飛行艇がやがて雲の下へ出て、地上の景色を一望できるようになると、着陸場所がどこかを天上から特定できないように、機体は何度か旋回を繰り返した。
その間に、段々と高度を下げていく。
近づいてくる地上を見ながら、ハロルドは、こんな風に自分たちが住む場所を見下ろすのは、初めてではないのに、と考えていた。
捕虜になる前にも何度か、遊撃隊としてダイクロフトに攻め入った事があるが、その帰りの記憶がいやにあやふやだ。
どういう手順で戻ってきたのかが、思い出せない。
やがて飛行艇は、機体を水平にし、そのままの体制で徐々に降りていく。
窓の外からは一面を雪で覆われた氷の世界が、望めるようになってきた。
ああ、帰って来た、とハロルドは思う。
首を伸ばして下を見れば、飛行艇を迎え出てきた、大勢の兵たちが、こちらを見上げていた。
その一人一人の顔を目を凝らせば判別できるほどになると、ラディスロウの入り口近くに、背の高いふたりが立っているのが見えた。
ひとりは、金色の髪。ひとりは、ハロルドよりも黒味がかった紫の髪。
リトラーとカーレルだ。
「よくぞ無事に戻った。」
捕虜として捕らわれていた者、それを奪還してきた者たちが、揃って雪の上に姿を現すと、暖かい人柄を滲ませた声で、リトラーが皆を労った。
だが兵たちの疲労を考え、長々と演説をするような真似はしない。
彼はそれだけを言うと、感極まって涙ぐむ兵たちのひとりひとりの肩に手を置き、ぽんぽんと軽く叩いた後、撫でていった。
カーレルの方は、疲れ果てた兵たちを、ラディスロウの中へと誘っている。
少しであったが戦闘で体力を使った為、体を休めたかった。
リトラーに帰還の挨拶を済まし、ラディスロウの中に入ろうと、入り口に向えば、そこにはカーレルがいた。深々と頭を下げる兵、敬礼をする兵にその都度返し、リトラーと同じように彼らを労っている。
とほとほと数歩歩いて、ハロルドはカーレルに近づく。
それにカーレルの方も気づく。
「ご苦労だったな、ハロルド。」
いつものように、にこり、と笑い、カーレルが話しかけてくる。
他の兵たちと比べて、特別に言葉をかける訳でも、殊更に喜んでみせるでもない。
「うん。」
「天上での報告は後で聞く。」
「うん。」
「今は、休ませて貰え。後で行く。」
「うん。」
後で来るというなら、それを部屋で待とう。
ハロルドはラディスロウの入り口へと足を向ける。
久しぶりの地上の空気は、長い間、暖かいところにいたせいか、慣れていたはずなのに寒く感じる。
暖かい自室へ一刻も早く戻りたかった。
捕らわれる前に取り掛かっていた実験の続きもしたい。
「ハロルド。」
「ん?」
すれ違いざま、カーレルに呼ばれ、ハロルドは振り返る。
カーレルの長い腕が伸びてきて、ぷにっ、と右の頬をつねられた。
まるで子供のいたずらを叱っているかのようだ。
「あにすんのほー。」
「・・・おかえり。」
カーレルはそれだけを言って、手を放した。
その後は、何を言う訳でもない。
再び、前に向き直り、帰って来た兵たちを労っている。
その姿を見て。
どれだけ、この兄に心配をかけたのかが分かり、少しばかり反省しよう、とハロルドは思った。
ほんのわずかに目を離した隙に、状況が一変する。
それが人が生きていく上で発生する、摩擦というものだし、それを時には効果的に演出できるのは・・・この世に生きる全ての生き物の中で、人間だけだ。
ハロルドにとって、天上にいた時間は、そんなほんのわずかな時間だった。
だが、帰ってきてから目の当たりにした状況に、どこか遠くの世界に長い間隔離されていたような錯覚を覚える。
錯覚でもなんでもなく。
ひとところから離れる、というのは、案外、そういうものなのかもしれないが。
寝転がり、しばらく留守をしていた自分のラボの天井を眺めながら、ハロルドはそんな事を考えていた。
そのすぐ傍には、茹でた馬鈴薯と、アトワイト特製のトマトとチーズのサンドイッチが乗せられたトレイが机の上に置かれている。
別に食欲がないとかで放置している訳ではない。
食べようと馬鈴薯を手に取った途端に、天上で交わされた会話が思い出され、そのまま、物思いにふけって、忘れてしまっていただけだ。
何かに夢中になると、ついつい食事を忘れるのは、ハロルドの悪いクセだ。
「ハロルド。」
軽くノックの音がして、ドアの向こうからカーレルが声をかけてきた。
放置してある食事を見たら、眉を顰めるであろうその兄の声を聞き、ハロルドはベッドの上に体を起こし、扉に向かって返事をする。
「何?兄貴。」
「ようやく会議の準備が整った。来てくれ。」
「ああ、そう。」
ハロルドは床に足を下ろした。
ハロルドが地上に戻ってから、3日が経っていた。
今日は、会議で、天上に捕らわれていた間の報告をさせられる、と事前に聞かされている。
ハロルド自身は、すぐにでも会議には出られたのだが、捕虜になっていた彼女の体調を気づかい、療養する為の期間を用意してくれたリトラーの心使いをありがたく受け、帰って来てからは自室待機をさせて貰っていた。
「ディムロスは?」
「起きてきている。まだ2、3日、入院して貰うが、もう大丈夫だそうだ。」
ディムロスは天上側に寝返ったバルバトスと戦闘で負傷し、その怪我が元で長期入院を余儀なくされた。
その時、バルバトスひとりの為に、約5千人の兵が命を落とし、クレメンテなどの名将と呼ばれる武人たちもかなりの傷を負わされいる。
戦い続けた後、ついにディムロスがバルバトスにとどめを刺した時、辺りには犠牲になった兵たちの死体で埋め尽くされていたという。
その顛末を、ハロルドは地上軍に戻ってきてから聞かされた。
会議室に、カーレルの後から入ると、待っていた人々がいっせいにこちらを振り返る。
その中には、話題に上ったディムロスもいた。
彼は負傷しているにもかかわらず、軍人としての意地なのか、立っている。
彼には彼の価値観があるのだろうが、軍人としての誇りというやつが、果たしてそこまで大事なのかどうか、ハロルドには分からない。
壇上のリトラーが、ふたりが定位置に着くのを確認してから、口を開く。
「ハロルド中佐、ご苦労。早速だが、天上軍の動きで掴めている情報があったら、報告して貰いたい。」
「はーい。」
ハロルドは、はともほともつかない発音の返事をする。
ふぉーい、と聞こえる緊張感のないその返事に、カーレルが後ろから、コツン、と頭を叩いた。
「捕らわれている間に、なにか分かったのか?」
ディムロスが言って、ハロルドの顔を見た。
ハロルドもその顔を見返す。
怪我の方は、もう大丈夫だと聞いていたが、それは本当らしい。顔色は悪くなかった。
「報告します!」
ピシッと背筋を伸ばし、敬礼をして、ハロルドは言った。
いきなりのきちんとした彼女の態度に驚かされたらしい一同は、慌てて自分たちも姿勢を正す。
「私の得た情報を検証した結果、天上軍の一連の不信な行動は、高密度レンズの入手を目的としている為と、推察します。」
「高密度レンズ!?」
その場にいた全員の声が会議室の中で見事にハモった。
一連の不信な行動とは、天上が最近繰り返していた、妙な行動の事だ。
そもそも、それを探っている途中で、ハロルドとバルバトスは天上に捕らわれたのだ。
ハロルドは続ける。
「はい。以前、私が自ら実験で示しました通り、レンズには人間の能力と呼応するエネルギーが宿っています。それを体系化する事により、晶術と呼ばれる特殊な攻撃方法が可能になるのですが、天上側は・・・・。」
ハロルドは一旦、言葉を切って、あえて言い直す。
「敵側はそれに目をつけた模様です。もちろん、兵器、戦力として利用する為です。最近、敵側が人智の及ばない山奥へ入っていくのも、新しいモンスターからレンズを摂取しようとしているのではないでしょうか。各種のモンスターは元はレンズを飲み込んだ動物達ですが、レンズの大きさ、密度の高さによって、その進化に影響が出る、と考えられています。進化したモンスターであればある程、密度の高いレンズが摂取できる訳です。」
うーむ、と壇上でリトラーが唸った。
「しかし、ハロルド中佐。」
口を開いたのは、イクティノスだった。
「では、人の住む小さな村が天上に襲われるのは?モンスターは村にはいませんが。」
「それはね、その村に特殊なレンズがあると思われているからよ。」
ダイクロフトで救ってもらった、旧知の仲のイクティノスに対しては、ハロルドもくだけた口調に戻る。
「特別なレンズ?」
「ええ。ねぇ、外殻が出来る数年前に、各地でレンズ信仰が起こったでしょう?」
その頃、彗星の衝突により、世界は混沌としていた。
ある日突然、空は真っ暗に覆われ、今まで見たこともなかったモンスターが現れ、人々は恐慌状態に陥り、そして、いつの間にか生まれた風習だ。
人々は、この状況を引き起こした彗星を神格化し、その破片であるレンズを奉ったのだ。
「その時、奉られたレンズは、大きいものや透明度が高いものを選んだんじゃないかしら。いくらレンズって言ったって、信仰の対象物がそこらへんから適当に拾ってきたものの訳ないし。」
「なるほど・・・。」
「しかし・・・天上側もレンズの晶力に目をつけたとなると・・・。」
リトラーが渋い表情でハロルドの顔を見た。
「はい。こちらもレンズ兵器の開発を急がねばなりません。遅れを取ったりしたら・・・それこそ一大事だわ!ううん、この私の恥ね!」
「お前の恥はどうでも良いが、確かに兵器の開発は急ぐ必要がありそうだな。」
ディムロスが言い、バルバトスに斬られたという左肩をさすった。
「それについて、ひとつ提案があるのですが。」
ハロルドは壇上のリトラーを仰ぎ見る。
「どうした?遠慮はいらん。言ってみたまえ。」
「今現在、天上側へと協力を拒否し、拘束されているベルクラント開発チームの受け入れを、決断いただけないでしょうか?」
ハロルドのその言葉に、会議室の中の空気が、ザワッと蠢く。
「・・・何を言いだすのだ!」
そう叫んだのは、確かカーレルよりもひとつ位下の階級の中年男だった。少将だったか。階級になど興味のないハロルドには、その程度の認識しかない。
「ベルクラントを造った輩を受け入れるだと!何を馬鹿な事を!」
「バカな事、でしょうか?」
カーレルの発言が、ざわめく空気を鎮める。
いつでも静かで深みのある声は、それだけで存在感を表し、聞かなければいけない気分に誰もがさせられる。全員が、つられるようにカーレルに注目した。
彼が軍師である、という事は、全てに置いてあまりに適切だ。
「確かに地上はベルクラントの攻撃によって、大いなる打撃を受けました。人々の恨みも、我々地上軍の反感も大きい。」
「ええ、その通りです。」
それに対して、発言をしたのはイクティノスだった。
「ベルクラントはいわば、大量虐殺兵器。空にあれがある限り、人々は苦しみ続ける。それをよくご存知のはずです。」
「けれどベルクラントは、元々兵器ではありません。そうですね?イクティノス大佐。」
後に、ソーディアン・チームに選出されると共に、少将に昇格されるイクティノスは、一瞬、目を細めたが、黙って頷いた。
「ベルクラントは元々、地面を粉砕し、空に地面を形成させる為の機械。それを開発した彼らは、人々を救う事を望みこそすれ、人を殺す事など、考えてもいなかった。」
カーレルは会議室の一同を見渡す。
最初の発言をしたハロルドも、壇上のリトラーも黙って耳を傾けている。
「だからこそこの戦争が始まった後、天上王ミクトランへの協力を拒否し、以後、捕らわれの身になったのでしょう。イクティノス大佐、あなたはこの戦争で、我々に正義があると断言できますか?」
「無論です。」
心底、驚いたような顔をして、イクティノスは即答した。
「何故です?」
「人間の上に人間はいない、人の中に区別などない。特権階級がある、なしで人間の価値を決めようなどというのは、愚かしいこと、この上ない行為です。人とは全てのおいて平等であるべきなのです。」
それは理想論だ。
とハロルドは思った。
人間の欲がある限り、たとえ同胞の中においても差別はできる。
完全に全員が平等の世界など、この世にはありえない。
人間の中に住む特別意識は、それだけで暴走するモンスターと一緒だ。
だが、そんな一般論を合否の発言の中に盛り込んでくる辺りが、冷静で合理的なイクティノスらしい。
彼自身、そんなものは百も承知の上で、個人的な意見は、慎む場だと、弁えてもいる。
それに対して、カーレルが言った。
「そう、全てにおいて、です。私たちが最も忌むべきは、ミクトランのその思想です。全ての天上人ですらない。ましてや、天上側に意を唱える者たちでは、けっしてない。違いますか?」
「それは・・・。」
揚げ足を取られる形になったイクティノスは鼻白んだ。
「その通りだ。」
その場を制するように、リトラーの声が響き、一同は、はっと自軍の司令官に向き直った。
「良く言った、カーレル中将。実は。」
リトラーは、ハロルド、イクティノス、カーレルと順に見回して、口の端を上げて笑った。
「ハロルド中佐。君の進言なくしても今日、その議題が出るはずだったのだ。」
「と、言いますと?」
「天上側に捕らわれていたベルクラント開発チームから、我々地上軍への投降の申し出があった。」
おおっ、と会議室がどよめく。
「では、リトラー司令は、その申し出を受け入れるべきだと考えておるのじゃな。」
今までリトラーの壇上に並んで、座していたクレメンテ老がその時、初めて口を開いた。
彼もやはりバルバトスとの戦いで負傷。老いた身でもあったため、ディムロスよりも退院は先になりそうだったが、それにしては見掛けは元気そうだった。だが、今日は念のため座している。
「ええ。クレメンテ候。」
リトラーが、年上の名将に答える。
そして、再び、一同に向かう。
「理由は先程、カーレルが発言したのと同じだ。我々は人々の平和への願いを聞き入れ、一刻も早くこの戦いに勝利しなければならない。ならば、同じくそれを志す者を受け入れるのは当然だと、私は考える。ベルクラントは兵器となったが、それを操るミクトランこそが諸悪の根源であり、開発チームに咎はない。違うかな?」
会議が終わり、それぞれが持ち場へと戻る為に席を立った後、その場にわざと残り、同じように残っている相手の顔をまっすぐに見つめ、カーレルが言った。
「ハロルド。」
「なに?兄貴。」
「確認したい事が2、3ある。」
そう来ると思ってた、とハロルドは兄に向かって言い返した。
元より、一緒に会議に出ていた誰が気がつかなくても、この兄が気づかない訳がない。
この兄は、自分の片割れだ。自分が思いつく事は当然のように兄も思いつく。
「言ってみて?」
にっこり笑って、ハロルドは言う。
久しぶりに腹の探り合いを楽しんでみよう。
ハロルドから見たら、その手の相手になるのも、兄くらいのものだ。
だが、カーレルの方は、今はゲームにつきあう気はないらしい。
表情も変えずに口を開く。
「天上軍が高密度レンズを狙っている、というのはどこから出てきた推察だ?」
「知ってちゃ可笑しい?」
「可笑しい。捕虜の身で、どうやって仕入れられると言うんだ。」
その通りだ。
ハロルドは捕虜だった。なにかの情報を得るなどありえない。
会議に出ていた他の連中は、ハロルドが捕らわれる前に気づいたのだろう、と勝手に解釈したようだが、捕らわれた時間帯などを計算すれば、それはありえないと容易に想像はできる。
だから、ありえるとするならば。
「お前、天上軍に寝返らないかと言われたのか?」
つまり、そこで計画を打ち明けられたのではないか、という訳だ。
「バルバトスみたいに?」
ハロルドの言葉に、カーレルは一瞬、眉をよせた。
「そうだ。」
う〜ん、とハロルドは唸る。
「寝返らないかと持ちかけられた、というよりも・・・。そういう具体的な誘いが出る前で、その話は消えたわ。私を見て、すぐに向こうは諦めたみたい。」
「向こう、というのは天上軍の意向か?」
「ううん。ある人。」
「それは・・・天上軍のどの位の人間だ?将校か、という意味でだが。」
寝返るだの、諦めるだのの画策は、ひとりで決断できるものではないだろう、とカーレルの表情が言っていた。ミクトランに一任されるほどの高官ならばありえるかもしれないが。
「知らない。」
「では・・・お前に接触してきたのはどういう・・・。」
「あーもう!!まどろっこしい!!」
カーレルの言いたい事、聞きたい事はとうに分かっている。
ゲームを仕掛けたつもりが、完全にハロルドの負けだ。
ひとつずつ焦らしながら答えようと思っていたが、カーレルはひとつ答えると、質問の項目を増やしていく。問題の本質に到達するまでに、どれくらいの時間がかかるだろう。
そんな堂々めぐりは時間の無駄だ。
ならば、自分から全部話した方が良い。
ハロルドの性格を見越していたカーレルの方が一枚上だった。
今回は素直に負けを認めるしかない。
ハロルドの姿を見て、カーレルは少しだけ微笑んだ。
それに気がつき、ぶーっと一瞬、頬を膨らませた後、ハロルドは自ら口を開く。
「私に接触してきたのは、最初から最後までひとりきりよ。私とバルバトスを捕らえたのも、私に寝返る話を匂わせたのもそいつだわ。」
「バルバトスは・・・。」
「おそらく、そいつが唆したのね。」
「・・・続けてくれ。」
「そいつは初め、私に手伝って欲しい事がある、って言ったの。内容をいきなり話したりはしなかったけど、推測した事を確認したら、否定しなかった・・・・・。」
「それが・・・。」
カーレルは無表情のままで、ハロルドに言った。
その冷静さで、妹に探りを入れようとする。
「お前を謀ろうとする罠だとは思わなかったのか?誤った情報を故意にお前に与え、真意を隠そうというつもりなのでは?」
普通なら、そう考えるだろう。
だが、ハロルドは即答で断言した。
「ないわ。」
「・・・どうしてそう言い切れる?」
「それは・・・。」
ハロルドは言葉を詰まらせた。
どうしてサロメを信じるか、と言われれば、勘だ、というのが一番近い。
だが、それがどれほど真実に近いものを導き出したとしても、勘というだけで、この兄を納得させる事はできない。
「これは何故、私が推察に至ったか、と同じ説明になるけど。」
カーレルは頷く。
「ひとつは、そいつは完全に天上軍やミクトランに心酔している訳ではない、という事。」
ハロルドは人差し指をカーレルの前に掲げて言った。
「これは、たぶん、という話なんだけど・・・。私を引き入れようという話が軍のどこから出ていたかは知らないけど、そいつは初めから私の事は諦めていた感じなのよね。その上で、兄貴達がやがて迎えにくるだろうって事も予測してた。」
「普通は・・・そう思うだろう。」
「うん、そうなんだけど。そして、そいつは・・・たぶん、地上軍が勝つだろう、って。」
「・・・なんだって?」
「“この戦争はおそらく、お前達が勝つ”そう言ってた。」
「・・・だとしたら、えらくこちらに好意的だな。」
そして、とても冷静だ。
戦争の中において、自軍の勝利を望む熱意のようなものが、多かれ少なかれ、必ず誰にでもあるものだ。
それが、皆無に見える。
「地上軍にくる気なのか?」
負けると思っている軍の方に味方するのだろうか。
その人物は。
「いいえ。」
その時の事を思い出し、ハロルドは首を振る。
『僕は天上軍を裏切らない』
「・・・そのつもりはないみたい。」
「そうか。」
「・・それと・・・。」
言いかけて、ハロルドは言いよどむ。
果たして告げるべきか、否か。
カーレルにすら言えない、のではなく、カーレルだからこそ、だ。
それを兄に告げることで、決定づけられる事を、本能的にハロルドは恐れた。
答えは目を逸らしても、変わらないというのに。
「どうした?」
いつまでも言い出さない、めずらしい妹の態度をカーレルは不信に思った。
「・・そいつは晶術を使う。」
カーレルの眉は片方だけあがるのを、ハロルドは見た。
その後、沈黙が降りてきて、しばらくその場を支配した。
「ひとつ、確認しておきたい事がある。個人的な事で。」
「何?」
カーレルはハロルドの瞳を見返した。
昔からのカーレルのやり方だ。
妹に嘘をつかせまいとする時、カーレルは視線でそれを訴える。
「その人物へのお前の興味は。」
その瞳は、冷めている。
「ひとりの女性としてのものか?それとも、科学者として、か?」
ハロルドはとっさに答えが出なかった。
それは、答えに迷った為ではなく、この感情をなんと言えば良いのか、彼女自身分からなかったからだ。
カーレルはそんな妹に対して、続ける。
「女として、というのならば、問題はない。だが、それが科学者として、というのならば。」
「兄貴・・・。」
「お前はミクトランと同じだ。」
ハロルドは兄の視線から逃れるようにうなだれた。
そして、そのまま頭を上下に動かし、頷く。
分かっている、というその意思表示を受けて、カーレルも視線を落とす。
可哀想に、とカーレルは思った。
可哀想なハロルド。
どちらにしても救いのない結果しかない。
「兄貴。」
呼ばれて視線をあげると、ハロルドが挑むような強い視線でこちらを見つめていた。
「あいつの事は、私にまかせてくれない?」
分かっているくせにそれを言うか、とカーレルは心の中で妹に答え、兄の顔から軍師の顔へと切り替える。
「その人物が大人しく、後ろにいるなら、好きにしたら良い。」
「もし前線に出てきたら?」
「無理だ。」
きっぱりとした口調で言い放つカーレルに、そう言うと思った、とハロルドは舌打ちする。
サロメが前線に出てこないなど、ありえない。
もっとも効果的で劇的な場面に、ミクトランはサロメを登場させるだろう。
晶術を知らない兵士たちにとっては、彼そのものが脅威だ。
サロメが前線に立てば、嫌で目立つ。
その人物をハロルドひとりに任せるなど、到底無理だ。
そうカーレルが、軍師としても、兄としても考えているという事がこちらにも手に取るように分かった。
ハロルドは唇を噛み、その後に続くはずだった言葉を呑み込んだ。
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