夜を待ったのは、空へとあがる飛行艇が、敵に発見されるのを防ぐ為だった。
ただでさえ、向こうはこちらよりも視界が良い。
明るい光の中で(とはいえ、外殻に阻まれている為、満足な光など地上にはないが)アンズスーンに向かう飛行艇が見つかったら最後、他の天上基地から集中攻撃を受けるのは目に見えている。
アンズスーンの足場を固めるという今回の作戦の為、地上軍は、天上へ持っていく為の物資をかき集められるだけかき集めた。
だが、元々底をついている物資は、満足に揃う訳もなく、急ごしらえの上、その場を凌げる程度のものしかない。
まあ、いい。
とアルトレット中将は思う。
数としては不満がないではないが、それだけのものを用意して貰えたというだけで、感謝しなければならない。なにしろ、本当に地上は飢えているのだ。このままでは、すぐに飢餓がくるのは目に見えている。それでも、これだけの物資を準備したのは、それだけ、地上軍がこの作戦に賭けているからだ。
そう考えながら、アルトレット中将は、ゆっくりと飛行艇に搭乗する。
天上基地、アンズスーン。
今は、地上軍の手の落ちたその要塞が、新たな地上の拠点になるのだ。
荒く息をつき、びくりと体を震わせて、ディムロスは目を覚ました。
始めに目に入ったのは薄く汚れ灰色がかった白い天井だった。
それをぼんやりとした照明が照らしている。
体が重い。
泥のように粘り気のある空気が纏わりついているかのようだ。
頭も上手く回らない。今は何時だろうか。ここは。
腕につながれたチューブに目をやる。
目の表面が乾いているようで、ひりひりと痛む。
あまりにも深く眠っていた為、体の機能がまだ、覚醒していないようだ。
「気がついたのね。」
よく知る優しい声が、どこか遠くの方から聞こえる。
体を起こそうとしたが、できなかった。
頭を持ち上げる事もかなわず、目だけを、その方向に向ける。
「・・・アトワイト・・・。」
しわがれた自分の声に、誰か別の人間が言ったかのような感覚に襲われる。
喉奥が貼り付いたように、上手く発言ができない。
「大丈夫よ。」
アトワイトは優しく諭すように言った。
「もう大丈夫。あなたの生命力には感心したわ。あれだけの傷を受けて、自分の足で医務局まで来るなんて。」
以前、カーレルの冷静さを称えて言ったのと同じ言葉を、よもや恋人に言う事になるとは。
と、アトワイトは思った。
そして、顔には出さず、こうなった状況に腹を立てた。
「あなた、勝ったのよ。」
それを面には出さず、アトワイトが言う。
優しく語りかける声に、彼女は病人に対していつもこういう風に接しているのか、と思いながらディムロスがその言葉を反芻する。
「勝った・・・。」
「ええ。バルバトス・ゲーティアに。」
「バルバトス・・・そうか!」
いきなり脳裏に、青い髪の大男の姿が蘇る。
反旗を翻し、攻め入ってきたバルバトスの表情は悪鬼そのものだった。
あれほどの憎悪の顔を今まで、見てきたことなどない。
バルバトスが、地上軍に対し、鬱屈したものを抱えていた事は、誰でも知っていたことだ。
だが、あの男も、自らの意思で軍に参加した以上、己の期待した通りの評価を得られないからといって、それに対しての不平不満を口にする事など、今までなかった。
だから、安心していた部分も、ある。
残忍な性格故、功績とは別の部分で周囲からは倦厭されていたが、ディムロスはディムロスなりに、バルバトスを評価していたのだ。
「バルバトスは・・・。」
ディムロスは言った。
「死んだのか・・?」
色々な何故、何が頭の中で渦巻いてはいたが、それは、聞いたところで本人にしか分からないことだ。
いや、あるいは本人にすら、理解できていなかったのかもしれない。
怒りや憎悪に根を張る、その本当の原因など。
「ええ。」
アトワイトは静かに、短く答えた。
そして、ディムロスは、それだけを聞き、訊ねるべき事はもうない、と思った。
内部からゆっくりと大きな鉄製の扉が開き、中へと迎え入れられる。
飛行艇は、揺れることもなくすべるように入り込むと、静かに着地した。
まず、この駐在軍の指揮官として任命されていたアルトレット中将が、始めにアンズスーンへと足を踏み入れる。
敵陣であれば、指揮官は後から出るものだが、今、アンズスーンは地上軍のものだ。
自軍基地へと入るのに、危険もない。
アンズスーンは予想以上に高性能機械で覆われていた。
ダイクロフトの分岐点、くらいの認識だった自分たちを愚かだったと思わざるおえない。
冷たく鈍い光を放つ銀色の壁を見ながら、アルトレットは考える。
すぐ後ろからは無言のハードビーが司令室へと向かう自分についてくる。
何も言わないが、ハードビーも、目の当たりにする天上側の高性能施設に興奮しているらしく、しきりにきょろきょろと、落ち着きなく回りを見回していた。
アルトレットはハードビーを快く思っていない。
戦いで敗走し、降格されるなど、ただの負け犬だ。
自分なら耐え難い恥辱だ。
そのうえ、この男はのうのうと未だに軍に籍をおいている。
呆れるほどの厚顔無知。
だが、犬は犬として、使える。
やがて、司令室へとつくと、奇襲軍としてアンズスーン攻略に加わり、そのまま居残った兵士たちがアルトレットに敬礼をして道をつくった。
扉は音もなく開き、その直線上に、司令官席が見える。
アルトレットは、そこを目標として定め、司令官室へと一歩、足を踏み入れた。
その様を、青年はすぐ近くで、見つめていた。
彼はアンズスーン陥落後、引き上げた一部の奇襲軍とは入れ違いに、先遣隊としてアンズスーンに来ていた兵だ。
『ああ、カーレル中将!』
彼の胸に、喜びが湧き上がってきて、それを噛み締める。
青年は今から一年ほど前に幼馴染と結婚した。
長い戦争のおかげで何もなく、内々だけの質素な式になってしまったが、それでも妻は大層喜んでくれた。
こんな時代だからこそ、結婚式を挙げられるだけで夢のようだ、と言って。
アンズスーンに行く事が決まったとき、彼の妻は身重だった。
それを地上の残しておく不安を、気安い間柄の同じ所属の兵にこぼしていたのは、出発の前の事だ。
場所は食堂。
大勢の兵でごったがえし、誰が聞いていてもおかしくない、そんな昼食時だった。
「それはおめでとう。」
とカーレルは言った。
青年の愚痴はこともあろうに、天才と謳われる自軍の軍師に聞きとめられてしまった。
任務に不満を持っていると思われかねない発言をしてしまった事に、青年は青くなった。
不満なのはアンズスーンに行くことではなく、妻を置いていくことだ。
まさかそんな言い訳を聞いてもらえる訳もない。
だが、任務への不平な態度を叱咤されるどころか、逆に少しすまなそうな顔をしてカーレルは続けた。
「少しだけ辛抱してくれ。」
と。
すぐに正式な駐在軍を差し向ける。
そうしたら、今、アンズスーンに残った兵たちと一緒に、先遣隊も必ず地上に呼び戻す。
もとより、あまり大人数をアンズスーンにだけ置くつもりはない。
なによりも、ラディスロウの守りが薄くなるのは宜しくないからね、と。
自軍の状況を交えながら、気安く一兵に話しかけてくる姿に、親近感を覚えた。
お前達は知らなくても良いことだ、とふたこと目には言い放ち、まるで兵士をただの駒だと言わんばかりの上官よりも、よっぽど親しげで、人間味も、魅力も感じさせる。
地上軍には、この人がいる。
それだけで、なにか、信じられると思った。
この戦争を、勝ち取ろうとする、意義のようなもの。
戦争などというものは、一個人には、望まぬままに流されて、勝ち負けに翻弄される巨大な力を持ったうねりだ。
その中にあって、確固たる、信念のようなものを見つけられた、そう思った。
青年はカーレルのその言葉を信じて、アンズスーンに上った。
あの時以来、疑ったことなどなかった。
そして、ついに4日前、子供は無事に産まれたという連絡が地上からあった。
アンズスーンにいる兵にもちゃんと私事の伝言が届くことに、遠く、敵地にいる兵たちは安堵を覚える。
自分たちは見捨てられも、忘れられてもいない。それを確信できる。
青年は、それもカーレルのおかげだろうか、とそう思った。
アルトレット中将が、司令官席につき、それを見た兵が、敬礼しながら前に出る。
これからはアルトレットにこの基地を引き継ぎ、先遣隊は地上に戻る。
「アンズスーンの全ての機器、その他、点検してまいりましたが、異常はないようです。」
アルトレットは頷き、司令官用の椅子に深く座り、足を組み、手を組んだ。
ふんぞり返るような態度には感心できないが、将校などというのは、そんなものだ。
改めて、カーレルの好意的な特異さが思い起こされる。
そう思っていた時、青年の首の付け根あたりに、固いものが押し付けられる。
「・・・・・!?」
一瞬のうちに、司令官室に緊張が走る。
見れば、青年を含む、全ての先遣隊兵が、今来たばかりの駐在軍兵に武器の矛先を向けられていた。
ぐるりと壁際から、駐在軍が先遣隊を取り囲んでいる。
「・・・・・な・・・なにを・・!?」
喉から張り付いたような乾いた声が青年の口から発せられる。
どうして自分たちが、自軍の兵に武器を向けられているのか、その状況が把握できない。
だが、冷たく光る自軍の兵たちの目は先遣隊へと向けられて動かない。
敵として見定められた事は確かのようだ。
「・・・天上軍へ、寝返るつもりですか。」
隣で、静かな声が発せられた。
「・・・・!寝返るですって・・!?」
青年はそちらの方を見る。
両手をあげさせられた、新しくきた中佐があまり感情の篭っていない目で、司令官席のアルトレットを見つめていた。
「貴様にしては察しのよいことだな。ハードビー。」
口調に嘲笑を含ませ、アルトレットが言った。
「そもそも、私は貴族の出だ。お前や、軍上部に居座っている小童どもと違ってな。なにしろ、司令官すら蛮族の出だから、あの有様だ。天上軍なら私の功績も大いに認められるだろう。身の程を知らぬ輩に目にモノをみせてくれる。」
ひとしきり演説をぶった後、アルトレットは自分について地上軍を裏切った部下に、
「ダイクロフトへと通信をつなげ。」
と指示した。
アンズスーンの通信機器は、すでに裏切り者の手の中にある。
連絡を取るべく動いているアルトレットの部下達の姿を、青年は歯噛みしながら、見ているしかない。
「初めから・・・。」
丸腰のまま、剣先をつきつけられているにも関らず、相変わらず、抑揚のない口調でハードビーが言う。
「機会があれば、裏切る気だったのですね?」
「無論だ。」
余裕の笑みを浮かべ、アルトレットは答える。
「いずれ、事を起こそうと前々から考えてはいたが、今回はまたとない好機だった。なにしろ、このアンズスーン駐在軍の為に、地上軍はあるだけの物資をかき集めたのだからな。これを手土産に天上につけば、すぐに地上軍は干からびる。天上の勝利はますます確実だ。そもそも、負けると分かっている軍に参加するなど、愚か者のすることだ。」
「・・・あなたも地上軍だったのではないですか?」
「それは一時、もう終わったことだ。私はたった今から天上軍だ。この計画を持ちかけた時にすでに、天上軍には、それなりの地位も約束されてたしな。」
「・・・果たして、天上がそこまで甘いですかな?」
「いくらでもほざけ、負け犬が。」
愉快そうに大声をあげ、アルトレットは笑った。
天上側に拘束される前、ハロルドは新しい武器の制作に没頭していた。
それはいわば、おとぎ話の中の中に出てくる魔法の杖のようなものだ。
幼い時から、異端視され、あまり友達ができなかったハロルドは、それでも、同い日生まれの兄と、膨大な知識の源である本が遊び相手でいてくれたおかげで、時々寂しくなる時もあるにはあったが、退屈のない子供時代を過ごしてきた。
今度の武器の発想は、むしろ、その生活があったからと言っても良い。
幼い時からハロルドの中にある世界には、ちゃんと魔法の杖が存在していた。
時にはヒロインをお姫様に変える優しさだったり、時には祝いの席に招かれなかった魔法使いの報復の道具だったりする。
他の子供は、そんなものは嘘だと馬鹿にし、ハロルドを変わり者だと笑ったが気にしなかった。
そんなものが現実起こりうるないと、割り切ってしまうのは簡単だったが、ハロルドにとってそれは、諦めてしまうにはあまりにも魅力的なものだった。
いずれ、魔法が使えるようになる。
魔法使いのように不思議な力を操れるようになる。
そんな子供時代の甘い夢が、まさか、現実に、戦争という背景を背負って、自分の手で実現させる事になろうとは、思ってもいなかったが。
天才というのは、案外、人よりも少し秀でているだけの、諦めの悪い子供、なのかもしれない。
夢を見ていた。
それは最近の小さなハプニングの夢だったが、もぞもぞと暖かい寝台で体を休めていたハロルドを、その夢の世界から引きづり出したのは、ここに来て以来、それ以外はほとんど見ない為に、慣れ親しみつつある美貌の持ち主だった。
「なによ〜、こんな時間に。」
眠っていたところを、いきなりサロメに揺り起こされて、ハロルドは不満の声をあげた。
以前、希望を叶えて貰った時計を、眠い目を擦りながら確認すると、時刻は11時40分を指していた。
夜中だ。
部屋の厚いガラス窓から、暗い空が覗ける。
外殻で覆われ、薄い光しか射さない地上と違い、雲の上にあるここでは、空を見るだけで昼か夜かの区別が、はっきりと分かる。
「また移動?」
ぶ〜っと唇を尖らせ、ハロルドはサロメを見る。
移動はいつもの事だか、眠っているところをたたき起こされた時は一度もない。
ラディスロウ内にある自室では、研究に没頭しているなどして、何日でも飲まず食わずで、徹夜をしているハロルドだが、ここに捕らわれて以来することもなく、三食をきっちり取り、早い時間からの定期的な就寝という、健康的な生活を送っている。
健康的すぎて、太りそうだ。
捕虜になった妹が、太って帰って来たら、カーレルはどんな顔をするだろうか。
「・・・・・来い。」
サロメは肯定もせずに、ハロルドにそれだけ言い、背を向ける。
ハロルドはそれに、それ以上の質問をせずについていく。
もっとも、眠っていたのだ。
ただついていくだけのいつもと違い、ブーツに足を通すだけの時間は要したが。
部屋の外に出ると、いつもと違う空気である事に気がつき、ハロルドは目を瞬かせる。
別になんの事はない。
夜中であるが故に、夜警の兵以外は眠っているのだ。
決して、誰もいない訳ではないが、昼との兵の数の差が、しん、とした静かな雰囲気を漂わせている。
こつ、こつ、と足音を響かせ、サロメが歩く。
その後を追いながら、そういえば、サロメの足音を聞くのは始めてだ、とハロルドは思った。
いつも、ちゃんとさせていたのだろう。
だが、寡黙な彼は、足音すら静かだ。
語らない足音など、いつもは回りの喧騒にかき消されていたのだ。
そして、いつもとの違いに、ハロルドは内心で首を傾げる。
なにか違うことが起こるという事は、流れを変える合図でもある。
科学者としての根拠ではなく、女の勘だ。
「入れ。」
今度の部屋は、今まで眠っていた部屋とは、大して離れていなかった。
いつもは何度か角を曲がるのに、それもない。
直線にして、50メートル弱。
あまり部屋を変える意味がない。
そう思いながら、サロメに促されるまま、部屋に入ったハロルドは、そこで見たものに、目をぱちぱちと瞬かせた。
「・・・もしかして・・・。」
扉付近で立ち止まったハロルドに、気をつけるでも、配るでもなく、サロメは中央のテーブルに歩いていく。
部屋は、捕らわれているハロルドのと同じように、そっけない。
生活感を感じさせるものはなにもなく、白い壁はむき出しで、アトワイトのいる医務局を思い起こさせる。
違うのは中央に、テーブルと、椅子がある事ぐらいだ。
そのテーブルの上に、食事が乗っている。
テーブルクロスだの、そんな洒落たものは一切ないが、それでも、ふたり分の皿と、ふたり分のグラスが向かい合わせに並べられていた。
「・・・食事に誘ってくださるのかしら?」
おどけて言うハロルドに、表情も変えず、サロメが答えた。
「食わせろ、と言っていただろう。」
それに対し、にっこり笑ってハロルドは言う。
「うん、食べたかったの。」
遠慮もせずに、さっさとテーブルへと向かい、サロメの向かいの席にハロルドは座る。
躊躇いはなかった。
この際、裏でなにが企まれていたとしても、一旦、棚上げにしよう。
どうせ、ここまでのデータだけでは、なにを判断しても憶測にしか過ぎない。
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