ダリアは、大事な要人と教皇の謁見や、大規模な式典が執り行われる式祭の間に、正面から入ったことは1度もない。
それというのも、騎士は普段は教皇の前後を護衛の為に歩くと決まっていて、つまりは、教皇がくぐる同じ扉からしか、その間には入場しない。
だが、騎士本人が讃えられる特別な場合には、それは堂々、正面からの入場が許される。
ダリアは、今日、その正面扉をくぐる為に、控えの間で待っていた。
介添え役には、彼女の上官であった騎士団副総長ラルフィルドが選ばれ、今も彼女の傍らで、名前が呼ばれるのを、一緒に待っている。
すでに、20分。
さらに待って、5分。
控えの間は、式祭の間とは2つの部屋を隔てているが、ここまでざわめきは伝わってきていた。
式祭の間は原則として、式典が始まるまでの間は私語の類は慎む決まりだが、司教たちの間で、すでにその事を忘れてしまっている者が多いと察せられた。
それは、初めは小さなものだったが、時間が経つにつれ、段々と波紋を広げていっていた。
困惑を齎した原因は分からないが、司教の動揺が何によるものかは、別の部屋にいるダリアにすら、すでに明白だ。
「・・・遅いな・・・。」
傍らで、ぽつりとラルフィルドが言った。
だが、それはつい口を出てしまったものらしく、小さく息を飲むと、自分の失態を恥じるかのように、口を閉ざす。
その静かな様は、逆にダリアを不安に駆り立てる。
式典が始まらないのだ。
今日は、他国遠征していた騎士団の無事帰還と、その功績を讃えると共に、ダリアの第二団長就任の儀式が執り行われる事になっていた。
つい先ほど、ダリアは身支度を整え、この控えの間に入り、1時間後の儀式に備えていた。
それなのに、すでに時刻は、予定を40分も過ぎている。
風が部屋の中へと入り込んだ。
顔をあげて見ると、重厚な扉が開き、申し訳なさそうな顔で神官が入ってくる。
ラルフィルドとダリアに同時に見つめられた事に物怖じしたのか、若い神官は小声でぼそぼそとつぶやいた。
「なに?」
「なんですか?」
神官のあまりに小声の為、聞き取れず、ふたりが苛立ちを隠しもせずに詰め寄ると、神官は泣きそうな顔になった。
「式典の始まりの時刻なのですが・・・。」
「ああ。」
「・・もう少しお待ちください、との事です。」
ラルフィルドは、カタチの良い眉を吊り上げる。
「もう十分待っている、と思うが?」
「はい・・その、もう少し・・・。」
「良いから、もっと詳しい説明をしなさい。なにが起こっているのですか?」
その口調は、礼儀を忘れた目下の者に対するものに似ていた。
まるで叱責されたかのように、神官は身を竦める。
こういう時、ラルフィルドは騎士の顔の間から、するりと教皇の子息という顔を覗かせる。
それに気がつき、ダリアが間に入ろうとした時だ。
「おいおい、怯えさせんなよ。」
と呆れた口調で、ひょいと顔を覗かせた男がいた。
「お前さん、本当、こういう時って情け容赦ないな。相手はまだ子どもだろうが。」
ラルフィルドに頭をさげている神官の顔はまだあどけない。
「子どもだろうとなんだろうと・・・。」
溜息をつきながら言うラルフィルドの肩は、それでも力が一気に抜けたようだった。
「大事な時に、はっきりと伝えるべき事を伝えられないようではいけない。この先の、この子の為にならない。」
「だから、それが容赦がないって言うんだ。式典が始まらず、イライラしている司教たちに、訳が分からないまま、伝令しろと言われたに決まってる。可哀想じゃないか。」
なぁ?と振られ、泣きそうな顔で神官は「いえ・・・」と言う。「いえ、私が悪いんです」なのか、「いえ、説明できるんです」なのか、確かにはっきりしない答えだ。
「ヴァレリー。」
では、こうしようというように、ラルフィルドは肩をすくめた。
「お前が説明してくれないか?」
一転、幼馴染の出現でリラックスしたらしいラルフィルドの態度に、つられるようにダリアも、にっこりと笑う。
「そうですね。それが1番適切でしょう。」
兄の幼馴染で、第三騎士団の長でもあるヴァレリーとは、ダリアも旧知の仲だ。
くだけた口調は自身の緊張をも和らげる。
ダリアは肩の力を抜き、ヴァレリーの顔を見返した。
対して、肩をすくめたのは、今度はヴァレリーの方だった。
「どうしたもこうしたも。」
行ってよいぞ、と半ば怯えた神官を退室させ(自国の騎士になにを怯えるのか不可解なところである)、ヴァレリーは苦笑を漏らすと、やおら真剣な表情に戻る。
「教皇の式祭の間入場に、待ったがかかった。」
「え?」
声を合わせて、ふたりは聞き返した。
先ほどのくだけた様子が、一瞬にして引き締まる。
「教皇に?」
「待った、というのは・・・。それでは今、教皇はどちらにいらっしゃるのです?」
「聖獅子の間だ。」
聖獅子の間は、政務室もかねた、教皇の私室だ。
「では、まだお出になってない?」
「ああ、そういうことだ。身支度を整えられて、いざ、式典へと臨まれようという時に、問題が発生したから安全を確かめるまでの間、教皇は部屋からはお出にならぬように、と侍従の者に連絡があったらしい。」
「問題?」
ラルフィルド眉を顰める。
「問題が発生したなどという話、我等は聞いていないぞ。一体、誰がそのような事を・・・。」
「それが。」
ヴァレリーは苦笑する。
「我等が総長閣下だ。」
「ビショップが?」
「・・・・・。」
目を丸くするラルフィルドの横で、ダリアは無言だ。
ダリアは実は、総長と時下の対面を果たした事がまだない。
総長は普段、騎士たちの後ろで指揮をとり、部屋も騎士たちの間とは違う特別室を宛がわれ、そこから出てくる事もあまりなかった。
ラルフィルドの指揮下にいた時は、遠目に姿を見たことがあるが、直接、声をかけられた事は1度もない。ダリアでなくても、労いの言葉をかけられるなど、めったにはない事だ。総長の矜持の高さは知れ渡っている。目下の者になどわざわざ自分が気にかけてやる必要もない、というところか。
ましてや、今、総長は自分のことで手一杯の筈だ。
ベルクラントの攻撃から難を逃れ、ラヴィ・ロマリスクに帰ってきたのが一月前。それからというもの、神殿内部のあれやこれやに携わり、碌に剣の稽古もしていないという噂だ。
ダリアは、騎士を束ねる立場である、騎士団の総長にはなにも期待していなかった。
だから、騎士としてのあるべき姿を、総長に求めたりもしない。
「ああ。総長自ら聖獅子の間に出向いたようだ。今、騎士の数名が聖獅子の間の扉の前につめている。直々に命令されて、な。」
「それで・・・。」
ラルフィルドはヴァレリーの問いただす。
「総長はどちらに?」
「わからん。」
「おい、ヴァレリー・・・。」
「いや、悪いがな。本当に分からないんだ。侍従の者にそれだけを告げた後、どこかへと去ったままだ。騎士の誰も事態を飲み込めてない。・・・俺たちだって知らされてないんだからな。」
「・・・ああ・・・。」
総長からの支持はまず、騎士個人よりも、各騎士団長に伝えられるのだが、今回は単独に命令が下されている。
聖獅子の間の警護をしている騎士がそれだ。
しかも、通常なら騎士団長の間でも・・・副総長のラルフィルドにだけは、先駆けられるはずの伝令も今はない。
総長がどこにいて、何をしているのか、さっぱり分からない、という訳だ。
「しかし、こうしていても埒があかない。」
ヴァレリーが言った。
実ははじめから、それが目的でこの部屋へと呼びにきたのだ。
それに対して、ラルフィルドが頷く。
「とりあえず我等は、式祭の間へ様子を見に行こう。」
式場になる教皇の間は、人が出入りする時以外は、ぴったりと閉じられている。
それは表面に、白い絹に金のレリーフを施され、ラヴィ・ロマリスクの山百合と、教皇を現わすライオンのレリーフがあしらわれている。
そこは神殿内で、もっとも荘厳な場所。
ラヴィ・ロマリスクの主である、教皇が政務を行い、重要な客人を迎える間だ。
式祭の間は、ざわめきでごった返していた。
状況はやはり、ここにも一切知らされていない。
部屋の内部には、式典に参加する者たちの為に、金の足の椅子が綺麗に一列に並べられていたが、座っている者は誰もいなかった。司教たちは全員が立ち、捕まえた各々の相手と、話込んでいる。
難しい顔のものもあれば、憤っているものもある。
だが、一様に、この事態に困惑しているのが見て取れる。
3人が入場すると、騎士の姿をを見つけた司教の数人が、何事かと問いただしてきたが、本当のところは、答えようがない。
それを、ラルフィルドも、ヴァレリーもおくびにも出さず、少しだけ手順に狂いが生じただけで問題はない、と司教には、安心するように伝えている。
同じ様に司教に対応するダリアだったが、ふと・・・吸い寄せられるように、それが目に入ってきた。
それはまるで魔が差したように。
見なければ良いものを、見てしまうように。
誰も座らぬ椅子の並びの中。
大司教たちの席のすぐ隣に、それはあった。
同じく金の足を持ちながら、背もたれの刺繍は、金糸ではなく黒い糸。
モチーフは飛行する鶫。
騎士団の総長が座す椅子だ。
あの椅子に、あの男が座る。
それはなに喰わぬ顔で。
それまでの他人の偉業を、まるで自分の功績であるかのように。
自分では決して前線には立たず。
命がけで戦う部下を労いもしない。
視線を、ようやくの思いで、総長の椅子から引き剥がす。
式祭の間から控えの間へと戻ろうとダリアはきびすを返した。
とりあえず、ここにいても埒があかない。
なにがなんでも、あの総長を捕まえ、司教たちの前で、事の次第を説明させなければ。
自分に、第二騎士団長の辞令が下りた時、ダリアは、まさか、と思った。
自分が、カルロの妹であるから、というのも理由のひとつだが、あの総長が他人を讃えるなど考えもしなかったからだ。
それまでの功績を鑑みて相応しく思う、という伝令に添えられていた、その一文を何度読み直しただろう。
信じられないというよりも、なにかの罠、あるいは、タチの悪い嫌がらせの類を疑ったほどだ。
断ろうとすら思った。
それをしなかったのは・・・。
喜んでくれた兄の為。
そして。
なにかの折にあの男が失態―命する危うくなるほどの―を晒すなら、それを傍で見届けてやろう、と思ったからだ。
その時は、嘲笑ってやろう、と。
あの男が、兄を嘲笑ったのと同じように。
きっと、自分はそうするだろう。
そして。
騎士の資格がないのは、自分も同じだ、とダリアは思った。
「顔をあげろ、ダリア。」
いつの間にか、廊下で佇んでいたダリアに声がかけられたのはその時だ。
それは止まりもせず、ダリアの横を過ぎていく。
まるで、深く響く鐘の音のような、凛とした声だった。
「身を食む獣を飼っているならば、己の内のものであろうと、外部に対するものであろうと、激情に任せて露にしてはならない。失態を見せてはならない。騎士たる者、隙をみせてはならない。たとえ、上官の前であってもだ。ましてや、それが敵であるなら尚更だ。肝に銘じておけ。」
横を過ぎるその声に、慌てて振り返れば、すでに、騎士の黒いマントを翻した後ろ姿。
一瞬しか顔は見えなかった。
だが、それだけでも目に焼きついて離れない、類稀なる、美貌。
「ビショップ!!」
ダリアと同じく、式祭の間から出てきたふたりの騎士が、声を揃えてその名を呼んだ。
「どこにおいでだったのです?」
「おい、説明しろ。この状況は一体・・・。」
詰め寄るふたりの言葉を制するように、総長は言った。
「暗殺を目的としたものが、ラヴィ・ロマリスクに入り込んだ。」
「・・・!」
「なに?」
ダリアを含め、全員が思わず息を飲み、白い面に見入る。
そこには少しの感情の動きも読み取れない。
「そ・・それで、教皇は!?」
「安心しろ。我が国に害する者ではない。ケースサスからの客人を狙ったようだ。・・・近いうちに、内部紛争が起こるという噂のな。」
「ああ、そう聞くな。」
納得した、という感じでヴァレリーが頷く。
「それで、暗殺者は?」
「取り押さえた。・・・だが、油断はできん。未だ神殿内に別の者が潜んでいないとも限らん。」
「では、式典は中止に・・・。」
「ダメだ。」
安全策と思って口にしたラルフィルドの案を、総長は却下する。
「客人に恥をかかせる訳にはいかない。」
内部の紛争で、他国に迷惑をかけたとなれば、単なる内輪もめと処理する事はできない。
その事を、総長は言っているのだ、と隣で聞いていてダリアは思った。
「この件は伏せたまま、式典は執り行う・・・。マーテル司教とグランバル司教には、内密に話をつけてある。」
「はぁ?いつの間に・・・。」
呆れた、という口調でヴァレリーが言った。
「お前たちが、ぼやっとしている間にだ。ここまで言えば、命令の内容はわかるな?ヴァレリーの第三騎士団は式祭の間から、神殿へと続く廊下を。ラルフィルドの第一騎士団は式祭の間の内部を。それぞれ厳重に警備だ。注意を怠るなよ。」
「はっ!」
「御意。」
命令を下す総長に、ふたりの団長は頭をさげる。
「特にラルフィルド。お前は教皇睨下のお傍近くに控えるんだ。子息のお前なら、その場にいても疑問に思われない。」
「・・・はい。」
なにやら腑に落ちなく、居心地の悪い思いをしながら、その横でダリアは考える。
では、自分はどこを持ち場にするべきか。
「なにを言っている?」
まだ口に出してはいないのに、総長はちらりと、紫の瞳でダリアを見た。
「お前は式典だ。主役の座をほうり出して、どこへ行くと言うんだ。」
それはもちろん、無事に式典を終わらせる為の、手段でもある。
当たり前の事を指摘され、羞恥を覚える暇もなく、続けてダリアには、別の言葉が投げかけられた。
「だが、腰には普段の剣を下げておけ。万が一の時は、抜くことを許す。」
儀式には、本物の剣は身につけない決まりになっている。
それは教皇に向かうという立ち位置で、武器を携帯する事が許されないからだ。
讃えられる騎士は、腰にはなまくらのサーベルを下げ、教皇から総長へと手渡され、そこから騎士に与えられる儀式用の宝剣も、カタチこそ剣だが、それの為につくられた装飾品だ。
「ちょっと待てよ?ミゲル。」
ヴァレリーが、はた、と気がついたように、総長に言った。
「なんだ?」
「介添えの騎士の役は・・・どうするんだ?」
団長就任の儀式には、それを推薦する他の団長が介添え役として一緒に出ることになっている。
その者が新任の団長を、総長に紹介するという場面を段取りどおりに行い、それから、教皇から賜った宝剣が、総長から新任の団長へと手渡される。
「それは異例だが、僕が務める。」
え?とダリアは顔をあげ、目の前の細い肩に見入った。
「お前が、か?」
ヴァレリーが目を見開いて、総長を見返す。
「そうだ。要するにダリアを引率して、教皇睨下に引き合わせるだけだろう?今は、余計な人員を裂いている場合ではない。仕方がないだろう。」
「そりゃあ、そうだが・・・なんか、忙しいな。つうか・・・ダリアはそれで良いのか?」
ダリアが、カルロの事で総長を恨んでいるのを知っているひとりであるヴァレリーは、困ったような顔でダリアを見た。
ダリアは、無言で頷く。
確かに、他に人員を裂いている場合ではないのは確かだ。
好き嫌いを言える立場でないことくらい、ダリアも弁えていた。
ヴァレリーはがしがしと頭を掻いた。
ぼそりとつぶやく。
「まあ、確かに・・・。今度の人選は・・・前団長の推薦もあったとはいえ、ほとんどミゲルの一存だしな・・・。」
え?と聞き返そうとした、ダリアの声は、総長の言葉に遮られた。
「では、散れ。くれぐれも内密に、各国客人に此度の事が知れぬよう配慮も忘れるな。」
「「はい。」」
「そのうえで、万が一にも客人にも、司教方々にも、怪我などを負わせることなどなきよう。ラヴィ・ロマリスクの名を汚すことは許さん。」
「「はっ。」」
ふたりがその場を離れた後、式典開始のファンファーレが鳴るのを待つ間、ダリアは、無言の総長を見上げる。
静かな立ち姿ではあるが、隅々まで神経を研ぎ澄まし、侵入者に対して目を光らせているの見て取れる。
ふいに、さきほどのヴァレリーの言葉が思い出された。
本当に、この男が・・・自分を第二団長に自ら選んだのだろうか。
ダリアは、自分が抱いていた印象と、目の前の男が、違っている事に気がついた。
遠目に見ていたのは、確かにこの男だと記憶しているのに、それでも、どこかが違って見える。
それとも、この美貌を、それまで間近で見た事などなかったから、だろうか・・・・・。
知らず知らずのうちに、気圧されて、自分でも気がつかぬうちに、普段と違う判断を、してでもいるのだろうか。
「・・・・どうした?」
ふいに、見つめていた総長がこちらを向き、ダリアは我に返る。
「いえ・・・。」
視線から逃れるようにしてダリアは、顔を背ける。
一瞬、目があった総長の口元には笑みが浮かんでいた。
それは親しげなものというよりも、からかうかのような笑みだったが、それでも、兄が憤っていた嘲笑うそれとは、やはり違っているような気がする。
先ほどまでは、この男の失態をこの目で見届けてやろうと思っていたのに。
なぜだか今は、この総長に限って、なにかを仕損じるなど、ありえないような気さえする。
自分の、自分への困惑の中。
ダリアは、言葉すら始めて交わす総長が、当たり前のように自分の名を、呼び捨てている事に、気がついた。
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