空は鮮やかすぎるくらいの青色だった。
まるで、ハワイアンシロップを入れたソーダ水のようだ。
良い天気だった。
陽は、柔らかく頭の上をほんのりと暖めてくる。
もう少ししたら、薄い長袖はいらなくなり、キャミソールの上にカーデガンを羽織ったくらいが調度よくなる。そうしたら、可愛らしいワンピースでも買おう。
そんな事を思いながら、ハロルドは、街のゆるい坂道を下る。
そこは店のたちならぶ賑やかな通りから一本外れているからか、あまり人気がない。
その静けさが、逆に良い。
世界中に沢山の人がいるのに、今、この道を独占しているのはハロルドだけだ。
誰もいない路地。
誰もみない空間。
ほんわりと緩やかな自由が、そこにはある。
細く坂の続く路地をしばらく降り。、見上げると建物と建物に通されたロープには、吊るされた洗濯物がはためいていた。
この辺りから人々の生活が見え始め、どこからか、空気の混じったような愛嬌のある音が、子供が弾いているのかたどたどしくメロディーを奏でている。
オルガンの音に釣られるように窓を見上げれば、真っ青な空には、真っ白な雲が浮かんでいた。
「コットンキャンディーみたい♪」
ハロルドはお菓子が大好きだ。
童話のように、どこかにお菓子の家が本当にあったら良いのに、と思う。
それは食べても食べてもなくならず、ありとあらゆる味が堪能できるのだ。
「その種のロボットは作った事がないけど・・・そういう遊び心のあるのも、たまには良いかも♪」
おとぎ話も、ロボットがあれば実現可能だ。
内部にはいろいろな作業をする機械を組み込み、クッキーやらチョコレートやらを製造し、さらにそれをひとつづつ、お菓子の家の設計図通りにはめ込んでいく・・・。
さらに材料を自分で調達できるなら、もっと完璧だ。
そんな事を思っていたら、とうとう店が立ち並ぶ賑やかな通りが見えてきた。
ハロルドは鼻歌を歌いながら、その角を曲がろうとした。
今日は、公園で、という約束だ。
そしてその瞬間。
「きゃ!」
間取り角で人にぶつかり、小柄はハロルドは転倒してしまった。
「ちょっと、どこみて歩いてんのよ!?」
いいがかりも甚だしい。注意散漫だったのは、あきらかにハロルドのほうだった。
それでも、ぶつかった相手は・・・。
「ああ、申し訳ありません・・・。」
本当に、すまなそうに言いながら、ハロルドに手を差し伸べる。
「お怪我はありませんか?」
その手を、その相手の顔を、ハロルドは見た。
思わず、息を飲んで、その顔を見た。
「なんだか最近、ハロルド変じゃないか?」
お先に〜と語尾をのばしたいつもの口調で、皆を席に残したままハロルドが去った昼食の席で、そう言い出したのはナナリーだった。
「変、ってなにがだよ?」
聞き返すロニの声は、もういない相手に聞こえる訳でもないのに、小声になる。
「う〜んと、まず、服装が変わった。」
人差し指を上に立て、それを振りながらナナリーが言う。
「服装?」
この男は美女好きを自称しているクセに案外、そういうところに疎い。
戦闘服から普段着に変われば流石に気づくが、好んで着ていた服の種類までいちいち覚えてはいない。・・・最も相手が興味のない相手だからかもしれないが。目の前の女性の服装が変われば、すぐに気がつくかも知れない。
「そう・・・この頃はなんていうか・・・。可愛らしいというか女っぽいワンピースとかよく着てるよね。リアラみたいな。」
名指しされた彼女は、そのうえ、ナナリーに、ね?と振られて、うん、と頷いた。
「・・・元から、そういうのが好きなのではないか?」
感情の篭ってない声がそれに対して、ぼそりと意見を述べた。
別に怒っている訳ではなく、この男は普段からそういう声なのだ。
「それはそうなんだけど・・・う〜ん・・・。」
歯切れの悪い言い方で、ナナリーは答える。
「なんていうんだろう?ちょっと種類が違うんだよ。前は、ふりふりのレースとか・・・女の子、って感じの・・・それがハロルドには似合ってたんで、羨ましいなって思ってたんだけど。この頃のは、同じレースとかでももっと大人っぽい感じなんだよ。・・ええと・・・。」
「クラシックは感じ。」
「そうそうそれ!ちょっと落ち着いた、上品な感じのを着てるんだ。」
リアラの言葉に、思いっきり同意して、ナナリーは男達を見回す。
この手の事に疎いカイルは、問題外なくらい、きょとんという顔をし、ロニは少し考えたような顔をし、ジューダスは相変わらずむっつりしたままだ。
「・・・で?」
とりあえず、何が言いたいんだ、と言わんばかりに、ロニが聞き返した。
「そのうえ、わたしたちに内緒で、出かけてるみたいなの・・・。」
答えたのは、ナナリーではなく、リアラだった。
「さっきも・・・食後のお茶を飲まずに行ってしまったでしょう?なんか、ひとりだけいつも忙しそうっていうか・・・。」
「あいつが忙しいのはいつもの事だろう。」
「・・それはそうだけど。」
そもそも、ハロルドはいつも、なんらしかをひらめく度に、ひとりで実験だ設定図だ、と騒いでは部屋に引きこもる。彼女の一人行動は珍しいことでもない。
「それだけじゃなくって。」
ナナリーは、言いにくそうにもじもじしながら、後を続ける。
こういう煮え切らない態度の彼女の方が、却って珍しい。
「・・・なんか・・・男の人と歩いているのを、見ちまったんだけど・・・・・。」
ああ、そういう意味か・・とロニは天井を仰ぐ。
それから、え?誰と?などとカイルが相変わらず、能天気な態度を返しているその隣で、無言のまま座っている男を、チラリ、と見る。
「・・さあ、そこまでは。後ろ姿を見ただけだし・・・でも、背の高い男の人だったよ。すっごく仲良さそうに歩いてた。」
「友達でもできたのかな?」
まるで重大なことはないもない、という態度のカイルに、ナナリーは苦笑する。
「かもね。」
そして、こちらもチラリとその隣を見る。
ジューダスは別段、興味もないという風に、優雅な仕草で紅茶のカップを口に含んでいるところだった。
それを確認して、視線を戻すとロニと目があった。
ふたりは、ふたりにしか分からない意志の疎通をそこで図り、同じように深く、溜息をついた。
「あら?あんたたち、まだいるの?」
少し舌足らずの話し方を聞いただけなら、誰も彼女が天才だとは思わない。
「ハ・・ハロルド。」
ちょうど彼女の話をしていたから、なんとなくバツが悪い。
そんな雰囲気に気がつきもせず、少し覗いてみたら、まだいるからちょっと驚いたわ〜暇なの?等と言いながら、テーブルの端、もともとの彼女の席にハロルドは座る。
「・・・なんだ?」
そんな彼女を見て、ロニが言うと、ハロルドは露骨に眉を寄せ、唇を尖らせた。
「支度が終わったから、食後のお茶飲もうと思ったんでしょ。なによ、私がいたらいけないの?感じ悪い。」
「そうじゃなくって、だな・・・。」
ロニは言葉を濁す。
「それ・・その服、さっきと違うよな?出かけるのか?」
「うん、そう。」
にっこり笑うハロルドは、昼食の時に見たTシャツではなく、フリルのついたブラウスに、ロングのフレアースカートを着ていた。大きな衿がケープのようで、まるで人形が着せられているドレスのようだ。
だが、それは何度かロニも目にしたことがある。結構、ハロルドが気に入っている服だ。
「・・おい、どこが変わったんだよ?」
「違うよ、似てるけどこういうんじゃなくって・・・。」
「?なに、こそこそ話してるの?」
顔を寄せ合ってひそひそ話す、ナナリーとロニに、ハロルドは首を傾げる。
「あ、いや、なんでも。」
「そうそう、ハロルドの事じゃないって。」
「?変なの。」
「それよりハロルド。」
カイルの隣、ハロルドの正面から声がかけられる。
「どこへ行くのか知らないが、時間は良いのか?」
「だいじょ〜ぶ。あと10分位、時間あるもの。」
そのふたりの会話を聞き、ナナリーとロニは顔を見合わせる。
「10分しかないじゃないか。」
のほほんと笑っているハロルドに、ジューダスは舌打ちをする。
「お前は先に行って待っている、という事ができないのか?いつも待たせてばかりじゃ、相手に失礼だろう。」
「はいはい、もううるさいな〜。」
「うるさいは余計だ。」
もう1度うるさいな〜と言い、ハロルドは頬を膨らます。
「分かったわよ、行けば良いんでしょ。ふん、だ。邪魔者扱いしてさ。」
ぷんぷん腹を立て、ハロルドは立ち上がる。
「ごちそうさまっ。言っておくけど、今夜は夕食までには戻らないからね!」
「ああ。」
「じゃ、行ってきます!」
すたすたと小さな肩で風を切り、ハロルドは食堂からいなくなる。
残った5人は、その背をなんとなく見送り・・・。
次にガタンと音を立てて、椅子から立ち上がったジューダスを見た。
「あれ?ジューダスも行っちゃうの?」
「なんだ?なにか話でもあるのか?」
食後のお茶も終わったのに、なに用だ?とジューダスはカイルに聞き返す。
「そうじゃないけど、えっと・・・。あ、この後、予定ある?オレ、この間の戦闘で刃こぼれ起こしちゃって・・・。」
「それは前にも聞いた。それで武器屋につきあう約束だったろう。」
「うん、そう!今日、これからどう?」
「ああ、お前が良いならな。」
よし、と跳ねるようにして立ち上がり、カイルは嬉しそうににこにこ笑う。
オレ、少し背が伸びたかもなんだよね。剣を少し長くしようかな?・・・あまり変わらんと思うが?などと会話をしながらふたりが出て行き、後にはナナリーとロニとリアラの3人が残った。
「・・・おい・・・。」
「うん?」
「おいおいおいおい・・・。」
「うん・・・。」
ロニが頭を抱えると、リアラとナナリーのふたりは溜息をついた。
「なんなんだよ、この展開・・・。」
「まったくなんなんだかねぇ・・・。」
「つまりは・・・わたしたちの勇み足ってこと?」
勇み足ってこういう時につかうんだっけ?などと小首を傾げながら、リアラが言った。
「つまりはなんだ。ハロルドは、どこぞの男と一緒に出かけてるっつうのに・・・。」
「ジューダスは、それを知ってて、気にもしてない、と。」
「てっきり・・・。」
その後、リアラの言葉は続かない。
「・・・・・。」
てっきり、ジューダスとハロルドはいい感じなのだと思っていたのに。
そして、3人は、なんだかなぁ・・ともう1度つぶやいた。
「ああ、でもやっぱ納得できねぇ。」
ロニが言い、がしがしと短い自分の髪を掻く。
「あいつのあれは、それ。単に気にしてないっていう、ふりなんじゃねぇの?」
それは、もちろん、ナナリーたちも思っていたことだ。
だが、そうだ、ととも言い切れない。そうじゃない、とも言い切れない。
所詮、周りがどう見ようとも、人の心の中は、本人にしか分からない。
ロニは盛大に溜息をつき、天井を仰いだ。
「あの、意地っ張りめ。」
カフェの丸く小さなテーブルには、白いクロスが張られ、小さな一輪挿しとココット用の器に、沢山の色のついた砂糖が置かれている。
「・・・金平糖みたいね。」
四角いそれが、星型だったら、見間違いそうだ。
そのピンクに色付けされた小さなカタマリをひとつ、紅茶に沈め、ハロルドがつぶやいたのを聞き逃さず、
「君は本当に、少女のようだよね。」
と向かいに座る人物が言った。
「そう?子供みたいかしら?」
「いや、そういう意味じゃないよ。・・君のそういうところは、良いと思う。」
「本当?ランディはそう思う?」
「ああ。」
ランディと呼ばれた人物は、コーヒーのカップを持ち上げながら、ハロルドに向かって微笑んだ。
それは気取ったところの少しもない、まっすぐな笑みだ。
「嬉しい。」
にっこり笑い、ハロルドは答える。
実際、彼に褒められるのはとても嬉しいことだった。
素直に、彼の目に見える自分でいたいと思う。
「実は昨日、食べたばかりなの。」
「金平糖を、かい?」
「うん。金平糖って星みたいでしょ?」
星が食べてみたい。 それはつい最近、ランディに向かって言った言葉だ。
ハロルドは、星に限らず、色々なものを食べてみたい、と思う。
それに浮かんだ雲や、かかった虹。
それらは鮮やかな色をしていればいるほど、甘い砂糖菓子を思い起こさせる。
いつかのお菓子の家ではないが。
食べたら、美味しそうだ、とつい思ってしまう。
その話をした時も、ランディは笑って、子供のような人だ、と言った。
優しく、包み込むような笑顔で。
「そうだ、これ。」
思い出した、という風に上着のポケットに手を入れ、ランディが細長い封筒をテーブルの上に置く。
「はい。」
「なあに?」
自分の方に差し出されたそれを手に取りながら、ハロルドが聞く。
「芝居のチケットなんだ。どうかと思って。」
「へえ・・・。」
ハロルドは芝居を見た経験が、あまりない。
昔幼い時に、子供用の演劇を両親につれられ、観にいったくらいのものだ。
芝居に限らず、ハロルドは『普通』の女の子が、『普通』に体験してきた色々なものが、大きく欠如している。
それをランディには言えない。
「どうもありがとう・・・。」
少しだけ隠し事をして、ハロルドは笑う。
ぎこちなく笑ったその顔は、きっとはにかんで見えただろう。
「どういたしまして。」
相変わらず穏やかに笑うランディの顔は、小さな行為を喜ばれたという安心感から、満足気に微笑んでいた。
夕食の時間は大概いつも決まっていて、皆は8時頃には食べ終わる。
その時間をあえて避けて宿へと戻り、ハロルドは部屋の扉を開けた。
足元に、空気の動きで舞い上がったらしい、一枚の紙切れがひらり、と落ちてくる。
それを拾い、ランプの灯を灯す時間も惜しんで、ハロルドは窓辺へと近づく。
今夜の月は、円にはほど遠い。しかも薄い雲に覆われ、ぼんやりとしか見えない。
それでも、月光は、紙を白く反射させ、細く繊細な見慣れた文字を、浮かび上がらせる。
『今夜は月を、屋根の上で。夕食は取ってくるな。』
宿の最上階は3階だったが、その階の1番奥の小部屋は、普段物置として使用されている。
そこには上へと続くハシゴがかかっていて、上ると屋根の上にでられる。
それは、仲良くなって宿屋の看板娘に、つい昨日、こっそりと教えて貰った秘密だ。
周囲を見回し、耳を澄まして物音がしないか確かめ、誰にも見られていないのを確認した後、ハロルドは小部屋にすべるようにして入った。
物置の中には、ほうきやはたき、使われていない予備の椅子などに紛れ、埃を被った鏡台があった。
それに近づき、被せられている布を外して、鏡に映し出された自分の姿を、もう1度全身くまなくチェックする。
上は、月夜にも映える白いシンプルなキャミソール。
スカートは、ブラウン系のフリルが幾重にも重なっているロングのものを選んだ。首を飾るネックレスは緑のビーズ。足元は軽い皮のブーツだ。
これなら、大好きなフリルやレースでも、すこしだけ大人っぽい。
よし、と小さくGOサインを自分に出して、ハロルドはハシゴに手をかける。
ハシゴは、頑丈で、軽いハロルドが上ったくらいではビクともしない。
それでも十分な安定感を得られない事に、少しだけ恐怖を覚えながら、屋根へと続く小さな正方形の扉を片手で押し上げる。
パタン、と向こう側に大きく開いた扉から顔を出すと、すでに屋根の上には黒い影があった。
彼は仮面をしていなかった。
音でそうと気がついただろうが、やってきたハロルドには何も言わず、片膝をあげ、それに頬杖をついた格好のまま屋根の上に座り、少しだけ微笑んで、こちらを見た。
「・・・遅くなりまして。」
「本当だな。」
ハロルドの挨拶を、ジューダスはさらりと嫌味で返す。
「だって、夕食は取らないでって・・・。」
「だからといって、遅く来いとは言ってないぞ。いつも相手を待たせるのは失礼だと昼間も言ったろう?」
「はいはい、すみませんでした〜。」
言いながら、ハロルドは屋根の上をすたすた歩き、ジューダスの隣に腰を下ろす。
「なにを見てたの?」
「・・・街が灯りを灯していく様をな。段々と暗くなっていくのは、見ていて飽きない。」
あいかわらず、情緒のある人だ。とハロルドは思う。
いつもは辛辣で、人を必要以上に寄せ付けないが、ジューダスは決して人嫌いな訳ではない。
彼はもっと深いところにある心の目で、世界を見ている。
それは慈悲に似ているかもしれない。
見守っている、というのが正しい。赤の他人、もう2度と会うこともない街の人々だからこそなのか、見つめる視線が柔らかいものになり、そこにわずかな情愛のようなものを滲ませる。
「それで今夜は?月って言ってたわよね?」
ハロルドが言うと、ああ、と短く返事をした後、
「そこにある。」
まるで面倒だとでも言うように、ジューダスが顎の先で、屋根の上の一角を示した。
そこには、銀の丸いトレイがおかれ、上からコットンの布が被せられていた。
「なあに?」
わくわくしながら、ハロルドがトレイを引き寄せる。
コットンの端から見えるレタスの葉に、期待を膨らませ、布を取ると。
「わ、美味しそう!!」
「クロワッサンは、三日月を模してそのカタチになった。」
どこから取り出してきたのか、ジューダスが立ち上がって、銀のポットを持ってくる。そして、もう一方の手に持っていたカップをハロルドの膝の上に乗せた。
「紅茶で良いか?」
「うん、ありがとう。」
こぽこぽと音をたて、膝の上のカップの上に注がれる液体からは、甘いような香りが立ち上がり、ハロルドの鼻腔をくすぐった。
「美味しそう・・・。」
丸いトレイの上の置かれた、白いお皿の上にはクロワッサンのサンドイッチが乗せられている。
ハムとレタス。スクランブルエッグと縦にふたつに切られたソーセージ。そしてもうひとつはクリームチーズ。
それらを挟んだクロワッサンが、ちょうどふたつづつ、綺麗に盛り付けられていた。
月、にクロワッサンを持ってくるところが、ちょっと憎い演出だ。
ハロルドはサンドイッチに手を伸ばす。
こういうところが、自分とは違う。
ハロルドだったら、きっと月見だんごとか、そういう安直な連想しかできない。星、だったらきっとそのカタチに切り抜いたにんじんとかだ。
昨日、食べた金平糖は、星だった。
今日とは違い、明るく暖かな日差しの降り注ぐ公園で、噴水を見ながら、ふたりで摘んだ。
いつから、どちらから始めた事だったのか。
だが、最初にハロルドが言ったのだ。雲を見て、食べてみたい、と。
たぶん、気象の話をしていた時だったと思う。
本当になにげなく、おもいついて口にした程度の事だったのに、ジューダスは翌朝、冗談のつもりか、コットンキャンディーを持ってきた。
よく晴れてるからな。
そんな訳のわからない言葉を、起き抜けでまだよく動いていない頭で聞かされ、おもわず窓の外を見たとき、そこには、絵の具で塗りたくられたような真っ青な空が広がっていた。
そんな時間でも、昼にどれだけ明るい日差しが注ぐか、もう予想できてしまうような空だった。
それは、ほんの気まぐれの、いたずらに過ぎなかったのかもしれないが、ハロルドに、確実な呪文をかけた。
以来、綺麗と思うもの、鮮やかな色彩をまとう自然のものを見ると、甘いお菓子を連想してしまう。
食べてみたい。
そう口にする度、ジューダスはそれを題材に、色々なものをハロルドに用意してくれる。
まるで、お菓子の家を作り続けるロボットのように。なんの不平も不満も言わずに。
だが、お菓子作りロボットなら、決まったものを作るだけで、終わりだ。
虹は、ガラスのコップに入った七色のゼリーだった。
蝶はリボンのように薄い羽根をした、チョコレート細工だった。
趣向を凝らし、ハロルドの為に持ってきてくれるそれらは、彼の手で、という点において、何事にも代えられない宝物だ。
器用で繊細な指が、自分の為だけに、それらを創作するのかと、その場面を想像すると、ハロルドはそれはそれはもう、そのまま死んでも悔いはない、と思う。
人はそれを、間違いなく幸福と呼ぶのだろう。
馬鹿馬鹿しい考えだと自分でも思う。
だが、一度そうなった思考パターンは、そう簡単には戻らない。
それは、ハロルドにとっては不測の事態であるはずなのに、その流れに身を任せることはこのうえもない快感を伴いもした。
自分の思考が自分自身を裏切って、暴走しているという事。
自分にはそんな事は、一生涯ありえないと思っていた。
それなのに、自分の思考はまるで年端もいかない少女のように、どんどん無邪気に、無垢にへと返っていっている。
それは、ハロルドが自覚するまでもなく、間違いなく今隣にいる男のせいだ。
彼の、分かりずらい甘やかし方が、心地良いせいだ。
ランディはその残像を見て、ハロルドの印象を決めたに過ぎない。
「無邪気ねぇ・・・。」
思い出し、ぽつりと言った一言を、ジューダスは聞き逃さなかった。
眉を寄せ、嫌そうにハロルドを見る。
「・・・誰の話だ?」
「私。」
あんたの事じゃないわよ、とハロルドは付け加える。
「ランディが、私は子供のようだって。」
ああ、とジューダスは相槌を打った。
「あえて、そう演出しているんだろう?良かったじゃないか。」
そうじゃないんだけど、と思いながらも、それは口にせず、ハロルドは頷く。
「良い"妹"してると思う?」
「・・・がんばってるんじゃないか?」
手放しに誉めるという事を知らない彼らしい言い回しで労われ、ハロルドはふふ、と笑った。
「兄孝行だからね・・・。」
「・・似ていたな。」
「うん。」
やっぱりジューダスが見ても、似てるのか、とハロルドは思った。
ランディに会ったのは、坂道を下った先の、角でだった。
向うからきたランディに気づかず、ぶつかったハロルドは、文句を言おうと見上げた顔に、息を飲んだ。
それは、カーレルに似ていた。
よく見れば、顔のパーツのひとつひとつが違い、全然似てないのだが、一見は妹のハロルドがはっとしたほどだ。
そのうえ、どういう偶然か。
ランディはひとつ違いの妹を3年前に亡くした、という。
それはとてもハロルドに似ていた、と。
とても無視できない。
カーレルとランディと、ハロルドとランディの妹は別人だ。だが、これほどの偶然があるなら必然性を感じても仕方のないことだと思う。
ハロルドは次の日から、カーレルにはできなかった、兄孝行をランディに対して始めた。
それは少しの罪悪感を伴いもしたが、すぐに別れてしまう相手であると思うと、それも和らいだ。
いずれ自分はこの町から去ってしまう。
それまでは、ランディの妹の代わりに、ハロルドがカーレルにできなかった事をしよう、と思った。
ジューダスはその事を知っている唯一の人間だ。
それは他でもなく、ランディと知り合った翌日、ハロルドがランディにジューダスを紹介したからだ。
「あ、そうだ。」
思い出し、ハロルドはごそごそとポケットを探る。
「これ、ランディに貰った。」
封筒を見せると、ジューダスは、ちらりと見て、なんだ?と言った。
「お芝居のチケット。買ったんだけど、行けなくなっちゃったんだって。彼とどうぞ、って。優しいでしょ。」
ふうん、とジューダスは言った。
僕はお前の彼じゃない、というかと思ったがそうは言わなかった。
代わりに
「席が悪いからじゃないのか?」
と憎まれ口を叩き、ぱっとハロルドの手から封筒を取り上げた。
隣で封筒を開け、中身を確認しているのを横目で見ながら、ハロルドは、いつの間にか雲は晴れ、三日月が、くっきりと濃紺の空に浮かび上がっているのに気が付いた。
それを見ながら、大きなサンドイッチをひとつ、両手で持ち上げて口に運ぶ。
噛むと三日月から、じわりとバターの甘味がにじみでた。
fin
|