かもめが低く、パンの分け前を期待して船に群がるようにして飛んでくる。
もう、港が近い。
船旅に飽きた旅人たちにせがまれ、このところ頻繁に、甲板で歌を披露する事が多かったが、風の匂いの違いを敏感に嗅ぎわけると、リュートを爪弾いていた指を止め、顔を太陽に向けて日差しに目を細める。
穏やかな日差し。
だが、確実に国で望む太陽とは違う温度だ。
こんな風に自国を出たのは本当にひさしぶりだった。
もともと鎖国体制をとっていたアクアヴェイルだったが、5年前の争乱の時、空から降り注いだ土砂の為に壊滅したあちらこちらを整備しなおした折、古い体制も見直された。
一時期、空を奪われ、偏った考えに長年取り付かれていた自分たちに気がついたというのもあったのだろう。巨大な共通の敵が現れた途端、敵対していた者たち同士が考えを改めることはよくある話だ。
理由はどうあれ、平和である方が望ましいに違いない。
リュートの調べを再開させ、ジョニーは昔、作った歌を口ずさむ。
それは旅の空で、思いつくままの即興の歌とは違い、戦いを終え故郷に戻った後、何度も作り直した曲だった。
それはレクイエムだ。
一度聴いただけでは、意味深なその歌詞と寂しげながらも、どこか甘いその調べに、そうと気づく者はまずいない。
それがレクイエムだと気がつくのは、旅を共にした数人だけだろう。
謳われているのは、月だった。
静かな夜に、ひとり海へと漕ぎ出せば、透明な月が自分を見下ろし、その光の中に、自分自身も消えていく。
そんな歌だ。
だが、聴くものが聴けば、それは誰か特定の人間の事を謳っている事が分かる。
一度、別れた彼らと再会した時にジョニーが抱いた虚しさを、未だに忘れることはない。
ああ、やはり、と。
そんな予感は当たっても嬉しくもなんともなかった。
そうして、世界を救い命のせめぎあいをした筈の彼らとの旅の記憶は、その大半を共有にしなかった淡い影に、塗り潰されてしまったと言って良い。
あの透明な姿を、今でも繰り返し、思い出す。
港からほど近いその街に到着した途端、思わずヒューと口笛を吹いた。
復興後の姿は、厳かというよりも観光地のような賑わいだ、と聞いたが・・・噂には違わない。
未だに壊滅の爪あとを残してはいるものの、アクアヴェイルと比べれば、その設備といい、活気といい、段違いだ。
それとも、あんな事のあった後だからこそ、人々は信仰の中に平穏を求めたのかもしれない。
あらかじめ、訪ねる旨を知らせておいたにも関わらず、目的の人物には、すぐにお目通り敵わなかった。
毎日のお勤めに忙しくしております、との返事から、普段からなかなか自分の時間を取れないものと推察していたので、それは、まあ、予想の範疇だった。
今や、四英雄は人民の心の拠り所でもある。ましてや、それが神の教えと説く、神官ともなれば。
彼女が説教をする為に祭壇に登る日は日に日に多くなってきた、と聞く。彼女の姿をひと目見、その教えを請おうと神殿に詰め掛ける人々は後を絶たない。
まあ、しかたないさ、とジョニーは飄々とした体で、いつものように音楽を奏ながら、神殿の中庭で待っていた。
そこは、建物の影で四角く切り取られたように整然していて、人がひとりもいないという事もあいまって、憩いの場というよりも、瞑想の為の場所のようだな、とジョニーは思った。
こんなところで歌っていて、怒られやしないか、と思ったが、別にそんなことはなかった。その代わり、歌っていても誰も気にも留めもしなかったが。
チチチッ、と小さな声がして、ジョニーはリュートを弾く手を止めた。
様々な花の咲き誇る箱庭には、小鳥が安心しきった様に戯れている。
まるで絵に描いたような穏やかさに、思わず微笑み、放ってやるパン屑さえ持ち合わせていない事を残念に思った。
そういえば、彼は・・・人を寄せ付けず、妙に達観したような見解を持っていたくせに、逆に子供っぽい面も持ち合わせていた。
甘いものが好物であったし、こういう時にはきまって小鳥にパンを分け与えている姿を見た。まるで癖のように。
小さな物音にも飛び立ってしまう弱い鳥には、自分の影さえかからないように、少し離れたところから投げている姿を見る度、ジョニーは、奇妙な気分になったものだ。
それは、失われる、という感覚。
それがあったからこそ・・・再会したスタンたちの間に、彼の姿がなかった事を意外に思わなかったのだろう。
今なら、あの予感の正体が、よく分かる。
彼は・・・時折、大気に透けてしまいそうに思えた。
ほのかな光が、内面から漏れ出し、輪郭が淡く薄れて見えていた。
それは美しく、人を寄せ付けない、自分だけにしか解決も理解もできない世界を持つ人間の姿だ。
まるで蜘蛛の糸のように、輝きながらも、少しの弾みであっけなく脆く崩れる運命を繋ぎ合わせている、危うい均衡。
ジョニーの手から離れていってしまう前の、エレノアと同じだった。
ぱたぱた、と石畳を走る、軽い足音が聞こえ、ジョニーはそれをきっかけに、沈んでいた思考から、現実へと引き戻される。
彼女は、女の子らしく体が軽いのに歩き方が特徴的で、いつだってひとりだけ遅れて歩く癖があった。
あんなに小さい足なのだから、もっと軽やかに飛び跳ねそうなものだ、と昔はよく思ったものだ。
だが、今ではその変わらなさを、愛しく感じる。
変わっても良いものと、変わらなくても良いものの区別は、人を形成する美しい記憶によってなされるものだ。
「おひさしぶりです、ジョニーさん。」
人に語りかける時、すこしだけ語尾があがる話し方も昔と変わらない。
もう少女ではなく、女性と呼ぶべき年齢になったが、丸い眼鏡の奥の大きな瞳を瞬かせている表情は、まだあどけない子供を連想させる。
「ひさしぶりだな、フィリア。」
そう言って笑めば、本当に、と目を潤ませながらも、にっこりと笑う。
豊かな浅黄色の髪を、ふたつに結っている姿も変わらない。
まるで、5年の時など、彼女の上には過ぎなかったかのようだ。
「この度の突然のご来訪、本当に驚きましたわ。」
あいもかわらず丁寧な言葉使いでフィリアは言った。
「迷惑だったかい?」
「まさか、そんな。」
ついからかってみれば、慌てて首を振る。その真面目さも、昔のままで懐かしい。
ジョニーが目を細め、ひとりで浸っていると、けれど・・と目を細め、フィリアが言った。
「意外・・・であったのは、事実です。私、ジョニーさんはアクアヴェイルから離れないものと思っておりましたもの。」
「あの後、1年後にスタンの家で集まったじゃないか。」
「ええ・・でもその時だけでしょう?」
1年後に再会しようという約束の通り、リーネの村に集まった一同だったが・・・。
実はその後も、その会合は何度か続けられた。
一度目の再会後、ふたりして根無し草になってしまったスタンとルーティに会えるのが、その時だけだった、というのもある。
いつの間にかその邂逅の約束も、交わされなくなったが・・・。
初回に姿を見せて以来、ジョニーがその会合に現れることはなかった。
「まあ、な。年甲斐もなく色々と感傷的になることがあって、な。」
「感傷的、ですか・・・?」
首を傾げるフィリアに、それは良いじゃないか、とジョニーは笑い、
「それより、フィリア。」
「はい。」
「実は相談したい事があるんだ。」
「相談・・・私に、ですか?」
ジョニーが黙って頷くと、フィリアは不思議そうにジョニーの顔を覗く。
元々、考えの読めない人物であったが、ジョニーの思慮深さを疑ったことは一度たりとてなかった。
その彼が、自分になんの用なのだろう。わざわざ国許を離れてまで。
こちらへ、とフィリアは、決して教団関係者すら、おいそれとは足を踏み入れない地域へと、ジョニーを誘った。
折り入っての相談ならば、きっと人目のつかないところが良いに違いない、というフィリアの判断だった。
ストレイライズ神殿は、他の地域に比べて復興が早かったとは言え、まだ完成半ばだった。
外殻の降下により、神殿も被害にあったとはいえ・・・全てが破壊された訳ではなかったのが幸いで、今は増築、というカタチで、復旧作業が続けられている。
積み上げられていた石のブロッグを避け、フィリアがジョニーを連れてきたのは、自室だった。
神に仕える身の女性が、男を自室に招くのはどうかと思うぜ、とジョニーが言うと、フィリアは慌てることもなく、朗らかに笑いながら、私に懺悔しに来る方たちは男性も多いのでお気になさらず、と的外れな事を言う。
それに肩をすくめ、ジョニーは、もう何も言わず、ありがたくお誘いを受けることにした。
フィリアの部屋は、白を基調にしていて、中央に施された清楚な薄いカーテンが目を引いた。くまのぬいぐるみまである。
年頃の女性の部屋、というよりも、まだ子供の使う部屋のような感じだ。
やっぱり成長してないのかね、この子はとジョニーは改めて、おさげのフィリアを見下ろす。
背の高いジョニーが並ぶと、フィリアは肩くらいまでしかない。
「なにか?」
それに対し、フィリアは不思議顔だ。
ジョニーは、彼女に似合いの、香り高い紅茶を勧められるままに、手に取った。
まだ5年しかたっていないというのに、ひどく遠いようでもあり、逆につい昨日の事のように思えるあの頃。
5年も会っていなければ、大事な友人とて顔の細部までは思い出せない。しかしそのクセ、マリーの作ったシチューの味などは鮮明に覚えていたりする。
そんな事を話すと、フィリアは頷き、よくわかりますわ、と言った。
私も、大好きな人たちと過ごした、あんなに楽しかった日々なのに(ここで不謹慎な表現でしたわね、と我に返って慌てた)、時折、忘れそうになっている自分に気がつくのです。
そう言い、少しだけ寂しそうに笑った。
「朝の礼拝の時など特に。生まれた時から慣れ親しんだ習慣の中に戻ってしまうと・・・。逆に、あの時の旅の記憶が夢だったかのように感じられるのです。痛い思いも、辛い思いもしたのに、あの時の痛みを今も変わらず抱いているとは言いがたい・・・。」
遠くを見るような目でフィリアがそう口にした時、それを合図に、ジョニーは本題に入った。
そのために、わざわざ、アクアヴェイルから出てきたのだ。
「フィリア。」
「はい?」
「・・・実は、聞きたいことがある。」
「?なんでしょう?」
首を傾げ、フィリアは、まるで親を見上げる子供のように、ジョニーを見つめてくる。
この後に告げられる言葉に、自分が衝撃を受ける事など、少しも案じていない顔だ。
「・・・リオンの事なんだが。」
「リオンさん?はい。」
ぱちぱち、とフィリアは目を瞬かせた。
意外な名前を聞かされて、面食らった、という体だ。
だが別段、警戒している感じでもない事に安心し、ジョニーは続けた。
「俺が、アクアヴェイルでお前さんたちと別れ、その後に再会した時には・・・リオンはもういなかった。だから、アクアヴェイルでの短い期間だけしか、リオンのことは知らない。」
「はい。」
「・・・彼の最期の話も、コングマンから聞いた。他の人間には・・お前さんも含めて、とても聞ける状態じゃなかったしな。」
「・・はい。」
その時の事を思い出したのだろう、フィリアの表情が一瞬にして曇る。
「で、だ。・・・フィリア、お前さんがどう思っているか聞かせて欲しいんだが。」
「どう、とは?」
色々な憶測が彼女の頭の中でめぐっているのだろう。
意図が見えない、という態度をありありとみせて、困惑したようにフィリアが言った。
「率直に言えば。」
ジョニーは言った。
「リオンが、生きているっていう可能性はないのかい?」
ぱちぱちとフィリアは瞬きを繰り返したが・・・今度は最後に眺めに目を伏せた。
そして、ほんの数秒後に目を開けた時には、その表情は変わっていた。
ジョニーですら、おや、と思うほどの変化。
フィリアの顔はきつくなっている。
「どちらとも申せません。」
フィリアは言った。
「私たちは・・・戦った後の傷ついたリオンさんと水の勢いで分断され・・・以来、彼の姿を見ていない。けれど、常識的に考えれば、あの崩れ始めた海底洞窟の中にひとり、残されたのです。生きている筈などない。」
「まあ、そうだな。」
「しかし、私たちは逆に、彼の亡骸を目にした訳ではないのです。たとえば漂流し、まだ息のあるうちに、偶然通りかかった船に拾われている可能性も・・わずかであってもなくはないでしょう。」
「だが、彼の消息はそこで途切れた。」
「ええ。」
ジョニーの言葉に、フィリアは頷いた。
「・・普通に考えれば確かに、生きている訳はないな。」
「ええ・・・。だから、私たちは彼は亡くなったもの、と考えています。それに、こう言ってはなんですが。」
フィリアの表情はこわばり、目尻がいつになく上がっている。視線は目の前にいるジョニーにではなく、その後ろの壁を、それを通り越した向こう側を見ている。
「たとえ生きていたとしても・・・この世界は、リオンさんには辛すぎますもの。」
「・・・・・確かに、な。」
四英雄が取りざたされるのと反映し、世界はひとりの裏切り者の名前も忘れはしない。
彼はけっして、他人に褒められるような生き方をしなかったかもしれなかったが、何も知らない人間にあれこれ語られるような人間でもなかった。
しかし、知られないからこその中傷というものがある。
この世界は、彼にとって生きやすいものではない。
今までは彼に背を向けた冷たい世界だったかもしれないが、世間が彼に正面から向き合った途端、彼と認識したうえでに凶器を振りかざす、そういうものに変わってしまった。
困ったな、とジョニーは頭を掻く。
フィリアはその後、ふっつりと口を噤み、自分の内面に広がる世界から、彼の影を呼び戻してしまったようだった。
5年という歳月が、人の影を薄れさせるというのは、ある特定の・・心の中に封印した影以外に限られる。
自分にとってのそれがエレノアであったように、フィリア自身に大きく影響を与える影が、彼であってもおかしくない。
辛い記憶であったなら、そのまま、そっと奥底に眠らせてあげれば良かった。やはり、やめておくべきだった・・・。
しかし同時に、そっとしておくわけにもいかなかったのだ。
自分ひとりの胸のうちに隠しておける類のことではない。
知って欲しいというよりも、知る権利が、彼女らにはある。
「ひと月前の事なんだが。」
そんな事をいきなりジョニーが話しだしたので、フィリアは、沈み込んでいた自分の中から出てきた。
「はい。」
「アクアヴェイル領土をめぐる定期便のひとつが、行方不明になった。」
「・・・定期便。」
「ああ。それが妙な話でね。その日は別に時化てもいなければ、航海士たちは毎日船を走らせているベテランばかりで、航路を見失うなんて事も考えられなかった。しかし、2日たっても帰ってこない。それでフェイトの黒十字艦体が、捜索に出たんだが。」
「・・・はい。」
それは一大事でしたね、とあきらかに当惑したような声で付け加え、フィリアは首を傾げる。
ジョニーの話がいきつく先に、まるっきり検討がつかないのだ。何故、いきなりこんな話を始めたのか。
「それで、見つかったのですか?」
「見つかった。ある地域に・・・これが奇妙な話なんだが、足止めを喰らっていたんだ。乗客も乗組員も無事だったんだが。」
「足止め?」
「ああ。計器の類がいきなり狂って、そのうえ磁石まで方向を見失ったらしい。舵はきいたが、その他はまるっきりダメで、燃料も限りある以上闇雲に走らせるわけにもいかない。それで救助がくるのを待っていたらしいんだが。」
そうですか、とフィリアは頷いたのを見て、さて、ここからが本題なんだがね、とジョニーは心の中で思った。
「それから数日して、フェイトがその地点の調査に行ったのさ。俺も、なんやかんやと言いくるめられて同行させられた。船の計器を狂わしたなにがそこにあるのか・・・海底までさらって調べた。だが・・・結果は、なにもなかった。」
「はい。」
「だが。」
ジョニーはそこで話をきって、懐に忍ばせてあったある物に手を伸ばす。
「海底から掬い上げた物のなかに、これがあった。」
そうして、それをフィリアに見せる。
それは丸くて薄く、一見して鏡のようであり、1点をリボンのようなもので括られていた。
その対して害がなさそうなものがなんなのか、と身を乗り出すと、ジョニーは無言で、それをフィリアの方に差し出した。
なんの警戒心も抱かず、好奇心だけで、フィリアはそれを手のひらに乗せる。
そして。
上からそれを覗き込んだ。
息を飲み、言葉が思わずこぼれているのに、気がつかず。
「・・・リオンさん?」
5年前の記憶というのは、薄れ行くばかりではあるが、目の前にそれが現れると時など一瞬にして遡る。
薄い鏡のような表面の向こうに、金色の大地が広がっていた。丘のような隆起はなにもなく、ただ、一面がまっ平らなそこは草原のようで、時折風が吹くのか、黄色が翻り緑が顔を覗かせている。空の上には、大きく青い太陽が・・・いや太陽だろうか。大きな丸い星が浮かんでいた。
そこに、ひとりの人間が立っている。
フィリアの記憶と違うのは、彼が青い軍服に赤いマントではなく、黒い服に黒いマントを着ていることだ。
漆黒の髪に、白い面、紫色の瞳は変わらないが、面差しは、記憶にあるものよりも大人っぽく見える。
黒いマントがはためき、そこに大きく風が吹いたことが、フィリアにもわかった。
彼は目を細め、風に向かって顔を向ける。
そうすると、なにかが飛ばされてきたようで、彼は足元に転がってきた一冊の本を、ひょい、と掬い上げた。
その目が綻ぶ。
それは旅の間中、ひとり尖っていた彼が最後まで見せたことのない、柔らかい表情だった。
本を手に取った彼の口元が、誰もいるわけでもないのに、動いた。
それは音の聞こえないフィリアには、はっきりと断言できないが、まったくおまえは、とつぶやいたように見えた。
「見えるかい?」
ジョニーの声に、フィリアは我に返ったように、手のひらのものからジョニーへと視線を移す。
「ジョニーさん、これは一体・・・。どうしてリオンさんが!?」
どうしてこの中にリオンが見えるのだろう。
そもそも、リオンは今、どこにいるんだろう。
そう畳み掛けて聞こうとしたフィリアを片手をあげて制止し、
「聞いたんだが・・・。」
ジョニーは言った。
「リオンは、大事な女性を守っていたそうだな。」
「・・・はい。」
悲しそうに、フィリアが答えた。
「その女性が・・・黒髪だったというのは本当かい?」
「ええ。」
途中から外殻に同行したジョニーは、ミックハイルで救出したマリアンの顔を見ていない。
だから、リオンが誰を守ったかを彼は知らないのだが、今、それがなにが関係あるというのか。
すると、そのフィリアの心情を読んだように、困ったようにジョニーは笑い、
「じゃあ、あれは一体、誰なんだろうな。」
と言った。
「あれ?」
「ああ・・・実は、彼はひとりでない時がある。」
「ひとりではない?」
ここで、ですか?とフィリアが言うと、ああ、とジョニーは言った。
「時折だがな。女の子の姿が見えることがある。」
「女の子・・・。」
リオンと少女、という組み合わせが、意外に思われ、フィリアは首を傾げる。
リオンの関係のある女性として思い起こされるのは、ジョニーの言うようにマリアンか、自分たちしかしない。
「もしやルーティさん・・・。」
だったら、ジョニーにも分かる。そんな訳はない。
だが、ジョニーは、フィリアのそんなつぶやきを違う意味に捉えたようだ。
「それも考えたんだがね。・・・なにしろ、ルーティはリオンの姉だしな。彼女の方が心当たりがあるんじゃないかと、そうは思った。けどなぁ・・。」
「はい。」
フィリアも頷く。
ルーティはリオンの姉であったが・・・だからこそ、自分たちよりも傷は深かった筈だ。
そのルーティは今、スタンと結婚して、クレスタの孤児院を切り盛りしている。数年前には男の子を生み、忙しくも平和な時間を過ごしている。
これがどういう事だか皆目検討もつかないのに、不用意に知らせても癒しかけた心の傷を抉る結果になるだけではないか、と考えると、安易に行動にもでられない。
・・・だからこそジョニーは、先にフィリアに相談をしに来たのだ。
数人いる仲間のうちで、フィリアが選ばれたのは、スタン、ルーティと未だに親しく、マリーのいるファンダリアよりもアクアヴェイルから近いストレイライズ神殿にいる彼女の方が、ジョニーにとって訪ね易かったからなのだろう。
「それにその前に、確かめておきたかったしな。」
「なにをです?」
「それの中に、さ。」
ジョニーは未だにフィリアの手の中にあるものを指差した。
「フィリア。リオン・・・らしい人間の姿、見えるかい?」
「?はい。」
「なんだか・・・見た事もない風景も。青い太陽だか月だかが浮かんでいる。」
「ええ。」
するとジョニーは満足したように、頷いた。
「俺にも、見える。」
「ええ。」
「だが、フェイトには見えない、そうだ。」
え?とフィリアは目を見開いた。
「最初に、その中を覗き込んで、リオンの姿を見た時、流石の俺も驚いて、声をあげちまったんだ。だが、それを聞きつけて同じように覗き込んだフェイトのやつは、なにもないじゃないか、と言った。ただの、装飾品になにをそんなに驚いているんだ、ってな。」
「・・フェイトさんには、見えない・・・?」
「ああ、そうだ。」
ジョニーは苦笑した。
「だから、もしや俺にしか見えないじゃないかって疑ってたのさ。お前さんを先に訪ねたのは、それもある。俺が見えたように、お前さんにも見えたならそれで良いし、見えなかったんなら、なにもなかった事にしちまおうと決めていた。ルーティに余計な事を言って、動揺させちまう前に、な。」
「・・・そうですね。」
フィリアも同感だった。
そもそも、こんな物の中に、5年前に亡くなった筈の人間の姿が映るなど、本来はありえない。
それこそどんな説明もつかないし、いきなり、そんな話を聞かされても誰も信じない。
本物を見せる以外に伝える方法もないのだ。
持って行って、そこでルーティがリオンの姿を見出せなかったとしたら・・・タチの悪いいたずらだった、で済まされる問題ではない。
「それで、ジョニーさんは、ここがどこだと思われるのです?」
それに、その一緒にいるという女の子の事も気になる。
リオンが今、おかれている状況の、なんらしかのヒントになるかもしれない。
そう思い、フィリアがジョニーに聞いた時だった。
ジョニーが、そうだな・・・と言いかけたその言葉にかぶさる様に、声がした。
「返してください。」
それは、凛として鈴の音を思い起こさせる声で、しかしはりの声音から、意志の強さを感じさせた。
ジョニーとフィリアは、はっとして声のした方向に顔を向ける。
そこには・・・フィリアが見た事もない少女が立っていた。
いつの間に、部屋の中に入ってきていたのかも分からない。まるで、いきなり音もなくそこに出現したかのようだった。
「・・・あなたは?」
「・・・・・。」
驚愕して声を震わすフィリアの横で、ジョニーは無言だ。
少女はそんなふたりの態度を気にもせず、つかつかと近くまでやってくると、
「返してください。」
ともう一度言って、右手をフィリアに差し出した。
「それは、わたしの物です。」
「これ・・・?」
フィリアは手の中の、リオンが映る鏡のようなものを、見る。
少女が黙って頷くのを、なんと言って答えたら良いか迷った。
彼女がこれの持ち主だというのならば、この子には、このリオンがいる場所がどこだか分かるのだろうか。
「あの・・・あなたは一体?」
そもそも、この少女はどこから来たのだろう。
フィリアが顔を知らないことを考えれば、教団関係者ではないように思う。もっともフィリアも全ての神官の顔を知っている訳ではないが・・・それでも、どこか遠くの、なんだか自分の知らない場所から彼女は来たような気がした。
少女はきゅっと口元を引き締め、挑むようにしてフィリアを見つめている。
その茶色い瞳は大きく、吸い込まれるように澄んでいた。
まるで、生活感というものが、少女からは感じられない。おとぎの国から来たかのような・・・そんな淡く、美しい空気を彼女は纏っている。
なにか聞くべきなのに、言葉がうまく紡げない。
少女はそんなフィリアになにを言うでもなく、けれど、差し出した手はそのまま向けていた。
その大きな瞳に、フィリア自身の姿が映っている。
それは自分であっても自分でないように思えた。まるで、鏡の中のリオンのようだ、とフィリアは思った。
「あら?」
伏せていたテーブルから顔をあげ、フィリアはぱちぱちと目を瞬かせた。
部屋には少しだけ冷たくなった風が柔らかく入り込み、カーテンを揺らしている。
まどろんでいたようだ。
紅茶はすでに冷め、ジョニーの姿はない。
静かな自分の部屋にひとり、なにかを忘れて置いてきぼりにされたような気がした。
部屋に入り込む光の加減から考えると、もう日が傾きかけている。
そっとカーテンをまとめ、そこから窓の外へと顔を覗かせれば、夕日に花々が映える中庭で、ジョニーの鮮やかな後ろ姿が、静かにリュートを奏でているのが見えた。
それを見つけて、ほっとなる。
なんだか、長い間夢を見ていた気がしていて、ジョニーが訪ねてきたのも嘘だったのかと一瞬、考えていたからだ。
フィリアは部屋から出て、そっと近づく。
ジョニーはリュートを弾く手を止めない。
けれど、近くにフィリアが来たことに、気配で気がついたようだった。
「・・・持って行かれちまったな。」
とジョニーが静かに言った。
フィリアははっと、自分の手を見つめる。
先ほどまであったはずの・・・手鏡のようなものはない。
そもそもあれは夢だったのでは、とフィリアが現実感が乏しい記憶を辿っていた横で、ジョニーが、もの寂しげなフレーズを爪弾く。
綺麗なそれは、リオンへのレクイエムに作ったんだ、と彼は言った。
「さっきの少女だったんだ。」
「え?」
「ほら、あそこで、時折リオンと一緒にいたっていう子さ。」
今となってはもう、どうにもできないけどな、とジョニーは言った。
>>4. 古城の幽霊
|