|
なにか腹に入れておくか、とアッシュが言うと、ああ良かった、とギンジがほっと息をついた。
兵士としての性なのか、彼の性質なのか、アッシュは集中すると回りが見えなくなることがある。 「もう今日は、夕食も食べずに飛べって言われるかと思いましたよ〜。」
しかしそうは言っても、実際にはアッシュはギンジを夜に飛ばせることはほとんどない。
暗い空はアルビオールをもってしても安全とは言い難い。空を飛ぶ魔物も多い。逆にアルビオールの灯りが標的にならないとも限らないからだ。
ルークは少し離れたところに立ち、そんなふたりのやりとりを見ていた。
ギンジは相好を崩し、なに食べましょうかね〜などと聞いている。
もしもルークが言ったなら(その術は今はないが)、くだらねぇこと聞くんじゃねぇよ屑!とアッシュに一言で、吐き捨てられるような質問だ。
だが、ギンジがそれを口にしても、アッシュは別段、気にならないようだった。
こんな事でも・・・アッシュから憎まれている者とそうでない者の違いが、ルークの胸を抉る。
宿屋にほど近い酒場で、その日の夕食を取ることになった。
3人は店の中でも、階段の下のあたりで陰になる場所を選んで腰掛け、騒がしい客のなかに紛れて目立たないように、振舞っていた。
客たちの騒がしい声は、何重にも重なって店のなかでがやがやと響き、ルークは煙草の煙や酒臭い客たちの呼気に、逆毛をたてた猫のように警戒して縮こまっていたが、意外にもアッシュもギンジもこの喧騒が気にならないようだった。
成人しているギンジはそれほど驚きはなかったが、問題はアッシュのほうで、さきほどから度数の高い酒を食事の合間に煽っている。
とても食前酒とかそういう類の飲み方ではない。
ルークが物を言いたげにしているのに気がついたのか、ギンジはどうですか?ルークさんも少しだけ、と酒の入ったカップを寄越した。
アッシュは、ちろり、とルークを睨んだが、別段なにも言わない。
そんなアッシュと、満面笑みのギンジの、相反するふたつの表情を見比べ、ルークはそろそろと舌を出して、カップのふちを舐めてみた。
とたんにひりひりする感覚がして、その次にはすうーっと熱が引けるような感覚。
味がどうこうではなく、これが酒が美味いということならば、たしかに理解はできそうだった。
へにゃ、とルークが笑うと、あ。気に入りましたね?とギンジも笑う。
ギンジはルークが笑うと喜んでくれるので、時折アッシュの冷たい視線を気にして身を固くするなかで、緊張を緩めることができた。
だが、じゃあもう一杯とギンジが勧めるのは、アッシュが一睨みで制した。
あーあ、もう少し飲みたいのに、とルークは唇を尖らせて、今度は自分がアッシュに睨まれた。
「おまたせしました。」
と声がして、見上げると妙に胸の開いたメイド服もどきを着た店員が、注文した食事を運んできた。
ここは、海の近くなので魚介類が美味いと街の人に勧められ、ギンジは大きな赤い魚のグリルを頼み、魚が嫌いなルークは、海老を注文し、アッシュも同じ海老のグリルを頼んでいた。
3人のテーブルのうえに、3枚の皿を置くとき、女がちらりと意味ありげにアッシュを見たのを、ルークは見た。
コルセットで強調した胸元を摺り寄せるようにしてしなをつくり、心持ちアッシュにしなだれかかるようにして、皿を置く。
アッシュは、一度も視線を女に投げることはなかったが、一部始終見ていたルークはムッとして女の後ろ姿を睨みつけた。
なにも、アッシュを選ぶことはないだろう。
他人からみたら、同じ顔の自分だっているのだ。
アッシュは別段なにかに気付いた様子もなく、目の前に置かれた皿の海老の殻を剥いている。
香ばしい匂いがたち、触発されたように食欲を感じて、ルークも自分の海老を手に取った。
真っ赤に焼かれた海老は素手で触れないほど熱くはなかったが、無防備に手を出したせいで、殻のトゲがちくっと刺さる。
いたっと指を離して、ふと見ると・・・。
アッシュも同じように指を刺したようだった。
眉を顰めて、海老についた塩を舐めるように指を咥えたが、痛みを和らげようというよりも咄嗟の仕草だったようだ。それを目撃したルークに気がつくと、咎めるように、ちらりと睨んだ。
アッシュの唇は血色良く赤い。
間から覗いた舌は、もっと赤かった。
瞬間、ぞくり、とルークの背中に悪寒のようなものが走った。
どくどくと心臓は鐘を鳴らし始め、まるで捕らえられてしまったかのように、アッシュから目を逸らせない。
ちろっとアッシュが自分の指先を舐めるたび、なにかがせりあがってくるのを感じた。
ルークは自分の指先を固く握りしめた。
そうしないと、ルークの中のなにかが暴走してアッシュを叩いてしまいそうだ。
ようやっとアッシュから目を逸らし、ルークはふたりに分からないように、深呼吸をする。
そうして乱れた心の中を落ち着かせて、目の前の海老に集中しようと、ふたたび殻をむき始めた。
身の引き締まった海老の殻は固く、なかなか思うように指に力が入らずに四苦八苦していると、それを見ていたギンジがオイラが剥いてあげますよ、と言った。
ギンジは見かけによらず、自分が手先が起用なことを、自覚している。
「アッシュさんも、ほら!」
オイラにまかせてくださいよーとギンジが言うとアッシュは黙って、それまで掴んでいた海老を放り投げ、皿ごとギンジのほうに押しやった。
それはまるで、主人が使用人にするかのようだ。
しかし、ギンジは気にもせず、むしろ嬉しそうにアッシュの為に海老を剥き出す。
次はルークさんですからね、と言うギンジの言葉も、ルークの耳には入らない。
このふたりのけっして主従ではない間柄で成立している信頼関係がまぶしく、そして・・・・・妬ましかった。
ルークは今、アッシュとギンジの間に割って入りたいと思っている。
けっしてアッシュに愛されないレプリカだと分かっていても、彼の愛情とひきかえに、なにか差し出すものはないかと己の中を必死に探している自分がいる。
だが、そんなものはひとつも思い当たらなかった。
それでも、ルークはアッシュが欲しい。
もしも、ルークにその力があれば、アッシュをどこかの、高い塔にでも閉じ込めたまま誰の目にも届かないようにするだろう。
そうして、アッシュをどこにも逃がさず、自分しか会う者がいない世界で、ひとり締めしようとするだろう。
そんなことをしたら、アッシュに殺されてしまうとしても。
そんな風に考えていると、ギンジの手が伸びてきて、ルークの皿を掴む。
我に返って横を見ると、海老はすでに剥き上がっており、アッシュがむしゃむしゃと身を千切るように食らいついているところだった。
アッシュの白い歯が、海老の赤い身を食む。
それは、ただそれだけの日常の動作なのに、どこか濃く性的な匂いを放っていて、ルークは慌ててアッシュに向けていた視線を逸らした。かなり不自然だったかもしれないが、このままアッシュを見続けて、どうにかなってしまうよりも大事なことだった。
3人部屋がなかったので、ふたりとひとり、という組み合わせで部屋を分かれることになった。
ルークがギンジとの同室を申し出ると、何故かギンジは、アッシュとルークが一緒だと思い込んでいたようで、え?オイラとルークさんがですか?と何度も確認をしながら、ちらっとアッシュの様子を伺う。
アッシュはというと、どうでも良いから早くしろと言わんばかりに、ふたりの顔を交互に見比べているギンジを睨んでいる。
じゃあ、そういうことで・・・とギンジが諦めたことで、ルークは胸の中のカタマリを吐き出すような大きな安堵の溜息をついた。
アッシュと同室が嫌なのではない。アッシュが怖い訳でも。
ルークが怖いのは、自分自身だった。
制御不能に陥る自分自身の姿をみたくなかった。
一緒の部屋になったとしたら、この夜を、さきほどのアッシュを思い浮かべずに、ちらっとでもやり過ごせる自身がルークにはない。
それぞれの荷物を抱え、与えられた部屋へと向かう。
ふたり部屋は1階にあり、ひとり部屋は2階に分かれていて、ルークはギンジが後ろをついてくるのを確認して、先に部屋に入った。
部屋はベッドふたつと、今にも折れそうな脚のテーブルと椅子、という定番な家具が備え付けられ、全体的にこじんまりとしていた。灯りの中に浮かんでいる壁紙を見ると、うっすらと花の模様が描かれているようだった。
なんにしても、ここまでしみが浮いていると、却ってそれがみすぼらしく、いっそのことむき出しのままの白壁のほうが高級感があるかもしれなかった。
ルークはナップザックを簡素な椅子の上にほうりなげ、ほんとうになんの警戒心も抱かずに、先に風呂を使うか聞こうと後ろを振り返った。 「・・・・・っ!」
ぎくり、とルークの体が強張る。
アッシュはなにか特別なことなどないかのように、ルークに続いて部屋に入ると、自分の荷物を、手前のベッドの上に放り投げた。
そして、そのままルークの横をすり抜け、テーブルの椅子に腰掛けると、部屋に入ると必ず一番初めにするように、手袋と、長いブーツを脱ぎだす。
どうして・・・。
ルークの額に汗が浮かぶ。
さきほどの話では。いやでも。さっきまでギンジがいた筈。なんでアッシュが。
・・・どうしてアッシュが!
「おい。」
びくりと大きく痙攣するように体を揺らし、ルークはアッシュを振り返った。
不自然にならないように、笑みをつくり、なに?と尋ねる。
アッシュは、一瞬、眉を顰めたが、扉を指さした。
「・・・鍵、閉め忘れた。」
「・・・・・。」
要するに閉めてこいということか、とルークは立ち上がる。
確かに、宿屋でくつろごうというのだから、鍵は閉めて当たり前だ。
けれど、ルークは、変なの、と思っていた。
アッシュは己の強さを知っているからか、街中の、およそ安全な場所にいるときに『用心』というものをあまりしない。代わりに街の外へ一歩出れば、近づくのさえ憚られるほどの威圧感を放って魔物を威嚇するが、宿屋のようなところにいる時にまで、ぴりぴりと気を張ることはあまりない。
ガチャン!と音をたてて鍵を閉め、ルークは大きく溜息をついた。
ルークがその手のことがヘタなのだろうが・・・なにかを画策してうまくいった試しはない。
今回も、アッシュを警戒した、あからさまな態度が、却ってアッシュを引き寄せた。
誰に確認しなくとも、それくらいは分かる。
それならば自業自得というものだ。
アッシュ相手に、ひとりで盛り上がっていたのだから、それだけの懲罰は与えられるべきなのだろう。
この夜を我慢して。
一晩、目を逸らし続けるくらい、なんでもない。
ルークは平静を装って、アッシュに近づいた。
アッシュによく見えるように、大きく、ふろ、と口を動かすと、アッシュはぴくりと眉をあげた。
「あ?」
風呂、先に使っていい?
「・・・勝手に使え。」
アッシュは人よりも先に風呂に入りたがらないので、許可を取るというよりも、確認の意味しかない。
ルークはどこかでほっとして、早速、ナップザックの中を開けて風呂の支度を始める。
その間に、アッシュの視線を感じる。
気のせいではないと思った。
それだけで、ルークの心臓は早くなる。
新しいインナーを丸めて立ち上がり、風呂場へと逃げようとした時だった。
「おい、待て。」
とアッシュの声がかけられる。
ルークは、ぎくり、と立ち止まり、なに?とアッシュを振り向いた。
「・・・回線を繋げるぞ。」
「!」
アッシュがわざわざそれを告げてきたのは、ルークに覚悟をさせるためだ。
アッシュはあれ以来一度も、言葉が出なくなって会話が成り立たなくなったにも関わらず、ルークとの回線を繋げようとしなかった。
今、それが必要なのは多分、込み入った話をする必要があるからだ。
なにもルークの承諾を得ようとした訳ではないのだろうが、ルークはそれでも、アッシュに、こくんと頷いて、同意を伝える。
キィンと耳鳴りに近い音が頭の中からして、激しい頭痛とともに、アッシュの声が内部に響いた。
――ローレライのヤツから、宝珠を受け取った時の話を聞きたい。
――宝珠って言われても・・・俺、受け取ってないぜ?
それはひさびさにルークが発した言葉でもあった。
厳密に言うと言葉ではないが、しかし言葉を失ってから、ルークの世界は漠然としたイメージだけで捕らえることが多かった。
言葉にすると、その世界の輪郭がはっきりとするようなそんな感覚がした。
――それはわかっている・・・。が、テメェが受け取りそこなったんだ。どこに落ちたか考えるくらいはしろ。今のままではラチがあかねぇ。
――・・・うん。わかってる。
ルークは自分の手のひらを見た。
そもそも、自分があんなドジを踏まなければ、わざわざアッシュの手を煩わすこともなかったのだ。
ルークのその様子を見て、アッシュは、ちっと舌打をした。
――そもそもアッシュって・・・剣を受け取った時、どんな感じだったんだ?ローレライから、はい剣ですって渡された訳じゃねぇんだろ?
――馬鹿か。・・・鍵を渡すって告げられた後、手の中に湧いて出たってのが正しいか。
――湧く?
――ああ・・・。右手にすっと重い感じを受けて、次の瞬間には剣が手のなかにあった。・・・だから宝珠も、本来はそうやって受け取る筈だったんだろうと思うが?
――うん・・・そうか。
本来なら、きっと。
ルークは手を握り締める。
――で?ローレライの声を聞いた後、なにかが入ってくる感覚とか、なかったのか?
――・・・全然・・・。
ちっとアッシュは舌打をした。
――まったく、ローレライのやつも、なんでテメェなんかに宝珠を渡しやがったんだ。初めから俺ひとりにまとめて渡せばこんなことにはならなかったんだ!
――うん・・・ごめん。
憤るアッシュに対して、ローレライにあたるなよ、とはルークは言えなかった。
なぜなら、元々は、ルークもそう思っていたからだ。
そもそもなぜ、ローレライは、宝珠をルークになどと思ったのだろう。
初めからアッシュにふたつとも渡しておけば良かったものを。
ルークはレプリカで、自然体でローレライの化身のように生まれたアッシュとは違う。
初めから、勝手に自分の分身のように思わないでくれたら良かったのだ・・・。
「おい。」
人工物である自分は、厳密にはローレライの化身ではない。
ただ単に周波数が同じというだけで、自分自身のように扱われるのは、迷惑きわまりない。
俺は・・・。
「・・・おいっ!いい加減にしろ!」
はっと我に返って、ルークは顔をあげた。
とたんに、視界いっぱいに、怒りに満ちたアッシュの表情が入ってくる。
アッシュの右手が、ルークの胸倉を掴み、持ち上げるようにして締め付けてくる。
「自己満足の世界に浸りきってるんじゃねぇよ!」
何度も言ってるだろうが、とアッシュは怒鳴った。
アッシュは、ルークの卑屈を異常に嫌う。
まるで、ルークが穢れた瘴気を放っているかのように、ねめつけてくる。
それは分かっている。
分かっているが・・・。
ごめん・・・。
ルークは唇を動かした。
アッシュに謝らないではいられなかった。
迷惑かけてごめん。
こんな俺でごめん。
イライラさせてごめん。
俺が生まれて・・・・・。
「ふっざけんな!」
締め上げている胸元を投げるようにして、アッシュが突き飛ばすと、ルークの体は易々とベッドの角まで飛ばされた。
脚の部分に頭をぶつけ、ルークの意識が一瞬、ふわりと感覚を失う。
同時に、腹を蹴り上げられ、その衝撃にルークは喘いだ。
「てめぇは本当に、性質が悪い!」
胸糞悪りぃ、とアッシュは吐き捨てた。
「悲劇の主人公気取りか?そうすれば、誰かが慰めてくれるとでも思ってんのか?」
ちがう・・・とルークは口を動かしたが、アッシュに見えたかどうかは分からない。
「そうやって、じっと待って、誰かがなにかめぐんでくれるのを待ってんじゃねぇよ!」
期待されるだけこっちは迷惑だ、とアッシュに言われ、ルークは、なんのことだ?と、眉を顰めた。
顔をあげた途端、手首を掴まれ、引きずられるように立たされ、再度つきとばされる。
ばすん、と音をたてて倒れたのはベッドの上で、クッションのおかげで痛みはなかったが、アッシュの言った意味がわからない。
誰が、誰に、なにをめぐんで欲しいって?
アッシュの左手がルークの襟元を掴んだ。
そのまま、開かれ、ふたつしかないルークの上着のボタンが飛んだ。
え?とルークは驚いて、アッシュを見て、
ぞくり、と思わず、恐怖を覚える。
アッシュはルークを見下ろしている。
その顔には、表情が無いに近かったが、赤い髪が白い面を縁取って垂れ、赤と対比する深い碧の目は、怒りともなにか違うものとも思えるものに支配され、燃え盛っていた。
こんな場面だというのに、途端、ルークは息を飲んで見惚れた。
それは壮絶に美しかった。
>>2 (R18)
|