かみなが姫と塔の魔女

 

 

 

 

 寝返りを打って薄く覚醒した意識に、人の気配を感じ、目を開けた途端、ガイの視界に白い影が映りこんだ。

 月の光が部屋に差し込んでいるところを見ると、まだ夜中という時間だった。
 光が差し込んでいるのは、就寝前にきちんと閉めたカーテンが開いているからで、それを開き、こちらに背を向けて窓の外を眺めている背中は、いつになく儚く見えて、ガイは戸惑うばかりだ。
 
 ルークは視線を揺らさず、体勢を崩しもせずに、じっと暗闇の向こうを一心に見つめている。
 まるで小さく揺れる対岸の蝋燭の炎がそこにあるかのようだ。
 その目が見ているものの正体が、もうガイにはわからなくなっていた。
 その暗闇のなかに、ルークは、大事にしているものを密かに隠してしまっていたからだ。
 
 ガイにとってつい最近までは、確かに手の中にいた子供だった。
 しかし、いつのまにかルークはガイが示したものともヴァンが敷いたものとも違う道を、確実に自分で描き出しているのは事実だ。
 

 すっかり声をかけるタイミングを逃し、ふとんに横たわったまま、ガイが思案に暮れていると、
「・・・眠れないのですか?」
 夜のしじまに響くに相応しく深く、静かな声がルークを振り向かせた。
 
 細目を開けてちらりと見れば、ジェイドは未だに軍服姿のようだ。
 就寝の時には、まだ出かけていて部屋に戻ってきていなかったから、どこかでひっかけてきた帰りなのかもしれない。
 ルークはジェイドを振り向くと、こくん、と頷いた。
 どこか幼いその仕草に、ジェイドは苦笑し、無理にでも寝ないと持ちませんよ、と忠告をした。
 ルークは、一度頷きかけたが・・・それを否定するようにふるふると頭を振った。
 そんなに柔じゃないという意味か、寝たいけれど眠れないという意味なのか、言葉を失った彼から正確な意味合いは出てこない。
 ジェイドはそんなことを明確に求めるほど、細かい性格でもなかったから、まぁ良いでしょう、と溜息をついた。
「明日は少し長い間アルビオールで揺られます。座席を空けますから、その時にでも寝てください。」
 アルビオールは操縦席を含んで6人掛けなので、パーティのうちひとり、もしくはふたりは座ることはできない。その場合は大概、床に時下座りするか、そのまま立つかなのだが、長い移動時間の場合は交替で座るのが、まあ、普通である。その時間を長く明け渡す、とジェイドは言っているのだった。
「まぁ、検査もありますから。やはり少しでも体調を整えておくに越したことはない・・・。」
 ルークの顔に大きく?マークが浮かんでいた。でも、と口を動かす。
 俺の検査って声のことじゃねぇの?
「・・・ついでだから、あちこち調べて貰いなさい。」
 ジェイドの言葉に、えー?と不満そうな表情を浮かべるルークをガイは見た。
 
 いつものやりとり。ただ、ルークの声がでないだけ。
 誰かとの会話は普段通りなのに。

 ・・それなのに。

 

 

 

 

 


「結果を申し上げますと、ルークさんの身体には何の異常もありません。」

 シュウ医師の言葉を聞いて、そんなと不服そうにティアが眉を寄せた。
「でも、ルークは現に話せないんですよ?」
「ええ。しかし、調べてもどこにも悪い症状は見受けられませんでした。・・・他に原因があるとすれば、それは精神的なものではないかと。」
 原因があるとすれば、か。
 面白い言い方だな、とルークは思った。
 なら、原因などないのではないか?と他人事のように考え、そして、ふと以前アッシュに言われたことを思い出す。
 そうだ、アッシュは正しい。
 きっとこの失語症には理由などないのだろう。


 話せなくなったルークを皆が気遣い、わざわざベルケンドに検査に来ていた。
 話せなくなってから、すでに久しく、しかもこんな風に大袈裟に心配されることがなかったから、なんだか急に自分が不治の病に悩まされているかのように感じる。
 確かに、ルークは言葉を発せなくなった。
 しかし、その事を不便だと感じるようになったのは、最近、彼らのところに帰ってきてからのほうが多かった。
 人と人のかかわりは不思議なものだと思う。
 時々ルークは、ひとりでいる時よりも、皆といる時に強い孤独を感じる。


「精神的というと、具体的には?」
「まあ、過度のストレスが一番の原因として考えられますが、しかし、なにかのショックを受けたかもしれない。本人が自覚していなくとも。」
 過度のストレス、とガイは眉を顰めた。
「たとえば・・・抑圧されるような人間の傍に長くいたとか、か?」
「あるいは。」
 そうか、とひとりで頷くガイをルークは多少の批難をこめた目で見た。
 それは他の人間も同じようで、明らかにアニスなどは白けた表情をしている。そしてジェイドも、そうと決めつけるのはどうかと思いますが、とはっきりと否定の言葉まで口にした。
 ちょっと疑ってみただけだ、とガイは肩を竦めた。
 するとナタリアはそれでは気が済まなかったらしく、尖った声を出した。
「どうしてアッシュを疑うんですの?」
「あいつがなにかをしたと本気で思っている訳じゃない。けど・・・ルークはアッシュに対して、勝手に負い目みたいのを抱えていただろう?だから、それが精神に負担をかけていたとも限らないんじゃないかと思ってるんだ。」
 な?と視線で問われ、ルークは返答ができない。

 アッシュに対する感情は、すでにその範疇を越えているが、しかし、あえて訂正する気もなかった。
 ルークは未だにアッシュに対しては、申し訳ないという気持ちが消えたわけではなかったし、それに本当のところを説明したところで・・・誰にも理解できる訳がないと思ったからだ。
 自分のアッシュに対する全ての感情は、それだけで世界の理を網羅できるのではないかと思うほど、深く強く脆く激しく複雑なものだ。
 ひとりの人間は、内部に宇宙を飼っているのだ、と実感できるほどに。

 

 

 

 結局、はっきりとした原因は分からないまま、シュウ医師と別れた。
 研究所の廊下に出て、濁ったままそこでまとわりついついているような気詰まりな空気を分散させようと、ルークが伸びをすると、さて飯でも食いに行きますか、とガイが言う。
「そうね。原因ははっきりと分からなかったけど、病気じゃなかったのだから良かったわ。」
 とティアが柔らかく笑って同意したのだが、ジェイドは逆に、
「ゆっくりしている暇はないんですがねぇ。」
 と水を差す。


 瘴気の問題は日に日に深刻になっている。
 誰もが明日をも知れぬ命を実感し、心を緩ませ、預言を頭から信じていた時にはありえないと思っていた恐怖に、ただ呆然するばかりだ。
 各国の代表が対策を練ってはいるが、これといった具体策はまだない。
 ルークたちはその問題にも取り組むことを約束している。
 宝珠に瘴気にヴァン。
 問題は一向に減らず、深刻さを増して、増えていくばかりだ。

「しかし、我々も人間ですからね。不眠不休で動ける訳でもありませんし、食事は取れる時に取るべきでしょうね。」
 とジェイドが続けたのを聞いて、最初からそうしましょうって言えば良いじゃないですか大佐〜とアニスが唇を尖らす。いつもは面白がっているくせに、時々はこのジェイドの遠まわしな表現を、疎ましく感じる時もあるらしい。
 そんなことを思いながらルークが笑み、それを見た一同はつられるようににっこりと笑って、では、と歩みを進めようとした時だった。


「待つんじゃ!アッシュ!!」
「!!」

 反射的にルークが振り向く。
 その時、ちょうどアッシュが音をたてて開いたドアから出てくるところだった。
 その顔を見たとたん、ルークを胸騒ぎが襲った。
 アッシュは険しい顔をしていた。唇を引き結び、頬の筋肉は固くこわばり、視線は足下を向いていた。ルークたちがいることに気がつきもせずになにかを一心に考えている。

 アッシュがなにかを決意した時、あまり良いことではない気がする。

 聞き覚えのある声が、よく知る名前を呼ぶのを聞いて、一同も足を止めた。
 アッシュが出てきた同じドアから、スピノザがつんのめるようにしてそれを追いかけてくる。
「待たんか!そんなことをすれば、いくらお前でも・・・!」

「まあ、アッシュ!」
 スピノザの制止の声を無視して歩いていたアッシュは、ナタリアの声に、初めて目の前に一同がいるのに気がついて足を止めた。
「どうしましたの?こんなところで会うなんて・・・。」
「・・・ナタリア。」
「何事ですか?これは。」
 必死でなにかを止めているスピノザと、それを無視しているアッシュのただならぬ様子に、ジェイドは怪訝そうにふたりを見比べながら言った。
 
 一瞬の沈黙の後、 
「瘴気を消す方法が見つかった。」
 ぽんと言葉を投げるようにアッシュが告げる。
「え!?」
「それ本当!?」
 色めきたつ一同とは別に、ルークは少し離れてアッシュの様子を伺っていた。背中から悪寒が去らない。
「瘴気を消す方法、ですか…。」
 ジェイドはアッシュの言葉を冷静な声で反芻し、ちらりと青くなっているスピノザを見た。
 ジェイドはたぶん答えを知っている。そしてルークの嫌な予感は的中している。もしそれが画期的で安全な方法なら、今までジェイドが口にしていない訳がない。
 アッシュは、ああそうだと言ったきり口を開かない。説明を求めて、一同の視線はスピノザに向いたが、スピノザも黙したままだ。場の空気で察したのか、ナタリアが不安を恐れて、性急に答えを欲しがった。
「それは、どのようなことですの!?」
 まさか、危険が及ぶことではありませんわよね?と問いただす震える声に、アッシュは視線を向け、その口が王女の名前を積むぐのを、ルークは見た。
 アッシュの視界には、ナタリアしか入っておらず、そこにひとつの世界が出来上がりつつあるのを感じ、ルークの目の前は暗くなる。
 ほんの少し前まではルークに向けられることもあった視線は、こうなってしまってはナタリアしか見ない。
 一緒にいたたった一月だけでは、そこに入り込めるほどの確固たるなにかを作り出せるはずもなく、ルークの小さな世界などナタリアに比べたら、砂の城よりも脆い。
「それは・・・。」
 アッシュが黙ったままなので、スピノザが口を開きかけると、ルークが眩暈を覚えている横で、冷静な声がその場に響いた。
「とりあえず、ここではなんですから。・・・場所を変えましょう。」
 ジェイドの言葉が、いつになく重いのは、きっと気のせいではない。

 

 

 

「超振動は全ての物質を、原子レベルまで分解できます。」

 説明するジェイドの声は冷酷を演じきっている。
 それを不思議な気分でルークは聞く。
 頭のどこかが麻痺していたかもしれない。
 
 それには第七音素の素養のあるものが1万人必要であること。
 そして、超振動を使う者もその負担に耐えられず、死に至るであろうこと。

 だから、この方法はダメです、とジェイドは言った。
 あのジェイドが人の命を惜しむような事を言う。
 人の命が理解できないと言った、理知の塊。だが、ある意味では心理をついているとルークは今になって思う。
 人は誰でも死ぬ。
 誰もが死ぬことに失敗することはありえず、死のその先になにがあるのかは、死ななければ分からないのだ。
 自分は。
 ルークは思った。

 人が死んだ後に辿りつくという場所に、自分もいけるのだろうか。
 レプリカで、大量虐殺者の自分でも。
 
 アッシュが死んだ後に行くであろう場所に。

 

 アッシュ!と叫ぶナタリアの声に、ルークは我に返った。
「駄目ですわ!そんなこと・・!貴方の命と引き換えだなんて・・・そんな!」

 その瞬間、死神の冷たい手のひらが、ルークの肩を叩いた。

 

 アッシュが死ぬ。

 そうだ、今まさにその話をしているのだ!

 

 

「それ以前に、犠牲になると分かっていて、1万人の第七音素士を用意することなどできませんよ。確かに全人類の命と引き換えですから、安いものかもしれませんが。」
 ナタリアは、その言葉を聞いて明らかに、ほっとした表情を浮かべたが・・・。
「当てなら、ある。」
「当て?」
「それには、キムラスカ、マルクト両国の承諾が必要だがな。」
 アッシュの言葉に、どこの国に、とジェイドが眉を顰め、疑わしそうに言う。
「どこの国に、そんなもの好きがいるとでも?志願する者などいないでしょうに。」
「だから、取引する。」
「・・・・・。」
 そういうことですか、とジェイドはメガネの位置を直す。
「取引?」
「どういうことですか?大佐?」
 説明を求めて、詰め寄る仲間にジェイドは溜息をつき、一言告げた。
「レプリカ、ですよ。」

「・・・・・!」
「レプリカ・・・!?」
「レプリカの体は、第七音素で構成されています。その素養があるという第七音素士よりも、多くの第七音素を蓄積している。」
 一瞬、全員の視線がルークの注がれたが、慌てたようにそらされる。
 ルークが傷つくからというよりも、ルークを見ていて、よからぬことを考えてしまう事を恐れたかのようだ。

「世界中に溢れているレプリカも、今は深刻な問題です。」
 ジェイドは言った。
 冷静な声は冷酷を通り越して、いっそ清々しいほどだ。
「彼らは戸籍も身分証もなにもなく、赤子同然の存在。保護をしようにも対策はこれと言って具体的なものはなにもない。彼らを今後どうするか。各国の大きな課題のひとつです。」
 ジェイドが状況の説明を終えたところで、割り込むようにアッシュが言った。
「1万人のレプリカの命と引き換えに、残りのレプリカの身柄を保証すると約束する。」

 そんな!とナタリアが、まるで自分が追い詰められているような声をあげた。
 しかし、その後が続かない。
 気持ちは同じだとしても、他の連中も同じだ。
 人間の命もレプリカの命も同じことだと、彼らは思っているが、それは身内にレプリカがいることが大きな影響だからだ。もしかしたら、ルークがいなければ、彼らとてそれは妙案だと思ったかもしれない。
 他の方法が見つからない今、非道さを問題視しなければ、確かにそれは効果的な解決策なのかもしれなかった。


「・・・確かに、良い案ではあります・・・。」
 誰かが言わなければいけないから、それが自分の役目であるというようにジェイドは言った。
 それはどうだろうと否定の声はすれど、しかしその先は続けられない。
 駄目だ、は誰でも言えるが、他の案を出せる人間がいるとすれば、それはジェイドにしか他ならず、そのジェイドが否定しない以上、他の策はないのだ。

「ちょ、ちょっと待ってください、大佐!」
 流れが一定の方向に向かうことに気がついたアニスが声をあげた。
「そんなことしたら、レプリカの人たちもだけど、アッシュも死んじゃうんですよね!?」
「そうですね。」
「そ、そんな簡単に言わないでくださいよぅ。そんな風に決めちゃったら・・・!」
「なら、他に案があるっていうのか?」
 庇われているのは自分だというのに、まるで敵を睥睨するかのように冷たい視線でアッシュに見られ、アニスは言葉を失う。
「だ・・だけど・・・。」
「本当に、他に方法はないんですか?大佐」
 アニスの代わりに、ティアがジェイドを見た。
 その場に沈黙が落ちる。
 そして、ジェイドは言った。
 メガネをあげ、溜息も諦めも交えたような、重い声だった。
「・・・私には、もっと残酷な答えしか?」

「大佐!?」
「それって、まさか・・っ!」

 俺のことだな、とルークは思った。
 言葉を失った彼には、事の成り行きを見守るしかできなかったが、自分に振られるだろうということは予想できていた。
 レプリカを犠牲にするなら、一緒に逝くのはレプリカが相応しい。
 それが完全な方法というものだ。

 ふぅ、と息をついてルークは肩の力を抜いた。
 不思議と凪いだ気分った。
 オリジナルからのそういう扱いに諦めているというのではなく、ルークはこの流れが自分に向かうことを予期していたし、願ってもいた。
 だからこそ、他ならぬアッシュの命の重さを、赤の他人が論じていても、我慢していられたのだ。
 でなければ、今頃はジェイドと言えど、殴りつけていただろう。

 
 しかし、ルークの命に関しても激昂する者は確かにいた。
「てめぇっ!」
 音がたつほどの激しさで、ガイがジェイドの胸倉を締め上げる。
「アッシュの代わりに、ルークに死ねっていうのかっ!?ふざけるな!」
「駄目ですわ!私はルークにもアッシュにも生きていて欲しいのです!そんなこと認められません・・・!」

「・・・論外だな。」

 騒然となった場で、はっと息を飲み、全員が声の主を振り返る。
 アッシュは呆れたという表情を隠しもせず、おまえらはバカか、と言い放った。

「いくら制御できるようになったとは言え、瘴気を消すほどの超振動を劣化したこいつの能力で発動できる訳がない。その前に力尽きて、レプリカたちの命を無駄にするのがオチだ。」

「・・・・・!」
 アッシュ、とルークは声に出さずに名前を呼んだが、アッシュはこちらを見ない。
 この部屋に入ってからというもの、アッシュの視線は一度もルークに向けられてはいなかった。
 それが故意であることは明白だったが、この話をする為だったのか、もしくははなからルークを当てにしていなかったのかは、判断がつかない。
 当てにされていない。
 必要とされないという思いが、ルークを暗闇に引きづり下ろす。
 アッシュに比べて、自分の能力が劣化しているのはわかりきったことだったが、ルークには死ぬ選択を迫られるよりも、何倍も絶望的なことだった。

 
 予想通りだったとはいえ、ルークは自分が槍玉にあがったことをなんとも思わないほど、自分の命を諦めている訳でもない。
 アッシュというオプションがついたからこそ、自分の命を賭ける価値があるのだ。
 たしかに自分は罪人で、その為の償いをしようという気はないではないが、それがイコールで死ぬことだ、というのは少し違うと、詳細な部分までは分からなくでも理解しているし、ルークはそれだけの為に死ねと言われたら、きっとできない。
 

 アッシュを助けられるのは自分だけだという窮地に立っているからこそ・・・進んでその役を引き受けられる。
 それなのに、そのアッシュに余計なことだと言われるなんて・・・・・。

 

 ルークの気持ちなど知る訳もないのに、まるで分かっているかのように、そこまで言わなくったって良いじゃん!とアニスが、アッシュの言葉を批難した。
 しかし、その声をアッシュは取り上げず、全員を見据えて言った。

「瘴気を消滅させるのは、俺がやる。」

 

 

 

 

 それは、ルークにとって、死刑宣告そのものだった。

 

 

 

 

 

 


「うわぁああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 


 


「ルーク・・・!!」
「お・・おいっ!」

 髪を掻き毟り、地団駄を踏んで泣き叫んでいるルークの姿に驚いて、全員がオロオロと動き出した。
 ガイは頭を撫でようとしたし、ティアは落ち着かせようとした。
 しかし、彼らの誰の声も、ルークには届かない。ガイの手を振り払い、ティアの言葉には首を振って拒絶し続けた。
ルークはまるっきりのヒステリー状態に陥っていた。
 アクゼリュスを崩落させて責められた時も、ここまで悲惨ではなかった、と皆が思ったほど、全てを失って絶望した大人がするような、みじめな泣き方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 ちょうどふたつに割れたような月が出ていた。

 宿の薄いカーテン越しにそれを見ながら、あの月が満ちる頃には、自分はもういないのだな、とアッシュは思った。


 あの後、宥めても慰めてもどうにもならないルークを、連中はそそくさと連れ帰り、改めてジェイドが報告に来たには・・・超振動で瘴気を消す案を、本格的にキムラスカ、マルクト、ダアトの3カ国で協議することになったとのことだった。

 無駄な時間だ、とアッシュは思う。
 この案が通らない訳はない。
 他に瘴気を消滅させる策がある訳もなく、いまや頭の痛いレプリカの問題が少しでも―1万人でも―なくなってくれるなら、こんな好都合なことはない。
 代わりにレプリカを「保護しなければならない理由」もこれでできる。
 国を治める者にとっては、その大義名分は絶対不可欠なものの筈だ。


『まったくもってバカバカしい・・・。』
 しかし、それが政治というものだということも、アッシュには理解できる。 
 数多の民衆には、説得するだけの理由が必要だし『尊い犠牲』のうえに成り立ったものに対して人間は弱い。
 駆け引きとは、一方の天秤にさがったものが、悲劇的で勇気のあるものであればあるほど効果的なのだ。


 キン!と頭の中から鐘を鳴らすような音がする。
 己のレプリカを苦しめるというこの音が、アッシュに牙を向くことはない。

『・・・落ち着いたか?』
 アッシュは頭の中に話しかける。
 一瞬の間の後、返事があった。
『・・・うん。』
『やっぱりてめぇは声が出せるんだな。』
『・・・・・。』

 ルークは確かにあの時、叫び声をあげたが、言葉にはほど遠いものだった。
 実際にアッシュはジェイドから、叫んだ後も、ルークが話せるようになった訳ではなかったと聞いている。
 それが伝わったのか、ルークが拗ねたように言った。

『・・・・・言葉と声が直結している回路でも、いかれちまったんじゃねぇかな?俺。』
 酷く投げやりな言葉だが、逆にアッシュの笑みを誘った。
 しかし、なんの為に回線を繋げたのかを思い出し、アッシュは笑みをひっこめる。

『瘴気を消すのは、お前では無理だぞ?』
 それは念を押すのに近い行為だった。
 アッシュはルークを説得し、諦めさせようとしていた。
 その証拠に、お前では無理だ、そんな能力はないとは言ったが嘲ったりはしなかった。
 そんな事を言って、試してみなければ分からないなどと、負けん気を出されたりしたら目も当てられない。
 

 ルークはレプリカだ。
 瘴気を消す時、その場にいるだけで巻き添えを食ってしまう。
 レムの塔には近づけるのも駄目なのだ。

 ルークは答えなかった。
 しかし、それで納得した訳でもないのは、アッシュにはよく分かっていた。
 ルークは・・・アッシュの命を諦めたりなどしないだろう。
 彼のレプリカが、他の誰よりも自分に執着していることは、前から分かりきっている。


 返事を黙って待ち、何分たっただろう。
 ルークも黙ったままだ。
 頭痛を伴う回線は繋げたままだというのに、相変わらず頑固なやつだと半ば呆れ始めた時、扉の外に気配を感じた。
 そのよく知る気配に、アッシュは驚いて急いで近づいていった。


 蹲っている姿を想像しながら話しかけていたから、てっきり宿のベッドの上かなにかにいるものと決め付けていたのだ。


 勢いよく扉を開けると、まるでそこに備え付けられた調度品かなにかのように、ルークはまっすぐにこちらを見て立っていた。
 瞳がかちあい、アッシュはルークの澄み切った瞳にたじろぐ。
 それはなにかを決心した者の瞳に違いなく、アッシュはこの瞳を恐れていたのだと、気がついた。

『アッシュ・・・・・。』
 ルークは回線を使って呼び、

『           』

 その言葉を形作る唇の動きに、アッシュは目を見開いた。


 

 

 

 

 

 

 

 

>>2