そうだったわね、という感じで答えた。
 それがどうも生返事の体で、誤魔化す気かもしれないと思ったカルロはすっと目を細めて、妹を見る。
「なんで、そんな事を思ったんだ、お前?」
「些細な事だって言ったじゃないの。」
 ダリアは言った。
「だから、その些細な事ってのはなんなんだよ!?」
 カルロが声を荒らげると、傍にいた子供はびくっと体を震わし、母親は慌てて子供を抱くと、カルロたちから離れた場所へと移動していく。
「ダイクロフトで会った、っていう謎の女の話をしたでしょう?」
 それを目で追い、ダリアは言う。
 誤魔化そうとしていたのではなく、カルロと違って近くに人がいる事を警戒していたのかもしれない。
「ああ・・・。よく分からんがな、その女ってのも。」
「その女が・・・似ていたのよ。」
「誰にだよ。」
「我らの女神像に。」
「・・・・・。」

 聖皇母ラヴァベルナが、女神像に似ていたが故に、神聖視され、それが密やかなる火種になったという事は、ハロルドたちに話したとおりだ。
 女神像に似ている、という事はつまり、聖皇母に似ていた、ということだ。

「待てよ。」
 カルロはダリアの話の辻褄があわないことに気がついた。
「それじゃ、あべこべじゃねぇか。その女がラヴァベルナ様に似ているんだったら・・・幻の聖皇女は、その女で間違いないんじゃないか?」
 なにも、ミゲルがそうだと疑う余地などない筈だ。
「でも、年齢が合わない。」
「・・・・・年齢?」
「その女は・・・確かに20代に見えるけど、それでもラルフィルド殿よりもずっと年上だと思うわ。もしも、聖皇母様の息女だというのなら、結婚前のお子でないとならない。」
「・・・・そうか。」
 聖皇母は、前教皇毒殺未遂事件のすぐ後に、現教皇と結婚を強いられ、すぐに男子禁制の奥の間に入ってラルフィルドを産んだ。
 その間、ずっと篭ったままの5年間を過ごし、慰問すら行なっていない。
「もちろん・・・幻の聖皇女が実は、ラルフィルド様よりも先に生まれていたという可能性もあるのだけれど・・・。」
「しかし、逆にミゲルがそうでないかと思えば、それに関しては無理がない。」
「ええ。」
「だが・・・ミゲルのヤツがラヴァベルナ様の子でも年齢は合わないんじゃないか?ミゲルはラルフィルドのひとつ下だ。その頃、まだラヴァベルナ様は神殿の奥の間においでだ。」
 カルロが言うと、ダリアはちらり、と兄の顔を見ると、
「それは、入れ替わる前の・・・アインシュナイダの息子の"ミゲル"でしょう?」
 と言った。
「あの方は・・・年齢よりも若く見えるのよ。」
 実年齢を偽っているからだとすれば納得がいく、とダリアは言った。
「それについても、お前に確認したいんだが。」
 カルロは言った。
「本当に、俺を退役に追いやったあのミゲルと、今の総長の顔は、同じなのか?」
「・・・似ている、というか・・・・・・。」
 そこで、ダリアは言葉を切った。
 なにか思案しているのかと思い、その先を待っていたのに、なかなかダリアは言葉を紡がない。
 カルロが見ると、ダリアは大きく目を見開き、惚けているようだった。
「おい、ダリア?」
「・・・似ている、というか。」
 そこで我に返ったように、いきなりダリアは続きを口にする。
「同一人物、としか思えないわ。・・・今でも。」
「・・・そうか。」
「ええ。何度考えても同じ。どうしても同一人物だという答えしかでないの。・・・天上での事がなかったら、私も疑いもしなかったでしょうね。」
「・・・そうか。」
 会話からその様子は聞いているものの、実際にその場にいた者の感じる空気までは知る事はできない。
 ダリアは実際に己が体験した事で、カルロよりも深く考えされられるようなものがあったのだろう。
 でなければ・・・ミゲルに心酔していたダリアが、その出生を疑うことなど、ありえなかった筈だ。

「それで、その女が聖皇母様に似ていた、というのは分かったが。」
 カルロは言った。
「それがどうしたら、ミゲルが怪しいという事になるのかは、まだ聞いてないぜ?」
 自分の記憶を手繰り寄せ、確かにその片鱗すら、まだ聞かされてないことを確かめる。
 言いながら、どいつもこいつもどうしてこうもったいぶるんだろう、と少し苛立ち、カルロはダリアを見る。
「その女が、言ったのよ。」
「なにを?」
「ビショップに対して・・・。」
 そのダリアは自分たちからは遠くで、疲れて床に座り込んでいる人々を見ている。
 話しながらも兄の顔を見ていないのは、まるで、気が咎める事でもあるかのようだ。
「なんだか、身内みたいなことを・・・。」
「身内?」
「立場が似てる、だったかしら・・・。とにかく、お前と私は同じようなものだ、とそんな事を、ね。」
「似てる・・・。」
「それで、もしかしたら、この女は、幻の聖皇女のように、ラヴィ・ロマリスクの歴史上から抹殺されているような・・・そういう裏の存在ではないかって思ったの。実際に、この手の噂は後を絶たないもの。・・・そうでしょ?」
「ああ・・・。まあな。」
 そもそもラヴィ・ロマリスクは国としては、その特異な性質ゆえ、他国とは大きく違う風習を、継承し続けてきた。
 一国が、なにも変わらず昔と同じ形式を守り続けるなど、そもそもが稀なることだ。
 その為か、長く形式を守るうちに、人知れず抹殺された事実があると、まことしやかに囁かれることもめずらしくない。密かに聖皇女が入れ替わった、というのもある。双子で生まれてひとりは抹殺された、というのもある。なにが本当で、どこまでが嘘なのか。それすらも確かめる術のない噂の数々。
 その噂のなかのひとりだ、とダリアは思ったのか。
「その女が本当はどういう生い立ちにしろ、どうにもラヴィ・ロマリスクを快くは思ってないみたいだった・・・。だから、遺恨ある立場にいるのだな、と思ったんだけど。」
「なるほどな・・・。」
 カルロは頷いた。
「確かに、推測の域を出ないが、それで納得できないこともない。お前が疑いを持ったとしても、不思議じゃない。」
「・・・だから、推測だけではない、なにかの証拠を見つけられないか、と思ったの。あの女が聖皇母様に似ているという事は血の繋がりがあるのではないか、と疑ったし・・・ビショップのこともなにか掴めるかもしれない、と思って。」
 聖皇母様が、なにか手がかりを残していないか探るつもりで、ダリアはアンタイルスに行ったのだ。
 そして、神殿の滞在している間に・・・めざといあの博士に見つかった。
 そういう事か、とカルロは思った。

「・・・・・と。」
「・・・・・?」
 兄がいきなり、目を丸くするので、ダリアはその視線の先を追い、振り返る。
 とっさに、手の持っていたナイフをしまったのは、罪悪感のなせる業だったのかもしれない。
 少し離れた位置、廊下の真ん中で、シャルティエがこちらを見ていた。
 その顔は、見つけた、と言わんばかりで、少しだけ焦りの伺えるその顔から、ふたりを探していたのだと想像できた。
「なんだ?どうした?」
 カルロが話しかけると、シャルティエは眉を下げ
「いえ・・・いいんです。」
 と訳のわからない事をもごもご言う。
「なにが良いんだよ?」
 俺たちに用じゃないのか、とカルロが言うと、いいえ、いるならそれで、とさらに変な事を言う。
「おふたりは・・・ずっとここに?」
「・・・?ああ。」
「他に、誰とも接触したりしてないでしょうね?」
「ああ?」
 その言い方は、まるで尋問だ。
 気分を害したカルロが睨んだが、シャルティエは怯まない。
 カルロを睨み返した後、ダリアを見て、そして、ふたりの回りをきょろきょろと見回した。
「なに探してんだ?」
「・・・・・いえ、別に。」
 おい、とカルロが詰め寄ろうとした時、ダリアが、それを遮るようにして言った。
「なにか、私たちを疑っているのですか?」
 言いながらダリアは、先ほど彼を人質に取った自分の身を思い出す。
 この状況下ではなにを疑われても無理もない。
 しかし。
「疑われているということは、疑われる要素がある、という事では?」
 シャルティエが、自分たちを疑うとすれば、当然、今攻め入ってきたという天上兵との繋がりだろう。
「私たちが手引きした、と?」
「・・・そういう見方もあるかなぁって。」
 あっさりと答えて、シャルティエは、ダリアの顔をちらりと睨む。
「バカな・・っ!」
 己の立場が悪いと自覚するダリアに代わって、カルロは激高する。
「なんで、俺たちが手引きなんざ・・・!天上の味方をする道理がねぇだろうが!」
 俺たちは天上軍じゃない、と言ったカルロに、
「じゃあ、誰の味方ならするんです?」
 シャルティエは言った。
「なに・・・!?」
「・・・・・・っ!」
 ダリアに遅れて、カルロもその事実に気がついた。
「・・・いるのか!?」
 思わず詰め寄り、カルロはシャルティエの腕を掴んだ。
「騎士団が、ここに!」
 痛いのか、口を尖らせ、シャルティエは頷く。
「騎士団かどうかは知りませんがね。天上軍に混じって黒衣の人物が目撃されてて・・・。って、ちょっと!!」
 その言葉を全て聞く前に、カルロもダリアも、走り出していた。

 

 

 

 


 

 ハロルドの武器は小刀で、長剣とまみえたら明らかに不利なのは、考えなくてもわかる事だ。
 本気でやりあうほど馬鹿ではない。しかし、時間を稼ぐ為にも、攻撃をしかけなくてはならなかった。

 じり、と間をおき、ハロルドとラルフィルドは対峙していた。
 
 ラルフィルドはハロルドに向けて剣を抜いたものの、あからさまな敵意を見せたりしなかった。
 向こうも戦闘のプロだ。今の一撃を、あっさりと交わしたことからも、剣の腕はなかなかのものだと思われる。
 そしてこちらは、普段は戦闘に決して出ない身。暗器の扱いには自信はあるものの、日頃より剣をふるって戦う兵士と、持久力と体力とを比べられたら敵うわけもない。
 こちらは武器的にも不利、戦闘能力的にも不利だ。
 長い間、この場をもたせる事はできない。長くなればなるほど、こちらの状況は悪くなる。

 ラルフィルドはぴたり、とハロルドの胸元に剣先を向けたまま、動かない。
 無闇に斬りこんでこないところをみると、ハロルドを傷つけるつもりはないのだろう。
 先ほどの話は方便ではなく、力づくになるのはあくまで不本意で、本当にハロルドには、素直について来て欲しかったものと見える。

 身動きひとつせず対峙したままのふたりは、息をするのも忘れてしまいそうなほど、静かにお互いを見合っていた。
 ナイフを構えた腕がそろそろ疲れてきたなぁ、とハロルドが思う頃、天の助けというべきか、我慢をして待っていた瞬間がやってきた。


「あそこに敵だ!」
 遠くから、ラルフィルドの黒衣を見たのだろう。
 叫ぶような声がして、続いて、わーと声があがる。
 距離があり、彼らがこちらに駆けつけるまでには、まだ数秒かかるだろうが、それでもラルフィルドの注意がそれるのには十分だった。
 一瞬、剣先がさがったのを見逃さず、ハロルドは隠し持っていた小型のカプセルを投げる。
 それは床にぶつかった途端に、大きな光を放ち、目晦ましの役割を果たした。
 ラルフィルドが視界を奪われている間に、ハロルドはその横をすり抜け、援軍の来る方向・・・民間人のいない方向へと逃げる。
 空気の動きでそれを察したのか、視界がきかない中でも、ラルフィルドが、ハロルドの服の裾を掴もうと腕を伸ばしたのが分かった。それを寸でのところで振り切り(なにしろハロルドの戦闘服には掴みやすいビラビラが沢山ついている)ハロルドは走った。
 遅れて追ってくるラルフィルドの足音が、後ろに聞こえる。
 そのまま全速力で逃げ切って援軍の中に飛び込むと、地上兵の剣がハロルドの背中を守るようにして、ラルフィルドに突き出された。
 しかし、相手は勇猛果敢で名を馳せた騎士団の、副総長という男だ。
 こちらはたぶん、新兵という事もあって、3人もいたというのに、あっという間にのされてしまう。
 しかも斬り付けられたのでもなく、こちらの繰り出した攻撃を交わされ、ガラ空きになったみぞおちを固い柄で殴られ、ぐうという音と共に倒されるという、なんとも情けない負け方だった。
 しかし、ハロルドにはそんなことはどうでも良いことだ。
 その3人が時間を稼いでくれたこと。
 たとえ、ハロルドを守りきれず、なんの役に立たなかったとて、少しの間でもラルフィルドをひきつけてくれた事こそ、ハロルドの最も望んでいたものだ。
 ハロルドは詠唱呪文を言いきった。
 ナイフでの攻撃では、ラルフィルドに敵わない。しかし、ハロルドが最も得意とする攻撃はナイフでもない。
 
 
「・・シャドウ・エッジ!」

 黒い剣先がラルフィルドの足元から出現し、実態のない刃で、その身を切り裂いた。
 
「・・・・っ・・・。」
 数歩分を飛び退り、崩した体系を立て直すと、ラルフィルドは、妙に落ち着いた態度で、血の流れる腕の斬り口を見る。
 それは動揺もみられず、まるで感心しているかのようで、口元に少しだけ笑みが浮かんでいた。
 ダリアは、サロメと同じくハロルドが晶術を使うのを目の当たりにした時、驚いていた。
 それすらも、ラルフィルドにはない。

「デルタレイッ!」

 下級晶術を選んだのは、詠唱時間が少ないからだった。
 ハロルドの言葉と共に、光の玉は矢となり、まっすぐにラルフィルドへと向かう。
「・・・なに!?」
 ラルフィルドはそれを見ても、避けなかった。
 胸のところで剣を横にして光の玉を受け止めた。
 実際の攻撃と違って、晶術は、そんなことをしても衝撃を相殺することなどできない。
 ダイレクトな衝撃に、ラルフィルドの体が力で押し負けたように、ずるりと後ろへとさがった。
 しかし、それでも痛みも衝撃もなにも感じないかのように、一度剣を振ると、すぐに構えなおし、ハロルドに向き直る。
 その顔は平静で、とても戦闘中とは思えないものだった。
 動かないハロルドを見ると、少しだけ笑みを浮かべ、誘うようにして、首を振った。
 相手は、ハロルドの詠唱時間を待つ気らしい。
 もう一度試してみろ、と無言で訴えてくる。

 ハロルドは半歩、後ろへ下がった。
 甘くみられた、という屈辱よりも、幽霊でも相手にしているかのような、気味悪さの方が勝った。
 この男は・・・・まるで、生気というものが感じられない。
 穏やかで、物腰も優雅だが・・・まるっきり感情というものが欠如している。
 予めプログラムされた動きしかできないアンドロイドのように。

「それで終わりですか?」
 乾いた声が、紡ぐ言葉すら、決められた台詞のように聞こえる。
「では、遊びはここまでにして、一緒に来ていただきましょう、博士・・・・・・・っ!?」
「インブレイスエンド!!」
 ラルフィルドが前に出る前に、ハロルドの上級晶術が発動する。
 先ほどからハロルドは、小さく口の中で詠唱をしていた。

「・・・・・!」
 ラルフィルドがとっさに顔を庇って前に出した腕が、凍りつく。
 その時、初めてラルフィルドは驚きの表情を見せた。
 その隙に、ハロルドはきびすを返し、そのまま走り出した。
 後ろをちらりと振り返れば、凍り付いて足止めを食らわされたラルフィルドに、一瞬、怒りの表情が浮かんだのが見えた。

 良かった。

 上級晶術で動きを止められたなら、すぐに解除されるものではないが、それでも時間の問題だ。

 良かった、ちゃんとした人間だ・・・!
 
 相手は敵で、ハロルドにとってはどうでも良い人間だったが、それでも。
 先ほどまで話していたダリアの言葉に何度も出てきて、サロメが追えと命じた人物。
 今の彼が、彼らの望む姿かどうかは分からないが。
 それでも、ちゃんと生きてはいる・・・。
 感情があるのなら、それは人間に違いない。
  


 ハロルドの髪を揺らし、頬を掠めて、後ろから矢が飛んだ。
 足を止めないまま振り返ると、ラルフィルドが矢を番え、ハロルドに狙いを定めているのが見える。
 弓矢は運悪く、先ほどラルフィルドに倒された地上兵が、持っていたものらしい。
 それを目の端で捕らえ、ハロルドは前に向き直った。足は止めない。
 ラルフィルドの番えた弓は、きりっと引かれ、そして。
 


 ひょん、という音をたて、ハロルドの背を目掛け、飛んできた矢を、飛び込んできた白い服の男が叩き落した。
 



「・・・・・っ!」
「・・・・!?」

 いきなりの登場人物に、背に庇われたハロルドと、彼と遠く見合ったラルフィルドが息を飲む。



「・・・ハロルド!」
「・・・兄貴!」
「侵入してきた兵士の中に黒衣が見えて、それで・・・。」
 引き返してきたのだ、とカーレルは言った。
 無事か?と訪ねる兄に、ええ、と目の前に立つ男に目を向けながら答える。
 その視線につられるようにして、カーレルもその背を見た。
 


「・・・・・どうして、お前がここにいる・・・。」
 絞るようなラルフィルドの言葉は、その人物に向けられているものだった。

 

 そこへ、駆けつけてきたカルロとダリアの兄妹と、ふたりを追ってきたシャルティエまでが加わった。
 そして、その場にいる全ての人間の顔を確かめ・・・息を飲んだ。
 そのお互いを見合った瞬間、まるで時が止まったかのように、全員が言葉を失い、全ての動きを一瞬、止めた。

 

 まるで、あらかじめ描かれた台本のようだ、とハロルドは思う。
 
 時折、こういう事がある事をハロルドは知っている。
 それを演出するのは、運命なのか、時の流れの支配者なのかは知らないが、まるで計ったかのようなタイミングで、主要人物が集うことが。
 初めからこの時間を約束していたかのように。


 最も、重要な登場人物がひとり、欠けてはいるが。

 

 

「なんでだ・・・・。」
 カルロが言った。
「どうして、お前が地上軍に攻め入ってくるんだ・・・。」
 その言葉はラルフィルドに向けられたもので、ダリアも、相当走ったものか、肩で息を整えながら、ハロルドと自分たちの中間に位置する端整な顔を凝視している。
 そのラルフィルドは、カルロにもダリアにも感心がない。
 すでにハロルドにすらないだろう。
 ラルフィルドは、ハロルドの前の男だけを見、そして見られているその男は、ラルフィルドに言った。
「どうして、だと?」
 ちっと舌打ちし、吐き捨てる。
「色々聞きたいのはこっちの方なんだがな、ラルフィルド?」
 だが、その前に殴らせろ、と男は言った。
 そして、いつの間に用意したのか剣を持ち、つかつかと幼馴染近づく。
「・・・・きん・・・。」
「なんだ?」
 ラルフィルドのつぶやきを耳にして、男は立ち止まる。
「それはできん。」
「・・・・っ!」
 まさかこの後に及んで油断はなかっただろう。
 だが、自分に斬り込んでくるその動きは、予想よりも早かったのかもしれない。
 ラルフィルドの剣先を避けて、男は一歩さがった。

「相手がお前でも・・・いや、お前だから、か。」
 ラルフィルドは立ち上がり、男に向かって剣先を向ける。
「悪いな、ヴァレリー。」
 そうしてヴァレリーは、自分に対峙するラルフィルドに剣を向け、にやりと笑った。
「・・そうくると思ってたぜ。」

 さあ、幕があがる、とハロルドは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さてさて物語は走り出しましたが・・あんまりカーレルが出てこなかったなぁ・・。
 彼は今回、この顔あわせに間にあえばそれでよい、という立ち位置だったので、仕方がない、かと。
 

('07 6.3)