実は、トクナガはアニスの手縫いの人形なのだが、ということはアニスはそれなりに裁縫もできる、ということだ。
得意とまではいわなくとも、そこそこにできるだろうと踏んでのルークの頼みを、しかたないなぁ、と言いながらアニスが引き受けてくれたときは、やりぃ!と天を仰いでガッツポーズまでしたものだ。
彼女の手を煩わせることを考えたら、自分でやろうと思わないでもなかったが、ルークの裁縫の才能は料理よりもひどかった。
なによりも針に糸を通せない。
ここだとわかっていても、いくらどんなに集中しても、針の穴に挿入しようとすると、糸の先は丸まりてんで入ってくれる気配がない。
なんでだー!と毎度部屋に響き渡る声がうるさくて適わない、とアニスが承知したのには、それもきっとある。
できあがったものをアッシュに見せると、その場では、うぜぇだの、俺は着ないぞだの散々文句を言ったが、一度無理やり入り込んでしまえば、こっちのものだった。
根はほだされやすく、今のルークを多少なりとも不憫だと思っているアッシュは、それ以上は文句を言わず、ため息をついたりするものの、こうして同行することを許してくれている。
がやがやと人の大勢いる気配を感じ、ルークはわくわくっと身震いをした。
今日は一月に一度、ダアトで朝市が開かれる日だ。
以前、皆でイオンを訪ねてダアトに泊まった時、偶然にもその日にあたったことがある。
いつもは静かで厳かな空気のダアトの朝を喧騒の中で迎えることが珍しく、思わず早起きをしてしまったことを思い出す。
「前に来た時に、美味いホットドッグを喰ったんだよな〜!」
人気の店らしくて列が出来てた、とアッシュに言うと、知らない、と言う。
「マジ?アッシュはダアトに詳しいんじゃねぇの?」
「・・・長くはいるが、あまり教会の外を出歩かなかったからな。」
それを聞いて、ルークは半ば無理やりに連れ出したのだった。
・・・とはいえ、連れて歩かれているのは実際にはルークのほうだ。
暖かい布地に包まれていると居心地は悪くなかったが、揺れるため快適でもなかった。
しかし、アッシュといられるなら、そんなことはかまわない。
足元が覚束ない布地に踏ん張り、ルークはテントのように頭を覆い隠す布をそっとめくり、外の様子を伺い見る。
視界には大きな買い物荷物を抱えた恰幅のよいお母さんや、屋台に並ぶ色とりどりのキャンディーに目を輝かせる子供たちがうつったが、その誰もがルークの存在には気がつかない。
首をすくめるようにして隠れているルークの鼻の先を、ひとつに結わいた赤いアッシュの髪が、カーテンを結ぶ高級なタッセルのように、揺れていた。
アッシュが髪を結んだのは、黒いコートのフードのなかに、ルークが隠れているためだ。
いつものように髪をたらしていては、ルークに見えるのはアッシュの髪ばかりになってしまう。
アッシュは何も言わなくても、自ら髪をくくってくれていて、ルークはそれが嬉しくて、ただでさえ楽しみにしていた朝市が、もっと楽しく感じられた。
『どっちだ?』
『え、なにが?』
声に出したらアッシュがひとりごとを言いながら歩く変な人になってしまう為、会話は回線を使っていたが、頭痛もいくらか和らいで感じる。痛いには痛いが。
『ホットドッグに決まっているだろう!』
『そうでした・・・。』
そもそも、それをアッシュに食べさせたかったのだ。
ルークはぴょこっとアッシュのフードから目だけを出す。
アッシュのコートには、フードからルークが顔を出しても、赤い髪の頭が隠れるように、アニスにフタのような布地をつけてもらった。
ルークは上下の同じ布の隙間から外を覗いている。
これができたおかげで、猫になってもアッシュにくっついて外に出かけることができるようになった。
ルークはもとから、いつ猫化するかわからなかった身だったが、アニスの部屋という逃げ込める拠点ができて、心のどこかが安心したのだろう。
前よりも更に、簡単に猫化するようになってしまっている。
これでは、危なくてますます人前にはでられない。
『もっと先。白い建物がみえねぇ?その下辺りなんだけど・・・。』
『見えるもなのも。』
アッシュは呆れたようにため息をついた。
『ダアトの建物はほとんど白いだろうが。』
それが信仰という潔白を現すからかは知らないが、ローレライ教団のお膝元のダアトでは、白い建物が人々の暮らしを支配している。
しかし、アッシュは目的の店を見つけたようだった。
『確かに並んでいるな・・・。』
と面倒臭そうに言った後、
『並んでいる間は絶対に顔を出すなよ。』
とルークにいいつけた。
『なにがあっても絶対だ。』
信用ないな、とルークはふくれたが、ルークの好奇心の強さをしっていれば、杞憂ということもない。
『もしも見つかったりしやがったら。』
アッシュは言った。
『捨てるぞ。』
『う・・・うん。』
『よし。』
アッシュの言葉は冗談には聞こえなかった。だからといって、冗談の類を言わないというのではない。冗談をいう時でさえ、アッシュは普段通りの口調で、だからルークには、それが本気なのかふざけているのかの区別がつかない。
『もしもアッシュに捨てられたら。』
ルークは言った。
通信しているのだから小声もないが、それでも囁くような声が出た。
『・・・俺、生きていけないよ。』
『・・・・・。』
冗談めかしていうつもりが、成功したかはどうかはわからない。
ルークは自分で言っておきながら、目じりにすうっと水が溜まったのを感じた。
視界がぼやけ、瞬きをすれば、きっと目の外へとこぼれ落ちるだろう。
だが、ルークはそれをアッシュには言わなかった。
わずらわしい、などと。
これ以上アッシュに思われたら、本当に自分は死んでしまう。
『おまえ、なにが良いんだ。』
なにも気がついてないままの普通の声で、アッシュが会話を再開する。
『なにって、何が?』
『プレーン、チョリソー、ミートソース、サワークリーム。色々と味の種類があるぞ。』
『そ・・そうなんだ。』
以前、食べたときは、普通にケチャップとマスタードだった。そんなに種類があったとは知らなかった。
『全部、美味そう・・・。アッシュは?アッシュは何にするんだ?』
『俺は・・・普通ので良い。』
『じゃ、俺もそれ。』
アッシュと同じの、というと、アッシュが眉を顰める気配がする。
あれ?なにか気に障るようなこと言ったか?とルークがフードのなかでどきまぎしていると、
『・・・飲みもんもあるみたいだが。』
とボソリとつぶやくような声がする。
『アッシュと同じの。』
『飲みもんも、か?』
『うん。』
アッシュと同じが良いんだ、とルークが念じるように言うと、アッシュは無言のままで、返事をしなかった。
『・・・アッシュ?』
『なら、自分で責任持てよ。』
「プレーンとサワークリームをふたつずつくれ。」
空気を伝うアッシュの生の声が、注文を伝えている。
「それと、ミルクも2本だ。」
「ひ・・・っ・・!『ひでーーー!!』
思わず声で悲鳴をあげかけて、慌てて飲み込んだ。(捨てられるのは嫌だ!)
ルークは飲んでもいないのに、すでに涙目になっている。(けどミルクも嫌だ!)
『俺と同じものが良いとぬかしたのは貴様だろう。』
ぬけぬけとアッシュはそんなことを言い、代金を支払っている気配がする。
『そ・・そうだけど・・・。』
『動くぞ。』
それが、歩くから揺れると言っているのだというのに気がつくのに、一瞬の間があった。
ついさっきまでアッシュは、立ち止まろうが、走ろうが(実際に走ってはいないが)ルークには別になにも言わなかったのに。
そんなことを揺れだしたフードの中で、思っていた。
教会の兵士専用口から入れば、アニスの部屋までは多少近道なのだが、見張りの兵士が常に立っているからそこは使えない。
だから帰ろうとするならば、信者たちに紛れ、堂々と正面から入らないとならない。
なに喰わぬ顔で教会へと足を踏み入れた後、最奥の祭壇から数えて、3番目の左の扉を開ける。ここからなら図書館にも行けるため、途中までは一般人の立ち入りも許されている。図書室までの廊下をひとつ右にそれ、もう一本を先に行くと、そこからは教団関係者以外は立ち入り禁止の区域になる。
アニスの部屋のある中庭は左手だが、そこまできたアッシュは、右手に折れた。
『あれ?部屋に帰らないの?』
「もう人はいねぇから、しゃべって良いぞ。」
ぶつん、と回線の切れた音がして、アッシュの生の声がルークに口を使うことを促した。
「・・・まだ帰らないの?」
ルークが聞きなおすと、
「あいつの分を買い忘れた。」
とアッシュは言った。
「どんな嫌味を言われるかわからねぇ。」
アニスのケチ度もさることながら、面倒を見てもらっている(語弊だ!)身のうえで、その相手を蔑ろにしたりするのはやはり礼儀的、人間的にどうかと思われる。
要するに、アニスにばれないように、どこかで食べてしまえ、ということだ。
「まだなにか腹にいれても、夕食までに消化しないような時間でもない。・・・大丈夫だろう。」
ふたりはこれでも(猫でも)健康的な男児なので、消化は早い。
アニスはいつもそれを気づかってくれてか、かなり多めに食事を用意してくれているが、それでも足りない時すらあった。
「じゃあ、どこ行く?」
俺、成人化した方が良い?とルークが聞くと、
「・・・・ディストの残した部屋だ。」
とアッシュは答えた。
そこなら誰もこないから、ルークは猫のままでも大丈夫なのだ。
ディストの部屋は元々教会内において、立ち入り禁止になっていた。
なっていたのは、していたのではなく、そうせざるおえなかったからだ。
秘密主義で自己顕示欲のカタマリだった、今はマルクトの捕らわれている元六神将は、けっして他人を自分の部屋にいれようとはしなかった。
個人の音素振動数にマーキングをつけ、無理矢理部屋を開けようとする者に、色々な仕掛けが発動するように施していた。
入れたのはヴァン(たぶん)を含む一部の人間だけで、(ルークが思うにジェイドも含まれていただろう)ディストが去った後もその術は作動している。
驚いたことに、アニスはその一部の人間に含まれていた。
「あいつ、本当にアニスをお友達リストに入れてたんだな・・・。」
「リストもなにも、あいつに友達はいねぇだろう。」
間違っても俺は違うしな、と同じ元六神将の言葉はにべもない。
「気の毒に・・・。」
「どっちがだ?」
初めてそれに気がついた時のアニスの表情は、なかなか見ものだった。
ディストには悪いが、やっぱり気の毒なのはアニスだろう。
おそらく今現在であの部屋に入れるのは自分だけだということに気づくと、アニスは真正面からディストの部屋に入り込み、裏口をルークたちの為に開けた。裏口といっても、窓ガラスを中から壊しただけなのだが、それでも木製のよろい戸に鍵をつければ立派な出入口になる。その鍵は、ルークとアッシュのふたりが持っていた。(アニスは正面から入れるので持つ必要はなかった)
おまけに、そこは数年の間に、誰も立ち入れないという事実が教団の間で知れ渡り、今や近づく者もいない。
まさに、ルークたちにとっては恰好の隠れ場だ。
回りに人気がない事を確認すると、アッシュはよろい戸の鍵を開け、窓枠に腕をかけて体を持ち上げると、すばやく中へと滑り込んだ。
床に飛び降りた衝撃でルークの入ったフードが揺れたが、ルークは別に声のひとつもあげなかった。
すばやくよろい戸を閉めると、窓もなにもかもカーテンを敷いてしまっている室内は薄暗い。けれど、明かりが必要なほどでもなかった。もっとも、明かりが漏れる心配があるため、暗くなってもここでは照明の類は一切禁止だ。
「しっかし、相変わらず、ここってヤバイ感じだよな・・・。」
フードから顔を出し、机の上に降り立ったルークは、来る度に同じ感想を繰り返す。
部屋は雑然としていて、作りかけの音機関は散乱し、錆びた匂いとなにやら薬品っぽい匂いがする。
何度か来ていて見慣れたのか、アッシュは興味もなさそうに、そうか?と答えると、背もたれの高い椅子に、体を投げ出すようにして、どっかと腰掛けた。(ディストが乗って空を飛んでいたあの椅子と同じデザインの椅子だ)
ホットドッグの紙袋を開けるガサガサッという音がして、ルークはアッシュの方へ、とたとたと寄っていった。
ひょい、とアッシュの長い腕を伸びてきて、ルークを自分の膝の上にあげる。
「ほらよ。」
と包み紙の捲かれたままのホットドッグを渡され、ルークはそれを苦労しながら、開けた。
体が小さければ、何気ない作業にも苦労するが、アッシュは手伝ってくれる気配もない。
しかし、ホットドッグにかぶりついているアッシュの顎のラインを下から見ていられるのはとても貴重なことで、膝に乗せてもらったラッキーもあいまって、成人の姿の戻ろうとは思わなかった。
ルークがホットドッグと格闘している間に、アッシュは1本食べ終わり、指についたケチャップを舐めとりながら(アッシュってなんでそういう姿すら様になるんだ!!)左手でミルクの瓶を掴む。
何故かその時ばかりはフタを取り、ルークにほら、とつきつけた。
自分と同じ背の瓶の中身は当然白く、思わずルークは、ひくっとひきつると、誰も頼んでないのに・・・としゅんと項垂れた。
その頭の上で、アッシュが笑う気配がする。
絶対にわざとだ!と拗ねたルークを抱き上げ、目の高さまで持ち上げると、アッシュは言った。
「不思議なものだな。嫌いなクセに。」
なにが、と聞く間もなく、アッシュはルークの耳の辺りにそのまま鼻を埋めた。
「こうするとお前は、ミルクの匂いがする。」
そういうアッシュの声が近く、ルークはくすぐったさで、耳をぱたぱたと動かした。
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