猫耳と謎の猫 2

 

 

 

 アッシュの体調は翌日には戻った。
 
 もしも大変な病だったらという不安は杞憂に終わり、ほっと胸を撫で下ろしたルークだったが、アニスは、今日一日は安静にするように!とアッシュに命令を出した。
 そして、早速フローリアンに医者の件は依頼しておくよ、と言う。

「医者?」
 外出禁止命令を出されたアッシュは納得がいかないという不機嫌な顔で、アニスの言葉を反芻する。
「え?でも、それって・・・今日になってもアッシュの具合が悪かったらって話じゃなかったっけ?」
 昨日の時点で話を聞いていたルークも、不思議そうに首を傾げる。
「そうだけど・・・でも、またいつあんたたちが具合悪くなるかわからないじゃん?予め、頼んでおいた方が良いと思うんだよね。いざと言う時、味方になってくれるのは・・・今のところ、フローリアンだけなんだしさ。」
「まぁ・・そうか。」
「心強いことだな。」
 ルークが納得している横で、本気でありがたがっているのか、はたまた嫌味なのかわからない口調でアッシュが言う。
 しかし、導師が味方についてくれるなど願ってもない事なので、たぶん、本気なのだろう。

「それで?アッシュ。昨日のいきなりの体調不良はなんだったの?」
 それよりも重要なのはもちろん昨日の件だ。
 アニスが言うと、それがわからん、とアッシュは言う。
「わからん?」
「ああ・・・。いきなり、ずしん、というように体が重くなって・・・重心が上手くとれなくなったんだ。この部屋にも揚々戻ってきたんだが・・・。」
「そういえば、気を失う前に言ったあれって、なんだったんだ?」
 ルークが言うと、アッシュは無言でその顔を睨みつけた。
「・・・気など失ってねぇ!!」
 失礼な事言うな!と言い捨てるアッシュの眼光の鋭さはかつて、鮮血と恐れられた彼を髣髴とさせるもので、睨みつけられたルークは、ぎゃ!?と飛びあがり心臓をばくばくといわせた。・・だが、かろうじて猫化は踏みとどまる。
 ルークが負けん気を出して、顔を覗き込むとアッシュは、ちっと舌打ちし、
「お前・・・本当に覚えてないのか?」
「なにが?」
「・・・・・。」
 その返答がお気に召さなかったようで、アッシュは呆れたような顔で、ルークを横目で見る。
「えー?なんだよ、なんだよー?」
 焦るルークを余所に、おっと、と声を出したのはアニスで、
「もうこんなじかーん!遅刻しちゃうから、私行くけど、とにかく!アッシュは安静にしててよ!」
「もうなんでもねぇ・・・。」
「そういうの面倒だから、後でね!ルークも!ちゃんとアッシュが安静にしてるか見張っててよ!」
「お・・おう・・・。」
 そして、出勤する間際、アニスは念を押す為に、ひどいことを言った。
「どうせあんたたち、暇なんだから、今日は部屋で大人しくしてなさい!」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
 それに対して、反論ができないのが悲しいふたりであった。

 


 慌ただしくアニスが出ていくと、部屋の中が妙に寂しく静かになったような気になる。
 実際はそんなことはないのだろうが・・人数が減った部屋というのは、急激になにかが欠けたと錯覚させられる。
 だが、そんな風に思ったのも一瞬だけだった。

「おい。」
「ん・・・はっ!なに、アッシュ?」
 ルークが振り返ると、アッシュはアニスのラブソファーにふてぶてしいほどの態度で寄り掛かったまま、
「飯。」
 と顎をしゃくった。
「め・・・飯?」
「朝飯だ。俺は腹が減った。」
 えー?とルークは不満気な顔になる。
「今日は、アッシュが食事当番じゃ・・・。」
「俺は、絶対安静を言い渡されてんだよ!つべこべ言わずに、飯用意しろ。てめぇのお得意なフレンチトーストで我慢してやる。」
 お得意な、というアッシュにルークは、いーだ、と歯を見せた。
 それは絶対に嫌味で、なぜならルークは、フレンチトーストくらいしか上手く作れるものがないからだ。
 それでもアッシュのご要望に答えてしまうところが、悲しい性だ。
 ルークはぶつぶつ言いながらも立ち上がり、テーブルの椅子にひっかけてあったエプロンを手に取ると、首の後ろでリボンを結んだ。アニス用のそれは、赤いチェックのリボンとふたつ枝のさくらんぼの刺繍という、アニスにしてはえらく子供じみたデザインだ。・・・フローリアンからのプレゼントだったらしい。
「はいはい。フレンチトーストと紅茶でよろしいでしょうか?王様?」
「コーヒーだ。」
「はいはい、仰せのままに。」
 赤いラブソファーに腰かけたまま片足を組んでいる暴君は、つい昨日のことが嘘のように、安静が必要な身には見えない。
 だが確かに・・・昨日、ルークが肝を冷やすような事がこの部屋であったのは事実で。
「なんだったんだろうな・・・。」
 思わず、考え込んでしまって、フレンチトーストの端を少しこがしてしまった。


 そのこがしたフレンチトーストを、別段アッシュは気にした風もなく、たっぷりのメイプルシロップをかけて食べている。
 もちろん自分の分も用意したのでルークも向かいに座っている。(ちなみにルークのものはもっとこげている)
 アッシュのナイフとフォークを操る手を見ながら、大丈夫かなという声に出さないつぶやきは、溜息とともにコーヒーの入ったカップの中に消えた。
 そうしている姿はなんでもないが・・・出来たぞ!とテーブルに呼んだ時、ソファーから立ち上がったアッシュは、おっくうそうだった。
 少しだけ、いつもより重心がおかしく、一歩を踏み出す時、ルークには気取られない程度に慎重に足を出すのを、見てしまっていた。

「なぁ、おまえ・・・。」
「ん?どした?」
 具合でも悪いのか?と思わず聞いてしまって、アッシュに睨まれた。
 アニスだけでも面倒だというのに、ここにも心配性の虫がいたぞ、という顔だ。
「・・・本当に、覚えてないのか?」
「・・・・・。」
 あ、そのことか、とルークは眉を下げ・・・手の中のフォークとナイフを下した。
「アッシュ。それって、なんのことなんだよ。マジ、心当たりないっていうか・・・忘れてるのかもしれないけど、その事は謝るから、ちゃんと説明してくれよ。」
 睨まれるか怒鳴られるかすると思ったが、どこから説明をしたら良いのか迷って確認しただけらしく、別にアッシュは怒ってなかった。
 どうしたものか、というようにテーブルの上に頬杖をつき、
「そうだな・・・。」
 と初めに独り言が漏れる。

「俺たちが・・・還ってきた時に・・・。」
「うんうん。」
「・・あの日は、えらく大きな月が見えたろう?銀色の満月が。」
「うん。それは覚えてる。」


 いきなり覚醒した。
 ・・・そういう表現が一番ぴったりくる帰還を彼らは果たした。
 場所は、たぶんタタル渓谷だったと思う。
 ホドが見えて、風が吹く度に、草が一斉に同じ方向になびきながら大きな音を立てていた。
 すべてがくっきりと美しく見え、夜なのになぜだろうと考えてから、それが大きな満月の光のせいなのだと気がついた。
 そして、やたらと周囲の草が高いことに気がついて・・・いくら手入れをしていないからと言って、伸び放題にもほどがあるな?と不思議に思い・・・やがて自分が小さく、さらに耳もしっぽもあることに気がついた。
 ルークは、この世界に、いきなり猫の姿で戻ってきた。
 晴天の霹靂を遥かに超えている、とんでもない経験だった。
 そしてその後、大パニックになってぎゃーぎゃー泣いていたら、アッシュが現れたのだ。
 うるせぇ!魔物がくるだろが!と怒鳴りながら。
 涙目で見上げたアッシュの頭には黒い猫耳がついていて、その姿を見た途端、胸に広がった安堵と歓喜と、そして・・・自分も猫であるという自覚が宿った瞬間は、忘れようとしたって、忘れられるものではない。


 その時の事を思い出していたルークに、アッシュは言った。
「・・・その姿で目を覚ます前、おまえ、猫の夢を見なかったか?」
「猫の夢?」
 え?とルークは目を丸くした。
「そうだ。夢、というのは正確じゃねぇな。そんな曖昧な感覚じゃなく・・・実際に目視したのでもない。精神で見ていた、そういう感じのものだ。」
「精神・・・。」
 それって精神世界っていうやつか?とルークが聞くと、こくんとアッシュは頷いた。
「どうにも・・・当然感覚はないんだが・・・確かにそこに"いた"。そういうもんなんだろうが、俺たちは確かに"そういうところにいて"、そしてそこで"会った"んだ。猫に。」
「猫・・・。」
 猫の姿になる前に夢の中で猫に会った。
 当然、繋がりはあるだろう。
「どんな猫だった?」
「黒い猫だ。」
 アッシュは答えた。
「黒くて・・・しっぽがない。そして真っ赤な目をしていた。」 
 ちょうど、俺の髪みたいな色だな、とアッシュが説明するのを聞いて、
『あ・・・あれ?』
 とルークは目を瞬かせた。
 デジャヴ?違う、えっと・・・最近、そんな猫を見た、ような・・・。

「あ!」
「・・・思い出したのか?」
 ルークがいきなり声をあげたので、アッシュはその時の同じ記憶を取り戻したのだと勘違いしたようだった。
 しかし、ルークの叫びはそうではなく。
「最近、俺会った!その猫!」
「どこでだ?」
「そこ!」
 ルークは窓辺を指さす。
「ほら、この間ネズミが出た時!あの時、俺ひとりで見張ってたじゃん?その時に、あの窓のところに腰かけてたんだ!!」
 ルークの指さす方向を、アッシュは振り返る。
 当然、今はそこにはなにもいない。
 朝の光が燦々と差し込むそこは、暖かな光で満ちていて、まるでいた筈の猫の姿を、幻として消し去ってしまおうとしているかのようだった。

「そうか・・・アッシュも昨日・・・。」
 昨日、気を失う前のアッシュの言葉を思い出す。
『ヤツに会った』そして『猫』。
「それって、その黒い猫に遭遇したって事だよな?おっかけていって、そしたら具合悪くなって・・・。」
「ああ。昨日、俺は・・・。」

 

 アッシュがそこまで言った時だった。
 いきなり扉がノックされ、ふたりは、はっと身を固くする。

 ここは導師守護役の長となったアニスが教団から支給された部屋だ。
 本来、部外者であるルークとアッシュは、教団の許可がなければ入室さえ許されない。
 それが一年以上も住みついていたとバレでもしたら、ふたりが寝床を失う以前に、かばってくれていたアニスの処罰は免れない。
 ふたりは息を顰め―それが誰であれ―来訪者が去るのを待つつもりだった。
 
 ところが・・・ルークたちが隠れる暇もなく扉が開き、そこにはアニス本人が立っていた。


「あれ?」
「どうした?」
 その姿を見て安堵をしたが・・・。
 どうにもアニスの様子が可笑しい。
 少しだけうつむいて、膝のあたりのスカートを握りしめ、上目使いでルークたちを見ている。
 目元がうっすらと赤く、泣いているのか怒っているのか、少なくとも嬉しそうな顔ではないのは確かだ。

「どうしたんだよ?アニス、こんな時間に戻ってくるなんて。お前、仕事は・・・?」
「ごめん!ルーク!!」
 ルークが疑問を投げかけ、アニスに近づこうとすると、その間に割り込むようにして飛び込んできた姿に、わっ!と驚く。
「・・・フローリアン?」

「ぼ・・・僕、がんばったんだよ!でも、誤魔化しきれなくって・・・!だ、だって・・・やっぱり怖いし、僕が導師になったっていったって、早々相手は敬ってくれる人じゃないし・・・!」
「はぁ?」
「おちつけ、フローリアン!一体、なんの話をしてるんだよ?」
 涙目で捲し立てるフローリアンを落ち着かせようと口を挟むと。
「だから!!」
 フローリアンは叫び声をあげた。


「バレちゃったんだ!!ルークと!アッシュのこと!!」
「!!」
「・・・!!!」

 それは、ルークの小さくも平和な甘い世界の終結を意味している。
 バレてしまったらそれで終わり、と覚悟していたものの、実際にルークはその終わりが来ることを考えたこともなかった。
 常にその陰に怯えていた筈なのに、心は遠く、彼らの生活は、彼らが望むまで永遠に続くような・・・いつのまにかそんな錯覚に陥っていた。
 心臓がバクバクと、まるで耳元にあるように大きく音を鳴らす。
 床がふにゃりと柔らかく傾いだような気がして、ルークは椅子の背もたれをとっさに掴んだ。
 そして、いけない!と我に返り、顔をあげると、
「それで?フローリアン。」
 静かだが、固いアッシュの声がすぐ後ろから聞こえた。
「・・・状況を詳しく話せ。俺たちの事は、もう教団に知れ渡っているのか?俺たちが身を隠せば、どうにかなりそうか?アニスにも罪が及ぶのか?」
 そうだ、アニス!
 ルークは慌てて、扉の前に立っているアニスを見ると、アニスは無言で、ふるふると首を振った。
 それをどういう意味にとればよいのかわからない。
 だが、真っ青になっているということもなく、焦っているようにも見えない。

「あ。それは大丈夫!」
 フローリアンは言った。
「アニスは別に処罰されたりしないよ!教団にもバレてない。」
 教団相手なら、僕の立場利用してなんとでもなるから安心して!と胸を張るフローリアンの言葉にほっとし、そして改めて、アッシュに惚れ直しそうだ、とこんな場面にも関わらずルークは思った。
 一瞬とはいえ、ルークがショックを受けて呆然としていた間にも、アッシュは冷静に事態の把握をはかり・・そして何よりも先に、アニスの心配をしていた。
 やっぱりアッシュは頼りになる!と誇らしい気持ちになると同時に、自分のふがいなさもみえて、複雑な気持ちになるルークだったが、それは頭の片隅に追いやり、フローリアンの言葉に改めて、疑問を覚える。

「・・じゃあ・・誰にバレたんだ・・?」
 口に出した途端、ルークはある種の悪寒を覚えて、まさか!とアニスの顔を見る。
 アニスは、それでルークが気がついたと悟ったらしく、こくこくと何度も小刻みに頷いた。

 導師になったフローリアンが怖がって、そのうえ、敬ってもくれない相手!
 ルークの嫌な予感は、アッシュも同時に感じたようで、なんでダアトにいるんだ、とぼやいた。

「・・・ほら・・・例の三カ国会議で。」
 アニスがそこで初めて口を開く。とても言いにくそうに。
「私が出席しないって事を、挨拶代わりに伝えたんだ・・。せっかくだけど今回はお会いできませんって。そしたら・・・。」
「休暇が取れたんで、会いにきました!って今朝、いきなり現れたんだ!」
「・・・・・うわっ・・・。」
「相変わらず、嫌味なくらいに勘の良い男だな。」

 アニスの事前の挨拶が裏目に出たのは間違いなさそうだ。
 元より、人がなにかを隠しておこうとすると敏感に感じ取る男だった。
 ルークは一緒に旅をしていた時から、隠し遂せたことがない。
 だから・・・今回、アニスが会議の時期に休暇を取ったことになにか裏があると、そう勘付いたのだろう。
 だからこその奇襲。
 油断をしていたところを一気に攻める見事な手口は、敵に回したくないと、神託の盾騎士団の間でも話題に上っていた。

 
「・・・それで、俺たちはどうすれば良いんだ?」
 ルークが訊ねると、う、とフローリアンは涙目になった。
 そのフローリアンをかばうようにアニスが前に出て、とりあえず伝言を伝えるね、とルークを見て言った。
「・・・会いたい、って。」
「・・・会いたい・・・?」
 うん、とアニスは頷く。
「『アッシュにもいずれはお目にかかりたいですが、まずはルーク。貴方がひとりで私に会いに来てくれるのを待ってますよ。』って・・・。ルーク、どうする?」
「ど・・・どうするも、なにも・・・。」
 伝言の段階で、ルークは思わず怖気づく。
 会いたいか、会いたくないかと言われば、旧知の仲だ。会いたくない訳はない筈だった。
 だが・・・どうしても、そう考えると身が竦む。
 それは、長い間隠れ住んでいた者の、本能的な恐怖だった。
 洞窟で暮らす蝙蝠が、いきなり日の光の下では生きられないように、ルークにはもはや、日陰で暮らす者のもつ習慣が染みついている。

 ルークは、助けを求めるように、アッシュを振り向いた。
 アッシュの翡翠の瞳が、静かにルークを見返す。
 怒りも焦りも浮かんでいないその瞳は、さざ波のおきない湖のように静かで。
 それは、自分で決めろと言っていた。


 選択はふたつ。


 腹をくくり、ジェイドに会いにいくか。


 もしくは。


 ・・・・・教団で暮らしてきた今までの生活の全てを捨て、アッシュとふたりでどこか遠くへ逃げるか、だ。


 ルークが頼めば、アニスたちは協力してくれるだろう。
 わずかな時間稼ぎしかできなかったとしても、逃げきれる確率は高い。
 
 そして、もしそれを選択したなら、きっとジェイドは追ってはこない。
 なかったものとして諦め、二度とルークの名前を口にしたり、アニスにその話題を持ちかけたりもしないだろう。
 大人の思いやりと冷徹で。

 ルークは、それだけは確信が持てた。

 

 

 

 

 

 

>3

 

 

 

 


ばれちゃう最後の人が登場ー。

黒い猫は、あの黒い猫です。

私の書く世界ですから、設定がかぶることもありますよ。
たとえば、『バビロン』で初お目見えしたからと言って、OZ法もウィザードもそれこっきりではなく、
ED後の世界を書くときに、同一設定で出てきたりします。
だからといって、続編とかに限らないのですが。

('12 2.17)