「うー。」
もごもごと示すと、ガイが、もうそろそろ良いかといって、ルークの口からそれを取り上げた。
「38度。立派な発熱だ。風邪だな。」
一昨日、豪雨のなかを強行したからだろうと、体温計を手にしたガイは言ったが、豪雨を体感したのは皆一緒で、それなのにひとりだけ風邪を引いたことが納得いかず、ルークは違げぇよ!となんの根拠もない反論を試みた。
しかし、思えば昨日から体は重かった。たぶん、ガイの言うことが正解だろう。
「あとでアニスが特製のはちみつレモンを作ってくれるってよ。」
「うー・・・。」
だから大人しく寝ておけ、と言われルークは渋々ながらも、ふとんの中にもぞもぞと潜る。
アニスのはちみつレモンは、やや甘めなのにレモンの酸味も消えておらず、ルークの好物のひとつだった。体力のない今、目の前にちらつかされると抵抗するのは難しい。
大人しくルークがふとんに戻ったのを見守って、ぽんぽんとガイがふとんを叩いた。
寝かしつけるような仕草に、子供扱いすんな、と目で訴えたが、「じゃ大人しくしてろよ」とガイが部屋を出て行ってしまうと、とたんに寂しくなる。
寝返りをうって見上げる宿の白い天井が、高く感じる。
すぐ傍で人がたてる生活の音が、遠く感じる。
熱がでると、なんだか世界に取り残されたような気分になる。
なんだかこどもの時分に戻ったようだ。
こんなに心細い気分におちいることはめったにない。こんなに寂しい気持ちになることも。
・・・・・ってそれは嘘だよな・・・。
寂しいというのならルークはいつでも寂しい。
皆といても楽しくても大好きでも、この寂しさは埋められるものではない。
彼の存在に代われるものなど他にないのだから。
・・アッシュ・・・。
今、どこにいるのだろう。
自分から通信が繋げられるのなら、この寂しさは少しは埋まるだろう。
彼のことを思うと、ルークは自分で自分の気持ちを理解できなくなる。
どこにいるのだろうと思う度、彼と自分の力の優劣の差を思い知らされ、ぽっかりと洞のように心の中に隙間を感じる。
そのくせ、その隙間そのものを暖かくも思うのだ。
もしも、一緒にいられたら・・・。
そんなことを考えてしまい、胸の痛みを抱きかかえるように体を丸めながら、ルークは寝返りを打った。
額に乗せられたタオルが滑り落ち、枕を湿らせる前にと、それを頭の上に乗せなおした。
もしも、アッシュと一緒に旅ができたら。
たぶん、毎日バカだ屑だと今以上に罵倒されるだろう。
けれど、それは自分にも妥協を揺るさない厳しいアッシュが、ルークにもそれを求めているからだと知っている。
口では悪く言っていても、心の底ではアッシュはルークに期待してくれている筈だ。
それに応えられないことが、ふがいない。情けない。
もっと実力をつけて、頭を使うことを覚えて、少しでもアッシュに近づきたい。
そう思っているクセにこの体たらくだ。
アッシュだったら、雨に濡れたくらいで体調を崩したりしないんだろうな・・・。
本当に情けない。
見上げる天井がぼやけ、それも熱のせいだとルークは自分に言い聞かせ、早く治してしまおうと目を閉じた。
ざーざーと雨のような音が聞こえる。
どこかの街をルークは歩いていた。
見覚えのない道なのに、いやに確信的に自分の足は進み、大通りから民家の間をすり抜け、小さな路地裏へと入っていく。
軒先に掲げられたいくつかの看板はすべて古びていて、およそ営業しているとは思えない埃のかぶった店が連なっているなかで、一軒をめざして、扉を開けた。
「いらっしゃい。」
と禿頭のおやじが、ニヤリと笑い、ひさしぶりだな旦那、とまるでなじみの客のようにルークに言った。
「・・・これの手入れを頼む。」
いつもより低い声が自分の喉から出て、ルークは左に下げていた剣を取りだして、主人に渡す。
「・・・あいかわらず、使い込んでるね。」
剣を丹念に見ながら、主人が呆れたような、感心したような、どちらもない交ぜになった声で言う。
「ちょいと刃こぼれを起こしている。以前みたいな切れ味をお求めなら、1日預からせて貰いたいんだが?」
「ああ・・・構わん。」
「じゃあ、前金で半額貰っておこうか。」
それもいつものことだという口調で、主人が言うのをみなまで聞かず、腰にぶらさげていた金貨の袋を放り投げて渡す。
まいどあり〜という声を背に店を出て、陰になっている路地を目指して歩き出す。
石畳が白く反射して目を焼き、感じられはしなかったが、かなり暑いところのようだった。
数歩歩くと、地面から風に煽られたのか黄色い砂が浮かび上がり、左から右へと飛んでいのが見えた。どうやら風も強いらしい。
舞い上がった砂が、目に入らないようにと細めてやり過ごし、また数歩進んだところで、角からひょっこりと顔を出した犬と遭遇した。
周囲には誰もおらず、人間が珍しいとでもいうようにルークを見あげ、初めは遠慮がちに、すぐに大きくしっぽをふりながら、とたとたと近づいてくる。
ルークは、砂が舞った時のように目を細めた。
少しだけかがみ、汚れてはいるが、ふかふかの長い毛のなかに手袋の指を差しいれ、首元近くをくすぐってやる。
犬のしっぽはそれこそ千切れんばかりに振られ、もっと、というようにルークに体を摺り寄せてきた。
本格的にかがみこみ、背中をさすってやると、くん、と甘えたような声を出した。
優しいよな、アッシュって・・・。
そして非常に照れ屋だ。
こうして擦り寄ってくる犬を撫でて、満足させてやったりするのは簡単なクセに、人目がある時はそれも隠してしまう。
本当のアッシュはもっと、柔らかくて暖かい。
周囲には氷のように冷たく、誰にも何にも心を開かないように見えているだろうが、ほんの一部の彼を知る人には、そんなことはとっくにバレている。
本当・・・不器用だよな。
眉間の辺りまで撫でて貰って、犬は満足したようだった。
しっぽを大きくふるとさっと踵を返し、目の前からいなくなってしまう。
もちろん、それを追ったりなどというヤボな真似は決していない。・・ルークではあるまいし。
もしかして・・・。
アッシュにシンクロしたまま、ルークは思った。
もしかして、アッシュって犬が好きだったりするのかなぁ?
そうだったら嬉しい。
よく仲間には犬みたいだとルークはからかわれる。
アッシュの好きなものが、自分に似ているものだったら、良いのに。
眉間のあたりに、ずきんと痛みが走った。
視界にはさきほどの街角が映っていて、もう犬の姿もないから、誰一人としてそこにはいなかった。
ぷつん、という軽くなにかを突破したような音がして、ふいに、ルークの五感が今までよりもクリアになった。
あ。
「なんだ、おまえ。」
アッシュの生の声が聞こえた。
「いたのか。」
うん、とルークが返事をすると、アッシュは黙ったままだった。
あれ?と思って名前を呼ぶと、なんだ、と返事が返ってくる。いきなり通信が切れたという訳ではなさそうだ。
「おまえ、なんだか熱っぽくないか?」
え?そんなことわかるの?とルークがわたわたしていると、やっぱりなと低くアッシュは笑った。
そして、いつのまにかアッシュのなかに潜んでいたことを、
「さては、寝ているのに飽きたか?」
とからかう。
別にそうではなかった。
ルークとしては大人しく寝て、すぐに熱をさげるつもりだったのだから。
けれど、それで無意識のうちにアッシュと通信が繋がってしまったのだから、何を言っても言い訳にもならない。
あまりにもアッシュに会いたくて。
あまりにもアッシュのことばかり考えているから。
夢のなかでも、アッシュに会いたかった。
それは本音で、たぶん、それがこのいきなり始まった通信の原因なのだろう。
「今日は、俺は機嫌が良い。」
アッシュは言った。
「もう少しつきあえ。」
そうして、人のいない埃っぽい石畳の道を歩きだす。
あの鍛冶屋はよく使うのか?という質問にアッシュは、腕が良い職人はなかなかいないからな、と答えてくれた。
本当に、今日は機嫌が良いらしい。
そう思ってなにか良いことでもあったのか、とルークが聞くと、
「お前が、熱出して伏せっているなんざ、これ以上に面白いことはないじゃねぇか。」
と憎まれ口を叩いて、ルークを拗ねさせるのだった。
しかし数分後、アッシュが、解熱効果のある医薬草を、店にあるだけ買い求めるという姿を見ることになる。
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アッシュは、犬を撫でていてルークを思い出し、通信を繋げようとしたのです。
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