希代の天才というだけあって、ハロルドはなににおいてもあまり他人に遅れを取らない。
明晰なる頭脳が器用さも齎した結果だといえなくもないが、それ故にハロルドには、他人の不器用さが理解できないところがあった。
他人を罵倒する場面も多く見受けられ、しかし受ける側も天才と比べられてもな〜という言い訳を心の中で述べるものだから、それに大して反論もしない。
そういう意味では甘やかされ、持て囃された結果、傍若無人もかくやというハロルドである。
もしかしたら幼い時の他人との確執において学んだ身を守る為の術なのかもしれないが、とにかくハロルドは自分と他人とを大きく線引きする。
「たいしたもんじゃないの、トリスタ。」
そのハロルドが口笛を吹きながら他人を褒めるので、ハロルドラボの科学者たちは一様にぎょっ、となった。
「なんのことだ?」
「流石は科学者だってこと。・・あいつ天上軍から逃げる時、ラボや研究関連の資料がおいてある場所は避けてるわ。自分の身よりも実験のデータを重視している。」
どこでも構わず逃げ込んでたらあるいは捕まらなかったかもしれないのにね、とカーレルに言うと、そうか、とその兄は別に感動した訳でもない風に相槌を打った。訓練された兵士ならば当然取るべき行動をひ弱な科学者が取ったとて、別段意外な印象を受けもしないのだろう。彼らが、彼らなりに命をかけるものがあるという事を妹を見て理解しているからかもしれない。
ハロルドのラボのコンピュータは現在、スリープ状態から目覚めてデータの呼び起こしを行なっているところだった。
天上軍が攻め入ってくるなりテアドアたちによって非常事態用のシールドをかけられた全てのコンピュータは、ハロルドの眼と声紋と指紋により、さきほどロックを解除された。
「これはなんの為のレンズなんだ?」
きょろきょろと回りを見回しながらヴァレリーが示したのは、ハロルドが研磨して卵と名づけた紫色のレンズだった。
ん、とラボの中を忙しく歩き回っていたハロルドは足を止め、
「それは晶術に使うの〜。」
これからもっと研磨するけどね、と律儀に返事をした。彼女は自分の研究に対する質問はなにがあっても絶対に返事を返す。
それを聞き、そうなんですかとダリアが目を丸くした。彼女にとって晶術は敬愛する総長のみが使えた特別な能力で、そういう理由から晶術に対する興味が他人よりも強いのだろう。
「それで、なくなったものは本当にないのか?」
別に意味もなく、ヴァレリーから渡された紫のレンズを受け取りながらカーレルが言う。
会議の場で色々あったものの、結局カルロを含む騎士たち3人はカーレルが預かることになった。
客人といえば聞こえは良いが、要するにカーレルという監視人がついて廻るという意味であって、有力な情報源であってもヴァレリーは一度は天上に席を置いた黒鶫騎士団の人間であったし、カルロとダリアは民間人とはいえ、同じような立ち位置なのだから、それは仕方がないと諦めている。
自由にラディスロウで動くことは禁止されたが・・・逆にカーレルの監視から逃れられない以上、カーレルと同一行動であればどこへでも立ち入りが許されているのと同じことだし、軍師自らが彼らの潔白の証人でもあるのだから、考え様によっては破格の条件だといえなくもない。
その軍師が、本格的にラボの被害を調べに戻る妹と共に確認に訪れる事になった為、必然的に騎士の3人もラボへとついてくる事になった。ちなみにシャルティエは司令部に居残りだ。今頃ディムロスあたりに怒られていることだろう。
「なさそうね〜。つうか攻め入ってきたやつらに、ここにある研究の有益さが分かっていたとは思えない・・・。そいつらただ命令されたからトリスタを捕まえにきただけじゃないのかしら。」
大事なデータはロックをかけたとはいえ・・・そこらへんに散らばる書類だけは隠しきれない。
攻め入った天上兵に少しでも科学の知識があれば、それらに注目しない筈はない。
ばーかばーかとその場にいない人間に対して憎まれ口を叩く妹に苦笑しながら、それで、とカーレルは先を促した。
「例のレンズを・・・ヴァレリー殿に確かめて貰うのではなかったか?」
「おっと、そうでした・・・。」
ハロルドは言い、ラボの隅においやられている大きなピンクのクマのぬいぐるみに近づくと、
「これなんだけどさ。」
と首輪をほどいて持ってきた。
「これが?」
「そう。聖典を開ける継承者の証のレンズ、よ。」
真っ赤なリボンの先にペンダントヘッドのようにくくりつけられた透明なレンズを受け取りながら、ヴァレリーはリボンが色あせてない事に注目した。確かに、最近になってあのクマにつけられた、という感じだ。
クマさんの装飾にされていたことには苦笑を禁じえないが、確かにカモフラージュの効果は得られるだろう。
「おいおい・・・。」
頭を抱えたのはカルロだった。
「あんた・・・ついさきほど、俺に聖典だと言って違うレンズを見せたじゃないか・・・。本物の聖典がここにあったっていうんなら、あんたのポケットから出てきたあれはなんだったんだよ?」
当然、とハロルドはこともなげに言う。
「偽物です。」
「・・・・・。」
「だって、重要な切り札になるかもしれないアイテムだもの。そんな簡単に手の内は見せられないっしょ?」
あんたこそ、そう何度も騙されてよく騎士が務まったわねとハロルドが非情を言えば、騙まし討ちは騎士の恥だ、と訳のわからない反論をカルロは試みる。
ハロルドはそのカルロは無視し、ヴァレリーによく見て、とレンズを示した。
「ダリアも。」
そこの言葉に誘発された様に、ヴァレリーの手のなかのレンズを覗き込むダリアたちに対し、
「・・・ラヴィ・ロマリスクが滅んだ時・・・地上の兵士たちから取り返したのは、これに間違いない?」
とハロルドが訪ねた。
ヴァレリーとダリアは顔をあげる。
なんの感情の変化も表に現わさないが、それでもお互いに含みある視線でもって数秒、見つめあった。
「・・・そうだ、と思うがな。」
ヴァレリーは言った。
「しかし確かか、と言われれば自信はない。俺たちが追っていたレンズはこんな風に、透明で光に透かすと真ん中あたりに白っぽい結晶みたいなのが浮かんでいた・・・。大きさもこれくらいだ。だが、俺たちはあんたらと違ってレンズになじみがないからな。他のものを出されても見分けがつかないかもしれん。」
カルロが偽物を見抜けなかったことのフォローをさりげなくしながら、隣のダリアにどう思う?と意見を求める。
ダリアは頷き、私もそう思います、と答えた。
「どっちよ?同じに見えるってこと?それとも、同じと断言するには自信がないってこと?」
「両方です。」
はっきりしない物言いを嫌うハロルドがキツイ口調で問いただしたが、ダリアは怯むことなく答えた。
「ヴァレリー殿と同じように、私の目にも同じレンズに見えます。しかし私はもっと状況が悪い・・・。地上兵から取り戻したすぐ後に、ビショップが手にしているのを一度目にしただけですし、その時は・・・血で真っ赤に汚れていたので。」
「正直なところは俺だって同じさ。」
ヴァレリーが諸手をあげて言う。
「この手で触ってでもいたら違うのかもしれんが。結局、聖典のレンズを手に取ったのはあいつひとりだ。・・もしもあの時にレンズが入れ替えられてたとしても俺たちでは分かりようもない。」
その言葉に、ハロルドではなく、ダリアが顔を向けた。
「ヴァレリー殿は。」
なにか言いたげな視線でヴァレリーを見る。
「・・・・ビショップを疑っておいでですか?」
「まあな。」
それに対して悪びれもしない様子でヴァレリーは言った。
「あいつはミゲルではない、とさきほど俺は宣言した。それは俺の信じる真実で、ならばなにかの目的を持って、あいつはミゲルのふりをしてラヴィ・ロマリスクに入りこんできた訳だ。その目的がなにかはっきりとしない以上、全てを疑ってかかるのは、当然だろう?」
「だが、お前はそいつに血約の誓いをたてたんだろうが!」
まったく訳が分からんヤツだな、と言いながら、カルロが呆れたように口を挟んだ。
それに対しては肩をすくめ、やはり悪びれもしないでヴァレリーは答える。
「それとこれとは別問題だ。忠誠を誓ったからといってあいつの行動まで信じているわけじゃない。俺はあいつのことは信じてないが、それでも尊敬には値する。それだけで命を賭けるだけの価値のある男だ。」
矛盾しているようなしてないような、とハロルドは思ったが、確かなのは、ヴァレリーにとっては猜疑心と忠誠心は別のところに位置する、という事だ。
実に論理的な考え方をする、とハロルドは思った。
こうしてヴァレリーと長く会話し、行動するのは初めてであった訳だが、それまでの人伝えに聞いた話では、どちらかというと冷静なのはラルフィルドで、ヴァレリーは熱い男、という感じを受けていた。
実際にヴァレリーは情に厚く気性の荒い性格ではあるらしいが、ある点においては冷静さを失わない人間だと思う。ある点というのは忠義を含む己の行動を決める判断の基準だ。
奇麗事にもなりがちな、世間一般論の正しいか正しくないかとかではなく、自分にとって・・・自分が納得できるかどうかを常に中心に物事を考えているようだ。
それでハロルドは、ヴァレリーが、この一連の事件をどう捉えているのか、興味を持った。
「ねえ?」
とヴァレリーに話しかける。
「なんだ?」
ヴァレリーはたぶん全ての騎士がそうであるように女性の言葉を無視したりせず、きちんとハロルドに向き直った。
「あんたは、サロメがラヴィ・ロマリスクに入ってきた目的は、なんだと思う?」
「・・・それはあいつの正体が誰であるかが分からない以上、判断のしようがないと思うがね?」
もっとも大事な駒が取れてないうちは、憶測では物は言わない、とそういうことのようだ。
それを聞いて、カルロが言った。
腕を組み少しだけ不機嫌そうな顔だった。
「一応、その正体についての議論は、我々の中では終わっているんだが。」
「へえ?」
ヴァレリーは、とても意外そう思っているようには見えない口調で、一応は首を傾げ、
「ここでは誰ってことになったんだ?」
と軽い口調で聞いてきた。
まるで答えあわせをしよう、とでも言うように。
それに対して全員が無言のまま目配せを交わし、誰が説明をするかを譲りあってしまう。
ハロルドだけはひとり関係ないが、それぞれが微妙に違う複雑な胸中であることが、口を重くしている原因だった。
ヴァレリーはその沈黙の意味を理解できるのか、しばし誰もが自分の問いに答えないことに何も言わず、黙ってその場を待っていた。
「私たちの議論の間では・・・。」
結局は、ラヴィ・ロマリスクとは縁のないカーレルがその役を買って出る。
確かにカルロ兄妹よりは、言うほうも聞かされる方も気まずい思いをしないですむだろうし、ハロルドよりはややこしく説明をしない筈だ。
「イスカリオテという人物の息子ではないか、と。」
「・・・・・。」
ヴァレリーは片目を眇めて、カーレルを見る。
無言であったがその目がなにかを言いたそうに訴えてくるのを見て、カーレルはその先を説明すべきかどうか判断する為に一旦、口を閉ざした。
今の一言を聞いただけでヴァレリーには、自分たちが到達した結論が察せられているように感じられたからだ。
「その事は。」
ヴァレリーが言った。
「他に言わない方が良いだろうな。」
「・・・・・。」
やはりか、と思いカーレルは頷く。
後を任せるつもりでハロルドを振り返れば、その妹は眉を吊り上げ、目を大きく見開いてそれはキラキラと輝いていた。
彼女の興味の琴線に触れた証拠だ。
「あんたはその説には。」
ハロルドは言った。
「賛成?反対?」
「さぁな。」
笑ってヴァレリーは言った。
「ありえなくはないが、まるっきり当て外れという感じがしないでもない。第一、あいつがイスカリオテ司教の子だというのなら、当然・・・口に出すにも憚られるような、やんごとなきお方が関係していると誰もが邪推するだろう。俺はそれが気に入らない。」
「気に入らない。」
「ラルフィルドの母親が悪く言われるから?」
ラヴィ・ロマリスクでの聖皇母の政治力を恐れ、裏では様々な画策があったことは何度も聞かされている。ハロルドたちがその中の話を鵜呑みにして、そんな結論を持ったのだ思っているのかもしれないと思ったのだが。
「いや、そうじゃなく。」
ヴァレリーは苦笑した。
「あいつが・・・イスカリオテ司教と関わりがあったとして、父親の無念を晴らそうとミゲルに成り代わっているとすれば、話としては辻褄があう。だが、それだけだ。あいつはどちらかというと過去の遺恨によって行動を起こすような男ではないし、父親思いの孝行息子という柄でもない。ミゲルと入れ替わったなら、なにか・・・そうしなければならない理由があるんだ。感情の域とは違う、確固たる目的が。」
「それは血約の証をたてた人間としての意見かよ?」
「そうだ。」
どうにも偽ミゲルへの血約の証だてに拘っているらしいカルロに対し、ヴァレリーは溜息まじりに答えた。
「それが気に入らないなら、言い換えよう。」
むすっとしているカルロに対し、ヴァレリーは更に言う。
「第一、それだとミクトランの出番がないだろう。」
「ミクトラン・・・ですか?」
意味がわからずにきょとんとして聞き返すダリアに対しては、ヴァレリーは薄く笑みを向け、
「もしもこれが、イスカリオテ司教の子息のラヴィ・ロマリスクを我が物にしようという策略だというのなら、単なる御家騒動だ。ラヴィ・ロマリスクだけの問題で、そんなものに天上王が関わってくる理由がない。いいか、あのタイミングでミクトランが我らが祖国に対し、完全降伏して天上に下れと使いを寄越したことも、そもそも初めからの計画だったんだ。だから内部から火の手があがったんじゃない。元々天上から来たものなんだ。」
「・・・・え?」
全員がヴァレリーを見た。
「初めから計画されていた・・・?」
聞き返したのはカーレルだった。
「と、言いましたか?今。」
「ちょっと、待って。」
ハロルドは片手をあげ、ヴァレリーもカーレルも制する。
カルロとダリアの兄妹は意味がわからず、その場に置いてきぼりにされたように、ふたりして、ヴァレリーとハロルドたちの間に視線を交互させていた。
「それって、つまり・・・。」
唸るようにしてハロルドが言う。
「つまり、別じゃないってこと?」
サロメがミゲルと入れ替わった理由と、ミクトランがやたらとラヴィ・ロマリスクに拘るその理由。
「このふたつは、繋がっている?」
今まで、それは別々の理由で、まるで関係のない方向を向いているものだと思い込んでいた。
サロメはサロメの目的を持ってラヴィ・ロマリスクに入り込み・・・それが為される前に、偶然ミクトランがラヴィ・ロマリスクの厄災を降らせたのだ、と。それらはそれぞれ別々のふたつの話なのだと。そういう風に別物と考えていた理由は・・・。
両者の間には時間差があったからだ。
サロメがベルクラントにより死んだミゲルと入れ替わったのは2年前。ミクトランがラヴィ・ロマリスクに接触し、それにより護衛に向かった地上軍との間でいざこざが起き、ラヴィ・ロマリスク皇国そのものが滅んだのは・・・1年前。
ぴきん、とピアノ線が張られた時のような音が頭で響き、ハロルドは背筋を伸ばす。
その目は大きく見開かれたままだが、目の前のものを見ていながらその姿は脳では捉えていないようだった。赤紫の瞳の色は更に薄く、猫の目のように輝いていた。
妹の変化にカーレルは気がついてたが、黙ったまま成り行きを見送ることにした。こうなった時のハロルドの中ではめまぐるしく思考が行きかっているらしい。こういう状態のハロルドの邪魔をしてはいけない、というのがカーレルの鉄則だった。
「答えて、ヴァレリー。」
ハロルドは言った。
「分かることならな。俺にもはっきりとはわからないことの方が多い。」
腕を組み、疑うような視線で牽制した後、ヴァレリーは言った。
「その時は、憶測で構わないわ。たぶん、というだけでも情報として成り立つもの。」
「俺の言ったことを事実として鵜呑みにしない、と誓えるなら。」
「もちろんよ。」
ハロルドは答える。
「フェザーガルドを殺したのはサロメだと思うと言ったけど、それは今でも変わらない?」
「ああ。」
「サロメがイスカリオテの息子という説が気に入らないというなら、天上人だと言うのはどう?」
「違うな。」
「ミクトランとサロメは元からの知り合い?」
「・・・違う筈だ。」
「けど、実際にあのふたりにはなんらしかの関係はあると思う?」
「ああ。」
「黒鶫騎士団がラヴィ・ロマリスク消滅後、仕えていたのは、女性?」
「・・・答えられない。」
「その女性の母親はラヴァベルナだと思う?」
「答えられない。」
「あんたは。」
ハロルドは言った。
「生前のフェザーガルドが祖国に対して大変な背徳を犯していた、と思う?」
「・・・ああ。」
「そう。」
そこでぴたり、とハロルドは口を閉ざした。
目は見開いたままだが、何度かぱちぱちと大きく瞬きをする。
その沈黙の時間をしばらく全員が待っていたが、ついにカルロが堪えきれなくなったようにヴァレリーの肩に乱暴に手を置くと、自分の方に向き直させる。ハロルドは何も言わなかった。
「どういう事だ・・・おいっ!」
声を荒らげ、ヴァレリーに詰め寄るカルロは今にも胸倉を掴みかからんばかりだ。
「なんだよ、答えられないってのは!?」
「ヴァレリーはサロメに命じられてるのよ。」
ハロルドが言った。
「今、現在の黒鶫騎士団が置かれている状況、及び、ラヴィ・ロマリスクの現状については誰にも話してはならない、って。」
まったくあんたたちのしきたりって迷惑よね、とハロルドに言われ、カルロはちっと舌打ちしてヴァレリーの手を離す。
「しかし・・・ビショップがフェザーガルド様を殺したというのは違います・・・。」
ダリアがハロルドともヴァレリーともつかない相手に言った。
「ご自分で身を投げられたのです。私がこの目で見ましたから、間違いはありません。」
「それはそうかもしれん。」
ヴァレリーは言った。
「しかし俺は、フェザーガルドが自ら死を選んだのだとしても、それはあいつに仕組まれたのかもしれん、と疑っている。原因はラヴィ・ロマリスクが壊滅したことの絶望とは別にあるんじゃないか、とな。」
それならありえるだろう?と問われ、ダリアはそんな・・と言ったまま、言葉を繋げなかった。
フェザーガルドが身を投げたあの場でやりとりに、違和感を訴えたのは彼女自身だ。
「だが、同じようにフェザーガルドを殺す理由もないように思うぜ?」
首を傾げるようにしてカルロが言った。
「ミクトランと偽ミゲルが裏で共謀していたとしても・・・自らふっとばした小国の皇女如きだ。生かしておいても別段困ることがあるとも思えん。第一なにもそんな回りくどい演出なんかしなくてもその場で殺してしまえば良いことだしな。」
「だから、フェザーガルドが自ら死を選んだというので間違いないのよ。」
ハロルドは言った。
「ミクトランにしても、フェザーガルドが死のうが生きようがどうでも良かった。ヴァレリーの直感が正しいならサロメもどうでも良いと思ってたんでしょう。」
「だが、それならフェザーガルドを攫った意味がない。」
カーレルが言った。
「フェザーガルドはハロルドとの交換の為の人質だった筈だ。死なれてしまっては元も子もないのでは?」
「ラヴィ・ロマリスクが滅んだ以上、私との身柄交換としての価値もないわよ。だけどたぶん、その時点での本当のフェザーガルドの価値なんて、なくなってたんじゃないかしら。」
「本当の価値?」
「私との身柄交換なんて、カモフラージュだった。それにも利用できると思ったかもしれないけど、もっと別の本当の目的が、あった。」
「フェザーガルドを攫った本当の理由?」
「それが・・・。」
カーレルが腑に落ちた、という顔で言った。
「聖典、か。」
「カルロ、あんたは私に言ったわよね?聖典の鍵となるレンズは人と会話する。しかしその技術なんてとっくに失われていたって。」
「ああ・・。」
その事を思い出し、カルロは瞬きをした。
「そう聞いているが?」
「だが、それでは変なのです。」
カーレルが言った。
腕を組み、口調は落ち着いていた。
新しくなにかの考えが飛来した時、早口になるハロルドとは反対に、カーレルは冷静になるようだ。
軍師として天才だと謳われる理由はここにある。
「以前にも言ったでしょう。些細なことだが辻褄のあわないことがある、と。」
「確かにそんな事を言ってたが?」
カルロはそれがなんだ、というようにカーレルを見た。
「そもそも地上軍がラヴィ・ロマリスクを閉鎖したのには、国民と軍との間にいざこざがあったからでした。その原因は地上兵が神官を殺害した事にある・・・。その地上軍兵がラヴィ・ロマリスクの神官を殺害した時、理由となったのはその鍵と思しきレンズが答えからなのです。」
「え?」
「レンズは、我らは天生の民だ、と質問に答えた。天に生まれたならラヴィ・ロマリスクの民は天上人で我らの敵だ、とその兵士は混乱しているなかで判断してしまった・・・。」
「じゃあ、レンズが答える技術は元からあった、ってことか?」
「それでも、まだ変よ。」
ハロルドが言った。
「私はそのレンズと対話した時、パスワードを要求されたわ。レンズは誰とでも会話をする訳ではない。選ばれた・・・聖なる血筋の人間としか話さないのよ。なのに、ラヴィ・ロマリスクとは縁もゆかりもない地上兵とは会話をしている。」
「兵士がレンズと接触した時、すでにパスワードは開かれていた、と考えるべきでしょう。それがいつにしろパスワードは開かれ、開かれたままのレンズはそこに放置された・・・そこへ偶然にも地上兵が神殿の奥へと入り込んだ。」
「パスワードは攫われる前にフェザーガルドが開いた、と考えられるわ。けど、その技術は失われていた筈だから・・・。」
「兄が言ったように、元から失われてなどいなかったのでは?」
ダリアが言った。
「だとしたらフェザーガルド様がレンズの鍵を開けたとしてもおかしくない。」
ちらり、とハロルドがダリアを見た。
それでも辻褄はあうが、面白くないといった顔だった。
「フェザーガルドはなんの為にレンズを開いてたの?」
「それは分かりませんが・・・。」
「私が以前このレンズを開いた時に、使った機械は・・・天上にあるタイプとよく似てるのよ。」
ハロルドがい言った言葉に、カーレルは眉を顰める。
「似てる?」
「天上の持つ技術とか?」
カルロも同じく眉を顰めたが、ヴァレリーはなにも言わなかった。
「そう・・・だとしたら、辻褄があうのは・・・。」
ハロルドの後を受けてカーレルが発言した。
「天上は、フェザーガルドに聖典を開かせる為にラヴィ・ロマリスクを襲撃した。」
は・・とダリアは顔を上げ、そういえばあの時の天上軍はフェザーガルド様だけを狙っていた・・・と誰にでもなくつぶやいた。
「そう。わざわざ天上からその技術なり、機械そのものを持ち込むなり、してね。そしてフェザーガルドに聖典の鍵を開かせ、そのついでに攫っていった・・・。」
「用がなくなった筈のフェザーガルドを攫った理由は・・・ハロルドと身柄を交換することを思いついたから、か。」
「たぶん、ね。」
一瞬、全員が沈黙し、その間にハロルドの部下たちが仕事をする音だけが響いていた。
普通、大事な話をする時はまわりを気にするものなのだが、ここではそんな気がねは必要ない。どんな話をしていたとしても(それが自軍の会議だったとしても)研究者たちは、自分たちの研究に関わらない事柄には、一切の興味を示してこない。
違う意味でも開かれた密室、という訳だ。
「そもそも聖典ってなに?」
以前もその質問をしている為、それはカルロに向けられたものではなかった。
ハロルドの問いを受け、ヴァレリーは肩を竦める。そして俺たちでは知りようもない、と言った。
「聖典に関しては、口に出すのもタブーだ。あれは聖なる血筋だけに伝承されるもので、俺たちにはその瑣末ですら知らされることはない。聞かれても答えられない。」
「でも・・・ラヴィ・ロマリスクの前世でもある天生の民の、失われた筈の技術だってことは知らされているんでしょう?」
「そうだ。確かに、ラヴィ・ロマリスクに代々受け継がれてきた古代の技術のことも聖典と呼ぶ。一応、他国には秘密とされているが・・・しかしリ・ヴォン教の司祭たちなら誰でも知っている事実だし、過去の技術の記録はきちんと書物にも残されている。見ようと思えば大司教の位までなら目にする事もできる。」
ただ今やそれを理解できるような科学者はラヴィ・ロマリスクにはいないがね、とヴァレリーは言い、ハロルドを意味ありげに見た後、続けた。
「だが、今、話にあがっている・・レンズがなければ開けられない、聖なる血筋だけが知ることが許される聖典ってのは、また違うんだ。そのなかでも秘中の秘とされ、伝承することはできても、それを本当に活用する事は禁じられている。・・・内容を口外する事も、だ。」
「けど、人の口に戸は立てられないっていうわ。少しくらいなら聞こえてきたりしないの?」
「・・・知っている人間は知っているのかもしれないが、俺は知らない。」
そっけないヴァレリーの態度に、ぷーっと頬を膨らませてハロルドが睨むと、そんな顔されても知らないものは知らないぞ、と言われる。
まあ、いいわとハロルドは言った。
「どういう経緯か分からないけど、ミクトランは聖典の中身を知っていた、ということでしょうね。だからこそ、ラヴィ・ロマリスクを狙った・・・。」
「さぁな。それこそ憶測の域をでない話だからな。」
「けど、わざわざ機械を用意してまでラヴィ・ロマリスクを襲撃したのなら、どういうものなのかは知ってないと可笑しいじゃない?」
「だが、それもあんたの憶測だろう?フェザーガルドが鍵を開いたってのは。」
確かにそうだけどね、と相槌を打ち、
「その憶測の域からもういっちょ。」
懲りないハロルドはヴァレリーに言った。
「サロメの狙いも聖典だった、と思う?」
「さあ?」
それこそ、とぼけてみせているのがまる分かりな笑みを浮かべ、ヴァレリーはハロルドを見る。
「そうかもしれないがな。・・・しかし、あいつもミクトランもそれがなんだか知ってたっていうんなら、ずいぶんと安っぽい秘密だと思わないか?何千年の守られてきた歴史が、そこまで軽いものかね?」
「では、どちらかが偶然秘密を知り、陰で共謀して聖典を手に入れようとしたってのは?」
それに対してヴァレリーは即答した。
「ないな。あのふたりは元から知り合いではない筈だ、と言ったろう。」
「でも、なんらしかの関係はある、とも言ってたでしょ?」
「俺に分かっているのは。」
ヴァレリーは言った。
「・・・なにかを巡って、あいつらが対峙する立場だったって事だけだ。しかし、ダイクロフトにいた間にあのふたりが顔を合わせたことは一度もない。それは誰かしら必ずあいつに付き添っていた俺たちが保障する。だが、ミクトランは・・・異常にあいつの存在を意識していた。恐れていたとすら見えるほどにな。」
「恐れていた。」
「ああ。」
ヴァレリーは言った。
「あんたらは俺たちがミクトランに下り、主従関係を結んだかのように思ってたかもしれないが、それは違う。少なくとも、あいつの存在がミクトランに影響を齎していた事は間違いない。ミクトランはあいつを忌々しく思いながらも、殺すことはできなかった。そういう意味ではあいつの方が優越である筈だ。」
「そんな事がありえるのですか?」
ヴァレリーの言葉の真偽を疑っていることを隠しもせずにカーレルが言った。
「あのミクトランが他人を・・・自分以外の人間を特別視するなどという事が?」
その点に関しては誰もがカーレルの意見に賛成らしく、全員が疑わしそうにヴァレリーを見た。ヴァレリーはその視線を受けて苦笑し、
「しかし、事実は事実だ。」
と気後れもせずに言った。
「ただ、間違って貰ったら困る。ミクトランよりもあいつの方が立場が上だったとか、そういうんじゃない。ひどくやっかいだと思っていた、という話なんだ。ミクトランのやつは、自分が壊滅させた国の騎士なんぞ屑同然だと思っていただろうし、飼い犬に命令するように俺たちをこき使ってた。だが、あいつだけはその扱いができなかった。同じ屑は屑でも、違う意味を持った屑で、どうにかしてやりたくてもどうにもできない存在だったようだ。そういう意味では忌々しい存在だったんだろう。」
「それが本当だってんなら。」
納得できない、というように少し声を荒らげたカルロが言う。
「どうして騎士団は天上にいたんだよ?その総長を思い通りににできないっていうミクトランの心情を盾にして、さっさと出奔しちまえば良かっただろうが!」
ヴァレリーはちらりとカルロを見た。
しかし、なにか答えると思っていた予想は外れ、そのままなにも言うことがないかのように口を閉ざす。
「また、それ?」
がしがしとハロルドは、およそ女の子らしくない仕草で自分の髪をかき混ぜる。
「もう恨むわよ、サロメ!!よくもこんなことをヴァレリーに命じてくれたわね!」
すぐ目の前に答えがあるのに、手が届かないもどかしさ。
この苛立ちはハロルドがかつて体験したことのないものだ。果たしてこの謎を解いても、実験に思わぬ結果がでた時のような喜びを得られるだろうか、とまで疑った。
それを見て苦笑し、
「あいつにはあいつの考えがあるのさ。」
とヴァレリーはまるっきり的外れな事に、ハロルドを慰めにかかる。
「あれは頭も切れる。あんたのような人間がいつか現れて、自分の行く手を阻むだろうことも予想していた。」
「褒めないで!」
「褒めるさ。」
ヴァレリーは笑った。
「なんども言わせるなよ。俺はサロメに忠誠を誓ってるんだ。」
それ以降、ヴァレリーは決して、自らの総長をミゲルの名で呼ぶことはなかった。
ハロルドの呼び方に倣うことにしたらしい。
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