「Giselle」

 

 

 

 

 貴族のたしなみというならそれは剣術であったり、テーブルマナーであったり、意にはそぐわないがダンスだったりするものだろう。
 
 しかし、なかには社交界というしきたりがあって、やれパーティだなんだかかんだと、大人しく相槌を打っていなければならないような場所に出かけることも多い。
 兵卒という貴族にしては、変わった履歴を持つ身であったから、およそ甘ったるいだけのこういう空間が、アッシュは嫌いだった。

 ルークに話すと、いつもの大きな目を殊更に丸くし、いつも澄ましているから平気なのかと思っていた、と笑われた。
 もちろん顔や態度に出すようなヘマはしないが、それでも、時たま、こういうことに対する才能というものがあるなら、それはむしろ、ルークのほうが持っているのではないか、とアッシュは思う。


 両親に連れられて、ふたりは観劇に出かけた。
 観劇も社交界では、立派なたしなみのひとつだ。
 いなかった2年の歳月を埋めようとするかのように、もしくは早い時間で遅れた分を取り戻させようとするかのように、両親はふたりを、貴族が多く集まるような場に連れて行きたがった。
 アッシュとしては、自分の部屋で読書に耽っているほうが、よほど自分の為になる気がしないでもないのだが、これも親孝行のうちだ、と(なんと!)ルークに窘められ、渋々ながら出てきている。


 古く、伝統のある劇場へのエントランスに、ふたりが足を踏み入れると、一斉に視線が集まった。
 気配には敏感なふたりは、その必要はないと分かっていても、それだけで反射的に身がまえてしまう。ルークなどはとっさに、いつも剣の差してあった腰に、手を伸ばしてしまったくらいだ。
 しかし、集まった視線に害があった訳ではない。
 ファブレ公爵の自慢の子息で、次期国王候補、そして世界に名高い英雄の登場は、上演される劇よりも人々の心を高揚させた。
 自分たちがどう見られているかを知らない訳でもないアッシュは、苦々しい気持ちで、誰から構わず一礼して交わしていたが、隣のルークはというと、にこやかに笑いながら紹介された婦人には挨拶をし、遠くからの歓声には手を振る、とサービスに余念がない。
 オリジナルとレプリカといえど、どちらも英雄と並び称されるが、人望はルークの方が厚いのには、こういう訳がある。

 世界が危機を去った後。
 なにがあったかを知られるのと同じ速度で、レプリカに関する認識も人々のなかで広まっていった。
 それまでは、なにか得たいのしれない生き物だったものが、多くの犠牲を出しながらも世界を救ったのだと人々に知られ、なくなりはしない偏見も差別の飲み込んで、オリジナルと共存しだしたのはつい最近のことだ。
 そして、世界を救った英雄が、一組の、オリジナルとレプリカであったということが知れたのも。
 
 彼らが帰ってきた当初、英雄という名前になにはあやかれるのだろうと下心を抱いて近づいてきた者も少なくなかった。
 だが、彼らの多くは、どちらがオリジナルでレプリカだか区別がつかず、自分に親しげなのがレプリカだと知ると、いきなり距離を置きだすものも同じように少なくなかった。その時、ルークが心に受けた傷もけっして浅くはなかっただろう。
 しかし、オリジナルのほうは、あのようにお世辞にも近寄りやすい人物ではなく、むしろ、なにもかもを見透かされているような視線に晒され、肝を冷やした者が、それ以上にいた。
 すると、不思議なことに、勝手な思い込みで距離を置いた者たちが、次々とルークの元に戻ってきた。対照的なふたりを見ているうちに、自然とあの笑みと、計算のなにもない屈託のない性格が、人々を惹きつけたものだと思われる。
 

 
 王族と血縁関係のファブレ公爵が案内されたのは、舞台を正面から見下ろせるロイヤル席だった。
 壁に囲まれた小部屋には、少ない椅子が入れられていて、アッシュとルークは両親のすぐ後ろに席を取った。
 
 ファブレ公爵が席につくとすると、大勢の観客たちが後ろを振り返って、彼らを見た。
 こういう時は澄ましているのものだが、ルークがいつものいたずら心と、サービス精神は発揮して、ちょこっとだけ見ている観客に手を振ると、きゃーという若い女の歓声があがる。
 

「・・・まるで、どこぞの役者みたいな扱いだな。」
 アッシュが苦笑をして、嫌味を言うと、それが嫌味と通じたらしいルークは、そりゃどうも、と小さく返し、
「どこぞの珍獣といわれなかっただけマシだよ。」
 と言い返した。

 

 

 

 

 


 舞台は美しい衣装とセットに彩られ、悲恋の話をより一層盛り上げる。

 悲しみと美しさとが同等に語られるのはなぜだろう、と椅子の肘かけにもたれかかり、足を組むといった行儀の悪い姿勢で舞台を観ながらアッシュは思った。
 大勢の人目に晒されているときに、こんな格好でいるのは言語道断だが、幕があがっている間は、観客席は暗く、誰も後ろの席などみない。アッシュの姿勢を見咎める者などいないことが好都合だった。
 隣のルークはといえば、身を乗り出すようにして、舞台を見ている。
 
 舞台は調度、村娘に身分を隠して近づいた貴族の青年が、彼女に思いを寄せる幼馴染に、正体をばらされているところだ。この後、貴族の青年は、自分よりも身分の高い許婚の手に接吻し、それを目撃した村娘は失意のあまり絶命する。

 そういえば、とアッシュは思った。
 舞台の村娘の名前は、リグレットの本名と一緒だった。
 
 それは懐かしいというのとは違う。
 あの女にそれほどの思い入れを持ったことなどなかったし、同じヴァンの下にいながら、あの女は敵でもあった。
 ヴァンと袂をわかった後の話ではなく、根底からの問題で、リグレットとアッシュとでは、同じものを違うものとして見ていた。そしてお互いがお互いの価値を元に見出していたものに、理解を求めようとはしなかった。
 しかし、一時期たしかに、彼女は、アッシュの同胞だったのだ。

 ふと気がついて横を見れば、食い入るように舞台を見ているルークの様子がおかしい。
 ぎゅうっと真っ白になるほど手を握り締めていたかと思うと、ひでぇだの、さいてーだのつぶやいている。
 
 アッシュは思わず、驚いて肘掛から頬杖が外れてしまった。
 こんな女向けの(御幣)舞台で、しかも村娘に感情移入していてどうする。
 
 しかし確かにそれは、誰彼かまわず愛せる、ルークの美点のひとつでもある。

 ルークの目には涙が浮かんでいるらしく、潤んだ碧の瞳の表面に、舞台の不自然な色の光が映りこんでいた。
 明暗がはっきりしているこの場では、ルークの横顔も陰影が濃く、長い下まつげが頬のうえにくっきりと影をつくっている。

 アッシュは背もたれから、そっと身を起こした。

 舞台は前半のクライマックスに差し掛かり、両親も揃って見入っていた。
 ルークも片時も目を逸らさず、舞台に釘付けになっていて、アッシュは、ルークが入り込んでいる世界から、自分の下へ強引に引き戻したくなった。

 アッシュが左側に傾いていた体を、右に移した時も、ルークは気にも留めなかった。
 椅子が音をたてるかと思ったが、床に固定された椅子は軋むこともなく、心情では慎重にしたつもりだったのに、あっけないほどアッシュはルークの傍へと体の位置を移せた。
 ルークの横顔を見ても、ルークはアッシュの視線に気がつかない。
 まるでアッシュなど横にいないかのような扱いの、ルークの鈍感さに、少しだけムッとしながら、アッシュはそっとルークの肩に手を伸ばす。
 指先が触れて、舞台に集中していたところを邪魔され、不満げなルークが唇を尖らせながらこちらを見たのを合図にして、アッシュはルークの首を引き寄せた。

 誰からも愛され、誰をも愛するその美点を、八方美人だと揶揄したくなる度、アッシュは自分が捻くれているだけだと思わずにはいられない。
 しかし、いつまでたっても誰彼かまわずのその中に、自分が含まれていることが、ずっと気に入らなかったのだ。

 ルークの驚愕と抗議の声は、アッシュに飲み込まれて誰も聞くことはできなかった。
 ルークの潤んでいた瞳が、大きく見開かれた時、その中に自分の瞳が映りこんでいるのを見て、アッシュはやっと満足したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 


ルークがもてもてなので、アッシュはおもしろくない、という話。

(’09 5.16)