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光の中から伸ばされた手は、大きく暖かかった。
それははるか昔に置き忘れていた記憶よりもさらにぬくもり深く。
仕草は子供を扱うのと同じ、慈愛に満ちていた。
その手に覚醒させられ、その声に蘇らせた。
目を開けた時に、思わず直視できないほどのまぶしい光が降り注ぎ、そして、再び、世界へと戻ってきた。
その時、なんの見返りを要求もせず、迎え入れてくれたあの時の光の束を、今も恨んでいる。
Scarborough Fair
大きく、街中に響くほどの鐘の音が鳴り響く中で、急いで螺旋状の階段を駆け下りる。
これは礼拝の前の一の鐘。
後2回ほどの猶予はあるが、それも終われば、もうタイムリミットだ。
「まったく手間をかけさせやがって・・・。」
一体どこに行ったのか、目的の人物は髪の先さえも、見つからないときた。
『仕方がありませんわね・・・。』
どんな時でも、天使のようなお人だ。
さきほど、彼が守護する要人が、困ったように小首を傾げていた姿が脳裏に思い出させる。
『彼には、彼の思うところがあるのでしょう。』
それで、エスケープが許される訳もない。
『そう・・絶対にいなければならないというものでもありません。いざとなったらロニさん。あなただけでも戻ってらしてください。』
「ええ、ええ、そうさせていただきますよ、お優しいフィリア様のお望みとあらば!!」
人目がない事をちらりと確かめ、階段を7つ上から飛び降りた。
行儀良い事を要求される神殿内で、こんなところを見つかりでもしたら、自分まで大目玉だ。
ただでさえ、あのやる気のない相棒のせいで、このところ大司教に目をつけられているというのに。
中庭をつっきって、自室近くまで、ロニは走って戻ってきた。
もしかしたら、未だに部屋にいるのかもしれない、と思いたっての事だった。
元々、騎士は数人が一部屋に同居するものだが、ロニに宛がわれた部屋は彼の相棒とふたり部屋で、それは彼らの状況を鑑みるに、非常に好都合となっている。
もちろん、そうなったのは、アタモニ神団最高の発言力を持つ、フィリアの助言あっての事だ。
「・・・いやがった・・・。」
寄宿舎の2階にある自分たちの部屋を見上げ、窓が開いている事を確かめると、ロニはつぶやく。
その窓のヘリに足を投げ出し、目的の人物は小声で歌を口ずさんでいた。
散々探し回ったというのに、暢気なその姿に一気に怒りがこみ上げてきて、ロニは叫んだ。
「ジューダス!!そんなところでなにしてやがるっ!」
その怒号にも、別段驚いた風もない。
黒い髪のロニの相棒は、そこにいたのか、という悪びれない態度で、
「空を見ていた。」
と自分の今の行動を説明する始末。
「てめぇ、今何時だと思ってやがる!」
「昼前だろう。先ほど鐘が鳴った。」
「そこまでわかっているってのか!!」
目を三角に吊り上げ、ロニは自慢のハルバートを怒らせた肩の上でとんとんと鳴らした。
「今日は、フィリアさんが昼の礼拝に出るんだぞ!守護役の俺たちがいなくってどうする!!」
アタモニ神団では、先の争乱を収めた四英雄のひとり、フィリア・フィリス大司祭を看板に、布教活動に務めてきた。
18年たった今でも、彼女が説教をする日は聖堂を埋め尽くすほどの人が集まり、神団はきっての要人である彼女に、わざわざ騎士の護衛をつけている。
その任を、フィリア自らの指名により任されているのが、ロニとジューダスのふたりだ。
「ふたつ目の鐘が鳴ってからでも十分間にあうだろう。裏道を使えば、大聖堂までは1分もかからない。」
「あのな、その前からフィリアさんのお傍近くに控えて、狼藉者がいないか目を光らせるのも任務ってもんだろうが!」
「狼藉者?」
は、と乾いた声で嘲笑してジューダスは言った。
「一番の狼藉者が、ここにいるというのに、か?」
四英雄の名声の影には、ひとりの裏切り者がいた。
それは、フォルトゥナと戦い、取り戻した正規の歴史でも変わることのない事実だった。
そして彼らは記憶を失くし、普通の・・・なんの変哲もない、戦いも旅もない平凡な生活に戻る筈だった。
その時の記憶もある。
ロニは確かに、パン屋で働いていたし、カイルは孤児院で、四英雄の息子ながらも、自らの目標を父親に定めたりはしない・・・しっかりとした個を持った、頼もしい村の若者に過ぎなかった。
そのカイルの確固たる自我が形勢された影に、実は選択されなかった時間の流れがあった、という事を・・彼らはその一年後、大きな彗星が近づいたというその日に取り戻した。
その日は、朝からカイルとふたり、旅に出ようとしていた。
行った事もないのに、妙に懐かしいというラグナ遺跡に寄り、そこで、リアラが戻ってきた。
リアラの姿を見たとき、ロニはぎょっとしたのを覚えている。
そして、カイルのやつ、いきなりナンパかよ、と思い、これから先の旅路に付き添う花が現れた事を、密かに喜んだ事も覚えている。
なのに・・・。
ロニの口から最初に出た言葉は、リアラ無事だったのか、だった。
自分の意思とは無関係なところから出た安堵の言葉。
そして、その意味を考えようとした時には、もうすでに記憶が戻っていた。
まるで、初めから持っていたかのように。
黙っていれば、文句なしの美貌の騎士。
それが要人を守護しているとなれば、否が応でも人目に晒される機会も多くなる。
現にジューダスのファンを称す若い女性信者も多く、フィリアが神殿を出て街を歩いている時など、フィリアにではなく、ジューダスに花を持ってくる者が後を絶たない。
こうなるであろう事は、フィリアは最初から分かっていて、しかし、彼を守護役にするという主張を、決して曲げなかった。
記憶を取り戻したのは、なにもカイルたちだけではなかった。
以前に・・・ジューダスと名乗る仮面の剣士が、スタンの息子と一緒に来たことを、フィリアも思い出していた。
そして密かに、彼が昔別れた仲間であると確信していた事も。
そのきっかけは・・・たぶん、リアラが復活した事で、カイルと自分の記憶が戻ったように、ジューダスが・・・リオンが復活したことで、彼らの記憶が戻ったのだ、とロニは思っている。
消える、と宣言されていたジューダスは、ロニたちがリアラと再会したのと、ほぼ時を同じくして戻ってきた。
それを知った時、大喜びをした気の早いスタンは、事態を掴む間もなく、早速、方々の昔の仲間に知らせを送った。リオンが生きていた、と。
しかし、その後で我に返って、リオンが年を取ってないという事に気がつき、彼は今までどこにいたんだ?という仲間からの返事には、答えられなかったというから笑ってしまう。
もっとも、当時、本当に笑ったのはロニではなく、ジューダス本人だったのだが。
大聖堂を円形に・・・外に向けて高い段になるようなつくりにしたのは一体誰なのか。
齢30を過ぎても、フィリアの声はか細く可憐でさえあり、大きく張り上げることはめったにない。
それゆえに、彼女はむしろ、説教よりも、懺悔に対して囁きかける方が向いている。
だが、中央に立ち、アタモニの教えを説く彼女の声は、大聖堂のつくりのおかげで、綺麗に響いていた。
おもわずあくびを噛み殺し、ロニはもう何度目かのフィリアの説教に耳を傾ける。そうしないと真面目に居眠りしそうだ。
さすがにすべてではないが、内容は同じような事の繰り返しで、そのうち諳んじられそうだ。
要人とはいえ、神に仕える身の彼女の命を狙っても得られるものは少ないし、なんと言っても、この世界を救った人間だ。
悪人でさえ、彼女には感謝しているに違いないのだ。それで、狼藉を働く者などいよう筈もない。
フィリアの説教が続くなか、後ろで目立たぬように控え、そろそろ飽きてきたなぁ、とロニは思っていた。
不謹慎なことこのうえないが、なにしろ移動しているのとは違い、この時間はただ、立ったままだ。
本がある訳でも、休憩の時のように煙草を吸える訳でもない。
そっと、フィリアを挟んで右側に立つ、彼の相棒の様子を見てみれば・・・。
さきほどまでのやる気のなさはどこへやら。
きりっと背筋を伸ばし、フィリアを見に集まった、大聖堂の民衆に目を走らせている。
その見事な化けっぷりには、ロニは感心するよりもむしろ呆れてしまう。
フィリアの説教が終わると、人々は彼女の回りに集まってきた。
守護役としては一番、緊張をする時間だ。
年寄りや子供ばかりだから、まさかとは思うが、この中に、フィリアに危害を加えようというものが混じっていないとも限らない。
だが、そんなロニの緊張など露知らず、人々はフィリアの回りに集まり、ひとことなりとも言葉を貰い、その手に触れようと、その事に情熱を傾けているらしかった。
その顔はまるで、母親に甘える子供のようだ。
いくつになっても心の拠り所となる相手に対すると、人間は無邪気になるのかもしれない。
「あの・・・。」
可愛らしくもためらいがちな声が、右側から聞こえて、ロニはそちらの方に目を向ける。
フィリアを挟み、左をロニ、右をジューダスが守っている。
声の主は、フィリアにではなく、ジューダスに用があるようだった。
ロニの目の端に、野草だろうか。素朴だが可憐な花が束になって、白くか細い手に握られているのが見えて、いつものジューダスのファンか、とロニは思った。
「あの、これを。」
フィリアが体の向きを動かした事で隠れていた姿を確認できるようになると、なんとなくそちらをロニは見た。
昔ならば、ジューダスがモテる事を面白くないと思っただろうし、いまでも美人に興味があるのは変わらないが・・・もう、誰彼構わずという気は、まったくおきない。
それはもちろん、ロニには成長を待っている人がいて・・・彼女が果たして将来、自分を選んでくれるかどうかの方が重要だからだ。
なにしろ、相手は14歳も年下なのだ。
彼女が、あの時と同じ19歳になる頃には、自分は33だ。
なにかの弾みで、好きな男を別にこさえてしまっても不思議ではない。
ジューダスは初め花束を断ったが、やんわりとフィリアに受け取る様に言われ、許しを得たなら、という風に相手の失礼のない程度のそっけなさで受け取った。
その仕草はロニから見ても優雅で、意中の相手の紳士的な態度に、自然、花束を渡した少女の顔が赤くなる。
「あの・・お名前を教えて頂けませんか?」
目を心なしか潤ませて少女が言う。
ジューダスは、人が気づかない程度に眉を動かしたが、
「訳あって私には名前がありません。」
と前置きを答えた。
「・・・宜しければ、リオン、とお呼びください。フィリア・フィリス大司教から頂いた名です。」
少女は、え?というようにして、ぱちぱちと瞬きをしたが、
「リオン様・・・?」
「ええ。」
「そうですか・・・。分かりました。ありがとうございます。」
世界で知らない者のない呪われたその名を、意中の男が名乗った事にためらいがなかった訳ではないだろうが、少女は、結局はその名を受け入れる事にしたようだった。まあ、事実、そうであるのだから、受け入れるも受け入れないもないのだが。
リアラを加えた一通りの旅から戻った後(前回と違ってなにやら平和な旅だった。・・・退屈だったともいう)結局、ロニはパン屋へは戻らなかった。
それはエルレインがいなくなったアタモニ神団が、本当に弱者の為のものとなり、微力ながらも、人々の生活を助けようとしている姿に、心を動かされたからだ。
前回の時は、それはかなわぬ夢だった。
今度こそ、自分も弱者の立場になって働くことができると喜び勇んで騎士に志願してみれば、それにジューダスまでがついてきた。
本人曰く、クレスタの田舎暮らしは(ここでもちろん、ルーティにぶっ叩かれている)性に合わない、という。
ルーティかスタンか。
いずれかから事前に連絡を受けていたらしく、まるで偶然を装って、フィリアが自分たちを守護役にと使命したのは、入団して一月後のことだった。
どこの馬の骨ともしらん、一介の騎士・・・しかも入団したばかりの若造たちですぞ?と苦虫を噛み潰したような顔で、他の司祭たちが提言しても、フィリアは頑として聞き入れなかった。
それで司祭たちがとうとう根負けした時・・・フィリアは、よろしくお願いしますね、と並んだふたりに、微笑んで手を差し伸べ、そして。
これから先、あなたの事を、リオンさん、とお呼びしても?
とジューダスに言った。
息を飲み、目を見開き、言葉をなくした司祭たちの顔を今でも、ロニは覚えている。
ロニとしても例外ではなく。
それは裏切り者の名前。決して誰も口にしてはならない、禁じられた呪文だった。
しかし、知っている者は、そうではないと知っている。
だからこそ、いずれ世界の・・・ほんの狭い一箇所からやがて世界は、序々に知ることになるだろう。
四英雄フィリア・フィリスが、常に傍に仕える者をその名で、しかも親しみを込めて呼ぶという事で、裏切り者はそれだけの、ただの裏切り者ではなかったのだという事を。
それは、リオンの名を、ただ単に穢れた名前のように、フィリアの前で口にする事が、禁じられた瞬間だった。
使いの者がやってきて、ロニは、え?と一瞬、我が耳を疑った。
「俺にっすか?」
「そうです。」
まだ若い司祭はにこにこと笑って、ロニに言う。
ロニにどうこうというよりも、憧れの大司教から直々に伝言をことづかったのが、嬉しいらしい。確かに、用件が他人への用件だったとしても、口を利いて貰えた、という事実は変わらない。
「フィリア様が?」
「ええ。お茶の時間にぜひいらしてください、との事です。お客様がいらっしゃるそうで。」
「それは良いんですが・・・俺、ひとりですか?」
「ええ。」
客が来るから一応の警護というには、どうも妙だ。(そもそも警護が必要な人間を客に迎えるというのも変な話だが)
ジューダスもならともかく、自分ひとり・・・。
そんな事を考えながら、ロニは部屋を出た。
そもそも、司祭が伝言を伝えにきた時間からして、まさにお茶の時間ではないか。まるで断る暇を与えないようなタイミング。こんなふいうちのような方法はフィリアらしくない。
失礼します、と断ってドアを開ける。
守護役と言えど、この部屋に入ることなどめったになく、いつになく緊張してノックをする手も震えたくらいだったが、ドアを開けて目に飛び込んできた光景に、一瞬でそんなことも吹き飛んだ。
「おう、ロニ。」
「スタンさん!?」
見れば、どこにいてもくつろげるスタンが、まさに特技を発揮したという体で、ひらひらと手を振っている。
丸く白いレースのクロスをかけたテーブルの上には紅茶がふたつ、ソーサーに乗せられて並んでいた。
その向かいの席では、フィリアが、にこにこと嬉しそうにロニの様子を見ている。
「スタンさん、来るなら来るって連絡してくれれば・・・。」
動揺しながらよたよたとロニがスタンに近づけば。
「いや、フィリアにはしてあったからさ。てっきり、話してくれてると思ったんだけど・・・。」
「たまには、私も周囲の人をびっくりさせようといういたずら心くらい、起こすのですわ。」
などとしれっとした顔でフィリアは言い、紅茶のカップをもうひとつ、ロニの為に用意した。
ロニは恐縮しながらも淹れてもらった紅茶を受け取る。
「けど、スタンさん。今日はどうして神殿に?」
「いや、買出しでアイグレッテまで来たからさ。ついでに、フィリアたちの顔を見て行こうと思ったんだけど・・・。」
「んじゃあ、どうしてジューダスのヤツはのけ者なんです?」
やっぱり驚かせてやろうとでも思ってるのかな、と軽く思ってロニが言うと、そこでスタンは困ったように眉を下げた。
その、いつにない煮え切らない態度に、ロニは首を傾げる。
フィリアも黙って、紅茶を口に運んでいる。
「なにかあるんですか?」
困った様子を、ロニが指摘すると、
「・・初めはリオンもって思ったんだけど・・・リオンは俺の顔、見たくないかもしれないから、さ。」
スタンは、逆立った髪をがしがしと掻きながら、そんな事を言う。
「?なんでですか?」
ジューダスとスタンは旧知の仲だ。
しかも・・・スタンの事を友人だと思っているのは間違いない。
大勢が父と慕い、憧れの的であるスタンを、馬鹿だカバだと罵倒できるのは、今やルーティとジューダスのふたりしかいない。
それだけの根拠ではなく、カイルがスタンの息子だからこそ、自分たちの旅に同行したのだという事を、ロニは確信しているからだ。友人だと思ってない相手の子供を、密かに守ろうなどと、誰であろうとする筈はない。
・・・ちなみに、あそこでカイルが一緒に行こうと言いださなければ、ジューダスはどこまで黙って後をつけてきたのか、ちょっと見てみたいロニである。
なのに、スタンが心配するような事がある筈もないと思うのだが・・・。
「いや・・・。」
スタンはロニのそんな慰めにも、心を動かされない。
本当に困った時にしか見せない、思いっきり眉を下げた顔で(見様によっては泣く寸前の子供のような顔だ)、はあと深く溜息までついた。
「なにがそんなに心配なんですか?」
さすがにこれは尋常ではない、と自分も心配になり、ロニは誰が聞きとがめる訳でもないのに、ついつい小声で問いただした。
スタンは、う〜とか、それが、とかうめき声交じりのよく聞き取れない言葉で、ごにょごにょとなにかを言った後、
「・・・リオンが帰ってきた時さ。」
と、言いだした。
背中を丸め、フィリアが淹れてくれた紅茶のカップを、両手で包み込むように持っている。
視線はそのお茶の中だ。
「俺が、見つけただろ?」
「・・ええ。」
復活したジューダスを拾ったのは、スタンだった。
そこには密かに、スタンとルーティが造ったリオンの墓があった、というから偶然で片付けるのもなんだか出来すぎな気がする。
ひさしぶりにリオンの墓の回りの雑草でもむしっておくかと向かってみれば、死んだはずの本人がその場に倒れていたなどと。
スタンじゃなくとも、運命だ、と騒ぎたくなるだろう。
「初めさ〜。俺、良く似た感じの男の子が行き倒れてるなって思ったんだ。リオンの巡り合わせってやつかな〜なんてさ。」
スタンは、もしもし?と暢気に揺り起こしたのだが、なんの反応がないので、うつぶせの体をひっくり返したのだそうだ。
そしてそこで、相手の顔を、見た。
「そしたら、似てたどころかリオン本人でさ〜。夢か幻か、それとも俺が可笑しくなっちゃったのか。もう自分で自分の目が信じられなかったな〜。あの時は。」
しかし、スタンはスタンだった。
一瞬、疑った自分の目の事など、すぐにその場に棚にあげ、ただただ、帰ってきたリオンに歓喜したという。
そして、状況を把握する前に仲間に知らせを送ったというのは、未だにルーティがスタンをからかうネタにしている。
「けど、その時にさ。」
その時の詳しい状況は聞いてない。
カイルも、スタンがジューダスを拾ってきた、という事実しかしらない筈だ。
「しばらく揺り起こしていたらリオンが目を覚まして。」
一刻も早く死んでないことを確かめたかったスタンは、倒れている人間を揺り起こすことの危険性の事など、頭の中から排除されていた。
「目を開けたリオンは、俺の顔を見た途端、言ったんだ。」
「なんて、ですか?」
「"ここに戻ってきたくなかった"」
「・・・・・。」
「俺、なんとなくだけど、余計な事したかなって。リオンは本当は・・・生き伸びたくなんかなかったのに、なんかの奇蹟が起こって、ここに飛ばされたんじゃないかって思ってさ。その奇蹟を起こしたきっかけがあるとすれば、俺たちなんじゃないかって思うんだ。だから・・・。」
リオンに恨まれてもしょうがないんだ、とスタンは眉を下げた、困った顔のまま言った。
「それは・・・。」
違う、とロニは言いかけた。
戻ってきたくなかった、というのはそういう意味じゃないと。
しかしそれを言う前に、和やかなお茶の時間は慌てたようなノックの音にかき消された。
「何事ですか?」
非常時にもけっして声に出さない。
おっとりとしたいつもの声で答えたフィリアに、申し上げたき事が・・!と若い声がした。
入室の許可を得ると、さきほどロニを呼びに来た若い司祭で、彼はまるで子供のようにうろたえて、縋るような視線をフィリアに向けた。
「あの・・フィリア様の守護役の方が・・・。」
「へ?」
ロニは目を丸くする。
俺何か悪いことでもしたか?と焦っていると、そうではなく、と若い司祭が言う。
「もうひとりの・・黒い髪の方です。」
「リオンが?」
「ジューダスが?どうしたんだ?」
スタンとロニから、問い詰められ司祭はう、と言葉に詰まった。怯えていると言っても良い。
「他の・・騎士の方と、その・・・聖堂にて喧嘩を・・・。」
「なんだって!?」
「おいおい、マジかよ!?」
「喧嘩。」
スタンとロニが声を荒らげている横で、フィリアは、あら、と相変わらずおっとりと言う。
「珍しい事もあるものですね。リオンさんが喧嘩なんて。あの方は他人のことなどどうでも良い方だと思ってましたのに。」
つまりは、他人に興味のない人間=他人の言動を気にしない・・故に喧嘩などする訳がない。という方程式がフィリアの中で定まっているらしい。
どうしてこう暢気なのかね、この人は・・・と今や、自分たちの上司と言っても良い可憐なる大司教に対し、ロニは力が抜ける思いだった。
塔の細い螺旋階段を、ロニはひとり、上っていた。
階段の外側には時折明り取りの小窓が申し訳程度に開いているだけで、それ以外はずっと代わり映えのしない、白い階段が延々と続く。段差は緩やかで一段一段は低いが、逆にそれが独特の疲れを感じさせ、普段より柔な鍛え方をしている覚えはないが、そんなロニでもそろそろ息が乱れてきた。
数時間前、ジューダスも司祭たちに囲まれ、ここを厳かに昇っただろう。
塔のてっぺんには反省房という名の・・ようするに独房が造られていた。
より天に近い方が神への懺悔が届きやすいという考えかたなのかどうかは知らないが、罰を与えられる人間がここを黙って昇りその先で自らの行いを顧みるように促される。
ジューダスがそれを応じたとは思えない。
結局は頑ななヤツの態度に呆れ、あるいは憤慨し、突き放すようにして房の中に入れられただろう。
そして、普通の人間なら腐ってしまうような扱いをされても一向に気にせず、させたいようにさせるさ、という体で、ひとりの時間を楽しんでいる様が、ありありと脳裏に浮かんでくる。
ヤツがふてぶてしいからではなく。
ジューダスの視点から物事を捉えてみれば、反省するべき事などなにもない筈だからだ。
駆けつけた時、ロニが見たものは、取り囲まれ司教たちに連れて行かれるジューダスの姿だった。
別段暴れたりせず、ただいつも通りの不機嫌な顔で、促されるままに素直に従っている。
「おい、ジューダス・・・。」
話しかけたロニの顔をちらりと見ても何も言わず。
ただ・・・白い頬を伝う赤い血が、耳たぶから流れていた。
そのまま、頭を冷やしなさい、とおよそそうは思ってないような口調で、同行したフィリアが言ったことで、ジューダスの3日間の独房行きは決まったのだが、逆にそれ以上のお咎めは免れそうだ。
思えば、おっとりして人を煙に捲くのが上手いフィリアの手腕があったが故に、それだけで済んだのだ、とロニは思う。
喧嘩の理由をあれこれと聴取でもされたら、今度こそジューダスは剣も抜きかねない。それが悪意なき司祭が相手であっても、だ。
「それにしても・・・ここに戻ってきたくなかった、ねぇ・・・。」
さきほどのスタンの言葉が蘇る。
「お前の生還を諸手をあげて喜んだ俺らを前に、言ってくれるじゃないの、ジューダスちゃん。」
ロニはさきほど、這いずり回るようにして聖堂の中を探し回った、ジューダスの落し物を右手に握り、最後の一段を昇りきった。
案の定、ジューダスは反省など微塵もしていなかった。
ロニが独房を覗き込んだ時、固く冷たい石畳の上に藁が引かれただけの床に、足を投げ出して座り、ジューダスは小声で歌を歌っていた。
歌っているところを聞いただけなら誰もが機嫌が良さそうにさえ感じられる、美しい旋律の歌だ。
だが、その歌詞は恐ろしく物悲しい。
それは、ロニは知っているがこの時代にはない歌。
千年前に流行ったという歌だった。
「ご苦労なことだな、ロニ。」
ロニの姿を見るなり、ジューダスは口元を歪めて、微笑を浮かべる。
「こんな高いところまで、ようこそ。暇なのか?」
「抜かせ。」
ロニは言い、相棒の姿を指差す。
「良いざまだな、え?ジューダス。騎士のくせに聖堂で、喧嘩をおっぱじめるとは、良い度胸だ。」
「どこだろうと、頭に血がのぼった時が、喧嘩時だ。」
「妙な反論を考えてんじゃねぇ。」
ジューダスとのつきあいも長くなるが・・・初めに会った時の印象は良いところのお坊ちゃまだった。
物腰にも仕草にも優雅なものが隠れていたというのに、今はこの体たらく。使う言葉にも投げやりな感じが現れている。いつからこんなにやさぐれてしまったものなのか。
「派手にやったらしいな・・・。」
「そうでもないと思うが?」
「発端は、ピアスをからかわれたから、らしいな。」
「・・・・・。」
一番タチが悪いのは実力もないのに、プライドばかりが高い男だ。
ジューダスはこの美貌で、しかもフィリアの守護役ともなれば、いやでも目立つ。それゆえ、別になにをしている訳でもないのに、くすぶっている男の反感を勝手に買う。
それはよくある話だった。
現にジューダスは、そんな事になど慣れすぎて、なんやかんやと言いがかりをつけてくる奴等を、まともに相手をしたことなど一度もなかった。・・・筈だった。
独房の鉄格子の間から腕をさしいれ、ロニは言った。
「受け取れよ。」
「・・・なんだ?」
だが、聞くまでもなく、ジューダスは分かっている筈だ。
そこには喧嘩の原因が、収まっていることに。
そっけなく、興味などないように装っていながら、ジューダスに視線はロニの握られた手を凝視している。
期待と不安の両方を滲ませている瞳が、こころなしか熱っぽい。
「大事なもんを落としてんじゃねぇよ。」
「・・・・・。」
ジューダスはそろりと細い手を伸ばした。
ロニが開いたそのうえに、そっとその小さなものを置くと、落ちるのを恐れるかのように、ジューダスはぎゅっと手を固く閉じた。
「喧嘩した時に落ちたのか?」
ロニが聞くのは、それをジューダスがそれを肌身離さず持ち歩いている事を知っているからだ。
「いや・・・。」
ジューダスは静かに言った。
その声は、投げやりではない、ロニのよく知るいつものジューダスのものだった。
「喧嘩をふっかけてこられて、小競り合いになった時、だ。・・・落ちた。」
「・・・・・。」
ロニはジューダスの、俯いた白い面を見る。
その左の耳たぶはぱっくりと割れて、乾いた血が滲んでいた。
その傷の手当てを、ジューダスは拒んだ、という。司祭たちがどんなに説得しても、触れさせても貰えなかった、と。
「小さいからな。落ちた途端に見失った。そのうえ、言いがかりをつけてきたヤツが邪魔で、探すこともできなかった。」
淡々とした口調のジューダスの言葉を、ロニは黙って聞いている。
余計な事を話さないという印象だったのに、こんなに饒舌なのは、やはり、彼が変わってしまっているからなのだろうか。
そんな事を思っていた。
「気がついたら、殴りかかってた。」
「・・そっか。」
「頭に血が昇るというのは、本当にあるんだな。」
まさに自嘲、という笑みを浮かべ、ジューダスは言った。
「僕は天才じゃない。感情に流されることもある。・・・どこにでもいるただの男だ。」
「知ってる。」
ロニはジューダスを見下ろす。
握った左手は、さらに上から右手に握られていた。
剣を握り、拳を振るうその手の中には、小さいピアスが入っている。
ハートを模したようでもあり、丸まった剣先のようでもある、ロケットのカタチを、それはしている。
「あいつは・・・。」
ジューダスは言った。
「天地戦争が終わった5年後、実験の事故で死ぬのだそうだ。」
「誰が言ったんだ、そんな事。」
普通なら知りえない話をしているジューダスを訝って、ロニは眉を寄せる。
「ここには知識の塔があるだろう?」
「ああ。」
「そこには・・・各国から集められた書物が沢山あって、今ではどこでも手に入らないような古い記録もある。その中に、な。普通なら見落とすような小さな記録だ。」
「はっ。」
ロニは笑った。
だが、唇を歪めただけに見えたかもしれない。
「あいつがそんな事で死ぬかよ。」
比類なき天才。全てのものを支配する、無敵の女神。
彼女がどれだけ圧倒的な存在か知っている者なら、誰もそんなことは信じない。
そんな、ありふれた、ありえそうな普通の事故死など、彼女には相応しくない。
そう言うと、ジューダスは顔をあげてロニを見た。
その目は静かで、床の上に置かれたガラス玉のように、あるいはなにも映していないように見えた。
「そうじゃない、ロニ。」
視線とは裏腹の強い口調で、ジューダスは言った。
「あいつが、いつどんな風に死ぬかなんて、問題じゃないんだ。そんな事はなんの意味もない。何故ならば、あいつが何歳まで生きるにしても、もう死んでいるからだ。」
「そ・・・。」
「死んでいるんだ、ロニ。」
ジューダスの瞳が熱く揺れ、ロニは目を反らすタイミングを逃した。
「僕達は遠くまで来過ぎている。手を伸ばし、どんなに声を枯らしたところで、決して届きはしない。そんな、遥か遠くだ。あいつがいくつまで生きたとしても、実験で死ぬのを知っていたとしても、あいつの人生に、僕は干渉することはできない。ここに来てしまった以上、あいつは僕らにとって、千年前の、本来なら決して知り合う筈のない死者なんだ。」
千年の時は。
あまりに長すぎる。
"ここに戻ってきたくなかった"
「ただ・・・。」
会いたい、そうジューダスがつぶやいたのは、たぶん、聞き間違いではないだろう。
ジューダスは膝を立て、その上に乗せた腕の中に顔を伏せてしまう。
まるで鳥の巣の中に潜るかのように。
なにもなくても良い。
ただ、会いたい。
それだけだ。
けれど、それはどう足掻き、跪いて願ったところで、内部を抉るその痛みに、叫び声をあげても届く先はどこにもない。
なら、どうなりゃいいってんだよ、ちくしょう。
固い石の床を蹴飛ばし、ロニはやり場のない怒りを発散させる。
自分たちにも会わず、姉のところにも戻らず、千年前にジューダスが行けたら良かったのか?
この時代の人間でないあいつがここに来れたなら?
それで、たったわずか5年であいつが実験により命を落としたとしても、傍で見届ければそれで良い、とでも?
どれもこれも違う。
ジューダスが陥っただけだ。
自ら望み、崇め、崇拝するたったひとりの暴君を探し彷徨う迷宮の中に。
昇ってきたのと同じ、細く長い螺旋の階段を降り切り、軋み音をあげる木のドアを外に開け放てば、すでに日は暮れかかっていた。
ロニは白い雲を染める赤い夕日を目を細めて見上げる。
それは、紅よりも薄く、朱よりも濃い色をしていた。
自然のつくりあげるものは、なんと残酷で美しいのだろう、とそれを見て思う。
決して抵抗できないタイミングで、こんな演出されたら、誰でも泣きたくなるだろう。
無性に、赤い髪の彼女に会いたいと思った。
ホープタウンに向かっても決して会う事はできない、10年後の彼女。
長いツインテールを揺らし、なに、しょぼくれてるんだい?あんたらしくもない、と軽い憎まれ口を聞かせて欲しかった。
懐かしい声を思い出し、口を開いて大きく空気を吸い込むと。
ロニはこみあがってきたものを、喉の奥へと嚥下した。
fin
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