かみなが姫と塔の魔女 2

 

 

 眠れない夜は過去に何度も経験したが、その全ての痛みを今でも覚えているとは言い難い。
 ここまで嫌な夜はなかったと、重いまぶたと痛む頭と一緒に迎えた朝の光を、ガイはまともに見られない。
 少し紫がかった朝もやだと思えば、いつもと同じ風景。瘴気が満ちているという事実さえ、嘘のように思える。
 結局、眠れずに一晩、剣を振って過ごした。
 さすがにだるくなった手首をさすりながら、宿の階段を上ってくると、踊り場に佇む長い髪が目に入る。
 
「・・・眠れなかったのかい?」
「・・・ガイ。」
 宿の踊り場には大雑把なカタチが組まれた、ステンドグラスがはめ込まれている。
 透明な朝の差し込んだ光が、ティアの顔を黄色く照らしていた。
 ティアは、黙ったままだった。
 肯定はなかったが、そんなもの眠れなかったに決まっている。ふたりに限らず誰ひとりとして十分な休息など取れた者などいないだろう。
 死地へと送り出す者の気持ちは、赴く者にはきっとわかるまい。
 ましてや、その道を自分で選ぼうという者になど。
 世界を救うのというのは聞こえは良いが、簡単に言えば、死ににいくことだ。
 後世に英雄と讃えられようと、広間に銅像が建てられようと、生きてくれなければ意味はないのだ。
 けれどまだ間にあう。
 そのことを、あの赤い髪のふたりに教え込まなければならない。

 まだ間にあう・・・。
 ティアを促し、こころの中で呟きながらガイは、ルークの部屋の扉を叩いた。

 


 
 ルークがいない。
 いきなり部屋に飛び込んでくるなり、大変な剣幕でガイから伝えられたのは、ルークがどこにもいないという話だった。
 
「アッシュも、アッシュも部屋にいませんわ!」
 アッシュの部屋に、様子を見に行ったナタリアも、取り乱した様子を隠しもせずに報告する。
「ど、どうすんのー!?ふたりともいないなんて、今頃…。」
「落ち着きましょう。皆さん。」
 飄々としたいつもの声になにかの光明を期待して、全員が注目する。
「昨日の今日です。ふたりが向かった場所には検討がつきます。」
「それは、どこなんですか?大佐!」
 瘴気を消す為に必要なレプリカが集まっている場所はひとつしかありません。とジェイドは告げた。

「レムの塔ですよ。」

 

 

 

 

 アッシュと一緒に街の外で待機していたアルビオールに向かうと、ルークの姿を認めた途端、ギンジはああ!と叫んで笑った。
 嬉しそうにパタパタと手を振る姿にルークも手を振り返した。
 思わず、ただいまと言いたくなって・・その時、少しだけ心が痛んだ。
 声が出せなかったとしても、ガイたち対しては、言いたいとすら思い浮かばなかった。今更ながら、罪悪感を感じる。

 あれが裏切りだとしたらこれも裏切りだろうか。
 今自分は、怒って、止めてくれた人たちに、なにも告げずに死地へと赴こうとしている。

 ギンジにも目的地以外はなにも告げてなかった。知られれば止められただろうし、重い事実であるなら尚更、予め知らせて苦しめることはない。
 そのギンジは、アルビオールの整備はおふたりの用事が終わるまでに終わらせておきます!と胸を張り、次にどこに向かうといわれてもすぐに対応できるように準備しておこうとしている。


 

 ルークたちは長い長い螺旋の階段を上っていた。
 
 レムの塔ではエルドラントの浮上に間にあわなかったレプリカたちがひしめき合い、エレベータの順番を奪い合っている。
 とても乗り込むことはできなかった為の、選択だったのだが・・・同じように考えたレプリカたちが、ルークたちと同じように頂上をめざし、長い階段の挑んでいる。
 彼らの薄い光を浮かべる瞳は、あいかわらず周囲に気も留めず、一点のみを見つめている。
 そこに救いがあると疑いもしないその姿を見て、ルークは目を逸らした。とても見ていられなかった。
 
 ああ、可哀想に・・・。

 間違ってもモースが彼らを迎えにくるなどありえない。
 データさえ残っていれば、いくらでも代替の利く我らレプリカという存在。
 個だの主だのというものは、被験者が主張する為だけの人権にしかすぎない。

 そういう意味では、レプリカの存在意義など初めからないに等しい。
 唯一ではないということは、それだけでこんなにも救われない。


 ルークはすぐ前を歩くアッシュの後姿を見つめた。
 足取りは力強く安定していて、一段あがるごとに長い髪が揺れた。
 唯一というのなら、ルークにとって、アッシュこそが唯一だった。自分と世界を繋ぐ証拠はアッシュしかなく、本来ならいくらでも作り出せるレプリカであっても・・・アッシュはもう、ルーク以外の自分のレプリカを作ろうとは、思わないだろう。
 自分だけがアッシュの生涯において、唯一のアッシュのレプリカなのだ。


 アッシュはなにも言わない。

 宿の部屋を訪ね、ルークが死地へと誘った時も、なにも言わなかった。
 その真意も意味すらも問いただすことはなく、そのままルークをここまでひっぱってきた。
 果たしてルークの願いは聞き届けられたのだろうか。
 それとも塔のてっぺんまで着いた時、さぁやれとローレライの剣を差し出されるのだろうか。


 アッシュに、瘴気の消滅を自分がやると言われた時、絶望のあまり真っ白になった。
 それが齎す結果は、ルークにとってアッシュがいない世界を生きることとであり、そんな色のない無駄な人生など、想像しただけでも震えがくる。
 いっそ、世界など放っておいて、一緒に逃げようと言おうとまで思った。
 しかし、そんなことをアッシュが承知する筈もなく、逆に勇気のないルークを誤解し、激しくなじるかもしれない。
 アッシュの命の重さが、自分にとっていかほどかなのかを説明する術がない今、アッシュを説得できるとは思えなかった。
 このままでは、アッシュは死ぬ。
 それくらいなら、自分が死んだほうがマシだった。
 アッシュのいない世界で、生きていくことを強要されるのなら、先に逝ってしまえば、アッシュが死ぬところをみないで済む。


 しかし。


 同時にそれは、違う憤りを胸が掠めた。

 

 

 
 つ、と足が縺れて、ルークはつま先をかけた筈の階段を踏み外した。
 とっさに腕が伸びてきて、ルークの肘を支える。
 レムの塔は高い。
 てっぺんへと続く螺旋階段には、果たして終わりがあるのかと疑いたくなるほどだ。
 現にこうして身を乗り出し下を見下ろせば、エレベーターホールのレプリカたちはとても小さく見えるのに、逆に見上げてみれば、塔の頂は遠く、まるい天上が太陽ほども高い位置にあるように感じられた。

 ここは、万が一にもセフィロトで地上を持ち上げる計画が頓挫したならば、宇宙へと移住する為の準備施設だった、とさきほどアッシュから聞いたばかりだった。
 
 アッシュの博識には驚かされるが、実のところ、彼は教団内部のことに、踏み込みすぎているらしい。
 ヴァンの元にいたからではなく、たとえば、秘預言の内容などもアッシュは知っていたようだったが、それはおいそれと一軍人に教えて貰えるシロモノではない。いつどこで、アッシュがその情報を手に入れたかは、たぶん、アッシュ本人のみが知る永遠の謎だろう。
 それを勤勉と一言で表現するのは違うと思う。
 生まれながらにして預言に人生を左右されてきた男の、暗い執念がそこからは覗いている。


 ああ、そういえば、とルークは思った。 

 とっさに支えてくれた腕をそのまま放さず、ルークは知らん顔でアッシュの手を掴んでいた。
 その手に指を絡め、強く、ぎゅっと握った。

 また、ND2018年は終わっていない・・・。
 ここで、アッシュとルークが死ねば、「ルーク」という存在はいなくなり、預言は成就したことになるだろう。
 
 預言は成就し、ローレライを消滅できる者の死。
 その時のヴァンの顔はさぞかし見ものだろうとは思う。もはや見たいとは思わないけれど。
 ルークのヴァンへの信頼はもはや過去のものだ。
 しかし、感謝はしている。
 師匠として教えられたことも多いが・・・なによりも、ルークを生み出してくれたのも彼だ。
 策略して、企画して、行動して、暴君の如きそのふるまいも、ルークの被験者をアッシュに選んだという時点でチャラだ。
 
 
『あ・・しまった・・・。』

 ヴァンのことを考えていたら、ルークはそのことに気がついた。

『ローレライ・・・どうしよ?』

 しっかり忘れていた。
 このままふたりが死んだら、長い間、策を講じてきた計画が頓挫したヴァンは困るだろうと思ってほくそ笑んでいたが・・・困るのはローレライも同じだ。
 開放してくれる筈の自分たちがいなくなったら、一生ヴァンのなかだろうか?
 その場合、両者はどうするのだろう?

 
 ルークはアッシュを見た。
 
 相変わらず黙々と階段を上る姿は、すこしも膝に応えてないかのようだ。
 ルークと違って、アッシュがなにも考えてないことなどありえないが・・・・・。
 だとしたら、やはり、アッシュがこのまま自分と心中することもありえない。
 ローレライには。
 どちらか片方が必ず必要なのだから。

 

 

 ・・・アッシュ。

 

 


 アッシュの代わりに死ぬことは構わなかった。
 惜しくはないとは言わないが、初めから自分の命とアッシュの存在とを、天秤にかけるのは間違っている。
 ルークにとってアッシュは、空に輝く太陽よりも圧倒的で絶対的な存在だ。
 もしアッシュが死ねというのなら・・・なにもかも捧げる。
 
 だが、その覚悟は同時に諸刃の剣でもある。

 死ねというなら、死んでも良い。

 けれど。

 ・・・・・・・・・・・・・タダでは死なない。

 

 

 


 ルークがこの世からいなくなったら、アッシュは自由になる。

 今も自由であることは変わりないが、ルークという、がんじがらめにしようと耐えず手を伸ばしている鎖から開放され、どこででも勝手に生きていけるようになる。
 ・・・誰とでも。
 そのことに耐えられなかった。
 どうしても許せない。

 ルークが死んで、少しはその死を悼んでくれたり、責任を感じてくれたりはするかもしれないが、すでにルークのいう存在がこの世にいなくなっていたなら、そんなものはアッシュにとって自己満足を慰めるだけの感情にすぎない。
 大事だったとか忘れないとか、そんなものはいくらでも口では言える。
 生身の、実際に関われる時に思われなければ意味はないのだ。

 ルークがいなくなれば、アッシュは適当な誰かを見繕って幸せになるだろう。
 自分のものにならないのは仕方がない。
 しかし、他の誰かのものになるのも許せない。

 自分は時々思い出して貰えるだけの影になって、アッシュが幸せになるなんて、そんなことを喜べるなんて、ありえない。


 ルークは自分の命と引き換えに、アッシュの死を望むことを大声で叫ぶことを選んだ。
 誰になんと言われようと、アッシュ自身になにを思われようと構わない。
 アッシュをひとり、残していくなど絶対に、我慢できなかった。


 だが実際に、アッシュはどう思っただろう。
 ルークの気持ちなど更々理解する気はなく、今こうしているのも、あと少しの我慢だと思っているのかもしれない。
 それならば、この階段が最後の逢瀬の場所になるかもしれないのだ・・・。


「おい!」

 思わず足を止めたルークに、アッシュが抗議の声をあげた。
 あ、とその顔を見上げ、自分の手がアッシュの左手をひっぱっていることに気がつく。
 アッシュの手は手袋に包まれ、時下に触れているのではなかったが、それでもルークはこんなにも落ち着く。それなのに、もう少しでこんな大事なものが失われてしまうかもしれないのだ。

 一向に足を進めないルークに、アッシュは疲れて階段を上れないのかと勘違いしたようだった。
 これだから坊っちゃんは、と吐き捨てるように舌打すると、時間がねぇんだよ、と強く言った。

「はやくしないと追いつかれるぞ!」
 ルークはぱちぱちとアッシュを見た。
 自分たちは誰にもなにも告げてなかったという安心の為に、いつ六神将にここにいることがバレたんだろう?と的外れなことを思っていた。
「ふたり揃っていなくなったんだ。今頃気がつかれている。」
 アッシュは言って、特にあのメガネが気がつかないなんてありえねぇ、と唸った。
 どれだけの時間差があったにしろ、もう時間の問題だろう。
 あちらにもアルビオールという足がある。
「あいつらに追いつかれたりしたら、また、どちらかひとりが残れと揉めるだろう。面倒くせぇ。」
 アッシュは言うと、レムの塔のてっぺんを見上げ、溜息をついた。

 アッシュ?とルークの唇が言葉を綴る。
 今、なんて言った?

「どうした?」
 よほど意外な顔をしていたらしい。
 アッシュはルークの顔をちらりと見ると、逆に驚いたような顔になって、それから、ニヤリと笑った。
「お前の願いをかなえてやろうって言ってんだぞ?」
 ねがい、とルークは唇を動かす。
 ルークの願い。

 


 ルークは掴んでいたアッシュの手を放した。
 そして、距離を置くように1段、後ろへと下がる。
 ルークは首を振った。
 それは拒絶の意味にも取れる仕草に、アッシュは眉を顰める。
 
 いきなり怖くなった。
 願いが叶いそうだと自覚した途端、アッシュを死なせる、ということに。
 ルークの足は今、竦んでいる。

 さっきほまで飢えるほどに望んでいたのは確かだ。
 アッシュは誰にも渡したくないし、自分がいない世界で生きていて欲しくない。
 だが、それは、熱に浮かされていて見ていた妄想の類でもなかったのか?

 


「・・・そうなると、今度は拒否か。」
 下がった位置で、俯いていては、ルークの口元すら見えない。
 アッシュは尖った声を出し、面倒臭ぇな、とつぶやいた。
 この言葉を、最近のアッシュは口癖のように口にしている。

「結局のところ、お前はどうしたいんだ?」
 アッシュが一段下に下がった。
 俯いたままのルークに舌打し、イラついたような乱暴な仕草で、ルークの顎に手をかけて強引に上向かせ、視線を合わせる。
「・・・言え、と言っても言いやしねぇ。」
 本当はしゃべれる癖にな、とアッシュは言った。
「俺が欲しい、と言ったのも嘘か?」
 ルークは目を見開いて、アッシュが見返した。
 違う、と口元を動かす。
「本当は、単純に俺を殺したいだけなんじゃねぇのか?」
「・・・・・!」
 そんなことありえない!とルークは叫んだ。
 心の底からの叫びだったのに声は出ず、ルークは初めて、どうしてこんな時まで声が出ないんだ!と自分を自分でなじった。
 アッシュを殺したいなどありえない。
 アッシュの為にルークは死ねるが、アッシュを殺して自分だけが生き延びるという選択など、胸のどこを探ってもない。
 自分のなにが間違っていて、どうふるまったから、こんな誤解を生んだのか予想もつかず、ルークはただ駄々っ子のように首を振り続けた。


 バン!と筒状のレムの塔の内壁に、アッシュが激しく手をついた。
 耳元で発生した音にルークは、身を竦ませる。
 アッシュを怒らせているという事実に、今更ながら気がつき、このままでは見捨てられてしまうと焦燥感を募らせたが、
「落ち着け。」
 意外にも落ち着いた声に、ルークは、え、と目を見開いてアッシュを見た。
 アッシュは別段、怒っていなかった。
 少しだけ呆れたような顔をしているようだが、ルークを殴ろうとかそういうことを思っている訳ではなさそうだ。

「で、どうなんだ?」
 アッシュは聞いた。
「・・・俺と死にたいのか?死にたくないのか?」
「・・・・・。」
 正確なところ、ルークの願いは、初めから決まっているのだ。
 アッシュの言う、どちらとも違う。
 ルークは、アッシュと生きていたい。
 生きて、アッシュを手に入れたい。
 けれど、それには時間がない・・・・・。

 呼吸さえ遮るような激しい胸の痛みに、ルークは前かがみになった。
 寄りかかる壁に体重を預け、そのままアッシュの腕に縋ってしまいたかった。
 

 喉からせりあがる、固形のものを飲み下すように息を整えるルークの様子をアッシュは見ていた。
 肩が激しく上下する様を、5回ほど数え、ぽん、と頭を叩く。
 いつのまにか、こうしてルークの頭を叩くことを覚えた。
 頬を殴りつけるばかりだった手が、今、同じ作りにできる筈なのに明らかに違うルークの、柔らかくふんわりして髪の感触を確かめる。

 その慰めの仕草をルークは受け入れた。
 大きく溜息をつき、顔をあげ、そのまま後ろの壁へと頭をつける。
 なにかを諦めたようでいて、決意をした表情を見て、溜息をつきたくなったのはアッシュのほうだった。
 ルークは最後は逃げない。
 犠牲を払わなければならないならば、自分が犠牲になることを選ぶ。
 かつてだったら、偽善だと嘲笑していたその選択を、もはやアッシュは馬鹿げていると吐き捨てることはできない。

 
 甘くなった、と自覚してアッシュは苦笑した。
 ルークはその笑みを、理解できなさそうに首を傾げて見上げる。
 アッシュは再び、ルークの顎に指をかけた。
 少しだけ固定して、体ごと顔も近づけると、ルークは意図したことが分かったようで、うっすらとまぶたを閉じようとした。
 途端。

 

 


「早く!急ぎましょう皆さん!」


 
「―――――――――――――!」
「・・・ちっ!」


 遥か下から、筒状の内部をこだまして聞こえるナタリアの声に、ルークもアッシュも同時に顔を顰めた。
 追いつかれるという予想通り、ここまで来てしまったか。
 もう少し時間をあるかもしれないという希望的観測は破られてしまったということだ。

「いくぞ。」
 ぐい、とルークの右手をアッシュが引いた。
 うん、とルークは頷き、追われる者の足取りで階段を上る。

 まだ頂上までは遠い。

 しかし、追ってきた者たちとの距離よりは、ずっと近い筈だった。


 

 

 

 

 

 

 

 

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