43.

 

 

 

 


「じいさん、ボケてるんじゃないの?」
「こ・・・こら!ハロルド!」
 
 本人が悪びれもせずに放った言葉はけっして小声ではなかったので、カーレルは慌てて、ハロルドを窘める。
 なんてことを、と声を荒らげる兄に向かい、ハロルドはだって、と言い返した。
「ど〜考えたって、そんなの納得できないっしょ。遊びに行くんじゃないのよ?遊びに!兄貴からも言ってやったら?」
 はっきり言わないとわかんないわよ?この爺さんは、と言うハロルドに、いいかげんにしないか、と兄が叱ったのは妹の方だ。
 その兄妹のやりとりを見ながら、当の本人はホゥホゥと笑いながら髭をさすっている。
 その様子は間違いなく面白がっているように見えて、そんなクレメンテをアトワイトが睨んだ。
「笑い事ではないでしょう。老。」
 この頑固一徹な老軍人を叱れるのは、軍広しといえど彼女だけだ。
「確かに、ハロルドの口はすぎるところはあるが。」
 それに便乗してという訳ではないが、ディムロスも加わる。
「承知できかねる案であるのは確かだ。クレメンテ老が未だに健在で、天上軍が束になっても敵わない猛者であることは認めるところだが・・・。」
 それを聞き、一瞬アトワイトが眉を吊り上げたのだが、ディムロスはそれには気がつかずに続ける。
「なにぶんにも事はソーディアン完成に纏わることだ。・・老おひとりにまかせるという訳にはいくまい。」
「ほう?なぜじゃ?」
 止められたクレメンテの方は涼しい顔だ。
 むしろ面白がっている様子はますます増すばかり。ディムロスが格好のからかいの相手といわんばかりに、笑みさえ浮かべて、反論をしてくる。
「わしが"天上軍が束になっても敵わない猛者"であるなら、なにも問題はないじゃろうて。迎えにいくのは、ひょろひょろとした引きこもりばかりだろう。わしひとりでも十分に成し遂げられると思うがの。」
「・・それは・・・。」
 ああ言えばこう言うという見本のような反論をされ、元は自分で言ったことであるが故に否定もできず、思わず言葉を失ったディムロスを見て、アトワイトは溜息をついた。
「ひょろっとしたもやしばりの引きこもりでも、重要な引きこもり共なのよっ!」
『否定しないんだ・・・。』
 ハロルドの性格はよく分かっているつもりなので、あえて口に出してはつっこまないシャルティエである。
「重要なのは分かっておるよ、無論。」
 キーキーと吠えるハロルドにも笑みを浮かべてクレメンテは答える。
「だからこそ、わざわざダイクロフトまで迎えに行くのだろうに。」
「・・・そのダイクロフトが問題なのです。」
 カーレルは唸るようにして、言う。
 妹の暴挙には慣れきっている軍師でも、自ら敬う相手だと説得するのも勝手が違う。まさかクレメンテ相手にげんこつを喰らわせる訳にもいかない。
「ダイクロフトといえば、言わずと知れた敵の本拠地。それに乗り込もうというのに、クレメンテ老をおひとりで向かわせたとあっては、地上軍の人手が足りないと思われます。こちらの形勢が不利になっていると思えば、天上軍は一気に活気ずく・・・。」
「思わせておけば良いではないか。」
 ホッホッホと笑い、クレメンテが言った。
「形勢が今のところ不利なのは、天上だけではなく地上軍すらも認知している事実じゃ。ならば、ずっとそう思わせておけば良いではないか。こちらに奥の手があるということは悟られん方が良いのじゃろう?活気づいたなら、それを逆手に取れば良いだけのこと。」
 相手の油断を誘う策略はお前さんの得意とするところだろうに、とクレメンテに言われ、カーレルはしまった、と心の中で舌打ちをした。
 どうにも説得しようとすればするほど、さきほどからクレメンテの思うツボに嵌っている気がする。
「しかし、ダイクロフトは広い。」
 見るに見かねてという体で、イクティノスが口を開いた。
「たとえ、ご健在であらせられる老であっても、ダイクロフトで手惑わないとも限らない・・・。なにしろ敵の本拠地ともなれば我らにはなじみすらない場所です。」
「その為に、ハロルドの開発した機械があるのだろう?」
 クレメントが面白そうにチラリと見ると、ハロルドは歯をむき出しにしてキーッと唸った。
「ベルクラント製作者たちには発信機が取り付けられている・・・。それはあのトリスタとか言う科学者のおかげで証明されたわけじゃ。確かにダイクロフトの中に入り込んで闇雲に探せというならわしでも困るが・・・発信機を逆探知して居場所を掴めるというのなら、ひとりでも楽勝じゃ。ソーディアンの存在を隠しておきたいというこちらも思惑もある以上、少数で動くほうが得策じゃとわしは思うが・・・違うか?」
「それは・・・。」
「では、どうあっても老おひとりで科学者たちを迎えにいく、と?」
 さきほどから静観していたリトラーだったが、少しだけ困ったという顔でクレメンテに確かめる。
 困り具合が少しなのは、こうなることを予想していたからかもしれない。

 そもそも、ダイクロフト開発チームの科学者たちを一度迎えに行った時、こぜりあいを起こして事が成し遂げられなかったことを思えば、少数の、しかもクレメンテのような温厚に見える人間を迎えに行かせた方が良いと言い出したのは、リトラーだ。
 クレメンテなら、向こうが警戒したとしても穏やかに説得できると見越しての人選だったのだが・・・。

「確かにアトワイトも一緒だが・・・しかし安心せい。わしがアトワイトには指一本触れさせん。」
「そういう話をしているのではない、老!」

 どうにも言う事を聞かない老人に若者が大勢困りきっているというその場を、一歩離れたところで、ヴァレリーが眺めていた。
 ベルクラント開発チームを再び向かい入れる作戦の為に、ダイクロフトの情報が必要となったと告げられ、カーレルによって作戦会議に同席させられたヴァレリーだったが、思わぬ方向に話が進んでいる。
 思わず目を細め、ヴァレリーは懐かしそうな表情をつくっていた。
 あれほど勇ましい訳でも、戦場に赴けば鋭いことが予想されるような眼光を持っていた訳でもなかったが・・・どこかクレメンテを見ていると、マーテル司教が思い出されてならない。
 いつも物腰は穏やかで、恰幅も良く、まるで卵を思わされる司教はしかし、その意思の強さには定評があった。
 彼はこうと決めたら動かず、彼の理論を覆すほどの理論を持って納得させなければ、彼の信じる真実を曲げさせることはできなかった。
 ヴァレリーなどは、到底敵わない。
 一夜ではけっして習得はできない、年長さの思慮深さがそこにあった。

 そんな事を思い返しているうちに、ヴァレリーははた、と気がついた。

 クレメンテが、ひとりでダイクロフトに乗り込むなどと言い出したのは、もしかしたら自分達への手向けなのかもしれない。
 一度は袂を分かった敵味方同士。
 自分の齎したダイクロフトの情報が、真なるものであるという証拠を、自ら示そうとしてくれているのでは?
 我らラヴィ・ロマリスクの信頼間を修復する、その一歩の為に。

 ・・・考えすぎかもしれんが。

 未だ言い争っている地上軍上層部の様子を眺めながら、ヴァレリーはそんな事を思った。

 

 

 

 

 
 会議から戻ったヴァレリーの苦笑と、カーレルのけっして愉快そうでない―苦虫を噛み潰したような―珍しい表情を見比べ、カーレルの自室で待たされていたカルロ、ダリア兄妹は目を丸くした。理由を聞けば、なんとカーレルがやりこめられた、と言う。
 誰に、と聞けば、むすっとしたままのカーレルに代わり、クレメンテ老だ、とヴァレリーが言った。
 しばらく前からラディスロウに潜りこんでいたヴァレリーにとって、クレメンテは有名人だが(なにしろ手伝っていた医療班には主治医のアトワイトもいる)、兄妹には誰のことか分からない様子だったので、会議で会っただろう、と説明を加える。それでもすぐにはピンとこなかったようだ。ひとり年長の・・・とそこまで言われ、やっと、ああ、あの、との返事が出る。
「カーレル殿が言い負けたのですか?」
 驚いた顔をしてダリアが言うと、
「・・・あなたが、私をどのように評価しているのか、今の一言でよく分かりました。」
 などと、らしくなく拗ねたような事をカーレルは言う。
 カルロは、クレメンテにもカーレルの態度にも別段興味がないらしく、妹は?とカーレルに訪ねる。
 当然、一緒にくるものと思っていたのに、帰ってきたのがカーレルとヴァレリーだけだったのが意外だったらしい。
「ラボに戻りました。研究の続きをするそうです。」
「へぇ・・・。」
 なんのかんのと仕事をサボるタイプかと思っていたカルロは、それでハロルドに対する認識を改めた。
 興味の対象が目の前にいるとつっぱしるタイプではあるようだが、それでも、優先させるべきなにをいつまでに仕上げるかは、彼女の中ですでに計算されていたのかもしれない。
「本音を言えば俺も、持ち場に戻りたいんだがね。」
 ヴァレリーが肩を竦めて言う。
「山火事から避難してきた爺さんが、ちょっと灰を吸ったらしくてな。夜中に咳き込むんだ。よく背中をさすってやってたんだが、なにしろその爺さん、老人とはいえ未だに現役のきこりで、筋肉質なもんだから体が重くってな・・・。起こしてやるのが一苦労なんだ・・・。」
「それは・・・。」
 ちらりと許可を出すことが頭を掠めたものの、
「我慢して頂くしかありません。」
 カーレルはしかたなく言った。
 一応、預かりの身であるヴァレリーに、元からいた場所とはいえ、カーレルの目の届かないところに行かれるのは困る。
「まあ、そうだろうな。」
 それに対しては反発心すら起こらないらしく、素直にヴァレリーは承知する。
 そして思いついた風に、もう一言付け加えた。思いついたというよりも、初めから言うタイミングを伺っていたのだろう。
「ついでに確認したいんだが。」
「どうぞ。」
「・・・俺はダイクロフトに同行できないよな、当然。」
「・・・・・。」
 
 黒鶫騎士団の立場はとてもやっかいなもので、今現在ラディスロウに駐在中の彼らは確かに敵とまでは見做されていない。
 しかし他の騎士たちは・・・未だ、地上軍の立場から見れば天上に加担していることになっている。
 その騎士団に所属している人間をダイクロフトに連れていくには、誰がみても危険極まりない。
 ヴァレリーを疑いたくはないが、この先、地上軍を不利な状況へと追いやる罠が張り巡らされてないとも限らないからだ。
 それに対しては、ヴァレリーも自覚をしている。

「・・・たとえ、同行が許可されたとしても。」
 だからカーレルは遠まわしな言い方を取った。
「クレメンテ老が承知しないでしょうね。」
「違いないな。」
 ヴァレリーは、あはは、と声をあげて笑った。
「あの爺さん、本当に曲者だな!あんたどころか、あのヘソ曲がりのあんたの妹まで言い含めちまうとは。」
「言い含められた訳ではないのですが・・・。」
 しかしまさしくヴァレリーの言う通りだった。
 会議では、とても珍しい光景が見れたのは事実だ。
 普段から、上層部をひっかき回せるだけひっかき回すあの妹が、聞く耳を持たないクレメンテに常識を説いたというのだから、笑える。しかも、なんやかんやと言い返すクレメンテにキレたハロルドが終いには、くたばってから後悔しろこのジジィ!と怒鳴って(くたばらんから安心しろ、とクレメンテに言い返された)カーレルに頭を殴られ、会議そのものが収拾のつかないまま終わったのだから、なんともすっきりしない。
 だが、絶対に間違いなく、クレメンテを説得するのは不可能だ。
「後は・・・ハロルドの探知機に期待するしかないか・・・。」
 ハロルドはほぼできあがっていた探知機を、正確に科学者たちの発信電波を捉えられるのと同時に、人やダイクロフトを徘徊するという機械仕掛けのモンスターの位置もレーダーで探知できる機能を追加しようと、今頃は自分のラボで格闘している筈だ。
 ヴァレリー殿は、とダリアが言った。
「ダイクロフトに行きたいのですか?」
「まあな。」
「なんでだ?人伝では、あまり良い気のしない場所だって聞くぞ?そんなところに思い入れでもあるのか?」
「まさか。」
 カルロの言葉に、ヴァレリーは苦笑する。
「ダイクロフトは、そう、まさに気味の悪いところさ。小奇麗に整頓されたような廊下があるかと思えば、なんかの生き物の内臓みたいなグロテスクな配線が張りめぐられてる・・・。初めて外殻に昇った時と同じ、あのままだ。」
 未だに作っては壊しを繰り返してるしな、とヴァレリーが言うと、その時に同行していたダリアはその光景を思い出して鳥肌がたったのか、腕のあたりを摩りながら頷いた。
「けど、あそこには、あいつのデータが残ってる・・・。俺はそれを取ってきたいんだ。」
「データ?」
「あいつって、お前たちのビショップのかよ?」
「ああ。」
 ヴァレリーは言った。
「あいつはミクトランに実験体として自分自身を提供していた・・・。それは仕方ないにしても、その時のデータが未だにミクトランの手の残っているってのが気に入らないんだ、俺は。」
「自ら、ですか?」
 眉を顰め、カーレルは聞き返す。
「ミクトランに命令されて、仕方なく、ではなく?」
「命令ってやつはあっただろう。けど、言ったろう。実際にはミクトランはあいつ自身には手が出せなかったのさ。」
 ヴァレリーは言った。
「だから、あいつが承知しなけりゃ、実験は行なわれなかったんじゃないか、と俺は思う。」
「だったらどうしてビショップは、ミクトランに協力するような真似を?」
 少しだけ声を高くして、ダリアが言った。
「そんな・・・ご自分を傷つけるような事をなさらなくっても・・・。」
 ヴァレリーは一瞬探るような視線でダリアの顔を見たが、しかし、ダリアの言葉になんの含みもないことを知ると、すぐにその視線をあさっての方向に向け、面白くなさそうに言う。
「・・・あいつのする事はいつだって、俺たちには理解不能なのさ。」
「ビショップの実験データなら、トリスタがラディスロウに持ち込んでます。」
 ヴァレリーは、カーレルに顔を向け、へぇそうなのか、と言った。
「後で見ますか?」
 とカーレルが聞くと、いやいい、とヴァレリーは即答した。どうせ、グラフやら数字やらの専門的なものを見せられても分からないから、と。
「俺は、ただ天上にあいつのデータを残してきちまったのが、気がかりなだけだからな。」
「・・・もちろん、ダイクロフトにも同じデータが残っていないとも限りません。」
 回収してやりたいのは山々だが、そこまでクレメンテに頼めるだろうかと考えて、無理だと瞬時にカーレルは判断を下す。
 それにしても・・・とカーレルは思った。

「それにしても、なんだか謎の多い人物だな。」
 カーレルの心境を代弁したかのように、カルロが言った。
「何を考えているのかもよく分からん。人がなにか裏で画策している時ってのは、少なからず怪しい言動が見れてとれるもんだが・・・。話に聞く限りでは十分に疑わしいってのに、どうにも・・・こう、嫌悪感ってやつを抱かないんだよな。」
「それは、ダリア殿たちがビショップを慕っているからでは?」
 カーレルが言った。
「彼らの言葉から敵意を感じないから、嫌悪感も抱かない・・・。」
「それは俺も考えたが、問題はあんただ。」
 カルロはびしっとカーレルを指差す。
「・・・私、ですか?」
 名指しされたカーレルは、思わずきょとんとしてしまう。
「そう。ダリアやヴァレリーが、そいつの事を悪く言わないのは良いとしよう。しかし・・・あんたの言葉にも、そいつに対する敵意がまるっきり感じられない。むしろ、好意的ですらあるな。それが、知りもしない疑わしき相手に対して、俺が警戒心を持てない理由だ。」
「・・・好意的、ですか。」
「ああ。まるであんたがヤツを語る時の口調は、戦友を褒めているみたいだぜ。」
 自分では意識していないが、そういう態度を現わしていたのだろうか。カーレルは考える。
 しかし、考えても意識していなかったものをどうだったかの結論はでない。
 だが確かに彼に対して、敵と見做していないという指摘には思い当たる節があって、カーレルは天を仰ぎたくなった。
「警戒心は持った方が良いでしょうが。」
 カーレルは言った。
「しかし敵視、というのも確かに違う気がします。彼はなんというか・・・違うのですよ。」
「なにが、どう違う?」
「生身、という気がしないとでも言いますか。」
 カーレルは言った。
 言葉にしているだけで、どこからか、ふわりと今にもあの黒い影が浮かび上がってきそうだ。
「ハロルドと一緒に、ああだこうだと彼の事を探りすぎたせいですかね。・・・なんだか私の内側にいる人物のような気がするのです。確かに、彼に接した事はあるものの、その時間はほんのわずか。昔語りに出てくる美しい箱庭世界の住人とさえ思える・・・。」
 美しいという表現は、世界にではなく、彼にかかる。
「私自身、そう・・・。」
 カーレルは言った。
 そうかそれが理由だったのかと、今までの自分の行動を思い返し、その時の心境を改めて顧みる。
「彼に興味がある。できるなら、もっと知りたい、と思いますね。」
 謎が多いから、というだけでない。
 彼は初めから、カーレルにとって興味のつきない相手だった。
 思慮的であって、どこか冷めている風であり、考えがまるっきり読めなかった。こう言うだろうというカーレルの予想はことごとく外れた。1年前に会った時の、そんなことを思い出した。
「そうか。」
 カルロは言った。
「俺も、だ。」
「・・・・・。」
 カーレルはカルロを見る。
 その顔には別段、特別なことを言ったという表情は浮かんでいなかったが、ダリアもヴァレリーも意外そうにカルロを見ている。
「なんだ?」
 見つめられた相手は不思議そうに首を傾げて、言いたいことがはっきりあるなら言えよ、と言った。
「貴方はてっきり。」
 他のふたりを代弁するようにカーレルは言った。
「・・・ヴァレリー殿の血約の証に腹を立てている様子でしたので、彼の事を良く思ってないものと。」
「まあ、確かに、リ・ヴォンとなんの関係もないかもしれんヤツに血約の証をたてたってのは、賛成できかねるがな。」
 苦笑して、カルロはヴァレリーを見た。
 ヴァレリーはそれに肩を竦めて見せる。はいはい、と小言を聞き流す姿勢だ。
「だが・・・分かる気がする。」
「・・・そうなのですか?」
「いきなり、どういう心境でまた?」
 少しだけ目を見張ったヴァレリーの視線には、カルロを伺うような様子はなかったが、それでもいきなりという感じは否めないようだった。カーレルと同じく、てっきりサロメに対して、頑なな拒否反応を示すと思っていたのだろう。

「ここに来て思ったんだがね。」
 カルロは言った。
「・・・本当にこの戦争は終わるらしいな。」
「・・・・・。はい。」
 カルロの言わんとする事はわかる。

 外殻が形成される前、彼らが幼い頃に彗星の衝突があって以来、争いは常に彼らの傍にあった。
 天地戦争は元より、小さな小競り合いや奪いあいは絶えることはなく、いわば、彼らは戦争をしていない時代の記憶をほとんど持たない戦争の申し子だ。彼らにとって、戦争は起こっているのが当然のものだった。善悪や道徳に関係なく、戦争は彼らの人生に纏わりついていた。
 それが今更終わるというのは。
 長年望んでいたからこそ、すぐには信じられないのだろう。

「俺はこの戦争は終わることはないとどこかで思っていた。」
「・・・はい。」
「しかも最悪なことに、それと俺たちは対して関わりがないと思っていた。俺たちは・・・ラヴィ・ロマリスクだけは永遠に巻き込まれない、となんの根拠もないのに・・そう勝手に信じて、緩みきっていた。」
「・・・・・。」
 それは、信仰を主とするラヴィ・ロマリスク皇国の特異さにもよるものだと思われた。そうでなくても実際に、地上軍には参加も賛成もしない、天上は気に入らないが関わりたくない。そういうどっちつかずの態度をとっている国は未だにある。
 この戦争が終わり、地上軍が勝ったならば。
 そういう曖昧な態度で逃げおおせようとしていた国が、地上軍参加国から糾弾されるのは必至だ。
 戦争が終わっても、課題は山ほどある。
 だが、今はそんな遥先のことよりも、この戦争に勝利すること。
 それがなによりも大事だった。

「だが結局、この戦争と俺たちは無関係ではなかった。それが分かった今、信者たちの信仰心は揺らいだろう。神を崇める為の国だったというのに、ラヴィ・ロマリスクは神に救われなかった。それを試練だったと考える時期には、まだ早い。ラヴィ・ロマリスクどころか、リ・ヴォンの存続すら危うい・・・。」
「・・・なにを・・。」
 思わずダリアが兄の言葉に唸り声を上げたが、結局それは、最後まで言葉にならない。
 自分たちは神に見捨てられた、と。誰もが一度は思った筈だ。
「だが。」
 そんなダリアを見て、少しだけカルロは笑った。
「それでも、リ・ヴォンはこの地上からなくなっちゃいない。ラヴィ・ロマリスクも、国こそ瓦礫の山と化したが完全に滅んだ訳じゃない。俺はな、ダリア。もしも許されるなら・・・。」
 カルロは言った。
「許されるとしたら、もう一度騎士に戻りたいと思っている。」
「兄さん・・・。」
「そして今度こそ、ラヴィ・ロマリスクの、リ・ヴォンの為に働きたい、と思っている。俺はミゲルのやつを尊重するラヴィ・ロマリスクに愛想をつかしたつもりでいた。しかし、ただ逃げ出しただけだった。本当に騎士としても本望をまっとうするつもりだったなら、泥を舐めてでも、騎士団に留まった筈だ。」
 ダリアは言葉のないまま、兄の言葉に何度も頷いた。
 ヴァレリーはがしがしと自分の頭を掻きながら、しかし口元には笑みが浮かんでいた。まるで照れているのは自分だと言わんばかりに。
「改めて聞くが、ダリア。ヴァレリー。」
「なんだ?」
「その総長は・・・ミゲルではなくとも、ラヴィ・ロマリスクには必要な男か?」
「ええ。」
「・・・そう思う。」
「裏でなにを企んでいるのか、分からないのにか?」
「俺が断言できるのは。」
 ヴァレリーは答えた。
「あいつは確かに信用ならないところがある。しかし、なにを企んでいたとしても、それがラヴィ・ロマリスクに害なすものだとは思わない。確かに、フェザーガルドは死んだかもしれん。やつに利用されたのかもしれん。しかし、あいつのラヴィ・ロマリスクに対する態度は、祖国を愛する者のそれとなんら変わりはなかった。地上軍に復讐したことでも、それは証明されている。禁止されている復讐という手段を選んだ以上、あいつはリ・ヴォン信者ですらないのかもしれん。しかし、ラヴィ・ロマリスクの人間だ。」
「・・・そうか。」
 カルロは言った。
「その総長は、俺が騎士団に戻ることを許すと思うか・・?」
「ええ。」
 もしも許されなかったとしても、自分が総長に縋りついて必ず兄を騎士に戻してみせる。そう心の中で思ったが、ダリアはそれを、兄と総長の両方の名誉の為に黙ったまま、ただ頷いた。
「いらねぇ心配だな、そりゃ。」
 ダリアの心中を余所に、ヴァレリーは笑う。
「あいつが人を選ぶ時、地位だの、損得だのは関係ない。裏にある事情ってやつにすら興味も持ってない。あいつが重視するのは実力、ただそれだけだ。あんたにはそれだけの度量がある。騎士に志願すれば、その力量だけを見て、必要だと判断するだろうよ。・・騎士団にとってな。」
「そうか・・・。」
 カルロは少し笑い、しかしこの腕はハンデじゃないのかねぇ、と人事のように笑った。
 しかし、先刻の天上軍撃退時のカルロの活躍を見ているカーレルからしても、それがたいしてハンデになっているとは思えなかった。カルロは今でも十分に、第一線で戦える。

「しかし・・・それにしても、どうにも解せないのがラルフィルドですが・・・。」
 カーレルはいきなり言った。なんの脈絡も伏線もなかった。
 3人は驚いてカーレルを見た。
「ラルフィルドが、なんだって?」
 3人を代表するように、眉を寄せたカルロが聞く。
 今の今まで、ラルフィルドに関する話題などひとつもなかった筈だ。唐突な話題転換と感じたが・・・カーレルにとっては違うのだろうか。
 カーレルはどこから説明したものか、という顔で、いえ、と言った。
「彼がいったい何を為そうとしているのか。」
「何ってなんだ?」
 ラルフィルドの行動が分からないのはもともとの話だ。今更改まるまでもない。
 あからさまにそういう視線でカルロに見られ、カーレルは苦笑した。
「そもそもを考え直してみてください。ラヴィ・ロマリスクをめぐる一連には・・・あまりに謎が多い。」
 それは承知のことですよね?とカーレルが聞くと、それも今更聞かれるまでもない、とカルロは答えた。
「ひとつに、なにかの策略を持って、ミゲルに成り代わり、現総長が現れた。」
 しかも、記憶をなくしたという念の入れようです、とカーレルは追記する。
「私に言わせるとそれも可笑しな話です・・・。」
「どこが?」
「わざわざ、彼がミゲルに成り代わるほどの必要性が感じられない。」
 ミゲルはベルクラントの前に倒れて死したのだから、騎士団の総長という肩書きが必要だったのなら、ただ単に死者のあとがまを狙うだけで良い。そこまでする必要などどこにもないのに、どうして、ミゲル本人に成りすまさなければならなかったのか。
 “ミゲル”である事によって何を得ようとしたのか。
「そして、ミクトランの存在・・・。」
 いきなり、かの天上王はラヴィ・ロマリスクに拘り始めた。しかも、まるで目の仇にするかのように。
 それは、何故だ。
「私には、それらの全てが・・・聖典に繋がっているような気がしてならないのですが。」
「聖典、か。」
「ええ。」
 先ほどから議論に上っていることだったから、それに対しては、全員が特別に反論する気はないようだった。
 思案しながらカーレルは黒いコートのポケットに手を突っ込み、そこで指にあたるものがあるのに気がついた。
 会議の前、ヴァレリーたちをハロルドのラボに案内した時に手にとった紫色のレンズを、そのまま持ってきてしまったらしい。

 そのレンズをポケットの中で玩びながら、カーレルは言った。
「ハロルドの説では、ミクトランは聖典を狙って、その鍵をフェザーガルドに開けさせたのではないか、ということでした。」
「そうだったな。」
 確かに想像の域をでないが、筋は通っている話だ。
 と納得したように頷づくカルロの隣で、しかしそうなると、とヴァレリーが言った。
「どうしても聖典の中身を皆知っていた、という事になるよな。中身の知れないものに、数人で群がる訳もない・・・。」
「ええ。どこからかその情報は漏れていた、と考えるべきでしょうね。」
 カーレルの頭の中には、直接聖典へのアクセスを試みた形跡のあるミクトランは元より・・・現ビショップもそれに関わっていると思うべきだ、と忠告の声が響いている。
 もっとも、ビショップが聖典を欲しがったのか、守ろうとしたのか、はたまた消滅しようとしたのかは不明だが。
 口元を引き締めたヴァレリーの表情に気がつき、カーレルは苦笑する。
「気に入りませんか。」
「気に入らないね。」
 ヴァレリーは言った。
 ヴァレリーが眉を顰めたのは、ここでラルフィルドの話に繋がるという事に気がついたからだ。
「あんたはどこからかと言ったが、出所があるのなら、それはごく一部に限られる。レンズが聖典の鍵である事は、リ・ヴォンに仕える司教たち以外はしらん話だ。だとしたら、それは外部の者ではまずない。そして、内容を知ってたとしたら・・・それはもっと限られてくる。」
 聖典の中身を知ることができる人間など・・・いたとしても数えるほどしかいない。
 鍵となるレンズが、その者に証があると認めない限り、どんな事があっても、聖典は開けられないのだから。
「教皇、聖皇母、フェザーガルド・・そして、可能性としてあるのは、ラルフィルド。この4人だ。」
「ラルフィルドなら開けられると思いますか?」
「それは分からん。」
 ヴァレリーは言った。
「開けられたというのは疑わしい話だが、しかし、開けられなかったというのも同じくらいに疑わしい。教皇の一族のことは一族にしかわからん。反目しあっていたのなら、それもないだろうと予想はできるが・・・。バラバラなようでいて、まとまっているという一族だったからな。全員が共有していたとしても、不思議ではない。」
 けどな、とヴァレリーはつけ加える。
「ミクトランのやつに、聖典の中身が何であるかを漏らしたのがラルフィルドだってのは、ありえん。あいつは、副総長という立場からあまり実戦に出なかったんだ。ほとんどラヴィ・ロマリスクの中に篭っていて外部との接触はあまりなかった。」
 なにしろやたらと自分で動き回る総長の代わりに、国の守りを固めなきゃならなかったんだからな、とついでのように説明した後、
「・・・しかし、なによりもラルフィルドのヤツは、国を守ろうとする一方で他国の者に対する警戒心が強かった。天上になにを言われたところで、ほいほいとリ・ヴォンの大事を外に漏らすような男ではない。」
 その点においては総長の方が疑わしいくらいだぜ、とヴァレリーは言ったが、それは単なるたとえ話のようだった。なのに、
「それは・・・ビショップがミクトランの情報源で、その為にラヴィ・ロマリスクに入り込んだ、という意味ですか?」
 と真剣にダリアにつっこまれ、余計な事を言ったと思ったのか、
「それはありえん。」
 と苦虫を噛み潰したような顔になってヴァレリーは答えた。
「やつとミクトランは以前からの顔見知りではないと言っただろうが。」
「しかし、それはお前の勘ってやつだろう?」
 鋭くカルロにつっこまれる。
「それがお前の希望的観測でないと誓えるか?」
「おいおい、まだつっかかるのかよ。」
 さっき俺の気持ちが分かるって言ったじゃねぇかよ、とヴァレリーが言えば、それとこれとは話が別だ、とカルロが言う。
「どうでも良いのですが。」
 うんざりしたようにカーレルが言った。
「ビショップが聖典の情報をミクトランに売った、という案には私も納得しかねますね。そもそも・・そんな力関係ができているのなら、ミクトランは彼の存在を持て余したりはしないでしょう。もちろん、それもヴァレリー殿の言った話を聞いただけですが。」
 しかし、あの総長が誰かの言いなりになるようには思えない、というのはカーレルの意見だ。
「それよりも、もっと気になるのは・・ラルフィルドがラヴィ・ロマリスクに篭っていたというのならば、聖皇女であるフェザーガルドも同じ筈だという事です。それは教皇にも言えることでしょう。だから、情報源としてありえるとするならば、さきほど挙げられた4人の中で唯一ラヴィ・ロマリスクの外部にいた・・・。」
「聖皇母ラヴァベルナ様・・・。」
「・・・意外に考えられないのですが。」
「けれど、ラヴァベルナ様が天上に聖典の情報を教える理由が分かりません。だって・・・。」
「いやな感じになってきたな。」
 反論するダリアの横から、いきなりヴァレリーが言った。
「・・・繋がってきた。」
「・・・・・。」
「え?」
「なんのことだ?」
 カルロの驚いたような声に、ヴァレリーは溜息まじりに答える。
「謎の女と、あいつの・・・サロメの事だ。」
 全員が彼に注目するとヴァレリーは腕を組み、眉を顰める。
「あんたらの間では、あいつの正体が誰であるかの協議がなされたんだったな?」
 そして、ほら、と言うように顎をしゃくってみせ、
「繋がっただろう?」
 と言った。
「ああ・・・・。」
「そういう事か。」
 
 もしも聖皇母ラヴァベルナが聖典の秘密を誰かに漏らしたとして。
 それは、外部の者ならば、確かに理由が分からない。しかし・・・彼女の身内・・・血を分けた我が子だったとしたら。
 聖典は、聖なる血筋、それを証明するものなのだ。むしろ教えない方が可笑しい・・・。

「もしも聖皇母ラヴァベルナが本当に密やかに子供を産んだとしたなら・・・今までの議論の中で、その子供として候補にあがったのは、3人です。」
 カーレルが言った。
「ひとりはダリア殿が目撃したラヴァベルナに似た女。」
 その女はミクトランと一緒にダイクロフトにいた。
「もうひとりは・・・ビショップ。」
 静かに全員が頷く。
「そして、最後に・・・ラヴィ・ロマリスクから救出されたというアンタイルスの司教服を着ていた女。」 
 いつの間にかどこかへ消えうせていたというその女に関しては、ここにいる誰も顔を見ていない。
「そして、その3人の候補はうち、最後の女はラルフィルドと接触している・・・。」

 ミクトラン。
 サロメ。
 ときて、ラルフィルド・・・。

「そのいずれが幻の聖皇女だったとしても。」
 カーレルは言った。
「やはり、ラルフィルドの失踪にも聖典が関わっている。・・・そう疑うのは強引過ぎますか?」
 カーレルの言葉に答える者はいない。
 たとえ、それが信憑性に足る説ではないにしろ、反論する余地も同じくらいにないように思われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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いつものことですが、予定のところまで書き上がらなかった・・・。(もう今更言い訳もない)

 

(’08 3.20)