面白くないことがあると、神殿の一番高いバルコニーから街を見下ろして、気分が晴れるのを待つのがヴァレリーのやり方だった。
 外殻に阻まれた太陽光が、さらに暗く段々と光度を落としていき、日が暮れる時刻になってきたのだと知れると、人々の暮らす建物の中から、ひとつまたひとつと徐々に灯りが増え、窓ガラスからはその光がこぼれる。
 もうずいぶんと時がたった。
 いつもならば一刻もいれば紛れる気分も、その日はどうにも収まらなかった。それは彼のなかで、どう消化したら良いかわからぬ問題が、くねる蛇のようにその身を縛り付けているからだ。
 任務もある。もうそろそろ行かなければ、と思いながらも壁の中に塗りこめられたように、その場から動けない。
 いっそのこと、誰かが、辞めてしまえと囁いてくれないものか、と思う。
 その声を聞いたなら、卑怯と謗られようともそれを理由に辞めてしまえるものを、とヴァレリーは舌打ちをしながら思った。
 思わず舌打ちが出たのは、そんなことなどありえない、と分かっているからだ。
 責任転嫁できる誰かが現れることではなく。
 自分が騎士を辞することなど、ありえない、と。

「ヴァレリー。」

 聞いただけで誰のものか分かる柔らかい声がして、少しだけあがった息を隠すように潜めてから、ラルフィルドが隣に立った。
 街を見下ろすヴァレリーの横顔を見て、探したよ、と、まだあどけなさの残る白い頬を緩ませた。
「神殿を見上げたら、高いところに黒い服が見えたからね。絶対にお前だと思ったんだ。」
 嘘だ、とヴァレリーは思った。
 ラルフィルドなら、いつも自分が、機嫌が直るまでここで頭を冷やすことを知っている。
 本当に探していたなら、まっすぐにここに来れば良い。
 ラルフィルドがそんな嘘をつくのは・・・ヴァレリーが憤っている事実を、知らぬふりをしようとしているからだ。


「あんなヤツ・・・。」
 ラルフィルドの心遣いを無にして、ヴァレリーは吐き捨てた。
「死ねば良い。」
「ヴァレリー。」
 穏やかじゃないよ、と静かに言われ、逆にヴァレリーの苛立ちは募る。
「なんで俺たちがあんなヤツの下っ端にならなきゃならないんだ。」
「下っ端じゃない、部下だ。」
「同じことだろう?」
 八つ当たりと知りつつ、ヴァレリーはラルフィルドに食ってかかる。今は、怒鳴りあう相手が欲しかった。
「あいつがのほほんと後ろに控えている間、俺たちは命を賭けて戦うんだ。あいつを守るためにな!そして、よくやったとお褒めの言葉を頂戴する・・・ミゲルのヤロウに見下げられ、ヤツの言葉をありがたがらなきゃならないなんざ、死んでもごめんだ!」
 いっそ騎士なんてやめてやる!と毒づけば
「・・・騎士としては当然だろう。」
 とラルフィルドが静かに言った。
 あまりにも静かで、決意の篭った声に、ヴァレリーはなにを言われてもつっぱねようと決めていたにも関わらず、言葉を飲み込んだ。
「ラルフィルド?」
「お前がミゲルを嫌いなのは百も承知だ。」
 いつもの穏やかな笑みがラルフィルドの顔には見えず、ヴァレリーは少しだけ不安を覚えた。
 それは幼馴染に甘えているという心情が、ばれていることを感じていたからかもしれない。
「けれど、ミゲルが総長として選ばれた以上、その命令に従うのは騎士としての努めだ。その覚悟もないで騎士になったというのなら、止めはしない。好きなようにすれば良い。どのみち、どこかでヘマをして犬死するのがオチだ。」
「お前にしては辛辣だな。」
 茶化したヴァレリーの言葉には乗らず、厳しい瞳をたたえたまま、
「けど、僕は。」
 ラルフィルドは言った。
 その碧の瞳はもはや、人当たりのよい穏やかな人格は見受けられず、うって変わって激しい気性の、別の顔を覗かせていた。
「総長の命を脅かす者は、全力を持って排除する。たとえ、お前であってもだ、ヴァレリー。」
 その瞳を無言のまま見つめ、ヴァレリーは、こいつが総長になれば良いと、思った。
 ラルフィルドのためだったら。
 それが命令でなくても、命を賭けて守るだろうに。

 今思えば、ヴァレリーもラルフィルドも、少年期の甘さ故に、淡い理想を抱いていたに過ぎなかったのだ。

 

 

 

 

 

39

 

 

 

 

 

 

 ガキン!と大きくぶつかりあう音がして、切り結んだ剣の間に火花が散った。

 多勢に無勢は卑怯というのは、もちろん騎士の間でなくても言われていることだが、いざ戦闘となるとそんなことを構っていられないのも事実で、結局は自分の命を守るために大勢でひとりに斬りかかるという場面も出てくる。
 所詮、兵士であっても人間だ。自分の身が大事に決まっている。

 だから、この場の方が、どう考えても異常事態なのだろう、とカーレルは思った。
 真ん中で斬りあうヴァレリーとラルフィルドに誰も加勢しようとはいなかった。もっとも、ラディスロウに入り込んだ天上軍が、後からこの通路を見つけて踏み込んでいたので、応戦している最中でもあった。この先に行かせたら民間人に被害が出る。
 さきほどまでラルフィルドとハロルドが戦っていただけだったその場は一転、地上天上が入り乱れる戦場と化していた。
 全員がぼけっとふたりを見ているという訳ではなかったが、しかし、天上兵が彼らに近づこうとするのを明らかに邪魔をするダリアとカルロや、ヴァレリーに加勢をしない自分たちの行動は明らかに、ふたりだけに決着をつけさせようという意図が隠れている。
 
 ラルフィルドがヴァレリーだと知って剣を抜いた時、ヴァレリーは、手を出すなよ、とラルフィルドを見据えたままで言った。
 一対一となるべく戦いに、他者の手を借りるのは騎士の恥だ、と。
 騎士であるのはこの場合、ダリアひとりであったから、他者にはそんなものは関係ないところではあったが、ヴァレリーの心情を慮るというよりも、ラルフィルドに対峙するのはやはり、ヴァレリーが相当だと思えた。
 幼馴染で、ずっと彼を探していたヴァレリーにこそ、ラルフィルドに関する事柄を明らかにする権利がある、と。
 古臭い義理人情を守っているつもりもないが、そこには誰もが納得したのだろう。
 結局は、ラルフィルドのことは、ヴァレリーに任せた、ということか。次々に侵入してくる天上兵の相手は、他の人間が務めることになった。


 ラルフィルドが振るった剣先を、ヴァレリーの剣が受け止める。
 何度目かのぶつかり合いの後、そのままお互いを睨みあう。
「こうやって何度かやりあったことがあるが。」
 第一、第三の団長を務めている身であったからか、過去、訓練の時に相手をしあった事がふたりにはあった。
「お前は俺に勝てた試しがなかったよな?」
 そういうヴァレリーに、にやりと笑いラルフィルドが言う。
 その笑い方は、昔のように穏やかなものではなく、この男がこんな風に笑えるとは思いもしなかった、とヴァレリーは違和感を感じた。
「過去は過去だ。今なら実力の差は分からない、とは思わないか?」
 ラルフィルドの言う実力の差というのは、剣技そのもののことだろうが、それならば、ラルフィルドが自分より劣っているとはヴァレリーは思わない。
 今までの勝敗を分けた理由は、ラルフィルドの性格にあったと思うからだ。
 彼は実戦でも、敵に対して温情の厚い男だった。決して、必要最低限以上の殺害はせず、手荒な事で有名な山賊相手でも、捕らえることを最優先にしていた。
 その性格は、模擬試合の時にも反映され、どうしても味方相手では攻め込み方が甘かった。

 必ず第三団長に負ける副総長に対し、しっかりしろ、と口では叱咤しながらも、ミゲルが内心ほっとしていたのをヴァレリーは知っていた。
 相手が自分よりも抜きん出ていることを決して認めないミゲルは、同時に誰かよりも劣ることを恐れていた。いつか自分よりも実力のある者が、自分の地位を脅かすのではないかと、心の底でいつも怯えていた。生まれついての高貴な血筋であるラルフィルドはミゲルにとって内心、コンプレックスを抱く相手であったのだろう。ラルフィルド自身はそんな事をまるっきり考えてもいなかったというのに。
 ミゲルはいつも、自分自身を追い詰める、加害者であり被害者だったのだ。

 

 

 


『殺害と処罰は違う。それを頭に叩き込んでおけ。そのうえで必要と思うもの必要でないものを選定できなくてどうする。真理を見失えば、味方に被害者が出るだけだ。』
 リ・ヴォンが騎士団に禁じているのはむやみな殺害であって処罰ではない、と総長に叱責され、ラルフィルドはわかりません、と答えた。
 今思い出せば、ラルフィルドが総長に対して反論をしたのは、あの時が始めてではないだろうか。
『むやみな殺害にしろ、処罰にしろ、人を殺めることには変わりない・・・。』
 あれは、ラルフィルドが敵に温情をかけ、それを裏切られた時の事だ。
 元より自分の境遇に不満を持っていた輩が、リ・ヴォンに反感を持っていた他国の人間を内密に神殿に入れ反逆を企てている事を突き止めたラルフィルドの隊が、その者を捕らえた。
 ラルフィルドは、反逆罪はその場での極刑が常だったにも関わらず、知った顔だったその者に涙ながらに命乞いをされて、斬り捨てることをしなかった。それにも関わらず、反逆者は感謝もなく、牢獄へと連行されようとした隙をついて騎士団に襲い掛かり、死者こそでなかったが、騎士の数人が負傷をする結果となった。
 再び捕らえられた反逆者は、引き出された総長の前で、ラルフィルドを鼻で嘲笑い、言ったのだ。
 いつかあの偽善者によって、この軍が壊滅させられる事を心配するが、良い、と。
 
 以前、遠征先で賂を要求した騎士の処罰もラルフィルドは許したことがある。家には病に伏した母親がいて、その為の出来心だったのだ、と。
 その心根が優しいことを誰もが知ってはいるが、何度もそれでは示しがつかない。
 
 それが分かっているからこそ、反論する言葉が咄嗟に出ず、しかし頭に血が昇ったことをヴァレリーは覚えている。
 ラルフィルドに助けて貰ったくせしやがって、どの口で言いやがるこのヤロウ、と怒鳴ろうと思った。
 しかし。

 反逆者の首が斬られたのは一瞬だった。

 噴出す血が刑場の石畳を濡らすのを、何もなかったかのように表情も変えずに眺め、剣を鞘に納めながら総長は、顔色をなくしたラルフィルドに言った。
 確かにお前は甘すぎる、と。
 総長の顔は厳しく引き締まっていたが、しかし、反逆者のように嘲りを浮かべたものでも、自分の優位さを相手に見せつけようというのでもなかった。
 この程度の事で手間をかけさせるな、とそっけなく言った総長に対し、呆然としながら流れる血を見つめ、話も聞かずに斬り捨てることはないでしょう、とラルフィルドは言った。
 なにを言ってやがる、とヴァレリーさえも呆れた。
 温情を与えてやったにも関わらず、反省の欠片もないようなヤツに、まだそんな甘いこと言ってんじゃねぇ、と怒鳴ると、罪は罪だがそれを選んだ経緯というものがあるだろう、とラルフィルドは反論した。それを聞いてやるくらいはしても良い。そのうえで処罰を決めるのでも遅くはない筈だ、と。
 いかなる理由があろうとも、とそれを聞いて、総長は冷ややかに言った。
 教皇睨下に危害を加えようとする者には極刑を持って処罰する。
 だから話を聞くだけ無駄だと暗に言われ、ラルフィルドは反論した。それではいたずらに人を殺めているだけではないか、と。


 結局、そのラルフィルドの言葉がなにかを変えた訳ではない。
 しかし、総長はラルフィルドの問いに対し、答えを示した。情けをかける相手を間違えるな、真理を見失うな、と。
 今になって思う。
 あの時、駄々をこねるかのように、極刑に対する不満を口にしたラルフィルドは、騎士としての自分の姿に迷い、それに対する明確な答えを誰かに示して欲しいと思っていたのではないだろうか。
 彼の信じていたものが果たして正しいのかどうか。
 それに対する答えは、お前自身が考えろ、と総長は言った。
 ラルフィルドはきっと、かつて自分が神殿のバルコニーでそうしたように、総長に対して甘えていたのだ。

 

 

 

 ラルフィルドの剣筋は大概覚えている。
 それは目をつぶっていても分かるというほどではなかったが、確実にヴァレリーの体が覚えていた。
 ラルフィルドは右からの攻撃を阻まれると、次に下からの攻撃を繰り出す癖がある。
 そのニ撃目を避けながら、ヴァレリーは長く手合わせしていなくても、覚えているものだな、と思っていた。

  
 ラルフィルドと別れてから、1年が過ぎようとしている。
 この1年というもの、ヴァレリーはラルフィルドとこうして戦う事になる事を考えなかった訳ではない。
 その立場が敵味方に別れ、殺しあうならば、それもやむなしと覚悟を決めた。
 しかし、その前に、どうしても聞きたかった。
 何故、騎士団と袂を分かち、ひとりで行動をしているのか。その背景にはなにがあるのか、を。
 それだけはどうしても譲れなかった。

 ほぼ天上兵は鎮圧され、その場は地上兵ばかりが残っているだけになっていたが、それでもふたりの間に決着はつかなかった。

 中にはラルフィルドを敵だと見抜き(ヴァレリーも私服なので敵味方の区別がつきにくい)加勢しようとする者がいないでもなかったが、それはカーレルに止められた。
 この場は大丈夫だから他をまわれと命じられ、怪訝そうな態度を示したものの、結局は違う場所への援軍に向かう地上兵たちがすっかりいなくなると、遠巻きに成り行きを見守る5人だけが残される。
 シャルティエは、ただ見ているだけの今の状況に対し、いいのかなぁ、とぼそりと疑問を口にしたが、それに対し、誰一人答えようとする者もいない。
 カルロは元よりふたりの間に誰かが割って入ることを良しとしないし、ダリアも不安そうにしているもののだからと言って行動を慎む場面だと思っているようだった。
 ハロルドもカーレルも、沈黙したまま、ふたりの戦いを見ている。
 シャルティエが、のんびりしていると言ったがそれも、あながち間違いでもなく、こうして平静にふたりを取り巻いていられるのは、ラルフィルドとヴァレリーでは明らかにヴァレリーの力量の方が上だったからだ。


「なんだってお前は・・・。」 
 剣と剣とを交差させ、ふたりが顔近くで睨みあうことになると、ヴァレリーが言った。
「なにが目的で、乗り込んできやがったんだ、よ!」
 突き飛ばすようにして体を離し、間合いを取ると、すかさずその距離を埋めるように、ラルフィルドが攻撃をしかけてくる。
「おしゃべりをしている暇などあるのか?余裕だな。流石は勇猛と恐れられた第三団長殿だ。」
「ぬかせ!」
 ガキン、とふたりの刃が合わさり、ヴァレリーの攻撃をラルフィルドが受け止めた。
「しゃべりたくなくても、しゃべらせるぞ、ラルフィルド!こっちにだって相当の覚悟があるんだ!」
「ほう。」
 ラルフィルドは目を細め、
「では、その覚悟とやらを見せて貰おう。」
 斬り込んで来るスピードは、以前よりも速い。
 そう気がついた時、言ったばかりの覚悟が揺らぎそうになるほど、ヴァレリーは内心では動揺していた。
 味方相手のためらいが、そこには見えない。
 ラルフィルドは本気で、ヴァレリーを討ちにきているのだ。

 力では負けることはない。
 渾身の一撃を受け、それでも一歩も引かないままでギリリと刃を切り結ぶ。
 剣の向こうに見えるラルフィルドの白い面は、感情もみえず冷静で、まるで誰かを思い出させる、とヴァレリーは思った。
 しかし、それは。
 これは、自分の知っているラルフィルドではない。
「今までどこに行ってやがったんだよ!?」
 お互いを突き飛ばして間合いを取り、ヴァレリーは怒りの篭った声で言った。
「ラヴィ・ロマリスクをほっといて、行き方知れずになるなんざ、どういう了見なんだ!」
「放っておいている訳ではない。」
「放っているじゃねぇか!」
「違う。」
 ラルフィルドは剣を構えなおした。
「私の行動は全て、ラヴィ・ロマリスクの再興の為だ。」

「再興。」
 少し離れた位置で、聞いていたハロルドの片眉があがる。
 やはり、再興だ。
 ダリアの話で聞いた時も確かめたが、やはり復興ではない。
 ラルフィルドは新しいラヴィ・ロマリスクを創る気なのだ。
 しかし・・・。

「なに言ってやがる!」
 かぶさるようにしてヴァレリーの怒鳴り声が響いた。
 ヴァレリーが叩きつけるようにして振るった剣を、ラルフィルドが両手で受け止めた。
 ガキン!という剣の重なる音が、折れんばかりだ。
「まだ、ラヴィ・ロマリスクは滅んじゃいねぇ!それを前にしてなにが再興だ!!」
 受け止められた剣先を抜き、もう一度右から斬りこんだが、今度もラルフィルドに受け止められた。
「お前の使命は・・・ラヴィ・ロマリスクを建て直すことに・・昔のような信仰厚い美しい国としてやり直させることだろうが!」
 美しく類を見ないラヴィ・ロマリスクという国の名をもう一度、歴史に刻むのは、教皇の息子であるラルフィルドの役目だ。
 なのに、なにやってるんだ、とヴァレリーが叫びにも近い怒号を浴びせると、ラルフィルドは妙に冷静な声で、いや、と答えた。
 ヴァレリーの言葉を果たして聞いていたのか疑わしいほどの、静かな声だった。
「たとえ、やり直したとしても、それは昔のラヴィ・ロマリスクではない。」
「当たり前じゃねぇか!」
 剣のぶつかりあう音と共に火花が散った。
「焼け野原になっちまったからって、それがなんだ!街がなくなっても、神殿がなくなっても、俺たちがまだ生きてるだろうが!!」
 たとえ、街が焼け落ちたとしても。
 たとえ、生き延びた人がどんなに少なくとも。
 まだ、ラヴィ・ロマリスクは死んではいない。
 空からの災害ごときで崇高なる魂を無に返すことなど、できはしない。
 それこそが信仰だ。
 神を崇めるだけではなく、何か、心に不動なるもの、譲れないものを持つこと。
 そしてそれが美しければ美しいほど強く。
 人はそれこそを信仰と呼ぶ。
 ヴァレリーが腹の底から叫んだ言葉に、ラルフィルドは一瞬、目を見開き・・・。
 確かに心が動いたように見えた。
 しかし。

「それではダメなんだ・・・。」

 ラルフィルドが言ったのは、そんな言葉だった。
 その言葉をきっかけに、ふたりの動きが止まった。
 斬りあっていた剣先を顔の前に交差して、対峙していることには変わりなかったが、お互いをつきとばして間合いを取ることはしなかった。
「ヴァレリー、私は地上軍が許せない。」
 剣の間から、ラルフィルドは一瞬だけ、ちらりとカーレルの方を見たが、視線を再びヴァレリーに向ける。
「・・・そして同じくらいに天上軍も許せない。たとえ建て直すことができても、あの美しい我らのラヴィ・ロマリスクが傷つけられたことが許せない。あの国で生きていた人々は皆、知り合いのようなものだった。誰もが厚い信仰心を持ち、あの国で生きていることを誇りに思っていた。」
「それは・・・。」
 俺だって同じだ、とヴァレリーが言った。
 私は、とラルフィルドが続ける。
「地上軍も天上軍もこの世から抹殺してしまいたい。しかし復讐は禁じられている。身が千切れそうだ。お前が・・・お前たちが、天上軍に身をおいていることも、こうして平気で地上軍の船に乗っていることも私には信じられない。お前はそれでなんとも思わないのか?」
 どうして地上軍の加勢をしているんだ!?と声を荒らげてラルフィルドに問われ、それは・・・とヴァレリーが言いかけた言葉が途中で止まる。
「苦しいんだ、私は。」
 ラルフィルドは言った。
「苦しんでも苦しんでも救いなどない。出口のない迷路に一生迷い込んで、生きている実感すらない。国を失うというのは、こういうことなのか。しかし私には復讐も許されない。」
「それは・・・。」
 とヴァレリーが言いかけた。
 しかしその時のラルフィルドの顔を見て、思わず言葉を飲む。
「先にいくのも地獄。」
 その瞳には、常人とは違う光が宿っていた。
「だったら、初めからなかったことにしたら良いと思わないか?」
「・・・だから昔のラヴィ・ロマリスクとは違う新しいラヴィ・ロマリスクを創ることで、過去を塗り替えるってのか?」
 お前が再興に拘る理由はそれか、とヴァレリーがラルフィルドを睨むと。
 ラルフィルドは、首を傾げて、
「そうではない。」
 と言った。
「私が言うのは、もっと純粋な・・・もっと分かりやすい意味での事だ。ミクトランにも地上軍にも手が出せない。そういう絶対的な存在として、ラヴィ・ロマリスクを復活させたいんだ。」
「何を言っているのか、訳がわからねぇ。」
 ちっと舌打ちをしてヴァレリーがもう一度、ラルフィルドを怒鳴ろうとしたその時。


 ひゅん!と音がして、ヴァレリーの右耳を矢が掠めた。

 
 ヴァレリーが振り向くと視線の先に、天上軍の兵士が、廊下を挟んで立っているのが見える。
 どうやら援軍がきたらしい。
 ヴァレリーがそう判断したのと同時に、やたらと艶やかなピンク色が横切ったのが見えた。同じく、黒いコートが翻ったのも。


「デルタレイ!」
 高い声の詠唱が終わると共に、広い光が一筋天上兵を目指して飛び立った。
 それを追うようにして黒いコートのカーレルが、二歩ほど送れてシャルティエが敵の中に踊りこみ、まだ体勢の整っていない天上兵たちをなぎ倒していく。
 遅れるようにしてカルロも、倒した兵士から奪った剣を持ち、自由にならない左手のハンディキャップなどものともしない動きで、敵に斬り込んで行った。
 それでもいつこちらに向かってくるか分からない天上兵たちの為にダリアはそこに残り、そこから敵を攻撃しようと弓に矢を番えて狙いを定めていた。
 新たに現れた天上軍は、前になだれ込んできた数よりも少くはあった。
 しかし、どうも場数を踏んでいる兵士らしく、なかなかに手強い。
 カーレル、シャルティエ、カルロの3人がそれぞれひとりづつを相手にし、他の兵は距離をおいてハロルドの晶術と、ダリアの弓矢とで応戦した。
 その横では、ラルフィルドとヴァレリーが斬り合っている。
 お互い一歩も譲らない攻め込みを見せながら、相手の剣筋を探り、どちらもお互いの懐へと入り込む隙を伺っていた時、ラルフィルドに集中していたヴァレリーの注意が、一瞬、反れた。
 ダリアの後ろ、照明が一段暗く、死角になる場所から弓を番える天上の制服が見えた。
 後方からハロルドが詠唱する声が響き、弓先のその角度から狙いの定まっている位置を知る。

 


「・・・・・っ!」
「ハロルド・・・ッ!」

 カーレルがその兵に気がついた。
 シャルティエの目にも映った。
 カルロが遠くで叫び、遅れて気がついたダリアが弓を引いたが、遅かった。
 ハロルドは、気配を感じて振り返り・・・その目に、自分に向かってまっすぐ飛んでくる、矢が見えた。

 

 ドスッ、という思ったよりも軽い音がして、ハロルドが小さく何かを叫んだ。


 カーレルが振り向き様に兵を斬り付けて、駆け寄った。
 シャルティエとカルロが目の前の敵を倒すのと、ダリアが放った矢が、兵士を射抜くのはほとんど同時だった。
 そして3人も思わず駆け寄る。 
 全ての敵が倒されているのが、この状況で幸運といえた。

 

「・・・ヴァレリーッ!」

 剣を手に持ったものの、それを今まで振るっていたことなど忘れたように、ラルフィルドが駆け寄る。
 そして、剣を握っていない左手で、矢の刺さったヴァレリーの左腕から流れる血を抑える。
 指の間を流れ落ちる鮮血に、ラルフィルドが激しく動揺しているのが、誰からも見て取れた。
 その瞬間だけは、以前の、友と呼んだのと間違いのない幼馴染の顔を見つけ、ヴァレリーは、息の漏れたような掠れた安堵の溜息をつく。
「なんで?」
 聞いたのは、ハロルドだ。
 騎士団は、今でも立場は地上軍とは敵同士。
 なのに、どうして。
「・・あんたが私を庇うのよ・・・!?」
 庇われた方の言い草としてはあんまりだが、納得がいかないというハロルドと、眉を顰めてヴァレリーを伺うラルフィルド顔を見て、ヴァレリーはくぐもった声で笑う。
 まるで、傷を負ったのは自分ではないかのように、面白そうに。

「あいつの命令なんだよ。」
 ヴァレリーは言った。
「どんなことがあっても、ハロルド博士は守れっていうのがな。」
 まったく人使いの荒いヤツだぜ、とヴァレリーは笑った。
「・・・・・。」
 あいつ、というのが誰を指すものなのか、わざわざ確かめなくても・・該当するのはひとりしかいない。
 思わず、反応が遅れ、それからカーレルが言った。
「どうしてです?」
 それは、どうしてハロルドを守るように命令が下るのか、という意味と、何故ヴァレリーがその命令に文句を言いながらも従うのか、という両方の意味が含まれている。
 たとえ、総長の命令であったとしても。
 敵方のハロルドを、身を挺して庇うのは・・・行動として行き過ぎてはいないだろうか?
 一歩間違えば、ヴァレリーの命も危うかったのに。

 
 カーレルがそう言うとヴァレリーは口の端をあげて笑みを浮かべる。
 それは、まるで当たり前だ、と言わんばかりの晴れやかな笑みだった。
「俺は、あいつにだけは命を賭けても従う。」
 そう、はっきりとヴァレリーは言った。
「1000人殺せというなら1100人殺そう。千里を駈けろというなら昼夜を通して万里を駈けよう。自分の為に死ねとあいつが言うなら、それは無論のことだ。」
「・・・?」
「この命を何に使われようとも、なんの疑問も持たずにただ捧げる。」
 え、ちょっと待って、と眉を潜めたハロルドたちに対し、騎士たちは・・・ラヴィ・ロマリスクの元騎士たちは、息を飲む。
「血約の誓い・・・。」
「血約?」
「の誓い?」
 ただ訝しげなカーレルとシャルティエの横で、ハロルドは一瞬、息をつめる。

 その話は、ヴァレリー本人から聞いている。
 他でもない、場所はこのラディスロウの中だった。
 あの時、鉄格子越しにヴァレリーは、だからなにも話さない、とハロルドに宣言したのだ。
 俺は、血約の誓いを立てた相手に口止めされている、と。

「ミゲルのやつに、血約の誓いをたてたのか・・・?」
 お前が?とカルロが、つぶやくように言った。
 それは、ヴァレリーに対してだったが、到底信じられないという彼の心境を物語っている。
 カルロにしてみれば、ヴァレリーが激しく嫌っていた筈の相手に・・少なくとも、そう認識していた相手に、普通に従っていることすら、信じられない思いだったに違いない。同じ人間を厭い、騎士まで辞めた身としては。
 しかし、そうではない。
「どうして?」
 ハロルドは言った。
「あいつは、ミゲルじゃないのに?」
 ミゲルではないという事は、本物の総長でもないという事だ。
 あ、というようにカルロとダリアが我に返り、その言葉を聞いただけで、ヴァレリーはハロルドたちが知っていることに気がついたようだった。
「だから、さ。」
 ヴァレリーは言った。

 

 

 

 

 

 

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 血約の誓いの記述は、13話に出てきます。
 ラヴィ・ロマリスクなどまだ名前なかった時に、先につくられたシーン。やっと陽の目を見ることができました。

 今回、ハロルドとカーレルがあんまり出てこなくって不完全燃焼〜。
 予定のところまで書く前に、行数が埋まってしまったし。次回はこの続きから〜。

('07 8.21)