『わからない』





 そもそも、他人に自分を理解して貰おうという感情が、ハロルドにはわからない。
他人の目を通した自分の姿など、興味もないし、相手をよく知ったつもりになる事で得られる快感など、意味がない。
自分の価値を正確に、自分で理解さえいれば、満足できるはずではないか。



 「そういうもんかねぇ。」
ナナリーはそれを聞くと、洗い立ての赤い髪をタオルでふくのをやめて、ハロルドを見た。


 最近知り合い、興味ある存在であった彼女たちを、ハロルドは自室に招き入れた。
お湯なんて久しぶりだ、という彼女たちは、順番にシャワーを浴びていた。


 「でもさ、好きな人がいるとするだろう?」
「うん。」
「その人に良く思われたい。役にたちたい、そして同じ位その人に好かれたい、そう思うだろう?」
「・・・・・。」
「そういう事だよ、要するに。そんな難しく考えなくっても。」
にこっと優しく、ナナリーは笑った。
だが、ハロルドはそれで困ってしまっていた。
ハロルドには・・・好かれたいと思う人も、好きな人も、いない。
それは、恋愛としてという意味だけでなく、友人としても誰一人思い浮かばない。
ひとり例外がいるとすれば、兄のカーレルだが、好かれたい以前に兄妹故、向こうが自分を大事にするのは、しごく当たり前のことであり、この場合、ナナリーの言う例には当てはまらない。

 そして、今、それを口にすると・・・なんとなくだが、目の前の女性が悲しそうな顔をしそうで、言えなかった。
だが、同時に理解もしていた。
自分と彼女たちの間には、大きな開きがあるのだ、と。
それを、悲しいとは思わない。
けれど、この先の障害にはなるかもしれない。
彼女たちの中から、最も自分に似ていそうな人物を、ハロルドは、頭の中で探した。





  

 それは、ほんの数日前の出来事なのに、もうハロルドには、遥か前の事に思える。
時間の概念というのは、時折、こういう副作用をもたらす。
いっそ、時間が固体であったなら、どうだったろう。
もっとも、目に見えやすい無駄な部分を取り除き、やるべき事をやり、さっさと人は人生を終えるだろう。
そうそれは、たぶん、10年もない。



 ハロルドは、積雪の夜道をひとり歩いていた。
昼間は柔らかい雪も、夜は凍って固まる。
足を運ぶ度、シャクシャクという音が鳴った。
まるで、無数のトゲのようだ。





 
 他者と自分を繋ぐ為の、コミュニケーションの方法を得る相手にジューダスを選んだのは、ハロルドにしてみれば、ごく自然の事だった。
まず、他者を必要以上によせつけないところが似ている。
頭の回転の速さも、あの中では抜きん出ている。
そして、何よりも。
自分が近寄って行っても、警戒しない。
他の子と違って、実験体にされないからではない。
1度、ハロルドは、彼に対しても実験を試みた。
飲み物の中に、そっと新薬をたらし、わざわざリアラに手渡すように仕組んだというのに、彼は飲み物を一口含むと、飲み下す前にそれに気がついた。
そして「やってくれたな。」と言って、ハロルドを睨んだ。
その時の勘の良さ、反応の素早さを、ハロルドは気に入っている。



 また、こんな事もあった。



 その時は、廊下で彼を捕まえ、迷惑そうなのを知らぬふりで、ラボに引き込んだ。
どうせヒマでしょ、と先手を打ったが、例えヒマでなくてもかまわなかった。
相手の動きを封じる手など、いくらでも考えつく。


 別に用はなかったが、話し相手が欲しかった。
結局、観念して大人しく椅子に腰掛けた彼に、ひと通り話し終えて満足し、ふと見ると。
彼とは目があったが、それがハロルドを見ているように見えなかった。
ハロルドの目の前にいる体に、半分だけ残し、残りはどこか違うものを見ていた。
「ジューダス。」
ハロルドは目の前の男を呼んだ。
「私の言ってる事、理解してる?」
一瞬で、ジューダスは己の半分を呼び戻したようだった。
まるで、カチリと音が聞こえそうなほど、はっきりとした反応を示すのを、ハロルドは見た。
「ああ。・・・いや。」
ジューダスは、ふたつの返答を口にした。
それでは、何も言ってないのと、同じだ。
「どっちよ?」
「さあな。」
ジューダスは、口の端をあげて笑うと、ハロルドを見た。
「相手がお前となれば、理解できる、と言ったところで、理解している、という錯覚かもしれない。」
それを聞いて、ハロルドは笑った。
「自分を過小評価しすぎじゃない?」
「評価など、時によって、上がりも下がりもするものだ。」
いつも、この男の発言は的を得ている。
得すぎて、誤魔化されている気分になる。
ふと、思い出し、このコミュニケーションの、元々の質問をぶつけてみる事にした。
「私に評価されたい、って思う?」
「遠慮する。」
ジューダスはハロルドを見て、即答した。
少し身をかがめた事で、目を覗き込まれる格好になる。
何の意味も見出すことはできないが、ハロルドの方は少し、体を引いた。
同じ紫色の瞳でも、ジューダスの方が自分のものよりも、明らかに薄い色をしている。
この瞳は苦手だった。
うっかりと吸い込まれて、見失いそうになる。
何を?自分をだ。

 「それには、常に恐怖が付きまとう。」
ジューダスが拒絶の理由を口にした。
「恐怖?」
一瞬、ハロルドは、またか、と思った。
さまざまな人々が、自分を遠巻きにして、恐怖を口にする。
私から見てば、明らかに、止まっているのはそっちの方なのに、奇異の二文字で、私を、自分たちから隔離しようとする。
それで、安心できる保障など、どこにもないというのに。
人は何故、意味のないものに、意味を持たせようとするのか。
いつだって、それが分からない。
それと、同じ発言なのかと思った。
だが。
「真の天才を前にして、恐怖を抱かない人間が果たしているか?」
何を的外れな事を言っている、とジューダスは言った。
「そんなものなの?」
「お前には、僕が自分で知っている以外の僕の姿が、きっと見えている。その僕に、僕自身は一生会う事はない。それが恐怖でなくてなんなんだ。」
「私が見ているあんたは、違う人間?」
「違わないが、普段、僕が自分自身として認識しているのは、ほとんどが無駄な部分だろう。短略的だが、必要なもの、の区別が凡人にはできないんだ。」
「・・・・・そういうあんたには、見えてそうだけど?」
「僕は凡人の部類に入る。」
ジューダスはそう言ったが、その顔は別段、悔しそうにも見えなかった。
天才でない自分を、卑屈に思わないからだろう。
その時点で、すでに他者との違いが、歴然としている。
それも、ハロルドは気に入っている。




 外に出てきたのは、頭を冷やす為だ。
冷えた空気を体中に取り込む事で、体内の温度を少し下げる。
そうしないと、回転はあがり続けてしまう。
考える速度が速すぎて、体の機能とのバランスが上手くとれなくなる事は、間々あることだった。
ハロルドから見れば、世界は、自分の体も含めて、何もかもが遅すぎる。




 


 「お前の目からみれば、この世界は雑然としすぎていないか?」
「ええ。」
それも、ラボにいた時の会話だ。
いつの間にか、自分の誘いをジューダスは、断らなくなっていた。
たぶん、私との会話の現実感が、ある程度掴めていたからだろう、とハロルドは思う。
驚くべきことかもしれない。
ハロルドの知る限り、こんな短期間で、それを習得した者は、ひとりもいない。


 「あまりにも余分なものが、複雑に絡み合いすぎてる。何が元々のものなのかが、誰にも分かってないみたいね。それとも、分かってないのは、私の方?」
「いや、正しいのはお前の方だ。」
ジューダスは断言した。
その言葉を、ハロルドに対して言ったのは、3人目だった。
「だが、そう、それを正しくないと思いたがる人間は多い。」
「どうしてなのかが、私には不明。」
「人によって、絶対的だと思っているものが、それぞれ違うからだ。」
「それは、必要なもの?」
「少なくとも。」
ジューダスは皮肉気に笑った。
「なくなると、世界の有無を問う人間は、現れるだろうな。」
それが分からない。
どうして、不必要なものがなくなると困るのだろう。
理路整然とした、シンプルで分かりやすい世界が創れるのに。
とても、見透しが良くて。
胸がすく、ような。





 「ひとつ、聞きたいんだが。」
「はいな。」
「天才というのは、感情もコントロールできるのか?」
「誰の感情?」
「お前自身のだ。」
「・・・・・試したことないけど、たぶん、できないんじゃないかな?」
「そうか。」
「うん・・・たぶん。」
そう。
自分のはできない筈だ。
できたら。
こんな。
ひとりで、外に出る理由はなかった筈だ。






 今一番の課題は、自分が何を望んでいるのか、それを見極めることだ。
先刻から、ずっと試みているというのに、どうしても上手くいかない。
何かを望む。欲望を持つ。それを満たそうとする。
そのメカニズムの中で、何をどう満たしたいのか、その具体例がどうしても掴めない。
何をどう考えたらよいのか、見えてこない。

 くらり、と眩暈がした。


 またしても思考の速さに体がついていっていないようだ。
ふうーと、ハロルドは、空に向かって息を吹く。
それは数センチ先を白く染めたが、大気の中に溶けていった。






 予想はつかなかったが、とりあえず、ここ数日の忙しさを理由にして、ジューダスには会ってない。
行動に理由をつけた事が、ハロルドには意外だった。
何故そんなことをしたのだろう?
ただ、変化を求めたのは確かだ。
自分の中の変化。
それで、やがて芽を出すのではないかという、希望的観測。
それは今のところ、上手くいってる。
以前より、頭の中身が見えてきている。
いや、胸の中、だろうか。
そもそも、頭の中も胸の中も同じだ。
なのに、どうして痛む時は、頭ではなく胸なのだろう。



 ハロルドはそこにうずくまった。
理由はない。物質的な理由は。
あるのは、内面の理由だ。


  
 


 予想外だった。
自分の用意していた、するはずだった経験の予定表には、それはなかった。
この胸の中に蠢く感情は、なんだろう。
予測が出来なかったことへの敗北感か。
一番、それが近い。
だが、予測し、それに基づいてシュミレーションしていたとしても、それで痛みまで消える訳がない。
経験はしていないが、確信できる。
なんという矛盾だろう。



 「・・・しょっ。」
ハロルドは勢いをつけて立ちあがる。
体に勢いをつけないと、そのままうずくまって、雪に埋もれてしまいそうだった。
だった、というのは何だろう。
自分を支配しているのは、自分のはずなのに。
こうして自分自身を見失うなど、初めての経験だ。

 




とりあえず会いに行こう。
そう思い立ち、ハロルドは基地へと引き返す。
もう十分、我慢した。
未だに、どうしたいのかの具体例は掴めないが、次の段階を試してみても良いだろう。


 こういう時、ハロルドは、本当は自分こそ、雑然としているのではないか、と思う。


 そう、会いたい。
それだけで良いではないか。
普通の女の子のように。
会って、そして今日は少し触れてみよう。
もちろん、触れてみたいから、触れたいのだ。
あの男の、腕に、指に、触ってみたい。
そうして、色々な角度から探求していくうちに、具体的な望みも、いずれ見えてくるだろう。




 踏み出した時、ハロルドは、初めての恋に堕ちた事を、本当は喜んでいる自分を、自覚した。









Fin       









ハロルドを書く、という楽しみな要素のひとつとして、彼女が天才である、という事が、私の中ではかなり、重要な事柄でした。
" 天才"という、部類の人物を、今まで頭の中で、具体的なカタチにする事がなかったから、と言えば良いのか。 普通、市販されている小説内に"天才"と称される人が登場する率は・・意外に少ないんですよ。 たぶん、絶対的に必要な要素ではないから。
その"天才"が書ける、という事が、私にはたまらない魅力でもあったんです。
けれど、実際はやはり、そんなに・・・なんというか"天才"であることを中心に、ストーリーが展開はしない。
そうなると、大概は・・・"天才"って、そう呼んでおけば天才になる、というか。 人物を説明する時に、ひとくくりにその人を現わす時の便利な称号ぐらいにしか、使われないというのも、また事実で。
その筆頭が、私ですが(笑)
いや、実際は、天才である事を中心にストーリーは進むこともありますが、それではなく。
まず天才ありき、という、"天才"であるという前提を、ストーリーよりも、重きをおいて書く、という書き方。 ストーリーに天才ハロルドが出てくるのではなく、ハロルドが"天才"だから、このストーリーになった、っていう話。 それが、書きたくなったのです。
それで試しに、ハロルドの"天才"としての視点から、話を書いてみようと思い立ったのは良いのですが・・・。
ひとつ、問題がありました。
当然ですが、私は天才ではありません。
故に、天才の物の考え方、視点を、自分の事のように・・・書くことが不可能だった。
なので、今まで読んできた小説の、天才と呼ばれる登場人物の中で、私自身が、最も天才だと思う人物の出てくる小説を読み込んで・・・頭の中を、天才に擬態して、書いてみたのが、これです(笑)
凡人が、天才に擬態したって・・・・無理がありますね。 見事に失敗しました。(すみませんすみません)
理路整然としていない分、逆に、何がなにやらって感じになってしまいました(笑)  少し体温の低い、というか、無機質なイメージに、してみたかったのですが。

この話では、めずらしくハロルドが、悶々としている(笑)天才なのに・・・。
(いや、普段うちのハロルドは、性格がストレートだから・・・)
いやいや、天才であるからこそ、完璧に組み立てていた筈のものが壊れ、しかも、自分自身が制御不能になるという事に対して免疫がなく、突然のハプニングに、困惑している。 どんなに天才でも、人間が最も手こずる強敵は自分自身だし、そして、天才の計算でも、予測不能なひとりの女の子という面があった、と、そういう話です。

訳がわからなくって、すみません・・・・でも、個人的には、苦労したから、気に入ってたりします。
でもたぶん、もうしません。 こういう身の程知らずな無茶は(笑)
読んでくださって、ありがとうございました。             

                                                      (3.26/2004)