焔のごとき碧き柔らかき刃
雨が降っている。
いずこの街をも見下ろすこの場所にでも、地上と同じように雨は降る。
少しだけ仰向け、その顔に雨粒をあてる。
感じる、小さく冷たい水。
・・・・・生きている。
まだ、生きている。
生まれた街を滅ぼし、尚も生きるこの身の、なんと未練がましいことだろう。
「閣下?」
昔から何も言わずについてきた、部下の声が後ろからした。
妹は、彼女を好いていた。
尊敬しているの、教官のようになりたいと思っているの。
そう目を輝かし、憧れを口にしていた。
アレがいくつの時のことだったろうか。
・・・・忘れる。
人とは、大事だと思っていたこと、ほんのわずかな心を締め付けた記憶すらも、永遠に凍結して持ち続ける事はできない。
だが、生きている。
そうして、明日へと生を紡いでいく。
そのなんと醜く、浅ましいことか。
「閣下?どうなされました?」
「なんでもない。気にするな。」
雨の中、濡れたまま、移動もしないのに疑問を持ったのが声で分かる。
その疑問は、我の心配からくるのか。この女には、それしかないのか。
一言言い捨てると、彼女はそれ以上なにも言わず、黙って目を伏せた。
頷くことさえしない。
静かで、雨上がりの空気のような女だ。
「お前は・・・。」
「は。」
「・・・どちらが来ると思う?」
彼女は意味を図りかねるように一瞬、首を傾げたが、やがて思い当たったように、視線をあげた。
黙ってこちらを見返してくる。
「アッシュでしょう。実力は、レプリカよりも上を行きます。ひとりでも、十分ここまで辿り着けると思われます。」
「そうだな。」
「加えて、あの出来損ないの力では、たとえここまで辿り着いたところで、そこからどうにもなりますまい。ローレライを御身に封印した、今の閣下の足元には及びもしない。・・・まあ、そちらの方がこちらとしては楽ですが。」
「楽、か。」
くつくつ、と彼は笑った。
「はい。ですが、世界をまるまる作り変えようと計画しているというのに、楽できたのでは、こちらも物足りない。私個人の希望としても、アッシュに来て欲しいものです。」
「では私は・・・。」
口元に笑みを湛え、彼は言った。
「ルークが来る方に賭けよう。」
意外に思ったのか、彼女は、ぱちぱちと瞬きをした。
それは、多少なりとも驚いた自分を、誤魔化そうとでもするかのような仕草だ。
「閣下、恐れながら、それは・・・。」
「お前は。」
言いかけた言葉を遮るように、訊ねる。
「はい。」
「アレが怖くはないか?」
「・・・・・・・は。」
驚きの表情は、今度は誤魔化されもしなかった。
「何を?閣下。怖い?あの、レプリカが、ですか?」
「そうだ。」
「私に怖いものなどありません。」
冷静な表情に変わり、彼女は固い声で答える。
おそらくは、なにか試されたか、冗談の類だと思ったのだろう。
「ああ、そうだな。」
彼も答える。
「私にも、ない。」
もうとっくに、人間としての感覚など、おいてきてしまった。
あれは、かつてのこの街。
この街のオリジナル。
それを墓標に、人としての感情など。
「このまま雨に当たりたい。・・・いるなら、口を開くなよ。」
「はい。」
彼女の短い答えが聞こえた後、まるでその場には、生きている者がなにもいないかのような、静寂が訪れた。
聞こえるのは、ぽつりぽつりと小さな雨音だけ。
アレはそういえば昔、口を開けて空を仰いでいた事があった。
なにをしていると聞けば、どれだけの数の雨粒が入れば、喉が潤うのかと思ったんです、と答えてきた。
馬鹿馬鹿しい、子供の疑問だ。
まるで、どこにでもいる、人間の子供の、戯言だ。
「私は・・・一体、何を造ったのだろうか。」
傍で控えている部下には、きっとそのつぶやきが聞こえただろう。
だが、命じられたまま、石のようになって、一切の口を開かない。
アレは・・・炎。
全てを焼き尽くす、焔の光。
アッシュではない。
きっと、アレが来る。
「お前は・・・人を憎んだ事があるか?」
「いえ。」
直接の問いかけには、流石の彼女も答えた。
「私は個人的な理由で、人は憎みません。ですが、我等の理想を邪魔するものは、人に限らず全て憎いと思います。」
「・・・憎きものを許せるか?」
「いいえ。我等の理想に仇名すならば、憎しみよりも強い憎悪を持って、全力で排除します。」
彼女らしい模範解答だ、と思い、ひとり、彼は笑みを浮かべる。
人はなにかを為す時、自我を通そうという時、それが大きなものであればあるほど、なにかに縋らねば達成することはできない。
それは、誇大妄想の類と揶揄されるほど、特有のものであればあるほど、強い力を持って、己の中に座す。
そうして自分自身に頑固な呪縛を施し、逃げ道がある事から目を逸らす。
まるで、なにかのひとつの塊になるように。
そうでもしなければ、あるいは、という自分自身の声に耳を貸す事してしまう。
そして、その思い込みの強さにこそ、比例し、力を得たような錯覚を覚えるものだ。
それは、情熱の類の時もある。
だが。
本当に、しぶといほどの力を発揮するのは・・・憎しみである事の方が多い。
なにかを憎む。
なにかを憎まなければ・・・
・・・・・世界など滅ぼせはせぬ・・・。
生まれ故郷を滅ぼされた時の絶望を糧に、憎悪は、消される事はない。
憎んで憎んで憎んで、この道は、自分にとっては間違いなく正しい。
それと同じ目にあわせてやったというのに。
雨脚は段々と強く、肩といわず、髪といわず、水滴がしたたり落ちるほどに彼を濡らす。
そのまま、そこに根が生えたかのように、微動だにしない彼に、つきそう彼女もやはり、一言も発せず、動かない。
・・・だが、アレは憎まぬ。
何人も、何も憎まぬ。
自らに課せられた運命さえも。
運命。
少しだけ可笑しくなって、彼は口元を歪める。
アレの運命など。
生命そのものが、造りものなのだ。
運命も初めから造られていたものに、決まっている。
「・・行くぞ。」
「はい。」
ぶるり、とひとつ身震いして、彼はようやく、雨の下から動く事に決めた。
円形の広場を、横切り、階段を下りていく。
長く雨に当たっていたせいか、体の芯が冷えている感覚を覚える。
アッシュは憎んだ。
死に行くはずだった運命も、自分の全てを奪ったと言い張っているアレの存在も。
今頃はどこかで、自分に対しても呪詛の言葉を吐いていることだろう。
そうして、生命を紡ぎ、そこにある意志を、疑う余地もないほどの確固たるものにしていく。
だが。
アレはなにも憎まぬ。
どんな目にあわされようとも、人も、自分自身に宿る力も、運命も。
なにひとつ憎まず、そこから湧き上がる力を得ることもなく。
それでも、しぶといほどの生命を紡ぎ、なにもかも投げ出し、我等の、我の前に立ちふさがる。
我すらも憎まぬ。
なのに・・・立ちふさがろうという意志の、なんと強固なことだろう。
分からぬ。
なにがアレに、そうさせる。
自分を拒絶する世界のことなど、放っておけば良いものを。
ましてや、レプリカの身で、何故、レプリカの世界を否定するのか。
この先、たとえ生き延びたとしても、この世界が優しく、アレを迎え入れる事などありえん。
それは、アレ自身が、1番よく分かっているだろうに。
「・・そうだからこそ、のアレか・・・。」
「閣下?」
「・・なんでもない。」
この先、憎まれ、罵られ、呪詛の言葉を投げられようとも、アレはそれを受け止めるだろう。
血を流し、立てなくなるほど打ちのめされても、それでも。
決して、誰も、何も憎まず。
それは・・・なんと奇妙な姿だろう。
・・・私には理解できぬ・・・。
胸のうちに、くすぶりだす、なんともいえない、感覚。
気味が悪い、胸が悪い。
・・あるいは、これが恐怖か。
理解しえぬ者が、我を食い殺そうと、やっているのを待つ、恐怖。
「私は・・・何を造ったのだろうな・・・。」
もう1度彼は自分に問い、初めて自分で造ったものが、自分の手に負えないものだったのだ、と気がついた。
冷えた体の底から、一瞬だけ、震えが走った。
少しだけ、彼は身じろぎする。
その事に、どこからともなく湧いた恥を覚え、彼は何事もなかったかのように、背筋を伸ばした。
何も感じてないかのように。
「火を灯しましょう。濡れたままでは、お体に触ります。」
分からぬよう装ったつもりだったが、彼女には見えていたようだ。
「そうだな・・。」
もう少ししたら、体を温める為に、炎の揺らめきを見ることになる。
それは、片方の手で、暖かく頬を愛撫しながら、もう片方の手では、なにもかも焼き尽くし、奪い去る。
無垢で、残酷なるもの。
アレは、焔。
柔らかい慈悲の笑みを浮かべ、優しく喉元を食いちぎる、碧の目の獣。
fin
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