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件の娘のいる雑貨屋には、さりげなく通りかかっておかなければならないと思っていたのだが・・・・。
これならその必要はないかもしれない。
とハロルドは思う。
町にくりだしてみれば、素顔のジューダスは想像以上に、注目を集めた。
もちろん、大半は若い娘の視線だが、なかには男の、嫉妬と羨望、素直な賞賛を含んだものすらあった。
誰もが、振り返るような、美貌。
きっとすぐに噂になる。
そして雑貨屋の娘の耳にも入るだろう。
こちらの目的は彼女に、ジューダスには恋人がいる、というのを信じ込ませることであるから、それまでの経過や手段は関係ない。
ならばこの状況は、尚更、好都合というものだ。
「どこに向かう?」
デートだ、デートだ、と言ってもアテのない散歩のようなものだ。
出たは良いが、すでに行く先に困り、ジューダスが不機嫌そうに言う。
まるで、この状況下で、つきあわされているのが、自分だと思っているかのような態度だ。
「服、買いにいきましょ♪」
それには、寛大な気持ちで許してやろう、と思いながらハロルドは答える。
「服か・・・。女は好きだな。」
呆れたような口調で言うジューダスに、なに言ってんのよ、とハロルドは言い返す。
「あんたの服よ、あんたの。」
「僕の?」
「そ。その趣味の悪い戦闘服しかもマントつき!街中のデートには最悪に不適切よ?一緒にいるとミスマッチなことこの上ないから、着替えて頂戴!」
「僕は別に・・・。」
「き・が・え・て・頂戴!あんた、それが恩ある私に対する態度なの?」
「・・・・・。」
ジューダスにとっては不本意な行動であったとしても、ハロルドが自分の為につきあっているのは事実だ。
ならば、こちらには好き嫌いを言える立場ではない。
そう思い、ジューダスは諦めた。
「分かった・・・。」
ぼそり、と答えると、ハロルドは一瞬、びっくりしたように目を大きくしたが、すぐににっこりと笑って、わざとらしく腕を絡ませてくる。
「じゃ、いきましょっか。」
「ああ・・・。」
答えながらジューダスは、果たしてこれもハロルドの作戦のひとつなのだろうか、と柔らく細い腕を、自分の腕の上に感じながら考えていた。
もともと好きなのかもしれないが・・・戦闘服同様、この男には黒い服が似あう。
ハロルドはそう思う。
だから、これから着せる服を選びながらも、ついつい黒いものを手に取ってしまう。
だが、黒い服は、ジューダス本人にも好評だ。
もっとも、あからさまに喜びなどはしない男だ。
薦めると拒否しない。つまり、嫌がってはいない。それだけで、気に入っているかいないかを判断できる。
「ね、これなんか、どう?」
「なんだか、カイルが着そうな感じだな。」
白い線の入ったパーカーを手にとってみせるとジューダスは文句を言った。
似合うと思うのだが、お気に召さないらしい。
パーカーはそもそも、可愛げのあるアイテムだから、自分には似合わないと・・・頑として譲らないだろう。
着れば似合うと思うのに・・・と少し残念な気持ちで、ハロルドは違うものを選んだ。
それは、シンプルな黒い半袖のシャツだった。
飾りも、プリントもなにもなく、ボタンも黒くただ丸いものだ。
だが、きっとなんの飾りもないほうが、却ってこの男には映えるだろう。
飾り立てて折角の素材を目立たなくさせるよりも、元々抜きん出たものがあるのなら、それを際立たせたほうが良い。
そしてなによりも、そのシンプルさが、ジューダスは気に入ったようだった。
しげしげと(たぶん着たことがないのだろう)ハロルドに渡されたシャツを見て、変なところがないかチェックしている。
結局、それと、それに合せた黒いパンツを選らび、ついでにシルバーのパンツにさげるチェーンをチョイスして、着替えさせた後、会計を済ませ、着ていた戦闘服は紙袋にしまわせてから、店を出た。
そして次に向かったのはカフェだった。
ジューダスは、着替えまでさせられて諦めがついたのか、もう文句を言わなかった。
疲れて、喉を潤したいぐらい思ってはいたのかもしれない。
それをいいことに、ハロルドは、ジューダスの半袖になったことで、現れた肘のあたりをさりげなく掴む。その時、見て、改めて肌が白いな、と思った。
皮膚の感じも、つやつやとしていて触り心地が良い。
男のクセに・・・とハロルドはすこし膨れる。
通されたテーブルは、外に面していた。
またもや、人の視線が集まりやすい場所だ。
ここまで好都合が続くと、却って、疑いたくなってきた。
もっとも疑うべきが何かなのかは、分からない。
おっきなパフェを注文し、ハロルドは、うっとりした表情をつくり、ジューダスに話しかける。
「ねえ、ジューダスゥ。」
声も、とびっきり甘えた口調を演出して。
だが、相手は演技力の皆無な人間だ。
「なんだ・・・?」
思いっきり顔に出し、ジューダスは気味悪そうに答える。
「もう少し嬉しそうな顔をしなさいよ。」
顔は笑顔のまま、声はトーンを落としてハロルドが言うと、ジューダスは益々嫌そうな顔を一瞬した後、いつもの無表情に戻る。笑顔とまではいかないようだが、まあ、それで良しとするか。
「楽しい?」
「・・・そう見えるか?」
「見えない。」
「・・・・・。」
なら聞くな、と言わんばかりにジューダスは呆れ顔になる。
「でも、折角なんだから、楽しもうって思わない?こんなこと、めったにない事よ?」
「お前とでかけるのが、か?それともデートというシチュエーションとやらが、か?」
「両方。」
「どうせならリアラの方が良かった。」
「何よ?それ?」
ムッとしながらハロルドは言う。
折角つきあってやっているというのに、それはないだろう。
よもや、リアラが好みのタイプというのではあるまいな、と疑うと・・・。
「お前だと、微妙にキャラがかぶる。」
「・・・?」
何の事だろう、と一瞬きょとんとしたが、それが件の雑貨屋の娘の事だと気がついた。
「なによ〜〜〜〜!」
ハロルドは怒った。
「それ、私があのうるさい娘と似てるって事!?失礼・・・。」
「おまたせしました。」
そこへ、タイミング悪くウェイトレスが注文したものを持ってきて、ハロルドは言い掛けていた言葉を飲み込む。
腑に落ちなかったものの、テーブルに置かれたパフェをひと目見て、ハロルドは機嫌を直した。
大きなガラスの器には、底の方までコーンフレークではなくアイスがつまっている。しかもストロベリーとチョコとバニラの3種類。見た目も可愛らしく、ポッキーが刺さっているし、フルーツが盛り付けられている上の方には、ちょこんとプリンが乗っていた。おいしそうだ。
ジューダスの注文したプリン(アラモードではなくプリンだけ)の皿に、自分のパフェからプリンだけ取って乗せてやりながら、ハロルドが聞いた。
「アイスも食べる?」
「少しだけ・・・。」
「ほいほい。」
それで、ハロルドはストロベリーのアイスの玉をひとつ、更に渡してやると、ジューダスは少しだけ、ほんのわずかにだが、嬉しそうな顔をした。
他の人間には分からない程度の表情の変化だ。
「あんたって、本当に甘いもの、好きよね〜。」
「ほっておけ。」
「ふふふ。」
スプーンでアイスを生クリームと一緒にすくい、口にいれると濃厚な甘さと冷たさが広がり、もうそれだけで満足だ。
ジューダスだけでなく、ハロルドも甘いものが大好きだ。
やっぱり、頭脳明晰な私には、脳の活性化を計る甘いものがかかせないわ〜と心の中で思い、ひとり悦に入った。
「甘い毒はないってね。」
「・・・?」
いきなり笑いを含んだ声で言うハロルドに、ジューダスははじめ、いつもの独り言かと思った。
始終、頭をフル回転させている彼女は問題をひとりで定義している事が多い。
浮かんだ疑問に、いつも自分自身で答えている所をみると、ひとりで何人も使い分けているかのように、頭の中で会話が展開されているのだろう、とジューダスは思う。
「あんたのにんじんとピーマンが食べられない理由も、そこなんでしょ?」
「なんの話だ?」
いきなり話を振られ、ジューダスは困惑する。
しかも話の共通性が見えてこない。
ハロルドはふふふ、と笑うと得意げに顔の前で指を組んだ。
いつもの講釈をする時の、余裕の表情だ。
「子供がにんじんとピーマンを食べられない理由って、知ってる?」
「僕が子供だとでも言う気か?」
ムッとしながらジューダスが言うと、ハロルドは却って、気を良くしたように嬉しそうに笑った。
「違うって。」
それもあるけど?とハロルドは心の中で思った。だが、それは言わないでおく。
「子供は、ピーマンとにんじんに限らず苦いものはほとんど駄目なのね。それは生まれてから、まだ味覚に対する知識が浅い為に、本能が先にたつからだと言われているわ。毒というのは大概、苦味があるものよ。それを、見分ける能力が生まれつきあるの。苦味=危険という図式。それが本能的に、わが身を守ろうと作用して、嫌う。だから、大人になるにつれ、にんじんもピーマンも危険のないものだと経験して分かってくと食べられるようになってくる。」
「・・・・・。」
「あんたの場合、毒に対して、異常に鋭い反応を示すわ。」
今まで、どういう生活をしていたかは知らないが、それでも、毒に対する経験は豊富にある、という事だ。まるで幼い頃から飲みつづけていたかのように。
そこまで考えて、ハロルドはそれで想像できる事柄に流れそうになる思考を、きっぱりと切った。
なんでだか、知りたくない。いつもなら、なんでも知りたいのに。知って、痛みを伴いそうな予感がするから。
そこでハロルドは思う。
変なの。痛いのは、ジューダスであって、私ではないのに。
「だから、毒を連想させる苦味のあるものは、どうしても好きになれないんじゃない?たとえ、にんじんやピーマンに毒素がないのを、頭で分かっていても。」
「・・・だとしたら、なんだ?」
別に気分を悪くした風もなくジューダスは答える。
「別にお前に関係ないだろう?僕がにんじんを食べようと食べまいと。」
「まあね〜。」
ハロルドは歌うように言う。
「まあ、確かに言い当てたところで大した仮説でもないわ。ちょこっと思い当たったから暇つぶしに言ってみただけ。で、どう?当たってる?」
ジューダスはそれには答えず、先ほどハロルドに貰ったプリンをスプーンですくい、口に入れた。
プリンには、苦味などない。
カフェを出ると今度こそ行くアテがなくなり、とりあえず、公園にでも行こうということになった。
なにしろ、陽はまだ高い。
木陰ででも休まないと暑さでバテそうだった。
そういえば、戦闘中に精神力を消費したハロルドのお決まりのセリフは「ば〜て〜た〜」だったな、とジューダスは思い出す。
まるで子供が拗ねているかのような口調だ。
聞くたびに可愛いなと思うあの口調は、戦闘中でも微笑を誘う・・・。
「な・・なに?」
いきなり、ぱっと、自分を振り返ってみるジューダス態度に、何事かとハロルドが聞く。
「いや・・・。」
ジューダスは首を振った。
そう、ハロルドの顔を見たところで、そこには驚かされた何ものも浮かんではいない。
驚いたのは、むしろ、自分の胸のうちに、だ。
「あ。」
公園への道すがら、向こうからよく見知った顔がふたつ歩いてくるのが見えた。
そういえば、公園と聞くとこのふたりを連想するほどの、お決まりのデートコースだったはずである。
「あ、ジューダス〜!ハロルド〜〜〜!」
向こうもこちらに気がついたらしく、大きく手を振りながらカイルが呼ぶ。
まるで、犬がしっぽを振っているかのようだ。
一歩遅れて歩いているリアラも、こちらに気がつき軽く手を振っていた。
「へ〜、めずらしいじゃん!ジューダス!」
近くまで寄ってきたカイルの第一声はジューダスの服装に対してのものだった。
「本当、似合うわよ、ジューダス。」
リアラまでにっこり笑って言うので、いつものように誤魔化すタイミングを逸したジューダスが黙っていると、その横でハロルドが胸をそらして言った。
「私が選んだのよ!どう?」
「流石はハロルドだね〜。すっごい良いよ。オレ、こういう服着たジューダス見るの初めてだから新鮮だよ。」
僕は、めずらしい動物か?とそれを聞き、ジューダスは気分を害す。
だが、あからさまに顔をしかめたとしても、所詮、この連中は動じない。
リアラはハロルドに向き直って言った。
「うん!ハロルド、やっぱりそのワンピース似合う!可愛いわよ。」
「そうでしょ〜?ま、私にはなんでも似合うんだけど〜。」
「本当だ、ハロルドも良いよ!」
「でしょでしょ?」
「おい、あまり褒めると、こいつは調子に乗る。いいかげんにしておけ。」
ジューダスが不機嫌そうに口を挟む。
「なによ〜。折角、この天才である私へ、賞賛の言葉を献上するのを許してつかわしてるってのに。」
「僕が却下する。」
「あ〜なによそれ〜。」
膨れた様子でジューダスを軽く睨みつけるハロルドの態度と、しれっとして言い返すジューダスの態度を交互に見比べ、リアラとカイルは笑った。
「本当に仲良いのね、ふたりって。」
「そうだよな〜。本当、お似合いだよな〜。」
それに対して、ふたりは、ん?と顔を見合わせた。
「なんだって!?」
「ちょっと〜、なんで私とこいつがお似合いなのよ〜!やめてよね!」
「それは僕のセリフだ!」
「私です〜。」
それに、カイルとリアラはふたたび笑う。
「じゃ、カイル、お邪魔なようだから。」
「そうだね、オレたちはそろそろ消えるよ、ごゆっくり〜。」
そして手を振り去っていくふたりに、
「ちょっと待て!訂正していけ!」
「そうよ!勝手なこと言ったままで、去るんじゃない〜〜〜〜!」
叫んでも、ふたりは歩みを止めず、にこにこと笑いながら行ってしまった。
「あ〜・・・・。」
後に残されたのは、なんとなく、気まずい雰囲気だった。
意識しないでも良い事を、考えなくっても良い事を、蒸し返された、実は、そんな気持ちだ。
だが、お互い、そんな事は微塵も見せず、再び言い合う。
「も〜、なんだって、あんたと一緒にされなきゃならないのよ。」
「それは僕だって言いたい。」
「第一、あんたが変な事に巻き込まれなければ、私がこんな茶番につきあわなくっても良かったんですからね!元はといえば、あんたが原因なのよ!」
それは正しくはあったが、ジューダスはムッとして言い返す。
「それを言うなら、僕だって、お前になど頼んでない。僕はできればリアラに頼みたかったんだ。」
またリアラのこと!?
それを聞くなり、カチンときて、ハロルドは怒鳴り返す。
「あ〜、そうですか!!なによ、人が折角つきあってやってるのに!もう辞めた!!面白くないったら!あんたは今から、あのふたり追っかけて、リアラに頼むなりなんなりすれば良いのよ!!」
「おい・・・。」
「私は帰る!!」
ハロルドは、ジューダスに背を向けて、歩き出す。
その顔は、真っ赤になっていた。目も心なしか潤んでいる。
それを見て、本気でハロルドが怒ったと気がつき、ジューダスがひきとめようとした時・・・。
「きゃあ!!」
「うわ!!」
いきなり、地面から水が噴出してきた。
なにが起こったか、一瞬、分からなかったハロルドたちは、その場から逃げ遅れる。
水は勢いよく何本もの柱となって円陣を組み、高さを変えて、現れては消え、そしてまた地面の中に吸い込まれるように戻った。
「な・・・なんなのよ!これ!!」
びしょぬれになりながら、ハロルドが言う。
「どうやら、こういう仕掛けの噴水のようだな。」
同じく全身、ずぶぬれになったジューダスが答える。
マンホールのように、いくつもの穴が開いた、丸い石の上は、そこだけがいきなり水が噴出す仕掛けになっているらしい。
そういえば、先ほど目の端で、そういう噴水があるとかなんとか、注意書きがあったのを見たような気がする。
「なによ〜。そんなの全然、意味ないじゃない!」
「そうでもない。夏場は子供の格好の遊び場になるらしいからな・・・。」
「私は子供じゃないわよ!」
「同感だ。僕らにとっては迷惑なだけのシロモノだな・・・。」
はた、とお互いの姿に目を向け、ハロルドが言った。
「あんた、ずぶ濡れよ?」
ジューダスが言った。
「お前こそ。」
「でも、夏場だから、良かった・・・。」
「ああ、まぬけなことこの上ないが、不幸中の幸いだな・・・。」
夏場でなければ、この噴水の仕掛けは動かないだろうけど。
そう思いながら、ふたりは、自分たちの上に起こった小さな不幸を、声をたてて、笑いあった。
箍が外れる、というのは案外、こういう事を言うのかもしれない、とジューダスは思った。
公園でふたりして水を浴びてから・・・幸いにも、この暑い空気と強い日差しのおかげで、服はすぐに乾いた・・・それ以来、笑えるようになった。
そう、なった、というのが正しい。
いつもの硬い表情に、ハロルドは自分が不機嫌なのだろうと思って膨れていたようだが・・・。
もともと、笑みを上手く浮かべることができなかっただけの事だったのだ。
いきなり笑えと言われても、そう簡単にできるものではない。
少なくとも、自分にとっては。
笑う、というのは特別な行為でもなんでもなく、感情の起伏にそって、自然にできるものなのだろうが、それだけの事がとても難関だった。笑うことなど、あまりなかったから。
それが、あの水を浴びて、気がつけば笑っていた、という状況があって以来。
本当に、よく笑っている。
とジューダスは自分で思う。
もちろん、それは他人から見たら、笑みとも呼べないようなわずかな表情の動きなのだが、問題は、ジューダス本人が「笑い」を意識していることにあった。それだけだが、それだけで・・・大きな変化を遂げたなにかなのだ。
「ねえ、次はあっち〜。」
公園で、ゆっくりした後、町の中心に戻ると、ハロルドははしゃぎだした。
調度、子供が疲れてぐずるので少し休憩すると、見事に復活して、そこいらを跳ね回りだす姿と同じようだ。
次から次へとジューダスを連れまわし、色々な店を覗いてはひやかして、また次の店へと移る。
おかげで、町中の半分ほどの店に顔を出すハメになってしまった。
「あっちになにがあるんだ?」
色とりどりのショーウィンドウとは離れていくその方向に、ジューダスは首を傾げる。
ハロルドの指差す方向は静かだ。
まるで街が半分眠っているのを連想させる。
「図書館〜。」
「・・・ああ。」
なんとなくだが。
本当に、ハロルドにふさわしい場所を、やっと口にしたか、という気がした。
色とりどりの店を、目を輝かせて覗き込んでいる姿もハロルドらしいのだが、それとはまた別の意味で。
好奇心の塊の彼女は、同時に最大の頭脳の塊でもある。
その知識の源は、膨大な資料を己のものとしていることにある。
ジューダスは思う。
世界中のありとあらゆる書物は、彼女に読まれるのを待っているのだ。
石畳をスキップしそうな足取りで歩くハロルドに手を引かれ、ジューダスは図書館の前に辿り着く。
大きな石でできているそれは、まるで要塞かなにかを思い起こさせるほど、立派なものだった。
豊かである故の、財を使った蔵書なのか。それとも、元から教育に力を入れている町なのか。どちらにしろ、ハロルドにとっては宝の部屋だ。
そのハロルドは、うっとりと図書館を見上げ、
「じゃ、早く入りましょv」
ジューダスの手を引いた。
いつのまにかたやすく手を引かせている自分に、ジューダスはそこで気がついたが、とりあえず、それではない理由でハロルドを止める。
「おい、待て。」
「なによ〜〜〜?もう。」
そう言うハロルドは、頬を膨らませている。
一刻も早く、本を読みたい、そんな感じだ。
「閉まってるぞ。」
「え!?」
頑丈な木の扉は侵入者を拒むように閉まったままだ。
普段、図書館という場所は、扉が半分開いた状態でいることが多い。
それは、重い扉をひとりで開けられない子供の為の配慮と、開いた場所、民間の場所である、という事へのアピールでもあるのだ。
それは今が、左右の木の扉とも、ぴたりとくっついている。
「ちょっと〜〜〜〜!」
両手でぶら下がるように、ハロルドは取っ手を体ごと引っ張る。
だが、びくともしない。
いや、実際には、ハロルドの全身の力によって、がんがん、と揺れはしたが、開きはしなかった。
「おい、壊すな。」
諦めきれずに、なんとか扉を開けようとするハロルドをジューダスは止める。
その言葉と同時にハロルドは、もう!と叫んで、扉に寄りかかったまま、その場に座り込んだ。
「やんなっちゃう・・・。」
そう言った顔は、よほどがっかりしたのか、目が潤んでいた。
はあ、とため息をつき、手を髪の中にさし入れる。
「仕方がないだろう。」
気の利いた慰めの言葉が思いつかないジューダスは、とりあえず、言う。
「・・・・・。」
「・・・・・この町に来た時、一番初めに来ただろう?」
「うん。」
「その時、全部、読まなかったのか?」
ハロルドは、新しい町にくれば必ず、図書館に来る。
この町でも、最初の日に訪れていたはずだ。
一度、訪れれば彼女は、一晩もあれば、そこにある本を全て読みつくしてしまう。
「読んだわよ・・・。」
「だったら、どんな意味があって、ここに来たかったんだ?」
純粋に、ただの疑問として訊ねると、ハロルドはうっすらと口の端を歪ませるようにして笑った。
それは、今までの子供のようなものとはまるっきり違った種の表情だ。
「わかってないわね・・・。」
「なんだ?」
「・・・あんたと来たかったのよ。」
「・・・・・。」
それは意外な言葉で、だが、確実にジューダスの中心を動かす言葉だった。
ずくり、となにかが蠢くように、心は揺れ、だが、けっして痛みを伴うものではなかった。
それを一瞬、息をとめて確かめた後、ジューダスは口を開く。
「そんな事、なのか?」
「そんな事、よ。」
言い方が悪かったのか、誤解をしたらしくハロルドの声は拗ねている。
慌てて、訂正をしようとジューダスが口を開くより早く、ハロルドは続きの言葉を言う。
「あんたと・・・一緒に色んな議論したかったの。本で知ってても、実際に見たことないものだってあるし、それが本当にあるのかどうか、あんたは見たことがあるのか、聞いてみたい事が山ほどあったのよ。」
「そうか・・・。」
「なのに、ついてないって言うか・・・・。」
ハロルドがその先を言おうとした、その瞬間のことだった。
いきなり、肩を掴まれ、引き寄せられ、気がつくと背中に腕を、頬に相手の首筋を感じた。
「ちょ・・・・。」
「しっ。」
抱き寄せられた、という事実に気がついて焦り、抗議の声をあげようとしたハロルドの言葉を、ジューダスは遮る。
「いきなりで悪いが、少しだけ辛抱しろ。」
「あ。」
ジューダスの肩越しに、その時、例の雑貨屋の娘が歩いているのが見えた。
ハロルドがジューダスの肩に隠れて、様子を伺うと、向こうもこっちを・・ジューダスを見ている。
その表情は、固く、すこしだけ青ざめているようだった。
それを見て、ハロルドは、少しだけ罪悪感を覚える。
この茶番は、彼女に見せつけるものだった。
そんな事を思いついた事を、後悔した。
だが、それでも。
ハロルドはジューダスの背中に手を回し、自分の額を強くジューダスの肩に押し付ける。
そうすると、深く抱き合う体勢になる。
固い肩の感触と、体温を感じ、離したくない、と思った。
誰にも渡したくない、と。
雑貨屋の娘にも。リアラにも。
茜色に、染め上がった空を見て、綺麗だな、とハロルドは思う。
その半透明は空の向こうから、星も瞬きはじめていた。
雲はグレーと淡い赤に彩られ、なんともいえない、風味をかもし出す。
それは、そういうものだ、と初めから決められているかのようだ。
太陽光線の出す自然の成り行きではなく、ここには、これ、と作為された図柄のように、ポンと置かれたかのような。そういう誰かの意図があっても、可笑しくない、と思える。
土の上に伸びたジューダスの影を見ながら、ハロルドは歩く。
もう一日も終わりだ。
日が傾き、夜がくれば、この茶番も終演を迎える。
成果は、ありすぎるくらいにあった、と思う。
たったひとりの観客は、見事にこちらの思惑通りに騙されただろう。
だから、もう終わりだ。
終わりだから、もう手を繋がない。
歩みに合せて前後に揺れる左手を、ぼんやりとハロルドは見る。
男のクセに細い指、男の人特有の節の長い。
そして見掛けが華奢なのに、自分の手など、すっぽり収まってしまう大きく、暖かい手だ。
「・・どうした?」
ハロルドが遅れ気味に付いてくるのが気になったのか、ジューダスが言う。
さりげない気配りがそこにあるのを、ハロルドは見逃さなくなっていた。
今まで、気になどしなかった。
ただ単に、隊列を乱されるのが嫌いな軍隊のように、自分の行動に波をたてられるのが嫌で、声をかけている、位にしか思っていなかった。
きっと、今日、こういう時間がなかったら、ずっとそう思い続けていただろう。
「ううん、なんでもない。」
「そうか?」
「うん・・・・・。なんか寂しくって。」
まるで、何でもないかのようにハロルドが告白する。
それを聞き、ジューダスは、一瞬、沈黙した。
どう受け取ったかは分からない。
けれど、次には口を開き、世間話をしているかのように、
「夕暮れ時だからな。」
と言った。
そして、小声で、いつもよりも早口で
「人恋しくなる時間だ・・・。」
と付け加えた。
「うん・・・。」
「行くぞ。」
ジューダスは、ハロルドが追いつくのを待ってから歩き出す。
それが分かるということは。
ハロルドは、今しがた聞いた、ジューダスの言葉を反芻する。
ジューダスでも、そう思った事がある、という事だろうか。
それとも。
今、そう感じている、という事なのだろうか。
肩を並べてぽとぽとと帰り道を行く間、ハロルドは、言うべきかどうか迷う。
先ほどから、圧倒的な力をもって、焦りが胸をついてきていた。
怖いのは、今日が終わることではない。
今日というのを後から、特別だった、と眩しく思い出すだけの日にしてしまうことだ。
今日、この瞬間を、どこにも、何物にも繋げられないこと、それが嫌だった。
言っても「人恋しい時間」のただの、副作用だと思われるかもしれない。
だが、今、言っても通じないなら、どのみち効力がない言葉なのだろう。そう思った。
「・・・また、一緒にでかけない?」
ジューダスは足を止めた。
意外そうに、ハロルドを見る。
そのまま口を開いたなら、でてくる言葉は、冗談として受け流すという宣言だろう。
ハロルドはそう予測した。
だが、ジューダスは黙ったまま、ハロルドを見て・・・・・口の端をあげて笑い、ハロルドの顔を見返した。目が、笑っていた。
「どうしてだ?」
気が利かないのも大概にしろ、と怒鳴りたくなるような言葉を平然と言う。
ハロルドは口を尖らせ、言う。
「だって、結局、図書館、行けなかったし。」
「・・・それで?」
「折角、服も買ったのに、そのままだと、二度と着ないでしょ、あんた?」
「・・・それで?」
「他にも色々行きたい所があるし・・・。」
「ナナリーたちと行けば良い。」
「そうだけど・・・。」
「それで?」
「後は・・・・・・。」
ハロルドはますます口を尖らせ、思い切りよく言葉を放つ。まるで、そうではないのに、捨てゼリフのように。
「今日、楽しかったの!だからまた、あんたと一緒にどこかに行きたいの!!悪い!?」
ジューダスはそれを聞くと、笑った。
それが勝ち誇ったかのように見えたのは、きっとハロルドの思い違いでもないだろう。
そして、ジューダスは、めずらしい笑みをたたえた表情のまま、短い言葉を、紡ぐ。
「・・・・・・・。」
その返事を、ハロルドは、目をつぶって受け取った。
視界を塞ぎ、聴覚だけを研ぎ澄し、もうそれ以外、何も望まない、と思った。
fin
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