次の日も折角、晴れたというのに、ジューダスは朝からいなかった。
「あの、臆病者〜!」
それを聞いたハロルドの第一声はそれだった。
絶対にジューダスは、ハロルドから逃げたに決まっている。
「は?」
「なに?卑怯者って。」
卑怯者じゃなくって臆病者よ、カイル、とリアラが余計なつっこみを入れる。
昨日の出来事をしらないロニとカイルは、ハロルドが何を言っているのかわからない。
それはあとで・・・とリアラが目配せをし、まあ、なんつうか、とナナリーが話を誤魔化した。
「うん?まあ、それならそれで良いけどよ?」
カイルと違って本来勘の良いロニは、それ以上その場で追求するような真似はせず、不思議顔のカイルに、ホラ、それさっさと喰っちまえと食べかけの朝食を指して言う。
「そういや、ジューダスと言えば、よ。」
「なんだい?」
「ハロルドにじゃねえかと思う伝言預かっているんだけど。」
「は?」
「なに、私?」
「いや、そうじゃないかって。」
なんなんだ、それは。
「なによ、そうなの、そうじゃないの?」
はっきりしなさい!と怒鳴られ、ロニは俺に言うなよ、と唇と尖らせる。怒られる筋合いなどないというのに。
ロニは不満そうに眉を寄せたが、それでも、本来大人なだけあって、無意味は意地悪はしなかった。
ムキになっているハロルドに、多少の違和感を感じていた、というのも理由にある。
「"もしも、あいつが来たら図書館に来い、と伝えろ"・・・名指しじゃねぇからな。間違っていたってしらねぇぞ!」
不沈のモリー
2 |
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図書館に息せき切って駆け込み、決して広くない室内の本棚の間を、早足で駆け抜けながら隈なく探してみたが、ジューダスの姿は見えなかった。
「〜〜〜なによ、もう!」
入り口で通してくれた係員は、静かにしてください、とハロルドを叱責した。
む、として振り向いたハロルドは、だが、入り口の全身まで映る大きなガラス扉に映った自分の姿が目に入ってしまい、その事でがっかりした。
係員は今にもハロルドが、飛び掛ってくるものだと思って警戒しているようだったが、そんな事はもうどうでも良い。
自分の今の姿が、あまり可愛いものではないと気がつく。
ロニの言葉を最後まで聞かずに出てきてしまった。ここまでも一気に走ってきた。
急いでいたとはいえ、身支度を整える時間くらいとっても、良い。
こんな大事な日なのに。
それでハロルドは、一気に、熱くなっていた頭の先から全身までをかけめぐっていた血の温度が冷めた。
第一、こんな髪の毛もぐちゃぐちゃ、服も起きてすぐに着たままのもの、肝心のチョコレートまで持ってないとくれば、なんの為にジューダスを探しているのか分からない。
冷静になった頭で、ハロルドは、冴えてない自分の全身をまず、整えることからやり直さなければ、と思った。
それで一旦、宿まで戻ろうと決めたものの、伝言の意味が気になって、もう一度、室内をきょろきょろ見回したが、やはりジューダスはいなかった。(万が一いたら、見つかる前に宿まで戻ろうと思っていた)
それで、半分、安心して、ハロルドは室内をじっくりと見渡す。
ジューダスがここを指定したという事は(あれは紛れもなくハロルドへの伝言だった)、ここにはジューダスは伝えようとしたなにかがある筈だ。
思いつくものはないが、図書館に呼び出したという事は、本がある事に意味があるのだろう。
背の高い本棚の、上から下までを一冊ずつ確かめながら進むと、カビ臭いような、古い紙が太陽に焼けた匂いがする。
ハロルドはこの匂いになじみがある。
昔は生意気にも、埃っぽいなどと称してして嫌いなふりをしたりもしていたが、自分が育ってきた環境の匂いだ、と思う。
広い遊び場は、一度もハロルドのものではなかった。最低でもカーレルとふたりのものだった。
けれど、父の留守にしている間、ハロルドだけが入る事が許された書斎の本棚は、その間、ハロルドだけのものだった。
だから、本の匂いは、ハロルドだけの世界の匂いだ。
上へ下へと首を傾け、みっつ目の本棚に差し掛かった時、ハロルドはそれを見つけた。
ちょこっと背伸びをして、うんと手を伸ばす。
その本はそれだけ逆さに、背表紙から本棚に納められ、こちらを向いているページの間から、黒く大きな羽根が一本、まるで本から生えているかのように差し込まれていた。
たぶん、烏の羽根だ。
本から羽根を抜き、挟まっていたページを開くと目に飛び込んできた文字をざっと確かめると・・・。
目の前にそっけなく置かれているベンチに座り、足を組んでそのページをめくっていく。
これを読め、とジューダスが言うならば、読まなければいけない理由があるのだろう。
書かれているのは・・・18年前の争乱に関することだった。
その話なら、すでに知っている。
カイルの両親が話の中心にいることも。
・・・・・それにより、裏切り者と呼ばれる人間がでたことも。
そぎ落としようもないほどに、事実のみが書かれているその本を選んだ理由がわかる、とハロルドは思った。
「・・・・・で?」
ハロルドは一瞬、眉を顰め、ぽくん、と音をさせて、厚みのあるその本を閉じる。
「これが、なに?」
手元に残った烏の羽をよく見ると、隙間に白いこよりが挟み込んである。
力を入れたら切れるに決まっているその小さな紙切れを、ハロルドは、神経を使いながらそろそろと開いた。
そこには小さな文字で、一言、「広場」と書かれてあった。
一旦、宿へと戻り、着替えをすませ、化粧をすませて、噴水のある広場まで来た。
その間に、すっかりと陽は高く上り、今や広場は待ち合わせのカップルでごったがえしている。
あいかわらず、ワゴンのチョコは人気で、ひとつだけ違うのは、昨日は女の子ばっかりだったのに対し、今日は男女の二人連れが多いという事だ。
恋人同士か、それ未満か。それでも、楽しそうにふたりで笑いあい、あれこれとチョコレートを吟味している姿は、なんだか微笑ましい。
「ねぇ、おばさん。仮面をつけた男、見なかった?」
おや、またきたね、と愛想良く言うおばさんに訊ねると、そんな怪しい人は見なかったねぇという。
広場まで来たものの、ジューダスの姿は見えない。
あんな格好をしていれば、遠目からでも一発で分かる筈だ。目撃情報を得られないところを見ると、ジューダスはここへは来てないのだろうか・・・。
おばさんのワゴンから、船のキーホルダーをひとつ買い、コートの、胸元のボタン穴に通した。
それからカップルの邪魔にならないように、脇へとそれていくと、自然に昨日の靴屋のショーウィンドウの前にでた。
惹かれる様に中を覗けば、昨日も見た華奢なヒールのミュールが、キャンディーの様に可愛い。
やっぱり買おうかなと顔を近づけてみると、
「げ。高い・・・。」
有名なブランドのものなのか(この時代の有名ブランドの名前など知らない)靴ひとつに5万ガルド、とおよそ相場とはかけ離れた値札が貼られている。
こりゃあ、ダメだわ、とがっかりしたものの、すぐに気を取り直してハロルドは、広場をぐるりと、ジューダスの姿を探して見渡した。
「ほんっとにもう!」
ひとりごちる。
「ど〜こ行っちゃったのよ!まったく!」
「お前の探し方がヘタなんだ。」
「ほよ?」
横からいきなり声がして、ハロルドは男を見上げる。
いつの間に現れたのか、ジューダスは隣に立っていた。
しかも。
「あれ?仮面は?」
「・・・・・なるほど。」
ジューダスは一瞬、呆れたようにハロルドを見下ろすと、
「仮面を目印に探していた、という訳だな。」
と言った。
ジューダスは仮面をしていなかった。
ハロルドは、この素顔を見るのは初めてではない。
だが、見るたびに、ふっと引きこまれそうになる。
人の顔を凝視する事の失礼は百も承知だが・・・。見惚れるなという方が無理だ。
陶器でできた人形のように、人の手が入っていないことの方が、むしろ、不自然なほどの完璧な美貌。
ご丁寧にも、男のクセに、まつげまで長いときている。
まじまじと見あげているハロルドに、別段気を悪くした風もなく、けれどいつもどおりのそっけなさで、ジューダスが、
「行くぞ。」
と言った。
「どこへ?」
「こっちだ。」
質問には答えず、ジューダスはハロルドに、広場から続く一本の道を示す。
それは繁華街を抜け、住宅街へと続いているようだった。
ハロルドの洞察があたっているとするならば、住宅街になんの用があるというのか。
「本当にこっち?」
不思議に思い、ハロルドが聞いてもジューダスは答えない。
ただ、説明するのが面倒臭いかのように、無言でハロルドを促すだけだ。
はいはい、と肩を竦めてハロルドは、そちらへ歩き出す。
ジューダスのこの手の態度はいつものことで、むしろ聞かれて親切に答える方が珍しい。
言われた道を、てくてくと歩いていると、横に並んだジューダスが、ハロルドの方を見もせずに、
「あの靴だが・・・。」
と言った。
「ん?」
「欲しいのか?」
「可愛いから、ちょっとその気になったけどね・・・。高くって。」
「・・・高い、のか。」
高くても欲しいなら買えば良い、とジューダスはそっけなく言った。
そうだけど・・・とハロルドは言う。
「男のあんたには分からないだろうけど、女の物って大概は、高いのよ。靴にしたって、服にしたってね。それ以外にも化粧品代もかかるし・・・。お金を使うことには諦めているんだけど・・・。でも、あれは想定外の高さだわ。たいして履けないのに、出せる値段じゃない。」
たいして履けないのはもちろん、旅の途中は、大概、戦闘服で移動しているからだ。
街の中に入れば、違う服でおしゃれもするが、それでも、1,2泊する間だけの楽しみに過ぎない。
「まあ、いいっしょ。」
縁がなかった、という事なのだろう。
ジューダスはそれに対し、ふうんとも、大変だなとも、文句すらも言わなかった。
ただ単に面白くなさそうに、そういうものなのか、と言った。
返事が返って来た事が、逆に意外で、なんだかハロルドは、いつもと違うジューダスを感じずにはおられなかった。
しばらく歩いていると、道が開けた。
それまで通ってきた場所は、住宅街には違いないが、高級層が住んでいるらしく、やたらと無駄に大きな屋敷ばかりが並んでいて、道こそ石畳だが、やはり無駄なスペースが多すぎると感じた。
行き止まりになっている道がなんの為に必要だというのか。
それはたぶん、垣根の花に水をやる為だけのスペースで、隣と密接するのが嫌だからという陣地取りの思惑が後ろに見えている気もしてならない。
そうして抜けた先は、ちょっとした見晴台になっている公園で、ヴァレンタインのせいか、人はここにもいるものの、それでも繁華街にある広場ほどではない。
穴場に逃げ込みましたというような、カップル達がお互い、お隣との距離を置き、ひそひそ声で話しあっている。
「・・・やはり咲いていない、か。」
ジューダスのつぶやくような声に、ハロルドはうん?とその顔を見上げる。
「今年は暖冬だというからな・・・。」
ジューダスは言い、植えられている木の下に立つと、それを見上げた。
「・・もしかしたら早咲きのものが見れるかもしれない、と思ったんだが。」
「春に咲く花なの?」
「ああ。」
ハロルドがジューダスの隣に立ち、同じように木を見上げると、強い風が、コートの裾をはためかせた。
確かに暖かいと思っていたが、別にこの地方が特別に暖かい冬を迎えるわけではないらしい。
ましてや、高台にもなれば、風も強い。
さきほどの広場よりも、数段気温がさがったように感じる。
コートの衿を合わせていると、ジューダスが言った。
「・・・桜、というんだ。」
「桜。」
「・・・淡いピンク色の花を咲かす。」
「へえ。可愛いでしょうね。」
「・・・いや、どちらかといえば、綺麗な花だ。イメージも男っぽい。風であっけないほどに潔く花びらを散らし、それが空から降ってくる。」
「へぇ。」
その様をイメージしかけたハロルドに、ジューダスは言った。
「これだけだ。」
「・・・・・?」
なんの事だか分からずに、ハロルドは首を傾げて、ジューダスを見た。
「僕が持っているものは。」
ジューダスは少しだけ笑い、ハロルドを見下ろす。
「僕が、お前に見せられるもの、お前に限らず他人に語れるものは・・・それだけしかない。図書館で本は読んだな?」
「・・・うん。」
「あれを含めた、それが僕の全てだ。幼い頃から楽しい事、嬉しいことなどほとんどなかった。それを疑問に思うことも、嫌がる気持ちすらなかった。与えられたものが全てで、命じられるままに人を裏切り、死んだ。」
「・・・・・。」
「お前に与えられるものなど、なにもない。」
「・・・・・。」
「あるとすれば、ここの花くらいだったが・・・。流石にここの花を美しいと思ったことはあったからな。人間として、それくらいは、あったんだな、僕にも。」
まるで他人事のように言う。
「ヴァレンタインというものも、知らなかったしな。」
自嘲したように、ジューダスは薄く笑った。
「じゃあ、今までチョコ貰ったことなかったの?」
素朴に疑問に思ったので聞いてみると、ジューダスはハロルドの質問に、いや、と答えた。
「貰ったことはある。」
「じゃあ、なんで。」
「人が、誰彼構わず他人に菓子を配る、そういう祭りなのかと思っていた。」
流石に、少しだけ呆れて、ハロルドはジューダスを見る。
それまでジューダスにチョコを渡してきた女の子の気持ちは一度も報われなかった、ということだ。
「だが・・・それを確かめる相手がそもそも僕にはいなかったんだ。」
「・・・・・。」
人生における、絶対的な欠如。
それをジューダスは口にしている。
「それで、今更、新しい関係を築くのは・・・無理だ。」
「ちょっと待って・・・。」
「ハロルド。」
言いかけた事を察して、ジューダスは先回りして、その言葉を塞ぐ。
「諦めてくれ。」
「・・・僕には、お前を受け止めるのは、無理だ。」
「・・・・・。」
「どうして、お前が僕を選んだのか、気まぐれなのか、気の迷いなのかは知らないが。僕には無理なんだ。他の誰かを、僕の世界に入れることが、できない。」
こんな、そっけない空虚な世界になど。
「お前を持てあます、だけだ。」
僕の世界には、お前は大きすぎると、少し笑って、ジューダスは付け加えた。
予想がつかなすぎる、と。
その笑みは、完璧な壁だ。どこにもひび割れがない。
「お前のように、なにかを欲しいと思う気持ちも、僕には理解できない。」
「・・ジューダス・・・。」
「それが、初めからないのか、持っていても、理解できないのかは分からないが。それを僕は、これからも僕ひとりで解明していく。」
「・・・・・。」
その孤独が、いかなるものか知らないでもないのに。
納得した訳でも承知した訳でもないのに、ハロルドはそれに頷いてしまった。
いや、俯いただけかもしれない。
下に向けた頭が、重くて、上を向いて、ジューダスを見れない。
なんだろう、この敗北感は。
ただ、人間同士のつきあいをするだけでも、この男には覚悟がいるのだ。
相当な、他人では想像を絶するほどの、覚悟が。
「じゃあな。」
話はそれで終わりだ、というようにジューダスはハロルドに背を向けた。
数歩行きかけ、だがハロルドに、大人しくなんの反応もない事が気になったようだ。
「・・・行くぞ?」
顔を覗き込むようにして、ハロルドに語りかけてくる様子に、ハロルドは、少しだけ可笑しくなる。
他人とのつきあい方が分からないというのは、本当のようだ。
普通は、なにも言わず立ち去るところだろう。女を振った後なのだから。
そう思った瞬間、ハロルドはジューダスのマントを掴む。
他の誰とも違い、この男だけは、街に入っても決して戦闘服を脱がない。
危険な何かがある訳でもないのに、いつでも戦う姿勢を崩さない、全員を逆立たせている神経質なハリネズミのようだ。
「おい・・・。」
「そんなの、私だって同じよ。」
ハロルドは言った。
顔をあげた、ハロルドを見て、しまった、とジューダスは内心舌打ちした。
さっさと立ち去っておくべきだった。
ハロルドは戦う人間の眼になっている。
言われた事に納得せず、反論しようという時の、証拠だ。
「ねぇ、ジューダス、あんたのいう人って何?」
「・・それは。」
「これがあって完璧で、これがなかったら完璧じゃないって人間はすぐに言うけど、それってそういうものを持っていない自分を、正当化しようとする人間の、言い訳なんじゃない?」
それを言ったら元も子もない、とジューダスにしてはめずらしい感想を持ったが、それは言わないでおく。
・・・ハロルドが言うことの方が正しい、と思うからだ。
「私をもてあます?当たり前じゃないの。私だってあんたと同じ、与えられた時間を削って生きるだけの、からっぽな時計だわ。そもそも、私の世界が私にとって居心地の良いもので、あんたの世界が居心地悪いなんて、そんなの分かる訳ないじゃないの。別の人間なんだから。」
「・・・・それは・・・。」
「なにもない?そんなの誰もなにも持ってないのよ。持っているものが価値あるものだって後生大事にしまいこんでいるだけ。でもね、他人から見たら、なんの変哲もないちっぽけな想い出だって、その人にとっては、宝物なのよ。そういうものは・・・。」
ハロルドはびしっと、なにもつけていない、からっぽな木を指差す。
「これからいくらでも作れるものじゃないの?」
「・・・・・。」
「そうしたいって言ってるんでしょ?私は。あんたを丸ごとくれなんて、ひとっことも言ってないわ。私の世界の住人になって、一生過ごせとも言ってない。私の世界の一緒にモノを投げ入れてくれる人になって、って言ってるんじゃないの。」
「だから、それはお前ではダメだと言っているだろう・・・。」
ジューダスは眉を顰め、身を硬くして、答える。
「第一、僕には・・・。」
「僕には?」
ジューダスが言葉に詰まった。
「・・・それは・・・。」
「それは?なによ?」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
ハロルドに睨まれても、ジューダスはその先を言う気配がない。
その様子を見て、その表情で。ハロルドは。
「・・・やめた。」
ハロルドはいきなりジューダスのマントから手を離した。
そして、いきなり手を掲げ、つま先立ちをして、のびをすると、やめたやめた馬鹿らしい、と言った。
「馬鹿らしい?」
「うん、そう。」
だって、とハロルドは言った。
「・・・あんたに拘る必要なんて、私にはないわ。私はあんたとは違う。」
「・・・・・。」
言っているうちに、気がついてしまった。
ジューダスとハロルドは、ものの考え方、それに対する拘り方があまりにも似ている。
無理強いしても、ダメなものはダメ。
それが、わかってしまった。
現にジューダスは、ハロルドの言葉を聞きながら、言い含められまいと、体を硬くし、冷めた表情で見下ろしていた。
それでは、どんなに熱を込めても、届くものも届かない。目の前でなんでもない事のように払われて、墜落してしまう。
どうしても、ジューダスが心を開かない、その理由。
「あんたさ。」
ハロルドは言った。
「私にまだ、言ってないことがあるでしょう。」
「・・・・・。」
「誰でも入れないとか言って。」
その話は、とっくにロニに聞いている。
それを、ふいに思い出した。
その瞬間、胸を刺したあまりの痛みに、言葉を失ったのだ。
その先に言う筈だった、ジューダスに届けたかった、全ての言葉を。
「・・・18年前に、仲間を裏切ったのに、理由があったんでしょう?」
「・・・・・。」
「・・そうなんでしょう?」
ハロルドは、本気で言ったのに。
それに対する答えの中に、自分の、大事なものの事は隠しておくなんて。
「・・・失礼なやつ。」
初めから、ハロルドに本気で答える気などなかったのだ。
「なにが、これが全て、よ。」
胸の中に、一番美しいものを抱えているクセに。
「嘘つき。」
その時、息を飲んだジューダスが名前を呼んだらしいが、それはきちんと耳には届かなかった。
「あんたなんか・・・大っ嫌い・・・。」
耳鳴りがする。
眉間を打ち付けるようにして、頭痛がして、その後は。
ジューダスがなにを言っても、聞こえなかった。
もう、聞こえなかった。
いくら暖かい冬だと言っても、夜ともなれば冷え込む。
「・・・なにをしているんだ、僕は。」
誰もいない宿の裏庭でひとり。
植えられた木に寄りかかって、誰も聞いていない言葉を、つぶやく。
そっと見上げると、2階の窓は未だに灯りがついていて、部屋の主が眠っていないことを表していた。
失敗した。
その事だけが大きくのしかかってくる後悔だ。
なにもハロルドが言ったように、隠そうとした訳ではなかった。
本当に、なにもない自分では、あの好奇心旺盛な瞳を曇らせるだけだ、と思ったのだ。
ジューダスの中身はまるで空虚だ。
求められるものがあればあるほど、虚しく通り過ぎていくことに、やがてハロルドは気がつくだろう。
その事を告げたかっただけなのに・・・・。
失敗した。
けれど、それを今更、誤解だと告げたところで何もならない。
たとえ、誤解が解けたところで、ハロルドを受け入れられない状況は変わらない。
ならば、このままほうっておいた方が、複雑にならなくて済む筈だ。
そう何度も思っていた。まるで言い聞かせるようにして。
「ジューダス?今の時分までどこ行ってたのさ?」
宿に戻れば、階段の踊り場から目ざとくナナリーが見つけ、声をかけてくる。
フロに入った後なのだろう。いつものツインテールをほどき、肩にタオルをかけている。喉が渇いたからりんごジュースを買いに降りてきたのだ、とナナリーは言った。
「頭を冷やしに、少し・・な。」
「頭?」
「気にするな、それよりナナリー。」
りんごジュースのビンを手に持っているナナリーに、ジューダスは言った。
それから、思わず口をついて出てしまったが、言うべきかどうかを一瞬、迷う。
「なんだい?」
その様子に気づかず、ナナリーは首を傾げる。
「・・・ハロルドは、どうしている?」
「ハロルド?」
階段の方を見上げ、ナナリーは言った。
「別に、いつもと同じように本読んでるよ?床に沢山積み上げてさ。用事なら、呼んであげようか?」
「いや・・・それは良い。」
「?良いのかい?」
「ああ・・・。様子が気になっただけだ。」
「・・変な事言うねぇ・・・。ケンカでもしたのかい?」
公園での一幕の後、宿に帰って皆一緒に夕食を取ったが、その時はすでにハロルドはいつものままだった。
なにかあったなど、微塵も感じさせない明るい声で、目の前のカイルをからかい、ジューダスに笑みを向け、塩を取れだの、フォークが落ちただの、騒ぎ立てていた。
流石のナナリーも、なにも察しなかったらしい。
いや、とジューダスが言いかけた、ちょうどその時だった。
ばたばたと足音を響かせ、薔薇色の髪がぴょこぴょこと階段の手すりの陰を踊っているのが見えた。
なにを急いでいるのかハロルドは、一気に階段を駆け下りてきたようだった。
「・・・今度はハロルドかい。」
こんな時間にどこへ行こうってのさ!とナナリーが、子供を叱りつける母親のような口調で言うと、
「あ、ナナリー。」
と、興奮しているかのような陽気な声で、ハロルドが言った。
「外よ、外!もう、すっごいの!」
「すっごい?」
「なにがだ?」
思わず、声に出してナナリーと一緒に問いかけてしまったジューダスに、ハロルドは気がつき、
「・・・・・。」
「・・・・・。」
「ジューダス。どこ行ってたの?こんな時間に?」
一瞬の間をおき、何気なさを装って、マントを着たままの姿を指差す。
その表情に浮かんだ、微妙は変化を、ジューダスは見逃さなかった。
そこには、緊張が現われていた。
「・・・少し、風にあたっていた・・・。」
「・・ふぅん。」
ハロルドは、踊り場の手すりから身を乗り出して、ジューダスを見下ろす。
ジューダスもそれを見上げる。
そのまま、少しだけ間をおいていると、
「・・・じゃあ、あたしは戻っているよ。」
今度こそ、何かを察したらしいナナリーは、気を利かせたつもりなのか、先へと部屋へと戻ってしまう。
「・・・・・。」
「・・・いっちゃった・・・。」
残されたふたりは居心地悪い思いをしながら、それでもいきなりその場から逃げ出す訳にもいかず、無言のまま、見つめ合っているしかない。
「あ、そうだ。」
と急ににっこりと笑って、ハロルドは、小さなものをジューダスへと投げた。
ふいうちだったにも関わらず、上手にそれを受け取り、ジューダスはハロルドを見上げる。
「・・・なんだ?」
「あげる。昼間、あげ損なったから。」
「・・・・・。」
手の中のそれは、綺麗にリボンが結ばれた水色の小箱だった。
手の中の軽さと、その大きさを想像すれば、それがおのずと、ヴァレンタインのチョコレートと知れる。
だが、ジューダスは聞いた。
他になにか言うべき言葉が見つからなかったのもあるし、そのまま無言でいる事の空気の味気なさが、もっと嫌だった。
「・・・中身は、なんだ?」
「開けてみれば?」
その言葉は逆にハロルドには、カチンとくるものらしかった。口調が少しだけ冷たくなっている。
怒らせるつもりはさらさらないので、ジューダスは言われるまま、素直に箱のリボンをほどく。
出てきたのは、なんの飾りもない白い小さな丸いケーキで、ホワイトチョコレートでコーティングされた表面がすべすべと、まるで石鹸のようだった。
だが、香りは甘く、シャボンの、食欲をなくすあの匂いとはほど遠い。
「・・・美味そうだ。」
思わず感想が漏れて、それを聞き逃さなかったハロルドは、今度こそ満足そうに、にっこりと笑った。
「美味しいわよv」
「・・・貰う。」
「どーぞv」
あんたに買ったんだしね、とハロルドは歌うように言う。
小箱に蓋をし、ポケットにしまいながら、ジューダスは思い出したように、顔をあげた。
ハロルドは相変わらず階段の踊り場から動かず、手すりに頬杖をついて、ん?とジューダスに首を傾げて見せた。
「そういえば、お前・・・。何を急いでいたんだ?」
「あ、そうだ!」
ぱちん、と手を打ち、ハロルドが言った。
声は一段と高くなり、いつもよりも早口になっている。
「月よ、月!!すっごいの!綺麗で大きくて、光が強くって・・・!銀色に輝いているのよ!」
「・・・ああ。」
その事か、とジューダスは思った。
「なによ、そのそっけない答え。見たの?」
「ああ、見た。」
確かに、ハロルドの部屋を見上げていた時、木と屋根の間に丸い大きな月が浮かんでいるのが見えていた。
だが、とジューダスは思う。
その月を見て、なにも感じるところはなかった。
あるものが、当然のようにある。そういう感想しか、言えと言われても、浮かばない。
けれど、ハロルドの目には違って見えるのだろう。
そういう基盤の時点でもう・・・。
自分とハロルドは違うのだ。
「月の満ち欠けと海の満ち引きの関係って知ってる?」
「・・・ああ。」
知ってはいるが、あまり詳しくはない。
そう言うとハロルドは、ふふふと笑った。
「それでも良いのよ〜。まったくロニったら、全然ピンともこないんだから。説明する方が馬鹿らしいわ。」
「ロニに、その話をしたのか?」
「したわ。そしたら、途中で訳が分からないとか言って、てんで聞いちゃいないの。カイルなんて、頭の上におっきな?マーク浮かべて、相手にもならないし。」
「まあ、あいつは・・・。」
その姿を想像し、ジューダスは思わず、口元を緩める。
「そうだろうな・・・。」
「でしょ〜。でさぁ・・・。」
「ちょっと悪いんだけどね、お客さん。」
ふたりが割り込んできた声に振り向くと、宿屋のおかみが、大きなおなかの前に回したエプロンで手を拭き拭き、こちらへと歩いてくるところだった。
なんだ?と不機嫌そうに見るジューダスと、きょとんとしているハロルドの顔を交互に見比べ、
「仲が良いのはいいんだけどね・・・。話しをするんなら、移動して貰えないかねぇ。この時間だし、廊下は声が響くんだよ。もう30分も立ち話してるじゃないか。」
と、困り顔で言った。
「・・・・・。」
「・・・・・。」
なにもふたりが無言になったのは、怒られて面目を失くしたからではない。
気がつけば、30分も立ち話をしている、というその事実に、少なからず動揺した為だ。
ふたりとも、まるっきり自覚などなかった。
だが、言われて見れば、ずっと同じ体勢でいた時特有の痛みを、体のあちこちに感じる。
ごめんなさい、と素直にハロルドが謝ると、おかみは、じゃあ頼むよ、と言って、去っていった。
まだ洗い物でも残っているらしく、台所へと戻っていく。
この職業も楽じゃないなぁ、とハロルドが言うと、どんな職業も楽ではないさ、とジューダスが言った。
ないよそれ、年寄りみたいに悟りきっちゃって、と言いながら、ハロルドが宿の玄関へと向っていくのに気がついて、ジューダスは少しだけ慌てて、それを止めた。
「・・・どこに行く?」
それこそこんな時間に。ほとんどの人間が、すでに眠りについている。
「どこって、月。」
「月?」
「さっき言ったでしょ。綺麗なのよ。見逃す手はないわ。昼間あんたに連れて行ってもらった高台からなら、遮るものもなくってよく見えるだろうと思って。」
ハロルドはそう説明しながら、玄関の置かれたベンチに腰を下ろして、ブーツを履き始める。
「・・・・・。」
「なにをじろじろ見てるのよ?」
左側を履き終えて、後ろで無言で見ているジューダスを、ハロルドが不機嫌そうに睨みつける。
「なによ、なんか文句でも?」
そう言って右の片方を手に取ると。
「それとも、あんたも一緒にいく?」
「ああ。」
ブーツに入れていたハロルドの足先が一瞬、動きを止めた。
ジューダスの方は・・・思わず口に出てしまった言葉だったが、取り消す気は毛頭なく、自分もハロルドにならって、さきほどしまったばかりの黒いブーツを手に取った。
それを見て、そっけなく、
「そ。」
とハロルドは言うと、じゃあ、行きましょうか、と立ち上がって、ジューダスに並んだ。
男として小柄だというのは、少なからずコンプレックスだった。
それでも、ヒールを履いてもハロルドの方が自分よりも、段違いに小さい。
そんな事を思いながらジューダスは、ハロルドの為に、宿の玄関のガラスの扉を開ける。
ガラスを曇らせていただけあって、外の空気は、冷たかった。
fin
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