2.手綱を握る小動物
眠れない夜はその長さを持て余し、どこかで歩き廻ることを、ジューダスは常としていた。
彼の記憶の中では、ぐっすりと安心して眠りを取ったことなど、ほとんどない。
意識を失うということは、同時に無防備な姿を晒すことでもある。
生まれた時から命の危険に晒されて来た彼にとって、心地よい眠りというのは、どうしても仲良くはできない宿敵のようなものだった。
自分の声にうなされて覚醒し、急激に固い寝台の上に体を起こした時、ジューダスは暗い闇の中で、どこにいるのかが把握できなかった。
じっとりと汗が滲む髪の間に指を挟み、その不快な感触に深く息をつくと、隣ではまるで無頓着な、図々しいほどの大きな寝息が聞こえる。
それは、ここが安全だという証拠。少なくとも、今現在は周囲に迫る危機がないという証拠だ。
くうくうと気持ち良さそうな寝息をたてて眠るカイルの姿を見て、ジューダスは自分がどこにいるのかという事を思い出す。
尻の下の寝台は固く、毛布も薄い。
横になっているのに着ているのは、寝着ではなくいつもの戦闘服だった。
それは床に着く前に、いつ戦闘に駆り出されるかわからない為に、わざわざ選んだ格好だ。
空気は冷たく、毛布から抜け出した肩がみるみるうちに冷えていく。
背筋を走る寒気に一度身震いし、ジューダスは寝台の下に揃えて脱いであったブーツの中に足を入れた。
そのまま、椅子の背もたれにかけてあった黒いマントを手に取ると、音をたてないように気をつけながら、そっと扉に近づいた。
扉はシュン、という軽い音と共に、手を使わなくとも両開きに勝手に開く。
暗い室内にいきなり光が差し込んだことで、一瞬目が眩んだが、構わず一歩外へと踏み出すと、背中で閉まる音を確かめた後、廊下へと歩みを進めた。
物資削減の為に十分な灯りがつけられないと兵士には説明された気がするが・・・ラディスロウの中は、彼らの時代のランプの光とは比べようもないくらいに明るい。
は、と息をひとつつき、右手で額に触れたところで、ジューダスは自分が仮面を部屋の中においてきたことに気がついた。
一瞬だけ戻って取ってこようかとも思ったが、目が覚めたことで出てきただけのことだ。わざわざそこまですることもない、と思い直し、足をそのまま進める。
特に意味などなく、ただ歩むことだけが目的の行動だ。
夜中に目を覚まし、完全に覚醒したと思った時、ジューダスは眠りに戻ることに拘らない。
もともと眠りの浅い体質であるが故か、一度目を覚ましたらその後は眠れた試がないから、それに関しては諦めが早くできている。
それにしても。
目の覚めた原因を思い出し、ジューダスは溜息をついた。
時折、見張りの兵が、見かけない顔のジューダスを不信そうに見たが、なにも言わないのは、民間人が避難してきているとでも判断したのだろう。
ましてやジューダスは今、仮面どころか剣も、シャルティエすらも部屋においてきている。たとえ不審者と疑われたとしても、危険はないと思われるはずだ。
ひさしぶりに見た夢だった。
肩までかかる金色の髪も、自信と慈愛に満ちた瞳も、今でも忘れることはない。
今よりもいくぶん幼かった時分に、彼を見上げては大きな人だ、と思った。上背のことはなく、器の大きな人間だと。
彼を失うことがなければ、あるいはセインガルドも18年前の争乱で消滅するような末路を辿らなかったかもしれない・・・。 バカな、とジューダスは苦笑した。
彼を失ったのは、自分が彼を毒殺したからだ。
元凶の身の上で、そんな感傷を抱く権利など自分にはない。
彼は最期まで何故、自分に殺されるのかがわからないようだった。
驚きに目を見開き、それでも憎しみの類の感情を、自分にぶつけることはしなかった。
そうだ。
自分が彼を父親のように慕っていたのと同じように、彼も自分に対して親愛の情を寄せてくれていた。
息子のように思っている、と。
「なにを考えている・・・。」
ふと、昔の思い出に浸りきっている自分の姿に、我に返りジューダスは呆れた声を出した。
感傷をする権利などない、とさっきも思ったではないか。
頭をひとつ大きく振り、そろそろ部屋へ戻ろうと踵を返しかけた時だった。
白くなんの変哲もない扉の向こうから、リズムを刻むような音がするのに、ジューダスは気がついた。
とんてんかんとんてんかんと言うならば、そんな音で、それはなんだか・・・どこか人をバカにしているかのようで、そのクセ妙に人懐っこい、そんな感覚を受ける音だ。
「はら?ジューダス?どしたのよ?寝ないの?」
顔を見るまでもなく、ジューダスには部屋の主が誰から予想はついていた。
だからこそ、こんな夜中に訪ねるなどの不躾な行動に出られたのだが、当の本人は別に気にした様子もなく、ただきょとん、とジューダスを見上げるだけだ。
寝ないの、と言ったところをみると、夜中であることを知らない訳でもないだろうに。
まさか、お前のせいで嫌な夢を見たとやつあたりする訳にもいかず、ムッとしながらも黙っていると、まあいいわ入ってよ、とハロルドはラボへとジューダスを招きいれた。
目にした部屋の中は、なにかが色々なところで散乱していて、お世辞にも綺麗とはいいがたい。足元に転がっているロケットの模型らしきものは真っ二つに折れ、頭の部分は遠く、部屋の向こう側の椅子の足元に転がっている。
「それにしても・・ねぇ。」
「なんだ?」
どういう風の吹き回しかしら、とらしくもなく、しみじみとハロルドが言うので、ジューダスは眉を顰める。
「言いたい事があるなら、はっきりと言え。」
ジューダスが不機嫌そうに言うと、それ、とハロルドはジューダス自身を指差した。
「素顔。」
は、と思い出し、思わず片手で頬に触ってしまったことで、いくらかの動揺がハロルドに伝わったのだろう。
ハロルドはにっこりと笑うと、
「良いじゃん減るもんじゃないし。」
と訳のわからない事を言った。
そこで追撃するようにからかいの言葉が飛んでくることを予想し、ジューダスは顔を背けたが・・・。
「・・・?」
ハロルドはなにも言ってはこなかった。
振り返ればあいかわらず、にこにことしているものの・・・その笑みは偽物臭かった。
どこか心ここにあらずといった体で、ジューダスと話をしていても、別段ジューダスには用はない、そういう感じだった。
「・・・どうした?」
「ん?」
思わず訊ねてみれば、はっきりしない返事だ。
聡いハロルドが、自分に向けられた質問の意味が分からないとは思えない。
「ぼんやりしてないか?お前。」
「ん〜。」
返事は返ってくるものの、顔に浮かんでいる笑みも、声のトーンもなんだか妙だ。
目元が下がり、ついでに眉も下がっている。人のつくり笑みのカタチに間違いはないが、頬は血の気がなくそのクセ、目尻は赤くなっている・・・。
「お前・・・。」
ジューダスはそのことに気がついた。
「・・・泣いているのか?」
「ちがうわよ〜。」
ハロルドが即答したことで、ジューダスはそれは当たっているのだと核心を持った。
視線を後ろに逸らし、ハロルドが寸前までしていたであろうことを確認する。
テーブルの上にはなにやらカラフルな液体が入っているフラスコがいくつも陳列され、手前には模造紙に書かれたらくがきのような設計図。その端の方は、なにかの液体でもこぼしたようなカタチで焦げていた。
めぼしいものは別段見つからないから、実験にでも失敗して落ち込んでいるのか、と思ったが・・・違う。
設計図の広げられた大きなテーブル。
その下に、にぶく光るゲージがおいてある。
「・・・うさぎ、か?」
それは、というと、見つかっちゃったというようにハロルドは少しだけ舌を出して、
「そう・・・。少し前からここにいたのよね〜。」
と言った。
その目が不自然なほど瞬きを繰り返す。
まるで涙が出るのを防ごうとしているように。
「・・・死んでるのか?」
ゲージには二羽のうさぎが入っていた。
白と茶色いそのうさぎはどちらも普通よりも大きめで、茶色いほうはゲージの中で横たわり、ぴくりともしない。
「うん・・・死んじゃった・・・。」
ハロルドは言った。
私のミスね、と殊勝なことを言う大天才に眉を顰め、
「実験に失敗したのか?」
と言ってしまった後で、自分が今かなりひどい事を言った、と人の気持ちに疎いジューダスは、遅れて気がついた。
だが、ハロルドはそれに噛みついたりしなかった。
ふるふると首を振り、あれ、と床を指さす。
「飲み込んじゃったみたい・・・。」
「・・・・・。」
手にとって確かめなくても、ハロルドが指差したそれがレンズの欠片であることがジューダスにも分かった。
今や世界中にはびこるモンスターは自然発生したものと、この時代にまさに誕生した天上軍の作製したものとに分かれる。
自然発生とは、動物がレンズを飲み込み凶暴化した場合だ。
高エネルギーの結晶体であるレンズは体内に取り込まれると、その勢力を発揮し、細胞を活性化させ、時にはその遺伝子すら作り変えてしまう。しかし、そのエネルギーのあまりの強さに体が耐え切れず、モンスター化する前に死にいたる動物の方が圧倒的に多い。
「・・それで死んでしまったのか。」
「・・・うん。そっちの子は。」
とんとんとブーツの先で床に転がるものを蹴り、ハロルドはレンズをうさぎのゲージから遠ざける。
「そっちの子は?」
ジューダスが聞き返す。
「両方とも飲んでしまったのか?」
白いほうを指差すと、うん、と小さくハロルドは答えた。
「まだ死んでも、モンスター化もしてないけど・・・たぶん飲んだと思う。」
欠片が足りないことは、砕けたレンズをあわせてみればすぐに分かる。
「・・・・・。」
ジューダスは眉を顰めた。
動物がレンズを飲み込んだと分かっているなら、モンスター化する前に処分してしまうのが普通だ。
モンスターとなった後に殺すのではこちらも危険が伴うし、なによりも・・・高エネルギーによって苦しむ過程を得ないだけ、動物にとっても慈悲だ。
ジューダスはうさぎをゲージから出した。
その間もハロルドはなにも言わない。
抱き上げた小動物の体は柔らかく、暖かい。
鼻をぴくぴくと動かす様は心なしか息が荒い気がするが、別段、今すぐどうにかなるようには見えなかった。
ふと、疑問を持ってジューダスは、ジューダスの手のなかのうさぎを凝視しているハロルドを見た。
「こいつらは・・・。」
なに、とハロルドが聞く。
「その、なんでお前のところにいるんだ?」
やっぱり実験のためか?と暗に聞けば、ハロルドは不機嫌そうに眉を吊り上げる。
しかし、この物資の乏しい時勢に、うさぎのような小動物は・・・格好の食料だ。愛玩用に飼われるなどありえない。だとしたら、軍の物資だったものを、ハロルドがくすねたと考えるほうが普通ではないか?
「悪い?」
唇を尖らせ、ハロルドは言う。
上目遣いで睨んでくる様は、敵意があるものの迫力がない。
「・・・実験しようとしてくすねてきたけど・・・その機会がなかったのよっ!」
そう言う語尾は、投げやりでやたらと早口だった。
「・・・・・。」
こいつのことはどうにも分からない、とジューダスは思う。
こうして悪者役を演じるのはどういう訳なのだろう。
自分に対して、一線をひきたいのか。
本心を見せたくないだけなのか。
他人のつくりあげた自分勝手で血も涙もない天才というイメージを、守りたいのか。
それでなにを得られるというのか。
「それで情がうつった、という訳か?」
ジューダスが静かに聞き返すと、ハロルドは、うっと言葉に詰まった。
ゲージの中は綺麗に掃除されていた。端の方であるが、餌のにんじんが差し入れられてもいる。
なによりも自分の部屋は散らかし放題のハロルドがうさぎの世話はきちんと焼いているではないか。
実験の為というのも、きっと嘘だ。
本当はどこから拾ってきたのかは知らないが、他人に見つかって食料にされない為にここに密かに隠しておいたに決まっている。それは視界に入りにくい大きなテーブルの下に、ゲージをおいていることでも明白だ。
う・・と詰まったままなにも言い返さず、ハロルドはこしこしと目の辺りを擦った。
会話は途切れ、残ったのは、うさぎの確かな体温だけだ。
うさぎは大人しい。
ジューダスに抱かれていても、状況すらわかってないようで、ぴくぴくと鼻を時折動かしている。
肉球のないふわふわの足のぬくもりを手のひらに感じているうちに、ジューダスには、わかるような気がした。
こいつはきっと・・・・。
「たとえ、このうさぎがレンズを飲んだとしても・・・。」
ぴくんとハロルドは顔を上げる。
柄にもなく慰めを口にしようとする自分を、ジューダスは自覚したが、そのまま言おうとしていた事を言い切る。
「全ての生き物がモンスターになるとは限らない。むしろ抗体制を持って体外に吐き出すものもいる。」
なにも今殺さなくても良いだろう、と言うと、ハロルドは言葉に出してはなにも言わず、ふうん、とだけ返事をした。
その事実を知らない訳でもないだろうから、適当な返事が思いつかなかったのだろう。
きっとハロルドは口で言うほど、命を奪うことが好きではない。
冗談ならばいくらでも、解剖するでも、実験するでも言いはする。だが、実際には、相手の命にかかわるような事は、きっと一度もしてない。だからこそ、目の前の柔らかい命が、危険が伴うかもしれないという不確定な理由で奪うことはできず、尚且つ・・・どこかで拾ってきて隠して育てたりする。ましてや・・・。
ジューダスはまるでうさぎの毛のようなふわふわのあかい髪を見た。
ハロルドの、子供の寝癖のようにあちらこちらをむいているそれ。
・・・人を殺したことなどないのは、道理だ。
ジューダスはうさぎをテーブルの上におろした。
設計図のうえをもぞもぞと動くその様は、未だになにかの変調は見えない。
それを今度は、ハロルドが抱き上げようと腕を伸ばした。
しかし一歩手前でためらい、そのまま腕を戻してしまう。
まるで、これ以上の愛情をかけてしまうのを躊躇うように。
元々無駄なことをジューダスは話さない。
ハロルドがしゃべらなければ、その場はいつまでも沈黙が落ちたままだ。
その重苦しいまではいかないが、決して明るくもない空気のなかに、時計のカチカチという音だけが落ちる。
なんとなく見上げれば、半分は機械がむき出しのハト時計は、2時をさしている。
夜中の、2時だ。
「このまま朝を迎えられば。」
ジューダスは言った。
「もうこいつはモンスターには変わらないだろう。」
うん、と頷くハロルドに、しかし、と冷たく付け加える。
「・・・まだ、可能性は高い。その変調が見えれば、殺すしかない。」
軍の拠点のなかで、モンスターが暴れでもしたら、怪我人もでるかもしれない。
貴重な戦力をこんなところで削ぐわけにはいかないことは、ハロルドも言われなくとも分かっているはずだ。
「その時は・・・。」
ジューダスは言った。
うん、と頷いた小さな肩に。
「僕が殺してやろう。」
え、と顔をあげたハロルドに、
「そんな顔をするな。」
とジューダスは言った。
「モンスターになると決まったものでもない。なによりも、もしも抗体を得たならば、今度こそ貴重なデータだと言って公に飼えるじゃないか。」
ハロルドは目をぱちぱちと何度も瞬かせた。
あとに知ったことだが、それはハロルドが驚いた時のクセだったのだが、その時のジューダスは知るよりもなく、不自然なその動きに、涙がこぼれるのを防ごうとしているのか、と思っていた。
お前に殺させるようなマネはしないから、そこは安心しろ、と重ねてジューダスは言った。
そしてハロルドが、うんと素直に頷くのを待った。
果たして、ジューダスが望んだとおり、ハロルドが頷いたのを見た瞬間。
もしもうさぎがこのまま、生き延びたなら。
けっしてこいつには、人を殺させない。
必ず自分がそれだけは、守ってやろう、と。
そう思った。
>>3(まだです)
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