アッシュのこういうところが嫌いだ。
ずるっこくって、逃げ足が早くって、妙なところだけ世渡りがうまくって、大っ嫌いだ。
ルークはダアトにある店先で、看板を睨みながら心の中で文句を垂れていた。
目の前のその店は、看板がしゃれている。
木彫りの看板は軒先に吊るされ、鏡をかたどったそれに、ピンクのリボンがかけられていた。鏡はカタチだけではなく、本当にガラスが入っていたから、時折太陽の光を反射して輝いては、道行く人の気を惹いていた。
ショーウィンドウはというと、これまた窓枠はピンクに塗られ、ディスプレイされた色鮮やかな小物や花が映え、一枚のポストカードのようだ。
誰がどう見ても、男のルークには関係のない物を売っている店だ。
「うー・・・。」
なかなか勇気がでなくて、そこに立ち尽くしたまま、すでに30分。
ルークがここに立ってから入っていった女の子たちはすでに買い物を終えて、外に出てきている。
そのなかの何人かは、自分が来る前から店先にいる見た目の良い男の子に気がついていて、立ち尽くしているルークを興味ありげに、振り向いて見たりしている。
もともと奥手なところもあるせいか、ルークはそんな視線になど気がつきもしない。
ただただ、この状況をどうにかしたいと思いつつ・・・すでに突進あるのみだということも分かっている。要するに、勇気の問題なのだ、勇気の。
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猫耳ワールド |
アニスが今月、誕生日を迎える。
旅を一緒にしていた頃は、子供だと思っていたのに(実際はルークのが年下だったが)とうとう16歳になる。16歳といえば、旅をしていたころのティアと一緒だ。
最近のアニスといえば、背が伸び(それでもルークよりは小さい。そして、内心でルークはそれ以上伸びないで欲しいと思っている)胸こそ成長はしなかったが(気にしてしまうのは男の性か?)すらりとした印象に、まだあどけない表情と、すっかり娘らしくなってきて、フローリアンというお目付け役(反対じゃね?)とルークたちという瘤(ふたつの)がいるから、それどころではないらしいが、巷で聞く噂では、言い寄ってくる男がいるとかいないとか。
「まあ、性格はアレだが、顔は確かに可愛いしな。」
だからどうという話でもないが、アニスに彼氏ができようものなら、かなり彼らの関係は微妙だ。
成り行きで匿って貰っているとはいえ・・・一緒に暮らして半年になる。
さて、そうなると普段から面倒を見てもらっている身としては、感謝の気持ちを込めてプレゼントでも、ということになる。
お金に貴賎はないというが、まさか本当にガルドを贈るのはそれはそれで悲しいので、(ちなみにお金がないのではない)、日頃の感謝を込めてなにかモノを贈ろうということになった。
そもそも、そう言い出したのはアッシュの方だ。
アッシュのツンデレぶりは(彼らだけの間で)有名だし、驚きはしたものの、なるほど礼儀正しい彼らしい感謝の表現だと感心して、嬉しそうに同意したルークだったのだ・・・それがいけなかった。
いけなかった、というか罠というか。
なにか良いもの知らないか?と言われ、ルークの脳裏に浮かんだのは、最近ダアトで若い娘たちに流行りの店のことだった。
まだ開店してさほどもたっていないにも関わらず、ディスプレイの可憐さや、乙女心をくすぐる品揃えは、たちまち評判を呼び、並べられている商品とは無縁のルークの耳にも入るくらいなのだから、その繁盛ぶりは想像に難しくない。
そこのものなんか、良いんじゃね?とルークは言った。
俺にしては気が利いているかも、と内心では自画自賛をしてまでしていた。
そうか、と言ったアッシュが、ならお前に頼もうか、と笑った。
「くっそー。」
アッシュのやつ、とルークは悔しくってその場で地団駄が踏めそうだ。
やっかいなことはいつも自分に押し付けてくる。こんな店に入るのも、なにを選んで良いのかさえも、苦手なのはルークも一緒だというのに。
30分も佇んでいた間に、ルークは何度も帰ってしまおうかと思いはした。そして本当に一歩足が出たりもした。しかし。
「あいつが喜ぶ顔、見たいしなぁ・・・。」
帰ってきてから、ルークが触れ合える唯一の、かつての仲間だ。
そして、昔のよしみがなかったとしても、今は大事なルークたちの庇護者で、唯一の理解者だ。
あの時、もしもアニスに見つからなかったら、中途半端な今の生を、こんなにも毎日楽しく過ごすことなどできなかったに違いない。
「よし、決めた!」
恥ずかしいからこそ、さっさと買って戻ってくれば良い、とルークは覚悟を決めた。
そうなったら度胸が据わり、未だになにを買うか決めてないプレゼントも、お店の人にアドバイスして貰えば良いや、という気になった。
いらっしゃいませ〜という、くるりとした声に迎えられながら扉を開けた瞬間は、やはり逃げ出したくなったが、ルークは耐えた。
「と・・友達にプレゼントなんだけど・・・。」
なにが良いか見繕ってくれ、といえば、甘い匂いのする店員は、やはり甘い笑みを浮かべて、かしこまりました、と言った。
頼んでみればその程度で事は済みそうだった。
『なんだ。緊張して損した・・・。』
意外に簡単に事が運んだことで安心して、ルークはそこらに陳列してある雑貨などを手にとって眺めだす。
およそ化粧する時に使えるとは思えないのだが、目の前にあった一番人気とかいう手鏡はパールやラインストーンで装飾され、確かに見た目も綺麗だが、用途に反して重そうだ。華奢な指輪もあるが、戦闘中に怪我の元になる事を危惧してか、アニスは指輪の類をしない。ネックレスも同様だろう。
どのような方なんですか〜?聞かれ、ルークは気もそぞろなまま、
「結構、可愛いよ。」
などと言ったものだから、しっかり店員には、彼女にプレゼントなんて羨ましいですね〜としっかり誤解までされた。
ルークは店員に勧められるまま、裏面に七宝で小鳥が施されている、可愛いこぶりの手鏡を買った。それなら、アニスも任務中に持ち歩けるサイズだし、無駄にはならない筈だ。
店の中を見回す余裕もでてきたところで、アッシュにもなにか土産ないかな、と思ってきょろきょろしたものの、こんなファンシーな店にアッシュに似合うものがある訳もなく(あればあったで複雑だ)目の前にある水色のリボンをアッシュがしているところをうっかり想像してしまい、ルークはひとり密かに笑う。アッシュ馬鹿はいつものことだが、それも大概にしておかないと、いずれ本人の大目玉を食らうかもしれない。
そういえば、と脳裏に浮かぶ長い髪に、ルークはふと懐かしい気分になった。
彼女はこういう可愛いものが好きだった。
ぬいぐるみのような人形の種類から、アクセサリー、はたはメイド服までとジャンル問わず、可愛いと思われるものは軒並み好きというある意味の無節操さに、本人のギャップもあいまって、ルークははじめ、くらくらしたものだった。
『可愛いといえば・・・俺?』
以前からアニスには可愛いと称される。
それに不満がないわけではないが、このような身の上では文句も言いがたい。
確かに、小さくなって猫の耳だのしっぽだのが生えていれば、彼女の好きなねこにんとさして代わりがないし小さい分だけ可愛さも増すのかもしれない。
案外、この姿を見ても彼女なら喜んで迎えてくれるかもしれないな、とルークは思う。
けれど・・・会えない。
それは、別にアッシュと約束したからではなく。
この姿を晒した時の、皆の混乱は想像がつく。
からかったりはするだろうが、きっと心配するだろう。そしてなんとかして元に戻る方法を探そうとしてくれるに違いない。
それは本当にありがたいと思う。
けれど・・・実はルークは、元に戻りたいと切実に願っている訳ではなかった。
元々レプリカという自然界には生まれない身の上だったから、今さら普通の人間でないことには免疫がある。
この姿は不便もあるが、その代わりに楽しいことも多い。卑怯な考えかもしれなかったが、人間の人生で背負い込むことの重さに比べたら、気楽なものだ。
もちろん、過去に自分のせいで失った命を忘れたことは一日たりともない。償いに背を向けたいなどということは一切ないと誓えるし、今でもその気持ちに変わりはないが・・・このままでいれば、これ以上、命を奪うこともない。
『償うって・・本当に難しい・・・。』
思えば、皆のところに帰ることも、一種の償いだ。
ルークは彼らにだって、償わなければならないのだ。
だけど。
そうなったら、もうアッシュとは一緒にいられない・・・。
厳密にいえば、いられないということはないだろう。バチカルに帰ることもあるかもしれないし、どこか遠くに居を構えることもあるかもしれない。
けれど、今のようにべったりと、ある種の独占状態でいられることはなくなってしまうだろう。
アッシュだって。
今よりも世界が広がり、人づきあいが多くなれば、今のようにルークを省みてくれることなどなくなってしまう。
今はただひとりの同じ種族だからこそ、ルークの傍にいたいという願望を叶えてくれているのだろう。ひょっとしたらアッシュは、ルークも同じ理由でアッシュと一緒にいたがっているのだと勘違いしているのかもしれないし。
だとしたら。
人間に戻ったとしたら、この恋など、絶望しかない。
ルークにはアッシュと違って、自分の気持ちがつかないとか、折り合いがつかないとか、面倒臭いところが一切ない。
好きは好き。常識だろうと非常識だろうと、恋は恋なのだ。
ぼんやりとしている間に、プレゼント包装が終わったと呼ばれた。
お金を払い、それをポケットに入れて店の外へ出ようと振り返った時だった。
さきほどまで、思い出していた銀にも金にも見える独特の長い髪がショーウィンドウの前を横切って、ルークはぎくりと足を止めた。
しまった、と思った。
彼女は可愛いものが好きなのだ。
今現在は、ユリアシティにいて、テオドール市長付きの部署に配属されているのは知っていた。しかし今でも教団に所属していることには違いない。もしも、所要でダアトに来ることがあれば・・・この店に寄るに決まっている。
そう、決まっているのだ!
ルークの心配したように、ティアは店に入ってこようとしていた。
扉に手をかけ、押そうという瞬間、とっさに棚の影に隠れる。店はそれなりの大きさがあるし、雑貨たちは所狭しと置いてあるから視界がひらけていないことが幸いだった。
棚の影から盗み見ていると、ティアはルークがいる位置とは反対側の通路を物色している。
なにかめぼしいものでも見つけたのか、かがんだ瞬間を見計らって、すばやく店の出口へと向かう。
ありがとうございました!という店員の挨拶の声が恨めしく、扉を開けて外へとすべり出た時、ティアに見られていないか気になったが、振り返って見る勇気はなかった。
けれど、気がつかれはしなかったようだ。
もしもルークの姿を見たなら、ティアなら声をかけるなり、追いかけてくるなりするだろう。
走って、店の中からは見えないよう、曲がり角に身を隠した。
これからどこへ行こうかと考えあぐねる。
すぐに帰ることを思い浮かべたが、ティアは店には立ち寄っただけだろうから、これから教会に向かうのかもしれない。鉢合わせる可能性はなくない。逆に教会での用件が済んでいたら、これから帰途につくかもしれず、そうなれば第4巡礼碑の丘を通るだろうから、ダアトの外に出てしまうのも危険だ。
逃亡の身の上は、なんて不便なのだろう。
そんな事を考えて、鬱になっていた時だった。
「なにをしている?」
聞き覚えのある声に、今は猫のものではない耳を、ぴんと立て、ルークは振り返った。
「アッシュ!」
「・・・かくれんぼか?」
言い得て妙だ。
アッシュは不機嫌そうに(いつものこと)片足に体重を乗せ、腕を組むというポーズでルークを見ている。
「うん・・・。」
首を店の方に向ける。
誰も出てはこなかったが、もう一度ティアの姿が見えないかと期待した。見つかりたくはないが、ちらとでももう一度姿が見たい。
そんな事を言えば、怒鳴られるに決まっているから、ルークはいい淀んだ。
だが、そんな態度はアッシュの不機嫌さに拍車をかけた。
「俺には言えないことか?」
「え?・・ちが・・・。」
声に苛立ちが滲んでいることに気がついて、ルークは内心焦った。
このままでは言っても言わなくても怒鳴られそうだ。実は・・・と話しだし、アッシュの眉がだんだんと吊り上り、ますます機嫌が降下していく様を見て、ルークは首をすくめた。
「それで?」
アッシュは言った。
「お前はヴァンの妹に、会いたいという訳か?」
「それは違う、けど・・・。」
けれど、会いたくないとは言い切れない。
ティアの姿を見た時、思わず声をかけそうになった。
やっとのことでそれを飲み込んだけれど、一瞬だけ見たティアは、ルークの記憶の中にいる時よりも大人っぽく、さらに綺麗になっていた。
ルークがこうなって隠れ住んでいる間にも、ティアにはティアの時間が流れ、それは遠く、お互いの距離に拍車をかけている。
それを切ないと感じないではいられない。
アッシュとは違う意味で、ルークはティアを好きだった時期すらある。
「けど・・・約束だからさ。」
「約束?」
「元の体に戻るまでは、誰にも会わないっていう、アッシュとの約束。」
一瞬、不自然はほどの間があいた。
あれ?と思い、ルークが顔をあげると、アッシュの冷たい瞳とかちあう。
アッシュの機嫌が悪いのはいつものことだが、腹の底から怒りを感じると、アッシュは黙るクセがある。これは、もしやその状態だろうか?
「だったら。」
そこまで怒らせるようなことを言っただろうか、とルークが自分の言った言葉を反芻するよりも早く、睥睨するような視線で、アッシュは言った。
「お前があいつらに会えないのは俺のせいだってのか!?」
「え!?」
アッシュに怒鳴られ、ルークはショックで真っ白になった。
確かに、今の言い方では、まるでアッシュがいなければルークはさっさと仲間のところへ戻れたのに、と聞こえる。
「そ・・ういう意味で言ったんじゃ・・・。」
違うという訂正と、ごめんという侘びを口にしようとルークが口を開きかけるよりも早く、アッシュは怒鳴った。
「うるせぇ!!」
俺のせいになんざされてたまるか!と吐き捨て、
「俺はてめぇなんぞいなくっても一向に構わねぇんだよ!」
「・・・!!」
「そんなに帰りたいなら、さっさと帰れば良いだろうが!」
大人になれば頭ごなしに叱られるという経験はなくなる。
もっとも、アッシュは親の期待に沿った品行方正で勤勉な幼少時代を過ごしていたから、親にも教育係にも叱られたという経験は皆無に等しい。
・・・かったのだが。
そのアッシュは今まさに、叱られている最中だった。
けっこう可愛いとアッシュでも思っていたその顔は、これでもかというほど目を吊り上げられ、真っ赤に染まっている。
これでは鬼だ。
「ちゃんと聞いてるのっ!?」
アニスの怒りはそれはそれは凄まじかった。
予想はしていたが、ここまでとは、とアッシュは半ば呆れながら、気まずそうにアニスを見る。
以前の仲間たちが全員ルークに甘いことには気がついていたが(その時はそれを苦々しく思っていたものだ)ここまで直接的に、自分に向けられることが今までなかったから、少し状況を甘くみていたところもあるにはあった。
あの後。
身動きすらしなくなったルークに、舌打ちをして、その場に残し、少しだけダアトの街で頭を冷やして帰って来た。
知られれば、アニスに嫌味のひとつくらいは言われるだろうと覚悟はしていたが・・・帰って来たアッシュがドアを開けた瞬間、いきなり飛び蹴りが襲ってきた。
人が飛んでくるとは流石に予想外で、アッシュは驚いてしまった。
アニスは、テメーぶっ殺ス!と物騒な叫び声をあげながら、アッシュめがけてさらにとび蹴りを食らわせてきて(これも避けたが)、ここでようやくアッシュは、ルークがあの後どうしたのかを知らされた。
今までだって散々、ひどい言葉を浴びせてきたし、免疫はついていると勝手に思ってきた。
これぐらいたいしたことはないだろう、と。
アッシュにしても売り言葉に買い言葉で(厳密にはルークには売られていない)口からついて出てきてしまったものだし、本心ではないことくらいルークにも分かるだろうと思っていた。
だが。
俺、もうアッシュの傍にいられない・・・。
物音がしたのに、帰ってきたにしてはいつまでも誰も入ってこないことを不審に思い、アニスがドアを開けた時、床に蹲ったまま、ルークは泣いていた。
小さくなってしまって、まるで床に溶けてしまうのではないかというほど涙をこぼし、耳もしっぽも服さえもぐっしょりと濡れていた。
アニスがいくら宥めてもルークの涙は止まらず、理由を聞いても答えない。
ただ、アッシュの、と言ったということは、原因はアッシュに決まっていて、だからきっとかばっているのだ、ということは予想がついた。
ルークは、部屋に篭ったまま出てこない。
アニスは、ふつふつと怒りをたぎらせ、アッシュの帰りを待っていたのだそうだ。
「え?ティアに?」
「・・・俺が会った訳じゃねえが。」
事の成り行きを一部始終しゃべらされると、ふうんティアがねぇ、とアニスは言った。
私にも顔見せれば良いのに、と言いながらも、でもここまで来られるとまずいし・・と頬杖をついた状態でつぶやいている。
それを見ながら、以前のアニスはこんな大人のような仕草をしなかったということにアッシュは気がついた。自分達がここで動けずにいる間にも、周囲は成長を遂げている。
「でもさぁ、ティアが偶然来たのは不可抗力だし、ルークのせいじゃないよ。結局みつかなかったんだから、良いじゃん?」
なのになんでそんなに怒ったのよ?と言われて、アッシュはそうじゃねぇ、と答えた。
「・・・あいつのいつもの卑屈にイラついただけだ。」
「うん?」
「帰りたきゃ帰れば良い。その勇気がないのは自分のせいだろう。それを俺のせいにしやがって・・・。」
「帰りたいって、ルークが言ったわけ?」
目を丸くしてアニスは頬杖をついていた手から顔をあげる。
「そうじゃねぇが。惚れてた女に会いたいのは当たり前だろう、と言いやがった。それは戻りたいってことじゃねぇのか?」
ルークは、いまでも元の仲間を慕っている。
それは変わらないことだし、そうでなければルークではない。
だったら、前に進めば良い。たとえ、騒がれても拒否をされないと信じているなら、それを実行すれば良い。できない言い訳に、自分を使われたことが腹がたつのだ。
えー?とアニスは語尾を延ばしてアッシュを見る。
こういう訳のわからない奇声をあげるのは変わらないようだ。
「・・・あんたさぁ、自分で気がついてないわけ?」
「なにだが?」
アッシュが聞き返すとアニスは、ああもう!と叫び声をあげ、アッシュって意外にボケだよね!といつもと同じ口調で、アッシュをびしっと指差した。
「それって、やきもちじゃん!!」
「あぁ!?」
いきなりなにを言い出すこのガキ!とアッシュが反射的にすごむと、それって図星の反応だよね!と負けずに言い返される。
アッシュがいくら凄もうと、アニスには一向に通じない。
「やきもちでしょ?」
アニスは断言した。
「ルークが皆のところに帰りたいって言ったのが気に入らないんでしょ?アッシュは。」
「どうしてそうなる・・・。」
「そうなるじゃん。第一・・・ルークがティアのこと好きだったなんて、言う訳ないんだし。」
ルークは確かにティアを好いてはいたと思う。もしかしたら、あのふたりはくっついていたかもしれないくらいには。
だが、それもアッシュが現れるまでだった。
旅を続けている途中で、ルークには明確に自分の気持ちの区別がついていた。
憧れで淡い恋心を抱いていたティアとアッシュを並べ、アッシュの為なら命を捨ててもおしくないと思った時点で、いくら鈍いルークでも自分の気持ちくらいには気がついたのだろう。
だけど。
ちらり、とアニスはアッシュを見る。
アッシュとルークは同じ顔をしているのに、アニスがふたりを混合することはない。それは、ふたりが違いすぎることを知っているからだ。性格だけではなく。
考え方も、それまでの生き方もふたりは違う。
アッシュには、特別と、さらにまた別の特別がある、ということが理解できない。
彼は特別なものがひどく少ない人生を過ごし、大切なもの、特別なものにもカテゴリと、優先順位があるということがわからないのだ。
『友達に順位つける方が間違ってるんだけどね・・・。』
そして、それを人の口から説明して納得させるのはもっと間違っている気がする。
堂々巡りでも、それはお互いに自分で気がつくしかその価値を量れないものなのだ。
アニスはため息をついた。
「ま、とりあえず、ルークのことは頼んだから。」
不満そうにしながらも、自分が原因であること自覚しているアッシュは不気味なほど素直に、頷いた。
部屋の扉をそっと開けると、ソファーベッドのうえに雑においてあったタオルケットの一点が、小さく盛り上がっている。
丁度りんごが入っているような大きさの、その盛り上がりは、よく見ると小刻みに震えていた。
聞こえるほど大きくため息をつき、アッシュは、おい、と声をかける。
タオルケットの中の小山は、ぴくん震えたが、顔を出しはしなかった。
「いつまで拗ねてやがる。」
加害者の立場でその言い草もどうかと思うが、アッシュにはそういう言い方しかできない。
自分でそれに気がついて、アッシュは苦虫を噛み潰したような顔になった。誰も見てないことが幸いだった。
それが、アッシュにいつも感情のままに、怒鳴っていた自分の行いを省みる間を齎した。
面倒というのではない。けっしてそうではないのだが、よくそういう言葉で表現をしていたと思う。
アッシュが面倒だと思うのは、人の心は自分のものではない、ということだった。
どんな人間の経験も感情の肩代わりしてやることはできない。それはその人間が持つ領分であり、言葉を尽くして説得することはできるが、他人の心を動かそうとすることは傲慢なのだと思っている。
はじめから領分でないもの、動かす権利のないもののことで、自分になにかを求められても、それは違うだろう。
だが、さきほど一方的に責めたのは、まさに、人の心の領分にない筈の自分の権利を主張したことと同じではないのか?
「・・さっきは感情的に怒鳴って・・。」
う、とつまりながらもなんとか言葉を繋ぐ。
「わ・・・悪かった・・。」
白いタオルケットがもぞもぞと動いて、同じ色のふわふわした耳が出てきた。
目がこぼれるのではないかというほど見開き、本当にびっくりしたという顔で、ルークがアッシュを見ている。
その表情でルークの心情が量れて、あまりの居心地の悪さに、やっぱ謝るんじゃなかった、とアッシュはヤケのように思った。
「別に・・責めるつもりはなかった。」
それでも、アッシュは言った。ここまできたら、今さら引き返すのも変な話だ。
「帰りたければ帰れば良い、そう思っただけだ。・・お前が勘違いしているようだったから、イラついたのは事実だが。」
「・・・・・。」
「俺は確かに、自分でなんとかできるならなんとかしようと思っているが、どうにもならなかったら・・・まあ、あの陰険メガネを頼るしかないのだと分かっている。気に入らないが、こればっかりは仕方ねぇ。」
だから、帰らないとお前に約束させたい訳じゃない、とアッシュがいうと、ルークは、
「そうじゃないんだ。」
と首を振った。
「俺は帰れないんじゃない。・・・元の姿に戻りたくないんだ。」
意外な言葉に、アッシュの方が目を丸くする。
「アッシュは元に戻りたいだろう?でも俺は戻りたいって思ってないんだ。だって・・・。」
ぺしょん、とルークの耳が後ろに垂れた。それを言うのは魔王の出てくる扉を開けるようなものなのだ。
「毎日が、とっても楽しいから・・・。」
本当はいけないことだと思う。
自分には幸せになる権利などなく、どこかで這い蹲って罪の重さに苦しまなければ。
だけど、今のこの状況はとても幸せで、時折いつかなくすことを思って胸が苦しくなる。
アニスのつくるごはんが美味しい。
眠る前にベッドのなかで、だらだらと話しているのが楽しい。
アッシュといられることが嬉しい。
責務と贖罪を秤にかけても、この生活を自ら失う選択をする勇気が、ルークにはない。
「俺は・・卑怯だ。」
ぼたぼたと涙をこぼすルークに、アッシュは、ああ濡れたタオルケットを後で洗濯しないとならないな、とぼんやりと考えていた。
「なにもかも投げ出して、そのうえ自分だけ幸せならそれで良い、なんて・・・。アッシュがあちこち元に戻る方法を探して走り回っている間、俺はずっと、このままのが良いって思ってたんだ。」
俺は、とえぐえぐっと嗚咽を漏らしながらルークは言った。
「ずっと、アッシュを裏切ってたんだ。」
だから、と続けようとするルークの言葉をアッシュがさえぎった。
「・・・言ってる意味が分かってるのか?」
アッシュの声は低く唸るようだった。それを聞いて、ルークは身をちぢ込ませる。
ああ、知られてしまった。
完全に呆れられ、嫌われてしまう。
そっと伺うとアッシュは眉を顰めていた。
そこに混じっているのは、あきらかに困惑で、そんな顔はめずらしい、とルークは思った。
「そんなにちっこくなって、大勢の人の中にはも入れない。まともに人前にも出られない。もう二度と、以前と同じ生活には戻れないんだ。お前はそれでも良いっていうのか?」
強く言われ、ルークはアッシュを見た。
そのまま目を逸らさずに、じっとアッシュを見つめる。もう一度自分の気持ちを確かめるために、必要な動作だった。
こくん、と迷いなくルークはうなづいた。
嘘はつけなかった。
けれど・・・アッシュにだけは罵られたくないという気持ちが湧き上がってきて、体が震えだす。
お前如きが幸せになろうとするなんて、と誰に罵倒されようと、アッシュにだけは言われたくなかった。
贅沢だろうか。
それでも、最後の最後ではアッシュに自分の味方でいて欲しい、そう望むのはやめられない。
「本気なんだな?」
アッシュは言った。
うん、ともう一度頷いて、ごめん、とルークは言った。
自分のこぼした涙で、だいぶタオルケットが濡れてしまっていることに、遅ればせながら気がつき、刑を言い渡される犯罪者のような気持ちで、少しでもそれを直そうとするかのように、ごしごしと手の平で表面を擦っていると、アッシュは溜息のつく音が聞こえた。
「・・・そうか。」
そして、言った。
「おまえにその覚悟があるなら、それも良いかもしれん。」
「え。」
目を見開いて、ルークはアッシュを見た。
「まあ、戻れるに越したことはないが・・・たぶん、闇雲にやっていてもラチがあかないだろう。それなら、いつかなんてことは考えずに、今の状況を受け入れることにした方が良いのかもしれん。幸い俺の方はそんなに深刻でもねぇ。」
「え、ちょっと待って・・・。」
当然、怒鳴られるだろうと思っていたのに、意外にもアッシュの返事はあっさりとしていて、ルークは逆に面食らった。
「えっと、アッシュ?」
「なんだ?」
「この屑、とか言わないのか?お前にそんな権利はない、とか。」
「権利?」
片方の眉をあげ、アッシュは怪訝そうな表情だった。
「なんの権利だ?」
「えっと、だから・・・幸せになる権利?」
ルークは罪深い。
そんな人間が、幸せなどと口にして良いものでもないと思う。
それこそとんでもない罰を受けなければ。そうしなければきっと、いけない。
そうルークが言うと、アッシュの眉はさらに釣りあがり、今度こそ怒鳴られる、とルークは思った。
「罰なら・・・受けたじゃねぇか。」
いや、受けているというべきか、とアッシュは言った。
「え、いつ?」
「今だ。」
?と頭に大きなマークを浮かべて、ルークは自分の体をぱたぱたとまさぐる。
今ルークのうえには苦しみもなにもきていない。それなのに、どんな罰があるというのだろう?
鈍いルークに呆れたような顔をしながら、アッシュは、それのことだ、とルークを指差した。
「今のその姿だ。」
「え?猫になることが?」
ルークには、この姿は多少の不便という意識しかない。
罪があれば罰があるのは当然だが、それは永劫に終わらない苦しみだと思っている。だから、ルークにしてみればその程度で、それが何故、罰になるのか、わからない。
「生まれ変わったにしたって、半分畜生道に落ちたんだ。これ以上の罰もないだろう。」
アッシュは言った。
「・・・普通の人間なら、それだけで嘆く。」
「・・そう、かな?」
猫になるということはそんなに悪いことでもない。
「・・それは、お前だからだ。」
たとえば、まるっきり同じ悲劇が襲ってきたとして。
死ぬほど絶望を感じるものもいれば、仕方のないことだと諦められる人もいるだろう。
与えられた状況に対して、どれだけ嘆くかは、捕らえる人によって違うと思う。
どんな悲劇に見舞われようと、受け手側の心積もりで大きくも小さくもなるのだ。
ルークは猫の姿を意外に気に入っている、という。
アッシュにしてみたら、大変そうだと多少の同情を感じていたのに、本人が気にしていないなら、それに越したことはない。
天がどういうつもりかは知らないが、今のこれは罰に違いないのだろう。ルークがその状況を楽しめるからと言って、誰かに責められる筋合いはない。
「だがな。お前が良くても、俺は諦めねぇ。」
とアッシュは言った。
「必ず、元の体に戻る。・・・今のままでも、旅人の護衛やらなんやらで金を稼ぐことはできるが、できればここにいるんだ。もう一度神託の盾の仕事をしたい。このままではそれも敵わないからな。」
そして、とそのままきょとんと見上げているルークに言う。
「元に戻る時は、お前も道連れだ。」
「・・・・・。」
罰としても、それを受け入れているものに対して、傲慢だろうか。
だが、アッシュには・・・ルークが罰を受けるという状況にこそ、納得がいかなかった。
確かにルークに罪がないとはアッシュも思っていない。
だが、それにあまりあるほどの犠牲を払って、それを償おうというものに対して、それでも罰を強制するというのなら、他の人間はどうなのだ、とアッシュは思う。
世界中の人間全てに罪がないとは天にも言わせない。
戦争や、自分の身の安全や、任務を言い訳に、自分となんの関係もない人間を殺してきたやつは山ほどいる。
そいつらとルークが同等だというのならまだしも、そいつらよりもルークの罪が重いと言われるのは我慢できない。
「うん・・・。」
じっとアッシュの顔をみて、
「そうだね・・・。」
静かにルークは同意した。
心の中は、踊りだしそうだった。
自分はこのままで良いと言っているのに、それでも諦めないとアッシュが言うのならば、それは少し期待して良いということだろうか。
元に戻らなくても良いなどと言ったなら、昔のアッシュならば嘲笑まじりに勝手にしろと言い捨てただろう。
けれど、今はルークのことも見捨てないでいてくれる。
仕方ないなぁ、とルークがにっこりと笑って答えると、すぐに、あ?と不機嫌そうな声が返ってきたが、それは気にしないことにした。
アッシュのそういう態度に、いちいち対応していたら身が持たないということが少しだけ理解できてきた。
でも、まあ、いつか。
戻れるならたしかに、それに越したこともないのだろう、とルークは思った。
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