街へと入った後、パーティは一旦解散をしていて、それは持ち回りの用事を済ませる為だったが、宿を取り、買い物を済ませ、それぞれが待ち合わせ場所に集まった時だった。 「のわ!どうしたの、それ!」
いつものけたたましい声に、一同が振り向けば、そこにはアニスとナタリアのふたり。
良いな〜という羨ましげな言葉を添えてアニスが見上げる先で、ナタリアは手に花を持っていた。
花束ではない。けれど、可憐というよりも綺麗と形容されるニ輪の赤いバラの花だ。
それはそこらの野原に咲いているような生命力の強いものではない。人が手をかけてやらなければならない気高く傲慢な花だ。故に摘んできたのではなく、店で買ったか、あるいは・・・人から貰ったか、のどちらかだろうと誰もが思った。
「アッシュに、いただきましたの。」
案の定、ナタリアが言った。
声はまるで言いにくいことを告げるかのように、はっきりせず、視線も空ろで彷徨っている。見事に照れているというその態度だが、それでも、口元は抑えきれないように小さく笑みの形をつくっていた。
「いつのまに・・・。」
ちょっと目を離した隙にこれだもんね〜とアニスがからかえば、偶然そこで会ったのですわ!とナタリアは言い返す。そのムキになった感じがいかにもで、あはは、とガイは笑い声をあげた。
「偶然ねぇ。」
どうだかなぁ、とガイが言うのを聞きとめて、ルークは横で首を傾げた。
「どういう意味だよ?」
「それにしちゃ用意が良いってことさ。」
「用意?」
ルークが聞き返す。
「だって、赤いバラだぞ?あいつがそんなもの持って歩いている訳はなし、偶然だってナタリアは言うが・・・それが本当ならここでナタリアに会うなんてアッシュに分からなかった筈だろ?」
「・・・となると、どうなる訳?」
「どこかで俺たちがいるのを見ていて、で、ナタリアの為に花を買った。その方が辻褄はあうってもんだが・・・。」
「けど、あのアッシュだぜ?」
「そう。あのアッシュだ。女にあげる為にわざわざ花を買うっていう柄でもない気はするんだが・・・案外そういう一面もあったのかもしれない、とな。」
意外にあいつは気障だしね、とガイが言うとのんびりとジェイドが相槌を打った。
「なんだか面白い話ですねぇ。」
そうとは思ってないようないつもの口調にガイは苦笑し、あんたはなんでも面白いんだな、と言う。
「・・・そんなに俺に呪われたいってか・・・。」
「ん?なにか言ったか?ルーク・・・。」
ルークの声は聞き取りやすいが、いくらなんでも脈絡がないその言葉に、ガイは自分が聞き間違ったのかと聞き返した。
「んーんー。なんでもねぇ。」
ルークは言う。
しかし、その目がなんだか好戦的に歪んでいた。
「?そうか?」
それでも、理由が思い当たらず、結局自分の思い過ごしだと流すことにし、しっかしなんで二輪なんだろうなぁ、とついでのように口にしたのを最後に、ガイはこの話を打ち切った。
もともと、アッシュとナタリアのことなど自分には関係のないことだし、ナタリアのことを考えれば、上手くいくならそれに越したことはない。
「案外、買ったとかじゃなくってさ。」
ルークは口元に笑みを浮かべた。
それはおよそ彼らしからぬ、冷たい感じの笑みだった。
「どっかで女にでも貰ったんじゃね?」
「ほら。」
やるよ、とずずいと押し付けられた3本の花・・・今回は白い百合の花だった・・・をいらん、といつものように拒否し切れなかったのは、アッシュにも多少ばかり気まずく思うことがあったからだった。ルークのこの不機嫌にも思いあたることがないではない。
ルークは、左手はアッシュに向け、そのくせ顔はあさっての方を向いている。
幼稚な意地の張り方だ。
「俺に他に言う事ないの?」
「・・・贈り手が誰でも、貰ったものならその時点で俺のものだ。」
ルークに視線をあわせるでもなく、しかし、突き放すような距離でもない位置に立ち、アッシュは答える。
「俺のものになったものを、誰にやろうと、俺の勝手だ。」
「あっそ。」
ルークはぷいとアッシュに背中を向け、そうと分からないように下を向いたが・・アッシュの位置からは唇を噛んでいるのが丸見えだった。
たかが花。
たかが、約束だ。
しかも、勝手に初めたゲームと同じで、アッシュ自身が認めた訳でも頼んだ訳でもない。
そう思いながらも、聞こえよがしに大きな溜息をついて、アッシュはもぎ取るようにして、ルークの持っている3本の百合を受け取った。
それを見てルークは一転、見るからに不機嫌だった顔を崩し、
「3本目ー。」
とえへへ、と笑う。
アッシュが今までの不機嫌さは演技だったのではないかと疑うほどの変わりようだった。
「これであと7回だな!」
嬉しそうな声に、アッシュは顔をしかめる。
「本気であと7回もこんなくだらない遊びをするつもりか?」
冷めた声と、それにも負けない冷めた視線で見下せば、え、ときょとんとした顔でルークはアッシュを見た。にこりとにやり、と間の顔で笑う。
「だってそうでもしないと告白なんてできないじゃん?」
「劣化の頭で考えることなど、ロクなことはないな。」
「なんとでも言えよ。」
ルークは笑い、
「俺にはこういう手順が必要なんだよ。なんてったってアッシュ相手だからな。こんな事でもしなきゃ勢いもつけられない。」
「まったく屑だな。」
「今さらだろ?」
なにを言われても動じないルークに、アッシュは舌打ちする。
ある程度まで痛めつけてきたせいか、ルークはアッシュに対し、ある種の免疫をつけたようだった。他の人間の前ではどうだか知らないが、アッシュに対し時々、開き直りともいえるようなふてぶてしいほどの態度を見せる。
そのクセ。
「うぜぇって言ってんのがわからないのか?」
本気で、苛立ちを露にすれば、
「・・・だって・・・。」
しゅん、と項垂れて、まるで叱られた子犬のように小さくなってしまう。
そのギャップに慣れず、アッシュがますます苛立ちを募らせているというのに。
「アッシュが悪いんだからな。俺を嫌いとか大声で言うやつに近づくのがどんなに勇気がいるか。お前にわかるかよっ!」
「今度は逆ギレか!」
思わず怒鳴り返した後、ルークにつきあっていける自分も、案外こいつに似ているのかもしれないという思いが脳裏を掠めて、嫌な気分になった。
ルークの思考は単純のように見えて、複雑だ。
しかも、どうでも良いことはどうでも良いことと流しているのに、真理を見出す時に驚くほど自虐的な一面を除かせる。
アッシュには自分を卑下する癖はないが、だが、相手を思いやる気持ちを持ち合わせているルークは、それがこと自分の話になると、他人の都合を優先しようとする。自分よりも相手を高みにおいてものを考えるのだ。
告白をする、ということは相手があってこそなのに、基本は相手の都合はおかまいなしの行為だ。
それは時には相手を手に入れる努力と賞賛されもし、もしかしたら自己満足だと指さされもする。
だからなのだろうか・・・ルークは待っている、と言った。
これから10回会った後、告白したい。良い?とアッシュには理解できない類の思いやりで、覚悟をしてくれるのを待つ、と言った。
待つもなにも返事は決まっているし、今されるのも10回会った後にされるのもたいした違いはない。
しかし、その10回は自分のためでもある、とルークは苦笑して言った。
断られることが分かっているからこそ、その10回の間は、夢見ていられるじゃないか、と。
その短くも長い手順が齎すものの効果がそんなに劇的なものだとは思えない以上、アッシュは舌打ちまじりにルークをねめつけるしかなかった。
いつかバカバカしさに気がついて、前言を撤回する、などということはもはや、ルークではありえないだろう。
だからしたいようにさせておくさ、と思ったのも確かにアッシュなのだ。
小腹が空いたからそこで食事でもどう?という誘いは即答で断った。
ルークはそれにめげた様子もなし、まあそうだよな〜と明るく笑う。それを見ているだけでは、本気でアッシュを好きなのか疑問を持つところだ。
じゃあな、とルークに背を向けた後、「この街にいる間に絶対に4回目の花を渡すからな!」と大きな宣言が追いかけてきた。
1回目には1本。3回目の今日は3本。4回目になる次は、ルークは4本の花を持ってくるだろう。
10本の花を渡されるまで、このくだらない、なにかごっこにつきあうのかと思うとうんざりする、とアッシュは大きく舌打ちをした。
約束の日は雨だった。
来るかどうかも分からないアッシュをルークは大きな木の下で待ち続けている。
雨足は強くなる一方だった。もはや枝にはった葉だけではその水量を受け止められず、下にいるルークの上に大量に落としている。
9本目の花を渡した時、そのまま言葉すら交わさず立ち去ろうとするアッシュに、街に入る時に記憶していた南側の大きな木を待ち合わせの場所に指定した。
街を囲む塀の外だったが、人の気配に近いからか魔物が寄り付かない場所に生えているその木は都合を良さそうだった。誰にも邪魔されず、アッシュと話をするには。
「早く来いよ、アッシュのやつ・・・。」
濡れそぼり冷え切った腕を組んでルークは、聞く人もいない言葉を水の溜まりだしている地面に投げた。
「帰っちまうぞ・・・。」
だが、それも今更だろう。
アッシュが本当に来るかどうかの保障などない。
いや、むしろ・・・来ないであろう可能性の方が高いとルークには分かっていた。
だから、時間を指定しなかった。
自分が帰るタイミングを失うのが目に見えていたからこそ、わざとそれをしなかった。期待するのは自分の勝手で、それに対して応える義務をアッシュは持ち合わせていない。
そうして自分を追い詰めることで、逃げ道を塞いでおきたかった。
ナタリアが、ルークがアッシュに贈った赤いバラを持ち帰ってきた時、たぶん、偶然ナタリアに会って問い詰められ、それで誤魔化す為に彼女に渡したものだろうとルークは信じている。
そう思わないとやるせなかったし、自分の思いを象徴した花を、調度良かったとばかりにナタリアの気を引く為に利用されるのも、ぽいとそこらに投げ捨てられるのも嫌だった。
だが実際、アッシュの言うとおり、彼に贈った時点でそれは彼に所有権が移っていて、それをアッシュがどこでどうしようと彼の勝手であることを納得してもいる。
結局、ルークが贈った5本目のフリージアも、ナタリアのものになった。
それを宿で見つけた時の衝撃は、一度目よりも遥かにルークの心を撃ちおとした。その後の食事の味もデザートの種類も思い出せないほどに。
雨足はひどくなる一方だった。
そろそろ頑丈が自慢のルークの体も、軋みをあげはじめている。
指先の感覚は鈍くなり、膝の痛みが増してくる。
フリージアを持ち帰ってきた時、ナタリアは少々風邪気味だった。
それに気付いたアッシュは、街中をわざわざ探し、体を温める効果があるというハーブの一種を買い与えた、という。
ハチミツと一緒に煎じて飲めば効くのだそうですわ、と口元に緩く笑みを浮かべたナタリアを、一瞬、どうしようもなく疎ましく思った。彼女が悪い訳ではないのに。
もしもあの日会った自分が、やはり風邪を引いていたら、アッシュはどうしただろう。
ナタリアにするようななにかをしてくれたとは到底思えないが、それでも自分の体調の変化に気がつくくらいのことはしてくれただろうか。
「・・・まあ・・・ないよな。」
そんなことなどありえない。
彼は基本的には人を寄せ付けないが、優しい人だ。
ただ、それをあからさまにすれば、なにがか失われると信じている。
なにかとてつもない不幸に翻弄されるに決まっていると思い込んでいるのだ。
けれど、その根本的な優しさは、水瓶からこぼれおちる水のように、時々あふれ出て、気まぐれのように触れ合った人間を濡らす。
その触れ合った温度の違いに人は驚き、そして彼に対して誤解をしている自分に気がつくだろう。ルークはそれが嬉しい。
彼がそうと気がつかないうちに、他人の心にわずかながらも火を灯すことが。
・・けれど同時に、胸を掻き毟りたい衝動にも駆られる。
彼が他人になら、なにげなく与えることができる優しさも、自分の前では大きな壁をつくってしまう。
もはやルーク自身に向けられないということは、日が沈み、月が昇るのと同じくらいに絶対的で、当然だ。
ルークはガイのことを思った。
彼はアッシュを時々疎ましがっている時があるが、その原因はアッシュの優しさを見る機会がないからだ。
アッシュはルークが傍にいれば、それだけで毛を逆立て、嫌悪をあらわにし、時々姿を現す他人への優しさを、殺してしまう。けっして、自分の優しさの類をルークの目に触れさせないように心を武装してしまうのだ。
まるで、ルークにそれが知れたら、穢れるとでもいうようように。
目にするだけのその領域に、入ることすら許されない。
雨はどんどん降り注ぎ、ルークの髪を肩を遠慮なしに濡れさせていく。
その水は重く、体に纏わりつき、ルークの体温も思考もなにもかもを汚そうと手加減なしの攻撃を繰り返してきていた。
もう立っていたくない、とルークは思った。
このまま雨に溶けて、水溜りのなかに沈んでしまえば良い。
そうして来るか来ないか分からないアッシュも、後になってそれを知るだろう。
自分が、ルークの心もなにもかもをここに捨てたのだ、という事を。
どんどん薄暗くなる意識を持て余しながら、それでもルークはその後、来ることのないアッシュを待ち続けていたのだった。
「まったくなにをしていたの?」
ちょっと街の外に出たら道に迷って、そしたら雨が降って来てさ、とルークがシーツに半分顔を埋めながらもごもごと言い訳をすると、ティアは呆れたと言って、それでも冷やしたタオルをルークの頭の上に置いた。
夜半になって、冷えに冷えた体を抱えて戻ってきたルークは、そのまま食事をする暇もなく、盛大に熱を出した。
ジェイドには、バカは風邪を引かない筈なのにとか、のんびりしている暇はないんですがね、とかさんざん嫌味を言われたが、それでも病人にすぐ様起きて、旅立ちを促すような真似はしなかった。
他の仲間も、半分呆れている顔を隠しもしなかったが、心配するような態度で時々、ベッドで唸っているルークの様子を見に顔を出してくれる。
病気になると、心が細そり、柔軟な考え方を奪ってしまう。
幼い頃、まだ体ができてない時期に何度も経験をしていたから、尚更その心細さには苦い思い出がある。今は心配してくれる仲間の存在が胸を締め付けるほどありがたかった。
目尻からそれと意識することなく、涙がこぼれるほどに。
それとは裏腹に、だるい体、よどむ思考はどんどんと悪いほうへ悪いほうへと気分を流そうとする。
それに気がつき、抵抗しようと思いながらも、どうしても捕らわれてしまうのはアッシュのことだった。
アッシュは結局来なかった。
あの雨を知らない訳がない。
だから自覚のうえで、あそこにルークをずっと待たせていたという事だ。
それで心が痛まないアッシュが憎かった。
どうでも良い存在だと、疎まれているのを知っていても、そこまでひどい仕打ちをしておいて、気にも留めないとはどういう神経しているのだろう。
あの真紅の髪はあの雨の中、一度も濡れる事などなかったに違いない。
どこか暖かい室内で、待っているだろうルークを思い描き、嘲笑ってでもいたのだろうか。
キリ・・とルークは歯噛みした。
それはルークの想像で、本物のアッシュではないのはわかっていたが、それでも、まだ哂われていた方がマシだと思える。
あの一世一代の決心を、覚えてすら貰えていなかったのなら、あまりにもみじめだ。
もういっそこのまま死んで、恨み言と一緒に成仏せずに一生纏わりつくくらいの事はしてやろうか。
思い知れば良いんだ。
後になり、世界に自分以上に、お前を求めた人間はいないと思い知って、恐怖するが良い。
そうしてこの雨のなかに、迷子を捨てた親のように、俺をひとりで置き去りにしたことを後悔すれば良い。
もう二度と、お前は雨を平静には眺められないだろう。
濃く立ち上る草の甘い匂いを、かぐわしく思うこともなくなるだろう。
そうして雨に支配され、お前が俺にそうしたように、圧倒的なそれでいて後になって気がつくようななにかを失い、もがけば良いんだ。
こうして俺が今、胸を掻き毟っているように。
そうして、一生このまま世界の全てを、敵に回してひとりで生きていけば良いんだ。
どれくらいの時間がたったか分からない。
だが、意識を失うように深く眠りについていたようだった。
目をとろとろと開けると視界に映る窓の外は暗く、室内の静けさに耳鳴りがした。
吐く息はまだ熱い。
ルークは手を伸ばし、焼け付きそうなほどに乾いたのどを潤そうと、体温並に熱いシーツの中から体を起こした。
足を出すのがおっくうで、無理な体勢でベッドサイドのコンソールに手を伸ばす。
ティアが用意しておいてくれた水差しからコップに水を注ぎ、唇を湿らせた後、だいぶ焦点があってきた視線を窓の外に向ければ、1階のその外枠になにかがあるのに気がついた。
おそらく、それが窓辺に置かれた音に、目を覚ましたのだろう。
ルークはひとつ大きな身震いをすると、腕に力を込めて窓の枠を掴んだ。
寝巻きにしていた長袖のシャツから腕が覗き、シーツの跡が残っていたが、それよりもぼんやりと浮かぶ、自分の腕のその白さを気味悪く思う。いつもこんな色だったのに気がつかなかったのだろうか。それとも、この数時間でここまで血の気が引いたのだろうか。
観音開きの右側だけを開くと、窓はきゅい、という軋んだ音をたてた。
左の窓枠のすぐ下に、しおれたなにかが置いてある。
思わず手に持ち、汚れてゴミのようになってしまったそれを、しげしげと眺める。
それは10本を束ねたデイジーの花だった。
どこも特別なところがなく、時には咲いていることを誰も気がつかないような花だけれど、ルークはデイジーが一番好きだ。
昨日、アッシュに渡す10回目の花に、ルークはデイジーを選んだ。
本当に素朴であまり顧みられないその花は、店頭に飾られることはあまりなく、何軒目か花屋を探してやっと見つけたものだった。
ルークが望んでいたのよりも色が薄く、10本を束ねるとまるでたんぽぽの綿毛のように見えた。
それを昨日、ルークはどうしただろう。
渡す筈のアッシュが来なかったから。
待ち合わせの木の下に、そっと置いてきた筈だ。
「・・・アッシュ?」
わずかな気配を感じ、首を伸ばして窓の下を覗きこむと、夜目にも鮮やかな赤い色を中心に描くつむじが見えた。
「・・・なにしてんだ、そんなところで・・・。」
ルークが訝しく思うのも当然で、アッシュは肩膝を曲げたそのままの姿勢で、壁によりかかっている。
顔はルークとは反対方向を向いているから見る事はできない。
だが、どこかだるそうな雰囲気が感じられる。
アッシュ独特の刺すような覇気がない。
「・・・起きたのかよ。」
ふいにアッシュが言った。いつもよりもかすれた声だった。
質問にまともに答えないのはいつものことなので、ルークはそれを気にもせず、うん、と逆に頷いた。
頷いて相手には見えないことに気がついて、今まで寝てた、と言葉で返す。
そうか、と聞こえるか聞こえないかの小さな声が返ってきて、ルークは眉を顰める。
どこか変だ。
これではまるで、アッシュの方が病人みたいではないか。
「お前、もしかして・・・。」
彼のプライドを傷つけるだろうかと思いつつも、ルークは口にする。
「・・怪我してんのか?」
「してたら悪いか。」
「えー。」
悪いというよりも意外だ。
アッシュが怪我を負ったことも、それを肯定したことも。
「もしかして治癒師が必要なほどなのか?それでここに寄ったとか?」
そういえば今は何時なのだろう。
ティアはまだ起きているだろうか。
治癒師はもうひとりいるにもかかわらず、無意識とはいえ彼女のことを除外していることに気がついて、ルークは目頭が熱くなる。
弱っているのだ、と実感した。
今、こんな時に。
熱にうなされたことにではなく、アッシュに振り向いても貰えないということに。
初めからわかりきっていたことなのに。いつのまにか期待して、勝手に傷ついて、あげく体を壊していたら世話はない。
・・・どんな子供だ、俺は。
「用はそれじゃねぇ。」
アッシュが言った。
「泣くな、うぜぇ。」
見もしないで言い当てるところが、被験者の為せる技なのだとしたら、なんて迷惑なんだろう。
そう思いながらルークは、じゃあなんで来たんだ?と唇と尖らせながら言った。
アッシュはそれには答えない。
そのクセ、立ち上がって振り返り、指でルークを指すとそのまま横へとずらす。そこをどけ、という無言の指示だった。
ルークは条件反射的に、どこうとして・・・。
「い・・今はダメだ!アッシュ!」
「あぁ!?」
窓枠に乗り上げようと手をかけたアッシュは、ルークに断られ、思いっきり眉を吊り上げた。
どんなに睨みつけられたってダメなものはダメだ、と心の中で反論しルークは続きを口にする。
「・・お、俺、風邪引いちまって・・・。」
ぴくりとアッシュの頬が引きつる。
「今もふせっているところなんだ・・・。」
だからアッシュに風邪をうつすと大変だから、と口調が弱くなるのは、うつしたらいけないという本音と、アッシュがせっかく来てくれたのに、というもうひとつの本音の間で迷いが生じていたからだ。
うつしてしまうのは本当に困る。だが、このまま背を向けられたら、どんなに切ないか。その切なさと言えば、身を焦がしそれだけで悶え死ねそうなほどだ。
「いいから、そこをどけ。」
心底面倒臭そうに乱暴に言われ、ルークは叱られた犬のように、大人しく言う事を聞いて体を窓から離した。
アッシュはひらりと窓から部屋へと侵入し、てめぇに風邪をうつされるほどヤワじゃねぇ、と言った。
そしてそのまま、藪から棒に言う。
「おい、仕切り直しだ。」
「・・・・・。」
反応のないルークにアッシュは舌打ちし、
「聞いているか。仕切り直しだと言っているんだ。」
と念をおした。
ルークはというとまるっきり話についていけない。
「ええ・・と。」
はっきりしない答えになるのは仕方がないと思う。だからそう睨むのは勘弁して欲しい。
「なにを、仕切り直すんだ?」
アッシュは心底、呆れたという顔をした。
しかし、呆れたいのはむしろこっちだ。まるっきり話の前後が繋がっていないのは、ルークの勘違いではない筈だ。
アッシュは唸り、右手に顔を埋め、そうだお前は頭が悪かったんだったな、と嘆き口調で嫌味を言った。
「なんだよ。」
今回は俺は悪くねぇ!とルークが叫ぶと、うるさい病人が騒ぐなと怒鳴り返される始末。
不条理極まりない。
「大体、お前なにしに来た訳?」
もちろん見舞いではないだろうが、治癒師に用でもなく、問い詰めれば訳が分からない事を言う。
多少なりとも、ルークに拗ねる権利があると言うものだ。熱もあるのだし。
「だから仕切り直しだ。」
「だから、なんのだって聞いてんだろ。」
「昨日のに、決まっているだろう!」
「昨日っていったって色々と・・・って・・・あれ?」
ルークは、はた、とアッシュを見る。
アッシュはといえば、別段特別な事を言った訳でもないという風で、腕を組み、ルークの視線を受けて立っている。
「え。」
その言葉の意味に気がつく。
昨日のせいでルークは熱を出す羽目になったのではないか。
「えええ!?」
「うるせぇ!」
病人に対して本気で頭を殴る優しさの微塵もない被験者を、ルークは恐る恐る見上げた。頭のなかは軽くパニックだった。
アッシュの言葉をそのまま信じるなら・・・彼はルークの告白を聞きにきた、ということなのではないだろうか。
あのアッシュが、わざわざ足を運んでまで。
「そ・・・そんなこと・・・。」
声が上擦り、頬が紅潮するのは熱のせいでは、きっとない。
「い、いきなりなんで?」
ついこの間まで面倒臭がっていたではないか。
「別に?」
アッシュはというと、腕を組んだまま、
「惜しいことをした、と思っただけだ。」
眉ひとつ動かさずに言い切った。
その言葉に一瞬、ルークは息をするのを忘れたほどだ。
あああ、なんてことだ。
なんでこんな時に風邪で、熱で、体調が悪くって、心臓がばくばくいうんだ。
そしてどうして今更、緊張するんだ!
「惜しくなったって・・・。」
頭には更に血が昇ったようだ。
のぼせたように少しふらふらしながら、ルークは必死になって言葉を紡ぐ。
この場合の必死さは、あまり考えずに言葉を投げてアッシュの機嫌を損ねるのを避ける為だった。
「俺のこと、か?」
だが、やはり余計な確認だったらしい。
アッシュはあからさまに眉を吊り上げ、目尻にやたらと力が篭っている。
「話を聞いてなかったのか、聞いてたのに理解できなかったのか、俺の話が分かりずらかったのか、どれだ?」
「・・・う・・ご、ごめん・・・。」
そうだ、今の話の流れからして、惜しがられているのは自分のこと以外に考えられない。
しかし、そう思っても嘘かもしれないと確認したくなったルークの気持ちも、けっして可笑しなものではないと思う。
なにしろ、アッシュなのだ。
あの、アッシュからそんな言葉が出るなんて、今でも信じられない。
それは、アッシュも同じだった。
己のレプリカに対し、こんな譲歩をしようするなど、自分でも信じられなかった。
昨日。
本当に、どうでも良いと思っていた。
ルークが待っているというならば、きっとこのバカのことだ。いつまでも待っているに違いないが、それでも勝手にすれば良い、と。
だが、待たれるというのは・・・誰かが待っているとわかっているのにそれを黙殺するというのは、どこかで後ろめたさと、落ち着きない気分にさせるものだ。
だから、夕刻近くになり、振り出した雨の中を、様子を見に行くだけはしても良い、と足を向けた。
たとえ、まだ木の下にいたとしても、遠くから確認したら、それで去ってしまっても良いとさえ思っていた。
途中で油断しわずかといえど傷を負わされ、やりあった魔物の体液を浴びた瞬間、全身にしびれが走り、動けなくなった。
幸い、その時の魔物の息の根を止めてはいたが、もしもあの時、新手が現われでもしていたら、まともに太刀打ちできたかわからない。
体の自由が奪われ、意志とは関係なくまぶたが閉じる瞬間、2度と目を開けることはないかもしれない、と覚悟をした。
ひとりで行動するという事は、己の命も己にしか管理できないということだ。
アッシュがそこで意識を失っているうちに、何者かにその隙をつかれて命を落としたとしても、その事実を誰も知りようがない。
少しだけ自嘲し、そうして動かなくなった体を重いと感じ始めた時、ふと、もしも自分が死んだら、遠く離れていてもレプリカにはわかるのだろうか、と思った。
自分が死んでももはや悲しむ人間などいないだろう。
それでも。
あいつはきっと泣くに違いない、と思った。
あいつはレプリカで。
俺は被験者だから。
「どうした。」
アッシュは先を促すようにして、ルークに顎をしゃくった。
「この前までの威勢はどうした。お前の覚悟とやらは、そんなものか。」
それ、たぶん、言葉の使い方違うし。少なくともこういう場面でいう言葉じゃないだろう。
それでもルークはカラカラに乾いた喉から、搾り出すようにして言葉を紡いだ。
これはチャンスだ。
きっと人はこれを、奇跡と呼ぶ。
だから。
震える声を叱咤して、なるべく大きくゆっくりと、息を吸い込んで。
「好きだ、アッシュ。」
散々回線繋げて、今更分かっているだろうけど。
嫌いな俺に言われても、迷惑だろうけど。
それでも、お前が好きだ。
ずっと願っていたのは、伝える、ただそれだけだ。
それ以上を望むことなど許されないから。
だから、せめて伝わるようにと、心を込めたつもりだった。
なのに。
「・・・・・。」
自分で言えと言ったくせに、アッシュはそれには答えず、がしがしと頭を掻くと(ルークはアッシュが自分のクセと同じ仕草をしたので、ひとりでびっくりしていた)良くねぇな、と呟いた。
「は・・?」
今、なんか思いもかけないことを言われなかっただろうか。
しかも、悪い方に。
「もうちょっとこう・・・良い雰囲気になるかと思ったが、なにも感じねぇ・・。」
「えええー?」
なんだよそれー、と涙目になりながらルークは訴えたが、てめぇに色気が足りないのがいけないんじゃないのか?と憎まれ口をたたかれ、悔しいが言い返せない。
だってしょうがねえだろだって、とすでに会話がなりたたない言葉を繰り返し、テンパっているルークを横目で見ると、
「ま、こんなもんか。」
とあっさりとそう言い、アッシュはきびすを返して窓へと向かう。
その先にあるのは、もちろん外だ。
びっくりしてルークは言った。
「え?帰るのか?」
当たり前だろう、とアッシュは言った。
「もう用は済んだ。これ以上の長居は無用だ。」
風邪をうつされでもしたらかなわないからな、と平気な顔で言うアッシュの表情がこれ以上ないくらいに憎らしくって、さっきそんなヤワじゃねぇって言ってたくせに!と言い返すルークはしかし、他に引き止める言葉すら思いつかない。
思わず涙目になって、アッシュを睨むルークをどう思ったのか、アッシュは笑った。
ルークが思わずどぎまぎするような美しい笑みだった。
「まあ、今のてめぇじゃあそんなところだろうよ。」
窓枠に足をかけながらアッシュは言い、去り際に
「次こそ期待してるぞ。」
と置き去りにするようにしてそんな言葉を投げる。
だからもう少し色気でもつけとけ、と言われ、次といわれた嬉しさとプレッシャーとで、どうやってつけるんだよ!そんなもの!とルークが言った時には、すでに、アッシュの姿は窓の向こうへと身を躍らせていた。
地面に着地し、振り向くとおとなしく部屋で落ち込んでいるかと思ったルークが身を乗り出すようにしてこちらを見ている。
目が合うと、嬉しそうににこりと笑う。
ひらひらと手を振る姿に、つられて笑みを浮かべそうになり・・・アッシュは本当に馬鹿馬鹿しいな、と思った。
回りが敵だらけのこの世界で生きるのに、こんなことは、らしくもふさわしくもない。
だが、悪い気分でもない、とアッシュは思った。
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