猫耳スウィート

 

 大きな丸い月が夜空に浮かぶ頃、アニスは気をきかせて、大概は外に遊びに出てしまっていた。
 まだ夜遊びにふける年ではないのは百も承知だが、それでも遊ぶ友達のひとりやふたりはいて、夜明け近くまで時間をつぶし、帰って来るのが常だった。
 はっきりとはそうは言わなくても、アッシュは満月の夜は人前に出るのを嫌がる。
 ルーク以外の人が近づくのも許さず(最初の頃は、ルークすら嫌がっていた)、自室にこもって出てこない。

 今日は、満月だ。
 そろそろ月が昇りはじめ、彼らは魔法にかけられる。
 アッシュもルークも、満月の夜は猫になったまま、成人の姿に戻ることはできないのだ。


 そろそろ遊びに行くか、とアニスは最近買ったこぶりのバッグにサイフを積め、ふう、と溜息をついた。
 今日に限って誰も捕まらなかった。
 いつもなら、ずっとと言わなくても、数時間ごと小刻みに遊べる相手が見つかるものだが、今日はさっぱりだ。
 なので、行く宛がない。
 いっそ、本日は勤勉に励むと決めて、図書館にでも篭っていようか。(教団の図書館は関係者なら夜通し使える。)あそこなら静かだし、眠っていても注意されることはないし・・・。
「あれ?アニス。」
 などと考えていたら、足元はるか下の方から声がした。
 でかけるのか?とまんまるな目で見上げてくる顔には緊張感のかけらもない。
「・・・もう、猫になってんの・・・。」
 見下ろしながら猫のルークに声をかければ、うん?とルークは首を傾げた。
「俺、今日は朝からこの格好だから・・・。」
「・・・ああ・・・。」
 長いしっぽをゆらゆらと揺らしながら言う様は、まるで子供のようで、必要などないと分かっていても庇護欲にかられてしまう。
「本当に気に入ってんだね・・・その姿・・・。」
 たしかに気に入らないというそぶりは見えなかったものの、気に入っているとはっきり言われると、それはそれで微妙だ。

 つい最近、ルークは俺はこのままで幸せ宣言などやらかして、アニスを困惑させたばかりだった。
 普通はその不便さに、自分に起きた事を不幸ときめつけ、嘆いてしまうだろうに・・・ルークはそうはしない。
 その姿はアニスには眩しいものであり、羨ましい程のしなやかな強さだ、と感心してはいるものの・・・戻らなくても良いと決心してしまうのまではどうなのだろう。
 たしかに可愛いし、それで本人が良いと言っているのだから良いのかもしれないが、アニスはルークには元の姿に戻って、今では得られない類の幸せを手に入れる権利もあるのではないだろうか、と思ってしまう。


「で?でかけちゃうのかよ?」
 言い草が妙に拗ねた子供っぽい。
 ルークは唇を尖らせて、なんか最近俺たちに冷たくね?と言った。
「えー?わたしがいつ、あんたたちに冷たくしたってのー?」
 心外だ、と言わんばかりにアニスがルークを睨めば、だってさ、とルークはさらに唇を尖らせた。
「このところ、夜遊びがひどいじゃん?新しいダチができたのは良いけど、若い女の子が大丈夫なのかよ?」
 若い女の子、とか今時言うか?と思ったが、相手が(猫でも)貴族の坊っちゃんなのを思い出して、なるほど良いとこ育ちには門限というものがあるからな〜とひとりで納得し(ファブレ家にはそんなものはない)、今日は別に遊ぶ相手もいないんだけどね、と言った。
「けど、今日は満月じゃん?」
「本当か!?じゃあ、でかけないんだな!?」
「だからアッシュが・・って、あんた話聞いてないでしょ。」
 ぱっと電灯が灯ったような明るい顔をして、ルークがアニスの足元にちょこまかと寄ってくる。別に避ける為ではないが、アニスは一歩後ろに下がってルークから距離をとった。すぐ足元で見上げられるのは、ちょっと、だ。今アニスはスカートなのだし。
 それに気がつかないのか、気にしてないのか、アニスのスカートの中身に興味がないのか(たぶん全部だ)、ルークは、ならさ!と元気良い声でにかっと笑い、しっぽをふるんと振ってから、アニスを見上げた。

「膝の上に乗せて、本読んでくれよ!」

 ルークは現在、ローレライ教団の成り立ちや、オールドラントの歴史、古代イスパニア語などを勉強中だ。
 特にローレライ教団は内部構成が複雑でわかりにくく(階級など特に、神託の盾騎士団所属でも新兵ではわからないような複雑さだ)それらは教団の人間に聞くのが一番てっとり早い。
 いきなりのルークの勤勉の理由は、つい先日、アッシュから直接、いずれは神託の盾騎士団に戻りたいと聞いたからだと思う。猫から戻らなくても良いとは言ったものの、もしも戻れたならアッシュから離れなくてすむように、自分も神託の盾に居つくつもりなのだろう、と密かにアニスは思っていた。
 そして、その為にアニスたちが、ルークの勉強に担ぎ出されることはめずらしくもないのだった。

「アニス?なんで床にしゃがんでんだ?」
 しかし、しかし今のは反則だろう!
 うっかり萌えてしまいそうになって脱力した挙句、床に手をつき、こんなところでティアの気持ちがわかることになろうとは、と少しだけ屈辱を覚えるアニスだった。
「あ・・あたしは良いけど、さぁ・・・。」
 しかし、そこはティアとは違う。
 すぐに立ち直って、なにをえばっているのか腰に手を当てて胸を張っているルークを見下ろす。
「アッシュはあたしがいるのを嫌がらない?」
「?アッシュが?なんで?」
「だって、アッシュは猫化した姿を人に見られるの嫌がるじゃん?」
「そりゃあ・・・でも、アニスは別じゃね?」
 などと会話を交わしていると、ちょうど話題の主が、バタン!と乱暴に部屋の扉を開けて帰ってきた。

「お。アッシュ!」
 ルークの耳がぴんとたって(なんでも良いが猫のくせにルークの仕草が妙に犬っぽいと思うのは気のせいだろうか)、走りよろうとするが、それよりもアッシュが近寄ってくる方が早かった。
 ギリギリだなあぶねぇ、とひとりごとを言っている。
 アッシュが外套をその身から取り払うようにして脱げば、なかから現れた真紅の髪からは、それを掻き分けるようにして黒い尖った耳が立ち上がっていた。
 もう月は昇っている。


「なんだ、でかけるのか?」
 テーブルの上に乗せられたままのバッグを見て、アッシュがちらりとアニスを見た。
「え?いや、どうしよっかなって・・・。」
 えーと後ろで不満そうなルークの声に同意するように、アッシュが、なんだ、と言った。
「折角、ロールケーキを買ってきたってのに。」
 と、手に持っていた大き目の白い紙袋を掲げる。
「食べたがっていたから、わざわざ行ってきたんだ。迷ってんならやめたらどうだ?」
 いや、私は別にどっちでも良いのだけど・・・とアニスは、唸る。
 あんたが嫌がるだろうと思って気を使っていたつもりだったのに・・・今までのは無駄だったってこと?
 そんな事はなかった筈だ。
 少なくとも先月、アッシュは確かに夕方から部屋に篭って、アニスとも顔を合わせようとしなかった。月が出る頃を見計らって外へと出たから覚えている。
 なのに、この一月の間に起きたルークのあれは、それなりにアッシュにも変化を齎したらしい。
 それは良い変化であることには違いなく(少なくともアニスとルークにとっては)気を使う理由もなくなったアニスは、じゃあやめようっと、と言ってダイニングの椅子に座る。元から出かけるのが面倒だったのだ。ラッキーではないか。

 アッシュの買ってきたロールケーキは近頃、ダアトで評判の行列のできているケーキ屋のものだ。
 なんだかんだと商売のうまいダアトの商人たちは、客を飽きさせないように、工夫を怠らない。
 そこのロールケーキも、真っ白な生クリームだけがたっぷりと巻かれていて、見た目はシンプルなのだが、その美味しさは並ぶものはいないといわれるほどで、評価が高い。
 その生クリームだけのものが1番人気で、チョコレートと、いちごがまかれているものが、2番3番人気なのだが・・・。

「・・・・・。」
 その3本が普通に紙袋から出てきて、アニスはつっこもうかどうか迷った。
 ここには3人。ロールケーキは3本。ひとりが1本食べる計算だと思うのだが、気のせいだろうか。
 だが、アッシュは本気らしかった。
 自らキッチンに向かうと大き目の皿を出し、1本まるまるに切り目を入れていく。
 剣を使うからナイフを使うのもお手の物だ、とかそういう問題ではないとアニスが思っているうちに、綺麗に3等分されたロールケーキがテーブルに置かれ、しかもアッシュは1本を切り終えると、次のケーキのセロファンを剥がしている。
 いくらなんでも私は遠慮する、太っちゃうもん!と言うかどうかを迷っていると(しかし、女のプライドにかけて、同じ物を食べていてふたりより太るなどと告白したくない)、切り分けているうちに生クリームが手についたのか、ぺろりとアッシュが指先を舐めた。

「なにすんだよー!アッシュー!」
 シャーと猫が威嚇するような声がテーブルの上して、見れば鼻の頭に生クリームがつけられ、それを必死に拭おうとしているルークの姿があった。
 アッシュにつけられたらしい。
 
 そういえば以前、好きな分量に切り分けられるバームクーヘンをアッシュが買ってきた時も、出てきたのは30pはあろうかという巨大さだった。
 テーブルの上に乗せられた時、一瞬、それがなんだかわからなかったほどだ。
 バームクーヘンの中心に空いている穴が、ちょうどルークがぴったりと収まるような大きさで、猫は狭いところが好きだって言うしね、などとアニスが笑っていたら、本当にアッシュがルークを詰め込んだ。
 出られなくて、えぐえぐ泣く姿が可愛くて笑いながら傍観していたら、本気で怒ったルークはその後数日間、口を利いてくれなかった。

「食べ物で遊ばないようにー。」
 めずらしく本気でアッシュを威嚇するルークに、少しだけ慌ててアッシュを止める。
 なにもルークを庇う訳ではないが、貧乏育ちのアニスにしたら、食べ物で遊ぶなんて持ってのほかだ。
 あの時も、結局ルークが詰まった内側をふたりに食べさせて自分は外を食べたっけ。
 あからさまにルークが警戒するのも、無理のない話なのだが、しかし、ルークは鼻についた生クリームをとって、ぺろりと舐めると、うまー!と単純に喜んでいる。
 本当に警戒しているかどうかも怪しい。


 アッシュがケーキを切り分けているので、アニスはお茶を用意することにした。
 リクエストを聞くと、
「俺こうちゃ・・・。」
「俺はコーヒーにしてくれ。」
「あ!俺も俺も!!」
「・・・ふうん。」
 明らかに紅茶と言いかけたくせに、アッシュがコーヒーと聞けばあっさりと意見を覆すあたり、ルークは相当アッシュに毒されていると今さらながらに思う。もう呆れるを通り越して感心すらしてしまう。
 どうしてそこまでアッシュを基準に考えられるのか、アニスはどうも理解できない。
 アッシュはどう思ったか知らないが、ちらりとルークを見ると、能天気ににこにこ笑っている顔を、黒いしっぽが、ぱしんと叩いた。
 なにすんだよーアッシュー!と鼻を頭を押さえながら叫ぶルークよりも、アニスの視線はアッシュに注がれた。
 しっぽだ。

 今はアッシュも猫化しているのだからあたりまえだが、アニスには、初めて近くで見るアッシュのしっぽだった。
「あ?」
 アッシュはその視線に気がついて、不機嫌そうに眉を寄せる。
 しかし、怒るかと思ったが、それだけだった。
 アッシュは少し気まずそうに視線をそらすと、できたぞと言って綺麗に3本が3等分されたロールケーキを指差した。
 ってか本当にそれ、3人で食べる計算だったの?

 

 眠くなったらすぐにベッドに入れる。
 そういう位置で、誰かとだらだらしゃべりながら、お茶を飲み(アニスはロールケーキを3分の2残した)、気ままに過ごすというのは、なんと心地の良いことだろう。
 ルークではないが、こういう時間を過ごす時、アニスも彼らが猫になったことを密かに嬉しく思う。(アッシュには悪いけど)
 日常の中の、ほんの少しの非日常のエッセンスなのに、それは陽だまりと同じ幸福の匂いがする。
 むしろ彼らと過ごしている時間の方がよっぽど絵に描いたような平和な日常で、それがなかったらアニスの仕事など血生臭くて、知らなくても良いことばかりだ。
 ルークとアッシュがいることが逆に、健全だとすら言えた。

「あれ・・・めずらしい・・・。」
「あ。本当だ。」
 先ほどからひとり、読書に没頭して話に加わっていなかったアッシュの様子を見れば、アニスが買ったラブソファーに腰掛けたまま、いつの頃からか静かに寝入っていた。
 足を組んだ体はそのまま右に傾ぎ、こめかみのあたりを背もたれが受け止めている。
 薄い尖った耳が、こちらを向いたままぴくりとも動かず、長いしっぽは腿の上に丸まっている。

「しー。」
「しー。」
 アニスはブランケットを持ってきて、そっとアッシュにかけてやる。(ルークがやりたがったが、当然、毛布の重量の問題で無理だった)
 アッシュのつるんとした白い頬には赤い睫毛の影が落ち、唇が少し開いていた。
 ルークのように幼くなる訳ではないが、猫化するとアッシュも少しあどけなくなる。

 無防備なその姿を目にして、今日は貴重で嬉しい日だった、とアニスは思った。
 ロールケーキを食べたからではもちろんないが、いやロールケーキのこともある。
 初めてアッシュが、アニスを認めてくれていたのだと実感できたからだ。
 猫化した姿を見せてもくれた。
 ロールケーキをアニスが食べたがっていたことを覚えていてくれた。
 そしてなによりも、人の気配に敏感なアッシュが、気兼ねなく、くつろいでいる姿を見せてくれている。
 平和そうなアッシュの顔を見ていたら、ルークは自分も眠くなってきたのだろう。
 しきりに目を擦っていて、目が傷つくからやめなよと止めつつも、アニスにも睡魔が訪れてきたようだった。
 乙女としてはありえないことだがお風呂も入らず、アニスは重くなってきたまぶたに忠実に、自分の部屋へと引き上げることにした。

 そろそろ寝るからアッシュを起こそう、というと、ルークは、いい、と言った。
 俺はここでアッシュに付き添っているけど、アニスは寝ても良いよ。俺はアッシュが起きるまで待っている。
 そういうルークに、別段この部屋になにか危険がある訳でなし、心配することもないと踏んで、じゃあ、そうするね、と言ってアニスは立ち上がった。
 夜更かしで浮腫んでいるのか、少しだけ足首のあたりに変な違和感を覚えながら、いつもと違う感覚で自室を目指せば、扉に手をかける寸前というタイミングで、ルークの方から、おやすみ、と声をかけてきた。
 おやすみと返すと、やはりルークは目を擦っていた。意地でも起きていると言ったけれど、きっとそのうち寝てしまうだろうというのがアニスの予想だった。

 


 


 アニスが寝てしまって、それから少し。
 アッシュが起きるのを待っているつもりが、いつのまにかその膝の上でルークもうとうととしてしまったらしい。
 ぱっと目を覚ますと、まだ月は夜空に浮かんでいて、アッシュも未だにソファーに体を預けている。
 眠ったといっても、ほんの少しの間らしい。
 アッシュの膝の上から首を伸ばし、様子を伺い見る。
 アッシュは起きる気配はない。本当に、安心しきっているのか、気持ち良さそうに眠っている。
 こんなに安心しきっているアッシュを見るのは、初めてかもしれない。
「・・・えへへ・・・。」
 なんだか少しだけ嬉しくなって、ルークは忍び笑いを漏らした。
 アッシュはベルベットのような光沢のある黒い毛で覆われている耳を少しだけ横に倒し、赤い髪とのコントラストは月明かりにも映えた。とくにその赤い髪の、頭の上近くをぐるりと光の輪ができていて、まるで王冠をかぶっているかのようだ。
 もしも猫の世界があるのなら、間違いなくアッシュは王に選ばれるだろう。
 こんなに美しい猫がこの世にいると分かったら、本家のねこにんたちも、嫉妬するかもしれない。
 でも、それは。
「・・・俺だけの秘密。」
 ちゅっと膝の上に投げ出されているアッシュの指先にキスをして、ルークはひとりごとを言った。
 まるで臣下の者が王に対して忠誠を誓っているのと同じように。
 そうしてから、そっと伺ってみても、アッシュは身じろぎひとつしない。
 ルークはきょろきょろと回りを見回し(もちろん誰もいないが)、ソファーの肘掛に移った。意を決してアッシュの肩に飛び移る。そうするとものすごく近くにアッシュの顔がきて、ルークは自分でそうしたくせに、どぎまぎとしてしまう。
 アッシュは目を開けない。
 それが少しだけ惜しかった。近くでアッシュの瞳を見てみたくって、起こしたい衝動にも駆られるが、それは我慢した。
「・・・内緒だから、な。」
 しーっ、と空に浮かぶ月に口止めをして、ルークはそっと、目の前の赤い睫毛の下あたりに唇を落とした。
 誰もみていない、秘密の、ルークだけの儀式。

 膝の上にあったアッシュの尻尾が、ぱたり、とソファーの背を叩いた事に、ルークは気がつかなかった

 

 



 たまには、ボケアッシュを。
 最後のシーンだけが書きたかったというのが本音。

('09 3.20)