怒りはおさまりはしなかったのだろうが、ヴァレリーが器具にやつあたりするほど荒れたのは一瞬で、その後は、口を開かなかった。
ハロルドの行方という気がかりを抱いていた故に、尚更の冷静さを己に課しながらも、やはり落ち着かない気持ちで、カーレルは騎士たちの様子を伺っていた。
緊急事態の伝令に一斉に、ラディスロウ内部では兵士が動いている事が分かっているのに、焦って闇雲に動くほど、地上軍の軍師は愚考ではない。たとえ、内心は穏やかでなくとも、表面の冷静さを失わないくらいの分別は、兵歴の長い彼にはあった。
そのカーレルの目の前で、不機嫌そうに眉を顰めたまま、ヴァレリーは壁に寄りかかり、なにかを思案しているのか目を閉じている。
ダリアは、ひどく憔悴しているように見えて、カルロはそんな妹をいささか心配そうにしながら、横に黙って立っていた。
この一年の間に相次いだおかげで、騎士の失踪は珍しいものでもなくなった。いつかはまみえる時が来るかもしれないとダリアも覚悟はしていただろう。しかしこうも立て続けに同胞と対決するとなると、精神的な疲労は相当なものなのかもしれなかった。
その中、カーレルはカーレルで思案を進める。
カルロにも、敵なのに誉めているようだと言われたが、実際、何も考えなしにハロルドを攫うほど、あの人物は愚かではなかった。
親しい時期すらなかった関係だが、たとえどんな状況に陥っていたとしても、なんの策もなしに無謀な行動にでるなど、それだけは考えられない。なにか目的があって、その目的が検討もつかないからこそ、こちらからは暴挙と映るだけで、実際に裏にあるものを・・・その意味するものが欠片でも掴めれば、彼がこれから取るであろう行動もきっと予想できる筈だ。
・・・所詮、ハロルドを攫われたことに対する言い訳に過ぎないか・・。
なんの根拠もない自信など、意味はない。
そう、おめおめとハロルドを連れ去られたという事実を、一番納得できてないのはカーレルなのだ。
実のところ、カーレルは疑ってもいた。
もちろん、そうではないと思っているが―なにしろソーディアンの完成前なのだ―好奇心旺盛なあの妹が、自ら彼についていった可能性が1%もないと言いきれるのか、と。
今頃、司令室で大勢が慌てふためきながらも、そのなかの何人かは、カーレルと同じ疑いをちらりとは持ったことだろう。
それを心外だと怒るようなら・・・今度こそハロルドに、日頃の素行を悔い改めろと言ってやらねばならない。
それよりも今は、ハロルドを取り戻すことが先決だ。
テレサたちの話を聞くに、カーレルたちがきた時、ハロルドが連れ去られたのと、ほとんど入れ違いだったらしい。ならば、ハロルドはまだ艦内にいる筈だ。外に連れ出される前に、なんとしても奪い返さなければならない。
「・・・しかし、なぜこうもハロルド博士なんだ・・・。」
ぽつんとひとりごとのようなヴァレリーの声が聞こえて(実際、ひとりごとだったのだろう)全員がそちらを向いた。
「俺に守れと言ったり、連れ去ったり・・・。あいつの行動を読もうにも・・・それ以前の問題だ。なんだって『ハロルド博士』にそれほど拘るんだ。」
「・・・ラルフィルド殿も。」
「これで襲撃は合計で4回だ。いくらなんでも・・・多すぎる。」
「しかし、博士は戦争を左右されるとまで言われてる天才だぞ?」
なにを疑問に思う、というようにカルロは言った。
「いなくなってくれりゃこの戦争に勝ち易いだろう。天上兵なら、誰でもハロルド博士の命が欲しいのでは?」
「それなら、いっそ殺しちまえば良い話じゃねぇか?」
カーレルの前だが、この際勘弁してくれ、というように視線を送った後、ヴァレリーが言った。
「だが、俺が思うのはそこじゃないんだ。サロメのやつまでが、ハロルド博士に拘るっていう事は、天上がハロルド博士を狙っている理由を、あいつは知ってるって事じゃないのか?」
そもそも、天上軍がラヴィ・ロマリスクの投降の意志としてハロルドを捕獲しろ、と言い出したのが発端だった。それを1回目として、2回目が実際に騎士団によって天上にハロルドが連れ去られた時だ。
「3回目はラルフィルド。」
ただし、ラルフィルドと天上と関わりが掴めない以上、一緒にはせずに考えるべきなのだろうが・・・。
「それにしても、ビショップはハロルド博士の身になにが起こっているのか、またはこれから起こるのか、それを察していたというのは間違いないでしょうね。だからこそ、ヴァレリー殿に守れと命令を下した・・・。」
「ま、そいつが天上でミクトランと結託してなけりゃあだが。」
カルロが言って、ダリアに睨まれる。
「結託ねぇ・・・。」
ヴァレリーはそれに対しては気に障った風でもない。ただし、呆れたようにカルロを見た。
「ミクトランとやつは、敵対してたって何度も説明してるだろ。あんたもしつこいな。」
「だから、それはお前がそう思いたいだけじゃないかってのも、何度も言ってるよな?俺は。」
カルロもそうは言ったものの、
「しかしまぁ・・・。そうなるんだろうな、やっぱり。」
とヴァレリーの意見に同意を示した。
サロメが、勝手に危惧し、事が起こる事を案じてヴァレリーに命じたという可能性もなくはない。
しかし、その命令があってもなくても、ハロルドが狙われているという事実は変わりようがないのだ。だとしたら・・・実際に、サロメは、その理由と、そのうえ・・・ミクトランはハロルドを諦めないだろうと判断していたという方が自然だ。
「お前は、その検討はつかないのかよ?」
カルロに問われ、さっぱり、とヴァレリーは首を振った。
しかし、黙って見ていたカーレルは、それをそのまま信じられるとは思っていなかった。
もともと、血約の誓いによって、口止めをされているヴァレリーだ。たとえ実際に聞かされていたとしても、口を割りはしないだろう。
その時、音が響き、感に触るようなハウリングの混じった音が響き、マイクが繋がった。
『カーレル中将、応答願います!』
「聞こえている。」
『ハロルド博士らしき人物を連れた怪しい人物を発見したとの連絡あり!格納庫にて応戦中との事!』
「格納庫か・・・。」
連絡に対し、すばらしい反射神経で、ぱっと騎士たちは身を起こしたが、カーレルは舌打ちをした。
行き違いになった。
遠回りでも、階段を避けて研究所に向かっていれば、ここまで来るまでもなく、ハロルドを連れているところに遭遇していた筈だ。
結果的に、余計な時間のロスに繋がってしまった。
各隊に格納庫へ応援に向かうように指示した後、自らも研究室を出たカーレルの後を、当たり前のように騎士たちもついて来たが、実際、カーレルは彼らを連れて行くべきかどうかを走りながら思っていた。どう判断すべきか迷う。
今までならば、騎士たちは共闘相手といっても過言ではなかったが、相手が彼らの総長になった今、状況は変わった。
このまま格納庫に着いた途端、彼らが総長に味方しないとも限らない。総長の思惑が分からないからと言って、行動を妨害する部下などいないし、また、たとえ分かっていても、それが意にそぐわないという理由で、命令違反をしてまで、地上軍に味方するとも思えない。
やはりここは、騎士たちの同行を許すべきではない・・・。
軍師としてはそうは判断するものの、彼らの説得にかける手間を考えた瞬間、カーレルは時間を惜しんだ。
いざという時は、自軍の兵士に騎士たちを拘束させるしかない、と覚悟を決め、格納庫への道をひた走る。
そのスピードは、自分の気持ちよりも、遅く感じられた。
格納庫についた途端、カーレルは驚愕に見舞われた。
あたりには倒れている兵士が山となり、その全ては無論、地上軍のものだ。
ラディスロウは本拠地であると同時に攻撃拠点でもある為、駐在している兵士も戦闘慣れしているものが必然的に多くなっている。その全てがこうも簡単にのされたとあっては、弱い以前の問題として、本当に地上軍の勝利は危うい。
半ば自棄のようにカーレルはそう思案して、気を失った大勢の兵士が倒れているなか、ひどくうるさく物音が響く格納庫内を見回した。
格納庫は無事だったとはいえ、天上軍からの被害にあった、左後方部分に位置している。
敵はラディスロウに開いた穴から侵入し、そこからハロルドを拉致して逃げるつもりだったのだろう、と誰もが思うように、カーレルも推測した。
だから、この広い空間のなかで、戦闘になったのは幸いともいえる。この先まで進まれると狭い通路が続いていて、兵士たちも思うように攻撃できないに違いないからだ。
・・・それにしても。
カーレルは薄ら寒い思いがする。
・・・たったひとりにここまで苦戦を強いられるとは・・・。
まだ応援の兵が到着していないこともあるのだろう。辺りには警報がうるさく鳴り響いているものの、剣の切りむすぶ音や声などは聞こえてこない。
よもや、すでにここを後にしているのか?とカーレルが危惧し始めた時、どさり、と米袋のようなものが落ちる音がして、一同はそちらへと注意を向けた。
格納庫に並ぶ、飛行艇の陰から、後ろ向きによたよたと地上兵が現れ出てきて、そのまま、そこに崩れ落ちた。
間をおかずして、同じように飛行艇の陰から現れた黒い姿に、思わず息を飲む。
それは、敵同士が対峙しているにしては、妙に静かで、落ち着いた場面だった。
「・・ビショップ・・・。」
横から放たれたダリアの声は、濃い戸惑いを滲ませている。
その横でカルロも戸惑ったように身を揺らし、ヴァレリーは何事かを覚悟していたかのように無言だった。
現れた影は、やはり彼だった。
それに対して、カーレルは思わず溜息をついていた。それは安堵の類がさせたものだった。彼の身の上を案じたことなどないのだから、この場合の安堵は、きっと自分の為なのだろう。
もしも1年前に、彼まで失っていたら、罪悪感は今よりも、もっと酷いものになっていたに違いない。しかし彼は生き残り、天上軍として、ヴァレリーを迎えに来た・・・。
あの時、雪の中で彼に再会した時の、複雑な安堵と今の溜息は種こそ違うがよく似ている。
ダリアのつぶやきが耳に届いたのかどうかは分からない。
しかし、ほぼ同時のタイミングで、彼は眉を顰め、離れていてもそうと分かるくらい、あからさまに舌打ちをした。
その胸中を推測するに、このラディスロウに、自分の部下が・・・ラルフィルドを追っている筈のダリアと、ハロルドを守るように命じたヴァレリーのふたりがいるとは思っていなかったのだろう。
その表情は、面倒なことになった、と言わんばかりだ。
「ビショップ・・・なぜ。」
ダリアが一歩踏み出そうとした時、ちょっと待てとカルロがその手を掴んだ。
「・・・来ますよ。」
カーレルは言う。
え、とダリアが我に返って振り向いた時には、すでに彼は動いていた。
まるで一陣の風のように、黒いシルエットは彼らの前の躍り出ていた。
同時に、鋼がぶつかりあう音が響く。
「・・くっ・・!」
咄嗟に抜いた剣で、ヴァレリーがその攻撃を受けとめなければ、カーレルは刃を浴びていたことだろう。
刃の切り結ぶ音は、キンと軽く、彼の攻撃は重さよりもスピードに長けている一撃なのだ、と遅れて気がついた。
その剣技のあまりの速さに息を飲んだ後、ヴァレリーのおかげでできた攻撃の合間に、カーレルは体勢を立て直す。
軍師という出陣しない身の上故、最近ではめったに抜かない剣を抜き(それでも帯刀していただけ今日はマシな方だ)それを彼に向けた。
剣の先にいる彼は、回りを囲まれ、1対4人という体勢でも、表情すら変えなかった。
その代わり、面白くもなさそうに(たぶん構えだけで、カーレルの剣の腕はわかるのだろう)握っている剣を一振りすると数歩退き、避ける為に身を引いたカーレルたちと、自らの間にさらなる距離をつくった。
「・・・てめぇ、ふざけんなよ!」
カーレルを後ろにして、庇うように前に割り込みながら、ヴァレリーが唸る。
彼の憤りはここにきて、頂点に達したらしかった。今もその視線だけで相手を焼き殺せるほどの激しさを持って、サロメに対峙している。
彼の最も従うべきサロメに。
「なんのつもりだ、え?お前まで、可笑しな行動しやがって・・・!」
「お前、まで?」
薄っすらと笑みを浮かべ、彼はヴァレリーに応える。
「僕は僕の意思に忠実に、間違いない行動をしているがな?一体誰の話だ?」
「とっぼけんな!分かっているだろうが!」
ヴァレリーが怒鳴った。
「ラルフィルドだ!」
その瞬間、さっとサロメは、体温を下げたように見えた。
片目を眇めるようにして、ヴァレリーを見、それから、会ったのか、と言った。
「ここに攻め込んできやがった!目的はてめぇと同じ、ハロルド博士を拐す為だ!」
裏で繋がってるんじゃねぇのか、とヴァレリーが疑えば、
「同じ?」
まさか、というように彼は笑い、
「・・・知らんな。あいつがどこでなにをしてるかなど、知った事ではない。僕ならあいつをもっと上手く使う。」
「使う?何をさせる為にだよ?」
「さあ?」
あくまでも、冷静さを失わず、こちらの問いかけにはまともに答えもしない。
「そんなことよりヴァレリー。」
そのクセ、落ち着いて顔で笑みを浮かべ、そんな事を言う。
「お前は、僕の敵か?味方か?」
「今この状況で新しい命令でも下す気かよ!?」
「まさか。・・・お前自身がどうするつもりなのかを確かめているだけだ。」
お前の意思を尊重する、要するにそう言われたようなものだ。
それを聞いて、ヴァレリーは一瞬だけ、揺らいだように見えた。
絶対服従を誓った以上、彼はヴァレリーに、邪魔をするなとも、ここでカーレルたちに刃を向けろとも、しようと思えば命令できた筈だった。
けれどサロメはそうはせず、その事がヴァレリーの心情に訴えるものがあったのは、きっと事実だ。
「・・・俺は。」
しかし、ヴァレリーの迷いは、ほんの一瞬のことだった。
「こんなやり方は認めん。」
騎士ならば、正々堂々と立ち向かうべきだ。
何ゆえのこの行為なのかを相手に説明し、そのうえで、戦いを挑むべきだ。
こんなやりかたは不意打ち過ぎる。
唸るようにヴァレリーがそう言うと、
「相変わらず、潔癖だな。」
彼らの総長は薄っすらと笑った。
彼らの決裂はその一言で決定した。
ガキン!と激しい音がして、ヴァレリーの体が後ろに退いた。
ヴァレリーは舌打ちし、返しの手で斬りこんだが、刃は相手の身体に触れることはなく、止められる。
重さがあまりない分を、スピードとそれによる反動に力量を乗せて補っているサロメの剣技は、なによりも正確さを要する。故に、油断や隙を見せればたちまち取られる事は、後ろを守り、ずっと傍で見てきたヴァレリーには、嫌というほど分かっていた。
訓練の時にやりあった事がないとは言わないが、ラルフィルドとは違ってそのクセを見極めるほどの回数ではなく、しかしその数回の手合わせだけで、正確に急所を狙われる事を知っただけに、ヴァレリーにとって彼は脅威だった。
ヴァレリーが決して、弱い訳ではないのに、それでも攻め込まれる事が多い。
少しでも戸惑えば命の保障はないことを知っているからこそ、忠誠を誓った相手とはいえ、ヴァレリーは全力を出していた。そして相手もだ。つまりは、こうして本気でかかってこられれば、自分では太刀打ちできないという訳だ。
流石は俺が見込んだだけのことはある・・・。
この状況下でも、ついそんな感想を持ってしまい、ヴァレリーは笑いそうになった。
「・・・ちっ。」
元よりふたりの戦いを、静観する気がないカルロは、何度か割って入ろうとしているようだったが、あまりのスピードにそれもままならず、何度目かの舌打ちを繰り返している。
多勢に無勢だ。騎士の名誉だのなんだのを捨ててしまえば、本来は容易く取り押さえられる筈なのに、それすらもできない。
しかし、ヴァレリーとサロメのふたりが、何度目かのぶつかり合いの後、お互いを突き飛ばすようにして、大きく間を開けた瞬間、カルロはその隙を狙って、自らの体をねじ込んだ。
右手一本で握った剣を、気迫を込めて振るえば、一歩だけサロメは退いた。
ガキン、とカルロの二段目の攻撃を受け止めて剣が音をたて、だが次の瞬間、右手から繰り出された新たな攻撃が視線に入ったことで怯んだ隙に、カルロの剣は空中へと飛ばされた。
綺麗に回転する自分の剣を確かめるように振り返った瞬間、カルロのみぞおちあたりを激しい衝撃が襲い、そのまま体は後ろへと吹っ飛ばされる。
カルロと吹っ飛んできた兄の体を支えようと飛び出したダリアの巻き添えを食い、カーレルも一緒になって飛行艇の足部分まで飛ばされた。
「・・・ぐ・・。」
勢いのついた人の重みで、硬い車輪に背を打ちつけ、肺を潰したような衝撃に、カーレルは思わずうめき声をあげた。
思わず激しく咳き込み、カーレルが体を前に倒している間にも、剣と剣がぶつかりあう音が響き、うっすらと目を開けると、ダリアが身を起こしたところだった。
ダリアは、ここにくる途中で拾った弓を素早く番え、標的をサロメに絞っている。
息を飲んだことで、再び激しく咳き込みながら、カーレルはそれが放てるのかどうかを訝しんだ。ヴァレリーよりも、総長に心頭しているダリアに、果たして、彼を攻撃することができるのだろうか、と。
カーレルの見ている前で、ダリアの眉はつりあがり、口元が固く引き結ばれる。
片目を眇め、しかし矢を番う指先は、それとわかるほどの震えていた。
彼女が深呼吸をする。果たして、矢は放たれた。
飛んできた矢は、彼に傷をつけることなく、空中で落とされた。
まるで後ろに目でもあるようなタイミングで振り返った彼は、右手でヴァレリーの攻撃を牽制し、左手で弓を落とし、その弓を放ったのがダリアと知り驚愕して動きを止めたヴァレリーの隙をついて、その刃を振るう。
ひらりと空中で黒いマントが弧を描いた。
避ける為に僅かに屈伸したその背中に乗るようにして回転をした後、サロメはヴァレリーの背後を取った。
それは、一瞬の早業で、そして舞踊のような動きだった。
は、とヴァレリーが後ろ向きに体勢を整えようとするが、すでに遅い。ヴァレリーの後ろに半分捻った体は、右側の無防備さをつかれ、激しく蹴られてもんどり打つ。
は、とカーレルが我に返る。
彼の黒い姿が淡く光を纏っていた。
「・・・危ない・・!」
とっさに手を伸ばし、矢を放ったのは自分だというのに、そのまま茫然自失しているダリアの体を突き飛ばした。
間をおかずに飛んでくる光の矢。
「な、なんだ!?」
驚愕するカルロの声には気がついたが、今はそれが晶術だと説明している暇はない。
「避けろ!」
すぐに追撃してきた光の矢に叫べば、間一髪のところでカルロが体を捻る。しかし光は三筋だった。最後のそれをカルロは避けきれない。
物体ではないそれが、体に触れた途端、激しい痛みと衝撃がカルロを襲い、思わずその場で膝をつく。
意識を失わないだけマシだったが、自分のものだというのに体はぴくりとも動かなかった。
飛行艇の腹の下あたりで、蹲ったカルロの位置を見て晶術のあたりにくい場所だと確認した後、カーレルは・・・剣を右手に立ち上がった。
容赦ない蹴りをもろに受け、わき腹を抑えたまま、立ち上がれずにいるヴァレリーを、庇うようにしてその前に出る。
戦い慣れない軍師の、決意を感じたのか、サロメは右の眉を吊り上げた後・・・うっすらと笑みを浮かべた。
じり、と間合いをとって対峙する。
固く剣の柄に握りこむカーレルとは対照的に、サロメの剣先はカーレルの胸元にひたと向けられてはいるが、けっして緊迫している訳ではないのが感じられた。
相手に余裕があるのは、カーレル自身が一番わかっている。
もしもカーレルが剣の手誰だったとしても、サロメ相手では苦戦は必死だ。
まともにやりあって勝つことなど、不可能だと考えるべきだ。
もしも勝つことがあるとするならば、隙をつく以外の方法はない。しかし、戦いの場において、彼がカーレルにつけこまれるほどの隙をつくることなどあるだろうか?相手が剣の腕がないからといって油断してくれるほどの甘い性格は持ち合わせていないだろう。
すぐ後ろで兄の横に屈んでいた体を起こし、ダリアが弓を持つ気配がした。
本気で彼に挑むかどうかを危ぶんでいたが・・・二回目となるなら、ダリアは本気だ。
本気で、彼女の総長に弓を向けようとしている。
それだけでカーレルにとってはありがたい援軍だった。たとえ、相手の首を取ることはできなくとも、こちらの取られなければそれで良い。多くは望めない。深追いできる相手でもない。
息を吸い、カーレルは大きく踏み込んだ。
その瞬間、サロメの表情に変化が現れる。だが、すぐに反応したのは流石だった。
彼はひらりと身をかわし、足元から突如出現した黒い刃に、退いた。
カーレルは右手で剣を構えたまま、左手でポケットのなかに入れたままのレンズを握っていた。
晶術を実戦で使ったのは初めてだが、ハロルドのラボでの実験で感覚を掴んでいたのが、まさかこんな早々に役にたつとは思わなかった。返し忘れた紫色のレンズを持ち歩いていたのも幸いだった。
サロメに、剣の腕では敵うわけもない。
もしも、カーレルが彼と同等に対峙できるものがあるのならば、科学者たちにも素質があると太鼓判を押された、晶術しかない。
サロメはふわりと宙を飛んだ。
着地する寸前に、おろされる刃にとっさに剣を振るって受け止める。
キン、と刃の擦れる音が軽いのは、カーレルの踏み込みが甘いせいだった。
その一撃で、サロメは後ろに退いたが、それは次の攻撃で踏み込むための間合いだ、とカーレルにもわかった。
実際に受けてみると彼の攻撃は、見ているよりも何倍も速く感じられる。今は受け止められたが、果たして次は体がついていけるかどうか。ヴァレリーのそれよりは軽いのだろうが、慣れないその身で受けてみると、彼の剣にはずっしりした重さもあった。
「カーレル中将!」
ダリアが叫んだ。
「避けてください!」
ヒュ、という音がして、ダリアの矢が放たれる。
その矢が、サロメに届くことはなかったが、その隙はカーレルにとって、時間稼ぎとして十分だった。
サロメはこともなげに、カーレルのシャドウエッジを避けた。二度目は完全に読まれていたが、それはカーレルは想定内だった。
もう一歩、サロメに退いて貰うこと、間合いを広く待つことが目的だった。
次なる晶術は、もっと広範囲に及ぶ。
カーレルは軽く目をつぶった。
詠唱呪文というのは、不思議なことに意識して覚えるものではないらしい。
どこからか、まるでレンズが囁くかのように頭に浮かぶ言葉を紡ぎ、最後まで言い切った時、サロメの体を炎が包んだ。
ぶわっと熱波とともにあたりが炎に包まれる。
「・・・!」
視界を奪う赤い熱の中から、黒い影が飛び出してきて、一瞬、油断をしていた自分の失敗をカーレルは知った。
サロメは晶術を避けなかった。
バーンストライクの炎に自ら飛び込み、そのままカーレルに剣を振り下ろした。
勢いのある攻撃を受けきれず、カーレルの体が後ろに飛ばされる。
床に体を打ちつけ、身を起こした時・・・カーレルの首元には、白鋼の刃がつきつけられていた。
どこかで、風の鳴る音がしていた。
それは確かに吹き込み、室内でなにかにぶつかる大きな音を立てていた。
気がつけば、固い床の冷たい感覚の上に投げ出され、手の中には虚しさしか残っていない。
握っていた筈の剣は、どこかに消えているようだった。
「おい!」
遠く耳鳴りと一緒に人の声が聞こえて、抗う体に叱咤するようにして、カーレルは覚醒した。
「大丈夫か!」
「・・ヴァレリー殿?」
うっすらと目を開けてみれば、自分を心配そうに覗き込んでいるヴァレリーの顔が見える。
「・・・う・・・。」
こめかみの痛みにうめき声をあげながら、カーレルは身を起こした。恐ろしいほどそれだけの動きが思い通りにいかない。
気を失っていたのは、それでも、ほんの少しの間だったようだ。
刃をつきつけられ、身動きの取れなくなったカーレルに対し、サロメは剣を振るった。
頭を柄で殴られ、殺されこそしなかったが、しかしこめかみには生暖かく、半分乾いた血が筋をつくって頬まで流れていた。
殴られた後のことは覚えてないが、ゆるゆると視線を移せば、カルロが床に倒れたままで、ダリアは横で介抱している。
「俺たちは晶術にやられた・・・。」
訪ねる前に、その後の状況はヴァレリーが説明してくれた。
カルロとヴァレリーは、晶術に打たれ、更に身動きが取れなくなったらしい。
薄れる意識のなかで、サロメが去っていくのが見えて、完全に気を失う寸前には飛行艇のエンジン音が聞こえた、という。
事実、格納庫からは、イクシフォスラーがなくなっている。
さきほどの戦闘の間に姿が見られなかったからには、きっとハロルドはその中に捕らわれていたか、気を失わされていたのか、だったのだろう。
ダリアだけは、気を失わされることもなかったようだが・・・最後までサロメに抵抗しなかったからと言って、責められない。
報告書で読んで知っているつもりだったが、そんなものはなんの役にも立たない。一度、やりあってみれば、死神や鬼神と恐れられた彼の、その凄まじさは底知れなかった。
冷静になった今では、思い出すだけで身震いしそうだ。
「兄さん、動いちゃだめよ。」
ダリアの声が聞こえて、カーレルたちはそちらを見る。
やはり重そうに体を起こし、カルロが呻いているところだった。
這うようにしてそちらに移動し(とはいえ二本の足では立ち上がったが)カーレルが傍に寄る。
カルロは跡が残りそうなほどくっきりと眉間に皺を寄せ、なにか言いたそうな顔で、一同を見回す。
まるで手負いの獣の警戒するようなような視線に、晶術の後遺症が残っているのか、とカーレルは心配した。
「・・・医者を呼びましょう。」
たぶん、この時間ならアトワイトは勤務時間だ。
ソーディアン・マスターに選出されてから、ハロルドの書いた晶術に関するレポートを読み漁っている彼女なら、この症状に対してなんらしかの治療を施せる筈だ。
「ああ、頼む・・・。」
まったくとんでもない目にあったぜ、と言いながら、ヴァレリーはその場に腰を下ろした。
「大丈夫か?カルロ・・・。」
そう言って、起き上がるのもままならず、その場で仰向けに倒れた幼馴染の顔を伺うように覗き込む。
しかし、カルロはそれを避けるようにして、右腕を額に乗せると、
「・・・・・大丈夫か、は俺のセリフだ・・・。」
と呻いた。
「ああ、まあ・・・皆、酷い目にあったな。」
ヴァレリーが苦笑すると、違う、とカルロは言う。
「俺が大丈夫かって言ってんのは・・・おまえたちの頭のことだ。」
「?」
カーレルは一瞬、頭を殴られた自分のことか、と思った。
こめかみに流れる血の跡に、カルロがそんなことを言っているのだ、と。・・しかし。
「ヴァレリー、お前もだが・・・。特にダリア、お前だ。」
「え?」
ぱちぱちとダリアは瞬きをした。彼女は気を失うほどの攻撃は受けてない。
「なんのこと?」
「お前言っただろう。ミゲルは・・・ミゲルのやつは、素晴らしいって。一部だけを見て全部をわかったつもりの俺が、間違っているってな。」
「・・・・言ったけど、それは。」
結局、入れ替わっているという結論なのだから、それはミゲルではなく、サロメの事を言って言葉だ。
「それにこうも言った。どう考えても、本人としか思えない。しかし、ミゲルと今の総長は入れ替わっている、と。」
それはお前もだな、とヴァレリーを指差した後、
「それを、今でも言えるか?」
今でも言えるってんなら、とカルロは言った。
「お前らふたりとも、自分自身を疑え。」
「あ?」
「なに言い出すのよ?兄さん。」
ヴァレリー、ダリア、カーレルは揃って、カルロを見下ろす。
その顔は全員、カルロが可笑しなことを言い出した、と思っている顔だった。
しかし、可笑しかったのは、彼らの方だった。
「あいつのどこが、ミゲルなんだ・・・。」
カルロは言った。
「見間違える余地なんか、これっぽっちもないじゃないか!」
カルロは身を起こす。
そして、無実をどこに訴えれば良いのか、迷う囚人のように、全員を敵かなにかのように気味悪そうに見た。
「・・・顔も、髪の色も、声も違う!あの男と、ミゲルは・・・似ても似つかないじゃないかよ!?」
入れ替わったことに気付かないなんてありえん!とカルロは叫んだ。
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