「逃がすな!一網打尽にしろ!」
「は!」
最近になって、タチの悪い賊がラヴィ・ロマリスクの周辺に出没するようになった、との報告を受けて、黒鶫騎士団が調査に入ったのは、先週のことだった。
賊と呼ばれる輩の正体は未だにわからず、その日はダリアの率いる第二騎士団が当番で任務にあたっていた。
なかなか尻尾を掴ませない相手に焦れ始めたその頃、とうとう賊を追い詰めることができたのだが・・・。
「これは・・・・。」
賊を取り押さえ、被害にあったものがいないか確認しようと周辺を探っていたダリアは、思わず言葉失う。ひゅっという音が喉の奥で鳴って、まともに呼吸をすることを忘れていたことに気がついた。
ひでぇ、と誰かがつぶやき、ある者はその惨劇に、目を背けた。
そのあたりは血の海だった。
男女といわず、老人も子供も容赦なかった。
ざっと数えただけで十数人が冷たい地面の上に横たわり、あらぬ方向に首が、腕が投げ出されている。
すでに事切れているが、一目見ただけでわかる。
「お・・おい・・。」
「ああ・・・。」
物言わぬ者たちの中に生存者がいないかどうかを確認していた騎士たちの間に、惨状に対する憤り以外の動揺が走りだしたのに気がつき、ダリアが問い正そうとした時、倒れて血で地面を濡らす者たちの誰もの顔に刺青が施されているのに気がついた。
「キリ族・・・のようですね・・・。」
第二騎士団の中で、副団長を務める青年が、上官であるダリアのすぐ近くまで来て、小声で告げた。
それに対し、ダリアも無言で頷く。
キリ族。
だから、こんなに容赦のない殺され方をされたのか、と隊の中の誰かが言うのが聞こえ、ダリアが眉を顰めた時、
「生存者がいました!」
と怒鳴るような声で報告がなされ、ダリアはそちらを振り返る。
大きな木の根元。
意識のない状態でなげだされた血まみれの手足は、まるでその木から折られた枝のようだった。
細く小さいその四肢はあますことなく血に塗れ、それ以外でも古傷だらけで、どれほど過酷な状況にさらされてきたか容易に伺い知ることができる。
ダリアはそっと、生存者に近づく。
肌は浅黒く、ざんばらといった髪は黒い。その頬には大きく、月のような刺青が彫られている。
それはまだ、あどけなさの残った、少年だった。
彼はいつも挑んでくるような目で人を見る。
その視線に怯むことはないが、それが周囲との摩擦を生んでいることは確実だった。
最近では、救った子供に食事を運ぶ役を嫌がる者が増えてきていた。「助けてやったというのに」「感謝もない」「俺たちと一族を襲った賊との区別がつかないのではないか」「いつか俺たちが刺されるかもしれん」「所詮・・・。」
差別的な発言をした者を、ダリアは激しく叱責したが、それで少年と周囲の軋轢がなくなる訳ではない。
「・・・お食べなさい。」
スープとパンとを乗せたトレイを目の前に置き、ダリアが食事を促しても、彼はなんの反応も示さなかった。与えられた部屋に身を起こし、壁に寄りかかったまま動かない。
「食べなければ、死んでしまうのよ?」
ダリアの語りかけにも、彼の手は、食事に伸ばされることはない。
少年の傷は一見の悲惨さに反して、命に別状はなかった。恐らく、体を濡らしていた血は、彼をかばった多くの同胞のものだっただろう。今は手足に一箇所づつ、包帯を捲かれている程度だ。
しかし、衰弱が激しかった為、運ばれてきた何日間かは気を失っていた。その間は騎士たちが、ミルクを口に運んだりしていたのだが、意識を取り戻り、自分の置かれている状況を把握した途端、彼は激しく周囲を拒絶した。
以来、彼は出される食事に手をつけることはなく、話しかけてもそれに答えることもしない。
「やはり無駄なのでは?団長。」
その様子を見ていたダリアの部下が、吐き捨てるように言った。その声には、自分たちの好意を理解できない者には、これ以上構いたくないという響きが含まれている。
ダリアはそれにやるせなさを感じる。自分の部下をふがいなく思うと同時に、彼の理屈も理解できると思ってしまう事に。
誰でも伸ばした手を無碍に拒絶されれば、悲しいのだ。
しかも理由があるならともかく、騎士団は彼らの敵ではない。
「私たちは、あなたの敵ではないわ?」
同じことを何度繰り返し説明しても、少年の耳に届いているかどうかは疑わしい。
「一口で良いから、どうか食べて。」
このままでは折角助けた命がまた危うい。
そう願いにも似た気持ちでダリアがもう一度、口を開こうとした時。
「無駄だよ。」
若い女の、凛とした声がした。
ダリアの横で怯む気配がして、部下の騎士はそれを悟られまいと、わざとらしく咳をした。
女は騎士の視線など気にもせず、ダリアに向かって、妖艶に笑いかける。
「べべは子供でも、立派なキリ族の男だ。人の施しを受けるようなヤツはキリ族の男ではない。」
「そんなこと・・・。」
「余計なおせっかいだ、と前にも言ったろう?」
そう言って笑う顔に、ダリアは眉を顰める。
騎士団が助けたのは、少年だけではなかった。
少年が倒れていた場所から少し離れた木の影に隠れ、もうひとり女が倒れていた。
気を失ったままのふたりを馬に乗せ、騎士団がラヴィ・ロマリスクに戻ってきたのだ。
ダリアは女を見る。
ダリアの横で部下は、女の姿をあからさまには見ないようにしながらも、ついつい視線が向かってしまうというような態度で、それをダリアに叱責されるとでも思っているのか、もじもじと体を揺らしていた。
腰まである長く黒い髪。浅黒い肌を惜しげもなく、まるでわざと晒しているかのように、胸元と腰元を軽く布で捲き、その上から幾重にも石でできたアクセサリーをつけている。女のダリアの目から見ても、艶かしい姿だ。
「余計なおせっかいと貴女は言うが。」
ダリアは言った。
「この子はまだ、幼い。大人が助けてやるのは義務では?」
「そりゃあ、あんたたちの信じる教えだろう?」
女は言った。
別にダリアをからかうつもりはない、という口調だった。
「けど、あたしたちの信じるものは違う。その差の話をしているんだがね。」
「けれど・・・。」
「ああ、やめやめ!」
女はからりと笑い、あんたたちの言いあっても仕方ないしね、と左手をひらひらと振った。
「さあ、べべ!」
奥で蹲って自分を見ている少年を呼びかけ、
「仕事の時間だよ!いっぱしの、とまではいかないが、あんたもキリ族だ。あたしの踊る後ろで、笛を吹いておくれ。」
「・・・ちょっと、待ってください!」
状況がわかり、ダリアは声を張った。
「ここで、あんな踊りはやめてください、と前にも言ったでしょう!?」
「やめろって言われても、"あんな踊り"は、あたしの商売だしね。」
女は、飄々とした体でダリアをちらり、と見た。
目があった瞬間、ダリアの体温が熱くなったのを感じる。
「やめたら、商売はあがったり。おまんまも喰えないってやつさ。あんた、あれもダメこれもダメとあたしたちの自由を奪っておいて、そのクセ、自分たちの施しは受けろって強制するんだね?」
一瞬だけ、女の瞳に怒りにも似た感情が現れたように見えたのは気のせいだろうか。
次の瞬間、女はにこりと笑い、さあ立って、と少年を促した。
少年は言葉を発しはしなかったが、素直にそれに従う。
「良い子だ、ベベ。自分の食い扶持を稼げない者は、キリ族とはいえないからね。」
大神殿の門をくぐると、左手に騎士たちの宿舎や職務室を兼ねた詰め所が設えられていた。
そこは総長の席が設けられ、副総長を初めとする騎士団長たちも駐在する為、基本的には騎士たちへの命令はそこから発せられることとなる。
その日、ラヴィ・ロマリスクの門の開閉の役を与えられていた第二騎士団に、団長のダリアだけ早急に執務室へと戻るようにと司令が飛んだ。
第二騎士団に所属する騎士たちの間には、なにごとが起きたのかと一瞬だけ動揺が走ったが、些細な事で人を呼びつける総長のきまぐれは珍しいことでもなく、すぐにたいした用もないのだろうと、業務に意識を戻した。
当のダリアだけは、眉を寄せ、すぐに参りますと返事をしたものの、執務室へと向かう途中から、不機嫌な表情を隠すこともしなくなった。
彼らの総長は2週間ほど前、他国への布教を行なう司教を護衛するという名目で、ラヴィ・ロマリスクを離れていた。その途中には湯治場があり、職務を離れ、思う存分に傷を癒すつもりに違いない、とダリアは密かに思っていた。1ヶ月は優に戻らないだろうという予想に反し、しかも、ダリアはいつ総長が、ラヴィ・ロマリスクに戻ったのか知らなかった。
いてもいなくても同じ、肩書きだけの無能な総長だ。
日頃から総長の動向に興味を持ってないのはダリアだけではないのだから、それで自分も聞き逃したのだろう、とダリアは思い直した。
詰め所に戻ったダリアは、騎士たちが集う大部屋の奥に位置する机に、誰もいないのを確かめるとさらに奥の階段へと向かう。
そもそも総長の席というのはこの詰め所の中だけでも、3箇所は設けられている。宿舎も兼ねた建物は3階建で、3階は騎士の私室だけが並んでいるが、2階には執務室と騎士専用の会議室が用意されていた。
「よう、ダリア。」
階段に足をかけようとした瞬間に、見計らったかのようなタイミングでかけられた声に、ダリアは振り返った。
「ヴァレリー殿。」
「今からか?」
どこへとも、なにしにとも聞かれないところを見ると、やはりダリアが来る事を知っていたのだろう。
「ええ・・・。」
歯切れの悪いダリアの返事をどうとったものか、ヴァレリーは苦笑して、
「まあ、国にいない筈の御仁から、いきなりの呼び出しじゃな。面食らうのも仕方ない。」
と言った。
第三騎士団は、神殿内の警護が任務の筈だから、本来なら団長のヴァレリーがここにいる訳もない。よもや自分を案じてここで待っていたのでもないだろうにと、訝しく思いながらダリアは、ヴァレリーの顔を見返す。
「ヴァレリー殿は、ビショップがいつお帰りになったのかご存知でしたか?」
「いや、まったく。」
苦笑というよりも呆れた、という表情だ。
「つうか・・・あいつ、本当にこの頃どこで何をしているのかわからんな。この間の一件といい、単独行動も多い。人の上に立つ立場っていう自覚があんのかね。」
この間の一件、というのはダリアが第二騎士団の団長に任命された時の事だ。
式典の最中に、入り込んできた他国の暗殺者を捕らえるため、総長はひとりで動いていた。
「それではヴァレリー殿も、ビショップの私への用件がなんだかは・・・。」
ご存知ではないでしょうね、と言ったダリアの言葉に、いや、とヴァレリーは答える。
え?とダリアは顔をあげる。
「・・・それは、分かってる。このちょっとしたいざこざに、第三騎士団所属のヤツが関わってるからな。それで俺とお前さんの両方が総長のお呼び出しを喰らってるって訳さ。」
ヴァレリーは、一緒に呼び出された同胞を待っていたのか。
「お前さんは、賊に襲われてたキリ族を助けただろう?」
「・・・・・はい。」
なんとなくだが、それに関する事だとは予想はしていた。
彼らの待遇をどうするか司祭たちの間で議論になっていたことは、ダリアも知っていた。助けたは良いが相手はキリ族だしな、と眉を顰めながら神官たちが噂をしていたのも、耳に入っている。今現在、神殿内でダリアが起こした問題があるとすればそれだけだ。総長の直々の呼びたてなのだから、彼らの待遇がいよいよ決まったのかもしれない。
そう思っていた矢先、厳しい口調でヴァレリーが告げた。
「そのこどもの方だが。」
「はい。」
「神殿内で盗みを働いた。」
「・・・・!!」
困ったもんだ、と軽い口調とは反対に、ヴァレリーの表情は厳しい。
「それを・・・警備循環中の俺んとこのが見つけた。子供とはいえ、まあ、盗みは盗みだしな。しかも、昨今神殿内から小物がなくなるっていう事件が報告にあがっていてな・・・。前から疑われていての現行犯だからしかたない。捕らえられて、反省房に入れられている。」
「・・・そんな。」
小物はただ単に紛失しただけかもしれないのに前から彼を疑うなんて、というダリアに、残念だがね、とヴァレリーは返した。
「・・・捕らえられた後、調べてみたところ・・・なくなっていたものが、その子の部屋に隠してあった。どれもこれもガラクタ同然のものだが、そういう問題でもない。盗みは子供でも許されない。」
司祭は教えを説く立場の為、罪人を処罰することはしない。処罰するよりも諭すことで、罪を悔い改めるよう導くのが務めだ。しかしだからこそ騎士団があるといえる。騎士は司教ではないから説教をせず、罪人を裁くのが務めだ。罪人を許す者と、罰する者。相対する両方の立場の者がいることで、平等性を保っている。
ヴァレリーの話を聞き、ダリアは合点した。
それは嫌でもビショップの耳にも入る。キリ族の子供本人は元より、世話をしていた第二騎士団にも処罰がくだるかもしれない。所謂監督不行き届きというやつだ。
「まあ、そんなんでな。先ほど、マーテル司教もおいでになった。今は、執務室だ。」
じゃあ、行こうぜというヴァレリーについて、重苦しい階段を上りながら、もしかしたら、とダリアが言った。
「ん?」
「もしかしたら、ビショップは・・・それが原因で、湯治場から呼び戻されたのでしょうか・・・?」
だとしたら、さぞかし立腹しているだろう。あの総長は、自分の思い通りに事が進まないことをなによりも厭う。
「いや?それは違うと思うが。」
「しかし、ヴァレリー殿も、いつビショップが戻られたか知らない、と・・・。」
だとしたら急な帰国に違いないのでは?というダリアに、ヴァレリーは苦笑した。
「俺が言ってるのはそっちじゃない。あいつ・・・たぶん、湯治場になんか興味ないと思うぜ?」
「え?」
にやり、と笑いヴァレリーは前を向いたまま、ダリアを振り向かない。
その含みのある言い回しに、ダリアは少しだけ、違和感を持った。
ヴァレリーは騎士団の誰よりも、総長を嫌っている筈だ。なのに・・・まるでよく知る人間を語るかのような口調はなんなのだろう?
「入れ。」
ノックをして中から聞こえてきたのは、副総長ラルフィルドの声だった。
総長の傍で業務をこなすことの多い副総長がこの場にいるのはなんの不思議もない事だが、それにしても、この一件がどれだけ大事なのかが改めて感じられて、ダリアの気も塞ぐ。まるで首の後ろに重い石がのしかかってくるようだ。
執務室の中では、マーテル司祭がソファーに座っていた。
その向こうには総長の机があり、壁にはラヴィ・ロマリスクの国旗と、騎士団の軍旗がクロスになって飾られている。
その机に寄りかかるようにして体重を預け、腕を組んだままの総長は、なんの感情もなしにダリアを一瞥すると、
「詳細は、聞いたか?」
ダリアの挨拶が終わるのも待たずに、そっけなく言い放った。
「・・・はぁ。一応は・・・。」
面倒臭いと思っているとしか思えない総長の態度に、自然ダリアも自らの立場も忘れ、呆れてしまう。
間の抜けた返事をしてしまってから我に返って背筋を伸ばしたが、それをラルフィルドにはしっかりと見られていたらしく、彼は口元に笑みを浮かべた後、取り繕うようにして、視線を総長へと戻した。つられてダリアの上官を見る。
その総長は、相変わらず表情ひとつ変えない。
時折する瞬きだけが人である証拠のようで、それがなければ人形と見間違うばかりのその美貌は、ダリアを見据えていた。
「僕がお前に聞きたいのは、ひとつだ。」
総長は言った。
「どうしてキリ族を連れて帰ってきた?」
ダリアの頭に、かっと血が昇る。
キリ族は自由を愛し、国を持たぬ民族だ。一生をかけて各地を巡り、ひとところでは生活をしない。何事も自分のことは自分ですることが鉄則で、それは幼い子供にも課せられたルールだという。
しかしそれが故に、どこへ行っても異邦人である彼らは、各地で迫害されてきた民族でもある。
国というものは単なる民族を囲う箱ではない。同じ思想を持たなくとも、時には同胞意識を養わせた他民族とは決して折り合いがつかないのだ。そのサイクルから外れた生き方を選ぶキリ族に対し、謂れのない悪意や偏見を、持つ者も後を絶たない。
「ビショップは。」
怒りで声が震え、上手く発音できないままにダリアは口を開いた。
「怪我をし助けを求める者がいても、それがキリ族ならば、助けるに及ばないというのですか?」
「お・・おい、ダリア・・・・。」
人を裁くのを、己の好き嫌いの気分ひとつで決める総長が相手であることは百も承知だったが、それでも構わなかった。
諌めるヴァレリーの声も、驚いて目を見開いたラルフィルドの表情も、なんの効果もなかった。
ダリアの中のなにかが、その発言を許せなかった。
やはりこの男は変わっていないのだ。正直言うと、落胆の方が大きかった。兄の一件がなくとも、総長が無能である事は重々分かっていたし、それを覚悟で第二団長の任を受けた。
しかし、最近起こったある事件のせいで、ダリアの中で確固たるものだったその評価が・・・少しだけ揺らいでいたのだ。
間違っているのは、もしかしたら自分かもしれない・・・そう囁く内なる声に耳を傾けてみようかと思い始めた矢先だったというのに。
人間を差別し、偏見によってモノをいう人間をダリアは嫌悪していた。
「国を持たぬ、各地で問題視されるやっかい者は、ラヴィ・ロマリスクに入れるべきではないとお考えだというのですね?」
もはや、人の上に立つものの意見とは思えません、といきり立つダリアに、ぎょっとしたようにしてマーテル司教が立ち上がった。
「まあ、そう興奮するものではない、ダリア。ビショップはそのような事を言っているのではない。」
「では、どのように?」
思わず、口元に笑みが浮かぶ。それは人から見たら、嘲笑以外のなにものでもないだろう。
困ってしまったのか、マーテル司教は言葉が見つからないようだったが、今の発言でダリアの身を案じているのは確かだ。上官に対する侮辱を口にする事は、そのまま処遇を問われることにもなりかねないほどの一大事だ。
総長は口を開いた。
それは、気分を損ねた風でもダリアに怒りを持っている風でもない、ついとそよぐ風のような、普通の口調だった。
「お前は、自分の正義を疑ったことがあるか?」
「正義・・・。」
「そうだ。」
総長は眉ひとつ動かさない。
「信念を持って行動しているつもりなら、その正義とやらを一度は疑え。」
「信念・・・意味が?」
「分からないというならば、分かるまで考えろ。」
突き放すような口調で言い放ち、ダリアに下がって良い、と言う。
キリ族のこどもの処遇も、ダリアの処罰もなにも言われないままな事に合点がいかず、思わずダリアが聞き返すと、
「とりあえず、以後、第二騎士団のキリ族の子供への接触を禁じる。」
訳のわからない命令が下された。
「それから、その子供は僕が預からせて貰う。処遇は・・・なんといっても神殿内の窃盗だ。しばらくは様子を見るだろうが・・いずれ、司教たちと相談することになることだろうよ。」
厳罰を訴えるならマーテル司教がいるうちにしておけよ、と嘲笑うように言われ、ダリアは一度、上目づかいに総長を睨んだが、そのまま我慢をして頭を下げた、
状況をはらはらしながら見守っていてラルフィルドと、呆れかえった体のヴァレリーは(総長にくってかかったダリアに対する呆れ顔だ)、とりあえずダリアに処罰が下されることがなさそうだと知ると、安堵の表情を浮かべた。
それに気がついた総長が眉を顰めたのだが・・・それには逆に、誰も気がつかないようだった。総長は、溜息をひとつつくと、帰り際にその子供を連れて来いと、面倒臭そうにヴァレリーに告げた。
どこに連れて来られようと泣きも喚きもしない少年を見て、ずいぶんと肝が据わったこどもだな、とヴァレリーは思った。
腕を拘束されている以上(たかが盗みをした程度でこども相手にここまでやることないだろうに、と思ったが)自分の身の上になにが降りかかるのか興味がない訳はなかろうに、怯えたそぶりすら見えない。
「さて、子供。」
こどもを連れて執務室へと戻ると、総長はその姿を見て一瞬だけ眉を顰めたが(たぶんヴァレリーと同じ理由だろう)、そっけないいつもの口調で、名前はなんというと訪ねた。こちらもそっけない口調でべべだと答える。
その少年の顔を総長は見下ろす。
黒い瞳は挑戦的で、一文字に結ばれた唇がいかにも生意気そうだ。少年は後ろ手に縛られた状態で、執務室の床にぺたんと座っている。その姿勢でもけっして、臆さないその態度に総長は笑うと、
「神殿内で盗みを働いたそうだな。」
と言った。
「お前たちの掟があるように、我らには我らの掟がある。神に仕える神官たちは鷹揚にして咎人には寛容だが、神殿内での盗みはご法度だ。それは我らの神への冒涜に当たる行為だからだ。だからそれらを処罰する為に、我らはいる。」
わかるか、と答えもしないこどもに言うと、そのまま総長は黙った。
待つようにして時間をおくと、しばらくは黙ったままだったこどもも小さく頷く。それは自分の行為を反省したというよりも、ラヴィ・ロマリスクの掟を理解した、という意味だったのだが、この時のヴァレリーは知る良しもなく、ただ、目の前の総長が異国のこどもを、どのようにして諭そうとするのかに興味を持っていた。
「・・・よって、これからお前には働いて貰わねばならない。」
ぱちぱちとこどもは瞬きをした。
「はい。」
即座に明瞭な返事が聞こえて、ヴァレリーは、へえ、と感心をした。
意外にこども受けするとか?まさかな、と総長を顔を見ると眉ひとつ動かさない表情は相変わらずで、では来い、と言って机にもたれかかった姿勢から、身を起こす。
「どこに行こうってんだよ?」
「来れば分かる。」
そっと総長に訊ねれば、面倒くさそうな返事しか返ってこない。
へいへい、そうですか、と相槌を打ちながらこどもを振り返って、おや、とヴァレリーは思った。
こどもはしっかりした足取りで着いて来ていた。
後ろについてくるこどもの歩幅にあわせようというつもりのない総長の歩調は早い。それに遅れまいと必死になっているが・・・しかし、どこか表情が明るかった。さきほどまでも、不満げな頑なな印象が薄れている。
こどもには重いであろう大きな扉を開け、総長は中に入った。
そこは知識の塔・・・ラヴィ・ロマリスクが誇る、巨大な図書館だった。
扉の開く音を聞きつけ、すぐさま神官のひとりが、にこにこしながら近づいてきた。事前に知らされていたのか、お待ちしておりました、と挨拶をしてくる。
「ここがお前の持ち場だ。」
総長はこどもを見下ろして言った。
「ここには、各地から集められた貴重な本が多く納められている。それ故に他国からわざわざ閲覧しに訪ねてくる者もいる。お前の仕事は、訪ねてきた人々がどのような名前で、どの国から来たのか記録することだ。」
ぱちぱち、とこどもは瞬きをした。なにかを言いたそうなこどもが口を開く前に、総長が言った。
「・・・だから、その前にお前は文字を覚えなければならない。」
できるな、と言われ、こどもは、はい、と返事をした。
それを聞くと、本当に珍しいことに、一瞬だけ総長の口元に笑みが浮かび、それを目撃したヴァレリーは目を見開いた。
総長は言う。こころなしか、そっけないながらも、その口調が柔らかく感じられた。
「まずは文字の配列を覚えることだ。それさえ覚えれば後はそれほど苦労もないだろう。後は、あの神官が面倒をみてくれる。」
神官はにこにこしながら、こどもに頭を下げた。
つられたのか、こどもも頭を下げ、その態度にますます神官の笑みは深くなる。
「では、せいぜい、がんばることだ。」
総長は言った。
まるで憎まれ口のようなことを言うと、ひらりと身を翻し、図書館を後にする。それでも、出て行き際、
「手が空いたら、様子を見に来る。」
と嘘か誠の本心なのか分からないことを言い残していった。
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