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「まったくハロルドにも困ったものだ。」
「そう言いながらも、さほど困っているようには見えないぞ?カーレル。」
入ってくるなり、妹の愚痴を零す友の顔を見て苦笑し、ディムロスが言った。
いつ訊ねても、ディムロスの私室はきちんと片付いている、とカーレルは思う。
それはもちろん、この男の性格もある。
熱血漢である彼は何事にも折り目正しく、物を散らかして何をどこへやったか分からない等のヘマは決してしない。
だが、おろらく・・・前線の指揮官である事も、理由にあるのだろう。
いつ帰れなくなっても可笑しくない立場だ。
もしもの時、後を片付ける者たちが困らないようにという配慮が伺える。
嫌な時代だ・・・とつくづくカーレルは思った。
「それでどうだった?」
ディムロスが軽い口調で言った。
話をしよう、というただそれだけの気持ちで。
だが、カーレルの方は、こう答えた。
「・・・なにがだ?」
ん?とディムロスはカーレルの顔を見る。
見るからに浮かない表情だ。
カーレルが自分から訪ねてきた理由は、てっきりハロルドが捕らえられていた時の事だろう、と思ったのだが。
「・・・何か、言いたくない訳でもあるのか?」
カーレルとハロルドが会議の後、ふたりきりで何事かを話していたのは知っていた。
その後、見かけたハロルドがめずらしく、何か考え込んでいた事も。
その事で、なにか自分の耳に入れておかねばならないのだろう、と思っていたのだが、カーレルは一向に言い出さず、こちらから聞けば、こうやってはぐらかそうとする。
カーレルに迷いがある事を、ディムロスは感じ取っていた。
「これは、ハロルドと一緒に捕らわれていた兵のひとりが言っていた事だが。」
助け舟のつもりはないが、たぶん、この話だろうとあたりをつけ、ディムロスの方から口火を切る。
「妙な術を使うヤツが、天上にいるらしい。」
「・・・そうだ。」
カーレルは頷いた。
「それはハロルドが体系化したという、あれか?」
「晶術というんだが。」
見ると、カーレルの表情がひきしまっている。
やはりこれが本題だ、とディムロスは確信した。
「レンズの力を精神力で増幅して使う。魔法に近いものがある。」
「・・・ハロルドが開発中の新兵器と似ているな。」
「ああ。ソーディアンは長期戦を考慮して、レンズの劣化を計算にいれて開発せざるおえないから、かなり密度の高いレンズが必要となるが、今、ハロルドが自ら体系化して使用している晶術には、そこまでの高密度レンズは必要ないそうだ。まだ実験段階でもあるし、ハロルド以外に晶術を使用できる者はいないが。」
「それがすでに、天上側にもいる。」
「そうだ。」
その状況によって、今後の戦火の行末も変わる。
ふたりは沈黙し、その重要性をしっかりと胸に刻み込む。
「ところで、その晶術だが。」
カーレルが口を開いたが、すぐにまた噤んでしまった。
「・・・・・?」
ディムロスは眉を顰める。
めずらしい、というよりもこんなカーレルの姿を見るのは初めてではないだろうか。
いつだって明確な態度を崩さないカーレルだ。
迷いのない姿は、見る者に不安を与える事はない。
それを自分自身でよく知っているだろう、彼とは思えない姿だった。
「ハロルドに詳しく説明されたんだが。」
カーレルが言った。
視線はなんとなくディムロスの耳あたりを彷徨っている。
「ああ。」
「・・晶術を使うのには、ある種の適性が必要なのだそうだ。」
「適性?」
「そうだ。」
いくぶん沈んだ声音でカーレルは続ける。
「レンズの持っている力を、精神力で増幅させると言ったが・・・。それは人によって違いが出る。上級の晶術が使えるようになるには、ある程度の経験も必要になるが、一番大きく影響を及ぼすのは、本人の資質だ。各々の能力によって使える種にも個人差が出てくるのだそうだ。」
「・・それで?」
「天上側にいる晶術使いは、年の頃は17、8の少年だそうだ。・・・・黒い髪の。」
ディムロスは息を飲む。
それによってカーレルの言わんとしている事が伝わり、一瞬で全てを把握した。
「・・・彼、なのか?」
ディムロスは息苦しさを覚え、その下からカーレルに問う。
「・・・分からん。」
それに対して、カーレルは首を振って答えた。
「何分にも・・・人の話で憶測しただけだ。はっきりとした事は何も言えん。」
「だが、お前はそうだと思っている。」
ディムロスはカーレルに問う。
「・・・おそらく。」
親友に隠し事をしても無駄だと諦めたのか、カーレルは認める。
もしくは、ひとりの胸の内に溜めておくには苦しすぎるのだろうか。
いや、とディムロスはその考えを否定した。
カーレルにそんな弱音がある訳はない。
いや、どこかにあるのだろうが、それを親友を前にしても、胸の奥に収め、決して表に出すとは思えない。
この男は・・・とてもつもなく強い精神力を持っている。
おそらく、前線に出る自分以上に。
時々、ディムロスは、思う。
カーレルと戦わずにすんで良かった、と。
もしも、敵方にいたならば、ベルクラントの力などなくても、天上軍は地上を支配していただろう。
戦うなら、たぶん、自分は勝てない。本気でそう、思う。
「・・・あの事はハロルドは?」
「・・・知らない。」
カーレルは目を伏せた。
直接、関係があるなしの問題ではなしに。
「・・・言えるはずもない。」
許せ、とカーレルは妹に語りかけた。
許せハロルド。
「だが、あのハロルドだ。ほうっておいても・・・。」
ディムロスは言いかけた言葉を途中で呑みこむ。
みなまで言わなくても、誰よりもカーレルが一番分かっている。
「ああ。」
そう。あのハロルドだ。
隠しておいたとしても、いつか、必ず、それは知れるだろう。
その時、ハロルドは、それをどう受け止め、どう感じ、どういう言葉で、あるいは。
「覚悟はできている・・・。」
自分を罵るだろう。
カーレルは目を瞑る。
妹の髪の色が脳裏に浮かぶ。
双子とはいえ、自分よりも数段明るく、赤い髪。
もはや赤紫を通り越して、花のような鮮やかな紅色だ。
『あなたはこの戦争で、我々に正義があると断言できますか?」
ああ、まったくだ。
確かにこの戦争で、必ずしも我々に正義があると、誰が言えよう。
ハロルドの自室は自分自身でいつでも実験が行なえるよう、ラボも兼ねているが、主に仕事をする研究室は別に用意されている。
白く殺風景な部屋は会議室と同じく楕円に丸い。正面には巨大なモニターが設置され、中央に同じ白い色の大きなテーブルに固い椅子が置かれている。その上に散乱する資料やデータの数々。
部屋を囲むようにして壁際に分析用、データ集計用と用途に分かれて何台ものコンピューターが並べられ、それはメタリックなものと、プラスチック製の白い枠に覆われているものが半々においてある。
この部屋はまるで、清潔感を演出しようとするかのように、白、白、白、だ。
もっとも書類も、試験薬も白ではないから、ところどころに色はあるが。
その白い部屋の中、奥に置かれている一番大きなコンピューターの横に、やはり同じくらい大きなピンク色の、くまのぬいぐるみが寄り添っていた。
縦横無尽に張り巡らされているワイヤに囲まれ、窮屈そうに体をすぼめている。
それはハロルドの自前のぬいぐるみだ。
ハロルドの部下は全員、頭は切れるが、ユーモアに欠ける。
殺風景な部屋が気に入らなかったので、少しでも可愛いものを、と持ち込んだというのに、気がつけば、めだたぬところに定位置を決められてしまっていた。
「ハロルド博士。これを・・・。」
そのくまのぬいぐるみの両腕を持ち、両手でシャイクしていた手を止めて、ハロルドは振り返る。
困惑したような表情で、コンピューターの画面を覗き込んでいるのは、テアドアという、ハロルドが最も信頼するメンバーの中のひとりの、青年だった。真面目一方の性格はいただけないが、分析に関しては、ハロルドよりも正確で、微塵の狂いもない数字をたたき出す。
「どうしたの?」
テアドアのコンピューターを覗き込み、ハロルドが言った。
「・・・例の博士が天上から持ち帰ったレンズなんですが・・・。どうも奇妙なんです。」
テアドアは言った。
目はコンピューターの画面から離さない。
分析装置にかけられているそれは、画面の中ではただの丸い影だ。
「奇妙、って?」
「傷があります。」
レンズは確かに、無傷なもの透明なものが良質とされるが、傷がある如きで「奇妙」と形容されるのも変な話だ。
「いえ、摂取した時にすでにあったものではないと思います。人工的に作られた形跡があるんです。」
ハロルドの考えていた事を察したように、すばやくテアドアは言った。
「・・・人工的な傷?」
「ええ。見てください。」
そう言いながらテアドアは、コンピューターの画面をモニターに切り替えた。
ハロルドは巨大な直線を敷き詰めたモニター画面を見上げ、透明なただの図形にデフォルメされたレンズの全体図を眺める。
そこに浮かぶ、レンズの画像の倍率がどんどんあげられていく。それに合わせて切り換わる画面を見ていると、まるでレンズ自身が膨張していくかのようだ。
レンズはすでに325倍、という倍率になっていた。
ほとんど、レンズの一部分だと判断できないほどに引き伸ばされている。
そこに、うっすらと白い傷があった。遠くから見ると、白い線が横に走っているような感じだ。
「光をあてます。」
テアドアが言い、手元のパネルのスイッチを入れた。
光を浴びたことで、レンズの内部が浮かび上がる。
「これって・・・。」
それを見て、ハロルドは眉を寄せる。
テアドアが人工的だといった意味が分かった。
白い線に見えているのは、まるでなにかの暗号のようだった。
あえて似たものをあげるなら、よくハロルドが使っている方程式に似た形状をしている。
ひとつひとつが紋章のようなカタチをしたマークが連なり、それが一直線に並んでいる。
「・・・こんなの見たことないわ・・・。」
そう言ったものの、ハロルドは今のは嘘だ、と思った。
過去に、どこかであの形状を見たことがある。
方程式には似ていたが、科学にも、数学にも関係の薄いどこかでだ。
科学に関してならば、ハロルドの頭の中に、全て入っている。
そして・・・・驚くべきは、これが間違いなく人の手が入っているという事だ。
レンズは、傷に弱い。
莫大なエネルギーを壊さぬように加工するのは、相当の技術が必要とされる。
今、このレベルのレンズを加工する技術があるものなど、ハロルドの知る限り、ベルクラント開発チームの科学者たちでもありえない。
となると・・・ハロルドからしてみれば、未知の知識、未知の技術を持つ者が・・・いるという事。
これは、その証拠だ、という事だ。
う〜ん、とハロルドが唸っていると、博士が難しい顔をしているなんてめずらしいですね、と言いながら、テレサという女の科学者が寄ってきた。
それを合図にしたように、他の部下たちも各々が覗いていたコンピューターから離れ、モニターの下に集まってくる。
「誰か見たことない?これ。」
ハロルドが部下たちに声をかけた。
喉元に小骨がひっかかっているような、もどかしい感覚に、ハロルドの背筋がむずむずする。
そう、どこかで見たことがあるのだ。
これに似たものを。
「少し、角度を変えてみます。」
テアドアが言い、レンズに当てる光の角度を調整した。
光は右から斜め15度、30度、45度、と角度を変えていき、ついには90度、傷の真後ろから当てる形になった。
その時。
「あ・・・・。」
モニターではなく、分析器の下のレンズを直接見て、ハロルドは声をあげる。
レンズに後ろから光を当てたことで、映写機と同じ原理になり、レンズの文字が壁に裏側から映し出されている。
「テアドア、光をもっと離してみて。」
「はい。」
光がレンズから離れるにしたがって、壁に映っている紋章が段々と引き伸ばされ、肉眼でも確認できるほどの大きさになった。
「う〜ん、もっと寄って。」
あまりにも大きくなっては、輪郭がボケてしまう。
今度は光を寄せる。
調度良い大きさになるまで、光の位置を調節し、ハロルドはストップをかける。
「・・・文字、ね。」
そうではないか、と検討はつけていたが・・・。
裏から、左右逆に見ていたので、ピンとこなかった。
こうやって光を当て、正確なカタチを浮かび上がらせれば、それだと思い出せる。
「これは・・・確か・・・。」
唇をなぞるようにして、テレサが言った。
「ヴァンジェロの西南の方にある遺跡群に、このような象形文字が刻まれていると思ったんですけど・・・。違いましたか?」
「違わないわ。」
ハロルドは言った。
「かつて、そこを支配していた民族が使っていた、とされる文字よ。」
ああ、そうでしたね。とテアドアが相槌を打つ。
テレサにしろ、テアドアにしろ歴史は専門外だが、学者などというものは、大概、他の分野にまで興味を持って、なにかしらのアクションを起こしていることが多い。
ハロルドは幸い、1度に大量の情報を詰め込める頭脳がある為、それは図書館の中で行なわれる。
昔、目を通した歴史書の中に、この文字は紹介されていたのだ。
見た事がある訳である。
そして、そのその地を支配していた、民族。
「確か・・・天生の民、でしたっけ。」
ハロルドは、思わず笑い出した。
まるで荒唐無稽だ。
天生の民と呼ばれる一族は、その昔、地上を支配するほどの高度な文明を持ち、文字の起こりは彼らによるものだ、と言われている。
今のヴァンジェロの近くにある遺跡群は彼らの文明の名残を示すものであり、天生の民は、その遥か沖、ひとつの島の中に巨大な都市を持っていた。
そして・・・ある日突然、一夜にしてその島は海に沈み、地上から姿を消したという言い伝えと共に、有名だ。
だが。
「じゃあ、このレンズは天生の民の・・・・。」
「そんな訳ないだろ。」
テレサの言いかけた事を、とテアドアが否定する。
当然、そんな話を信じている者などいない。
サロメを追っているつもりが、いきなりおとぎ話を掘り当ててしまった。
まったくもう、とハロルドは頭をかく。
たとえ、天生の民の文字が掘られていたとしても、彼らが生きていたとされるのは、彗星の降ってくる何百年も前の話だ。このレンズとその言い伝えが、直接関係があると思えない。
初めからやり直しだ。
だが・・・手がかりはできた。
サロメがどこでこのレンズを手に入れたかは知らないが。
このレンズがとてつもなく稀有なものである、というのは確かな事だ。
ハロルドはぱっちりと覚醒した。
薄く暗闇の中、コチコチというわずかな時計の音に、一瞬、どこだか分からなくなる。
帰ってきてからも、こういう事は時々起こった。
目が覚めた時、未だに、捕らわれていた天上軍の部屋と錯覚してしまう、という事が。
目だけはぱっちりと開いているのに、変なの〜と思いながら、ハロルドはベッドの上に体を起こした。
突然、眠りに落ちて、突然目が覚めるのはいつもの事だが、なんとなく頭が重い。
ベッドの近くの、壁につくりつけのテーブルの上にあるリモコンを手探りし照明をつけると、いきなりの光に、目が射される。
ゆっくりと瞬きし、慣らしてからハロルドは立ち上がった。
時計を見ると、午前3時だった。
まだ夜中といわれる時間だが、目が覚めたらもうその後は寝直したりしないのが、昔からのハロルドの習慣だ。
部屋においてある、小さな自作のピンクの冷蔵庫のドアを開け、水のボトルを取り出すと、直接口をつけた。
冷やされたボトルの口が、唇に冷たい。
「さて、設計の続きでもしますかね〜。」
軽く眠っていた体を慣らす為、ストレッチをした後、眠る直前まで引いていた設計図が置かれているテーブルに近づいた。
設計図に書き込まれているものは、これから新しく造られる飛行機械の図面だ。
出力はさほど大きくないが、今まで使っているものよりも小型軽量化することで、小回りも効くうえ、高速で飛べる。この程度のものならば、造るのはそれほどの時間は要さない。
問題は予算の方だ。
さて、どんな機能を加えようか。
設計図を上から眺めつつ、テーブルの椅子を引こうとして・・・。
ハロルドは手を止めた。
そのまま、方向を転換し、ベッドの下に入れておいた小箱を取り出す。
シンプルなただの木の箱だ。
それをハロルドは開ける。
中には中身を抜かれた紫の更紗と、髪留めが一緒に入れてある。
・・・サロメ。
女としての興味か、それとも科学者としてか?
兄にそう聞かれて、答えられなかった。
それを思い出すと、ちくり、と胸を内部から刺すものがある。
それは、罪悪感に似ている。
でも、私は違う、とハロルドは思う。
決して、ミクトランと同じ気持ちで、サロメに接していた訳ではない。
彼には、暖かい体も、自分自身の意志もある。
斬れば流れる赤い血も。
裏切りはしない、と彼自身は言っていたが、サロメがたとえ、天上を裏切ろうと裏切るまいと、ミクトランは、サロメを手放さないだろう。
何も晶術が使える彼を、地上軍に恐怖させる為だけではない。
もちろん、その効果を見越してはいるだろう。
だが・・・。
サロメのような人間は、生きている、それだけで、手元に置いておく価値がある。
とても貴重な・・・実験材料として。
何故、とハロルドは思う。
ミクトランがサロメを使って人体実験を行なっている事は、たぶん、間違いない。
なのに、どうしてそれを受け入れてまで、サロメは天上に居続けるのか。
地上が勝てば、彼を解放してやれる、とかそんな事は考えても意味がない。
サロメが自分の意思で、それを甘受している以上、ハロルドには口出しもできない。
だから、心配も憐れみも覚えない。
だからこそ、何故、と個人的な好奇心で、その理由を知りたいと思う。
確かにそれが、カーレルの言う「ミクトランと同じ」道徳を欠いた気持ちではないと、ハロルド自身言いきれない。
けれどそれでも。
もしも彼が地上に来たなら。
・・・私なら、決して、そんな目に合わせない。
私なら。
その時、遠慮がちにトントン、とノックの音が部屋に響いた。
一瞬、気のせいかと思うほどの小さな音だ。
ハロルドは不思議に思い、部屋の扉を開ける。
「あれ、アトワイト。」
外にいたのはアトワイトだった。
手にお皿を持ち、その上から紙ナプキンを被せている。
「ああ、良かった。やっぱり起きていたのね?」
アトワイトはにこりと優しく微笑んだ。
「うん。どうしたの?入ってよ。」
つられるようににこにこ笑い、ハロルドが招くと、アトワイトはお邪魔します、と言いながら、部屋に入ってきた。
「もしかして、まだ実験とかして起きているかと思って。」
そう言って、さしいれ、と持っていたお皿をハロルドに差し出す。
インターフォンを鳴らさずに、ノックにしたのは、もしもハロルドが寝ていて起こしたらいけない、という配慮だったらしい。
どうりで、ノックも小さい訳だ。
その心遣いに、ハロルドは、流石、と思わず感心する。
その場で小さなお茶会が始まった。
夜勤だったアトワイトのサンドイッチは、自分の夜食でもあったらしい。
いつもの、ハロルドが好きなハムとチーズに加え、アトワイトの好物のたまごの具が入っているものもある。
しばしサンドイッチを摘みながら、ふたりはお互いにリラックスして話し込んでいた。
「あら、これ新しい飛行機?」
アトワイトが、ハロルドの机の設計図を見つけて言った。
「そう・・・。」
「なんか良いわね、これ。」
アトワイトはハロルドの創作した武器や機械に対して、感想を述べることはほとんどない。
だから、めずらしいこともあるものだ、とハロルドは目をぱちぱちさせて言った。
「そう?」
「ええ。なんか・・・可愛いわ。つばめみたいなデザインね。」
まさに、それだった。
飛行機は、翼を後ろに倒すことができ、それによってより加速する事ができるようになっている。つばめの飛行の仕方と同じだ。
ハロルドの説明を聞くと、アトワイトは笑って言った。
「しばらく天上に捕らわれていたって言うのに、まったくあなたって人は。帰ってきていきなりこんなものを考え付くなんて・・・やっぱりすごいわ。それとも天上にいた間に、考えていたの?」
ふ、とアトワイトは顔をあげる。
そして、ふつり、と言葉を切った。
なぜだか分からない。
ハロルドが・・・少しだけ俯き加減になっていた。
その表情も、冴えないものへと一変している。
「・・ハロルド?どうしたの?」
思わず、アトワイトは言った。
「もしも・・・。」
「え?」
「ううん・・・やっぱり良い。」
ハロルドが何かを言いかけてやめるのを見るのは初めてだった。
彼女はなんでも思った事を臆さずに口にする。
それは何も考えてないようなフリをしているが、自分が言った言葉に対して相手がどう答えるか、すばやく計算をしながら発言しているからだ。
アトワイトはそれを知っている数少ない人間のひとりだ。
だからハロルドが躊躇う理由が見つからず、本気で驚いて、アトワイトは聞き返す。
「どうしたの?あなたらしくない。」
言いかけてやめたハロルドの顔を、頬杖をついて覗き込む。
笑顔という演出も忘れない。
これほどの美人にいたずらっぽく覗き込まれれば、男でなくてもドキリとする。
どんな事でも白状してしまいそうだ、とハロルドは思った。
「質問かしら?言ってみなさい?」
「ディムロスを送り出す時、毎回、どんな気持ち?」
躊躇っていたのが嘘のような、はっきりとした口調で問われ、アトワイトは少し驚いた。
質問の内容にというよりも、それがハロルドの口から出た事に対してだ。
そして、それをハロルドが求めているのなら、全力で答えなければ、そう思った。
「・・嬉しくはないわ。」
その時の思いつきで答えてはダメだ、そう思ってしばし考え込んだ後、アトワイトは答えた。
「あの人は強く、戦いにおいて的確な判断のできる人よ。けれどこの世には絶対なんてものは存在しない。だから、帰って来ると楽観的に考えてもいられないわ。」
「でも、信じてる?」
「信じる、というよりも、最悪な事態というものを、常に保留にしておくの。その手の事は考えても考えてもキリがない。心配は尽きることはないわ。なくなる事がないものを、わざわざ呼び寄せる必要はないわ。」
「・・・きっと誰でもそうなのね・・・。」
「戦場に恋人を送り出す、というのはね。何かを恨まないでは生きられないわ。」
「恨む。」
「それが敵であれ、戦争であれ、ね。」
そして、ふつりと言葉を切り、アトワイトが見ると、ハロルドは両指を祈るように組み、その上に顎を乗せていた。視線はアトワイトではなく、今ここにない何かを見ていた。考えている。
「ディムロスをどうして好きだと思う?」
「え?」
今度こそ咄嗟に言葉が出ないほど驚いて、アトワイトはハロルドを、目をぱちぱちと瞬かせて見た。
聞いたのは耳だが、幻をみたのか、と思ったのだ。
「本当に好きなのか、それに似て非なる感情なのか。その境界線はどこにあるの?何をもってみんな、相手に対する自分の感情が、愛情だと確信するの?」
「そうね・・・。」
う〜ん、と唸り、アトワイトは困ってしまった。
「難しいことを聞いてくれるわね。好きだと思ったから好き、そうとしか答えられないわ。こればかりはマニュアルがある訳ではないもの。」
「そう・・・よね。」
「ハロルド。」
顔をあげた時、ハロルドの表情はひどく頼りなげだった。
はっきりとした目標を見失い、彷徨っている小舟のように、どこかに行ってしまいそうだった。
「・・・誰か好きな人でも、できたの?」
それにしては浮かない顔だ。
当たったとしても、あまり喜ばしい事ではないのかもしれない。
「わからないわ。」
ハロルドは答えた。
「好きでも、そうでなくっても、どっちでも良い。でも、できるなら・・・。」
そう言いかけ、ハロルドはふつりと言葉を切ってしまった。
その先に続く言葉がなんだったのか、アトワイトには予想できない。
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