かみなが姫と塔の魔女 3

 

 

  この暗闇のどこかから現れるんだろう、とルークは寝転がって見上げている空のから、ふわりふわりと降ってくる白い雪を見ながら思った。
 時計を持ってきてないし、宿の部屋を出てきた時にも時間を確認していなかったから、どれだけの時間ここでこうしていたのかはわからない。
 もう体はずいぶんと前に冷えたはずだが、寒さを感じない。
 鈍くなっている。
 乖離の進行した体は、密度が薄く、すかすかした部分に補われているのは、水か、空気か。
 どのみち、神経回路も鈍くなっているに違いない。
 
 闇の空は死をイメージさせる。
 ぽっかりと黒く口を開けていて、そのうえどこかに抗いがたいなにかを潜ませている。
 大きな力でももって、見たくなくて、そのうえ見たいという誘惑に駆られるもの。どこか美しくもあるそんなものが、常に死には付きまとう。
 
 かつて、ジェイドにレプリカの死を美しいと思わないかと問われたこともあった。
 朽ちるだけの人の体と違い、光に帰っていく様を潔いと思う、と。
 そんなものは一緒だと思うけど、とルークはその時、口に出して答えることができない状態だったので、ジェイドも別段、本気でルークに返事を求めていた訳でもないだろう。きっと、ひとりごとだったのだ。

 生きている者は、死を免れることはできない。
 人生と違い、死には失敗も成功もないということにおいては、レプリカも人間も平等だ。


 『俺は、おまえに一緒に死んでほしい。』

 そう告げた時のアッシュがどういう顔をしていたか、ルークはどうしても思い出せなかった。
 その時は怖くて、意図的に忘れたのかもしれないが、今、ルークはそれを思い出したいと思う。
 アッシュに繋がるどんな些細なことも、忘れたまま、いきたくなかった。
 アッシュの欠片をかき集めはじめた自分は、きっともうすぐいなくなる。

 そっと胸に咲く様なそれらをはなむけにして、この世界に溶けて消えるのだ。

 

 

 

 

 部屋の灯りが窓の外の暗闇を照らし、白い雪を光らせる。
 ガイは宿の時計をちらりと見て、そっと溜息をついた。
 ジェイドが風呂を使っている間、彼が王都の図書館から持ってきた音素に関する書籍を・・・自分も調べていた時、すっと空気が動く気配がして、顔をあげたのと、扉がぱたりと閉まる軽い音がしたのは一緒だった。
 それから、間もなくして出てきたジェイドとふたり、無言のままもう2時間近くも、彼らは待っている。

 黙って出て行く背中を、いつの間にか引き止められなくなった。
 元より彼には、話す言葉はないが、それが原因でないのは明らかだった。
 ガイたちに、行き先を告げるという意思が、もうルークには見えない。
 あの時のように。

 

 


 

 あの時。

 階段のあまりの多さを恨みながら、焦る気持ちから塔の頂上を見上げると、空から大きななにかが落ちてきた。
 あっれ〜〜〜〜という情けない声が通り過ぎたことで、それがディストが乗った(後で知ったがカイザーディストという名前だった)音機関だったことを知った。
 大方、無用になったレプリカたちを始末するようにモースにでもいいつけられたのでしょう、というジェイドの言葉に、さらなる焦燥感を募らせて頂上へと辿り着いた時、目を明けていられないほどの大量の光が中央部分から発せられ、ガイは初め、それが敵からの攻撃だと思った。
 しかし、攻撃なら、こちらに飛んでくる筈の光は逆に、中央に集まっていく。
 発光する緑色のまばゆい光は、幻想的なほど綺麗で、一瞬見惚れかけ、横にいた名も知らぬレプリカの体が薄くなったことで、我に返った。
 これは超振動!というジェイドの声はいつになく焦りの感情が込められていた。
 目を凝らした先、光の集まる中心に、ふたつの人影が見えた時、ガイは自分たちが間に合わなかったのだ、と悟った。
 光の束はすでに、暴れるようにうねり、大きな渦を巻いてふたりに集中していく。
 叫んだ名前は、きっとふたりには届かなかっただろう。
 キィィィィン!と形容しがたい甲高い音が響き、すさまじい風が、集約していた光を同じ速度で跳ね返すかのように駆け抜けていく。
 網膜を焼くほどの光と、息ができないほどの風に、とても目が開けていられず、思わず顔を背け・・・一瞬、気を失ったようにも思う。
 我に返った時、空は真っ青に晴れていた。
 いままでの毒素をたっぷりと吸った紫色の靄は塵ほども残らず消え去り、なにごともなかったかのように太陽が顔を出していた。
 降り注ぐ暖かい光。
 その美しさに一瞬だけ呆然となりかけ・・・状況を思い出した。
 中央に倒れる人影は、綺麗に並んでいた。
「――――――――!!」
 心配して叫ぶ自分の声はしかし、平穏なふたりの眠りを妨げるものにしか思えなかった。

 

 


 ふたりが生きていることに胸を撫で下ろしたのも束の間、ベルケンドでの検査は、ガイたちに、絶望に至るまでの時間を延ばしただけに過ぎないことを告げた。
 ルークの体は乖離が進み、もう二度と戻ることはない。
 ちくしょう、なんでだ!と激昂するガイたちとは反対に、当のルークの笑みは静かだった。 
 最期を受け入れた者だけが浮かべる、残される者への慈悲の表情は、ガイを焦らせ、追い詰める。
 ルークは話せない為、全員が結果を聞くのに無理やり付き添ったのだが、もしも彼がひとりで行くことを告げられる身で、実際にひとりで聞いていたのなら、きっとルークはその事実を隠していただろう。
 知ったほうが良かったのか、知らないほうが幸せだったのか。


 

 扉が開く音がしてルークが帰ってきた。
 長い外出を嗜めるジェイドに、うん、とひとつ頷き、しかし素直には従わなかった。ルークはいつもの通り唇だけでぱくぱくと言葉を紡いだ。
 だいじょうぶ、師匠をとめるまでは消えない、から、と。
 そういうことを言っているのではありません!と言ったジェイドの声は厳しかった。
 あなたにとって一番大事なのは体を休ませることなのです、あなたには、休息がなににも勝る薬だと前には説明した筈ですよ?
 けれど、と少し考えて、ルークが伝えてきた。
 少しでも綺麗なものを、見ておきたいんだよ。
 
 おまえは、ガイは言った。
 もう少し、自分の命に欲を持って良いんだ・・・。
 それがむなしく響くことをガイ自身も自覚していたが、言わずにはおられない。
 ルークは、ガイの言葉に、ただ微笑んでいるだけだった。
 こういう時のこいつは、本当に卑怯だ、とガイは思った。

 

 

 

 着実に黒い手はルークに忍び寄ってきていた。
 翌日、ルークは風邪を引いた。
 少し前なら、夜中に出歩いたところで、風邪など引くことはなかったし、ひいても鼻水をたらしていた程度だったのに、高熱を出しベッドから起き上がられなくなった。
 もともと吹雪いてアルビオールが着陸できないこともあり、ノエルともども宿にいるしかない状態であったのだが、出立が遅れることを嫌がり、初めルークは無理を押してでも、出発したいと言い張った。
 結局、ガイにもティアにもジェイドにも怒られ、おとなしくなったが、昔なら小さなわがままと微笑ましく思えもしたこの手の頑固さが、ルークの焦りの表れのようで、なんともやるせなくなる。

 小さくノックの音を響かせた後、扉が開き、アニスが顔をのぞかせた。
「ルーク、起きてる?」
 ガイとジェイドが答える前に、ルークはうっすらと目を開き、蒸気した頬でこくんと頷いた。
 するとアニスはとことこと部屋に入ってきて、ベッドのルークを見下ろし、額に手をあてたり、ふとんの位置を直したりした後、
「ポトフ作ったんだけど・・・食べられそうかなぁ?」
 とルークに聞いた。
 少し考えた後、ルークが頷くとアニスはほっとしたように、じゃあ今持ってくるね、と部屋を出て行く。
 アニスのポトフはじっくりと火にかけて、絶品のブイヨンでことこと煮るため、野菜はとろけるほど柔らかく、そのうえルークの好きな鶏肉を使っているから、栄養価も高くて食べ易い。
 好物を作ってもらえて、ルークは嬉しそうだった。
 まもなくアニスが持ってきてくれた熱々のポトフを、ベッドに起き上がって、ほふほふと頬張り、味のしみた鶏肉を噛み締めては、にこにこ笑う姿を見て、つくりがいがあるなぁ、とアニスも満足そうだ。
 そうしている時に、皿の中の赤い物体にルークのスプーンの動きが止まる。
「あ、にんじんも食べなきゃダメだよ!」
 それを見ていち早く、アニスが注意すると、ルークはぶーと唇を尖らせ、にんじんってさ、と口を動かした。
「なに?」
 にんじんって栄養あるのか?
「もちろん、あるよ!」
 にんじんにはカロチンが多く含まれていて、このBカロチンは体内で風邪を予防するビタミンAに変化する成分だ。 
 だから食べなよ、とアニスが説明すると、ひいてからじゃ意味なくね?とルークは反論したが、かなりためらった後・・・一口、口に入れた。
 お?とガイばかりか、アニスも驚いてそれを見る。
 まさか本当に食べるとは思ってなかったのだ。ルークのにんじん嫌いは徹底している。
 驚いた目に見つめられ、ルークは少し照れたように、すこしでも体に良いものを取ろうと思ってさ、と言い訳をした。
「・・・そ。」
「・・・良い心がけですね。」
 アニスとジェイドは、複雑な表情でその勇気を褒めたが、ガイは目を逸らした。
 体調を壊し、痛ましい姿のルークを、直視できなかった。
 
 どんなに死なないでくれと願ったところで、もうルークは戻れないという。
 ルークは事実を微笑んで受け入れ、それが逆にガイの焦燥感を煽るというのに、こうして生に対する執着をかいま見せられたら、やっぱり諦めきれなくなるではないか。
 救いを求める先が間違っているのに、その答えをルークに求める自分がいて、ガイは自分も卑怯だと思った。
 そうだ、自分たちは卑怯だ。
 今も昔も、答えを結果を、ルークに求めすぎてきた。
 しかも、一緒に旅している間にこの卑怯さはどんどんと蓄積されて、ルークの肩に積もり、結果心の柔らかいルークを蝕んできたのではないだろうか、とも思った。

 

 

 


 ルークの熱は翌日にはさがったが、ジェイドは念の為に、もう1日様子をみましょう、と言った。
 その日の預言をルークが聞いていないのを良いことに、夕方から雪が降るらしいですし、と嘘まで言う。
 ルークはしぶしぶながらに頷いたが、元気である自分を皆にみせたいのか、落ち着かないのか、ベッドから起きだし、うろうろと歩きまわっては、ティアに怒られていた。(第七音素の訓練をしてくれ、と何度駄目だと言っても聞き分けなかったからだ)

 

 明日は、晴れる予定だった。
 
 冷たい空気のなか、宝石を散らかしたような夜をみながら、ガイは白金の大きなシルエットへと近づいていく。
 内部ではノエルが明日からの飛行の為に、入念なチェックをしているところだった。
 お邪魔するよ、と声をかけると、ノエルはきゃ、と小さく叫んで驚き、ガイさん・・・と明らかにほっとした声を出した。
 無人の場所で集中していたところに現れた闖入者に、迷惑そうなそぶりもみせず、今日はルークさんはいませんよ?と続けて言う。

 帰って来てからというもの、ルークはアルビオールにいることが多い。
 姿が見えないと思うと、いつのまにかアルビオールに入り込んでいて、うっかり気がつかなかった時など、そのまま夜明かしをしていたことすらある。なんの為に宿をとったのかわかったものではない。

 
 その意味を考えまいと頭の隅に押し込み、いや、今日は頼みがあるんだと、ノエルに告げる。
「はい?なにか?」
 向こうのさ、とガイは言った。
「・・アルビオールに連絡取れないか、と思ってさ。」
「3号機にですか?」
 ノエルは首を傾げ、
「できる筈ですけど・・・けれど、条件は限定されますから・・・。」
「分かっている。」
 搭載されている通信機でアルビオール同士の連絡は可能だが、あまりにも遠くや、天候、通信を遮断するものが近くにある場合など、悪条件の場合は、話すことはできない。
 ガイは試して貰えないだろうかとノエルに聞いた。
 悪いね、と笑うと、ノエルは、いえ、たいしたことではありませんから、と微笑み返し、うまくいかなかったらごめんなさい、と謝りの言葉を先に口にした。

 しかし、1時間ほどトライしたものの、やはり繋がらない。
「ごめんなさい、やっぱり・・・。」
「そうか、すまないな・・・。」
 ガイが礼を言って、アルビオールから下りようとした時、ブツッブツッと耳障りな音がして、雑音交じりの声が聞こえてきた。

『こち・・・アル・・オール・3号機。ノエルか?』

「お兄さん?」
『うん。なんだい、いきなり。着陸した途端、通信が入ったから驚いたよ。』
 そうか、向こうは飛行中だったのかと思いながら、ガイは通信機の前に戻ってくる。
「お疲れさん。ギンジ。」
『・・・ガイさんですか?どうしたんです?』
 悪いんだけどさ、とガイは前置きし、
「・・・アッシュと話したいんだけど、良いかな?」
 と用件を言った。

 

 

『・・・アッシュと話したいんだけど、良いかな?』

 その声は助手席を陣取っているアッシュにも聞こえていた。
 チラリと確認するギンジに頷くと、ちょっと待ってくださいね、とギンジは通信機の向こうのガイに告げて、操縦席を下りる。
 通信機で話せるのは構造上、操縦席だけなので、ギンジは移動して、アッシュのいた助手席ではなく、後ろの席に行った。

「・・・なんだ?」
 自分と話したいというなら、内容はなんだか予想はできる。
 そう思いながらアッシュが代わると、ガイは案の定、ルークがさ、と言った。
『・・・あんまり調子が良くない。』
「そうか。」
 検査の時、同席していた為(というよりもアッシュも検査を受けさせられた)、ルークの先がないことは、アッシュも知っている。
 ギンジが後ろの席でそわそわとしている気配をみせたが、アッシュはそれは無視した。
 それで?と聞き返そうとするよりも早く、ガイの言葉が聞こえてくる。
『お前は体、大丈夫なのか?』
「・・・・・。」
 一瞬、アッシュは言葉につまった。
 ルークのことに関係しているとはいえ、もはやガイに、自分の体調を気づかわれるとは思わなかったのだ。
「・・・別に、なんでもないが。」
 アッシュはそっけなく返すと、そうか、良かったとガイは言った。
『検査の時は、おまえが先に終わって、結果を聞き損ねちまったからな。』
 どうしたかと思ってたんだ、と言うガイに、アッシュは複雑な表情を浮かべたが、幸いなことにそれを見ている者もいなかった。
『・・・おまえにもうひとつ、聞きたいことがあるんだが。』
「早く言え。」
 どうせそっちが本題だろうと憎々しげにアッシュは言い捨てる。
 ガイは、ルークのこと以外で自分に用がある訳がない、と思い込んでいるアッシュは、自分を気遣う言葉が本気に取れなかった。
 しかし通信機の向こうのガイからは、そう尖るなよ、と苦笑した気配がする。
『ルークの結果に動揺して、確かめるのが遅くなったのはたしかだが・・・。あんだけの力を使ったんだ。おまえだって無傷なのかどうか、気になって当然だろう?』
「・・・・・。」
 アッシュは溜息をつく。
 ガイは基本的にお人よしで、そのうえ、鋭い。それが時折カンに触る。
 レプリカのことだけ心配してりゃ良いものを、とアッシュは舌打したい気分になった。
 誰にも告げてないが・・・消える運命は、ルークだけではない。もっともアッシュのそれは、レムの塔の超振動が原因ではないが。
 

 
「・・・なんともねぇ。」
 アッシュは言った。
 それ以外に、なにを言うこともできない。
『そうか?』 
 少しだけ安心したような声がして(しかし疑っているようでもある)そのまま、沈黙がおちる。
 どう切り出したら良いか迷っている気配に、アッシュは先を促すことはしなかった。
 用事はそれだけなら切るぞ、と通信を遮断することもできたが、今はそれをすべきではないような気がして、アッシュは待った。
 ガイの迷いはほんの一瞬だったようで、やがて、それでだなぁ、と妙に押し殺したような声が聞こえてきた。
『お前はあの時、本当にルークと心中するつもりだったのか?』


 だって、そうだろう?とガイは思った。
 あれは・・選択として最悪だった。
 ジェイドの溜息に怒気が含まれているのは気のせいではない。
 レプリカも被験者も死んでしまったら、ローレライの解放をする者はいなくなる。
 間違いなく死ぬと告げられていたことをふたりでやる必要などないだろう。・・・力を分散できたかもしれないが、それは結果論だ。
 どちらかが死ななければという苦渋の選択肢に、ふたりして死ににいくという選択をするなど、どうかしている。
 誰でもそう思う。
 アッシュは・・・ルークにつきあう必要などなかった筈だ。

 ガイの隣のノエルは、チラリとガイを見たが、黙っていた。
 ギンジもなにも言わない。
 アッシュも沈黙したままだ。
 人を頼ることを良しとしない生き方をする人間には、固く締まった心中を吐露することに対する抵抗があるのだろう。
 だから聞き出せないという覚悟もしてのガイの質問だったのだが、やがて、アッシュは投げやりな口調で、およそ答えとは言えない質問をしてきた。

 

「お前は、今までに・・・死にたいと思ったことはあるか?」

 

『死ぬ?・・それは自ら、命を絶ちたいってそういう意味か?』
「誰に奪われるのでも良いがな。とりあえず、自分の命が続くのを断ち切っても良い、と思ったことが、だ。」
 ガイは少し考えて、
『・・・ああ。ある。』
 と答えた。
 家族も故郷もなくしたガイが生きてこれたのは、復讐という目的があったからだ。
 そういう意味では・・自分が今日まで生きてこれたのは、アッシュの(ルークの)おかげともいえる。
「俺には。」
 アッシュが言った。
「その選択はなかった。」

 変な言い方をするな、とガイは思った。
 ガイと同じく(レプリカ)ルークに対する憎しみが、自分を生き延びさせた、とそういう意味なのかとも思った。
 しかし。

「・・・死にたくなかった、という意味じゃねぇ。俺は、死ぬことができないんだ。」
 
 ユリアの預言に詠まれていたからな、とアッシュは言った。
 そういうことか、とガイは思った。

 ユリアの預言には、アッシュが18歳に死ぬ、と詠まれていた。
 ならば逆に・・・それまで、アッシュはどんなことになっていようと、生きている筈なのだ。


「死にたいといくら願ったところで、死ねない。俺は・・・生まれながらにして、自分の命すら自分の意思でどうにもできなかった。赤の他人の、しかも何千年前に生きていた幽霊みたいな女の呪縛に左右され、自由がなかった。逆にそれを利用もしたが、な。」
 鮮血のふたつ名が現わしているのは、髪の色と、血塗られた経歴、どちらに対しての嫌味なのか知らないが、アッシュのそれまでの行いは、黒いものばかりだ。
 絶対に死なない。
 その条件下において、およそ常人では尻込みするような、必要以上に危険な任務を引き受けてきたのは、一度や二度でもない。
 15歳という子供の年齢で、特務師団などという物騒な隊が任された時、驚くほど嫉妬ややっかみが少なかったのは、遠巻きに見る連中の目に、それ以上の恐怖が浮かんでいたからだ。まるで忌まわしい者が通るというように。

 

 『そうか・・・。』
 唸るようなガイの声が聞こえてきたが、その心境にアッシュは興味がなかった。
 同情にしろ理解にしろ、そんなものを他人に求めたことなどないし、今更だ。
「それだけだ。じゃあな。」
 アッシュが、義理は果たしたといわんばかりに通信を切ろうと、通信機に手を伸ばすと、後ろからギンジのええー!?という抗議の声が聞こえ、向こうからは、ノエルのえ?え?という戸惑いの声と、はは、おまえらしいなぁというガイの笑い声が聞こえてきた。
 ぶつん、と通信機を切ると、ぎゃーとギンジが吼える。
「ひどいですよ、アッシュさん!本当に切っちゃったんですか!?あれじゃガイさん、なんだかわからないじゃないですか!」
「そんなこと知るか。」
 えー!なんて不親切な人なんだ!とギンジが言うので、今更なにを言っていると言い返す。
 ガイがあのやりとりで、どんな答えを得たかは知らない。だが、彼なりの納得をするだろう。
 アッシュの内情を正しく理解できなかったとしても、興味のないことだった。

 

 誰に対してもそうであるが、死はそこから動かない絶対のものだ。
 しかし、アッシュにとって生々しい感触を持った指であり、誰よりも寄り添ってくる友でもあった。
 
 アッシュには生命が遠かった。
 生きていくことや、未来の夢が遠かった。
 予言から逃れようともがき続けたこともあったが、やがて疲れ、周囲を憎むことを覚えた。 
 幼い時にした約束は、一時アッシュを支えもしたが、絶望の象徴でもあった。
 そしてますます心は荒み、どうにか逃れられる手段を考えている弱い自分も確かにいて、ここまで人生を歪ませ、希望も未来遠ざけておいて、その絶望から救う手立てが死しかない、と気がついた時、アッシュはその皮肉さに思わず笑った。

 人はいつか死ぬ。
 自分はそれがいつだかわかっているだけで、その事実さえ受け止めてしまえば、案外、心穏やかに受け入れられるかもしれないとすら思っていた。
 しかし。
 それに、誰かが自らついてくるとは、呪われた人生のただ一度も想像したことはなかった。

 


『一緒に死んでほしい。』

 

 鉱山の街で大勢を犠牲にして死ぬことを決めつけられた人生だ。
 死に方を選ぼうと思ったことはなかった。
 もしてや、誰かに命を乞われるなど。

 


・・・・考えたこともなかった。
 あんな風に、切なそうに、そのくせ熱っぽく懇願されるなど。

 


「・・ぐっときたんだよ。」

「は?なんですって?」
 アッシュのひとりごとにギンジが目を白黒させると、アッシュは、なんだお前まだいたのか、とあんまりなことを言った。
 いますよ、消える訳ないでしょうーと抗議するギンジに、いつになくつっかっかってくるな、と思いながらもアッシュは無視する。
 普段言わないようなことを話すと、妙に疲れる。しかし、不思議と悪い気もしなかった。
 アッシュは溜息をつき、アルビオールの窓越しに、青い空を仰いだ。

 

 

 


 


 決戦の日。

 ノエルのアクロバティック的な操縦で、なんとかエルグランドに不時着したものの、襲撃はすぐに起こった。

 さすがはヴァン謡将、戦の要を分かっていますとジェイドは舌打ちをした。
 実際には、どこから乗り込んでくるかはわかっていなかった筈なので、援護のマルクト、キムラスカ連合軍の砲弾がエルグランドにあたったとみるや、そこに戦力を向かわせたのだろう。迅速な判断力は、戦において勝敗を分ける。

 
 迎え撃ったリグレットをはじめ、敵が狙ったのは、当然のように宝珠を持つルークだった。
 レムの塔で発見された宝珠は、そのままルークが持っていたが、それを六神将に知られたのも、こちらの落ち度だ。
 
 ルークは乖離の進んだ体でも、強かった。
 3人に同時に囲まれても焦りもせず、的確に敵の攻撃をかわし、着実に反撃にでた。
 3人のうち、ふたりまでがルークに倒され、残るひとりは援軍にきたトクナガの腕になぎ払われた。


 トクナガの腕を避けようとルークは後ろ跳びに逃げたのだが・・・そこで思わぬ事態が生じた。
 リグレットをみおくったティアに慰める言葉もなく、痛々しく見ていたガイがふと気がつくと、ルークがいない。見渡し、座り込んでいるルークに気がついて近寄っていくと、泣きそうになってその前に立っているアニスがいる。
 ルークは、ガイに気がつくと、てへへ、というように笑った。
 眉を下げ、どうしようか迷っている時に見せる、こわばった笑顔だった。
 ガイ、俺・・・。
 ルークは唇を動かした。

 足、動かなくなっちまった・・・。

 

 


 ルークの具合を見たジェイドは、眉を顰める。
 思ったよりも症状が進んでいる。だが、それを口にすることはしなかった。
 言わなくとも、ルークの体力の低下は誰の目にも明らかで、ついさきほどまで剣を振るっていたが故に、今の状況との落差がはっきりと現れている。
 このままでは・・・果たして決戦までもつかどうか・・・。


 ルークは、俯いたまま膝のうえの自分の手を見ていた。
 まだ、そこにあるのを確かめているような視線だった。
 それをガイがやるせない気持ちで見守っていると・・・ふと、その視線を感じたようにルークが顔をあげた。
 しかし、視線がガイの上に留まった訳ではないところをみると、こちらに、なにかを伝えようとして、顔をあげたようだった。

「なんだ?」
 ガイが聞くと、全員がルークを見た。
 ルークは少し、考えたように首をかしげると・・・ジェイドに向かって手を差し出す。
 その手には宝珠が握られていた。
「・・・・・。」
「・・なんで宝珠?」
 ジェイドには、その意図が分かっていたらしいが、アニスが不思議そうに聞き返す。
 ルークは、声もなく、俺をおいていってくれ、と言った。

「え!?」
「なにを言っているの?ルーク!」

 俺をおいていけ、とルークは繰り返した。
 宝珠をアッシュに届けて欲しい。アッシュに渡して、そしてローレライの開放を頼む、と伝えて。

「おいおい、おいてなんていかないぞ?」
「そうですわ!なにをおっしゃいますの!」
 ルークは、ガイとナタリアを見て、それから、一同を見回し、最後に視線をジェイドにおいた。
 わかっているんだろう?と言う。
 本当は・・・俺はもう足手まといだってこと。

 もう、ルークは歩けない。
 それでも行くというのなら、誰かに運んでも貰うしかなく、それでは、ルークばかりか運んでいる者も剣を振るうことができない。
 いつどこから襲撃されるかわからないこの状況で晒すには、あまりにも無防備な姿だ。

 戦えない者など。

 なんの為に戦場に連れて行く?


 ルークの瞳には、炎が宿っているようだった。
 それは怒りであり、焦りであり、最後の最後で躓く自分への慟哭だった。
 ルークのその表情に、一同は言葉を飲み込む。
 そうだ、ルークは正しい。
 正しく冷静だ。
 今のルークを連れていくことは・・・自らの命を危険に晒すことだ。
 誰が死んでもおかしくない状況に、戦えず、歩けない人間を連れていってどうなる。
 ただ一緒にいたい。
 その感情論だけで、自分たちはルークに、共にいて欲しいと強要しようとしている。


「・・・ええ、そうですね。今のあなたは確かに足手まといだ。」
 ジェイドが言った。
「た・・大佐!」
 ティアが責めるようにジェイドを呼んだが、しかし、その先が続かない。
 ジェイドはティアの制止の声など、耳を貸す気は毛頭なく、ただ事実だけを告げようとする。
 いつもの、ジェイドにしかできない説得だ。
 ひどい役回りが引き受けるのは、いつもジェイドの役目だったから、彼はルークの意図を読み取って、言った。
 
「あなたの言う通り、連れていったところで、なんの役にも立ちません。あなたを運ぶ誰かが戦闘能力を削ぐ訳にもいかない。ましてや、敵はヴァン謡将。あなたを庇いながら戦って、勝てる相手ではありません。」
 こくん、とルークは頷いた。
 そして、押し付けるようにして、さらに宝珠を差し出す。
 ジェイドは表情も変えず、それでも、一瞬、手を伸ばすのをためらった。
 どこか意を決したかのように、右手を伸ばし、
「あなたは・・・ここにおいていきます。」
 と、告げた。

 

 

「なにをしている、お前たち。」


 顔をあげたルークの目が、驚きに見開かれる。
 割り込んできた声に、全員が振り返り、そこに立つ不機嫌そのもののアッシュの姿を捕らえた。

「こんなところで、悠長にピクニックか?」
 車座を組んでいる一同に、余裕だな、とアッシュが嘲笑した。
 しかし、中心で座り込んでいるルークに気がつくと、とたんに険しい表情を浮かべる。
「・・・どうした?」
 ガイが説明をしている間、ルークは顔をあげなかった。
 アッシュの視線が自分に向くのを恐れているかのように、頑なに下を向き、まるで床と一体になった彫像のように、動かなかった。
 話を聞き終わり、アッシュの眉があがる。 
 座り込んでいる己のレプリカを睥睨すると、
「歩けなくなった?はっ!」
 さすがは劣化だな、大事なところでこのザマとは、と吐き捨てた。

 それを聞いて、アニスが激昂した。
「ひどい!ルークだって好きで歩けなくなったんじゃないのに!」
「そうですわ、言葉が過ぎます!」
 ナタリアがいつになく感情的にアッシュを責めたが、アッシュは一睨みで、ふたりを黙らせる。
「歩けなくなって、役立たずなのは、事実だろう。」
「それにしたって言い方が・・・!」
 まぁまぁと、ティアを宥めながら、ジェイドはふと、ガイが黙っていることに気がついた。
 いつもなら、アッシュの胸倉を掴んでいてもおかしくないのに、冷静にアッシュの横顔をながめている。

 言い争いをいつまでも続ける気はない、とアッシュが言った。
「俺はもう行くぞ。ここでぐずぐずしている暇はねぇ。」
 決戦の地といっても、エルドランドは広すぎる。
 ヴァンの元に辿りつくまでに、何日かはかかるだろう。
 アッシュが、ジェイドに手を差し出すと、ジェイドは、少しの間も考えずに、
「どうぞ。」
 ぽん、とアッシュの手に宝珠を落とす。
「どのみち、あなたのを探して届けるのは面倒だと思ってましたからね〜。」
 そっちから来ていただけて助かりましたよ、とジェイドは笑った。


 ジェイドの手からアッシュの手へ、宝珠が移動するのをルークは眺めていた。
 これで、全てアッシュに託した。ローレライのこと、ヴァンのこと。
 けれど・・・これで全てだっただろうか。

 アッシュに対しては、思い残すことがありすぎた。
 ルークのなかにある、アッシュへの執着は自分でも醜悪だと自覚するほどで、今、この期に及んでもまだ、膨らみ続けている。
 それがいつか、アッシュの身を滅ぼしてしまうと分かっていても、止まる気配は一向になく、ルークはアッシュに対してのみ、自分は魔物だと思う。
 どんなものよりも性質の悪い魔物だと。


「それで?」
 考えに耽っていたルークのつむじに、アッシュの声が降ってきた。
「俺はもう行くが、お前はどうする?」
 え、とルークはアッシュを見上げた。
 目があった途端、ルークの体は震える。
 諦めようと何度したか。乖離すると知って、我慢を重ねてきた。もう会わないと決めた。二度と、アッシュの名を口にはしないと。
 しかし、本当は、どれほどアッシュを渇望していただろう。


「ギンジには、すぐに脱出するように言いつけてあるが、今引き返せば、まだ間に合うかもしれない。」
 アルビオールにお前を乗せて、ここを離れることも可能だ、とアッシュは言った。
 決めろ、とも言う。
「こいつらと行くか、俺と一緒に来るか、ここにひとりで残るか、アルビオールで戻るか。・・・本当はどうしたいんだ?」
「・・・・・。」

 次の瞬間。
 ルークは、ふにゃん、と泣き顔になった。

 大の男の癖にと言いたくなるほど、情けなくぼろぼろ泣き、うぇっうぇっとえづきながら、アッシュに手を伸ばす。
 アッシュがかがむと、首に抱きついてきた。
 まるで長い間彷徨っていた迷子が、親にすがりつくようながむしゃらな仕草で、それは大層切なく、見ていた者は胸を押しつぶされそうになる。

 彼らのルークへの愛情は本物だったから、彼らはルークの心情を取り違えることはなかった。
 泣きじゃくるルークに、こんなにも本当は我慢をしていたのか、と可哀想になる。

 

 
 
 アッシュは、ルークの膝の後ろに手を入れると、抱き上げた。
 一瞬だけ、その感覚を確かめ・・・舌打した。
 自分と同じ体積を持つ者にはありえない重さ。
 ルークは、異常なほど軽くなっていた。それだけの音素が抜けてしまっている。

 ルークはくすん、と鼻を鳴らすとアッシュの首筋に濡れた頬を押し当てる。
 アッシュは歩きながら、泣くな、とルークに告げた。
 ルークの涙のせいで、髪がアッシュの首にもルークの頬にもへばりついている。
 面倒臭せぇ・・とつぶやくと、ルークの喉から、笑った気配が漏れた。

 


 ルークを連れ去るアッシュの後ろ姿を見ながら、うーん、とアニスが唸った。
 止める気は毛頭ないが、一応聞いてみる。
「いいんですかぁ、大佐〜。」
「行き先は同じですからねぇ。」
 ジェイドは言う。
 向かう先はひとつ。
 彼らは、選択する道と、一緒に行く人間が違っても、必ず最後は同じところに辿りつかなければならない。
 それに、とジェイドは言った。
「あのふたりは、フォンスロットで繋がっている。・・・レプリカであるルークは、被験者からなら、多少の音素の補給ができる筈です。」
「え?そうなんですか?」
「ええ・・・理論上は、可能です。」
 ジェイドは言い、もう一度アッシュとルークの姿を見た後、では私たちは違う道から行きますよ、と皆を促した。
 ヴァンを討つのは誰でも構わない。
 全員が一緒に行動して、一網打尽にされる可能性を考えたら、彼らとは別行動を取ることが望ましい。
 だからそれまでは。
「ルークをお願いしますよ、アッシュ・・・。」
「?なんか言いましたか?」
「いいえ?なにも。」

 

 

 

 

 ふわり、といきなり感覚のなくなり、アッシュは腕の中のルークを落としてしまわないように、慌てて力を込めた。
 ルークはといえば、いきなりアッシュからの締め付けが強くなったことに、一瞬驚いたようだったが・・・便乗のつもりなのか、さきほどよりも、首にかじりついてくる。
 そのことに対してはなにも言わないまま・・・アッシュは自分も先が短いことを悟った。
 時間がないのはルークだけではない。


「そういえば、てめぇ。」
 憎々しげに、そのくせどこか楽しそうなアッシュの声音に、ルークは、え?と、アッシュの顔を覗きこんだ。
「・・・結局、言わず終いかよ?」
 その口ではっきりと言えと言われたことを、最後までルークは告げなかった。
 言葉を失い、足を失ったが、ルークは自分の課せられた取引条件を差し出さずに、アッシュを手に入れようとしている。
 その事が少しだけ納得いかず、アッシュは言った。
「・・・言わないということは、俺のもチャラで良いな?」
 アッシュは言い、不満げにゆらゆらと揺れる、碧色の瞳に、意地悪く言い放った。


「俺はてめぇなんざ、嫌いだよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

fin

 

 

 

 

 


 ラプンツェルって、魔女に閉じ込められたけど、こき使われた訳でも酷い目にあわされた訳でもなく(なんの為に魔女はラプンツェルを奪ったんだろう?)よく考えたら・・大事にされていた箱入り娘の話だよね?
 でも、魔女より王子様が良いって、魔女捨てちゃう訳で。・・・ということで最後の童話はラプンツェルです。
 
 このシリーズらしく、ただのハッピーエンドではない終わりですが、書き始めた時から、この終わりは決まっていました。
 これにて「童話」シリーズは終わりですが、同設定の外伝(?)とかもし思いついたら、おあいしましょう。

('10 2.4)