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愛しのポーセリン |
芳しきも、悲しきかな、その美貌。
それはなんだかいい得て妙で、ジューダスは、自分の頬に手を当てた。
トレードマークの、仮面は今はない。
ここにくる途中の戦闘で、別段晶術を使うわけでも、対して強くもないモンスター相手に一撃を喰らい・・それはまさしく油断からきたものだ、と舌打ちしても失態である事は変わりなく・・・彼の仮面はまっぷたつに割れた。
全員が意外に思って、ジューダスを振り返ったその表情を思い出す度、いたたまれない気持ちにすらなるなかで、ハロルドだけは、まさに、恐竜の最後の咆哮って感じだったわよね、あれは。と笑い、ジューダスに睨まれたものだ。
木の爆ぜる音を聞くと、少しだけ懐かしい気持ちになる。
あんた一応男なんだから、寝ずの番しなさいよね。
ふざけるな。そうやって面倒な事を押し付けようというお前の魂胆は分かっているんだ。
ほらほら。すぐにそうやって言い逃れしようとするところが、男らしくないっての。
お前こそ、誤魔化すな。・・・昨日も一昨日も僕がやっただろうが!第一、なんでアイツはやらないんだ?
アイツってスタンの事?ダメダメ。あんな寝汚いヤツが、夜、役に立つわけないじゃない。
記憶だけなら何年も前のものでもない。
だが、思い出す度、飛来する懐かしさは、なにを根拠とするものだろう。
細い蒔を炎の中に継ぎ足して、ジューダスはふたたび自分の頬に手を伸ばす。
仮面をしていない頬に時下に触れ、そのまま膝上に頬杖をつこうとして、腕を動かせばすぐ近くに横たわっている違う頭に、振動を与えてしまうことを警戒した。
仮面が割れてしまったため、1番近かった街には入れなかった。
そこは過去、リオン・マグナスとして訪れた事がある場所だった。18年もたった今、昔会った誰に見られたとしても他人の空似としか思われないだろうが、念の為、僕は遠慮すると言うと、自分だけおいて宿へ行けば良いものを、親切心のカタマリで妙な連帯感だけはある一同が、野宿につきあうと言い出した。
それで責任を感じて寝ずの番を引き受けたは良いが、静かな夜を過ごせる筈が、今日に限って、いつまでたっても寝ないヤツがひとりいる、ときている。
ハロルドが眠ったのは、ついさっきだ。
つい先ほどまですぐ隣に座り、今ジューダスが自分で触れている頬に、赤く色つけた爪をゆっくりと滑らせていた。
あんた本当に綺麗な顔よね。近くで見れば見るほど完璧よね。まるで作り物みたいよね。と何度も何度も。
ジューダスは頬から手を離す。
見下ろせば、ハロルドのピンクのわた毛が、膝の上に乗っていない方が不思議なほどの近い距離で揺れていた。
ジューダスは眉間を指で押さえる。
少し熱っぽい気がしたのは、炎のせいだろうか。
野党とモンスターから守る、という約束で買い付けにいく馬車に乗せてもらえたおかげで、翌日は陽の落ちる前に、違う街へと辿りつく事ができた。
そこは、おもちゃ産業が盛んで、18年前の争乱以降、その利益により栄えた街だそうで、街角のショーウィンドウに並んでいるのも、なるほど他の街と比べて圧倒的におもちゃが多い。
「何か買いたいんじゃねぇのか?」
というロニのにやにや笑いのからかいの言葉を、カイルは頬を膨らませ、
「誰がだよ!」
と言い返しているものの、視線はどこか、そわそわと彷徨っている。そんなカイルのやせ我慢をよそにリアラは
「わたしたちは後で、おもちゃのブローチ見に行かない?」
などと言う。
女性陣は現在、ビーズにアクセサリー作りに夢中で、器用なナナリーや、大胆な配色のハロルドや、繊細なデザインのリアラの、それぞれが個性のあるものを作ってはお互いに交換しあっている。
ビーズのアクセサリーのなかに組み込むと、おもちゃのブローチもデザインによっては、とてもそうは思えない洒落た仕上がりになるのだそうだ。
全員が色とりどりの店先に気を取られながら歩いていると、いきなり、くんとマントが引かれる感じがして、ジューダスは立ち止まる。
振り返れば案の定、ハロルドが横を向いたままで、ショーウィンドウを覗き込んでいる。
「ハロルド。」
「んー?」
「立ち止まるなら声をかけろ。いきなり人のマントを引くなといつも言っているだろう。」
「んー。」
答える声は上の空だ。
ジューダスは溜息をついた。他の皆はハロルドが立ち止まった事に気づきもせず、どんどんと先を進んでいく。
ジューダスは数歩を戻り、ハロルドの横に並んだ。
「聞いているか?」
「んー。」
全然聞いていない。
「・・・今度はなにを見つけたんだ。」
「この子。」
ハロルドはショーウィンドウの中のものを指差す。
指の先を追うジューダスに視線の先にあったものは・・・長い金色の巻き毛。碧いぱっちりとしたガラスの瞳。ブルーの上の白いエプロンドレス。
男のジューダスから見ても、綺麗な少女の人形だった。
「・・・・・。」
ハロルドが実は、人形好きだというのは、わりと知れた話だ。
ぬいぐるみが異常に好きなので、そちらばかりの印象があるが、要するにハロルドは、幼女の好きなものは全て好きなのだ。
ただし、大人ゆえか、本人の性格ゆえか、ハロルドの嵌り方が変わっている為、人形だけはやめてくれ、と周りから懇願され、しぶしぶ見ているだけに留めていた。
真夜中に目を光らせて立ち上がる人形など、1度でも見た日には夢にまで出てくるに決まっている。
「人形はダメだぞ。」
「うーん・・・。」
いつもはそう言えば諦めるのに、今回に限ってはそれもない。今にも食いつきそうな真剣な顔で、ハロルドは人形に見入っている。
「・・・これ、ポーセリンだと思うんだけど・・・。」
人形の顔、手、足、など肌の部分を陶器でつくり、1度焼いて化粧を施したものをポーセリング。さらにもう1度焼いて色を定着させたものを、ビスク、という。
「・・・欲しいのか?」
「うん。」
ジューダスの問いに、ハロルドは即答する。
「すごく、綺麗。完璧よね。」
「・・・・・。」
うっとりと見上げるハロルドに、
「人形はダメだ。」
ジューダスは言い、行くぞ、と先を促す。
「・・・・・?。」
なごり惜しそうに振り返るハロルドを無視して、一歩を踏み出したかけたジューダスは、視線を感じて立ち止まった。
誰ともなく見られている気がする。
一瞬、ばれたか、と身構えたものの、この街は18年前はなかった筈だと思い直し、やっとショーウィンドウの前から動いたハロルドを伴って、仲間達の後を追った。
宿屋は幸運は事に3人部屋が2つ空いていた。
ふところが豊かな時などは、ひとりずつ一人部屋を取ってゆっくりしようという事もあるが、逆に持ち合わせが少ないとふたり部屋に3人で入るという時もある。ひとりでベッドを使えるのは、それだけでありがたい事だ。
主人から鍵を渡され、部屋に案内する為に客室係の娘が呼ばれた。
だが、その客室係は、いきなり途中で立ち止まる。それからこちらをぽかん、と見たまま動かない。
「・・・・・?」
首を傾げる一同に、はっと我に返り客室係の娘は顔を赤らめ、ご案内しますと早口で告げた。
その後ろ姿がなにやら、緊張している。
「・・・ジューダスだね。」
ナナリーが可笑しそうに言った。
「え?」
「あの子の反応さ。」
聞こえぬように小声でナナリーは客室係の娘を指差す。
「ジューダスの顔を見て、立ち止まった。いきなりで動揺したんじゃないかな?・・・あれだけの美形だしね。」
「そうね。」
にっこり笑って、リアラも同意する。
そのジューダスは、案内のすぐ後ろ、仲間の1番前を歩いている。
それを聞きとがめ、げ、と声を漏らしたのは、残りの男ふたりだ。
「ちょ、ちょ、リアラまで!」
「なんだ、それ。」
女ふたりに詰め寄る声は、なにやら楽しげなやりとりに代わり、それを後ろに聞きながら、ハロルドは、ふうん、と思った。
客室係の視線が真っ先にジューダスに注がれたのを、ハロルドも気がついていた。
仮面が取れた今、あれだけの美貌が、人目を引かない訳がない事も。
ただ。
こんなに早い時期に反応があるのは、計算外だった。
日が暮れれば子どもは家に帰る。
なかにはもっと遊びたいと暮れ行く空など無視して、親に迎えに来られ、イヤイヤ手を引かれていく子もいるが、それが大人になると始末が悪い。
ハロルドの居場所は、今や店先、と決まっている。
図書館に入り浸っている姿など、まるでなかったかのようだ。いや、図書館にも結局は、店が閉まった夜に行く事は変わりないのだが、今や店のショーウィンドウが木製の戸を締めるその瞬間まで、石畳の上に時下にぴたんと座り込み、膝を抱えて動かない。
買ってくれない親への抗議で、おもちゃ屋の前に座り込む子どもの姿と、それは非常に似ている。
しかも、それが的外れな表現でもなんでもない。
「ハロルド。」
座り込みの子どもの背中に、ジューダスは声をかける。
ハロルドは、うーともむーともつかない小さな唸り声をあげ、その格好のまま振り向いた。
「夕食の時間だ。帰って来い。」
「これ、買って良い?」
「何度聞かれても、ダメだ。」
「うー。」
「いい加減諦めろ。第一、陶器なんだろう、それは。持ち歩けば割れる。」
「・・・う。」
「それだと可哀想だろう。」
「あんたにしては、ロマンチックな言葉。」
「そう思って、諦めろと言っているんだ。」
ほら行くぞ、とジューダスはハロルドを促す。
ハロルドは渋々立ちあがる。
その顔はとても納得したようには見えないが、今回は夕食へ呼びに来ただけだし、それで十分だ。
その時、ハロルドとジューダスの間で扉が開いた。
それは調度、ジューダスの目の先と、ハロルドの鼻先のことで、ふたりを分かつ様にして開いた扉の中から、小柄な人物が現れる。
「・・・・・。」
「・・・・・。」
思わず、ふたりして言葉を失った。
眉に位置できっちりと揃えられた前髪と、腰まで届く長い黒髪。大きな瞳は木々の青さを連想させる深いグリーンで、鼻も口も小さく、頬は薔薇色に染まり、肌は雪のように白い。
黙って立っていれば、誰もが人形と間違うかもしれない。そんな、文句もつけようもない美少女。
少女は、ハロルドを見、次にジューダスを見上げ、少しだけ目を見開いた。
それから、小さく会釈をし、去っていく。
「・・・・か・・可愛い・・・。」
ハロルドも思わず、つぶやく程だったが、横からは相変わらずというか何の反応もない。
ジューダスは上出を組んで、彼女の行方を目で追っているように見えた。
だが別にそれだけのことだったように、おもむろにその腕を解き、
「行くぞ。」
そっけなく、ハロルドを促した。
その日は、冷える夜だった。
きりりとした空気を纏いたくなり、ジューダスは宿を抜け出した。
特に目的もなかったが、見上げれば、どこまでもついてくる大きな月も、今日は冷たく冴えきっている。
小高い丘にあった公園を、目指すことにした。そこには見晴らし台があった。きっと満月が照らす街の姿を一望できるだろう。
この街は意外と入り組んでいて、迷路のようだった。
1度、昼間に通った道を選らび、ゆるりとした坂の細い路地を上がっていくと、やがて、小さく割られたタイルが地面に絵を描く広場へと出る。
中央にある噴水の、その円形に沿ってベンチが置かれていたが、今は人一人いない。
月の見える夜こそ、カップルでもいそうなものだが、ジューダスにとってはその方が都合が良い。
人気のない広い場所は、寒々としているのと同時に、開放感も味わえる。
いくらか、胸に吸い込む空気も澄んでいるような気持ちがして、ジューダスはそれを楽しみながら、見晴らし台へと足を進めると・・・・。
そこに、人のシルエットを見つけて足を止めた。
人気を嫌った訳ではなく。
それは良く知る小柄なシルエットだったからだ。
「あら?ジューダス?」
偶然ねー、と手をひらひらと振りながらハロルドは言った。
「・・・・・・・。」
折角、ひとりの時間を楽しめると思ったのに、よりによってこいつ、とジューダスは頭を抱えたくなった。
「なにしてんのよ〜?こっち、こっち!」
今にも回れ右して帰りそうなジューダスの雰囲気に、先手を打ってハロルドは呼ぶ。
ジューダスは見るから嫌そうに近寄ってきたが、ハロルドは気にもせずにっこりと笑うと、座っている場所をずれて、自分の横に招いた。
ジューダスは無言でそこに座る。
いつもは、ジューダスが黙っていると勝手に話しかけてきたり、鼻歌を歌ったりして落ち着かないのに。
ハロルドも無言だった。
ふたりは調度、同じ角度に顔を傾け、見る先には、大きな丸い銀色の月。
それだけそうして時を過ごしていたか。
「・・・綺麗だな。」
「・・・うん。」
いつもなら、話しかけられでもしない限り何も言わないジューダスの方から言葉を投げる。
いつになり沈黙の時間がなんとはない気まずさに似た雰囲気を齎したからかもしれない。
本当に綺麗な月だった。
銀色の月光に、地上に振る粒子さえも見えそうなほどで、繊細で、威圧的で、圧倒的だった。
「綺麗ね。」
ハロルドが言った。
「ああ。」
そう返事をしたジューダスはその時、月の話だと思っていた。
「本当、綺麗・・・。」
ふ、とジューダスの右側に影がさした。
そして、頬をすべる柔らかい感覚。
ジューダスは黙っていた。
ハロルドも黙したままで、離れる時、にこりと笑った。
ジューダスは気配でそれを感じて・・・月に向いていた視線を、自分膝へと落とす。
気がついてしまった。
「ハロルド。」
ジューダスは言った。
「僕は、人形じゃない。」
お前が好きなのは。
この人形のような顔だけだ。
店の前に座り込み、ぽけっとハロルドは頬杖をついている。
視線は中の、ショーウィンドウの中に注がれたまま動かない。
「おい。」
「んー。」
はぁ、とおおげさな溜息とともに、
「おまえさぁ。なんだってこんな所に座り込んでるんだ?」
心底呆れているロニの声にも、ハロルドは顔もあげない。
反応のないハロルドに、無視かよ、とぶつぶつ言った後、なにをそんなに熱心に見つめているのか興味があるのか、ひょいと長身を折り曲げ、ハロルドと同じ視線で中のものを覗き込んだ。
「なんだ?人形か?欲しいのか?」
「・・・うん。」
「買やぁいいじゃねぇか。」
ロニはあっさりとそう言う。
「これ、陶器なのよ。」
「へぇ。」
「持ち歩くと割れちゃうでしょ?」
「はぁ?」
ハロルドの悩みの原因を説明すると、ロニはすっとんきょうな声をあげた。心底、理解できない、というように。
「なに言ってんだ?お前。作れば良いだろ?」
「何を?」
それこそ、何を言ってるんだとハロルドは、頬付けをついたままの姿勢でロニを見上げる。
「入れ物だよ、入れ物!!」
「・・・・・。」
「ほうり投げても何しても、中の物に振動を与えない箱かなにか作れねぇのか?お前ともあろう者が!」
ハロルドはびっくりする。
「あん?」
その視線に、逆にロニは不思議顔だ。
「それよ!」
ハロルドはぱちん、と指を鳴らした。
「そうよ!容器を作れば良いんじゃない!私とした事がそんな事にも気がつかないなんて!ロニ、あんたって頭良い!」
「おいおい。」
口先だけの褒め言葉と分かっていても、いつもバカバカ言われるのに比べれば、悪い気はしないようで、ロニは苦笑をする。
ハロルドはいそいそと立ち上がった。
「さ、じゃあ、早速宿に戻りますか。」
「おう。」
そもそもロニは、いつまでたっても戻ってこないハロルドを、昼食だと呼びに来たのだ。理由はなんにしろ、帰ってくれるならば文句はない。
そう思うのに、ハロルドがお尻を叩きながら立ち上がったそのわずかな時間に、余計なおしゃべりをふってしまうのは、たぶん、いつ言おうかと気になっていたからだろう。
「ところでよ・・・。」
「うん?」
「噂、聞いているか?ヤツの。」
「知ってる。」
とんとん、と地面を蹴って、ハロルドは顔をあげた。
「この店の娘、だって?」
「うん。」
ショーウィンドウではなく、店の看板を指差すロニに、ハロルドは頷いた。
「ここの孫娘。もう、すっごく可愛いの。生きたお人形みたいよ?」
「へぇ。」
美少女の話に、別段興味も湧かないという態度で、ロニは相槌を打つ。
「年も16歳くらいだし。調度、アイツとつりあうんじゃない?」
「それで?」
「めずらしいのね?美女の話なのに、そういう態度。」
「美女の話じゃなくってよ。」
ロニは言った。
「アイツの話だろうが?アイツと、良い仲なんじゃないかって、噂になっている。その話をしてるんだろう?」
「そうだけど・・・。」
あ、もしかして面白くないから拗ねてんの?というハロルドに、ちげーよ、とロニは言った。まあ、それはそれで外れてもいないのだろうが。
「・・・お前は良いのかよ?」
「なにが。」
他に言いようがない、という口調で、ハロルドは看板を見上げる。
なんの変哲もない、木製の看板だ。ふちに塗られたペンキは緑だった。
「仕方ないんじゃない?そういうのは。」
「・・それで納得できるって訳か?」
「うん。」
ハロルドは言い、にっこりと笑って、ロニを振り返る。
「だって。」
その瞳に、艶やかな色が差した、と思ったのはロニの気のせいだろうか。
「どのみち、旅人と町娘じゃない。すぐに別れる事になる訳でしょ?気にする程のことでもないわ。」
聞いていますか?というように、目の前の黒髪が揺れるのに気がつき、ジューダスは微笑を浮かべる。
そうして得られる効果は、十分に承知している。
案の定、少女は少しだけ頬を染め、俯きかげんに顔を伏せると、はにかんだような笑みを返してくる。
こういう一種の初々しい反応をする女性を、最近見かけなくなった、と思うのは、自分が擦れたからか、擦れた女とばかりつるんでいるから、なのか。
たぶん、両方だろう、とジューダスは思う。
新しい街に入れば、声をかけられる事は、今までも何度もあった。
やたらともったいぶり自信たっぷりに話かけてくる女の、ぎらぎらした瞳に晒される事もあれば、さりげなさを装いながら、その実、しっかりと目で追いかけてくる視線を感じる事も間々ある事で、実際のところ、ジューダスには、その日、見かけただけ、会っただけという相手に対して、どうしてそこまで興味が持てるのかが理解できない。
だが今回、ますますそれがエスカレートした原因は、間違いなく、自分が仮面をしていないせいだ、と思う。
自分の正体を隠すためのそれは、それまで、言い寄ってくる人間を牽制するだけの効果もあったようで、箍が外れた今となっては、後を絶たない不躾な視線に、それこそ舌打ちのひとつもしたくなるというものだ。
18年前。
リオン・マグナスを名乗っていた時は、すでにこういう不躾な視線に晒されていたのだろうか、と思い返して、ジューダスは、しっかりそんな事は意識の外においていたらしい、なにも覚えていない自分に、都合の良い記憶の改竄があっても可笑しくないな、と思った。
相手の飲んでいるカップが、空になるのと同時に、ジューダスはポットを手に取り、紅茶を注いでやる。
ありがとう、と礼を言うその声は、可憐なものだが、男になにかをして貰う事に、慣れている響きが含まれていた。
どういたしまして、と口元で笑って返し、ジューダスはきっと自分の目までは笑っていないな、と自覚した。
まったく、なんでこんな事。
目の前の少女には、店の前で会った時、別段、興味も持たなかった。
後に、街で向こうから挨拶されたのをきっかけに、観察してみれば、どこにも気位が高いところがなく、人を疑うでもない、その気質が気に入った。
それよりも確かに、その容姿も気に入っていた。美しい事は疑いようもない。
そもそもは、あいつが言ったのだ。
あれほど、綺麗な子は見た事がない、と。偶然、店先で出くわした、あの後で。
まるで感心したかのように、うんうん、と頷く様を見て、腹が立った。同時に、だからこそ、彼女を選んだ。
当てつけかよ、眉を顰めたロニに対して、連れ歩くのに悪くないしな、などと言い放ったのは、なにも冷酷の証ではなく、逆に胸の中に渦巻く怒りを吐き出した結果だった。
ああ、そうだ。
自分は、少しだけ後悔している。
別段、ロニが疑っているような親密な関係ではない。
この街から離れた事のない、少女は、長く旅をする者の話を聞きたがっているだけ。その相手をしてやっているだけだった。
だが確かに、当てつけなのは間違いない。
人形には人形。
お気に入りの人形同士が並んでいる姿は、あいつにはどう映るだろう。
綺麗なものが並んでいると喜ぶだろうか。
それとも、あいつと同じ事をしている自分を見て、人形扱いされる者の気持ちが、少しは分かるだろうか。
店の中をなんとはなしに眺めれば、こそこそとこちらを伺う者もある。
噂になっているのは、百も承知だ。
そもそも、娯楽の少ない街では、いつでも旅人というものはセンセーショナルな存在ではあるのだ。それが、自分の街の者と親しくしているともなれば、邪推する人間も少なくないだろう。
ぼんやりとそんな事を考えていると、少女がなにかを言った。
それが、ふと耳に残る。
なにか聞き逃してはいけない情報だったような気がして、ジューダスは目の前の風景に焦点を合わせた。
そして、もう1度聞き返そうとして・・・。
「ジューダス。」
いきなりの闖入者の、自分を呼ぶ声に、そちらを見た。
「どうした?」
無視するつもりだった己の意思に反して、思わず声をかけてしまった自分に、ジューダスは舌打ちする。
ハロルドが突然現れる時はいつも、なんらしかのトラブルを持ち込む時、と決まっている。
店の中までずかずかと入ってきたハロルドは、声につられて振り返った少女の顔を興味もなさそうにちらり、と見ると、すぐにジューダスに向き直った。
それ以外は用はない、と言わんばかりに。
まっすぐに向けられた視線は強く、けれど、燃えるようなそれとは反対に、唇には社交辞令の笑みを浮かべている。
だが、雰囲気がなにげに、拗ねていた。
困っているから、助けてよ、と唇は言葉を紡ぎ、本当に途方に暮れている者がそうするように、下がった眉と、曖昧な笑みが、それを証明してみせているようだった。
だが、演技かもしれない。
そもそも、ハロルドが拗ねるとしても、それが本物の一大事とは限らない。
それでも、ジューダスは席を立った。
すまないがすぐ戻る、と短く少女に断りを入れ、店の外へとハロルドを連れ出す。
窓からは見えない位置へと移動し、店のベージュの壁に落とすハロルドの影に、ジューダスは話しかける。本人と向かいあわないのは、意地を張っているからだ、と自分でも思う。
「・・・それで、どうした?」
「別に、どうって事はないんだけど。」
答えたハロルドは、それはそれで、普通のハロルドだった。
「あんた、あんまり楽しそうじゃないから、連れ出してあげようと思って。」
そのきめつけた言い草に、思わず、怒りがこみ上げてきた。
ふざけるな、と怒鳴りそうになったが、ジューダスはひと呼吸し、衝撃を胸の奥へと押し殺す。こいつの自己中心的な物の言い方はいつもの事だ。
「・・・お前の見間違いだ。」
わざと平坦な口調で答えてやれば、
「そう?」
「ああ。」
「じゃあ、もっと楽しそうにすれば良いのに。」
けろり、とした態度の中に、嫌味な響きを感じ取り、ジューダスはますますイラついた。
だが、それを露にはしない。
今の怒りは、図星の怒りで、言い当てたハロルドを責めるのは、おかど違いだ。
代わりに声に精一杯、感情を込めないように心がけ、そんな事なら後にしてくれ、と言い放ち、背を向けようとしたその時、
「待って。」
ぐん、とマントを引かれ、ジューダスは立ち止まる。
「・・・・いなくなっちゃったの・・・。」
なんだ?とジューダスが不機嫌な声で聞き返すよりも、ハロルドの声の方が早かった。
それはあまりにも落胆していて、悲しげな声だった。
あからさますぎて、またしても、演技ではないか、と一瞬、疑ったほどだ。
思わず、まばたきをして・・・
「誰がだ?」
その意味が図れず、ジューダスは聞き返す。
「あの子。」
「だから、どの子だ?」
「店の。」
「・・・・・。」
ああ、とジューダスは思い当たる。
ハロルドが店の、と言うなら、それしかない。
「・・・別の誰かに、買われたのか?」
「・・・・・たぶん。」
「どうせ、買えなかったんだ。これで諦めがつくだろう。」
冷たい口調で突き放すと、ハロルドは、でも、ともごもご言う。
「なんだ?」
「・・・やっぱり、買おうと思ってたの。」
「・・・・・人形はダメだと言ってるだろう。」
「・・・そうだけど。」
ジューダスは溜息をつく。
イラつくし、こんな話は無意味だ、と感じる。
そもそも、なくなってしまったものは、どうにもできない。
そんな事、相談されたところで、なにを求められているのか、分からない。
だが、口から出たのは、心の中とは違う言葉だった。
「・・・聞いてやろうか?」
「・・・・・。」
「他に同じ人形の在庫がないか、聞いてやろう。」
売れてしまったとしても、同じ人形が店には入ってきてたかもしれない。
おりしも、一緒にお茶を飲んでいるのは、その店の孫娘だ。
それで、店に戻ろうと一歩を踏み出しかけたというのに、
「いいの。」
ハロルドがマントをひいて、言った。
「・・・なに?」
「いいの。それは。」
「・・・なにがだ?」
再び、怒りがこみ上げてきて、ジューダスはハロルドを睨む。
人形がなくなったというから、他にないか調べて貰おうというのに。
なにがそんなに気に入らないんだ。
そして、結局のところ、お前はなにが言いたくて、僕になにをして欲しいんだ。
「だって・・・。」
ハロルドが言った。
「・・・あの子が良いんだもん。」
「・・・・・。」
思わず、無言になってジューダスはハロルドを見返す。
「同じ人形があったって、それってあの子じゃないでしょ?私が欲しかったのは、あの子だもん。同じ顔した他の子じゃなくって。」
「お前・・・。」
バカか?とジューダスは言った。
個体差を求めてどうする。たかが、人形だ。
「あんたって、本当。」
それを聞いたハロルドは、逆に目を吊り上げる。
「なにに対しても、愛情が薄いわよね。」
「・・・・・。」
「個体差を求めるわよ、いけない?同じ人形があっても、私が気に入ったのはひとつなのよ。他はその他にしか過ぎないの。似た、別のもの。それが愛情ってものじゃないの?」
「・・・・・。」
たかがそんな事、と言った事に対して、ムキになっているハロルドに、ジューダスはびっくりしてしまった。
それでも、単なる物だろう?と少しばかりの混乱と共に言い訳してみれば、
「それが分かってないんだってば!」
と、とうとうハロルドは声を荒らげた。
ハロルドの後ろで、声を聞いた通りすがりの人々が驚いて振り返ったのが見える。
これでは痴話喧嘩に思われるだろう。
「私の好きなものに、代替品はないの。大事なものはひとつなの。他じゃダメなの、他じゃ。あんたにだったあるでしょ?同じレイピアでも、使いやすいもの、悪いもの、多少刃こぼれしても直して使いたいと思うものがあるでしょ?同じように見えても、全部違うのよ。まるっきり同じものはこの世にないの。私がその中で選んだ、ひとつのものしか価値を見出さないの。他じゃ意味がないのよ。可愛い人形だから好きなんじゃないの。あの人形だから好きなの!これだけ言っても分からない?」
いつもは奇抜な行動をしながらも、冷静で、計算高い女が、こんなヒステリックな声で怒るとは、とジューダスはあ然とした。
たかが、物の価値感の差の話だ。自分と、ハロルドの。
それが、そんなに激情的になる事柄なのだろうか。
そうぼんやり思った時、ふと、鈍感な胸を突き上げてくる言葉が、生まれてくる。
ハロルドは今。
人形の話をしているのだろうか。
それとも・・・・・別の?
「あんた、聞いてるの?」
今やハロルドは噴火寸前の、火山のようだ。いや、もう噴火はしている。
更にそれに、無反応のジューダスの態度が、怒りを呼んでいるらしい。
「・・・ああ。」
それを感じて、ジューダスはいくぶん慌てて返事をした。
「分かった。」
「本当に?」
「ああ・・・。他の人形じゃ意味がない、という事なのだろう?」
そして。
いかに人形のように美しい顔でも、それだけでは価値はない、という事だ。
「そうよ!」
ふん、と怒るハロルドだが、それでも、納得したジューダスの態度を見て、少しは落ち着いたらしい。
上気した頬に変化はないが、あきらかに、怒りとは違う種類の息をつく。
それは分かったが、とジューダスは言った。
「・・・だからと言って、どうするんだ?買われてしまったものはどうしようもない・・・・・。」
そう言うと、ハロルドはしゅん、とうなだれる。
「そうなのよ・・・。」
その時、
「あの・・・。」
声の主を、ふたりして、振り返った。
少女はふたりの同時に見られ、少しどきまぎした様子で、それでも、ハロルドとジューダスの顔を交互に見比べる。
「お話・・・聞こえてしまって・・・。」
「あ〜・・・。」
窓辺に座っていた彼女からは見えない位置にいたとはいえ、ハロルドの激怒した声は聞こえてしまったのだろう。
いくら相手が一応恋敵とはいえ、彼女は子どもで、ハロルドは大人だ。
くだらない(ハロルドにとっては一大事だが)喧嘩に巻き込まれたら、いかに気まずいかくらいは思いやるだけの心の余裕がある。
「ごめんね・・別にたいした事じゃ・・・。」
「その人形って、ブルーのエプロンドレスの子、ですよね?昨日まで、うちの店に飾ってあった。」
ハロルドの取り繕うような言い訳は、それでふっとんだ。
「そうだけど・・・。」
「売れてませんよ?」
「「え?」」
ふたりして、目を丸くした様を見て、少女は笑った。
人形ひとつのことで、良い大人が大喧嘩していたのが、なんだか微笑ましかったらしい。
「あの子・・・実は祖父のオリジナルのポーセリン人形なんですが。値段が高いので、1年経っても売れないからって、祖父が店先からかたずけてしまったんです。今、修復をしているところです。」
そう言って、少女はいたずらっぽくハロルドを見た。
ああ、そうだった、とジューダスはそこで思い出す。
先ほど、お茶を飲んでいたとき、少女はその話をしかけたのだ。
うちの店先にある人形が、修復されることになって、と。
「見に行きますか?」
「・・・もちろん!」
目を輝かせ、ハロルドは即答した。
一旦、失くしてしまったかと思った物が返ってきたという安堵感からか、頬が今までと違う風に上気している。
それに対して、少女はにこりと微笑む。
その様を見て。
どっちが大人だか分からないじゃないか、とジューダスは密かに笑った。
人形のドレスの修復には3日かかる、との事だった。
故に、別段用事もないというのに、更に一同は、3日間のこの街の滞在を余儀なくされた。
人形はあっさりとハロルドのものになった。
もっとも、今まで売れなかったのだから、文句がある筈もないのだが・・・少しだけ、少女の話と、真相は違っていた。
彼女の祖父は毎日店先で、座り込んでまでこの人形を見ているハロルドに、気がついていた。
それで、もうそろそろこの人形も引き取られる次期が来たのだ、と予想し、長い間飾られていた為に、埃をかぶってしまっていたドレスを、祖母が作り直していたところだったのだ。
少女と一緒に店の中に入ると、彼女の祖父は、ハロルドを見るなり、おや来たね、と言った。そして、自分の作った人形を、大事にしてくれる客に対して、特別な親しみを持って、歓迎してくれた。
「ハロルド・・・夕食だ。」
呆れ顔で、呼びにきたジューダスは、店先にはいない。
今、ハロルドは店の中にまで入り込み、店のおばあさんが作る人形のドレスを、一緒になって仕上げている。
邪魔になるだろう、といくら言っても、ハロルドは聞きいれない。
修復中の青いドレスとは別に、着替え用とか言って、桜色のドレスを自分で縫っている。
もっとも。
機械いじりは得意だが、ハロルドは唯一、裁縫だけは苦手だ。
故に、縫ってもあまりにもガタガタな縫い目に、なんどもやり直し、果たして本当に、3日で仕上がるのか、全員が疑っている。
「待って〜もう少し。」
ジューダスの声に、じゃあ今日はこのへんにしときますかね・・とおばあさんが、眼鏡を外しているというのに、ハロルドは相変わらず、思い通りにいかない細かい縫い目とにらめっこしている。
そんな様子に、優しい気質のおばあさんは微笑んでいたが・・・。
年を取り、根を詰めるとキツイだろう、とジューダスはおばあさんの体調の方が気になる。
それで、半ば引きずるようにして、ハロルドを連れ出せば、それでやっと、文句を言いながらも、諦めるというのがこのところのパターンだ。
そうやって宿へと戻る道すがら、
「あ。」
ハロルドは街のとがった屋根の間から覗く、月のシルエットを指差した。
「ちょこっとだけ、欠けてきたわね。」
「・・・・ああ。」
以前、ふたりで月を見た時は、公園だった。
圧倒的な丸い月はそれはそれで完璧だったが、こういう申し訳程度に欠けている様も、情緒があって好きだ、とハロルドは言った。
「なにが、情緒だ。似合わないことを言うな。」
「なによ〜。」
頬を膨らませ、ハロルドが言う。
「月だって人と同じって事よ。」
「・・・?」
「同じ人でも、色々な面が見えるでしょ?綺麗な時もあれば、醜い面も持っているでしょ?そういうのが魅力ってものじゃないの?」
「・・・・・。」
少しだけ、目を細め、ジューダスは立ち止まる。
意識せずとも釣られて、同じようにハロルドも立ち止まった。
「・・・その醜い面を見せられて。」
ジューダスは言った。
「・・・お前は、その人間を嫌になったりしないのか?」
「・・はぁ?」
ハロルドは呆れ顔で、ジューダスの顔を見返す。
「そんな事でいちいち嫌いになったりしないわよ?特別なものは、他に代替がきかないもの。」
なにを言ってんだか、とハロルドは肩をすくめ、当たり前の事聞かないでよ、と憎まれ口を叩いた。
それは、最後の一押しだった。
「あ!」
いきなり、ハロルドは声をあげる。
「・・なんだ?」
嫌な予感がして、ジューダスが聞き返すと、すでに、
「私、衿のところ、レース縫うの忘れちゃった!」
と店に戻ろうとして、身を翻したところだった。
「おい、待て。」
その腕をジューダスは掴む。
「夕食だと言ってるだろう。」
「だって〜。」
「人形の服は明日でも逃げん。」
「明日、また忘れちゃうかもでしょ〜!」
「それぐらい、覚えていろ。」
天才なんだから、とジューダスは言い、それでも戻ろうとするハロルドの、細い腰に腕を回した。
「ちょっと・・・!」
「いいから行くぞ。これから戻ったら、迷惑だろうが。」
文句を言うハロルドを、ジューダスは小脇に抱えている。
ぶーぶー言いながらも、やがてハロルドは、まるで人形になったみたいね、と笑い声で言った。
揺れるのが面白くなったらしい。
まったくだ、とジューダスは言い、生意気で面倒くさいその人形が落ちないように、もう1度、しっかり腕の中へ抱えなおした。
fin
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