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パニックになったりすると自分で制御できなくって・・いうのがルークの言い分だったが、アニスは案外、ルーク自身はこの姿を気に入っていたりするのじゃないか?と思っている。
こんな風に、空が青く澄み渡り、音素帯がよく見える日は、きまってルークがアニスの部屋のラブソファーの上を陣取り、ねこねここねこルークver.(アニス命名)の姿になって、眠りこけているからだ。
この2年の間に、アニスは響師に昇進した。
所属は未だ不在の導師守護役のままだが、部隊長に任命されている。
出世するとともに教団より個人の部屋を与えられ、それは教会の端に住む両親の部屋よりも何倍も大きい。当初アニスは両親と一緒に住もうと考えていたのだが、アニスの両親はその誘いに、これ以上アニスに迷惑かけられない、ととうとう首を縦に振らなかった。お人よしなのは相変わらずだが、娘に心配をかけてきたことを反省し、借金返済以外にも、アニスに残す為の預金をし始めてもいる。
となると、ひとりで大きな部屋に残され、アニスは正直もてあましていた。
フローリアンは、その資質を評価され、導師候補生として日々訓練中で、導師守護役を賜っているアニスにしたら、おいそれとは近づくことがためらわれる。
ずっと狭い部屋で大勢の人間と育ってきたアニスにとって、広いひとり部屋は寂しすぎた。
だから、渡りに船でもあったのだ。
半猫の珍妙な同居人の登場は。
乙女の部屋にふさわしい赤いラブソファーに、最近アニスは新しいクッションをあつらえた。
真っ白なフェザーが一面を覆うクッションカバーは多少値がはったが、給料も前より高くなったし、たまには良いやと思って奮発したものだ。
本人には内緒だが、もちろん、ルークのためにだ。
そのルークは、案の定、フェザークッションに顔をうずめ、丸くなってすぴすぴと寝ている。
人間の子供に耳と尻尾をつけたねこにんとほとんど同じ姿なのだが、ルークの場合、ねこにんよりも断然小さく、本物の子猫と同じくらいのサイズだ。
しかも、この姿になっている時は、猫の習性もでてくるのか、時たま、猫が香箱をくむように、ぺしゃんと座っていることがよくあった。
「やっぱ、可愛いよねぇ・・。」
膝をかかえ、そのなかに顔を埋めるようにして、ルークが寝ている。
以前は可愛いと思うことなどなかったのに、こうなったら可愛く思えるのだから、人間はゲンキンな生き物だ。
小さいだけならともかく、最近では成人の姿ですら可愛いと思うなど、重症だろう。
もともと性格の優しいルークだから、見ていて微笑ましく思うことはあったのだけれども。
ふにふにと頬のあたりをいじってもルークが起きる気配はなかった。
それを良いことにそっと持ち上げ、膝の上にかかえて、代わりに自分がソファーへと座る。
寝ているルークは、どんな良い夢を見ているのか、嬉しそうににっこりと笑った。
この姿になると、ついつい膝の上に乗せてしまうが、別段ルークも、嫌がらないところをみると、自分の膝の上は案外居心地が良いんだろう、とアニスは勝手に思っている。
この平和で暖かな休日を、アッシュは留守にしていた。
もとから彼はダアトに帰ってきたかったらしく、正体のわからないように足元まである黒いフードをきっちりと纏い、どこでも一緒に行きたがってうるさいルークに見つからないように出て行った。
後で気がついたルークは大騒ぎして拗ねまくったが、今はこうして寝ているという訳なのだ。
「なんなんだろうねぇ、用事って。」
アッシュの心配はあまりしてないが、それでもやっぱり天然だ、と呆れるような出来事があって、同じ部屋にふたりが隠れ住むようになってからは、ますます頭が痛くなるような光景を見る機会が増えている。
アニス個人としては、アッシュには、あの事件以来、以前ほどの勢いをなくした教団に復帰して欲しいと思っている。アッシュ自身、もしもアニスが口添えすると言えば、拒みはしないような気もする。
しかし、それには例の問題が解決しない限りにはどうしようもない。
ルークのように、いつなんどき変化するか分からないという緊迫した状況ではないものの、アッシュとて猫化することに変わらないのだ。
「いくら満月の時だけだってもさぁ・・・。」
話を聞いた印象では、大体の原因を、アッシュは分かっている風だった。
しかし音素の定義が、素人には難解で、なかなか確証を得られないのだそうだ。
「だったら、大佐を頼るとかすれば良いのにさ。」
「ごめんだな。」
うおっと、とアニスは部屋の入り口を振り返る。
そこにはいつの間に帰って来たのか、不機嫌そうなアッシュがいて、黒いフードつきのマントを脱いでいるところだった。
師団長クラスの個室は、広い教会の中でもとりわけ奥に位置する。
教会から見れば裏の中庭を挟んだ反対側だ。
中庭に行くには、以前ルークたちを案内した神託の盾の兵士たちの在所を抜け、さらに先へ進まなければならず、しかもそれ以外の道はない。
7年という長い時間を過ごしてきたアッシュだから、教団内部のことは知り尽くしている。道に迷うことなどありえないが、それは逆に、アッシュを知る人間もいるということでもある。
隠れて住んでいる身の上で、知り合いに会うのは、非常にまずいことだった。
ただ、過去『鮮血のアッシュ』という人は教団内では、謎の人物だった。
今思えば、そうなるようにヴァンが仕向けていたのだろうが、その正体はおろか顔を知るものもあまりなく・・・なにしろ特務師団師団長の任を賜っていたにも関わらず、当時導師だったイオンにさえ、顔を知られていなかったくらいだ・・・バレる心配はないだろう、というのが当のアッシュの見解だった。
とはいえ、やはり(今は)部外者であることは変わりない。
気がつくと、ふらりと出かけていってしまうが、どこかで見つかって詰問でもされやしないか、とアニスはいつも気が気でない。(あたりまえだが、他人を許可なく自室に住まわせた時点で、アニスも軍規違反だ)
アニスの部屋はドアを開けてすぐの居間と(小さいが暖炉もあるので、居間だろう)書斎とベッドルームのふたつの部屋がついていて(バスもトイレもだ、もちろん)書斎のほうをルークとアッシュのふたりに貸している。成人になれば男ふたりが、住まうのには狭いが、そこまでは面倒みれない。
一月前に大きめのソファーベッドを購入し、書斎へ入れてあるので、たぶん、ふたりはそれをつかって寝起きをしているだろうと思われる。
所有者はアニスでも年頃(一応)の男女(半獣の)が一緒に住む以上、お互いの部屋は立ち入り禁止にしているから、想像以上のことはアニスにはわからない。(たとえばソファーベッドひとつでどうやってふたりが寝ているのかとかね)
・・・話が大幅にそれた。
ふたりが猫化して帰ってきた時、当然、ジェイドに相談したらどうか、とは提案したが、ふたりは頑として拒否をした。(主にアッシュ)
ルークの気持ちもわからないではないのだ。
折角帰ってきたが五体満足という訳ではなく、みんなに余計な心配をかけたくないのだろう、ということは。しかし、ルークはひとつ間違っていると思う。
どんな姿でも、たとえ記憶をなくし、親善大使様の時代の彼で戻ってきたとしても、それでもルークがルークならば、帰ってきてくれた、それだけで、どんなに自分たちは嬉しいか。
ルークにはそれがわかっていない。一緒に旅してきた時と、寸分も違いのない自分でないと皆に会う権利がないと、思い込んでいる。
本当は違うと告げることは簡単だけれど、ルークは自分でそれに気がつかなければならない。
それが、さんざん待たせて、帰ってきた者の義務と誠意だと思う。
そして自ら胸を張り、ただいまと皆に言わなければ、いけないのだ。
曇りのない言葉が向けられることを、こうして皆より先に出会ったアニスですら、今でも待ち続けている。
そしてアッシュは・・・。
ただ単に、ジェイドが苦手なだけだろう。
まあ、猫化しますなんて知られたら、どれほどいじられるか想像に難くない。はっきりいって、見ていて気の毒なほどの目にはあうだろう。
プライドの高いアッシュは、憤死してしまうかもしれない。
けれど。
「けど、いつまでもそのままじゃいられないんじゃない?多少のことに目を瞑って、もとに戻る方法を探した方が良いと思うんだけど・・・。」
「あいつに頼むのの、どこか"多少"なんだ。」
「えー。」
そこまでこだわる?と首を傾げてみるアニスを、アッシュは、ちらりと横目で見た。
その表情がなにか言いたそうで、しかも、すこぶる機嫌も悪そうだ。
今の会話だけが原因でもない気がして、アニスは、なによ?と聞き返した。
いや、と否定の言葉を口にして、更に眉間に皺を寄せたから、てっきりそのまま自分たちの部屋に引き上げてしまうものだと思ったのに、アッシュは脱いだコートを手に持ったまま立っている。
視線が、未だにちらちらとアニスを気にしているので、言いたい事があるならはっきり言えばよいのに、と頬を膨らませた瞬間、ははん、とアニスはピンときた。
「これのこと?」
コレ、というのはアニスの膝の上で平和に寝ている猫のことだ。
アニスが動いたことで膝が揺れたのが気に入らなかったのか、しっぽの、ほんの数センチ先だけが、ぱたん、とアニスの膝を叩いた。
「なになになに〜?さてはアッシュ〜。」
アニスはにまにまっと笑った。
「俺のレプリカに触るな、とかそういうこと〜?あ、今は俺の子猫ちゃんか。」
殊更に俺のを強調すると、アッシュはムッとした顔をしたが、それでも怒鳴り返してはこない。
本人には隠しているようだが、実はアッシュはルークに甘い。
今も、本当は怒鳴り返したいのだろうが、寝ているルークを気にかけて、我慢しているのだろう。
「本人には屑がっとか言ってるクセに、相変わらずのツンデレですな〜このこのっ!」
屑、の言葉に反応したのか、ルークはむにゃむにゃしながら、あっしゅ〜と寝言を言った。
「素直じゃないんだから〜。」
「おい、いいかげんにしろ、おまえは・・・。」
「・・・アッシュ?」
怒鳴りかけの言葉は、ルークの声にひっこんだようだ。
目を覚ましたルークに、アッシュは、なんだと冷静を装ったいつもの声で答え、アニスはちぇっと唇を尖らせた。
「おかえり〜。」
にゃ〜と言いながら、すとん、とアニスの膝から床に下りたルークは、すでに成人の姿に戻っていた。
何度見ても、どういう仕組みなのか、成人と猫の姿への変身は瞬く間のことだ。縮んだり伸びたりの過程を観察することもできない。
成人に戻ったルークでは、膝の上に乗せることはできないし、すでにルークの眼中にアニスはいなかった。今も目を輝かせ、アッシュへと走り寄っている。(狭い室内なのに)
つまんないの、と思いながらアニスはソファーから立ちあがった。
「ココアでも飲もうっと。あんたたちは?」
ついでにいれたげるよ、というとルークは喜んで、飲む飲む!と答えた。
アッシュは無言だが、いらないならいらないと言うだろうから、数にいれておけということだろう。
「アッシュ、ひとりでどこ行ってたんだよ!」
と後ろでルークが詰め寄っている声を聞きながら、ココアの缶を開け、カップを用意している時、そういえば砂糖が切れていた、ということに気がついた。
ないことはないが、甘党のふたりには足りないだろう。
・・・まあ、いいか。
意趣返しのつもりで、アニスは砂糖の少ししか混ざっていないココアに、お湯を注ぎ入れた。
('08 11.20)
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