44.

 

 

 

 天上軍の奇襲攻撃により側面に開いた穴を修理する為、ラディスロウが不時着したのは、遠目に緩やかに見えながらも高く聳える山が頂ける場所だった。
 今がもし昼だったなら、山の麓の休火山に暖められて育った緑が生い茂っている光景が見れたかもしれない。しかも山からは遠いというのに、確かに地面は暖かく、その証拠に万年降り積もっているはずの雪が見えない。それだけで、この辺りがいかに豊かで穏やかな気候であるかを伺い知ることができた。
 この地を、気候を、支配している山の名前はアントレラ火山といった。かつてラヴィ・ロマリスク皇国という国を抱いていた、アントレラ火山だ。

 クレメンテの頑固一徹の主張のせいで、(主張というより単なる我が儘だ)できあがりかけていた追跡装置のやり直しを余儀なくされ、腹を立てていたハロルドだったが、それも大方できあがってしまうと興味もなくした。
 そこで放り投げるようにして、後をラボのテレサにまかせ、仮眠を取る為に自室に戻ったのは、夕刻のことだった。
 カーレルたちと合流しようと思わないでもなかったが、なにしろ、ここ数日は天上軍の奇襲だの、ヴァレリー登場だの、その後の会議だのと状況がめまぐるしく変化していた為、ゆっくりと休みを取る暇さえなかったのだ。(会議と会議の合間に少しだけ休んだが)
 それは、カーレルも同じ事だ。
 軍師として当然、普段から兄は忙しい。そのうえ、騎士団のことやら、ベルクラント開発チームを迎える準備やらと追加するように頭を痛くするような事柄が増えていくのだから尚更だ。
 だから、休ませてやろうと思ったのもある。鬼のような妹でも、いつも鬼でいる訳ではないし、来客(この場合押しかけてきたといっても過言ではないが)がいることが、理由のひとつでもある。
 いくら鍛え抜かれた騎士とはいえ、彼らが正式な兵士ではない以上、寝る間も与えずに軍に協力させるようなやりかたを、カーレルはしない。必ず彼らの為に、休息の時間を設けるだろう。

「休めるなら、ついでに休めば良いのよ、兄さんも。」
 と、薄く暗闇に浮かぶ廊下でひとり、つぶやいてみる。
 もっとも、あのカーレルだ。休める時間があっても、本当に休むかどうか、ハロルドは疑っている。
 カーレルは勤勉であるが、それにもまして、禁欲的な部分が多い。自分とは違う意味での禁欲だと、この場合は言いきれる。
 度がすぎるといっそ自虐的だといつか言ってやろうと思っているが、彼が休む時は、その必要がある時。これ以上、動けば体を壊すと自分で判断した時か(きっとハロルドと同じように納得できないカタチの休息だろうが)決して失敗のできない作戦を前に、本格的に頭を休めておこうとような時に限られると言っても過言ではない。
 間違いなくワーカホリックな兄だが、しかし、戦争に対する仕事熱心さなど、あまり褒められたものではない気もして、その事をハロルドは指摘しないでおいている。言ったら言ったで、彼の熱意の源がどこにあるかに気がついているが故に、どうにも自分を棚上げして話しているような気にもなるだろう。

 そのハロルドはひとり、夜中に自室からラボへと移動をしている最中だった。
 仮眠は1時間ほどで終わり、すっきりした頭で思いついたのは、聖典と呼ばれるレンズのことだった。
 以前、ハロルドがパスワードを開いて会話をした後、それ以降はクマのぬいぐるみの装飾以外に使用したことはなかったのだが、今日はまた違う方面からアプローチをしてみよう、と起きがけの頭で決めたのは、ついさっきのことだ。
 顔も洗わず、髪も梳かさず、そのまま部屋を出てきたハロルドのいつもの戦闘服は、寝ている時についた皺がパニエのふくらみをいびつな形にしている。
 枝の折れた傘のようなスカートにも気にせず、ほてほてと歩くその動きにあわせて、暗い照明の光から、まるで立ちの昇る靄のような薄いハロルドの影が壁へと落ちていた。
 人気がない訳ではないが、夜になると静かな印象になる艦内を、口笛を吹きながら歩いているハロルドの姿に、ある者は振り向いて確認をしたが、ただそれだけという様に、すぐに自分の目的の場所へと意識を戻していた。

 ハロルドは夜が好きだ。
 古くは子供時代から、ハロルドに様々なものを齎す友であり、師でもあった。
 昼間の圧倒的な力強さは夜の濃密さをも目晦まししてしまう。昼の何日と夜の一晩とは等しい存在であって、時折、その目に見えない効果のおかげで研究も、人間関係も、より良い結果を導き出すことがあるほどだ。
 ある意味、光は薄い膜と同じなのかもしれない。孵化する前に卵の殻に閉じ篭っているように、安全であっても、真の意味で自由に飛び立てる世界もそこにはない気がする。
 人が開放されるのには、精神の自由が原則だ。
 どこか冷めて人を見るクセのあるハロルドは、人が自分の道に迷い右往左往する姿を不思議に思っていたが、逆に時折、たった一晩をやり過ごしただけでまるで脱皮したかの如く、劇的な変化を遂げた人を見たことがあった。
 その一夜が、その人に施したモノはきっと、その人自身にしか手に出来ず、また昼間は目の前に落ちていても、けっして気がつかない類のものだったのだろう。それは、きっと夕闇に落ち世界が闇に紛れて見えなくなると同時に、自分自身はよく見えるようになる、といったことなのではないかと思う。


 会議での事もあり、ハロルドはラボに向かう前に一度、アトワイトのところへ寄ろうと思っていた。
 本当にふたりだけで天上城へと行く気があるのか、その意志は決して揺るがないものか、それを確かめる為だ。
 もちろんハロルドは、クレメンテとアトワイトだけでダイクロフトに向かわせるなどとんでもない、と思っている。しかしそうは言うものの、実を言うと・・・他に手立てがないのも事実だ。
 地上軍は一度、ベルクラント開発チームのと接触に失敗をしている。同じようにただ兵士を送ったのでは、二の舞にならないとも限らない。それには説得力があり包容力もあるクレメンテは適任で、更に、どんな時においても優しく、けっして他人への思いやりを忘れないアトワイトが一緒ならば、彼らも心を許すと思われた。(実はハロルド自身が行っても良いと思っていたのだが、初対面の人間のお前に対する印象は最悪だ、とカーレルに止められた)
 ソーディアンの完成を急ぐならば、これ以上の時間をかけている余裕はない。
 ラディスロウがベルクラントに吹っ飛ばされるのが先か、ソーディアンで敵陣に乗り込むのが先か。
 戦局はすでに、そこまできている。
 元より彼らをよく思わない連中がこの地上にはごまんといるのは承知しているし、それは兵士であっても同じことだとは分かっているが、しかしそれとこれとは話が別だ。地上軍に籍をおいている以上、この戦争を終わらせる気があるのなら・・・そこは押しなべてしかるべきではなかったのか。
 
 『復讐は罪だ。』

 いきなりハロルドの頭の中に、まるで牢の中の本人が目の前にいるかのような生々しさで、ヴァレリーの言葉が蘇ってきて、地上軍の兵士も全員がリ・ヴォンを信仰してれば違う結果になったのかもしれないと、皮肉めいた笑みを浮かべる。

 世界とは、己の信じるものと、帳尻あわせの間に合わせを、上手く使い分けしなければと苦しくなる一方の現実だ。
 なのに、リ・ヴォン教は、人を憎むこと、恨むことを禁じているという。
 己を棚上げにして、責任をなすりつける愚鈍さを嫌っての教えなのだろう。しかし、人の気持ちは信仰をもってしても時折縛りきれない。
 ミゲルを恨んで国すら捨てたカルロがそうだった。
 彼の選択を正しいとは思わないが、理解できなくもない程度の同情は、ハロルドも持ち合わせている。


 それに・・・ラルフィルド。

 先日、邂逅したばかりの彼も、自分の感情を復讐に向けられない事に、納得していなかった。
 見かけは想像通り、柔和で礼儀正しく、育ちの良さが一目で知れる穏やかな印象だったが、ヴァレリーに向かって心情を吐露した時ばかりは違ってみえた。
 そもそも、彼はハロルドと目が合った時、確かに正気であったと断言できる。
 ダリアがかつて、姿を消す前のラルフィルドについて、なにか麻薬に酔っている患者のように、どこか危うげな表情をしていたと証言していたにも関わらず、ハロルドと対峙した時のラルフィルドは、冷静で、しごくまともだった。
 まとも過ぎて却って、おかしかったと言っても良い。
 しかし、ヴァレリーにラヴィ・ロマリスクの再興の話を説明しかけた時だけは・・・確かにどこか違うところに向かって話しているかのようだった。
 それは、目には見えないもの、あるいは存在していないものを、あたかも誰もが見ていると思い込んでいるかのような口ぶりで、そして決して自分は間違っていないと・・・少なくとも、彼自身はそう信じて疑わないような歪んだ固執さを含んでいたのを感じた。
 
 それにしても。

 天上が攻め込んできた時に、同じタイミングで現れるなど。

 本当に彼は天上と関係がないのだろうか。

 そして、関係があろうとなかろうと、なんの目的でハロルドを狙い、そしてどこへと消えたのか。

 
 そんなことをなんとなしに考えながら、ハロルドは薄暗い廊下を歩いていた。
 そして、考えに没頭していたあまり油断していたのだ。
 それは、最愛の友である夜の手の中に心地よくいたからかもしれなかったが、その時、確かにハロルドは失念していた。
 夜の暗闇には、影が紛れるということ。 夜には夜を支配する者がいるということ。
 そして、今、ラディスロウは飛行中ではない、ということに。

 

 

 

 


「お前さんは、どうして地上軍に志願したんだ?」
「え?」
 
 捕虜と客人の合間という微妙な立場の騎士たちに、軍から与えられたのは、今は使用しているものがいない兵の為の4人部屋だった。
 ダリアはひとりだけ女性だが、この際実の兄が一緒ということで我慢して貰うしかあるまい、とそっけないほど何もない部屋を見回しながらカーレルが思っていると、ふいに、カルロがそんな事を言い出した。
 ヴァレリーとダリアは、ふたりで、軍の食堂に夜食を取りに行っている。

「志願した理由、ですか?」
 どうしていきなりそんな事を訊かれたのかが分からないという表情のままのカーレルに、
「あんたたちが、この軍にとってかなりの重要人物であるって事が、はっきり分かってきたからな。」
 噂以上に、とカルロは、目を細めながら顎を撫でる。
 その顎には不精髭が伸び始めていた。カルロはここ数日、山火事でラディスロウに避難してきた時に宛がわれた、民間人用の大部屋には戻っていない。髭剃りの類を持ってきていたとしても、きっと大部屋にほったらかされた荷物の中の筈だ。
 後で、この部屋に生活必需品の類を届けさせようとカーレルは思った。
「だからこそ、逆にあんたたちがもしも軍に志願してなかったら、地上軍が今のように天上と対等にやりあえたかどうか分からない、と思ったんだ。」
「対等と言うのは、買いかぶりすぎですが・・・。」
 今でも、地上軍劣勢という世論は揺るがない。
「地上軍に志願したのは・・・・。」 
 地上を開放しようと思ったから、とカーレルは言おうと思った。
 いつまでも天上の言いなりはごめんだから、と。
「ミクトランとやりあえるから、ですかね。」
 しかし、口から出たのはそんな言葉で、一瞬、カーレル自身、目を見開いたほどだ。
 だが、一度口から出たものはもう取り戻せない。
 カーレルは、面白そうに目を細めたカルロを確認すると、自分の失敗を嘆息してから、それはそれで仕方ないものと開き直った。
「なるほど。」
 カルロは言った。
「お前さんは、天上軍というより・・ミクトランの相手をしたかった訳だ。」
「・・・・・ええ。」
 ひとつ頷き、カーレルは苦笑する。
「その通りです。」
 

 カーレルはかなり若くして地上軍に志願した。
 それはディムロスよりも、アトワイトよりもずっと早い。今の上層部で、彼と同じくらいの年の人間での先輩兵はひとりもいないし、ソーディアンチームではクレメンテの次に軍の在籍が長い。しかし逆に、年齢はシャルティエから数えて下から二番目で、ディムロスよりも若い。
 戦場に出て手柄をたてた訳でもないのに、カーレルがその驚くべき若さで、軍師という絶対無二な立場と、中将という階級を得たのは、それに相応しい功績を長い軍在籍歴の間にあげ、周囲になくてはならない逸材であることを、嫌というほど見せ付けてきた結果だった。


「今、俺の思っていることを、口に出して聞いて良いか?」
「どうぞ。」
 苦笑するカルロに、カーレルは先を促す。
 カルロは、じゃあ言うが、ともう一度断った後、
「お前さんは、自分ならミクトランに勝利できると思っていた。」
 おっかないやつだな、とカルロは言った。
 それに対して顔色も変えず、
「ええ。」
 カーレルはにこりと笑った。
「子供だった時は、誰にでもあるものです。」

 子供だった、というのは今は子供ではない、という意味だ。果たしてカーレルはいつから子供でないと言えるのだろう。

 カーレルは幼い時から、常にこの世に自分よりも優れていて、けっして追い越せないレベルの人間を間近に感じて育ってきた。それは世界が丸い事と等しいほどの絶対で、カーレルの上に君臨していた十全たる事実だった。
 彼の妹があるいは、同じ同性の弟だったとしたら、もしかしたらカーレルが幼い心に抱いた感情は違ったものになったかもしれない。
 しかし彼にとっての最大の天才は、小柄で体も弱く、その頃は精神的にはもっと脆く、手の中で捻り潰してしまえそうなほど、か弱い小鳥のような・・・女の子だったのだ。天才に対する嫉妬ごときで、どうしてそのか弱いものを握りつぶせただろう。
 天才ではなくても天才に近く、かつ精神的にも成長の早かったカーレルは、早い時期から慈悲深い心を身にもつけていた。
 だからこそ彼は・・天才の妹と、天才を持つ優れた両親というある種の特殊な家庭で育ったにも関わらず、曲がらず、偏見も持たない、普通の、幸福な子供時代を過ごしたのだった。
 

「私たちの父親も、科学者でした。」
 カーレルは言った。
「・・レンズ工学に最初から着手していて・・・一時期はその道の権威として名を馳せていたようです。」
 今でこそ高エネルギー体として、当たり前の様に使用されているレンズだが、彗星が激突した当初から好都合な道具として着目されていた訳ではない。
「当時は、ダイクロフトへの誘いがありました。」
「ダイクロフトへ、か。そりゃあ・・・すごいな。」
 なんと言ったものかと思ったようだが、結局カルロは素直に、感心を口にした。
 ミクトランが、元々の裕福な人間以外に、自らがこれぞと思う優秀な人間に特権階級を与えたのは有名な話だ。ミクトランに認められるなど通常ではありえないが、多くの優秀な人材が外殻へと赴くことで、天上からの支配が絶対的なものになることを狙ったのだろう。
 しかし、その思惑に気がつき、反発した者も、地上に多く残っている。
「私の父も、ミクトランへの協力を拒みました。」
 その選択は間違っていないものに違いない。しかし。
「父は同時に、自分のその選択を恐れても、いた。」
「恐れる?地上に残れば、死ぬかもしれないからか?」
「それもある意味では正しいでしょうが・・・。正確には、ミクトランを恐れていたのだと思います。」


『あれは天才だ。』
 かつて、父が言った言葉だった。
『人の気持ちを自在に操る術にたけ、煽る術をすでに手中に収め・・・そのうえ、科学にも精通している・・・。』
 天上で王を名乗るだけのことはある、と。
 それは、母とふたり、まるで弱音であるかのように、密やかに交わされていた言葉だ。

『いつか必ず・・・。』

『あれは、世界を我が物とするだろう。』

『その頃に、地上にいる全ての生き物は死に絶えているかも知れぬ。』

『しかし、それでもあれはするだろう。』

『あれを止めることができるものなど・・・。』

『この地上に果たしているのかどうか・・・。』


 夜中に喉の渇きで目を覚まし、水を取りに行った時に、偶然見てしまった光景だった。
 カーレルは、その時の言葉を、今でも一文一句、間違えずに思い出す事ができる。

 天才。

 父が、その言葉で他人を表現したという衝撃は大きかった。
 天才という言葉が、この世で、ハロルド以外に使われることなど、ありえないと思っていたから。

 天才という冠は。
 ハロルド以外が頭上に乗せるものではない、と思っていたから。


「私はこの目で見たかったのかもしれません。」
 天才と称される、その人物を。
「そして、挑みたかった・・・。」
 それは、男で、赤の他人で、小鳥ほどか弱くもない。しかも、ハロルド以外が持ってはいけないものを持っている。
 幼心に妹のものを横取りされたような気分になったのかも、しれない。
 どんな理由にしろ握り潰すのに、なんの遠慮もいらない人物だった。


「そして、妹のハロルド以外で、私が負ける人物がこの世にいるなど思えなかった。」
 なによりも父が。
 その事に気がつかないことが悔しくもあった。

『あれを止めることができるものなど、地上にいるかどうか。』

 他でもないこのカーレル・ベルセリオスがいるという事を。
 

「まあ、世間を知らない子供時代の話ですが。」
 自分の能力を過信する時くらいあった訳ですよ私でも、と飄々とした体で笑うカーレルに、やっぱりあんたは食えないな、とカルロは言った。
「やつよりも自分が優秀である事を証明するには、やつと本気でやりあうのが一番だ。そして、やつを負かした暁にはそれが正しかったと、世界はあんたを賞賛する。」
 でも、あんたはその賞賛が欲しい訳じゃないんだな、とカルロは苦笑した。
 ええ、そんなもの不要ですとカーレルはきっぱりと答える。

 今思えば、父はカーレルを過小評価していた訳ではなかった。父は父であるが故に、わが子たちを意識の外へと追いやっていたのだ。ふたりをこの戦争に参加をさせる気など毛頭なかった。しかし、その思惑は幼かったカーレルには届かなかったのだ。
 カーレルが地上軍に参加する旨を伝えた時、賛成も反対もしなかった父の、ただ静かだった眼差しを、今でも時々思い出す。

「まったくもって、そんな小さな拘りに端を発して軍に志願してしまうなど・・・。」
 まるで人事のような口調で、
「諦めの悪い子供は始末に追えない、という事ですよ。」
 カーレルは言った。
 

 

 

 

 

 ハロルドがその異変に気がついたのは、廊下を曲がりラボのドアを見た時だった。

 ラディスロウはレンズで稼動し、いつでも明るく艦内を保っているとはいえ、資源不足の都合上、個人の私室まではレンズの電気は需要していない。故に、廊下のような公共の艦内よりもランプを使用している室内の方が暗いのだが、ハロルドのラボだけは別だ。それは多数のコンピュータが稼動中であることも理由のひとつだが、常に研究者たちがあれやこれやと電気を使う実験を試みているからだ。
 一方、夜半になるとラディスロウは電気による照明の明るさを落とす。外殻が形成され、太陽は今や天上軍のものとなったとはいえ、隙間から漏れ出すわずかな光は、外殻の側面を反射し地上を薄く照らしている。その光すら星の影に隠れる夜に、こちらの本部が灯りを煌々と照らしていては、上から的にしてくれと言わんばかりだからだ。
 今や日が落ち、明るさを調整している廊下に、いつも見えているラボの強い光が見られなかった。その代わり、ちらりちらりと蠢くような光の跡が、ドアの隙間から零れ落ちている。
 ラボには研究のデータがある。警戒心を忘れ、ハロルドは思わず走り出していた。

「・・・・どういうこと・・!?」
 荒々しく音をたて、開けたラボのドアの向こうは、暗い闇に包まれていた。
 いつも誰かしらが起きているラボと同じとはとても思えなかった。羅列するコンピュータがなければ、あるいは部屋を間違えたと本気で思ったかもしれない。
 しかし、ハロルドの見慣れたコンピュータ群は全部が未だ起動中で、ひとりも見る者がいないディスプレイに、細かい計算式を延々とはじき出している。
「どうして、こんな・・・誰もいないっての?」
 暗闇の中、ディスプレイの光を頼りに、照明を探す。
 慣れたラボだが、ハロルドの記憶にある限り、スイッチを入れて室内を明るくしたことなど一度もない。ここは、明るい事があたりまえの場所だったからだ。
 数歩を横によたよたと歩き、壁に手を伸ばした時、足元に転がっているものにつまづいて、ハロルドはあやうく転びそうになった。
 その蹴飛ばした柔らかい感触に、ぞっと背筋が寒くなり、慌ててハロルドはしゃがみこんだ。

「テアドアッ・・・!」
 コンピュータから漏れる光を頼りに、倒れている人物にすぐ近くまで顔を寄せて確かめれば、それはテアドアだった。
 ハロルドの声に、ううう、と唸るような声を漏らしたが、目を開ける気配はない。傍に落ちているメガネはツルが曲がり、左のレンズにはヒビが入っている。
 そのメガネには見覚えがあった。品良く細く、白いフレーム。テレサのものだ。
 だが、そのテレサはどこにいるというのか。
「なんでこんなことになってんのよ!?」
 思わずハロルドが怒鳴り声をあげると、それを合図にしたように、ドンドン!となにかを叩く大きな音がする。
 音の方向を見れば、それは荷物置き場に利用している控え室で、人が中にいる時などに遮断する目的で外側からかけられたカーテンが、今はひかれていた。
 そのカーテンに飛びついて、勢いよく開く。
 シャッ!と蛇の威嚇の声のような音を出して、開かれたカーテンの向こうには、ハロルドのラボの科学者たちが全員、狭い倉庫の中に閉じ込められていた。
「博士!!」
 どんどん、と扉を揺らし、全員が叫ぶ。
 倉庫には中からも鍵がかけられるが、外側からならロックもできる構造の為、閉じ込められてしまうと出る事はできない。その中に押し合いへし合いといった状態で入り込み、全員が半泣きという情けない顔で、ハロルドをすがるように見ていた。
「待って。今、ロックを・・・・・。」
 言いかけ、その言葉は最後まで続けられることなく、途切れた。


「手荒なマネはしたくなかったが・・・。騒がれては困る。」


「・・・っ!」
 振り向いたハロルドの視線の先にいる人物はたぶん、突然現れた訳でも、音もなく入り込んできたのでもない。
 初めからそこにいて、ハロルドが入ってきたのを見ていた。
 ドアを挟んで向こう。闇に溶け込むかのように静かに、腕を組んで壁に凭れている。
 そのあまりにも静かな気配は、闇の中に容易く紛れ、まるで黒い服に夜そのものを縫い付けているかのようだった。

「あんた、どういう・・・。」
「一緒に来て貰うぞ。ハロルド・ベルセリオス。」
 ハロルドが言い切らぬうちに、被せるようにして声が重なる。
 静かだが、一方的な物言いだった。ハロルドは自分の意思を無視されるのが好きではない。

「・・・また?」
 声に敵意をにじませ、ハロルドは言った。
「まったく、あっちからこっちから、モテてモテていやんなっちゃう。この美貌のせいかしら?」
「さぁな。」
 相手はハロルドの軽口に笑いも、苛立ちもしない。
 そっけなく、会話など無用だと言わんばかりに、面倒臭そうに言い切った。
「そっちは僕の管轄ではない。」
「だったら、どっちがあんたの管轄なのよ?」
「お前が知る必要はない。」
 自分に関係のあることに知る必要のないことなどあるものか。
 そう言おうとして口を開きかければ、またしてもそれを遮るように、静かだか鋭い声がかぶさる。
「時間がない。さっさとしろ。」
 しろと言われて、ついていくバカもおるまい。
 そろそろと後ろ手にナイフに手を伸ばし、ハロルドは言った。
「なんの時間がないのよ?」
「ぐずぐずして居場所が知れるのは、歓迎できない。」
「・・・逃げ回る理由が、あんたにはあるっての?」
 居場所が分かるも分からないも、ハロルドがいるのは地上軍のラディスロウに決まっている。だから、この場合はハロルドの事ではないと推測できる。
 だが、その理由とはなんだ?そして、誰から逃げる?
「勘違いしているようだが。」
 そう言う相手の声には、薄く笑いが含まれていた。
 それをハロルドは、別段意外には思わなかった。ただ、ここは笑う場面なのかどうかの方が気になった。
「時間がないのは、お前の方だぞ?」
 さっぱり分からない。
「行きたくないって言ったらどうする?」
 理由もなにも分からず、どうしてここから逃げるようなマネをしなければならないのだ。
 そういうと相手は笑った。
 今度ははっきりと漏れる息の音が聞こえた。まるで溜息のような笑い声だった。
「たとえ、その理由が分からなくとも。」
 声は言った。まるで、断言しているかのように。
「必ず、お前は来るさ。」

 

 

 

 


 

 ラルフィルドのことで、前から疑問に思っていることがある、とヴァレリーは言った。
 何度も確認するまでもなく、ラルフィルドの行動そのものの理解不能さを、今更問いたりはしまい。
 なんです?とカーレルが問うと、それについてはあんたの妹にも確認したいんだが、とヴァレリーは言う。
 それで、ポケットの中に入れたままのレンズを返しがてら、今度はこちらから奇襲をかけようと、カーレルは3人を連れてハロルドのラボに向かっていた。
 いつもこちらが忙しい時に限って押しかけてくるはた迷惑な妹だ。今更、こちらから突然訪ねたところで文句を言われる筋合いはないと思われた。

「しかし、この戦艦の内部は覚えにくいな。」
 歩きながらカルロが言った。
「そうですか・・・?」
 常駐しているからなのか、カーレルはそう思ったことは一度もない。
 ただ、万が一に天上に攻め入られた場合(今回のことで、それは万が一ではないという事が証明されてしまったが)指揮官であるリトラーを守る為、司令部の場所などを分かりにくく設計してあるのは確かだ。
「けれど、ダイクロフトほどではありませんよ?」
 兄とは違う感想を持ったのか、ダリアが明るい声で言う。
 天上城とは規模も違うが、きっとそれ以前の問題だろう。
 ダイクロフトの内部はミクトランの異様なこだわりのせいで、すぐに様変わりすると聞く。そんな異常事態とではラディスロウでなくとも、比べようもない。

 一度階段をあがり、しばらく直進してからまた下る。
 階段を使わないでも行けないことはなかったが、途中で格納庫に繋がる為、大層な回り道になるということを説明しながら、3人を伴ったカーレルがラボのドアを見た時、ハロルドが感じたのとまるで同じ違和感を感じた。
 ドアの隙間から明かりが漏れていない。それどころか・・・そのドアが半分、開けっ放しになっている。
 カーレルはいきなり走り出した。
 つられて走りだした3人も、飛び込む前にラボの様子がおかしいことに気がついた。
「・・・これは・・・!」
 室内は暗く、照明は落ちている。
 コンピュータは、いつもの様につけっぱなしになっているが、そのひとつにナイフがふかぶかと刺さっている。
 近づいて確かめるまでもなく、それはハロルドのナイフだ。

「中将ーーー!」
 どんどんと壁を叩く音がして、驚いてそちらを振り向けば、以前ハロルドたちと篭って話しあった倉庫の中に、何人もの科学者が閉じ込められている。
 開けて下さい!と必死の形相で叫ぶのに、慌ててロックを解除してやれば、全員がもつれ合うようにして、中から出てきた。
「どうしたことだ・・・!?これは!?」
 カーレルが質問すると、それが!と科学者のひとりが、泣きそうな顔で言った。
 長い髪で、以前、カーレルのレンズの実験を手伝っていた女の科学者だった。ハロルドにはたしか、テレサと呼ばれていたと思う。

 同時に、ラボの明かりがついた。ヴァレリーがスイッチを探し出したらしい。
 見れば床に、白衣を着たひとりが倒れていて、仲間の科学者たちに介護されていた。

「ハロルド博士が・・!」
 テレサが叫んだ。
「ハロルド博士が、連れて行かれてしまったんです・・!」

「なに!?」
「どこのどいつにだ!?」
 色めきたった騎士たちに気がつき、テレサは一瞬、警戒心を抱いたようだったが、それでもカーレルに伴われているという事を考慮したのだろう。それが、と荒い息を整えるようにして、言葉を紡ぐ。冷静な伝達が必要だと我に返ったようだった。
「私たちが研究をしていたら、いきなり入ってきた人がいて。」
 それは、あまりにも素早く無駄のない動きだったという。照明を消され、視界を奪われたことで、身動きできないようにされてしまったらしい。そんなことで大人しくしちまったのかよ、とカルロは批難するような口調で言ったが、そこは兵士と科学者の違いだ。元々戦闘能力皆無の引きこもりには、それだけでショックが大きかったと見えた。ましてや、ひとりでたち向かおうとしたがテアドアが、一瞬でのされてしまったことで、わずかな戦意も喪失してしまったとしても、責められない。
「そこへ、ハロルド博士が来てしまって・・・!」
「それで、攫われたのだな?」
「はい。」
 それを聞くと、カーレルは踵を返して、通信機へと向かった。
 リトラーに連絡をする為だ。
 相手が今どこにいるかはわからないが、ラディスロウの外へ出してはならない。

「ハロルド博士を攫ったってのは。」
 カーレルの報告する声を聞きながら、割れたメガネを拾い上げようと屈んだテレサに視線をあわせ、ヴァレリーは言った。
「どんなやつだ?」
 テレサは首を傾げ、
「わかりません。」
 と答えた。
「知り合いに、あんな人はいないので。」
「・・・・・。」
 微妙に会話が食い違っていることに、テレサは気がつかないようだった。ハロルドを攫うような人間が、知り合いである訳がない。
「人相は?なにか特徴はないのか?」
「顔はあまり・・・照明が落ちて暗くなった時、初めて人が入ってきたのに気がついたくらいですから。・・・でも、コンピュータのディスプレイに照らされた、黒い服が見えました。」
「黒。」
「ええ・・・マントも。」
 3人は顔を見合わせた。

 それは騎士のシルエットと酷似している。

「まさか・・・。」
「ラルフィルド、か?」
「ありうる。」
 なにしろ、いきなりラディスロウに現れ、いきなり姿を消したのだ。
 飛行中だったラディスロウから無事逃げおおせるよりも、どこかに潜伏しているほうが容易い。
「あ〜、そいつの制服なんだが。」
 思わず口を挟んだのはカルロだった。
 なにか?とテレサは訪ねる。
「エンブレムの色はなんだった?」
「エンブレム?」
「肩の。」
 ここらへんに、とカルロは自分の肩口を指差す。
「マントを留めるためのエンブレムがついてなかったか?」
 
 黒鶫騎士団は、それぞれ所属する隊を現わす異なったエンブレムをつけている。
 ダリアの率いる第二騎士団のエンブレムは青、ヴァレリーの第三騎士団は緑、それぞれそのうえに飛行する鶫のモチーフが縫い付けられている。
 押し入ってきた人間の黒い制服に、第一騎士団の赤いエンブレムがついていたなら、それはきっとラルフィルドだ。

「見ていませんが・・・いえ。」
 ちょっと待ってください、と記憶を確認するように目を細め、
「一瞬だけ見たような・・・黄色?」
 自信がなさそうに、テレサは言った。
「いえ、金・・・獣の。」
「獣?」
「そうです!豹!確か、豹の背中と同じ模様が施されてました!」

「・・・・・っ!」
「豹?」
 鶫じゃなく、と言うカルロとは対照的に、ヴァレリーが無言のまま、背を向けた。
「・・ヴァレリー殿!」
 その背にダリアが叫ぶ。
「ヴァレリー殿、そんな・・・。」

 とたん、そこにあったワゴンが蹴られ、激しい音をたてて転倒した。
 
 乗せられていたビンが床で派手に飛び散り、リトラーと通信をしていたカーレルが、音に驚いて振り返る。
 視線の先ではヴァレリーが、床を睨みつけていた。そのまま固まったようにぴくりともしないクセに、その内部に渦巻く感情が激しいものであるのだけは遠くからでも見て取れる。科学者たちは怯えたように、ヴァレリーから距離を取っている。
 

「・・・あのヤロウ・・!」
 血を搾り出すような声で、ヴァレリーが叫ぶ。
「なんのつもりだ、あの野郎!博士を守れって命令はなんだったんだよ!」
 それでカーレルは、ハロルドを攫ったその人物が、誰であったのかに気がついた。

「エンブレムは、隊によって定められている。」
 ダリアは兄に説明する為に言った。
「けれど、ひとりだけ騎士団の中でも自由なエンブレムをつけているわ。どの隊にも所属しない、それがその人の位の証。伝統的なことでしょ?」
 目を見開く兄に、泣きそうな顔になりながらダリアは続けた。

「豹は、ビショップの好まれたモチーフなの。」
 かつて、まるでご自分の姿を現わしているかのようではないか、と騎士たちは囁き合っていた。
「それじゃ・・・。」
「そうだ!」
 カルロが確かめようとする声にかぶさるようにして、ヴァレリーが叫ぶ。
「博士を攫ったのは・・・サロメの野郎だ!!」

 まったくこれはどういう状況なんだよ!と髪を掻き毟りながら、ヴァレリーが唸った。

 

 

 

 

 

 

 

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 サロメが出てきたと思ったらすぐ終わる。次こそサロメはきちんと出てきます。
 カーレルの志願の理由なんてこれまで一度も考えたことなかったのですが・・・。ミクトランって絶対的な存在で、対峙する相手として語られる時、かならずリトラーかハロルドですよね。とどめを刺したのはカーレルのなのに。それが少し腑に落ちなかったので、このエピソードです。私の中ではあくまでミクトランの対戦相手はカーレル。相手にとって不足ありとは言わせません。

('08 4.13)