水没する太陽

 

 

 生ぬるい雨に打たれた服が肌にまとわりついて気分が悪い。
 およそ機嫌の良い時など皆無に等しいが、それでもアッシュは、機嫌を悪くして宿へと戻ってきた。
 あれ、どこかへ行ってたんですか?と物音に気がついて部屋の扉を開け、帰ってきたアッシュを見つけたギンジの物好きさに、舌打ちを隠しながら、なんでもないと答え、乱暴に扉を閉めてから、その足でシャワー室へと向かった。
 乱暴に衣服を脱ぎ捨てて、頭から熱い湯を浴び、落ちた前髪を掻き揚げて、は、と溜息をつく。
 
 雨は気だるい。
 浴びるのも、見ているのもうっとうしい。
 濡れた教団服は、明日までに乾くだろうか。そんなことを心配しなければならないのも面倒くさい。
 
 半分濡れたままの髪から滴った雫が、アッシュの歩いた後をついていくように、点々と床に模様をつくる。
 いつも思ってだけはいるが、長い髪を十分に拭くその手間が、今は殊更に面倒くさい。
 部屋に備え付けられたごわごわとして感触のタオルで乱暴に髪を拭きながら、アッシュは、そのままベッドの上にと倒れこんだ。
 いっそ、短く切るか。そして、ますます同じ顔になって、あいつに見せつけてやろうか。
 そんな嫌がらせが脳裏を掠めたが、すぐにバカバカしいと思い直した。
 似ているのは俺じゃなくって、あいつのほうだ。いやがらせにしては、自虐的な意味合いが強すぎて、あまり効果があるとは思えない。

 濡れた髪はまだ乾いていなかったが、清潔な匂いのするシーツの感触は気持ちが良かった。
 このまま眠ってしまおうかという誘惑に、アッシュはベッドの上に体を起こして耐えた。
 どんなに面倒でも、剣の手入れだけは怠る訳にはいかない。
 特に、今日は刃こぼれをおこしている可能性が高い。結局、何人だったのだろう。あれで全員とは思わないが、首領と思われるヤツは仕留めたから、しばらくは盗賊たちも大人しくしているだろう。

 街に入った途端、災難に出くわした。
 まだ、ギンジが宿の手配に向かって戻ってこなかった時だ。
 ああ、ルークさん。
 と安堵の混じった顔を向けられ、とっさに、否定の言葉が思い浮かばなかった自分を、今は怒鳴りつけたい気分だ。だからあんな面倒なことに巻き込まれる羽目に陥ったのだ。
 お願いします。
 と懇願に似た目で、男は言った。
 どうか、盗賊たちからこの街を守ってください。
 さりげなく話をあわせながら、状況を探ると、この街の裏の山に最近盗賊団が根城を構えたらしい。
 夜になると街へと繰り出し、強盗を重ね、酒を飲んでは暴れまくる。
 それをなんとかしてやる、と後先を考えないあのバカは安請け合いしたのだ。
 
 ・・・それがどういうことかも考えもせずに。

 どうせあの屑が引き受けたことだった。放っておけば良かった。
 しかし、その時、アッシュにはその考えが浮かばなかった。
 だから、そのまま・・・ルークが請け負う筈だった仕事を、片付けた。

 ほんの気まぐれと、自分に対する叱責の念も込められていた。
 さっさと、ルークという屑と俺とは別人だと言っておけばよかったのだ。


 
 教団から支給されている剣を、アッシュは無言のまま鞘から抜いた。
 ある程度の返り血は、盗賊の根城を後にする時にふき取ってきたが、やはり、柄に近い部分は、べっとりと粘着性のあるものが、赤くへばりついていた。
 濡れた布でそれを念入りにふき取ると、次に抜き身の刃を丁寧に調べていった。
 教団の剣はさほど威力が強いとは言いがたかったが、それでも重心がアッシュの癖にあわせてあったし、なによりも・・・ローレライの剣は人斬りには適さなかった。そこになんらしかの因果関係があるのか、相手が人になると鈍くなるような気がする。気のせいかもしれなかったが、一度そう思うと、どうしてもそんな気がするのだ。
 あるいはローレライの鍵という属性が、と考えかけ、アッシュは首を振った。
 ローレライそのものが、人類の敵とも味方ともわからないのに、そんな理由付けは無意味だ。


 アッシュは窓ガラスに目をやった。
 上から下へ水が道のような筋をつけながら滑り落ちている。雨は一向に止んでいないどころか、ひどくなってさえいるようだ。
 アルビオール3号機がある今、出立に対して影響はないが、それでも飛ぶ方向によっては迂回を余儀なくされる。
 いっそ出立を遅らせてしまおうか。
 今日はあいつもここにいる。

 しゃりん、と音をたて、手入れの終わった剣を鞘にしまうと、そのまま投げ出すようにして、ベッドに寝かせ、その横に自分も寝そべった。
 天井にぼんやりと淡く浮かぶ影を凝視していると、こびりついたシミが、無数の虫が這っているように見えてくる。
 とにかくだるかった。
 いつもならいやがらせに寝屋に忍び込むところだが、それもする気にならない。
 耳元でぎゃーぎゃー喚かれるのも、呪詛の言葉を浴びせられるのも、今の気分では自虐的なだけだ。
 あれを力で押さえつけるほどの、気力が湧かない。
 


 思えば、ルークと一緒になって人を斬ったのは初めてだった。
 説得だ話しあいだと意気込んでいたルークは、それが通じなければ実力行使に訴えるという覚悟をしてこなかったらしかった。
 盗賊の根城に踏み込もうという時に、ひらりと現れたアッシュに警戒心をむき出しにしながらも、結局は、アッシュの案じていたとおりの結果となった時、青くなってうろたえていた。
 その顔は大層な見モノだったとその時は思った。しかし終わってみれば・・・アッシュよりもルークが殺した盗賊の数の方が多かったのではないだろうか。
 よくわからないヤツだ、とアッシュは思った。
 体が重く、そのまま眠ってしまおうと目をつぶる。
 彼の中の正義は確固たるものなのに、それを裏切ることを躊躇わない。いや躊躇ってはいるのだろうが、結果論ではそれが比例しないというべきか。
 否定しながらも、その手段を選ぶ。
 いやだと言いながら、アッシュを受け入れる。
 
 
  
 雨音はますます酷くなる。
 軽く閉じていたまぶたの裏に走る光が見えて、アッシュは目を開けて窓の外を見た。
 ほぼ同時に光が天から地へと移動するのが見えて、稲妻が走るほど本格的な雨ならば、やはり明日の出立は延ばすべきかもしれない、と思った。
 のんびりとしてもおられないが、次に打つ手がないのも事実だ。宝珠が見つからない今、それを探す以外に、こちらからは闇雲には動けない。
 宝珠、という単語を思い浮かべて、アッシュは舌打ちし、そのままふてくされたようにベッドの上へと寝転がる。
 ニ刻前には一緒にいた朱色を思い浮かべる。
 今頃はベッドの上で、震えて泣いているかもしれない。人斬りの後味の悪さに、諦めがつくようになるまでは、何年もかかるものだ。
 


 コンコン、と小さくノックの音がふたつして、アッシュはベッドの上に体を起こした。
 やはり雷を気にして明日の確認をしようとギンジがきたのだろう。
 帰ってきた時に、部屋に鍵をかけなかったことを思い出し、勝手に入って来い、と扉に声をかけて、またベッドへと寝転がった。
 しかし、いくら待っても部屋の扉が開くことはなかった。

 アッシュは舌打ちをして起き上がった。
 大きめの声で告げたつもりだが、聞こえなかったのかもしれない。
 面倒だと思う気持ちを抱えながら、大股で扉へと近づき、勢いにのせて開けた。


 立っていたのは。


「・・・・・どうした?」
 問いかける声は、アッシュ自身が驚くほど穏やかだった。いつもの嫌味も嘲りも脳裏に浮かぶことはなく、アッシュはまるで友人にでも問いかけるように、薄暗く冷えた廊下に佇んでいるルークに、話しかけていた。
 話しかけたアッシュには答えず、開いた扉をルークは無言でくぐる。
 いつもはずけずけと人の部屋に入り込むクセに、自分がそうされるとイラッとたちのぼるものがあり、アッシュは、ちっと舌打ちをして、まるで叩くかのように乱暴にドアを閉める。

 入り込んできたルークは、部屋の中心位置で立ち尽くし、ひとつずつアッシュの持ち物を確認するかのように見回していたが、その間は無言だった。
 その後ろ姿を冷めた目で見つめ、アッシュは、あることに気がついて眉を顰める。
 床に、アッシュが濡らしたのとは別の新しい水溜りができている。
 視線で辿れば、それはルークからで、いつもの白い服の背中に(あの鬼みたいなマークはいったいなんだろうな)に、中の黒いインナーが透けて張り付いていた。髪の色も一段と濃く濡れて、アッシュのそれに似た色をしている。
 燕尾のような服の裾には、赤黒いシミがこびりついたままだ。

「・・・宿に戻ったんじゃねぇのか。」
 着替えも、洗いもしていない盗賊の血がついた服からは生臭い匂いがしそうで、その様子を見ればアッシュにも、ルークが帰りもせずに、そのまま雨の降る街を彷徨っていたのだろうことは察しがつく。安全なベッドのなかに避難でもしているだろうと思っていたが、そうではなかったようだ。
 ルークはそれには答えなかった。自分たちの関係を考えれば、馴れ合いの類がないのは当然で、反抗的な態度をルークが取ったとしても、アッシュには気にならない程度の事だった。
 アッシュは、立ったままのルークの横をすり抜け、どさり、と先ほどと同じようにベッドへと寝転がる。
 なにをしにきたのかしらないが勝手にするだろうと、ルークの存在を気にすることもなく、そのまま目をつぶれば、乾いたシーツの感触に先ほど感じた眠気が蘇ってくる。 
 しかし、無防備すぎると、それを押し留めた。
 己のレプリカで、いかに能力が劣化していようと剣を奮い、そして、事があれば殺してやると殺伐とした言葉を投げてくる相手だ。
 本当に寝首をかかれでもしたら、笑えない。

「風呂・・・。」
「あ?」
「風呂、借りてぇんだけど・・・。」
「勝手に使え。」
 ルークがここに来て、初めて口にしたのは、そんな当たり前の要望だった。
 血に濡れ、雨に濡れた体だ。
 そういう趣味でもない限り、すぐにでも体を洗い流したいと思うのは自然の欲求だ。むしろ、今まで黙って突っ立っていたのが異常だ。

 ベッドに横になったままでいると、ルークが部屋の隅へと向かう気配がした。別段、気にかける事でもなく、わざわざ確認するまでもない。
 目を閉じたままのアッシュに、それから・・とルークの声がかけられる。
 早く風呂へ行けば良いものの、なにをぐずぐずしているのか、その意図が解かりかねて、アッシュは薄っすらと目を開けるとルークに視線を向ける。ルークは、こちらには背を向けていた。
「なんだ?」
「一晩、泊めてくれ。」
「・・・・・。」
 気でも違ったか?とアッシュが体を起こした時には、すでにルークの背中はバスルームへと消えていた。

 なにを企んでいるのかは知らないが、バスルームまで追いかけて問いただすのも面倒臭く、アッシュはそのままベッドに身を任せた。
 なにかされるならその時はその時だ。

 自分たちの矛盾には自覚があった。
 お互いに罵倒と憎しみの狭間にいながらも、同時にそれは意識の裏返しなのだということにも、とっくに気がついている。
 自分たちは己の存在を搾取しあう関係であり、本当にそれをまっとうしようとするのならば、お互いがお互い、二度と顔をあわせないような場所に居続ければ良い。今現在それが無理ならば、お互いがお互いの存在を無視すれば良いことだ。
 だが、それをしない。
 アッシュはルークを、ルークはアッシュを、お互いに嫌悪しながら、しかしすっぱりと関係を断ち切ることもできない。
 7年間の屋敷の中というとんでもなく狭い世界に閉じ込められいたルークと違い、監視され続けたのは同じだが、アッシュはヴァンにも知られていない、彼だけの持ち物、彼だけの世界をつくれるほどの頭を持ち合わせてもいた。
 ケセドニアには、喧騒に紛れて見つからないような彼の隠れ家があり、そこは誰にも知られていないが故に、一時の安寧を得られる場所だった。
 勝手に後をついてきたレプリカに発見されるまでは。

 自分の世界を破壊された意趣返しというのもあったのだろう。
 苛立ちと怒りを破壊衝動に乗せて、行動にうつした。
 以来ルークは、アッシュに対する殺意でギラギラと光る視線をあからさまに向けるようになった。言葉には呪詛がにじみ、アッシュに強引に組み敷かれる度に、何度もそれを浴びせてきた。
 今更、宿に帰りたくないなどという幼稚な理由で、あいつがここにいようと思う訳もない。


 

 カチャリ、と軽い音がして、ルークがバスルームから出てきたのがわかった。
 服まで貸した覚えはないから、あの濡れた服をまた着たのだろうか、とどうでも良いことを確かめる為に、アッシュは首の位置を変えた。
 ルークは、アッシュの予想に反して、服を着てはいなかった。
 備え付けられた、粗末なバスローブを身につけ、ごしごしと髪を拭いている。
 その様子に、アッシュは片方の目を眇めた。
 ルークの湯にあたって上気した肌が、重ねた布の奥から見えている。足も素足のまま簡素なスリッパに足をひっかけ、バランスを取るために軽く開けた足が隙間をつくり、膝の内側部分はバスローブの裾から出ている。
 ランプの淡いオレンジに照らされて、その部分だけが深海から浮かびあがった魚の腹のように白く滑り、グロテスクにも艶かしくも見えた。
 ルークの表情に目を走らせれば、かちり、と視線があう。
 アッシュがどこを見ているか、その視線を追って、ルークの方もアッシュの様子を盗み見をしていたようだ。
 この視線のあいかたは、そうとしか思えない位置で、目があったと分かった途端、ルークはちらり、と意味ありげな視線をアッシュに投げてきた。
 なによりも、ルークの立っている位置に違和感を覚えた。
 なぜ、こんな近くに寄ってくる必要がある。
 今、アッシュが手を伸ばせば、ベッドへと引き込むのは簡単だ。
 そこにある意味を考えるのは、ばかばかしく、ひどく億劫で、アッシュはあっけなくルークから視線を外すと、それ、というように扉を指差した。

「・・・鍵はかけてねぇ。」
 見もせずに左手で出口を示すと、ルークはアッシュが示す扉を振り返った。
「服なら、貸してやる。それを着て、さっさと帰れ。」
「・・・・・。」
 ルークは無言のままだ。
 まるでアッシュの言葉を無視するかのように、ごしごしと髪を拭いている。
 本当に、とアッシュは続けた。
「本当に俺とここに泊まる気なら・・・。」
 殊更に自分とということを強調させた。今のこいつに、その意味が通じない訳もない。それでも乗ろうというのなら、バカはお互い様だ。アッシュは笑みを浮かべる。それはルークに対する嘲笑よりも自嘲に近かった。
「・・・お前が行って、締めてこい。」
「・・・・・。」
 バスローブ一枚に身を包んだままで、ルークはアッシュの示す方向へと足を向けた。
 カチャンと音がして、躊躇いもなく扉を施錠し、戻ってくる。
 アッシュの、寝転がっているベッドの横に。

 起き上がり、アッシュはルークの髪を拭く手を止めさせる。 
 掴んだ手首は抵抗もせず、冷めたような視線で、自分のそれをルークは見つめていた。
「お前は時々・・・。」
 アッシュは言った。
「・・・驚くようなところが、俺に似てる。」
 え?とルークの表情が動き、アッシュの顔を見返してきたが、視線がぶつかるその前に、アッシュは言葉を繋ぐ。

「・・・俺もだ。」
「え?」
 乾いたその声をひさしぶりに聞いたような錯覚を覚えながら、ルークは、え、と聞き返すようにアッシュの顔を見返した。
「・・・初めて人を殺した時だ。」
 アッシュの漏らした単語に、ルークは目を大きくしてびくりと震える。眉を顰めて一瞬顔を背け、それからアッシュへと視線を戻す。声色からアッシュが単なる自分を追い詰める為の酔狂で、話しているのではないと確信が持てた。
「初めて人を殺した晩、俺は女を抱いた。」
 人を殺めたという現実は、夜になればなるほど、大きく圧し掛かる。ひとり寝の恐ろしさに逃げ出す者も多いが、その時の若いアッシュもその例外ではなかった、ということだ。
「・・今でもたまに、恐怖を感じる。」
「・・・アッシュでもか?」
「ああ。」
 俺は人殺しだが、死神ではないらしい。
 だが、とアッシュは言い、ルークの首筋に顔を埋めた。
「・・・こうした慰めの類は、単に気をまぎらわすだけの効果しかねぇがな。」
「・・・うん。」
 それでも、とアッシュは直接ルークの耳元へ囁いた。
「・・今は忘れろ。」
「うん。」
 ルークは頷き、目を閉じた。

 

 

 


 アッシュに熱を開放され、ルークは力つきた様だった。
 少しだけ余韻のようなあえぎ声が混じった呼吸も、除々に落ち着いたものになっていく。
 そのまま、引きずられるように眠りにつこうとするルークの呼吸音を、アッシュは横で聞いていた。
 一定のリズムを刻むそれが、心臓が打つ音と同じだということを思えば、ルークの生々しい生命の息吹そのものが感じられる。

 長い夜は残酷に人の心を蝕む時がある。
 越えるには、狂おしいほどの恐怖とそれを押さえつける忍耐とが要求され、叫び声をあげて開放を訴えても、己の自我の中にそれは閉じ込められたままだ。
 己の檻から逃げ出す方法を、ルークはアッシュに求めた。
 深く考えなければ、ふたりというのも単なる現象のひとつに過ぎない。
 それでもそれが生み出す状況の果ては、どこにも救いようがないのも確かだ。
 そのまま、くだらないものを分かちあい、落ちるところまで落ちるのはひどく滑稽で、所詮、その程度のことなのだとも思う。

 

 

 

 


 これが傷の舐めあいでないのなら、なんと呼ぶのか教えて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 まぶたを朝の光が照りつけ、ルークは瞳を開けた。
 いつも、目を覚ますとルークは今いる場所がどこだか一瞬は、わからない。
 それはこの旅が始まってから知ったことで、ひとところに留らずに生活する人間の性であると思う。
 だが、今日はわざわざ昨日の行動を反芻しなくても、思い出していた。

 軽く息を吐き、ルークは目の前の、アッシュの顔に見入る。
 アッシュは静かに寝入っていた。思えば、何度となく夜を越したというのに、アッシュの眠っている姿を見るのは初めてだった。
 赤くしなやかな絹糸が、白いシーツの上に波打つ様を綺麗だ、とルークは思い、閉じているまぶたを覆うまつげの色の赤が、頬に影を指しているのを、じっと見る。
 見ることはできないが、自分も同じ寝顔なのだろうか。違うだろうな、と即座に否定した。
 アッシュの寝顔は、眠っていても尚、どこか鋭い。
 今なら無防備で首を斬るのは簡単なように見えるが、きっと、殺気の類にはどんなに隠していても瞬時に目を覚ますだろう。

「・・・なんて、しないけどさ・・・。」
 つい最近までは、本気で殺してやりたかったのも事実だ。
 だが、もう、それも無理だろう。


 昨日、ルークに押し寄せる筈だった膨大な恐怖を、アッシュは飲み込んだ。
 自分も同じだ、とも。

 今までルークはずっとアッシュにすまないと思っていた。居場所を奪った。人生も奪った。『ルーク』という個を奪い、それまでとはまるで違う人間の器に彼を押し込めた。
 それに対してアッシュは・・・ルークの罪悪感を認めもせず、ただ単に自分の欲望と、八つ当たりに近い劣情を自分にぶつけてきた。
 昨日までは、そう思っていた。
 けれど、ルークが奪ったと思っていたのは、ただ、それだけのことだったのだ。

 被害者面はどっちだったのだろう。
 奪ったものばかりの数を数えても、アッシュが代わりに押し付けられたものがどんなものだったのかにまで、考えが及ばなかった。
 目的の為には他人の命を奪うしかない、という言い訳も、選択も、アッシュにはない。
 する以外に、それ以外に、どんな選択が許されたというのだ。
 他に方法がなにひとつない状況で、彼は人を殺めてきたというのに。
 自分が発熱していることにすら、気がつかないほど、自分を顧みない生き方しか、アッシュにはなかったというのに。


 コツン、と額をあわせて、アッシュの熱が下がっていることを確かめると、ルークは安堵の息を吐いた。
 昨日、腕を捕まれた瞬間には、ルークはアッシュが体調を崩していることに気がついていた。
 彼にしては、だるそうで、体はひどく重そうだった。
 そんなすぐに分かることが・・・アッシュ自身はそれに気がついていないようだった。 
 気がつかないまま、ルークの求めた慰めに、応じた。

 そっとベッドから降り、ルークはアッシュの荷物を探る。
 グミや薬草といった治療の為の道具が、一番上に入れてある。それはいざという時のことを想定した整理の仕方だった。
 つきり、と痛む胸を無視し、それらを床に並べ、荷物の一番下から黒いシャツをひっぱり出す。
 アッシュの私服を見るのは初めてだったが、シンプルなそれを、アッシュらしい、と思った。
 すばやく素肌の上に羽織り、昨日、汚して風呂に放置したままだった自分の服を丸めて持った。

「借りてく・・・悪ぃ。」
 一言断って、眠るアッシュの唇に自分のそれを重ねようとして・・・留まった。
 体を起こし、ルークはアッシュを見下ろす。
 さすがに眠っている時は、アッシュの眉間には皺は寄っていなかった。
 白い頬は無防備で、どこかあどけなく、美しかった。柔らかい肖像画の天使を思い起こさせる。
 散々汚しておいて、平和なこの表情に触れる権利は、自分にはない。


 未練が残ることを恐れて、ルークはアッシュの部屋を足早に出た。
 日はまだ昇りきっていない。
 仲間全員が起き出す前に、昨日宛がわれ、結局使わなかった宿の部屋に戻れるだろう。
 さっさと汚れた服を隠して、別の服に着替えなければならない。


 もう半分は乾いた自分の服は、着ようと思えば着れないこともない。
 アッシュの服を借りたのは・・・返す機会を作る為だった。

 

 

 

 

 

 

 



 なんかもう、色々と・・・
 もう一作続きます。

(’09 1.24)