その時刻に世にも残酷なお化けに会ったことが、アニスの幼い時の記憶にある。
昔のことだ。
その頃からアニスのダアトで暮らし、決して裕福ではない生活の中で、それでも穏やかな毎日を過ごしていた。
たとえるなら、夕刻の傾いた日のほのかな暖かさ。
世界をすべて柔らかく染め上げる光の束のごとき、平和な1日が終わりを告げ、夜を超え新しき命が芽生える、なんの変哲もない日常。
その中で、父親の友だというにこやかな笑顔が時折訪ねてくるのが、幼いアニスには楽しみだった。
思い返せば、同じローレライ教団で、下男のような仕事をしていた人だった筈だ。
アニスの両親と同じく、あまり裕福とはいえない立場だったが、子供好きな彼は、少しでも余裕ができると必ずアニスにお菓子を持ってきてくれた。
そして教団の図書館から持ってきた本を読んでくれるのだ。
彼はまるまると恰幅がよく、まるでその中の一冊に出てきた壁の上のたまごおじさんのようだった。
いろいろなおとぎ話の中から彼は、人がいかに実直で、正直であることが大事かと話して聞かせた。
人は心根が美しいにこしたことはない。
そうしてその美しい心には常に光が差し、きっと幸福を運んでくれるだろう、と。
けれど今、見上げれば視界いっぱいの朱色
この世で一番高貴なその色をアニスはただひたすらに追い求める。
懐かしいとは思わない
そんなもの認めたら負けだ
たまに胸がせつなくなる
時には甘く鋭くえぐるように
言葉にするなら
あえてするなら
誰のものにもならなければ良いのに、と思う。
自分たちの手に取り戻せないなら、未来永劫けっして誰のものにもならなければ良い。
アニスは深呼吸をする。
なんの匂いもない空気はただ、あかい。
この胸いっぱいにこのあかを吸い込んで、アニスの一部になってしまえば良いのに、と思う。
そうしてけっして手の届かない敵から奪い返せれば良いのに。
開放してやったのに、嫌なやつ。
アニスは第七音素が嫌いだった。
あかのグローリア
ローレライ教団の神殿内は、まるで迷路のように入り組み、その廊下は細く長く、そしてその造りのせいなのか、神殿内で人とすれ違うことがあまりない。全然ない訳ではないが、めったにない。
どこか遠くに人の気配を感じる為に、余計に静けさが際立つその廊下を、罪人にでもなったような気分でアニスは歩いていた。
・・・罪を犯したのは自分ではないのに。
何年も前に神殿から出奔し、最近になって捕らえられた罪人の面通しを依頼されたのは、その罪人が彼女にも関係のある人物だからだった。その事件はたしかに、アニスにも暗い影を落としたし、今の彼女を構成するにあたって、少なからずの影響を与えたことは否めない。 だから、会いたくありません、見たくありません、とつっぱねても良かった。
兵士である以上、上層部からの依頼を断るのはもっての他だが、今は多少落ち着きつつあるものの、モース亡き後未だに総長不在の神託の盾騎士団を新たに仕切っているトリトハイム大詠師は、他人の心情を慮る気質に富んでいる。今回もその任を伝えるにあたり、嫌なら断っても良いと言ってもくれていた。
しかし、嫌だでそれを通すほど、アニスは子供ではない。
そもそも2年ほど前に起こった元神託の盾騎士団総長の騒動を止めたメンバーということもあり、アニスの今の立場は、少し微妙なものになっている。
アニスの望まないかたちでアニスの周囲は変化してしまった。
一部からは世界を救った英雄のひとりと噂され、あからさまに特別扱いする人間もいないでもない。利益になると踏んで、利用しようと近づいてくる人間がいないでもない。そしてだからこそ、殊更にアニスを普段通りに扱おうとする逆の人間がいないでもなかった。
彼らの思惑に乗ってはいけない、と思う。
逆にそれを気にするあまり、自分のやるべき事を見失ってしまっても。
自分の信念はあくまで自分でしか貫けない。
所詮、人間は自分ひとりでしか・・・・・。
アニスの足が扉の前で止まった。
そこを開けば、呼ばれていた牢獄までの道は1本しかない。
扉を開け、踏み出せば良い。そして、決められた通り面通しをして、いくつかの質問に答え、間違いありません、と言えば、それで終わる。
なのに、どうして今、足が進まないのだろう。
わたしはきっと、恐れている。
それは子供の頃に受けた、心の傷に対面させられることにではない。
『今の自分』が『2年前の自分』からどう変化したかを、確認させられる事になるからだ。
過去に好きだった人は、自分を構成するひとつの要素だ。
これから対峙する人物を見た時に湧き上がる感情で、自分がどれだけの人間かを思い知らされることになる。
どうか。
昔好きだったものに寛容なわたしでいられますように。
アニスは、勇気が必要となる時、心の強くなる呪いにしている、ある名前を、小さく口にした。
息が切れ、それでも足は止まらなかった。
一心不乱にどこか人のいないところを探して、アニスは走っていた。
帰りに必ず僕のところによってね、とフローリアンの言葉を忘れた訳ではなかった、その時の彼の幼い顔に浮かんだ心配そうな表情も。それでも今はひとりになりたかった。
アニスちゃん、ごめんよ・・っ!
罪人は、面通しに現れたのが誰だか分かると、牢の中の冷たい床に頭を擦りつけ、懇願するような声で叫んだ。
ごめんよ・・!ごめん、ごめんなさい・・!
たまごのおじさんのようだった恰幅の良い善人のような姿は、もうそこにはない。
アニスが幼い頃にすでに中年だったその人は、時を経て、更に年を取った。年を重ねて貫禄をつける者もいるが、その人は違う。太かった胴回りは未だに健在だが・・それでも、服の上からもそれが不健康にたるみ、教団から逃げ回っていた数年にどれほどの苦労があったかを物語っていた。
惨めな声で謝罪するその声を聞いても、アニスの心は晴れなかった。
もしも、再び会うことがあったら、呪詛の言葉を吐いてやろうと決めていた。横っ面を張り倒してもやりたかった。
人間は、実直で正直であることが大事だとアニスに教えたのはどこの誰だ。
父の友人だったその人は、教団のお金を着服し、父を含めた数人の友人からお金を騙し取って、姿を晦ましたのだ。
アニスが好きだったその人が自分たちを裏切っても、両親は彼を責めなかった。
訳があるのだろうとも、いつか返しにきてくれるとも言わなかった。
自分たちを騙したことにすら気がつかなかった。彼が、いろんな人を騙したことに気がついたのは、だから、アニスひとりだった。
信じている人に対して、疑いを持て、と言わなければならない、圧倒的な孤独感。
正しいのは自分なのに、人を糾弾する時に苛まれる罪悪感。
それは、未知なるモンスターだった。
アニスは以降、人を容易には信じられなくなった。
幼かったあの日。
あの時に、アニスの純粋だった心の一部は、きっとモンスターの餌食となったのだ。
ダアトの街を抜け、丘へと上れば巡礼の為の石碑が見えてきて、そこまできてやっとアニスは足を止めた。
・・・許してしまった。
この同時に渦巻く 誇りと後悔の感情はなんだろう。
大の大人が泣いて後悔を口にする様が哀れに思えたのもある。しかし、最初からアニスはもしも許せると思ったなら(そして、確かに扉の前にそれを願ったのだ)自分にそれだけの寛容さがあったのなら、許すつもりだった。そう、確かにそのつもりだったのだ。
『わたしはあなたを許します。』
そう告げた時の、相手の目に浮かんだのは、それまで後悔の涙とは違う涙であることが、アニスにも分かった。
そして、胸を張っても良いことなのに・・・他人を許すことは道徳的な問題からして褒められる行為である・・・同時に、アニスの細く小さな体に、激しい疲労感をも齎した。
悪いことなどなにひとつない。
しかし、その瞬間、アニスの脳裏には、決して忘れ得ない記憶が、怒涛の波のように一気に彼女に押し寄せてきたのだ。
許してしまった。許せたのだ、わたしは。
・・・ルークのことを、あの時、許さなかったくせに!!
最悪だ、とアニスはひとりごとをこぼした。
人間は、心の中で必ず一度は自分を殺す、という。
アニスは確かに、二度、自分自身が殺した己の死体を思い描いた。後になって思い返し、その時の事がけっして許せず、自分を殺してやりたいほど憎んだその場所は、一箇所は火山の中、もう一箇所は・・・初めて目にした暗い瘴気に覆われた空の下だった。
他に言いようはあった。
自分にも他の人間にも、責任はあった。なによりも彼は被害者ともいれる立場の加害者で、それを慮ってしかるべきだった。
なのに、一方的に責めた。
あの時の、彼の顔に浮かんだ絶望の瞳の色は、思い出す度に胸を抉る脅威だ。
今では、時々夢に見る。
ひとりを寄ってたかって追い詰めたその時のことを思い出し、悲鳴をあげて飛び起きる。まるで、責められたのが自分であるかのような恐怖で。
ルークをあの時、許せなかったのに。・・・なのに、今になって、パパやママを苦しめた人間は許せるなんて・・!
は、とアニスは息を吐いた。
見上げれば、空は一面の赤い色へと代わりつつある。アニスの羨望するその色だった。
そのまま、空から地面へと視線を移せば、アニスの小柄な体よりも、何倍も長く細い影が地面に落ちていた。
まるで磁石に吸い付けられるように、そのまま地面へと腰を下ろす。
たてた膝小僧の固い部分をなんの意味もなく、つるりと撫でると、そのままその上に顔を伏せた。
途端に、暗くなる視界。
・・・ああ、でもわたしは。
そう、痛くとも、辛くとも。
・・・あの時の事を、後悔しては、いない。
「なんで、お前こんなところにひとりでいるんだよ?」
・・・え。
どれくらいそうしていただろうか。
横に誰かの薄い気配を感じたと思ったら、声が聞こえて、アニスは膝から顔をあげた。
あたりはいつの間にか暗くなり、人の顔の判別がしにくくなっていた。
しかし、横には人が立っていて、それは確かに彼だった。
顔をはっきりと見えなくてもわかる。
待ち焦がれていたこの気配は、間違えようがないものだった。
「・・・ルーク?」
そっと名前を呼んでみる。
彼の存在を疑っているとからというよりも、大きな声でその名を口にして、音に驚いて飛び立つ水鳥のように、彼が消え去ってしまうことが怖かった。
「おうよ?」
語尾をあげる、独特の返事のしかたは、まぎれもなく彼だ。
どうして、いつ帰ってきたの?と口をついて出そうになった言葉を、そんな筈はないと思い直して、飲み込む。
わたしはいつ眠ったのだろう。
とアニスは思った。
それとも。
・・・・・ローレライが弱っている時だけ彼を貸し出してくれる、オプションでもつけてくれたのだろうか。わたしに。
「・・どうして、ここにいるのよ。」
「いや?」
アニスが問うと、薄暗がりのなか、彼が苦笑したのが分かった。
「なんか呼ばれた気がしてさ〜。気がついたら、ここにいた。」
「呼ばれた?」
どこでだ。
「う〜ん。具体的にどこって聞かれると答えづれぇ。空?音譜帯の中、かな。」
「ずっとそこにいたっての?」
「うん、まあ。ローレライにはおかげさまで融合されてなかったみたいでさ。普段は眠っているみたいな感じなんだけど時々、こう、目を覚ましたみたいになってたんだ。」
「それで。」
「だから、さっき言ったろうが。」
彼はますます苦笑し、からりとした口調で言った。
「呼ばれたと思ったら、ここにいたんだって。」
だから呼んだのはお前のはずだ、と彼は言った。
それってさ、とその先を続けそうになって、アニスははた、と思いとどまった。
今、話さなければならないほど、アニスにとってそれは重要なことなのだろうか。
だって、ルークが帰ってきたなら、伝えなければならない事は他にある。
「ルーク、わたしは・・・。」
「うん?」
彼が屈むようにしてこちらを覗きこんでいるのに気がついて、アニスは慌てて立ち上がった。
ただでさえ、身長差があるのに、これでは、まともに会話もできない。
「わたしね、謝らなくちゃいけないことと、言いたいことが・・・。」
「言いたいことってのは良いとして。」
アニスの言葉を聞き終わる前に、彼は言った。
「謝ることってのは、まさか、あの時のことじゃないだろうな?」
思考を先回りされたかのように言われ、一瞬、言葉をなくす。
なんでなんで、と焦りながら、アニスは言葉を探した。
今になって、そのことを言い当てられたということは、ルークはけっしてその時の事を、忘れた訳ではないということだ。
いや、忘れたなんて思ってない。
心を切り刻まれた彼が、事あるごとに自分を責めるようになった原因は、いつだって、その時の事を思い出していたからだ
「あ、あれは・・・。」
「アニス。」
彼は言った。
「後悔してないことを、謝ろうなんて、間違っている。」
「・・・・・っ!」
体が震え、アニスは本当に言葉を失ってしまった。
この先、話す言葉の全てが思い浮かばなくなってしまったとしても、驚かなかっただろう。
それくらいに、頭が真っ白になってしまったのだ。
自分の誰にも言ったことのない真実を、当の本人に言い当てられて。
アニスはあの時、自分の罪を認めようとしなかったルークを通して、裏切りにいいわけをしている自分の姿を見た。
あの時責めたのは、けっしてルークひとりでなく、自分自身でもあった。
自分の罪にもがく彼は、遠まわしにアニスを責めているも同然で、その事がいたたまれず、そして怒りをも煽った。
けれど、そんなのは卑怯だった。
それこそ、見透かされて逆ギレする子供と同じ行為でもあった。
それでもアニスは・・どんなに心が痛くとも、後悔する気持ちにはなれない。なぜならば。
アニスとルークでは違ったからだ。
決定的ななにかが違うことが、あの時をもって、証明されたからだ。
目を背けてはいけない、と思う。
大きな痛みと伴ったかもしれないが、それで貴重でなにものにも変えられない、世にも美しい瞬間に立ち会ったというのに、自分の後悔の念を理由に逃げ出してしまうなど、もったいなさすぎる。
あの時がなかったら、きっと、固く締まっていた卵から、ルークという柔らかい雛が孵化することもなかった。
アニスは汚いが、ルークはいつでも綺麗だった。
たとえ一瞬でも、ルークがアニスと同じな訳はなかったし、また、あの時のアニスの醜さを、アニス自身が一番わかっていて、自分とルークが違ったからこそ、本来の・・・まるでどこにも傷のない水晶のようなルークの本質が現れてきたのだ、と思っている。
心が痛いのは、ルークを傷つけたことだ。
けれど同時に、ルークがあの時の事を何度も思い出したなら、やっぱりわたしは嫌われてしまうかもしれない、という自己中心的な恐れもある。
なんて自分勝手なのだろう。
そう思う。
本当に、なんて卑怯なのだろうと、そう思う。
こんなにも汚いものでできているのに、それでもルークには好きでいて欲しい、なんて。
そんなこと、けっして、ルーク本人には言えやしない。
けれど、彼は笑った。
甘いミルクのような笑顔だった。
「だいじょうぶ。」
子供のような口調で、だいじょぶだいじょぶと繰り返す。
「俺は、アニスを、嫌いになんてならないからさ。」
「・・・・っ!」
絶対に、とにっこりと笑うその笑顔に、今まで何度救われてきただろう。
醜いものばかりのこの世界と、汚いばかりの自分自身なのに、それでも、美しいものは必ずどこかにあると歌ってきたのだ。
いつだって。
考えていることを言い当てられたことで、アニスははっきりと悟った。
疎いルークには、その手の手品はできない。
だからこれは、やっぱり夢なのだ。
そう気づくと同時に、焦燥にも似た絶望感が足元から這い上がってきて、またしても地面に腰を下ろしそうになったが、なんとか踏み留まる。
これが夢なら時間がない。
必ず、目の前の彼は、再び姿を消してしまうのだ。
たとえ夢の中の本当の彼ではなかったとしても、それでも、会えた。
もう二度と会えないと思っていたのに、会えたのだ。
この瞬間を無駄にしてはいけない。
「で、聞きたいことってなんなんだ?」
ルークは、さて、というように、あっけらかんとアニスに言った。
なんの含みもない響きの声に救われる。
「う・・・ん。」
アニスは言いよどむ。
わたしがあの人を許したのは間違いじゃないの?
それを聞こうとしたところで、すでに答えは出ていた。
誰も、なにもかもを許せるルークの強さを前に、そんなことを聞くのは馬鹿げている。
「ルーク・・・。」
「なんだよ?」
「ルークは・・・。」
「うん。」
「ルークはわたしたちをどうやって許せたの?そして許したことを後で、後悔したことはないの?」
アニスが言うとルークは、目を見開き、
「はぁ!?」
と本当に驚いたような声をあげた。
どうしてそんなことを聞かれたのか、さっぱり分からないという感じだった。
「俺が許すって・・・なんで?」
許されるのは俺の方だったんじゃねぇの?とルークは首を傾げる。
ああ、あんな罪深い大人の卑劣さを疑いもせずに、この子供は、純粋に信じているのだ。こんなにも、人を。
「許すもなにも・・・う〜ん。」
ルークは唸った。
「・・・人間って、そういうもんじゃね?」
「え?」
「いやさ。どんな正当な理由があったとしても、人を傷つけたり、責めたりしたのなら・・・それをした方だって、少なからず、傷つくもんだ、と俺は思う。」
ルークの碧の瞳はどこか遠くを見ていて、なにかアニスには理解しがたいものに捕らわれている。
それは昔の記憶なのかもしれないし、目の前に広がっている筈の未来なのかもしれなかった。
「後悔をしたかって言われたら・・・しなかったとは言えない。お前たちと一緒にいるという事は少なからぬ痛みを伴った。けど、他の誰と一緒にいても、俺は俺自身からは逃げられない。結局は、痛いんだと思うよ?」
だったら、皆といた方が良いじゃん?とルークは言った。
「それに・・・案外、それが救いってもんじゃないのかなぁ?」
常に生きることには、痛みと、甘さとが共存する。
どちらかの比重が大きかったとしても、どちらかが欠けることはないのだ。
アニスは顔を下を見て、ルークの顔を見ないままに頷いた。
地面に、ひと雫の水が落ちたが、あたりが暗い事で、ルークにそれが気付かれなかったことが幸いだった。
アニスを泣かした、などと知ったら、ルークはきっとパニックだ。
「お。見ろよ。」
どこか弾んだルークの声を頭の上に聞いて、アニスは顔をあげた。
ルークは、アニスを見てはいず、真上に顔をあげていた。そのまま、まるで背伸びでもしそうな勢いだ。
つられて顔を上げれば、空には一面の星が瞬いている。
「なに?」
別段めずらしくもない、いつもの風景に、アニスが聞き返すと、
「今、星が流れたんだ!」
とルークは嬉しそうに言った。
流れ星はあっという間に消える。呼ばれてから空を見たところで、間にあわない。
それなのに、ルークときたら。
そう指摘しようとしたアニスの目に、流れ星が映った。それどころか、2つ、3つと流れてくるのが見える。そういえば今日は、何十年に1度、なんとか流星群が近づく日だと、教団の誰かが言ってなかったか。
何十年かに1度しかないのなら、奇跡を齎す効果は絶大なのかもしれない。
「Make a wish」
にっこりと笑って、ルークは言った。
「アニス?」
柔らかく優しい声がして、アニスが膝の上に伏せていた顔をあげると、いつのまにか赤く染まっていた空は、群青の色を引き連れてきていた。
今、傍にいた人物の腕を取ろうと慌てて手を伸ばしかけ・・・現実に引き戻される。
やはり、かの人はいなくなっていた。
初めから分かっていた夢だが、覚めてしまった事が、胸を締め付けられるほど寂しい。
「だいじょうぶ?アニス・・・。」
「フローリアン・・・。」
夕刻より前に、難しい顔をして出て行った彼女を心配していたのだろう。
フローリアンの瞳は、まるで自分が迷子になったかのように不安げに揺れ、今にも泣き出しそうな表情で、地面に座り込んでいるアニスを覗き込んでいた。きっと探し回ったのだろう。夜目ではっきりと見えないものの、その頬が上気しているだろうことは、はずんでいる息で察せられる。
その顔を見て、胸の中に罪悪感が頭をもたげたアニスは、だいじょうぶよ、と殊更明るい声を出す。
ちょっと考え事をしてたら、寝ちゃっただけ、と。
フローリアンはそれで納得した風でもなかったが、それでも、アニスを問い詰めたりはしなかった。
唇を尖らしながら、なら良いけどと言い、膝を抱えて、アニスの隣に座る。
「ねえねえ、アニス。」
フローリアンが言った。
「見た?今日って流れ星がすごいんだよ!」
すでに知っている、とはアニスは言えなかった。
自分に教えてくれようとしている彼は、がっかりするだろう。
だから、へえ、そうなんだ!と明るい声で返事をして、空を仰ぐ。
しばらく黙ってふたりで星をみて、生暖かい風がふわり、と舞ってまるでアニスの頭を撫でたように、髪を攫った。
どこもあかくない、黒いアニスの髪を。
屑のダイヤのように輝く星の中に、アニスは赤い星を探す。
どこにいてもなにを見ても、赤い色を無意識に探すクセが、この1年ですっかりついてしまった。
「あ!ほら流れた!」
嬉しそうに叫ぶ声に微笑んでいると
「願いごと!アニス願い事を唱えないと!」
とフローリアンは言う。
願いならもうかなったよ、とアニスは、心の中で答えた。
Fin
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