漆黒の翼につれられ、アッシュはナム島を訪れていた。
ここにくるのは何度目かになるが、色鮮やかに塗られた壁や、色々と用途が不明なものが散乱し、足の踏み場もない散らかりようや、なによりもそこらへんを走り回る子供の騒ぐ声に、毎回落ち着きのない気分にさせられる。
過去、こういう騒がしい場所に身を置いた覚えはなかった。
騒がしい場所といえばは、せいぜいアイテムの補充や、情報の収集などで立ち寄った街中だけで、街の喧騒などは自分には関係のない風景と一緒だ。
そうなれば、用件がない限り人と口を利く必要もなかったし、こんな風に、絶えず自分の周りに人が寄ってくることもなかった。
ほっとけ、と何度言っても、ヨークもウルシーもアッシュに話しかけてくる。
いったん、追い払ってもなにかと用を見つけては、お茶を飲むかだの、部屋で休むか、だのうるさくて仕方がない。
自分はいったいどう見えているのだろう。
手持ち無沙汰が気になるならまだ良いが、余りにも身の置き場がない自分を気づかっての心配りなら、ありがた迷惑というものだ。
いつものようにナム島まで文を飛ばし、呼びつけばまでは良かったが、用件を告げれば、ノワールは今すぐには動けない、という。
ちょいとトラブルを抱えちまっててね、とンをつけて言われ、気分悪く睨んだが、あいにくそんなことに動じるような女でもない。
悪いけど、旦那。
とノワールは笑った。
ちょいとあたしらのアジトまで来ておくれよ。そこで用を済ませてからなら、あんたの頼みはなんでも聞こうじゃないか、と。
他に手立てがある訳でもないし、トラブルがあるというのに、押し通せる訳もない。
渋々と承諾はしたが、今更ながらに後悔する。
ナム島についてみれば、よりにもよってノワールは、手が離せないから、それまでそこにいる子供たちを見といてくれ、とアッシュに言って、自分はどこかへと消えていった。
子守などあいにくしたことはない。
そして、自分が子供に懐かれる訳はないと、自覚してもいる。
泣かれたりしても、どうにもできんぞ、と去り際のノワールに忠告をしたが、彼女はそれにも意を介さなかった。
そんなヤワな子なんかひとりもいないさ、というのが答えだった。
「・・・・・。」
ノワールがいなくなってから、優に30分は過ぎている。
実際、ここの子供たちはアッシュを警戒することもなかった。
漆黒の翼が大勢の孤児をひきとっているのは知っていたし、身内のいない子供はそれなりに、苦労もし、他人に対する警戒心を持っていそうなものに、なぜか、誰もアッシュを怖がりはしなかった。
別段、意味もなくひっつかれたりはしなかったが、全員がアッシュがそこにいることを不思議がるそぶりもみせず、各々が遊びに没頭したり、なにやら準備をしている大人を手伝ったりしている。
まるで、アッシュなど見えないかのようだ。
それでも時々、顔をあげてアッシュと目が合うと、にっこりと笑った。
空気のような存在に扱われることも稀なアッシュは、手がかからない子供に、助かったと思うのと同時に複雑な気持ちになった。
元来こどもは無邪気なものだし、警戒心なく赤の他人に笑いかけもする生き物だろう。
だが、この透明で柔らかな強さは、いつもどこかで目にしているものだ、となんとはなしに考え、アッシュは目を細めた。
アッシュが座る椅子の前で、床にぺたんと座り、一心にぬりえをしている女の子のリボンが今にもほどけそうになっていた。
それをみつけて指摘してやると、女の子は自分の結っている髪に手を伸ばした。
幼い仕草で、結いとめようと伸ばした手は、ほろほろとリボンがほどける原因となってしまった。
こぼれたリボンを拾い、アッシュは一瞬だけ躊躇った後、乱暴にならないように、静かに、それを女の子の髪に付け直してやった。
端がほつれ、見るからに安物の黄色いリボンを、それでも付け直して貰ったのが余程嬉しかったのか、女の子はにっこりとアッシュを見上げた。
そして、斜めがけにしていた布性のバッグに手をつっこみ、ん、とアッシュにその右手を差し出す。
「なんだ?」
聞いても、女の子は答えない。
どこか自慢げな笑顔を浮かべ、もう一度、ん、とアッシュに手を差し出した。
受け取ったのは、キャンディだった。
お礼のつもりなのだろう。
黄色いセロファンで包まれたそれをアッシュは指でつまみあげたが、女の子が見ていることに気がついて、包みをあけて口に入れる。
それを見届けると、女の子は満足そうに笑って、ぬりえの作業に戻っていった。
口の中に広がるのは、ナッツとバターの味だった。
ふと、その香りに刺激される記憶があった。
それは、最近の事でもない。
雪の降り積もる公園だった。
街に入る前に、アルビオール2号機を見たので、いるのは分かっていたが、あえて、街外れの宿を取った。
向こうが気がつかなければ、そのまま何も言わずに一晩をやり過ごすつもりだったというのに、たまたま買出しに出た後、公園をつっきろうとした時に見つけられた。
白い息を弾ませ、駈けて寄ってくる姿に、性懲りもない、と思った。
なぜこうも、無防備に自分に近づいてこれるのか、と。
アッシュもこの街に泊まってるんだ?
答えが返ってこないことかもしれないことなど、恐れもしないで聞いてくる。
実際、アッシュは今更突き放すつもりもなければ、怒鳴り返そうという気も持ってなかった。
しかし、その後の会話の展開を考えると面倒だった。
どうせこのレプリカのことだ。
どこに泊まっているのか、と一緒に食事をしないか、とを言ってくるに決まっている。
アッシュが無言でいると、相手は少しだけ笑みを浮かべた。
それは優しいが諦めの笑みだ。
どうせ自分に返って来る言葉はないのだ、と思っている。
やはり面倒だ、とアッシュは思った。
しかし同時に、いつまでも本心を伝えない限り、目の前の素直な馬鹿は、永遠に自分を誤解し続けるだろう、と思った。
自分を誤解というよりも、アッシュの目からみた自分自身の姿を間違って認識したままで終わるだろう、と。
別にそれでも良かった。
元より理解されたいとは思わない。
しかし、その諦めと寂しさと期待と思いやりのない交ぜになった笑みを浮かべたままで終わられようものなら、寝覚めが悪い、とも思った。
だから、自分の為だった。
どんな言い訳もつけられない。
強引に手を引くと、たいした抵抗もなくあっさりと相手は腕の中に落ちてきた。
白い息に相手が生きていることを感じ、手に入れたぬくもりに、自分の体が思ったよりも冷えていることに気がついた。
いきなり抱き寄せられても、抵抗も、逃げ出すそぶりも、驚いた様子もない。
どうしようもないやつだ、と苦笑した時、アッシュの鼻先を甘い香りが掠めた。
バター臭せぇ、とアッシュが文句を言うと、さっきまで飴食べてたからかなぁ、と、なにが可笑しいのかくすくすと耳元で笑った。
まるで喉を鳴らす猫のように。
初めて抱き寄せた感覚は、固く締まって、確かに男のもので、どこにも猫のようなしなやかさはなかった。
しかし、なんだか、うさぎを抱いている時に感じるような庇護欲を持ったのも確かだ。
あまりにもイカレていると、自分自身にバカバカしくなって、以来、連絡すら取ってない。
カリン、と歯に当たって口の中でキャンディが軽い音をたてる。
そのまま、バリバリと噛み砕きながら、確かにあの時もこんな匂いがした、とアッシュは思い返していた。
あいつが食べていたのが果たしてこれだったかは分からない。
けれど、今度の用件が終わったら、久々に会いに行こうか、とアッシュは思った。
ナッツとバターのキャンディを手土産にして。
その時、好物を見たあいつは、幸せそうに笑うだろうか。
今度こそ、諦めの混じっていない顔をみたいものだ、とアッシュは思った。
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